7/2(日) シベリウス交響曲第6番・第7番・「タピオラ」(ピアノ独奏版)


by ooi_piano
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コンコード散策の記───武田将明

  (・・・)昨日(2016年2月29日)はボストンから少し足を伸ばしてコンコードに行ってきた。ごく簡単に覚書を残しておく。

  ボストンからコンコードには鉄道で比較的簡単にアクセスできる。Harvard Squareから一駅のPorter SquareまでRed Lineに乗り、そこからFitchburg行きのcommuter railに乗り換れば、およそ30分でConcord駅に着く。commuter railの切符は片道8.5ドル。駅から町の中心部までは徒歩で10分〜15分くらい。最初に目に入るのはthe Concord Free Public Libraryという立派で趣きのある図書館(写真001)。そこから少し進んで左に入るとVisitor Centerがあるが、冬は閉まっている。ただし公衆トイレは利用できるので、サイクリストたちが休憩をしていた。町の中心部には景観を配慮した瀟洒な店舗や宿屋が並ぶ(写真002)。スターバックスやダンキンドーナッツまで、観光地仕様の色調になっていた。南北戦争の戦没者を追悼するモニュメントが大通りの中心にあり、ここが観光の基点となる。
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(※写真はクリックすると拡大表示されます。)

  今回の主要な目的はソロー関係の場所を訪ねることなので、まずはあのウォールデン湖(英語だとWalden Pondなのでウォールデン池とも訳せるが、やはり湖でないと気分が出ない)に向かう。途中、ソローの盟友(というか世話人?)のエマソンの旧家があり、いまは記念館となっているのだがやはり冬場はお休み(写真003)。ちなみに徒歩では遠いので行かなかったソローの生家跡もこの季節は中に入れない(もっともメールや電話で連絡すれば開けてくれるようだ)。それに対し、『若草物語』のオルコットの旧家は年中無休(写真004)。これは時間の関係で外から見学するに留めたが、周りには車が多く停まっていた。さすがの人気ぶり。
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  話を戻すとエマソンの家のあたりからウォールデン湖まではEmerson-Thoreau Ambleと名づけられた森の中の小道をたどって行くことができる。この道でなければ、交通量が多く、歩道もないような道路を歩かねばならないので、徒歩でウォールデン湖に向かう場合にはお勧めする。ただし、水辺は板や橋で整備しているとはいえ、途中にはぬかるんだ道もあるので濡れても大丈夫な靴で行くべき。このEmerson-Thoreau Amble、実際にこのふたりが通っていた道を再現したものらしく、気持ちのよい自然を満喫できる。きっと草木生い茂る夏場であれば、さらに愉快だろう。まあ、こんな季節にわざわざ徒歩で観光する人間はわたしくらいだったようで、ロマン派的寂寥感を味わうには最高の時期だったのかもしれない。特に往路では、時間が比較的早かったこともあり、1.6マイルほどをそぞろ歩くあいだほとんど人に会わなかった。

  (写真005-017)はAmbleの途中の写真。(写真5)Emerson Houseの裏手にある入口(空地の奥なので少し分かりにくい)。(写真009)途中、フェアリーランド池と呼ばれる場所があるが、これはウォールデン湖ではない。このあたりはソローがオルコット家の娘たちとベリー摘みを楽しんだ場所だという。(写真010)この近くに住んでいた解放奴隷の名にちなんで「ブリスターの湧き水」と呼ばれている場所。地下から水が湧いているらしいが、観察してもよく分からなかった。なお、この標識はとても小さくて分かりにくい。わたしは一度素通りしてしまった。(写真011)途中、「ソローの小路」なる別の散歩道の案内もあった。1マイルくらいの丘をのぼる道らしいが、ウォールデン湖まであと少しなので寄り道はしない。(写真012)途中、車道を渡ることもある。(写真013)しかしすぐにまた森に入る。車の音に包まれながら森林散策するのは不思議な感覚だ。(写真014)『ウォールデン』にも登場するソローの豆畑の跡。豆は一粒もなかった。(写真015)いよいよ湖が見えてきたが、いったん向きを変えてソローの小屋の跡地をみる。(写真016, 017)ソローが自給自足の生活を試みた小屋の跡。もっとも町から歩いて行ける場所なので、よくエマソンなどの友人と会ってはいたようだ。
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  (写真018-028)はウォールデン湖とその周辺。『ウォールデン』にも書いてある通り、湖面の色は場所によって緑や青に変化する。湖岸は細かい白砂か砂利に覆われている。砂浜のような場所もあり、夏には湖水浴を楽しむ人もいるようだ。小屋の跡地から湖をはさんだ対岸には鉄道の線路が敷かれている。脱文明の「聖地」には似つかわしくないが、実はソローがウォールデン湖に住む前年から同じ場所を鉄道が走っていた。そしてこの線路を通ってわたしもコンコードに来たことになる。湖岸を散歩していると、ときおり通過する電車によって静寂が破られた。ソローの小屋のレプリカは、湖から道路をわたった駐車場のとなりにあるので、徒歩で湖を訪ねる人はうっかりすると行きそびれるかもしれない。再現された小屋の近くにはvisitor centerがあるのだが、いまは改修中。近々"Thoreau"ly renewedされるというダジャレが湖岸の空気をさらに寒くしていたが、きっと夏にはにぎわうだろう。
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  空腹になったが、プレハブ小屋の売店にあった食べ物は3ドル50セントのチョコレートのみ。しかし徒歩圏内で売っている食べ物はこれしかなさそうだったので購入し、湖面を眺めながらハックルベリー風味のチョコという、なぜかマーク・トウェイン風?の貧しい食事をすます。

