c0050810_18543645.jpgフィンランド独立100周年~シベリウス没後60周年記念

日本シベリウス協会 Japanin Sibelius Seura
《ピアノで紡ぐシベリウスの管弦楽の世界》
2017年7月2日(日) 14時
開演(13時30分開場)
マルシャリンホール(飯野病院7F 調布駅東口すぐ)

大井浩明(ピアノ独奏)    
新田ユリ(お話/指揮者・日本シベリウス協会会長)

シベリウス協会会員 1000円/一般 2000円
申込み: info[at]sib-jp.org (6月20日締切)



c0050810_18562452.jpg吉松隆:タピオラ幻景 Tapiola Visions Op.92 (2004) ピアノ(左手)のために──舘野泉に捧ぐ(約20分)
 I.光のヴィネット Vignette in Twilight - II.森のジーグ Gigue of Forest - III.水のパヴァーヌ Pavane for Water - IV.鳥たちのコンマ Commas of Birds - V.風のトッカータ Toccata in the Wind

●J.シベリウス(米沢典剛編曲):交響曲第6番 ニ短調 Op.104 (1923/2017、世界初演) (約30分)
 I.Allegro molto moderato - II.Allegretto moderato - III.Poco vivace - IV.Allegro molto

  (休憩15分)

●J.シベリウス(米沢典剛編曲):交響曲第7番 ハ長調 Op.105 (1924/2016、世界初演) (約20分)
 Adagio - Vivacissimo - Adagio - Allegro molto moderato - Allegro moderato - Presto - Adagio - Largamente molto - Affettuoso

●J.シベリウス(米沢典剛編曲):交響詩「タピオラ」 Op.112 (1925/2017、世界初演) (約18分)
 Largamente - Allegro moderato - Allegro


協会ページ  FBページ



《一筆書きの先は・・・》───新田ユリ

c0050810_19231264.jpg 同じ瞬間は二度とない・・・音の現場の真実。録音媒体などなかった昔は、聴衆の記憶により深く刻まれる工夫を作曲家たちは様式の中で行っていた。実際その昔、拍手喝采になった作品や楽章はその場で繰り返し演奏された。“同じことの繰り返し”これは、とても人工的なこと。自然界にはそれはあり得ない。

 交響曲第7番、弦楽器が全員で登りゆく音階の階段、その始まりは耳に届いてくるチェロの音ではない。耳を澄まし聞こえてくるティンパニが奏でる一つの音、“ト音―ソ”。そして続くラーシードーレーミーファーソ・・・遅れて半拍のズレを持って同様に階段を上るコントラバスが消えかけるころ、冒頭で確信的な“ソ”を奏でたティンパニがもう一度“ソ”を提示。前世紀の作品であれば迷いなく次は“ハ音―ド”にゆき、「弦楽器御一行様お疲れ様でした。到着駅“ド”でございます~このハ長調の街は・・」などと、やおらバチを拡声器に持ち替え喉を鳴らすティンパニ奏者の姿が目に浮かぶ。しかし、旅はそう簡単ではない。音階は穏やかなハ長調から逸脱し、さらに上り到着点は“変ホ音―ミ♭”。ハ長調の世界には通常存在しない音・・・これは曲が始まってわずかに3小節の時間の出来事。そしてその25分ほど後には、全員で“ド”の音に解決。C-Dur ハ長調の完成。無事にハ長調の街に到着。

 このシンプルな音の旅は途切れることなく、まるでフィンランド鉄道の車窓を見るかのように 変わらぬ風景の中いつの間にか目的地にたどり着く。列車シベリウス号の旅としようか・・・。

  ─・─・─

c0050810_19244615.jpg 交響曲の最後の三曲、第5番、第6番、第7番は着想が同じ時期と言われる。作曲のスケッチを調べるとその軌跡が残る。シベリウスを支え続けたカルペラン男爵が病の床に会った1918年、すでに第5番を書き上げたシベリウスは、その恩人を励ますために「新しい作品の構想がある」「それは人生の喜びと活力に満ちている」「ギリシャ風(Hellenic)ロンドを持つ」そんな未来への夢を記した手紙を送っている。ギリシャ風HellenicとはCarl Snoilsky(1841-1903)の詩、ギリシャ神話を基にしたSteropeに書いた歌を指す。そのスケッチ譜にはこの第7番につながるモチーフが登場。歌のスケッチも長い階段を上り下りしている。

 そして第7番を構築している間に、第8番の姿がそのスケッチに記されているという。しかし“シベリウス号”は、第8番にはたどり着かなかった。 

 最後の停車地はもう一つの路線、“交響詩”の終着、“タピオラ―森の神の棲むところ”となった。

 そこは人の手の届かぬ原始の森。

  ─・─・─

 「友など持たぬ方が賢明だ・・・人皆一人で死んでゆく・・・酒だけが唯一の友・・」1924年の11月、シベリウスがコペンハーゲンで第7番の演奏会を指揮し大成功を収めてまもなくの作曲家自身の言葉。

 60歳になろうとするシベリウス、後世の我々はこの後“30年の沈黙”の入り口に向かうことを知っているが、その事実の内側を知ることは許してもらえるだろうか・・・。

  ─・─・─

c0050810_19252651.jpg 1924年、第7番がストックホルムで3月24日に初演された時、この荘厳な究極の交響曲を指揮するマエストロ・シベリウスの心中はまったく穏やかならぬもの。この旅は愛妻アイノの最後通告ともとれるメッセージを受け取った後、一人旅となっていた。当時の夫シベリウスは手の震えを抑えるための飲酒が様々な悪影響を及ぼしていた。そして性格の弱さと飲酒癖という大作曲家が抱えていた大問題は第7番の完成にも時間を要することになり、“あなたの人生の伴侶”という署名を持って嘆願書のごとくシベリウスに改心を求めたアイノ夫人の行動は胸をうつものがある。しかしそれは第三者の意見、当事者の夫は、愛妻賢妻アイノの言葉に打ちのめされてしまった。それに加え、シベリウスより三歳若い作曲家、オスカル・メリカントが2月17日に亡くなった。メリカントはシベリウスの作品に親近感を持ち評価をしていた。この出来事もシベリウスに大きなダメージを与えた。

 それでも何とか3月2日にこの作品を完成させ、ストックホルムに渡った。かの地での成功を持って帰国したシベリウス。ところがヤルヴェンパーの地に帰るや否や「私の人生はまもなく終わる・・恐ろしい不安の始まり・・」などの言葉が記された。作曲の霊感が消えてゆくこと、体力の衰え、手の震えの問題、アイノ夫人との擦れ違い。

