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2017年12月4日(月) 18時30分開演(18時開場)
東京オペラシティ 近江楽堂 一般5000円/学生4000円

ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685 – 1750) : クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ BWV1014 - 1019
第1番 ロ短調 BWV1014 [全4楽章] 約15分
  Adagio - Allegro - Andante - Allegro
第2番 イ長調 BWV1015 [全4楽章] 約13分
  (Dolce) - Allegro - Andante un poco - Presto
第3番 ホ長調 BWV1016 [全4楽章] 約17分
  Adagio - Allegro - Adagio ma non tanto - Allegro
 (休憩 15分)
第4番 ハ短調 BWV1017 [全4楽章] 約15分
  Largo - Allegro - Adagio - Allegro
第5番 ヘ短調 BWV1018 [全4楽章] 約16分
  (Lamento) - Allegro - Adagio - Vivace
第6番 ト長調 BWV1019 (最終版) [全5楽章] 約17分
  Allegro - Largo - Allegro - Adagio - Allegro


c0050810_13170294.jpg【お問い合わせ】 yurikaviolin@kvj.biglobe.ne.jp tel 03-6411-1977(辻) 
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阿部千春  (バロックヴァイオリン)
  塩川庸子氏、尾島綾子氏、前澤均氏、金倉英男氏、村上和邦氏、菊地俊一氏に師事。武蔵野音楽大学卒業後、ドイツ・シュツットガルト国立音楽大学でスザンネ・ラウテンバッハー氏に師事。在日中より菊地俊一氏、永田仁氏を通して古楽に関心を持っており、1994年トロッシンゲン国立音楽大学古楽科に入学、バロックヴァイオリンをジョルジオ・ファヴァ氏に師事。ディプロム終了後、同大学院にてフランソワ・フェルナンデス、エンリコ・ガッティ、ジョン・ホロウェイ各氏のもとで研鑽を積む。
  1999年、ドイツ産業連盟・ドイツ財界文化部主催の”古楽・弦楽器コンクール”にて特別奨励賞を受賞。大学院修了後、スコラカントルム・バジリエンスィス(バロックヴァイオリン、ヴィオラ・ダモーレ)、ケルン国立音楽大学(古楽科室内楽専攻)に在籍。在学中より、オーケストラ/室内楽奏者、ソリストとして数多くの演奏会、CD、各地放送局の録音に参加、ヨーロッパ各国に活動範囲を広げる。現在、ドイツ・ケルンに在住。ヴィオラ・ダモーレ奏者としても活動。コンチェルトケルンでは演奏の他、資料研究も担当。国内においては2009年から2012年にかけて大井浩明氏とのモーツァルト・ヴァイオリンソナタ全曲シリーズを完結。2013年にはバッハのヴァイオリン無伴奏全曲演奏会を開催する。 公式サイト http://chiharu.de/ (ブログ随時更新中)






バッハのヴァイオリンソナタ集について―――阿部千春


曲集の成立・出典

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 Johann Sebastian Bach ヨハン・セバスティアン・バッハ( 1685 – 1750 ) の " クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ " 6曲は、ケーテン時代 ( 1717 – 1723 ) の終わり頃、1720年以降にチクルスとしてまとめられたと考えられています。ヴァイマール時代から少しずつ書き溜めていたと見られ、ライプツィヒに移ってからも ( 1723 - )手を加えていったようです。宮廷での演奏、ライプツィヒではコレギウム・ムジクムでも活用されていたかと思われます。
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータBWV1001 - 1006 には自筆譜が残っており1720年という年代が記されていますが、このソナタ集 BWV1014 - 1019 には自筆譜が残っていません。バッハ自身、また彼の相続者が管理に疎かったこともあり、19世紀半ばまでに室内楽のかなりの自筆譜が紛失しました。
 1802年に出版されたJohann Nicolaus Forkel ヨハン・ニコラウス・フォルケル ( 1749 – 1817 ) による最初のバッハ伝にはこのような記述があります。 「 この6曲はケーテン時代に完成された。彼のこの分野における最初のマイスター作品と言えるだろう。作品集を通してフーガ的技法が使われており、クラヴィーアとヴァイオリンとの間でのカノンは歌唱的で性格に富んでいる。ヴァイオリンパートにはプロ的技術が要求される。バッハはこの両方の楽器の技術的・音楽的可能性を熟知していた。」
 ヴァイマール ( 1708 – 1717 ) では1714年からコンサートマスターとして任命されたこともあるバッハは、当時オルガンの大家として有名でしたが、ヴァイオリン / ヴィオラの演奏にも精通していました。当時、通奏低音のレッスンでは先生がヴァイオリンで旋律を担当し生徒が伴奏していくという形がスタンダードだったと言われています。バッハがこの6曲の演奏に際して、ヴァイオリンパートを受け持ったことも十分考えられます。

 現存するもっとも古い出典は、1725年頃のバッハ本人と当時ライプツィヒ・トマス学校で学んでいた甥のJohann Heinrich Bach ヨハン・ハインリヒ・バッハ の手で書かれたチェンバロ譜で、ベルリン国立図書館に保管されています。この楽譜と一緒に保管されているヴァイオリンパート譜は、その数年後にブラウンシュヴァイクの宮廷音楽家Georg Heinrich Ludwig Schwaberg ゲオルク・ハインリヒ・ルードヴィヒ・シュヴァーベルク ( 1696 – 1772 ) がライプツィヒ滞在の折に紛失した譜の代わりとして書いたものです。

 バッハの次男Carl Philipp Emanuel Bach カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ ( 1714 – 1788 ) が1774年に記しています。「 6曲のこのクラヴィーアトリオは敬愛なる父の作品の中でも特筆に値する仕事である。50年を隔ててなお素晴らしい作品と言える。」
彼は、父ヨハン・セバスティアンがこのチクルスを作曲した当時非常に斬新な手法だったチェンバロのオブリガート楽器としての室内楽での使用 ( チェンバロはそれまでは室内楽において通奏低音楽器としての扱いが普通だった )、音楽的内容の質、そして緩徐楽章における歌唱的な技法を高く評価しています。自身このスタイルを「旋律楽器とチェンバロのためのトリオ」と分類、同じ手法での作品を残しています。
 この手法は伝統的なトリオソナタの編成 ( 2つの上声と通奏低音 ) をヴァイオリンとチェンバロに振り分けたもので、6曲のソナタの大半がこの形をとっています。この手法には経済的効果もあり、腕の立つ2人の奏者によっての演奏は、同じ演奏効果をより少ないリハーサルによって可能にするものでした。また、バッハが活躍したドイツ・チューリンゲン / ザクセン / ベルリン地方で作られていたチェンバロは特に高音において音の伸びがよく、ヴァイオリンとの旋律的掛け合いの効果を狙うことができたと見られます。マニュアル指定が後の版にもないため、1段鍵盤の比較的小さい楽器を使ったことも考えられます。

 さらにこの編成での利点は、通奏低音の和声的なぶ厚い層が削減されることを通して全体の響きが軽くなり、対位法の構造がよりはっきりする点にあります。また、一つの旋律をチェンバロが担当することで、2 つの旋律楽器を用いた伝統的なトリオソナタ形式よりも旋律が絡み合い、より軽快さ、リズム / 構成の明確さを生み出します。


バロック時代におけるソナタの誕生と発展

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 器楽曲という分野は17世紀を通して大きな発展を遂げました。ルネサンス時代、主に声楽ポリフォニーが教会・宮廷において芸術音楽として演奏され、高い水準の対位法技法が確立させます。1600年頃、その複雑な構造とは違う、歌詞を簡潔な形で聞き手に伝えるモノディーの運動がイタリア・フィレンツェで興り、通奏低音という演奏習慣が確立されます。この頃機能が改良され性能が向上してきた楽器を用いての楽曲にも、このモノディー様式・通奏低音の習慣の影響が見られるようになりました。Michael Praetorius ミヒャエル・プレトリウス ( 1571 – 1621 ) の著書、Syntagma musicum 音楽大全 ( 1619 ) にソナタについての記述が見られます。「Sonata ソナタという語はCanzonen カンツォーネと同様、人の声ではなく、楽器を用いて演奏される曲に使われる。ただしこの二つの語には違いがある : ソナタは重々しく荘厳なモテットの様式で作曲される。一方カンツォーネは細かい音を用いた、新鮮で軽快、そして速い楽曲である。」
 特にヴァイオリンという楽器はその音域の広さと自由な表現の可能性とで、器楽の歴史上、大きな役割を担いました。器楽という意味で使われていたソナタという語は、次第に決まった形式を指すようになります。1700年に出版されたArcangelo Corelli アルカンジェロ・コレルリ ( 1653 – 1713 ) のヴァイオリンソナタ集作品5は18世紀を通して全ヨーロッパに大流行した作品集です。この作品5は前半6曲が教会ソナタ、後半5曲 ( 最後の12番はラ・フォリアの主題による変奏曲 ) は室内ソナタの形式が用いられています。
 教会ソナタ・室内ソナタの概念が定着したのは18世紀に入ってからです。Sébastien de Brossard セバスティアン・ド・ブロサール ( 1655 – 1730 ) の音楽辞典 ( 1703 ) には次のようにあります。「教会ソナタは教会という場にふさわしく荘厳な楽章で始まり、フーガを用いた速く生き生きとした楽章が続く。その後1楽章よりさらに厳然な楽章が奏され、最後は再び速い曲で締めくくられる。この最後の楽章は2番目のものよりさらに軽く流れるような曲で、フーガはあまり用いられない。」「室内ソナタは室内で奏されるのにふさわしく、小さな舞曲を集めたものである。プレリュードまたは小さなソナタ ( ソナティネ ) で始まり、同じ調性の舞曲が次々と演奏される。」
 アルカンジェロ・コレルリは教会ソナタ形式によるトリオソナタ集作品1、作品3において4楽章形式を用いました。作品5では教会ソナタ形式による前半6曲に5楽章形式を用いていますが、4楽章形式に速い楽章を挿入した拡張版と言えるでしょう。


バッハのソナタにおけるイタリア様式の影響

 バッハは "クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ " 6曲のうち、1番から5番 ( BWV 1014 – 1018 ) に緩・急・緩・急の4楽章からなる教会ソナタ形式を使っています。第6番は他の5曲とは違い、室内ソナタ的な構造になっています。コレルリの作品5における5楽章形式の教会ソナタを前提にした可能性もあります。