  帰路もEmerson-Thoreau Ambleを通る。Fairyland Pondで往路とは違う岸辺をたどったほかは、基本的に同じ行程。ただ、湧き水の名前の由来となった解放奴隷のブリスターが住んでいた家の跡を示す碑に立ち寄った。ウォールデン湖を出て車道をわたり、Ambleの道に入ってすぐ、左に折れる小路がある。そこを入ると間もなく、素朴な石の碑が立っていた。
  この時点で午後2時くらい。5時45分の電車で帰る予定なので、まだまだ観光できそうだ。

  Emerson-Thoreau Ambleを名前の通りのんびり歩き、またEmerson Houseの前に戻った。そこからLexington Roadを町外れの方に歩いて行くとLouisa May Alcott's Orchard House(写真101, 102)。季節外れでもここだけは車が何台も停まっているのですぐに分かる。ガイドつきツアーで中を見学できるが今回はパス。この季節に唯一開いている記念館をわざわざ外したのは、別に『若草物語』に含むところがあるわけではなく(まあ、特別好きとは言えないけれども──『ガラスの仮面』で北島マヤが演じた場面は脳裏に焼き付いているが──なんて言うとファンの方から顰蹙を買いそう)、他にいくつも回りたいところがあるからだ。
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  Orchard Houseの隣家を見学する人は当然のように誰もいないが、実はこのThe Waysideという建物も文学愛好者には見逃せない場所だ(写真103, 104)。Orchard Houseより前にオルコット家が住んでいただけでなく(そのころはHillsideと呼ばれていた)、オルコット家が一時期コンコードを去ると今度はThe Scarlet Letter(『緋文字』)の著者ナサニエル・ホーソーンも居住した家なのだ。ここは現在改修中。そもそも冬場は閉館だったはずだが。きっと観光シーズンまでには工事も終わるだろう。
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  ちなみにLexington Roadという名前からアメリカ独立戦争を連想した人は正しくて、まさにここコンコードとその近隣のレキシントンにおいて、アメリカ植民地軍とイギリス軍とが最初の戦火を交えている。1775年4月19日の出来事だった。
  それはさておき、Lexington Roadを引き返して三たび閉館中のEmerson Houseの横をすぎ(近所の人からは時代を超えたエマソンのストーカーと疑われたかも知れないが)、その道路の向かいにあるコンコード美術館に立ち寄った。大人は10ドル。小さいながらも煉瓦作りの建物も美しく(いい写真がなくて残念)、館内の説明も丁寧で、時間があればぜひ訪問すべき場所である。私の目当てはエマソンとソローの書斎を実際の調度品を用いて復元した展示だが、それ以外にも18世紀と19世紀を中心にしたアメリカの市民生活に関する展示や、先述のレキシントン・コンコードの戦いでイギリス軍の接近を警告するのに使われた伝説のランプなど、興味深いものを見ることができる。それから、この美術館の外にもソローの小屋のレプリカが作られていた(写真105)。ウォールデン湖のものと変わらないが、こっちの方が少し年代を感じさせた。
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  さて、目当てのエマソンとソローの書斎だが、自分としてはこれを見るだけで10ドルの価値は十分すぎるほどにあったと思う。エマソンの書斎は家族や友人との交流を感じさせ、彼の著作がまさに活発な議論から吹き出すようにあふれたものだと想像させる(写真106)。彼はいつも揺り椅子に座りながら膝の上で原稿を書き、子どもたちが周りで遊んでいても気にしなかったという。これに対してソローの「書斎」として展示してあるのは緑色の小さな机と椅子だけ(写真107)。さすがにある程度本は持っていただろうが、例のウォールデン湖の小屋にもこの机と椅子を運んで執筆していたらしい。また、家には鍵をかけないのに、この机の鍵だけはかならず閉め、他人に書き物を見られないように注意していたようだ(鍵穴の周りの塗装が剥げているのがその証拠ということだ)。この二人が無二の友人だったというのだから、ワーズワースとコールリッジの組み合わせにも匹敵する、最高の二人組ではなかろうか。そしてアメリカ文化の素人として無責任に言わせてもらうならば、このふたつの書斎の対比のうちに、アメリカ文化の美質が凝縮されているように思える。家庭と社交を重視し、親密な対話のなかから新しいものを創造する気持ちのよい自由と、余計なものを省き、独力で生の本質を摑もうとする厳しくも激しい探究心(これが本を積み上げた「書斎」で思索に耽溺するものとは異なり、外界との風通しが意外によい──家に鍵をかけない──のも重要だろう。ソローの偏屈さにはスティーヴ・ジョブズを思わせるところがある)。明らかに矛盾するようだが、これが両立できたことによって、アメリカという「交通」と「自然」(ただしこれは文明と未開の対比とは似て非なるものだ。ソローの著作には、ネイティブ・アメリカンや解放奴隷に対する共感が率直に示されている)を空前の規模で抱え持つ人工国家はひとつの新しい文明を築くことができたのだ。