 そんな状況でも作曲家シベリウスを求める外からの声は増えてゆく。9月23日に、再びアイノ夫人は同行せず、シベリウスは一人でコペンハーゲンへ。そこではシャンパンだけを飲み、美食の楽しみもあったようだ。新たな交流も生まれ、やや上流志向のあるシベリウスにとっては居心地が良い旅の面もあった。コペンハーゲンでも大成功。しかし交響曲第7番を自ら指揮すること、それがシベリウスを疲労困憊させた。医師の勧めもありしばらく指揮活動は休止。再びシベリウスの魂は閉じこもり「酒が唯一の友達」この言葉が綴られることとなる。

  ─・─・─

 人生の一本道、立ち止まってしまったシベリウス。

 時折昔の作品を振り返りながらも、もう一歩踏み出した。そこが“タピオラ”森の神の棲むところ。

  ─・─・─

c0050810_19272315.jpg 最後の交響曲-第7番、そして最後の交響詩―タピオラ。

 この二つの作品のどちらも、初めの一音と最後の一音が多くを語る。

 “ト音―ソ”で始まり、ハ長調の世界を明朗な気分で清潔な大気の中を歩むはずが、たった一音の踏み外しからその先、一本道を多くの困難を体験しながら、停まることはあっても決して道を戻らず、楽器がまるでお互いに手を差し伸べつなぎ受け継ぐような見事な一筆書きの音符の先に、全員が“ハ音―ド”にたどり着く。

 一方の“タピオラ”も、やはりティンパニの一音が森の言葉を告げる。それは“ロ音―シ”。清冽で明解なハ長調は人の思考の整理を感じる。しかし“ロ音-シ”で始まり、最後にロ長調-H durの弦楽の響きが悠久の時間を描くとき、そこは人が完全には理解できない、そして踏み入ってはいけないもう一つの神秘の道が続いていることを気づかせてくれる。

  ─・─・─

 タピオラの森に姿が見えなくなったシベリウス号は、走り続けたのだろうか。

  ─・─・─

c0050810_19290100.jpg 見てないもの、聞いていないものが自分の周りにあふれている昨今。撮りダメした番組、とりあえずアイポッドに入れておいた無数の音楽、体験していない他人の情報の山。作品の人格がもし自立していたらいったい彼らはなんと発言しただろう・・・。

 一期一会のもの、その慣用句をヒト社会はあたたかく使う。しかし二度と会えないもの、二度と同じ状況がないことの連続の先に何があるのか・・・一筆書きの先・・・そこには厳しい自然の、命の掟がみえる。



初出/アイノラ交響楽団第10回定期演奏会プログラム
参考文献/Andrew Barnett "Sibelius"(2007, Yale University Press), Jean Sibelius Sämtliche Werke [JSW] Kritischer Bericht (Breitkopf und Härtel)






ラハティ地方の風景(写真/新田ユリ)
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【ピアノ独奏による交響曲/管弦楽曲公演】

■J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV 244 (S.ヤダスゾーン編独奏版) [2011.03.31] [closed]

■F.J.ハイドン:交響曲第100番 ト長調 『軍隊 Militärsinfonie』 (1793/94)、第101番 ニ長調 『時計 Die Uhr』 (1793/94)、第103番 変ホ長調 『太鼓連打 Mit dem Paukenwirbel』 (1793/94)、第104番 ニ長調 『ロンドン Londoner Symphonie』 (1795) [2013.05.07] [closed]

■W.A.モーツァルト:交響曲集
 ○交響曲第23番 ニ長調 K.181(162b) (1773)、第26番 変ホ長調 K.184(161a) (1773)、第31番 ニ長調『パリ』 K.297(300a) (1778)、第32番 ト長調『序曲』 K.318 (1779) [F.ブゾーニ編独奏版]、第33番 変ロ長調 K.319 (1779)、第34番 ハ長調 K.338 (1780) [2013.03.11] [closed]
 ○交響曲第25番 ト短調 K.183(173dB) (1773)、第29番 イ長調 K.201(186a) (1774) [2012.11.26] [closed]
 ○交響曲第35番ニ長調 《ハフナー》 KV 385 (1782)、第36番ハ長調 《リンツ》 KV 425 (1783) 、第38番ニ長調 《プラハ》 KV 504 (1786)(A.ホルン編独奏版) [2009.12.12] [closed]
 ○交響曲第39番変ホ長調 KV 543 (1788)、第40番ト短調 KV 550 (1788)、第41番ハ長調 《ジュピター》 KV 551 (1788) (A.ホルン編曲独奏版) [2009.11.21] [closed]
 ○セレナード第7番ニ長調K.250(248b) 『ハフナー・セレナード』 (1776) より第1/5/6/7/8楽章、セレナーデ第9番 ニ長調 K.320 『ポストホルン・セレナーデ』 (1779)、セレナーデ第13番『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』ト長調 K.525 (1787) [2012.11.26] [closed]
 ○レクイエム ニ短調 K. 626 (1791) (Brissler編独奏版)、クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581 (1789)(P.Wagner編独奏版) [2011.02.14] [closed]
 ○二台ピアノのための協奏曲(第10番)変ホ長調 K.365/316a (1779)(フンメル編独奏版)、ピアノ四重奏曲第1番ト短調 K.478 (1785)(独奏版)、《エジプト王ターモス》K.345/366a より終曲「そなたら塵芥の子らよ」(1779)(アルカン編独奏版)、ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466 (1785)第1/第3楽章(アルカン編独奏版/アルカンによるカデンツァ付) [2013.04.08] [closed]
 ○歌劇《イドメネオ》K.366 (E.F.リヒター編独奏版) [2010.10.28]、歌劇《後宮からの誘拐》K.384 (R.メッツドルフ編独奏版) [2010.07.23]、オペラ・ブッファ《フィガロの結婚》K.492 (ピアノ独奏版) [2010.04.26]、歌劇≪ドン・ジョヴァンニ≫K.527 (ピアノ独奏版) [2010.06.22]、オペラ・ブッファ《女はみなこうしたもの》K.588 (R.メッツドルフ編独奏版) [2010.08.20]、歌芝居《魔笛》K.620 (ピアノ独奏版) [2010.05.31]、歌劇《皇帝ティトゥスの慈悲》K.621 (ピアノ独奏版) [2010.11.29] [closed]

■L.v.ベートーヴェン:交響曲集(F.リスト編)
 ○交響曲第1番ハ長調Op.21(1799/1800) R 128/1, SW 464/1、第2番ニ長調Op.36(1800/02) R 128/2, SW 464/2(使用楽器:1846年製ヨハン・バプティスト・シュトライヒャー) [2008.07.31]
 ○第9番ニ短調Op.125「合唱(Choral)」(1815/24) R 129/9, SW 464/9(使用楽器:1852年製エラール)[2009.03.25]