 バッハが先達の作品を写譜し勉強していたことはよく知られていますが、ヴァイマール滞在中の1713-1714年頃、イタリアの最新の音楽に触れるチャンスがありました。当時のヴァイマール - ザクセン候Ernst August Iエルンスト・アウグスト1世 ( 1688 – 1748 ) の甥、Johann Ernst IVヨハン・エルンスト4世 ( 1696 – 1715 ) は音楽的才能に非常に恵まれており、1713年夏アムステルダム滞在の際、最新の出版譜を大量に購入し持ち帰ります。その中に1711年に出版されたAntonio Vivaldi アントニオ・ヴィヴァルディ ( 1678 – 1741 ) の協奏曲集 ”調和の霊感” 作品3がありました。ちょうどこの頃バッハの作風に顕著な変化が現れます。他の作曲家からの編曲のうち6曲は、ヴィヴァルディ・作品3からのものです。
 次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハが、1754年に出版された追悼文の中で触れているのが、父ヨハン・セバスティアンがヴィヴァルディから学んだ „musikalich denken“ ( 音楽的に考える: 音楽的思考 ) という新しいメソードです。バッハはヴィヴァルディの作品3を研究し、そのメソードを理解、発展させ、伝統的作曲技法の限界を超えた可能性を開拓、18世紀初頭に急速に発展した作曲法に大きな貢献を果たしました。ヴィヴァルディが作品3で導入した "Ordnung, Zusammenhang, Verhältnis“ ( 秩序 / 規律、連結、繋がり ) による音楽の組み立ては、簡潔明快さ・その単純さからくる自然のエレガンスと、知的に計算された複雑さ・多様性からのインテリゲンスという、美学的に両極端の2つの見地の組み合わせを可能にしました。アイデア / モチーフの組み立ての秩序を認識し、そのアイデア / モチーフの間を連携させ、全体の構築していく方法は、それまでの伝統的な作曲技法になかった可能性を広げます。バッハはこのヴィヴァルディが提示した新しい方法に、伝統的・厳格な対位法技法、内声部の旋律的な流れ ( これはバッハの通奏低音におけるレアリゼーションに典型的に示されています )、和声の緻密さを加え、これらを機能的、本質的に統括しました。
 ヴィヴァルディが提示した天才的な作曲システムと、それをさらに発展させたバッハの統括的なシステムはこの後18世紀の音楽史に大きな影響を与えていきます。

 バッハはクラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ6曲において、トリオソナタの書法による二重奏ソナタの形式をベースに、イタリアの新しい作曲のメソードを取り入れ、リトルネロ形式やコンチェルト形式を加えたチクルスを完成させたのでした。


ソナタ6番の成立にまつわる経過

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 第6番にはバッハ本人による3つの版が残されています。この3つの版に共通して使われているのが、第1楽章に置かれているアレグロ ( 初版ではヴィヴァーチェ、第2版ではプレスト )、ラルゴ、
アダージオの3つの楽章です。音楽学者Hans Eppsteinハンス・エップシュタインは、この3つの楽章は紛失したフルートとヴァイオリンと通奏低音のためのトリオソナタが元となっているのではとの仮定を提唱しています。音域、音型から、これはフルートとヴァイオリンではなく、2台のヴァイオリンのためのトリオソナタだったのではという意見もあります。

初版 : 1725年までに完成
Vivace
Largo
Cembalo Solo
Adagio
Violino solo è Basso
[Vivace ] Repetatur ab initio

 初版のCembalo Solo とviolino solo è Bassoは、同じ1725年に出版されたパルティータロ短調BWV830にCorrente 、Tempo di Gavottaとしてチェンバロソロ用に書き換えられています。その出版のためか、バッハはこの2曲の代わりにヴァイオリンとチェンバロによるカンタービレを入れ、第2版としました。

第2版 : 1725年 ( 又は1728年 ) 以降
Presto ( 初版の第1楽章と同じ )
Largo
Cantabile ma un poco adagio
Adagio
[Presto] ad Initio repetat(ur)

 Cantabile ma un poco adagio は結婚カンタータ „Herr Gott, Beherrscher aller Dinge"「主なる神、万物の支配者よ」BWV120a ( 1729年 ) のソプラノとヴァイオリンによるアリア"Leit, o Gott, durch deine Liebe" 「神よ、あなたの愛によってお導きください」から器楽ヴァージョンとして引用されました。ヴァイオリンパートはそのまま、ソプラノのパートはチェンバロの右手が担当します。ちなみにこのカンタータには別の版があります。( 1730年にアウグスブルク信仰告白で使われた版„Gott, man lobet dich in der Stille“ 「神よ、讃美はシオンにて静けく汝に上がり」BWV120bは紛失。1742年に市参事会員交代式で再演された版はBWV120として残っている)

最終版 : 1740年代 ?
Allegro ( 初版の第1楽章と同じ )
Largo
Allegro ( Cembalo solo )
Adagio
Allegro
 最終版でバッハはチェンバロソロを復活、新しく作曲してCantabileの代わりに付け加えます。最終楽章のアレグロは1731年以前に作曲されたと考えられる結婚カンタータ "Weichet nur, betrübte Schatten“ 「しりぞけ、もの悲しき影」BWV202のアリア "Phöbus eilt mit schnellen Pferden“「フェーブスは駿馬を駆り」の、通奏低音が担当する駿馬の足音の模倣音型を用いた楽章です。


クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ BWV1014 - 1019

第1番 ロ短調 BWV1014
 6曲中で唯一リトルネロ形式を用いておらず、このソナタ集の中で成立が一番古い可能性があります。

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1楽章 アダージョ 6/4拍子 ロ短調                           
 独唱アリアの形を取り、オーケストラの前奏のようなチェンバロの3度音型で始まり、ヴァイオリンがその上でアリア的旋律を奏でます。後半はチェンバロとヴァイオリンの掛け合いになり、二重奏曲としての様相となります。ヨハネ受難曲、そしてロ短調ミサの冒頭と同じ調性での、哀愁に満ちたアリア。

2楽章 アレグロ 2/2拍子 ロ短調
 三部構成 ( 第6番の1楽章と同じく、ダ・カーポ形式 ) による、3声のフーガ。中間部は長調となり、主題が動機分解され展開。後の時代のソナタ形式を思い起こさせるスケールの大きな楽章です。

3楽章 アンダンテ 4/4拍子 ニ長調
 伸びやかなトリオソナタ形式のデュエット。ため息の音型も使われ、メランコリーな情感が漂います。

4楽章 アレグロ 3/4拍子 ロ短調
 二部構成の3声によるフーガ。8分音符の反復音型による強い性格の主題、16分音符のなめらかな対旋律がコントラストを成す楽章です。


第2番 イ長調 BWV1015

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1楽章 ( 速度表示なし ) 6/8拍子 イ長調
 3声による模倣対位法。ヴァイオリンパートにはDolceドルチェと書かれています。牧歌的な穏やかな楽章。

2楽章 アレグロ ( 1725年頃とされる原典、また他の18世紀の写譜にはアレグロ・アッサイとある )  3/4拍子 イ長調
 三部形式によるフーガの技法を用いたリトルネロ形式。中間部に協奏的な効果が用いられている、華やかな楽章です。

3楽章 アンダンテ・ウン・ポーコ ( 1725年頃の原典にはアンダンテ・センプレ ) 4/4拍子 嬰ヘ短調
 オスティナートとしての分散和音の伴奏による、2声の厳格なカノン。版によってはStaccato sempreとの記述があるリュートのような伴奏の上に、もの悲しげな旋律がカノンとして展開します。

4楽章 プレスト 4/4拍子 ( 1725年頃の原典、また他の多くの版で2、またはアラ・ブレーヴェ ) イ長調
 3声のフーガによる二部形式の楽章。3楽章とは打って変わり、朗らかな曲想。


第3番 ホ長調 BWV1016

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1楽章 アダージョ 4/4拍子 ホ長調
 分厚いオーケストラの響きを思い起こさせるチェンバロの5声の伴奏音型に、ヴァイオリンが堂々とアリアを奏でる、スケールの大きな楽章。音楽学者エッピシュタインは、1714年に作曲されたカンタータ " Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen"「泣き、嘆き、憂い、怯え 」BWV 12のシンフォニアとの関連を指摘しています。チェンバロによる伴奏は、このカンタータにおけるヴァイオリンの伴奏音型からの転用と見られます。一種のオスティナートと解釈できます。

2楽章 アレグロ 2/2拍子 ホ長調
 1楽章とは一転してラフな感じのフーガの技法を用いたリトルネロ形式。三部からなります。

3楽章 アダージョ・マ・ノン・タント 3/4拍子 嬰ハ短調 
 ヴァイオリンとチェンバロの右手によるデュエット。バスの音型は1楽章と同様オスティナートと見ることができます。ここでは4小節に渡るオスティナート音型が階段状に使われています。

4楽章 アレグロ 3/4拍子 ホ長調
 オーケストラの響きを想定した、華麗なフィナーレ。リトルネロ形式によるフーガ。協奏曲の様式で、中間部には3連符の旋律と冒頭の16分音符の音型が競い合うがごとく交替で現れます。



第4番 ハ短調 BWV1017

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1楽章 ラルゴ ( 1725年頃の原典、また他の18世紀後半の写譜にはシチリアーナとの表示がある ) 6/8拍子 ハ短調
 シチリアーノのスタイルによるヴァイオリン独奏と通奏低音の二部形式。チェンバロによる16分音符の、シチリアーノ風の分散和音は、通奏低音のレアリゼーションの好例です。ヴァイオリンが奏でる旋律内の6度跳躍は、鎮魂歌のような曲に用いられる表現手段の一つで、後半では旋律内の跳躍が大きくなり、さらに強い表現となります。マタイ受難曲のアルトとヴァイオリンソロによるアリア、“Erbarme dich"「わが神よ、憐れみたまえ」を彷彿させる二部形式の楽章です。

2楽章 アレグロ 4/4拍子 ハ短調
 3声のリトルネロ形式によるフーガ。テーマに含まれる音程跳躍が3度、5度、8度、10度と広くなり、ダイナミックな効果を生んでいます。

3楽章 アダージョ ( 18世紀後半のコペンハーゲンに保管されている写譜にはアダージョ・マ・ノン・タント )  3/4拍子 変ホ長調
 1楽章と同じく、ヴァイオリンのソロと通奏低音のスタイル。チェンバロの分散和音はここでは8分音符による3連符で書かれています。旋律線にはエコー効果を狙った強弱の指定があります。また、分散和音の3連符に対して、旋律には付点のリズムが現れます。このような場合、同時代の音楽家たちの記述にあるように、緩徐楽章において付点のリズムは書かれてある通りに奏し、リズムを3連符に合わせることはなかったようです。旋律を浮かび出させる手法と言えるでしょう。