  といったあやしげな文明論を妄想しながら美術館を後にして、エマソン、ソロー、ホーソーン(ちなみに彼は立ったまま執筆していたらしい)、オルコットの眠るスリーピー・ホロウ墓地へと向かう。時刻は午後4時。帰りの電車が気になりはじめるが、いったん町の中心に向かってLexington Roadをさらに引き返し、別の通りに入ると間もなく「スリーピー・ホロウ墓地」と書かれた看板が目に入った(写真108)。実は墓地に到着する前、iPadで地図を見ながら歩いている私を見た地元の人が「Authors' Ridgeは墓地の奥だよ」と声をかけてくれていたので、「奥」を目指して進む。ところがこの墓地、あまりに広すぎてどこが本当の「奥」なのかよく分からない。間違えてまだまだ手前のところで丘を上がったりしながら、ようやくAuthors' Ridgeの標識を発見した(写真109)。「作家の丘」とでも訳せるこの言葉から分かるように、上記の文筆家たちの墓はすべて小高い丘にある。
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  丘を上がってすぐ目に入るのが、向かい合ったソローとホーソーンの墓。ソローの墓は、比較的大きな家族の墓標のまわりに、それこそiPadくらいの大きさしかない個人の墓標が並んでいる(写真110, 111)。それも"Father"と"Mother"という個人名のないものまで。ホーソーンの墓も家族と一緒だが、(私の確認不足でなければ)Nathanielと明記された墓標はなかった(写真112)。また、(これもいつできたのかは知らないが)なぜかホーソーン家の墓には鎖がめぐらされていて、足を踏み入れるのがためらわれた(写真113)。謎めいた『緋文字』の作者らしい墓地と言えばそうなのだが。ソロー家の墓からひとつふたつ隔てたとなりにオルコット家の墓がある。こちらも大きな墓標のまわりに個人の墓標が並び、あのルイーザ・M・オルコットの墓標はこれもなぜか二種類あり、いずれも大作家らしからぬ慎ましさだった(写真114-116)。一輪の花の周りに何本もの鉛筆が供えられているのが微笑ましい。エマソン家の墓はすこし先、Ridgeのなかでも一等地にあり、ここはいまでも子孫の墓標が増え続けている様子で、墓場でさえも賑やかな印象を受けた(写真117, 118)。エマソン個人の墓はひときわ大きく、また特別な石を使ったもので、実は裏手に回らないと墓標と分からなかった(写真119)。
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  迷ったこともあり、時刻は午後4時45分。帰りの電車までちょうど1時間。これまでチョコレートだけでさんざん歩き回ったことを思うとそろそろ駅前にもどってコーヒーでも(あるいはビールでも)飲みながら電車を待つのが賢明かと思ったが、コンコードといえば見なければならないものがもうひとつあるので、早足でそこに向かう。また一度町の方面に戻り、そこからMonument Streetを北上すると、15分くらいで(かなり急いだので、普通の徒歩だと20分くらいか)The Old Manseという建物に到着する(写真120)。ここはエマソンの祖父の代からエマソン家が住んでいた場所で、後にはホーソーンも住むことになる(先述のThe Waysideよりも前である)。当然のごとくここも休館なのだが、入口には"Closed"という看板の下に"Welcome!"と書かれた黒板があった(写真121)。これはニューイングランド風のアイロニーだろうか。どこかホーソーンっぽい感じがする。さて、このOld Manse、とてもよさそうな建物だったので、観光シーズンにコンコードを訪ねる人は、少し足を伸ばしてぜひ見学すべきだろう(写真122)。近くには川が流れており、ボートを出すための小屋もいい感じで保存されている(写真123)。ちょうど夕暮れを迎え、うらぶれたボート小屋の向こうから差す夕陽が川べりを彩りはじめた(写真124)。