■R.ワーグナー:《神々の黄昏》第3幕「ジークフリートの葬送行進曲」(ブゾーニ編独奏版) [2012.12.23]、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》前奏曲(タウジッヒ編連弾版) [2012.08.31]

■J.ブラームス:交響曲第1番ハ短調 Op.68 (1876)+第2番ニ長調 Op.73 (1877) (O.ジンガー編独奏版)+《大学祝典序曲 Op.80》(R.ケラー編独奏版) [2013.12.22]、交響曲第3番ヘ長調 Op.90 (1883)+交響曲第4番 ホ短調 Op.98 (1884/85) (O.ジンガー編独奏版)+《悲劇的序曲 Op.81》(R.ケラー編独奏版)[2013.12.29]

■A.ブルックナー:交響曲第7番(作曲者+ヒュナイス編独奏版)[2012.12.23]、交響曲第8番(シャルク編連弾版)[2015.04.05]、交響曲第9番(F.レーヴェ編独奏版)(その1その2) [2015.11.23]

■G.マーラー:交響曲第1番《巨人》(ステルヌ編独奏版) [2015.4.26]《花の章》(米沢典剛編独奏版) [2017.6.7]交響曲第2番《復活》(ベーン編二台ピアノ版) [2015.5.22]、交響曲第3番第2楽章(フリードマン編独奏版)/第3楽章(ヴェス編連弾版)/第4楽章(ステルヌ編独奏版)/第5楽章(ヴェス編連弾版)/第6楽章(ステルヌ編独奏版) [2015.01.17 / 2015.04.05 / 2015.04.26 / 2015.05.22]、交響曲第4番(ヴェス編連弾版) [2014.3.2]、交響曲第5番(ジンガー編独奏版/第4楽章杉山洋一編) [2014.12.21]、交響曲第6番《悲劇的》(ツェムリンスキー編連弾版) [2014.3.2]、交響曲第7番《夜の歌》(カゼッラ編連弾版) [2012.8.31]、交響曲第8番《千人の交響曲》(ヴェス編連弾版) [2015.04.05]、交響曲第9番(ブライアー編独奏版) [2015.7.12]、交響曲《大地の歌》《亡き子をしのぶ歌》《リュッケルト歌曲集》(作曲者編ピアノ伴奏版)(その1その2) [2015.12.13]、交響曲第10番(アダージョ)(スティーヴンソン編独奏版) [2015.4.26]

■C.ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲(1891/94)(L.Borwick編独奏版)[2014.08.27]、舞踊詩「遊戯」(1912/13)(作曲者編独奏版)[2016.06.18]

■R.シュトラウス:《薔薇の騎士》終幕二重唱(1910)(グレインジャー編独奏版)[2016.04.17]、《サロメ》最終場面(1905)(ソラブジ編独奏版)+《4つの最期の歌》(1949)(作曲者編ピアノ伴奏版)[2016.06.17]、交響詩《ドン・ファン》(1888)(O.ジンガー編二台ピアノ版)[2004.03.06]

■A.シェーンベルク:《浄められた夜 Op.4》(1899)(ゲシュテール編独奏版)+室内交響曲第1番ホ長調 Op.9(1906)(シュトイアーマン編独奏版)+室内交響曲第2番変ホ短調 Op.38(1906/39)(米沢典剛編独奏版)[2016.10.10]、《管弦楽のための変奏曲 Op.31》(1928)(アンゾリーニ編独奏版)+《モーゼとアーロン》より「黄金の仔牛の踊り」(1932)(川島素晴編独奏版) [2015.10.25]、《映画の一場面のための伴奏音楽 Op.34》(1930)(米沢典剛編独奏版) [2016.11.16]、《月に憑かれたピエロ Op.21》(1912)(E.シュタイン編ピアノ伴奏版) [2010.07.31]、《ペトラルカのソネット Op.24-4》(1922/23)(F.グライスレ編ピアノ伴奏版)+《ワルシャワの生き残り》作品46 (1947) (K.フレデリック編ピアノ伴奏版) [2007.06.10]

■M.ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲(1909/12)(L.ロック編連弾版)+舞踊詩「ラ・ヴァルス」(1919/20)(A.イハレフ編独奏版)[2016.07.16]




■A.ウェーベルン:管弦楽のための《パッサカリア Op.1》(1908)(杉山洋一編独奏版)[2014.02.23]、《交響曲 Op.21》(1928)(米沢典剛編独奏版)[2016.11.16]


A.オネゲル:交響曲第3番《典礼風》(ショスタコーヴィチ編二台ピアノ版)交響的断章「パシフィック231」(1923)(キングマン編二台ピアノ版) [2015.03.13]

D.ショスタコーヴィチ:交響曲第4番(作曲者編二台ピアノ版)[2014.9.12]、交響曲第5番第4楽章(L.アトフミヤン編連弾版)[2014.03.02]

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【動画】 ベートーヴェン作曲/F.リスト編曲:交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄(Eroica)」(1802/03) R 128/3, SW 464/3 より 第1楽章 Allegro con brio /使用楽器: ヨハン・バプティスト・シュトライヒャー (1846年ウィーン製) 85鍵(AAA~a4) アングロジャーマン・アクション




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# by ooi_piano | 2017-06-08 14:22 | コンサート情報 | Comments(0)

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~バルトーク:弦楽四重奏曲集全6曲(米沢典剛によるピアノ独奏版)
Bartók Béla hat vonósnégyese Zongorára átírta Yonezawa Noritake

大井浩明(ピアノ)

2017年6月4日(日)18時開演(17時半開場)
公園通りクラシックス (東京都渋谷区宇田川町19-5 東京山手教会B1F)
全自由席 3,000円  http://koendoriclassics.com/
※ご予約はこちらのフォームから https://goo.gl/z4vjZh


c0050810_16553274.png■バルトーク=米沢典剛:《弦楽四重奏曲第1番 イ短調 Op.7 Sz.40》(1909/2017)(世界初演) 30分
  I. Lento - II. Allegretto - III. Introduzione / Allegro vivace

■バルトーク=米沢典剛:《弦楽四重奏曲第2番 Op.17 Sz.67》(1917/2017)(世界初演) 26分
  I. Moderato - II. Allegro molto capriccioso - III. Lento

  (休憩10分)