4楽章 アレグロ 2/4拍子 ハ短調
 二部形式のようなフーガ。2楽章の主題の変形とも取れる、やはり音程跳躍を使った主題を用いています。展開部においては、この主題とは性格の違う16分音符によるなめらかなテーマを用い、コントラストを出しています。



第5番 ヘ短調 BWV1018

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1楽章 ( 速度表示なし )  3/2拍子 ヘ短調
 18世紀の写譜の中にはラメントと記されているものもあり、哀愁に満ちた楽章です。チェンバロで同じ音型が音域を変えて繰り返され、オルガンによるプレリュード形式のひとつをとっています。モノトーンなチェンバロ音型にヴァイオリンの旋律がそれに分け入るように歌われます。
 チェンバロのこの音型は、モテット" Komm, Jesu, komm „ 「来れ、イエス、来れ」BWV229のモチーフと同じもので す。( „die Kraft ver-schwindt je mehr“ 「力がどんどん尽きていく…」という歌詞の箇所 )

2楽章 アレグロ 4/4拍子 ( 1725年頃の原典、また幾つかの他の写譜ではアラ・ブレーヴェ ) ヘ短調
 2楽章としては珍しく、繰り返し記号のついた反復二部形式をとっています。主題はヘンデルのように単純で直接的、力強く、後半で出てくるもう一つの新しいフーガ主題はそれに対しなめらかな16分音符から成っています。この二重フーガの技法はバッハの作品の中でも特別のものです。

3楽章 アダージョ 4/4拍子 ハ短調
 6曲中で唯一、3楽章に他の楽章と同じ短調を用いています。ここでは役割が交代し、ヴァイオリンが通奏低音のレアリゼーションを8分音符で伴奏、チェンバロは流れるような分散和音を奏でます。初版ではこの分散和音は16分音符でしたが、後に32分音符の音型に変更されました。

4楽章 ヴィヴァーチェ 3/8拍子 ヘ短調
 リトルネロ形式のフーガ。半音階進行とシンコペーションを用いたジーグと言えます。ラメントの最終楽章に速い舞曲の形式を用いたのは、“Totentanz“「死の舞踏」を意識したのかもしれません。



第6番 ト長調 BWV1019 ( 最終版 )
 第3楽章を中心としてシンメトリーな構造となっています。

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1楽章 アレグロ ( 初版ではヴィヴァーチェ、第2版ではプレスト 、18世紀後半の写譜にはモルト・ アレグロとあるものもある) 4/4拍子 ト長調
 イタリアの協奏曲の形式を用いた、華やかで軽快な楽章。リトルネロ形式で、ソロと合奏の交替効果を狙っています。他のソナタとは違って5楽章形式をとるこの6番のソナタで、バッハは冒頭に速い楽章を置きました。初版、第2版ではこの楽章が最終楽章としてもう一度演奏されます。

2楽章 ラルゴ 3/4拍子 ホ短調
 すべての版に共通して使われている楽章です。コレルリのトリオソナタの形式を模した、バスの8分音符の音型の上に模倣技法での上2声の掛け合いで始まり、4声部での反復進行と主題の模倣、そしてフリギア終始で3楽章へと続きます。

3楽章 アレグロ 4/4拍子 ホ短調
 チェンバロの独奏。2声部で書かれた二部形式。

4楽章 アダージョ 4/4拍子 ロ短調
 2楽章のように、コレルリのトリオソナタ形式を思い起こさせる始まりで、フーガ技法、半音階進行、シンコペーションを使ったトリオとなります。
 
5楽章 アレグロ ( 18世紀の写譜の中にはアレグロ・アッサイとあるものも ) 6/8拍子 ト長調
 ジーグとも言える、ギャロップの音型を用いた爽快な三部形式のフーガ。1楽章の性格を引き継ぎ、チクルスの締めくくりとなります。



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【過去の公演】
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朗読:濱田壮久神父 バロックバイオリン:阿部千春 オルガン:大井浩明  テオルボ:蓮見岳人
H.I.F.v.ビーバー(1644-1704):《ロザリオのソナタ》(全16曲、1674)
〈キリストの誕生〉 - 喜びの神秘 Der freudenreiche Rosenkranz -
  第1番「お告げ」 - 第2番「訪問」 - 第3番「降誕」 - 第4番「キリストの神殿への拝謁」 - 第5番「神殿における12歳のイエス」
〈受難〉 - 哀しみの神秘 Der schmerzhafte Rosenkranz -
 第6番「オリーヴ山での苦しみ」 - 第7番「むち打ち」 - 第8番「いばらの冠」 - 第9番「十字架を背負うイエス」 - 第10番「イエスのはりつけと死」
〈復活〉 - 栄光の神秘 Der glorreiche Rosenkranz -
 第11番「復活」 - 第12番「昇天」 - 第13番「聖霊降臨」 - 第14番「聖母マリアの被昇天」 - 第15番「聖母マリアの戴冠」 - 終曲「守護天使」


阿部千春(バロック・ヴァイオリン)+大井浩明(チェンバロ)
●ビアージョ・マリーニ (1594-1663):ヴァイオリンのための変奏ソナタ第3番 (1629)
●ジョバンニ・バッティスタ・フォンターナ (1589?-1631):ソナタ第6番 (1641)
●カルロ・ファリーナ (c.1600-1639):ソナタ “ラ・デスペラータ”(1628)
●マルコ・ウッチェリーニ (c.1610-1680):ソナタ第3番 “ラ・エブレア・マリナータ”(1645)
●ジョバンニ・アントニオ・パンドルフィ・メアッリ(1624-c.1687):ソナタ “ラ・クレメンテ” 作品3-5 (1660)
●アンジェロ・ベラルディ (c.1636-1694):カンツォーネ第1番作品7 (1670)
●アレッサンドロ・ストラデッラ (1639-1682):シンフォニア第6番(1670s)
●カルロ・アンブロジオ・ロナーティ (c.1645-c.1712):ソナタ第5番(1701)
●アルカンジェロ・コレッリ (1653-1713):ソナタ作品5-10 (1700)

2009年7月25日 W.A.モーツァルト:クラヴィーアとヴァイオリンのためのパリ・ソナタ集 (全6曲、1778)
阿部千春(クラシカル・ヴァイオリン) 大井浩明(フォルテピアノ)
●ト長調K.301 (293a) 全2楽章
●変ホ長調K.302 (293b) 全2楽章
●ハ長調 K.303 (293c) 全2楽章
●ホ短調 K.304 (300c) 全2楽章
●イ長調 K.305 (293d) 全2楽章
●ニ長調 K.306 (300l) 全3楽章

2010年10月13日 W.A.モーツァルト:クラヴィーアとヴァイオリンのためのアウエルンハンマー・ソナタ集 作品2 (全六曲) (1778/81)
阿部千春(クラシカル・ヴァイオリン) 大井浩明(フォルテピアノ)
●ヘ長調K.376(374d) 
●ハ長調K.296
●ヘ長調K.377 (374e)
●変ロ長調K.378 (317d)
●ト長調 K.379 (373a)
●変ホ長調 K.380 (374f)

2012年2月10日 ピリオド楽器によるモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ全曲シリーズ 最終回
阿部千春(クラシカル・ヴァイオリン) 大井浩明(フォルテピアノ)
●ソナタ第40番 変ロ長調 K.454 (1784/1784出版)[全3楽章] Largo/Allegro - Andante - Allegretto
●フランスの歌《羊飼いの娘セリメーヌ》による12の変奏曲 ト長調 K.359(374a) (1781/1786出版)
●ソナタ第41番 変ホ長調 K.481 (1785/1786出版)[全3楽章]
●《泉のほとりで》による6つの変奏曲 ト短調 K.360(374b)(1781/1786出版)
●ソナタ第43番 ヘ長調 K.547 (1788)[全3楽章]
●ソナタ第42番 イ長調 K.526 (1787/1787出版)[全3楽章]
●ソナタ第39番 ハ長調 K.404(385d)(1782)[全2楽章]


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# by ooi_piano | 2017-11-13 21:22 | コンサート情報 | Comments(0)


【ポック[POC]#33】 2017年11月4日(土)18時開演(17時半開場) ウストヴォリスカヤ全ピアノソナタ集

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大井浩明(ピアノ)
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分

3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円]
【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 050(5849)0302 (10~18時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付)
チケット予約フォーム http://www.opus55.jp/poc.html


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●ドミトリ・ショスタコーヴィチ(1906-1975):ピアノ・ソナタ第1番 (1926) 13分
  Allegro -Meno mosso - Allegro - Adagio - Lento - Allegro - Meno mosso - Moderato - Allegro
●ガリーナ・ウストヴォリスカヤ(1919-2006):ピアノ・ソナタ第1番 (1947) 9分
  I. - II. - III. - IV.
同:ピアノ・ソナタ第2番 (1949) 11分
  I. - II.
同:ピアノ・ソナタ第3番 (1952) 17分
  Tempo I. - Tempo II. Meno Mosso - Tempo III.
 (休憩 10分)
●水野みか子:《植物が決める時》(2017、委嘱新作初演) 10分
  I. Arnica - II. トゥーランドットの庭 - III. 土の音
●ガリーナ・ウストヴォリスカヤ:ピアノ・ソナタ第4番 (1957) 11分
  I. - II. - III. - IV.
同:ピアノ・ソナタ第5番 (1986) 16分
  1. Espressivissimo - 2. - 3. Espressivo - 4. Espressivo - 5. Espressivo - 6. Espressivo - 7. - 8. A punto, aspro - 9. - 10. Espressivissimo
同:ピアノ・ソナタ第6番 (1988) 7分



水野みか子:《植物が決める時》
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  大井さんから委嘱のお話をいただいたとき、植物に関係する作品の第三弾を考えた。十年以上前に管弦楽のための《緑の波》を作曲したときには、豊かに実る穀物の畑をイメージしていた。第二弾、昨年作曲した《ピアノとエレクトロニクスのための リポクローム》は人参のカロチノイドにあるような黄色い色素に関係させた。
  本日初演していただく作品のタイトル《植物が決める時 tempus planta》は、 1557年に書かれたとされる「自然哲学」の書にヒントを得て作成したフレーズである。
  植物は行動しない。光、水、土などに反応することはあっても意志をもって次の動きを決めるということはなく、行動せずに根を張っていく。植物の魂によって決定される、底力ある「時間」は、人間意志に左右されずにどっしりした生命力で包んでくれるように思う。本作は、<Arnica>、<トゥーランドットの庭>、<土の音>の三曲で構成される。(水野みか子)