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  このボート小屋のとなりにある桟橋からはOld North Bridgeが見える(写真125, 126; 写真127は逆にOld North Bridgeからボート小屋を見たもの)。この橋こそ、件のレキシントン・コンコードの戦いで植民地軍がイギリス軍に発砲し、撤退に追い込んだ場所である(写真128-131)。ここで放たれた数発の銃声が、結果的には世界史を変えたことになる。エマソンの祖父と父は、Old Manseからその戦闘を目撃したという。だから、先ほどエマソンとソローの書斎を見て、アメリカ文明の縮図のようだと妄想したが、それは歴史的に見てまったく無根拠な話でもないらしい。ここコンコードはTranscendentalismの文化的中心となる前に、アメリカ独立の発端ともなっていたし、このふたつはOld ManseとNorth Bridgeという形で物理的に隣接さえしていたのである。エマソンを賢者と呼び、ソローを隠者と呼ぶのは必ずしも間違いではないが、その呼称によって彼らの活動の背景に広がっていた歴史のうねりが見えなくなってはいけないだろう。
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  これでざっくりとしたコンコードの報告を終える。どうにか早足で駅に戻り、ほとんど待たずに帰宅の電車に乗った。どうしてもビールが飲みたくなり、ケンブリッジ(もちろんイギリスではなくマサチューセッツ州の方)に戻ってから入ったパブの名前がなぜかPeople’s Republic(写真132)。オーナーが共産主義者というわけでもなさそうだが(ちなみにカード不可)、これがジョークとして受け容れられるのは、ここがアメリカでも特にリベラルな町だからだろう(そういえばコンコードにはバーニー・サンダースを応援する看板がちらほら見られた──と書いてから、今日(2016年3月1日)の大統領選挙の候補者争いの結果をみたら、マサチューセッツ州で共和党はトランプが圧勝。。。民主党はクリントンとサンダースがかなり熾烈な争いを繰り広げた末に、前者が勝利した)。現金の持ち合わせがなく、ATMで下ろすのも面倒(もう歩きたくない)だったので、一番安いフレンチフライとギネスを注文(しかしすごい食生活だな)。黙々と食べはじめたらとなりに座っていた人から「ポテトだけ食べるの!?」と驚かれた。それからなぜか1時間ほど話したが、南部の高校を出て学年でひとりだけ地元を離れてMITに入り、いまはここでスピーカーを作っている人だという。ギネスが好きなようで、私を同好の士と認めてくれたらしい。いろいろと楽しい話を聞いたが、それはまた何かの機会に。「ここは俺が持つから好きなだけ飲んでくれ」と言ってくれて、ギネスを3杯飲むことになった。私のグラスが空くと、こちらが何を言わずとも「彼にギネスを」と注文してくれた。おかげで大量のフライドポテトとギネスという、おそらく今後経験できないようなジャンクなディナーを楽しませていただいた。もっとも、彼自身は2杯目からバーボンと水の組み合わせに移行していたのが少し解せなかったけれども。(たけだ・まさあき、英文学)
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# by ooi_piano | 2016-11-14 11:57 | POC2016 | Comments(0)
c0050810_11314916.jpg2016年11月16日(水)18時20分開演(17時50分開場)《美術と音楽の西洋史》
静岡文化芸術大学・講堂(浜松市) 入場無料 /申込不要(直接会場にお越しください)
[レクチャー講師]立入正之(芸術文化学科准教授)、上山典子(芸術文化学科講師)
http://www.suac.ac.jp/news/event/2016/01040/
http://www.suac.ac.jp/news/event/2016/01040/file/8331/bijutuonngakuseiyoushi.pdf