■バルトーク=米沢典剛:《弦楽四重奏曲第3番 Sz.85》(1927/2017)(世界初演) 15分
  I. Moderato - II. Allegro - III. Moderato(第1部の再現) - IV. Coda : Allegro molto

■バルトーク=米沢典剛:《弦楽四重奏曲第4番 Sz.91》(1928/2016) 25分
  I. Allegro - II. Prestissimo, con sordino - III. Non troppo lento - IV. Allegretto pizzicato - V. Allegro molto

  (休憩10分)

■バルトーク=米沢典剛:《弦楽四重奏曲第5番 Sz.102》(1934/2016)(世界初演) 30分
  I. Allegro - II. Adagio molto - III. Scherzo: alla bulgarese - IV. Andante - V. Finale: Allegro vivace

■バルトーク=米沢典剛:《弦楽四重奏曲第6番 Sz.114》(1939/2016)(世界初演) 30分
  I. Mesto / Più Mosso, pesante / Vivace - II. Mesto / Marcia - III. Mesto / Burletta - IV. Moderato, Mesto
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バルトークの先に広がる未来(弦楽四重奏曲を中心に)──野々村 禎彦

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 同時代におけるバルトークの評価は、「民俗音楽研究者としても名高い、作曲もするピアニスト」だったが、今日では彼はまず作曲家である。ドイツ圏では「3大B」はJ.S.バッハ、ベートーヴェンとブラームスないしブルックナーだが、普遍的視点に立てば3人目はむしろバルトークが相応しい、と通俗的にも言われる。鍵盤楽器のための練習曲に注力した点ではバッハ、弦楽四重奏曲に注力した点ではベートーヴェンの後継者であり、姓がBで始まる有名作曲家というだけの19世紀後半のふたりとは格が違う。ただし、「3大B」という発想自体が既にドイツ音楽影響圏に特有であり、米国や日本のようなこの文化圏の周縁諸国が彼に「周縁代表」を仮託した結果がこの位置付けなのだろう。

 《子供のために》(1908-09) と《ミクロコスモス》(1926/32-39) という20世紀を代表するピアノ練習曲集(演奏会用ジャンルではなく、実用的な意味での)を除いても、質量ともに一晩を埋めるピアノ独奏曲を彼は書いた。ピアニストとして活躍するには常に新しいレパートリーが必要であり、ひとつの創作サイクルをピアノ独奏曲で始め弦楽四重奏曲で閉じる、ベートーヴェンのような傾向を彼も持っていた。ただし、彼はなまじピアノが上手かったために、自分の弾ける範囲で発想が閉じてしまった面はあるかもしれない。自身のソロを前提に書いた協奏曲(1926, 1930-31) では、技巧に走らず管弦楽と一体になって突き進む、丁度良いバランスが実現されているのだが。ベートーヴェンの鍵盤作品の充実は、フォルテピアノの発展期に手探りで書いた賜物だったのだろう。

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 その点、弦楽器との距離感は彼の創作にとっては理想的だったように思われる。バルトーク・ピッツィカートをはじめとする苛烈な特殊奏法の数々は、自分の分身ではない楽器だからこそ指定できたのだろう。二度の結婚はティーンエイジャーのピアノの生徒と関係を持った結果だが、恋愛の相手はそれよりは年長のヴァイオリン奏者だったのも象徴的だ。2曲のヴァイオリンソナタ(1921, 1922) と無伴奏ヴァイオリンソナタ(1944) はいずれも代表作、ヴァイオリン二重奏曲集《44の二重奏曲》(1931) も民謡編曲作品としては重要だが、彼が最も力を注いだ編成は弦楽四重奏だった。

 ピアノのための《14のバガテル》(1908) からオペラ《青髯公の城》(1911) まで、オリジナルな作曲を始めてから民謡収集に専念するため作曲を中断するまでの数年間は、ほぼドビュッシーの語法を自分のものにすることに費やされたが、この時期でも弦楽四重奏曲第1番(1908-09) は例外的で、モデルはドビュッシーではなく後期ベートーヴェンである。以下で眺めるのは、20世紀の弦楽四重奏曲の類型はほぼバルトークの6曲で尽くされている(新ウィーン楽派とその他数人を例外として)ことだが、同時代には敬して遠ざけられていたベートーヴェン後期作品が再評価されたのも20世紀を象徴する出来事であり、彼の6曲が「ベートーヴェン第17番」で始まるのは示唆的だ。

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 彼の中では最も素直に「民俗音楽的」な作品のひとつである弦楽四重奏曲第2番(1915-17) は、《青髯公の城》の直後に音楽上の親殺しを意図したピアノ曲《アレグロ・バルバロ》(1911) に始まる時期を締め括る曲だが、《かかし王子》(1914-17)、《ピアノ組曲》(1916) などが書かれたこの時期は、ピアノのための《3つの練習曲》(1918) に始まるその次の時期の尖り具合と同列には論じられない。弦楽四重奏曲としても同時期のシマノフスキ第1番(1917) や幾分後のヤナーチェクの2曲(1923, 1928) を凌ぐわけではない。とはいえ、遠くリゲティ第1番(1953-54) にまで影響を及ぼした、民俗音楽の活用という20世紀の豊かな鉱脈を切り拓いた作品なのは疑いない。

 《3つの練習曲》に始まる時期に彼の音楽が急速に無調化したのは、無調以降の新ウィーン楽派の音楽の影響と考えるのが自然だろう。《中国の不思議な役人》(1918-19/24) では《春の祭典》、2曲のヴァイオリンソナタではシマノフスキ《神話》、《戸外にて》(1926) では後期ドビュッシー、ピアノ協奏曲第1番(1926) では新古典主義期ストラヴィンスキーと、そこに同時代の別系統の潮流を交配しているのが彼の独自性である。特に新ウィーン楽派とストラヴィンスキーやドビュッシーのハイブリッドは、党派的にも政治的にもヨーロッパの中心では考えられず、「周縁」だからこそ可能な方向性だった。イタリアが音楽の中心だった時代の「周縁」の音楽家J.S.バッハのように。

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 この時期を締め括る弦楽四重奏曲第3番(1927)・第4番(1928) は、彼のモダニズム路線の頂点に留まらず、戦後前衛時代後期の弦楽四重奏曲のモデルにもなった。戦後前衛時代前期には、この編成は因襲的だとして忌避されたのは、総音列技法の範囲では新ウィーン楽派の達成以上の可能性は見出せなかったことが大きい。だが、戦後前衛時代後期にトーン・クラスター様式が台頭すると、この様式を主導したポーランド楽派の作曲家たちはこの編成にも新たな鉱脈を見出した。ペンデレツキ第1番(1960) は特殊奏法を多用したざっくりした構成、ルトスワフスキ(1964) は縦の線の合い具合を偶然性に委ねた書法がポイントだが、単一楽章で即興的に表情を変えるバルトーク第3番の音世界を部分的に切り出して参照している。他方、この様式のもう一方の雄リゲティの第2番(1968) では、バルトーク第4番のアーチ型の5楽章を対比する構成をそのまま借用し、民謡由来のオスティナートをミニマル音楽に置き換えるなど、同時代の語法で換骨奪胎している。