水野みか子 Mikako Mizuno, composer
  東京大学、愛知県立芸術大学卒業。同大学院音楽研究科修了。工学博士。作曲と音楽学の分野で活動を展開。名古屋市立大学芸術工学部芸術工学研究科・情報環境デザイン学科教授。2016年パリ・ソルボンヌ大学招聘研究員。近作に、《尺八、箏とオーケストラのための「レオダマイア」》(2012)、視聴覚同期プログラムIanniXのための《Trace the City 》(2014)、三人の演奏者のための《かげきじゃないかげき》(2015)などがある。2016年5月、伊交流コンサート(ベネチア、トレヴィーソ)にてソプラノとピアノのための《Per acqua chiare》(2016)他を発表。同年9月アジア・コンピュータ音楽会議においてヴァイオリニスト木村まりによって初演された《ヴァイオリンとエレクトロニクスのための「行き交う光束」》はICMC2017において再演された。2016年6月より国際音楽学研究組織IReMusメンバーとして電子音響音楽研究を推進している。先端芸術創作学会JSSA運営委員、日本電子音楽協会 JSEM会長。EMS2017実行委員長。
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ウストヴォリスカヤと旧ソ連の戦後前衛―――野々村 禎彦
(※音源リンク付)

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 ガリーナ・ウストヴォリスカヤは1919年にペトログラード(1924年からソ連崩壊まではレニングラード、現在はサンクトペテルブルク)に生まれ、1939年にレニングラード音楽院に入学してショスタコーヴィチに師事した。レニングラードは独ソ戦における包囲戦の舞台であり、疎開を挟んで卒業は1947年までずれ込んだ。同年に大学院に進んで教鞭を執り始めたが(1977年まで続けた生業)ショスタコーヴィチには師事しなかったのは、文学の世界では1946年に進歩的な作家への批判が始まっており、翌1948年のジダーノフ批判を予期して、優秀な弟子は遠ざけておいたのだろう。彼女も活動初期には体制に順応し、ピアノソナタ第1・2番(1947, 1949) や社会主義リアリズム路線のカンタータ《ステファン・ラージンの夢》(1949) を書いた。この間もショスタコーヴィチは彼女に新作の草稿を見せ、彼女のヴァイオリン・クラリネット・ピアノのための三重奏曲(1949) 終楽章の主題を弦楽四重奏曲第5番(1952) や《ミケランジェロの詩による組曲》(1974) に引用している

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 だが1950年に大学院を修了すると、以後は独自の道を歩み始める。2オーボエ、4ヴァイオリン、ティンパニ、ピアノのための《八重奏曲》(1949-50) を書いた時点で既に一般的ではない編成への指向は明白で、この作品も「思想的に狭量」と批判されて1970年にようやく初演された。ただし、敬虔な正教徒でもある彼女は世俗的な成功や評価は望んでいなかった。ショスタコーヴィチのように激烈な批判を受けることはない代わりに、ひたすら無視された。それでも50年代は比較的多作で、ピアノソナタ第3・4番(1952, 1957)、ピアノ独奏曲《12の前奏曲》(1953)、交響曲第1番(1955) など10曲を書いた。しかし、チェロとピアノのための《大二重奏曲》(1959) から彼女は変わった。もはや師の面影は微塵もなく、彼女だけの強靭な持続が生まれた。この変化は彼女も自覚していたのか、次作はヴァイオリンとピアノのための《二重奏曲》(1964) まで空き、これが彼女の60年代唯一の作品になった。彼女は「生活のために書いた不本意な曲」(例えば《詩曲》第1番(1958)・第2番(1959))は作品表から抹消しているが、それも50年代に限られる。

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 彼女の沈黙の背景には、ソ連の音楽状況の変化もあった。ショスタコーヴィチは《アレクサンドル・ブロークの詩による7つの歌曲》(1967) から半音階的書法への傾斜を強め、弦楽四重奏曲第12番(1968)・交響曲第14番(1969)・弦楽四重奏曲第13番(1970)・交響曲第15番(1971) では部分的に12音技法も用いているが、その背景にはこの時期に戦後前衛世代の作曲家たちがセリー書法を導入して成果を挙げたことがある(また、自己を確立したウストヴォリスカヤは彼の作風を嫌悪するようになったのとは対照的に、この時期の彼は彼女の旧作を参照して音楽的持続を作っており、その旨を彼女に私信で伝えている)。その急先鋒はエディソン・デニソフ(1929-96) であり、彼がモデルにしたのはブーレーズだった。ソプラノと9楽器のための《インカの太陽》(1964) はブーレーズに献呈され、西側でもたびたび演奏されて彼の国際的名声の出発点になったが、音楽的にはあからさまにブーレーズ《主なき槌》(1952-55/57) を換骨奪胎したものである。

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 この「国際的成功」でデニソフは当局に危険視されたが、ショスタコーヴィチのように教職を追われることもなく、ドミトリ・スミルノフ(1948-) やエレーナ・フィルソワ(1950-) をはじめ、旧ソ連のポスト戦後前衛世代を代表する作曲家たちを門下から輩出した背景には、ノーノの存在が大きい。前衛の時代のイタリア共産党はソ連と友好関係を結び、党員のノーノは文化使節としてソ連をしばしば訪れていた。ナチスドイツに抵抗した共産主義者や、北ベトナムなどのソ連に支援された民族解放闘争を讃える音楽をセリー書法で生み出し続ける彼の手前、ソ連でこの方向性を代表するデニソフを冷遇するわけにもいかない。彼もホリガーと同じく、この書法をブーレーズの枠を超えて柔軟に発展させ、ピアノ三重奏曲(1971) とソプラノと6楽器のための《赤い生活》(1973) で頂点に達した。

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 同世代の作曲家たちも同様の書法から出発したが、その路線ではデニソフに伍することは難しく、独自の道を歩み始めた中で最初に頭角を現したのはアルフレート・シュニトケ(1934-98) だった。彼はアンドレイ・フルジャノフスキー監督(1939-) の実験アニメ『グラスハーモニカ』の音楽を担当したが、監督一人で寓話的な切り絵アニメを制作するのと並行して、先の見えない状況でシークエンスごとに音楽を付けて行くと、おのずと泰西名曲や大衆音楽の断片を表層的に切り貼りした、神経症的なカットアップ音楽になる。この音楽をほぼ転用したヴァイオリンソナタ第2番(1967-68) で独自の書法を確立すると、この路線を過激化させてゆく。チャイコフスキーと自身の映画音楽を混淆してジョン・ゾーンの音楽を予言したような交響曲第1番(1969-72) は画期的な成果だが、強烈な音楽は強烈な批判も招き、結局彼は教職を追われて長らく映画音楽で生計を立てることになる。

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 シュニトケの覚醒は短期的には彼に困難をもたらしたが、西欧の戦後前衛の後追いとは異なる道を示し、同世代への刺激になった。イタリア共産党が1973年にユーロコミュニズムに転換し、ノーノの庇護を失ったデニソフがピアノ協奏曲(1974) でジャズとの混淆に転じたのは象徴的である。ただしデニソフはこの様式に長居はせず、セリー書法と後期ショスタコーヴィチを折衷した(すなわち、間接的にウストヴォリスカヤに影響された)繊細で穏健な様式に落ち着いた。シュニトケは、ピアノ五重奏曲(1972-76) や合奏協奏曲第1番(1977) のような端正な多様式書法で西側に知られるようになったが、彼の本領は様式混淆を極めた合奏協奏曲第2番(1981-82) や宗教的緊張感を極めた交響曲第4番(1984) のような、テンションを振り切った音楽にあることは強調しておきたい。

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 この時期に新たに覚醒したのはアルヴォ・ペルト(1935-) だった。彼は60年代末までは多作で、セリー書法や多様式書法を試みていたが限界を感じ、交響曲第3番(1972) で中世・ルネサンス音楽に鉱脈を見出していったん作曲を中断した。1976年にルネサンス・ポリフォニーと三度和声を融合する新たな発想を得て作曲を再開し、繰り返される三和音と全音階の順次進行をシステマティックに重ねる「鈴鳴らし」様式を提唱した。調性的動機をミニマルに反復する見かけの類似から、70年代以降のヘンリク・ミコワイ・グレツキ(1933-2010) やジョン・タヴナー(1944-2013) らと「聖なるミニマリズム」と総称されることもあるが、新ロマン主義や神秘主義の文脈で調性に向かった彼らと、戦後前衛のシステム思考は保っていたこの時点のペルトの音楽の密度の差は明白である。

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 戦後前衛の後追いから解放されてウストヴォリスカヤも創作力を取り戻し、まず3曲の《コンポジション》(1971/73/75:編成はピッコロ、チューバ、ピアノ / 8コントラバス、ピアノ、巨大な木製ブロックとハンマー / 4フルート、4ファゴット、ピアノ) を書いた。いずれも高音楽器と低音楽器をピアノが結ぶ極端な編成であり、ピアノの役割も両者を和声的に繋ぐのではなく、強烈なクラスターで一拍子を刻むことである。彼女がセリー音楽を受け入れなかったのは「前衛的すぎる」からではなく、近代西洋音楽の残滓を引きずって穏健すぎるからだった。この3曲はミサ通常文に由来する副題「我らに平和を与え給え」「怒りの日」「来たる者を讃えよ」を持つが、このキリスト教的な側面も保守主義と結びつくものではなく、クセナキスのビザンチン音楽理解と共通する、東方正教の汎理性主義と超越指向の音楽(ただしペルトとは対照的に極めて暴力的な)を結びつけている。この路線を継承して声を含むより大きな編成(特定楽器群のみ増強した、ピアノと打楽器を含む室内管弦楽)に拡大したのが交響曲第2番(1979)・第3番(1983) であり、この5曲が彼女の創作の頂点をなす。

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 ただし、彼女の充実は同時代の評価には直結しなかった。1985年にゴルバチョフがソ連書記長に就任して文化開放路線に転じるのと前後して、音楽の世界ではCDが普及し、この機に乗じて一挙に認知されたレーベルが幾つかある。そのひとつスウェーデンBISはシュニトケの全曲録音を現代音楽部門の看板にし(この録音シリーズは穏健な曲目から始まったが、これを受けてソ連国営Melodiyaレーベルがテンションを振り切った作品群の未発表録音をCD化して西側に販売し)、ヨーロッパの静謐なジャズを紹介してきたECMレーベルはクラシック部門開設にあたり、その方向性を象徴する作曲家としてペルトに白羽の矢を立てた。この方向性はペレストロイカ/グラスノスチ以降のロシア文化ブームを受けたものだが、彼らが選ばれたのは1980年にソ連から西側に亡命した世界的ヴァイオリニストのギドン・クレーメル(1947-) が彼らを積極的に取り上げていたことが大きい。むしろ、彼らとは比べるべくもないがクレーメルとは親交があった数人の作曲家も、前世紀末には頻繁に取り上げられていたことに、クレーメルの影響力の大きさを見るべきだろう。