〈演奏曲目〉
●アルノルト・シェーンベルク=米沢典剛:《映画の一場面のための伴奏音楽 Op.34》(1930/2016、ピアノ独奏版・世界初演) 約9分
  〈迫り来る危険 Drohende Gefahr〉 - 〈不安 Angst〉 - 〈破局 Katastrophe〉
●アントン・ウェーベルン=米沢典剛:《交響曲 Op.21(1928/2016、ピアノ独奏版・世界初演)   約8分
  I. 穏やかに、歩むように - II. 主題と7つの変奏
●アルバン・ベルク=米沢典剛:《抒情組曲〔全6楽章〕(1926/2016、ピアノ独奏版・世界初演)   約30分
  I.Allegretto gioviale - II. Andante amoroso - III. Allegro misterioso / Trio estatico - IV. Adagio appassionato - V. Presto delirando / Tenebroso - VI. Largo desolato
  

  ヨーロッパの芸術文化の歴史において文化運動や様式などを特徴づける「ルネサンス」、「バロック」などの用語は美術、音楽、建築などの領域に幅広く使われていますが、分野により地域や年代に差異が認められます。 2016年度は、「後編」として全3回にわたりヨーロッパの美術と音楽について「ロマン主義」、「印象派」、「現代」という3つのキーワードにより解説します。また、各回のセミナー後半では各様式の音楽作品を鑑賞していただきます。

【お問合せ先】 静岡文化芸術大学 地域連携室(担当 冨田) TEL:053-457-6105 E-mail:acrc@suac.ac.jp
【交通アクセス】 駐車場はございませんので、車での来場はご遠慮ください。(公共交通機関又は他の駐車場をご利用ください。) http://www.suac.ac.jp/access.html


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音楽学者の白井史人氏(早稲田大学助手)から、雑誌『音楽学』第61巻(2015)に掲載された論文の転載御許諾を頂きました。
(全文pdf) http://ci.nii.ac.jp/naid/110010050854

【題名】シェーンベルク《映画の一場面のための伴奏音楽》の作曲過程とその背景 ――未発表の構想メモと 1920 年代の映画の伴奏音楽との関連――
【著者】白井史人(早稲田大学演劇博物館演劇映像学連携研究拠点・研究助手)
【要旨】
 アルノルト・シェーンベルク《映画の一場面のための伴奏音楽 Begleitungsmusik zu einer Lichtspielszene》作品 34 は,1929 年秋から 1930 年 2 月にかけて作曲された。全曲が 12 音技法に基づき,「迫りくる危険」「不安」「破局」という 3つの副題が添えられているが,特定の映画のための伴奏音楽ではなく,演奏会用作品として作曲された。
  先行研究では,シェーンベルクは副題間の場面展開を考慮していないとされてきた。しかし,2011年出版のシェーンベルク著作目録で,副題と深い関連を持つ「構想メモ」の存在が発表された。本論文は,この構想メモの記述を手掛かりに,《映画の一場面のための伴奏音楽》と 1920 年代の映画伴奏の言説・実践との関連を明確化することを目的とする。
  第1 節では,ラオホ(Rauch. Die Arbeitsweise Arnold Schönbergs, 2010)の分析方法を参照し,草稿に基づく作曲過程の分析を行った。「構想メモ」の検討を通じてシェーンベルクが 3つの副題の間に場面展開を構想していたことを示し,その場面展開を強調していく推敲過程を明らかにした。第 2 節では、シェーンベルク自身や後妻・ゲルトルートのスケジュール帳,トーキー映画技術者であるグィド・バーギエの遺稿の調査を通じて,1920 年代のシェーンベルクと映画産業との人的交流を示した。無声映画からトーキー映画への移行期に,シェーンベルクがトーキー映画へ高い関心を示した点が明らかになった。第 3 節では,本作の成立の背景となる同時代の映画館での伴奏音楽の実践・言説を,映画音楽専門誌『フィルム・トーン・クンスト』を中心に検討した。同時代の実践・言説が,伴奏項目の恣意的な羅列に対する批判や映画作品全体に即した劇的展開を重視するなど,本作と共通する傾向を持つ点を明らかにした上で,音楽語法や楽曲の抜粋法の面で大きな齟齬がある点も指摘した。