 長年構想を暖めていた《カンタータ・プロファーナ》(1930) と、ピアノ協奏曲第1番に続く第2番(1930-31) を書き終えると、以後のピアノ独奏曲は《ミクロコスモス》の一部として書かれることになり、創作サイクルも変化する。民謡分析が本業になって再び創作意欲に火が点いた際、真っ先に取り組んだのは弦楽四重奏曲第5番(1934) だった。音楽要素の断片化や空間配置など、無調や特殊奏法とは違う方向のモダニズムが探求されており、ポスト戦後前衛時代の潮流を先取りしていたようにすら見える。ペンデレツキは第2番(1968) でこの方向性を取り入れようとしたが、バルトークのような豊かな稔りには結びつかず、結局彼は終生の代表作《ルカ受難曲》で試みた前衛書法と三和音の混淆を進め、戦後前衛第一世代で「新ロマン主義」に転向した最初の作曲家の一人になった。

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 モダニズムと民俗音楽の融合をさらに推し進めた《弦楽器・打楽器・チェレスタのための音楽》(1936) と《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》(1937) は、戦後前衛第一世代の作曲家に霊感を与え続けた。リゲティ流トーン・クラスターである「ミクロポリフォニー」書法とは、《弦楽器…》第1楽章を半音階堆積に圧縮したものに他ならない。ブーレーズが活動の中心を指揮に移してからの《エクラ/ミュルティプル》(1965/70) や《レポン》(1981-84) の楽器法も、《弦楽器…》に多くを負っている。前期シュトックハウゼンを代表する電子音楽《コンタクテ》(1959-60) のピアノと打楽器を伴う版の楽器法は、学位論文で分析した《2台のピアノ…》の記憶の賜物である。

 ヴァイオリン協奏曲第2番(1937-38) 以降のヨーロッパ時代末期の作品が軒並み全音階的で穏健なのは、意識の上では既に「亡命モード」に入っていたからだろう。亡命先候補は米国・英国・トルコに絞られたが、音楽状況はどこもヨーロッパ大陸よりも保守的だった。この時期を締めくくる弦楽四重奏曲第6番(1939) は、民謡分析の精密化に伴って作曲作品にも導入されるようになった微分音が微妙な陰影を与えているが、モダニズムよりも切実さにおいて記憶される音楽である。だが、この曲も戦後前衛と無縁ではない。前衛の時代はショスタコーヴィチ、ブリテンらが伝統書法を深化させた時代でもあり、彼らの充実が前衛側に緊張感を与えたことは無視できない。彼らの死と新ロマン主義の台頭や戦後前衛第一世代の頽廃が時期を同じくしたことは、偶然ではないだろう。彼らの音楽は60年代に著しく半音階的になり、特にショスタコーヴィチはこの時期に12音技法を導入した。だが彼らが最晩年に再び全音階的音組織に戻った時、参照したのは同じ歩みを辿ったバルトークだった。ショスタコーヴィチ第15番(1974)、ブリテン第3番(1975) ではこの対応は特に顕著である。

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 バルトークの音楽は普遍性志向で特徴付けられるが、普遍的なものはパーツを取り替えれば幅広く応用できる。バルトークが作曲の素材にした民謡はハンガリー周辺のものに限られるが、その方法論は普遍的なので影響は世界各地に広がった。日本民謡を素材にした間宮芳生《合唱のためのコンポジション》シリーズ(1958-) は国際的にもその代表例であり、狭義の民謡に留まらない間宮の関心は、同時期にベリオらが始めた前衛的な声の技法探求の中でも色褪せない強度を持っていた。また、他の方法論との組み合わせも応用の一種であり、柴田南雄は同じく日本民謡を素材にしながら、シアターピースの手法と組み合わせることで、《追分節考》(1973) に始まる代表作群に至った。このような面でバルトークの遺産を最も巧みに利用した作曲家が、同国人リゲティに他ならない。「夜の音楽」に象徴される音楽性まで深く共有していたのは、むしろ同国人クルタークだったのかもしれないが、名声を築くためのツールとして使い倒し、大きな成果を収めたのはリゲティだった。

 ここまでは、特定の曲を参照した事例だが、クラシック音楽の伝統の根幹に直結したバルトークの場合には、別種の影響関係もある。前衛の時代が終わり、伝統の参照が禁忌ではなくなった時代に、それでも前向きに作曲を進める中から時代を代表する作品は生まれてくるが、その発想の原型は既にバルトーク作品に見られる、という事例が増えてくる。弦楽四重奏曲では特に顕著で、クセナキス《テトラス》(1983)、ラッヘンマン第2番(1989)、グロボカール《ディスクールVI》(1981-82)、シュニトケ第4番(1989) という、80年代を代表する作風が全く異なる4曲は、各々バルトーク第3番(単一楽章で疾走する不定形の音響)・第4番(特殊奏法の古典的秩序化)・第5番(モダニズムの外側の素材の統合)・第6番(微分音に彩られた全音階的な哀歌)のヴァリアントとみなせる。人間が想像し得る類型には限りがあり、それをほぼ尽くした創造者にはこのようなことが起こり得る。

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 むしろ、20世紀後半で特筆すべき弦楽四重奏曲の書き手は、バルトークへの紐付けが難しい作曲家に限られる。具体的には、シェルシ(1905-88)、ケージ(1912-92)、フェルドマン(1926-87)、W.リーム(1952-)、ユルク・フライ(1953-) である。シェルシは微分音程のうなり、フライは息音のような摩擦音という、バルトークが用いなかった素材に絞って新たな世界を拓いた。フェルドマンは弦楽四重奏を完全に滑らかな音表面の器として扱い、演奏時間の長さで知られる後期作品の中でも特に長大な2曲を残した。ケージはこの編成の歴史性を全く意識しなかった特異な存在であり、異なる作風を示す3つの時期に1曲ずつ書いた。W.リームはベートーヴェンを強く意識し、数の上でもこの先達に匹敵する弦楽四重奏曲を作曲しているが、バルトークに繋がる書法を注意深く避けているのが最大の特徴である。「似ないように仕上げる」こと自体がコンセプトになり、作品の質に直結する。現代の弦楽四重奏曲におけるバルトークの重要性を、逆説的だがこの上ない形で伝える事例である。