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 シュニトケは1985年に脳梗塞で倒れた後も作曲を続けたが、全盛期の振り切ったテンションは戻らなかった。ペルトはクレーメルと同じく1980年に西側に亡命したが代表作は専らそれ以前、名声の高まりと共に新ロマン主義に飲み込まれ、後期ブリテンの音楽に共鳴し「鈴鳴らし様式」に至った時期の純粋さは失われれた。だが、彼らが峠を越えると今度はソフィア・グバイドゥーリナ(1931-) が注目された。敬虔なキリスト教徒の女性作曲家という表面的な部分では彼女とウストヴォリスカヤは被っており、ウストヴォリスカヤへの注目はまたもや遅れた。彼女の特徴は非主題的かつ無時間的な即興演奏に強い関心を持ち、旧ソ連の前衛的な作曲家の中では電子音響に関心が強かったことで、1975年にはヴァチェスラフ・アルチョーモフ(1940-)、ヴィクトル・ススリン(1942-2012) と即興演奏グループ「アストレイヤ」を結成した。この不定形の魅力は70年代の作曲作品にも共通する。

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 ただし彼女は70年代末から、宗教的な作品では内的プログラム(J.S.バッハの数の象徴のような、譜面には明示されない構成原理)を用いるようになり、80年代初頭からはフィボナッチ数列に基づいたセクション分割も行うようになり、局所的には無時間的でも大域的な流れは明確な、幾らか理解されやすい方向に変化した。この時期に、《音楽の捧げ物》の主題を用いた彼女の作品の中でも特にわかりやすいヴァイオリン協奏曲《オッフェルトリウム》(1980/82-86) をクレーメルが初演以降もたびたび取り上げたことで国際的認知も進んだ。《7つの言葉》(1982)、《声…沈黙…》(1986)、弦楽四重奏曲第2番第3番(1987) と代表作も次々と生まれ、民族解放闘争の時代以降の共産主義国に失望して政治性は薄く即興性の強い作風に変化した晩年のノーノに強く支持され(W.リームと並び称され)、クレーメルのためのヴァイオリン曲の録音パート制作を任されたこともあった。

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 彼らもシステム思考に支えられた戦後前衛の末裔ではあり、方法論をアップデートし続けなければ10年程度で古びて行く。デニソフは一度アップデートして《パウル・クレーの3つの絵》(1985) やヴィオラ協奏曲(1986) あたりまで、シュニトケも一度アップデートして弦楽四重奏曲第4番(1989) あたりまでは保たせたが、ペルトは高々80年代末まで、グバイドゥーリナも同じ頃に行き詰まった感がある(ノーノが1990年に亡くなり、ソ連崩壊後の混乱を避けて1992年にドイツに移住したのが分岐点になってしまった)。年下の「先輩」(西側での認知という点において)たちが峠を越え、Sikorski社と全作品の出版契約を結び、いよいよウストヴォリスカヤの時代が訪れたのだが…



c0050810_00313887.jpg 交響曲第3番以降の作品でまず注目すべきは、ピアノソナタ第5番(1986)・第6番(1988) である。クラスター絨毯爆撃の苛烈さは全盛期の諸作品すら凌ぐが、そこにアンバランスな楽器群を重ねて得た多様性はもはや見られない。彼女は編成に応じて書法を柔軟に変える器用な作曲家ではなかった。交響曲第4番(1985-87)・第5番(1989-90) も書いたが、実態は声と3-5楽器のための室内楽小品であり、極限的なテンションを広いキャンバスで持続させる、全盛期の筆力は既に残っていなかった。むしろ彼女の非凡さは、ここで筆を置いた(宣言したわけではなく、結果的にではあるが)ことだ。3大Bのように死の直前まで創作を続け、それが傑作に数えられる人生は幸福だが、政治力は得ても霊感は失い、晩節を汚す大作を量産してしまう大家は多い(戦後前衛世代では、Bで始まる作曲家に多いのは皮肉だ)。旧ソ連の戦後前衛世代は全盛期に当局に抑圧された反動なのか、霊感を失っても創作にしがみつく作曲家が多いだけに、彼女の潔い引き際はひときわ鮮やかだった。

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 しかし彼女は隠遁生活を続けたわけではなく、国際的な評価の高まりに応じて彼女の作品を特集する音楽祭やワークショップが増えると積極的に立ち会い、自作をあるべき姿で後世に残そうとした。特に、旧ソ連時代から彼女の作品に献身的に取り組んだ地元サンクトペテルブルクのピアニスト=指揮者オレグ・マーロフと、彼女の国際的認知に大きな役割を果たした指揮者=ピアニストのラインベルト・デ=レーウとは関係が深い(ただしマーロフへの評価は微妙だが、終生デ=レーウを高く評価し、実験主義ベースの解釈も支持)。彼女の作品でまず知られたのは編成的にも扱いやすいピアノ独奏曲であり、90年代にはマーロフ盤をはじめソナタの全曲録音が5種類リリースされたが、その演奏者の中にはシェルシ作品やフェルドマン作品も数多く録音しているマリアンヌ・シュレーダーとマルクス・ヒンターホイザーが含まれるのは、今年度のPOCの作曲家選択の裏付けにもなっている。

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# by ooi_piano | 2017-11-03 14:28 | POC2017 | Comments(0)

【ポック[POC]#32】 2017年10月6日(金)19時開演(18時半開場)
シェルシ中期傑作集

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大井浩明(ピアノ)
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分

【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 050(5849)0302 (10~18時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付)
チケット予約フォーム http://www.opus55.jp/poc.html



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●A.シルヴェストリン(1973- ):《凍れる音楽》(2015、世界初演) 3分
●G.シェルシ(1905-1988):組曲第8番《ボト=バ》(1952、東京初演) 〔全6楽章〕 30分
 I. Agitato - II. Non troppo sostenuto - III. - IV. Lento - V. Lento - VI. Lento
●G.シェルシ: 《アクション・ミュージック》(1955) (東京初演) 〔全9楽章〕 16分
 I. - II. Iniziando - III. Lento dolce - IV. Martellato - V. Violento - VI. Brillante - VII. Pesante - VIII. Veloce - IX. Con fuoco

 (休憩10分)

●川島素晴(1972- ): 《アクション・ミュージック》(2017、世界初演) 〔全9楽章〕 30分
 I.隣接する5本指 - II.少音程12音和音によるアルペジョ - III.各音域での両手和音 - IV.影のあるグリッサンド - V.複数弦によるホケット - VI.手移り - VII.ジャンプ - VIII.ポリル - IX.マルシュ・リュネール
●G.シェルシ: 組曲第11番(1956、東京初演) 〔全9楽章〕 35分
  I. - II. Lento - III. Intenso e animato - IV. Barbaro - V. Velato - VI. Feroce - VII. Sostenuto - VIII. - IX.



アレッシオ・シルヴェストリン:《凍れる音楽》(2015)
  ピアノ独奏のための《凍れる音楽》は、法隆寺東塔の建築設計上の比率に想を得て作曲された。塔の高さ122尺(34メートル)、そして裳階を伴う三重の屋根に基づき、曲の速度は56、84、112と加速する。34メートルの高さ、10メートルの相輪(先端部)、1から始まり34に至るフィボナッチ数列(パスカルの三角形)などに関連付けられつつ、ピアノ全音域を3分割する音群、リズム・拍節構造が操作される。Audible Cities作曲コンクール(サンフランシスコ)第1位受賞作品。

アレッシオ・シルヴェストリン Alessio Silvestrin, composer
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  1973年イタリア生まれ。モンテカルロ市グレース王妃ダンスクラシック・アカデミーを卒業後、スイス・ローザンヌのルードラ・ベジャール学校にて学ぶ。その後ベジャール・バレエ・ローザンヌ、リヨンオペラ座バレエ団にてダンサーおよび振付家として活躍。1999 年よりウィリアム・フォーサイス率いるフランクフルトバレエ団に所属。退団後もフォーサイスカンパニーのゲストアーティストとして活躍。建築家 安藤忠雄氏が手がけた「21_21 Design Sight」のオープニングプログラムにて、ウィリアム・ フォーサイスのインスタレーション作品「Additive Inverse」でパフォーマンスを披露。その他にも、コロンブスのウェクスナー・芸術センター、バーゼルのバイエラー美術館、ロンドンのサドラーズウェルズやテートモダン等にて、ウィリアム・フォーサイスの作品でパフォーマンスを披露。
  2003 年より日本を拠点にフリーランスアーティストとして活動を始め、日本国内および海外の国々で様々な活動に関わる。愛知芸術文化センターによるダンスオペラ「青ひげ城の扉」にて、演出・振付・映像・美術を担当し、自身も出演。Noism05「Triple Bill」委嘱による「DOOR INDOOR」を発表。新国立劇場コンテンポラリーダンス「ダンスプラネット No. 18」では、音楽をトム・ヴィレムが担当した作品「noon afternoon」をマイケル・シューマッハと共演。山口情報芸術センターによる「混舞(Dance mix)」プロジェクトにて振付を担当、また、自作のビジュアル・アートを展示。ブラジルのダンス・カンパニー “Sao Paulo Conpanhia de Danca” から委託を受け、「Poligono」の振付・演出を担当する。当作品はJ.S. バッハの「音楽の捧げものの」に基づき、カンパニーのオープニング・プログラムのために創作されたもので、ブリュッセルの室内楽グループ “Het Collectief” によって再演された。新国立劇場にて、ベートーヴェンの弦楽四重奏第14番に基づく「Opus 131」を発表。
  また、ヴィチェンツァ市の音楽学校およびモンテカルロ市のアカデミー音楽学校ラニエール III にて音楽も学ぶ。作曲家フランチェスコ・ヴァルダンブリーニの指導のもと、トリコルダーレ (Tricordale) 音楽という新楽派に加わり、フィボナッチ数列等を用いて拡張されたセリー体系に基づく音楽は自身の振付作品にも使用している。イタリア・ヴェネチア・ダンスビエンナーレからの招聘で、能楽師・ 津村禮次郎とともに「Ritrovare/Derivare」を自作の曲を使用し上演。セルリアンタワー能楽堂にて、プラトンの対話篇「パイドン」に基づく「かけことば」を自作のヴァージナル曲の自演とともに上演。Noism「OTHERLAND」では、日本の伝統文化に対する独自の切り口で「折り目の上」を発表し、ピアノ、フルートそれぞれのためのソロ作品を同作品のために、能楽に着想を得て作曲。イタリア文化会館で上演されたソロパフォーマンス「星座と星群」では、デル・ブオーノ(16~17世紀)、シュトックハウゼン、コデクス・ファエンツァ117(15世紀)、自作「17の俳句」をチェンバロやトイピアノ、日本の伝統打楽器で演奏し、自作の映像も駆使して、時代や文化、芸術領域を横断する世界を表現。ロワイヨモン財団の委嘱で、モデュラ計算や魔法陣を用いて作曲された「三つの渦」を発表。アンサンブル室町の委嘱で、魔法陣・トリコルド・素数配列等によって短歌の韻律を拡張した「31の短歌」を発表。 http://alessiosilvestrin.com/



川島素晴:ピアノ独奏のための《アクション・ミュージック》(2017)

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 大井浩明とは、1992年の「秋吉台国際作曲セミナー&フェスティバル」のときに同室者の一人だった。そこで出会って以来、ピアノ曲《静寂なる癈癲の淵へ》(1992)、四重奏曲《ポリプロソポス I 》(1995)、《クセナキス「シナファイ」のためのカデンツァ》(1996)、《ピアノのためのポリエチュード「ポリスマン/トランポリン」》(2001)、ピアノ編曲《シェーンベルク「黄金の仔牛の踊り」》(2007)、《ピアノのためのポリエチュード「ポリポリフォニー」》(2007)、といった作品を初演して頂いた。出会って15年の間にしては比較的多くの作品を協働してきたが、気付けばそれ以来はご無沙汰しており、今回は10年ぶりの初演機会となる。

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 私は普段、自作品の創作姿勢として「演じる音楽」(演奏行為の連接から音楽を構築する)という理念を掲げている。1994年から言い始めたこの語は、師である近藤譲の「線の音楽」の影響から、独自の音楽論を導くにあたり採った「◯◯音楽」という標語で、「Action Music」なる英訳は2000年に作品集CDを制作した際に後付であてがったものである。この英訳を考えるにあたり、当然、ジャクソン・ポロックらが1940年代から行いハロルド・ローゼンバーグが1952年に用い始めた「Action Painting」なる絵画技法の名称を意識したわけだが、シェルシに《Action Music》(1955)なる同名作品があることも、松平頼暁の1980年代の著作に「アクション・ミュージック」なる語が登場することも、当時はあまり意識していなかったと思う。特に、1990年代はシェルシ再評価と研究がようやく進みつつある時代で、当該作品の2001年の録音音源が発売されたのが2004年であるため、2000年時点ではシェルシの《Action Music》は知る人ぞ知る存在だったはずである。私自身はもちろん、シェルシにせよ松平頼暁にせよ、「Action Msuic」なる語は「Action Painting」の音楽方面への転用ではないかと思うが、シェルシのそれが1955年のピアノ作品として極めて独創的で且つ完成度の高いものであること(たとえそれが彼自身の即興演奏に基づく書き起こしであろうとも)を踏まえると、シェルシの評価が生前から正当になされ、本作が周知のものとなっていたら、私自身が、少なくとも英語で「Action Music」なる語を標榜することはやりにくかったであろう。

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 今回、10年ぶりの協働に際し大井浩明が私に課したお題は、《Action Music》という題名でのピアノ新作、つまり、シェルシの名曲《Action Music》への文字通りの対峙であった。それは、シェルシが62年前に成し遂げていた「ピアノ音楽の新しい可能性」をいかに乗り越えるか、そして今日、私自身が「ピアノ音楽の新しい可能性」をいかに提示可能か、という命題に他ならない。シェルシに同名作品があることを知ったのは確かヴァンバッハの録音がリリースされた2004年当時だったはずだが、それ以来、まさかこのような題名で、それもピアノ曲を書こうとは思いもよらなかった。しかし、今回は敢えてその命題に応えることとした。
 シェルシのそれが9章から成るため、私も9曲の連作を構想した。そのうち何曲が完成し、何曲が初演されることになるかは現時点では不明であるが、ここにその構想を示しておく。


◆第1曲「隣接する5本指」
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 シェルシの《Action Music》は、ほぼ全面的にクラスターの使用が見られる。従って本作ではクラスターの使用は控えるべき、との考えと同時に、その事実へのリスペクトを示すことを両立させることを考えた結果、5本指を隣接させることで弾ける白鍵クラスターの5種の形態、即ち、「ドレミファソ」「レミファソラ」「ミファソラシ」「ファソラシド」「シドレミファ」(「ソラシドレ」「ラシドレミ」はそれぞれ同じ音程のものがあるので除かれる)を用い、これら5種の音程に紐付けたキャクターを維持しつつ、その音程を踏襲する移高型をも駆使する作品となった。例えば、「ドレミファソ」と「シドレミファ」は、同じ白鍵クラスターであっても、全く異なる表情を持つ。本作は、そのような、白鍵クラスターの表情の差異を聴くことを出発点としている。

◆第2曲「少音程12音和音によるアルペジョ」
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 ここでは、「アクション・ミュージック」という語を1980年代より定義していた松平頼暁へのオマージュを構想した。松平頼暁と言えば、1980年代から全音程和音を用いた「ピッチ・インターヴァル技法」を実践していることで知られる。全音程和音とは、短2度から長7度まで、全ての音程を含む12音音列(全音程音列)を、低音から高音に積み上げることによって得られる和音である。それをそのまま踏襲するわけにはいかないので、ここでは、逆に「なるべく少ない種類の音程によって得られる12音音列」を下から積み上げることによって得られる和音(例えば完全5度を重ねていく響きも12音を重複なく重ねることが可能である)、即ち「少音程12音和音」を用い、そのアルペジョによって構成している。

◆第3曲「各音域での両手和音」
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 ここでは、私の作品におけるピアノ書法としてしばしば用いている、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番冒頭における、低音域、中音域、高音域のそれぞれで、両手で和音を弾く型を用いている。私は、2台ピアノ協奏曲《Manic-Depressive III》(1999)にて初めてこの型を用いたが、そこではチャイコフスキーそのもの(変ニ長調のコード)を奏でる瞬間もある。しかし今回、大井浩明によるお題の中に、「クラシック名曲の引用禁止」という条項もあったため、ここではチャイコフスキーの当該作に登場する和音そのものは用いられていない。(それにしても、このような型で和音を奏でるだけで、充分にチャイコフスキーのそれと認知し得てしまうとは、この大胆なアイデアの威力には感服する他はない。)

◆第4曲「影のあるグリッサンド」
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 ソステヌート・ペダルによるピアノの残響効果については、ラッヘンマンの諸作品など、先行例は多数ある。ここでは、無音で押さえた和音をソステヌート・ペダルで用意した上でグリッサンドを行う奏法による残響効果を探求している。(この効果自体は、私自身《ピアノのためのポリエチュード「トランポリン」》他で実践しているものである。)そしてそれを、内部弦のグリッサンドでも行う効果へと転用している。これについては、カウエル《エオリアン・ハープ》における効果そのものであるが、本作ではこれらの効果をシームレスに接続する試みがなされている。

◆第5曲「複数弦によるホケット」
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 ピアノの弦に触れ倍音を出す効果は、さして目新しいものではないが、ここでは、複数弦によって異なる倍音を出しつつ一つの旋律を奏でる。ホケットとは、中世の技法で複数声部が一つの旋律を交互に奏でる効果であるが、ここでは複数の弦がホケットを実践する。シュパーリンガーの作品など、倍音奏法の究極的な実践例は枚挙にいとまがないが、ここでは旋律線を実行するために、想定される音をはずせないというハードルが課せられる。大井浩明のお題にあった「クラシック名曲の引用禁止」は、クラシック音楽以外には適用されていないため、ここではリトアニア民謡(といっても、それを引用して有名になってしまったクラシックの名曲があるが)を引用している。

◆第6曲「手移り」
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 大井浩明は、笙も演奏する。笙も演奏するピアニストのための作品として、笙の合竹(和音)の移行に伴う「手移り」のかたちを、ピアノの和音に適用したらどうなるか、ということを構想した。そのような実践を行っていけば、必然的に雅楽の構造を参照することになる。時折きかれる腕のクラスターは、雅楽において打ち込まれる楽太鼓の役割と近似する。
 一方で大井浩明は、オルガンも演奏する。オルガン独特の効果として「スウェルボックス」の開閉がある。ここでは、その効果に相当する効果をピアニズムとしても要求している。


◆第7曲「ジャンプ」
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 ピアノの全音域にわたる演奏は、ときにハードな全身運動となる。「演じる音楽」の理念としては、そのような「演奏行為の共有体験化」を引き起こし易い演奏内容こそ、最も求められる種類のものである。だから、一般的な意味でのヴィルトゥオーゾの演奏は、それ自体が「演じる音楽」なのであり、事実、私自身はそのような演奏を好む。しかし一方で、それをそのまま実践するのであれば、既成のヴィルトゥオーゾ作品には叶わないであろう。そこでここでは、聴覚的な印象と、実際の演奏行為との間に齟齬があるような内容を探求することとした。第3曲「各音域での両手和音」におけるような、聴覚的な印象がそのまま身体的な状況と合致するタイプの作品とは真逆の効果を生む方法として、極めて激しい跳躍運動を行わなければ演奏不可能な楽想だが、そのような激しさを伴う聴覚的な印象にはならないような奏法となっている。

◆第8曲「ポリル」
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 前述のように、大井浩明のために作曲した作品の系譜に《ポリエチュード》というものがあり、現在「ポリスマン」「トランポリン」「ポリポリフォニー」「ノンポリ」の4曲が作曲されているが、そのうち最初の3曲は大井浩明により初演されている。本作の中に包括されつつも、《ポリエチュード》の第5曲としても位置付けられる作品を、と検討した結果、様々なトリル奏法をパラレルに演奏するアイデアを得た。層状のトリルという意味を示す「ポリトリル(Poli Trill)」、略して「ポリル(Porill)」である。