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【ピアノ独奏による弦楽四重奏曲公演】
W.A.モーツァルト:弦楽三重奏/四重奏/五重奏曲集
 ○弦楽五重奏曲第2番ハ短調K.406(516b)(1787)、同第3番ハ長調K.515(1787)、同第4番ト短調K.516(1787)[Paul Wagnerによるピアノ独奏版] [2012.5.8] [closed]
 ○弦楽三重奏のためのディヴェルティメント 変ホ長調 K.563 (1788)[Paul Graf Walderseeによるピアノ独奏版]、弦楽五重奏曲第5番ニ長調K.593(1790)、同第6番変ホ長調K.614(1791)[Paul Wagnerによるピアノ独奏版] [2012.6.4] [closed]
 ○弦楽四重奏曲第14番ト長調K.387 (1782)、同第15番ニ短調K.421(417b) (1783)、同第16番変ホ長調K.428 (1783) [Paul Wagnerによるピアノ独奏版] [2012.7.2] [closed]
 ○弦楽四重奏曲第17番変ロ長調K.458『狩』(1784)、同第18番イ長調K.464 (1785)、弦楽四重奏曲第19番ハ長調K.465『不協和音』 (1785) [Paul Wagnerによるピアノ独奏版] [2012.9.26] [closed]
 ○弦楽四重奏曲第21番ニ長調K.575 (プロシャ王第1番)(1789)、同第22番変ロ長調K.589 (プロシャ王第2番)(1790)、同第23番ヘ長調K.590 (プロシャ王第3番)(1790) [Paul Wagnerによるピアノ独奏版] [2012.10.31] [closed]
 ○弦楽四重奏曲第20番ニ長調K.499 《ホフマイスター》(1786) [Paul Wagnerによるピアノ独奏版] [2012.11.26] [closed]

■L.v.ベートーヴェン:弦楽四重奏曲集(ルイ・ヴィンクラー編独奏版)






■【動画】ベートーヴェン:《大フーガ 変ロ長調 Op.133》 (1826/1865、L.ウィンクラーによるピアノ独奏版) 使用楽器:1816年製 J.ブロードウッド(6オクターヴ)




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# by ooi_piano | 2017-05-08 12:24 | POC2016 | Comments(0)

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~二台ピアノによるバルトーク傑作集~
Bartók Béla zenekari mesterművei két zongorára átírta Yonezawa Noritake

2017年4月28日(金)19時開演(18時半開場)
浦壁信二+大井浩明/二台ピアノ
公園通りクラシックス (東京都渋谷区宇田川町19-5 東京山手教会B1F)
全自由席 3,000円  http://koendoriclassics.com/
※ご予約はこちらのフォームから https://goo.gl/YkRsny


c0050810_16544963.jpg■バルトーク=米沢典剛:組曲《中国の不思議な役人 Op.19 Sz.73》(1918-24/2016、世界初演) 20分
    導入部 - 第一の誘惑と老紳士 - 第二の誘惑と学生 - 第三の誘惑と役人 - 少女の踊り - 役人が少女を追い回す

■バルトーク=米沢典剛:《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽 Sz.106》(1936/2016、世界初演) 30分
    I.Andante tranquillo - II.Allegro - III.Adagio - IV.Allegro molto

  (休憩15分)

■バルトーク=米沢典剛:《管弦楽のための協奏曲 Sz.116》(1943/2016、世界初演) 40分
  I.序章 - II.対の提示 - III.悲歌 - IV.遮られた間奏曲 - V.終曲


浦壁信二 Shinji URAKABE
c0050810_20465920.jpg  1969年生まれ。4歳からヤマハ音楽教室に入会。’81年のJOC(ジュニアオリジナルコンサート)国連コンサートに参加、ロストロポーヴィッチ指揮ワシントン・ナショナル交響楽団と自作曲を共演、その他にも各地で自作曲を多数のオーケストラと共演した。’85年都立芸術高校音楽科(作曲科)に入学。
  ’87年渡仏しパリ国立高等音楽院に入学、J.リュエフ、B.ド・クレピー、J.ケルネル、M.メルレの各氏に師事。和声・フーガ・伴奏の各科で一等賞、対位法で二等賞を得る。ピアノをT.パラスキヴェスコに師事。その他、V.ゴルノスタエヴァ、J.デームス両氏等のマスタークラスを受講。
  ’94年オルレアン20世紀音楽ピアノコンクールで優勝(日本人初)、同時にブランシュ・セルヴァ特別賞受賞。一躍注目を浴び、ヨーロッパ各地でリサイタルを行う。‘96年2月仏SolsticeレーベルよりCD「スクリャービン ピアノ曲集をリリース、ル・モンド・ドゥ・ラ・ミュージック、チューン各誌で絶賛を博す。
  ‘95~’03年にはヤマハマスタークラスで後進の指導に当たり、数々の国際コンクール入賞・優勝者を輩出。’07年トッパンホールにて「20世紀のスタンダードから」と題してリサイタルを開催。’10年にはEIT(アンサンブル・インタラクティヴ・トキオ)のスロヴェニア、クロアチア公演に参加した。12年4月トッパンホールにてリサイタル「浦壁信二 ラヴェル」を開催。NHK-FMや「名曲アルバム」を始め、TV、ラジオに多数出演。アウローラ・クラシカルよりCD《ストラヴィンスキー作品集》《水の戯れ~ラヴェル:ピアノ作品全集 I》《クープランの墓~ラヴェル:ピアノ作品全集 II》をリリース、「レコード芸術」誌をはじめ高評価を得る。室内楽奏者として、内外のアーティストからの信頼も篤い。 浦壁信二インタビュー



【浦壁信二+大井浩明 ドゥオ】

■2014年9月12日 http://ooipiano.exblog.jp/22474259/
 D.ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調作品43 (1935/36) (作曲者による2台ピアノ版、日本初演)[全3楽章、約60分]
 A.スクリャービン:交響曲第4番作品54《法悦の詩》 (1908) (レフ・コニュスによる2台ピアノ版)[単一楽章、約20分]
(アンコール)B.バルトーク:《管弦楽のための協奏曲》より第4楽章「遮られた間奏曲」(1943、ヴェデルニコフ編)
 三宅榛名:《奈ポレオン応援歌》(1979)