◆第9曲「マルシュ・リュネール」
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 本年(2017年)6月、ラッヘンマンのピアノ新作《マルシュ・ファタル》が初演された。満を持しての新作、しかも日本での世界初演ということで、現代音楽業界最注目の作品であったが、一聴するとロマン派スタイルのキッチュなマーチそのものである本作は、賛否両論を巻き起こした。私には、ピアノのアコースティックの可能性に関する新しい註釈を見いだせたため、やはりラッヘンマンは常に新しい表現の可能性を探求している、と理解した。しかし一方で、同じマーチをテーマにしても、更に新しい可能性があり得るのではないか、との夢想も捨て難かった。そこで、「魔性のマーチ」に対抗して「月に憑かれたマーチ」とし、ラッヘンマンとは異なる視点でマーチに新しい光をあてたいと考えた。(川島素晴)




川島素晴 Motoharu Kawashima, composer
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 1972年東京生れ。東京芸術大学および同大学院修了。1992年秋吉台国際作曲賞、1996年ダルムシュタット・クラーニヒシュタイン音楽賞、1997年芥川作曲賞、2009年中島健蔵音楽賞、2017年一柳慧コンテンポラリー賞等を受賞。1999年ハノーファービエンナーレ、2006年ニューヨーク「Music From Japan」等、作品は国内外で演奏されている。1994年以来「そもそも音楽とは『音』の連接である前に『演奏行為』の連接である」との観点から「演じる音楽(Action Music)」を基本コンセプトとして作曲活動を展開。自作の演奏を中心に、指揮やパフォーマンス等の演奏活動も行う。いずみシンフォニエッタ大阪プログラムアドバイザー等、現代音楽の企画・解説に数多く携わり、2016年9月にはテレビ朝日「タモリ倶楽部」の現代音楽特集にて解説者として登壇、タモリとシュネーベル作品で共演した。また執筆活動も多く、自作論、現代音楽、新ウィーン楽派、トリスタン和音等、多岐にわたる論考のほか、曲目解説、コラム、エッセイ等も多数発表している。日本作曲家協議会理事。国立音楽大学准教授、東京音楽大学および尚美学園大学講師。



ジャチント・シェルシ覚え書き────野々村 禎彦
(*筆者による推薦音源リンク付)

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 シェルシは北イタリア沿岸の小都市ラ・スペツィアの貴族の家に生まれ、教育は専ら個人教授で身に着けた。一家でローマに移った後、彼はまず文学に興味を持って詩作に没頭し、ヨーロッパ各地を旅してジャン・コクトー、ヴァージニア・ウルフらと親交を結んだ。その後作曲も行うようになり、1930年頃から作品を発表し始める。当初は未来派の影響が強かったが、やがてスクリャービン流の作曲法を学び、30年代半ばから末にかけて、後期スクリャービン風の膨大なピアノ独奏曲を残した。この時期の作品から戦後の独自の作風の萌芽を探すのも興味深いが、本日は時間的制約の関係で取り上げない。これと並行してベルクの弟子から12音技法を学び、イタリア最初のセリー主義者になる。またペトラッシらと共同でドイツ、フランス、ソ連等のモダニズムの最先端を積極的に紹介するが、元々は未来派などの前衛的な音楽を支持していたファシスト政権がナチスとの関係を深めるうちにユダヤ系作曲家排斥などを通じて前衛的な音楽を抑圧し始めたため、彼の心はイタリア音楽界から離れ、第二次世界大戦勃発を機にスイスに移住した。

 スイス時代の彼はイギリス人女性と幸福な結婚生活を送ったが、作曲ペースは落ちた。祖国を離れて自らの創作を客観的に眺めると、後期スクリャービン風の即興的な素材に、音列操作で無調の衣をまとわせた程度の曲では満足できなくなったのだろう。ムッソリーニ政権は1943年7月の連合国軍侵攻でたちまち瓦解したが、今度はドイツ軍が侵攻してムッソリーニを奪還し、傀儡政権は北部山岳地帯でヒトラー自殺直前まで抵抗を続けた。ローマは1944年6月に解放され、シェルシも帰国して作曲活動を再開したが、この時彼は貴族の趣味にふさわしい決断を下した。自分ひとりで書き上げる作品に限界があるならば、自ら選ぶのは素材やイメージに留めて緻密な構成はプロに任せればよい。腕利きの演奏家を雇って試演させ、仕上がりを確認して手を入れれば、「代筆」ではなく「共同作曲」だ——このようにして作られた最初の作品が《弦楽四重奏曲第1番》(1944) であり、確かにこの曲から突然、バルトーク1番を無調にしたような密度の高い音楽に変貌している。1947年から作曲アシスタントはヴィエリ・トサッティ(1920-99) に交替し、ふたりの共同作業は20年近く続いた。

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 これが単なる「趣味の作曲」ならば何の問題もないが、イタリア作曲界を超えて注目される存在になるとそうもいかない。トサッティとの最初の代表作、カンタータ《言葉の誕生》(1948) はISCM大会で初演され、ブーレーズとケージの往復書簡集がこの作品への論評で始まるほど、国際的にも注目されていた。ただし彼らの評価は手厳しく、録音を聴いた限りでは筆者も同意見だ。12音技法自体は珍しいものではなく、共同作曲のメリットは乏しい。合唱とオーケストラという大編成になると、試演によるチェックにも限界があり、そもそもトサッティ自身の作風は極めて保守的(Youtube上の音源を聴く限り、マリピエロ(1882-1973) やカゼッラ(1883-1947) の方がまだ進歩的に思えてしまう)である。もちろん共同作曲の事実は公にはされなかったが、イタリア作曲界では既に「公然の秘密」であり、初演を指揮したデゾルミエールは《言葉の誕生》を称賛したが、業界では嘲笑されていたという。彼はこの初演から程なく、「12音技法と自らの作風が相容れない」ために精神の平衡を崩し、精神病院で療養に入ったとされるが、主な要因はそれよりも、共同作曲に対する業界の態度と、スイス時代の妻がイタリア帰国に同意せず別れたことに由来する心労の方ではないか。

 50年代初頭、療養中のシェルシはピアノのひとつの音を何時間も弾き続け、響きの世界に分け入ることを通じて精神の平衡を取り戻したという。禅やヨガなどの東洋思想に傾倒したのもこの時期で、その影響は音楽の素材にも及んだ。作曲活動復帰第1作が《組曲第8番》(1952) であり、本日のプログラムは病気療養からのリハビリを思わせる執拗な同音反復のシンプルな音楽から始まる。彼のこの時期の「作曲」とは、ピアノの即興演奏を録音し、採譜のプロが細かく譜面に起こし、最後にトサッティがまとめたもの。その後のピアノ独奏曲ではピアニスティックなフレーズが増え、自ら譜面を書いていた30年代を思わせる瞬間もしばしば。即興演奏の記憶に基づいた作曲は鍵盤楽器の歴史とともに始まるが、シェルシ作品の特徴は即興演奏をまず録音し、記憶を介した抽象化では削ぎ落とされてしまうニュアンスまで取り込んだところにある。また膨大な同工異曲を書いた30年代とは違って、ピアノ独奏曲の作曲が安定すると、今度は管楽器弦楽器の独奏曲も同じ方法論で作り始めた。もちろん楽器が違えばピアノの手癖は通用せず、音響特性を踏まえて慎重に素材を準備する必要がある。この変化はピアノ独奏曲にもフィードバックされ、作曲作品らしい構築性が加わってくる。シェルシにとっては自分で手を動かしていないから、トサッティにとっては自分が書きたい音楽とは全く違うからこそ、素材の可能性を引き出すことに集中し、汲み尽くすたびに作曲の難度を上げて新たな可能性に挑んでゆく、客観的でシステマティックなアプローチが実現したのだろう。本日、「シェルシらしいシェルシ」が始まる曲の次に取り上げるのは、断片的でダイナミックな方向性の頂点《アクション・ミュージック》(1955) と、《組曲第8番》以降の総括を意図し、特に旋律的で瞑想的な方向性が光る《組曲第11番》(1956) であり、彼はこの2曲でピアノ独奏曲はひとまず打ち止めにした。

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 さらにチェロ独奏曲《トリフォーン》(1956)・《ディトーメ》(1957) やピッコロとオーボエのための《リュック・ディ・グック》(1957) などを経て、ピアノ即興を素材とする作曲の可能性は極めたと見ると、彼は即興演奏の楽器をオンディオーラ微分音を出せる電気オルガン)に切り替えた。《弦楽三重奏曲》(1958)、9金管楽器と打楽器のための《前兆》(1958)、クラリネットと7楽器のための《キャ》(1959) と、1音の微分音的なゆらぎを顕微鏡的に拡大する革新的なコンセプトを編成を拡大しながら深化させてゆく。このコンセプトを純化した、室内オーケストラのための《1音に基づく4つの小品》(1959) の豊かさの前では、同時代に一世を風靡したペンデレツキ、リゲティ、ツェルハらの音群音楽すら、児戯に思えてくる。オネゲルとマルティヌーの網羅的研究の他、スペクトル楽派(特にラドゥレスク、ドゥミトレスクら「裏楽派」)の研究でも名高いベルギーの音楽学者ハリー・ハルブライヒが「現代音楽の歴史はすべて書き直さなければならない:いまや20世紀後半の音楽は、シェルシ抜きでは考えられないとまで主張したのは、まさにこの時期の作品に由来する。

 特に、後述する平山美智子(1923-) のための声楽曲の作曲が軌道に乗ってから数年間の作品群:《弦楽四重奏曲第3番》(1963)、大オーケストラのための《ヒュムノス》(1963)、ヴァイオリン独奏曲《クノイビス》(1964)、《弦楽四重奏曲第4番》(1964)、女声合唱のための《イリアム》(1964)、チェロ独奏曲《イグール》(1965)、ヴァイオリンと18楽器のための《アナイ(1965)、4人の独唱、オンド・マルトノ、混声合唱、オーケストラのための《ウアクサクタム》(1966) は、各々20世紀の該当編成を代表する傑作だ。例えば《クノイビス》は、当たり前のように1弦1段の3段譜で書かれ、ある弦の持続音に別な弦が微分音で上下行してまとわりつくような、楽器の常識を超えた難度の場面が続く。しかもそれは技巧のための技巧には終わらず、緊張感に満ちた音空間を生み出す不可欠な要素として鳴り響く。この水準の奏法を全楽器に要求して譜面は最大13段に達する《弦楽四重奏曲第4番》は、彼の特異な弦楽器書法の集大成である。これらに匹敵するヴァイオリン独奏に牽引されたアンサンブルが、彗星の尾のようにゆらめく《アナイ》は、それまでの緊張の塊のような音世界に深い瞑想性も加わった、一段上のステージの作品。また合唱曲は彼にしては比較的穏当な作品が多かったが、《イリアム》はこの時期の作品の中でも見劣りしないラディカルな書法を持つ。

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 以上の要素がすべて注ぎ込まれたのが、彼の終生の代表作《ウアクサクタム》である。《アナイ》のアンサンブル書法と《イリアム》の合唱書法の上でオンド・マルトノが弦楽器ソロの役割を果たす(元々の素材は微分音電気オルガンである)、と図式的にはまとめられるが、マヤ文明の伝説という格好のモティーフのもと、過剰なはずの諸要素のバランスが奇跡的に取れて本作は生まれた。編成的にもモティーフ的にも、ヴァレーズ終生の代表作《エクアトリアル》(1932-34) の現代版という位置付けがふさわしい。シェルシ作品の素材になった即興の録音は、現在はある程度公開されているが、私的録音の限界はあるにせよ、その即興と最終的な作品の密度や情報量の落差は大きいこの録音を渡されてあの編成を思いつくことはまず不可能で、たとえ自分で譜面を書くことはなくても、編成を含む音楽のイメージはシェルシのものに違いない。また、いくら編成やイメージは指定されていたとしても、この素材からあの音響を引き出すことは誰にでもできることではなく、20年近く共同作業を積み重ねたトサッティならではの仕事である。実際、トサッティの作品表を眺めると、シェルシのピークにあたる時期は如実に創作ペースが落ちている(数年かけてコツコツ書く類の大作はあるが、霊感に任せて一気に書き上げる類の作品がパタッと途絶えている)。《ウアクサクタム》の達成は、トサッティにとってもひとつの区切りになり、この曲をもってアシスタントを退任した。

 この時期のシェルシには、もうひとつの大きな出来事があった。声楽家・平山との出会いである。イタリアに移住し《蝶々夫人》役で生計を立てていた彼女は、1957年にはシェルシと面識があったというが、管楽器ソロ曲を声楽用に編曲した、ひたすら持続音が続く譜面を渡されて途方に暮れていた。だが、彼の音楽の秘密は微分音オルガンによる即興だと耳にして、好奇心旺盛な彼女はそれを聴いて判断しようと思い立つ。共同作曲の秘密が漏れることを怖れていたシェルシは、周囲が寝静まった深夜に即興を録音していたが、彼女は真冬のアパートの玄関先で毛布にくるまって徹夜で聴き、彼の音楽は本物だと確信した。彼女は次の面会の機会に、あの日の即興を思い出して譜面に囚われずに歌った。自分の音楽の最初の理解者を前にして彼の創作意欲は燃え上がり、彼女の歌唱を前提にした《ホー》(1960) に始まる声楽曲群を書き始めた。ソプラノ、ホルン、弦楽四重奏、打楽器のための《クーム》(1962)、ソプラノと12楽器のための《プラーナムI》(1972)、そしてもうひとつの終生の代表作である、1時間近い連作《山羊座の歌》(1962-72)。
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 彼女は作曲上の秘密をある程度(まず素材は即興の録音だということを、後には彼が譜面を書いていないことまで)知っている協力者なので作曲の方法論も変わり、打ち合せに基づいた彼女の即興をシェルシが録音し、それを素材に譜面化が行われた。特に《山羊座の歌》では大半の曲が彼女のソロなので、やがて彼は精密な譜面化にも拘らなくなり、彼女が譜面を修正し自由に解釈するところまで認めるようになった。さまざまな特殊唱法を駆使した声のための作品は、まさに《山羊座の歌》の作曲時期でもある前衛後期に多く書かれた。バーベリアンの歌唱を前提にしたベリオの作品群はその代表であるが、唸り声や叫び声を含む地声の魅力を追求し、音楽が制度化される以前の呪術性を強く持った、平山の歌唱を前提にしたシェルシの作品群は、その中でも特異な位置を占めている。シェルシ終生の代表作に本質的に貢献した、ふたりの協力者は対照的だ。トサッティは彼の音楽には全く共感していなかったおかげで、中途半端な思い込みで彼の意図を歪めることなく、特異な音楽をそのまま譜面化することができた。平山は彼の音楽に深く共感し、通常の演奏家の領分を超えて、即興で素材を生み出し試演時に譜面に手を入れる、他の曲ではシェルシが果たした役割まで担った。

 トサッティ退任後は彼の弟子数人が作曲アシスタントを引き継いだが、誰も彼の代わりにはなれなかった。《ウアクサクタム》の次にあたる作品が即興の録音ほぼそのままのギター独奏曲《コ・》(1967) なのは象徴的だが、トサッティ後期には大編成作品が並んでいたシェルシの作品表は、突然小編成作品中心になる。混声合唱と大オーケストラのための《コンクス・オム・パクス》(1968) や《プファット》(1974) のような曲もあるが、楽章ごとに使用楽器を一変させ、クライマックスで突如大量の楽器を投入したりと、平板な曲想に物量攻撃で辛うじてコントラストを付けているに過ぎず、微分音のゆらぎを積み重ねたトサッティ時代の精緻な音楽はもはやない。ただし、トサッティ時代の作風は同時代の音群音楽の上位互換版に過ぎず、この時期の「誰もやらなかったバカな音楽」こそが代表作という見方もある。軽妙でユーモラスな男声合唱曲《TKRDG》(1968) やハープ、タムタム、コントラバスという編成が命の《オカナゴン》(1968)、戦前にも書かなかったような素朴な調性的声楽曲《3つのラテン語の祈り》(1970)・《応唱》(1970) など、従来とは異質な傾向がこの時期に一挙に現れるのは、中の人が頻繁に入れ替わっていたからだと捉えるのが自然である。
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 ただし、9楽器のための《プラーナムII》(1973)、チェロとコントラバスのための《さあ、今度はあなたの番です》(1974)、電気オルガン独奏曲《イン・ノミネ・ルーキス》(1974) など、病気療養直後の作品群を思わせるシンプルな持続音に最小限のゆらをまとわせた創作末期の作品群は、ヨーロッパ戦後前衛とは別系統の米国実験音楽に通じる深みを持っている。イタリア作曲界では孤立していた彼の音楽を理解して発表の場を与えたのは、〈新しい響き Nuova Consonanza〉音楽祭を主催し同名の集団即興グループ主宰したフランコ・エヴァンジェリスティ(1926-80) だけだったが、この音楽祭や最晩年の作風を通じて、ケージ、フェルドマン、アール・ブラウン、ジェフスキ、アルヴィン・カランら米国実験音楽の作曲家たちと親交を結んだ。

 彼の旺盛な創作は、演奏時間10分に満たないが全作品中最大の編成を持つ《プファット》(1974) で一段落し、以後は自作のプロモーションが活動の中心になった。ローマの現代音楽の演奏会に足を運び、目をつけた演奏家を自宅に招いて、録音を流して譜面を見せる地道な活動だが、そうして密接な協力者になったのは、アンサンブル2e2mを主宰するメファーノ、アルディッティ弦楽四重奏団、チェロのウィッティ、コントラバスのレアンドル、ピアノのミカショフとシュレーダーら、錚々たる顔ぶれだった(目鼻立ちの整った女性奏者が多いのは、古稀を迎えた程度ではイタリア人男性の脂は抜けないのだろう)。イタリア在住のアルヴィン・カランと協力して自作録音のLP化も70年代末から80年代初頭にかけて行い、平山による声楽作品集を2枚、ウィッティによるチェロ独奏《三部作》全曲、アルディッティ弦楽四重奏団による最初の全集(当時は第4番まで)をリリースした。
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 この流れの中で、パフ/アンサンブル2e2mによる作品集(曲目は《キャ》《1音に基づく4つの小品》《オカナゴン》《プラーナムII》)が1982年にリリースされたのを契機に、「シェルシ・ルネサンス」が始まった。良き理解者による、アンサンブル編成の作曲家紹介としてベストの選曲だが、時代的条件も揃っていた。ミュライユ&グリゼーとシェルシの出会いから始まったスペクトル楽派がIRCAMの研究プログラムに選ばれ、彼らのルーツに位置する謎の作曲家への関心も高まっていた。コアな現代音楽の探求者ならば、ポスト戦後前衛の諸潮流(スペクトル楽派、新しい複雑性、ドイツ音響作曲など)が曲がり角を迎え、ラディカルな初期衝動から伝統との折り合いを付ける段階に入ったこと、米国実験主義はオリヴェロス(1932-)、テニー(1934-2006) らよりも下の世代には受け継がれず、頼みの綱のミニマル音楽も、和声進行を利用する「ポストミニマル」の段階に入って変わってしまったことなどに気付いており、閉塞感が溜まっていた。ポストモダンの潮流の中で、東洋思想の影響を標榜する即興的な音楽もブームになっていたが、戦後前衛と米国実験音楽双方の本質を踏まえた上で、「私は作曲家ではなく仲介者だ」と語るシェルシには、彼らと一線を画する圧倒的な「本物感」が漂っていた。ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習での二度の特集(1982, 84)の間にドイツの音楽学論文集Musik-Konzepteでも、現代作曲家としてはシュネーベル、ノーノ、メシアンに次いで取り上げられた(1983)。彼が地道に築いてきた協力者のネットワークを通じて網羅的な演奏が行われ、最後に残った合唱とオーケストラのための3作品の初演(ISCMケルン大会, 1987)は本公演もゲネプロも完売し、終演後はスタンディングオベーションが果てしなく続く伝説的な成功を収めた。この3作品を含むオーケストラ曲全集はヨーロッパの数あるレコード賞を独占した。

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 人生の最後に最大級の賞賛に包まれて、彼は1988年に亡くなった。「シェルシ・ルネサンス」の中心地はドイツやフランスで、イタリア作曲界での「公然の秘密」は伝わっていなかった。彼の死の直後に「ジャチント・シェルシ、それは私だ」と題するトサッティへのインタビューが音楽学雑誌に掲載され、共同作曲の秘密は公になったが、佐村河内守の一件のようなスキャンダルに発展することはなく、シェルシ作品の演奏や研究は現在でも続いている。むしろ、シェルシ作品の受容を通じて、「芸術音楽」側の意識は変わった。譜面化を経ない「録音メディア上での作曲」と共同作曲が、芸術音楽とポピュラー音楽を長年分かってきたが、電子音楽とシェルシ作品の受容を通じてこの溝は乗り越えられ、今日では現代音楽と実験的ポピュラー音楽の最前線に本質的な区別はない。ハルブライヒの意図すら超えて、「いまや20世紀後半の音楽は、シェルシ抜きでは考えられない」。

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# by ooi_piano | 2017-09-28 04:33 | POC2017 | Comments(0)