■2015年3月13日 http://ooipiano.exblog.jp/23322462/
 A.オネゲル:交響曲第3番《典礼風》(1945/46)(ショスタコーヴィチによる2台ピアノ版、日本初演)[全3楽章、約30分]
  I. 怒りの日(Dies irae) - II. 深き淵より(De profundis clamavi) - III. 我らに平和を(Dona nobis pacem)
 O.メシアン:《アーメンの幻影》(1943)[全7楽章、約50分]
  I. 創造のアーメン - II. 星たちと環のある惑星のアーメン - III. イエスの苦しみのアーメン - IV. 願望のアーメン - V. 天使たち、聖人たち、鳥たちの歌のアーメン - VI. 審判のアーメン - VII. 成就のアーメン
(アンコール)A.オネゲル:《パシフィック231》(1923)(N.キングマン(1976- )による二台ピアノ版(2013)、世界初演)
 P.ブーレーズ:構造Ia (1951)

■2015年5月22日  http://ooipiano.exblog.jp/24126209/
 G.マーラー:交響曲第2番ハ短調《復活》(1888/94) [全5楽章] (約80分) H.ベーン(1859-1927)による二台ピアノ版(1895) (日本初演)
  I. Maestoso - II.Andante con moto - III. In ruhig fließender Bewegung - IV.Urlicht - V. Im Tempo des Scherzos. Wild herausfahrend
 B.A.ツィマーマン:《モノローグ》(1960/64) [全5楽章]  (約20分)
  I.Quasi irreale - II. - III. - IV. - V.
(アンコール)G.マーラー:交響曲第3番第5楽章「天使たちが私に語ること」(J.V.v.ヴェスによる四手連弾版)

■2016年9月22日 <СТРАВИНСКИЙ ОСТАЕТСЯ> http://ooipiano.exblog.jp/25947275/
 I.ストラヴィンスキー:《4つのエテュード》(1917)
  I. 踊り - II. 変わり者 - III. 雅歌 - IV. マドリード
 I.ストラヴィンスキー:舞踊カンタータ《結婚(儀礼)》(1917)
  花嫁の家で(おさげ髪) - 花婿の家で - 花嫁の出発 - 婚礼の祝宴(美しい食卓)
 I.ストラヴィンスキー:舞踊音楽《浄められた春(春の祭典)》(1913)
  〈大地讃仰〉 序奏 - 春の兆しと乙女たちの踊り - 誘拐 - 春の輪舞 - 敵の部族の戯れ - 賢者の行進 - 大地への口吻 - 大地の踊り
  〈生贄〉 序奏 - 乙女たちの神秘の集い - 選ばれし生贄への賛美 - 曩祖の召還 - 曩祖の祭祀 - 生贄の踊り
(アンコール)I.ストラヴィンスキー:《魔王カスチェイの兇悪な踊り》
 S.プロコフィエフ:《邪神チュジボーグと魔界の悪鬼の踊り》 (米沢典剛による2台ピアノ版



バルトークの創作史を振り返る(管弦楽曲を中心に)──野々村 禎彦

c0050810_05425553.jpg バルトークの伝統的音楽修行の集大成=作品1は《ラプソディ》(1904/05) であり、元々のピアノ独奏曲を協奏曲に編曲してアントン・ルビンシテイン国際コンクール作曲部門に参加した。リスト/ブラームス流の「ジプシー風ハンガリー音楽」を初期R.シュトラウス風に管弦楽化した作品であり、この時点では彼はまだモダニズムにも、本物の「ハンガリー音楽」にも出会っていなかった(ただし保守的なコンクールでは、それでも斬新すぎるとされて奨励賞に留まった)。他方、同コンクールのピアノ部門ではバックハウスと優勝を争い、当代随一の国際コンクール第2位という輝かしい経歴を携えて、1907年に母校ブダペスト音楽院ピアノ科教授に着任した。

 バルトークがバルトークになったのは、終生の盟友コダーイと知り合ってからだった。1906年から彼とハンガリー民謡の収集を始めて「本物の民俗音楽」を発見し、翌年に彼を通じてドビュッシーの音楽と出会った。民謡に見られる機能和声とは相容れない音組織が、ドビュッシー作品にも現れていることは啓示になった。民謡収集は近代化とともに失われてゆく過去を記録する学問的行為に留まらず、未来の音楽へ向かう道標にもなるということだ。

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 オリジナル民謡に極力手を加えない合唱曲や器楽曲への編曲と、民謡から受けた霊感と同時代の音楽を融合した創作が、彼の音楽活動の両輪になった。前者の最初の代表作がピアノのための《子供のために》(1908-09)、後者の出発点がピアノのための《14のバガテル》(1908) と《10のやさしい小品》(1908) である。これらの作品でドビュッシーのピアノ書法を掴むと、今度はドビュッシーの管弦楽書法を研究し、その成果はオペラ《青髯公の城》(1911) に結実した。

 アイヴズ、ストラヴィンスキー、シマノフスキら、ドビュッシーの音楽と出会って一流の作曲家へ飛躍した作曲家は多いが、バルトークは作曲家としても20世紀前半を代表するピアニストのひとりとしても、終生ドビュッシーをリスペクトし続けた。今日では20世紀を代表するオペラのひとつに数えられる《青髯公の城》は作曲の契機になったオペラのコンクールには入賞すらできず、同時期にコダーイと始めた「新ハンガリー音楽協会」も成果は上がらず、彼は作曲への意欲を失って数年間は民謡収集に専念した。第一次世界大戦が本格化するとそれも困難になって作曲に復帰したが、《かかし王子》(1914-17)、《ピアノ組曲》(1916) などは尖鋭さでは《青髯公の城》に及ばない。

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 だが、《青髯公の城》初演と同年のピアノのための《3つの練習曲》(1918) は、一転して極めて無調的であり、無調以降のシェーンベルク作品研究を窺わせる。彼は民謡研究と同じスタンスで同時代の音楽も収集・分析し創作に生かした。ハンガリーはヨーロッパの中心からは離れているが、その分同時代の諸潮流を俯瞰的に取り入れることができた。2曲のヴァイオリンソナタ(1921, 1922) も《練習曲》の延長線上にある作品であり、同一編成のシマノフスキ《神話》を参照している。

 両曲の間に作曲された《中国の不思議な役人》(1918-19/24) も《練習曲》の路線に連なり、今度はストラヴィンスキー《春の祭典》の色彩とリズムの実験が参照されている。シェーンベルクとストラヴィンスキーの直接のフォロワーたちは党派的に対立関係にあり、ヨーロッパの中心で両者と等距離で接するにはブーレーズくらい世代が下る必要があったが、これが「周縁」ならではの利点である。管弦楽化には時間を要したが、この間にストラヴィンスキーの新古典主義も取り入れ、さらにディーリアス《人生のミサ》の声楽書法も加え、モダニズムの最良の成果が凝縮されている。

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 彼はストラヴィンスキーのように日課として作曲するタイプではなく、意欲の涌いた時に集中的に行うタイプだった。1920年代前半は作曲は低調だったが、収集した民謡資料を分析した重要な論文は主にこの時期に書かれた。《中国の不思議な役人》の管弦楽化が終わり、第一次世界大戦敗戦後の混乱も収まると、ピアノソナタ(1926)、《戸外にて》(1926)、ピアノ協奏曲第1番(1926) を一気に書き上げた。《ミクロコスモス》(1926/32-39) に着手したのもこの年だ。久々に作曲に集中すると創作意欲も高まり、弦楽四重奏曲第3番(1927)・第4番(1928) 、《カンタータ・プロファーナ》(1930)、ピアノ協奏曲第2番(1930-31) と、代表作が矢継ぎ早に生み出されてゆく。

 この時期の作曲の中心はピアノがソロを取る曲だが、いずれもピアニストとしてのレパートリーを増やすことを意図していた。これは彼のピアニストとしての名声が高まり、演奏機会が増えたことを反映している。彼の意識の中では作曲と民謡研究は不可分の芸術行為であり、それと比べたらピアノ演奏や教育は生計を立てる手段にすぎなかった。だが彼は音楽院で作曲を教えたことはなく、同時代の音楽界での位置付けは「民俗音楽研究者としても名高い、作曲もするピアニスト」だった。

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 彼の創作意欲に次に火が点くのは1934年。この年に科学アカデミー研究員として民謡研究に専念する職が提示されると、彼は喜んでピアノ科教授を辞している。ようやく天職が本業になり、弦楽四重奏曲第5番(1934)、《弦楽器・打楽器・チェレスタのための音楽》(1936)、《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》(1937) と、再び代表作が作品表に並ぶ。ただしナチスドイツとの関係を深めてゆく政府の真意は、「頽廃音楽を排し、国民音楽を称揚する」という方針に従って、民俗音楽研究を強化する一方で不穏分子を音楽教育から遠ざけることだったのだが… 

 弦楽四重奏曲第3番・第4番でモダニズムの頂点に昇りつめた彼は、それ以降の作品では民俗音楽とモダニズムを統合する方向に向かうが、弦楽四重奏曲第5番と《弦楽器・打楽器・チェレスタのための音楽》の解決方法は対照的だった。前者では、音楽要素の断片化や空間配置など、無調性や特殊奏法とは違う方向のモダニズムが探求されるが、曲の末尾ですべての要素はひとつの素朴な民謡旋律から導かれていたことが明かされる。他方後者では、奇数楽章では半音階的フーガや「夜の音楽」、偶数楽章では民俗音楽的素材による平明な舞曲と、両者は簡単には統合できないことが暗示される。これは彼の心境の変化というよりは、弦楽四重奏と管弦楽というメディアの差異なのだろう。

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 《コントラスツ》(1938)、ヴァイオリン協奏曲第2番(1937-38)、《ディヴェルティメント》(1939)、弦楽四重奏曲第6番(1939) というヨーロッパ時代末期の作品が軒並み全音階的で穏健なのは、意識の上では既に「亡命モード」に入っていたからだろう。ナチスドイツに傾斜してゆく政府に彼は早くから絶望していたが、彼の母は祖国を離れることを拒み(弦楽四重奏曲第6番の作曲中に死去)、また収集した民謡資料のうちハンガリー民謡分は出版計画のため亡命前に分析を終える必要があり、亡命は1940年10月までずれ込んだ。ただし、分析の精密化に伴って旋律の微分音程変化にも着目したことは創作へと反映され、総じて全音階的でも一筋縄では行かない陰影が加わった。

 亡命先に米国を選んだ決め手は、コロンビア大学の客員研究員としてハーヴァード大学の民俗音楽資料を分析する職が見つかったことだった。学問的関心を優先して低収入の非常勤職を選んだのは、ヨーロッパ時代のような著作権料収入と演奏活動を想定していたからだが、米国が第二次世界大戦に参戦すると敵国になった祖国からの送金は途絶え、ピアノ演奏の機会も異国からの客人だった時ほどには得られず、生活は困窮してゆく。また自然を愛し孤独を好む彼には米国での生活は水が合わず、渡米直後の《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》の協奏曲化以後は、作曲は全く進まなかった。1943年に入ると白血病を発症して療養生活を余儀なくされ、絶望的な状況に向かうかに見えた。

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 だが、この期に及んで米国の音楽家たちが援助の手を差し伸べた。自尊心の高い彼は施しを嫌ったが、ブダペスト音楽院の後輩で米国社会に適応したライナーとシゲティは、ボストン交響楽団常任指揮者クーセヴィツキーを介し、新作委嘱前渡金として当座の生活費を渡すことに成功した。こうして生まれた《管弦楽のための協奏曲》(1943) には、ヨーロッパ時代の代表作のような野心的な試みは見られないが、モダンオケの機能を生かしてバロック時代の合奏協奏曲を軽やかに換骨奪胎した手腕は見事で、今日では顧みられる機会が減った新古典主義後期の祝祭的な作品の中では例外的に、現在でも20世紀音楽トップクラスのポピュラリティを保っている。

 久々に大管弦楽作品を書き上げて自信を取り戻し、メニューインの委嘱で書いた無伴奏ヴァイオリンソナタ(1944) は最後の代表作になった。シャリーノ《6つのカプリース》(1976) をはじめ、20世紀においても無伴奏ヴァイオリン曲の大半はパガニーニやイザイの流れを汲むヴィルトゥオーソ小品だが、この作品はJ.S.バッハ直系の潜在ポリフォニー上に緻密に構築された大曲であり、中期を特徴付ける特殊奏法と後期を特徴付ける微分音が現代的な色彩を添えている。

 弦楽四重奏曲第7番、2台ピアノのための協奏曲(いずれも計画のみ)、ヴィオラ協奏曲(辛うじて補筆完成可能な草稿まで)など彼は多くの委嘱を受けたが、それよりも妻ディッタのためのピアノ協奏曲第3番(1945) を優先し、死の床で17小節のオーケストレーションのみを残すまで仕上げた。彼には珍しいシンプルで透明な音楽は、妻がソリストを務めることを前提にしたためでもあろうが、このような宗教的な簡素さは、《ミクロコスモス》の最良の数曲にも既に現れていた方向性であり、彼にあと数年の時間が残されていれば、この方向での探求をさらに深めていたかもしれない。


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# by ooi_piano | 2017-04-20 02:14 | POC2016 | Comments(0)