(※クリックすると拡大表示されます。)
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# by ooi_piano | 2016-11-12 11:24 | POC2016 | Comments(0)
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HIROAKI OOI pedal clavichord recital
大井浩明 ペダルクラヴィコード・リサイタル


http://wmusic.jp/concert.html#35kai

●栃木公演 西方音楽館 木洩れ陽ホール
2016年10/23(日)14:30開演(14:00開場)
https://www.facebook.com/events/326810837674056/
●東京公演 東京オペラシティ 近江楽堂
2016年10月31日(月)18:30開演(18:00開場)
https://www.facebook.com/events/296738530710056/

【お問合せ】 
西方音楽館 Tel 0282-92-2815 http://wmusic.jp/
〒322-0601栃木県栃木市西方町金崎342-1
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《プログラム》
J.S.バッハ(1685-1750):トリオ・ソナタ集(全6曲) BWV525-530 (1730)

トリオ・ソナタ第1番 変ホ長調 BWV 525
   (Alla Breve) - Adagio - Allegro
トリオ・ソナタ第2番 ハ短調 BWV 526
  Vivace - Largo - Allegro
トリオ・ソナタ第3番 ニ短調 BWV 527
  Andante - Adagio e dolce - Vivace
  (休憩)
トリオ・ソナタ第4番 ホ短調 BWV 528
  Adagio/Vivace - Andante - Un poc'allegro
トリオ・ソナタ第5番 ハ長調 BWV 529
  Allegro - Largo - Allegro
トリオ・ソナタ第6番 ト長調 BWV 530
  Vivace - Lente - Allegro
パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582 (1712)

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Johann Sebastian Bach: Six Trio Sonatas BWV525-530 (1730)
Trio Sonata No. 1 in E-Flat Major, BWV 525
Trio Sonata No. 2 in C Minor, BWV 526
Trio Sonata No. 3 in D Minor, BWV 527
(intermission)
Trio Sonata No. 4 in E Minor, BWV 528
Trio Sonata No. 5 in C Major, BWV 529
Trio Sonata No. 6 in G Major, BWV 530
Passacaglia in C Minor, BWV 582 (1712)

使用楽器:ヨーハン・ダーフィット・ゲルステンベルク1760年専有弦ペダル・クラヴィコード(ライプツィヒ大学楽器博物館蔵)/小渕晶男によるレプリカ、2016年
  Akio Obuchi 2016 Unfretted Pedal Clavichord after Johan David Gerstenberg, 1760 (Museum für Musikinstrumente der Universität Leipzig)

チラシ表面 pdf    ・チラシ裏面 pdf


大井浩明(ペダル・クラヴィコード)  Hiroaki OOI, pedal clavichord
c0050810_2114370.jpg  京都市出身。スイス連邦政府給費留学生ならびに文化庁派遣芸術家在外研修員としてベルン芸術大学(スイス)に留学、同芸大大学院ソリストディプロマ課程修了。チェンバロと通奏低音をディルク・ベルナーに、オルガンをハインツ・バッリ、ダニエル・モレの両氏に師事。ミクローシュ・シュパーニ、ルイジ・フェルディナンド・タリアヴィーニ、ヤン・ヴィレム・ヤンセン等の講習会を受講。
  ヒストリカル・クラヴィコードにおいて世界的に最も意欲的な活動を行う奏者の一人であり、NHK-BS「クラシック倶楽部」にてベートーヴェン:《選帝侯ソナタWoO47》が放映された他、リサイタルではJ.S.バッハ:《平均律クラヴィア曲集第1巻》(全曲)、《同第2集》(全曲)、《6つのパルティータ》、《ゴルトベルク変奏曲》《フランス序曲》《イタリア協奏曲》、《イギリス組曲》(全6曲)、C.P.E.バッハ:《ヴュルテンベルク・ソナタ集》(全6曲)、ハイドン:《エステルハージ・ソナタ集》(全6曲、レクチャー/伊東信宏)、モーツァルト:連弾ソナタ集K.19d/K. 381/K.358/K. 501/K. 521 (共演/上尾直毅)等を取り上げている。J.S.バッハ:《フーガの技法》(全曲)のヒストリカル・クラヴィコード(ヨリス・ポトフリーヘ製作ザクセン様式専有弦モデル)による世界初録音CDは、国際的に高い評価を得た(2008年9月/ベルギー・聖セルヴァティウス修道院)。また、バッハのクラヴィコード教授法に関するフリードリヒ・コンラート・グリーペンケルの記述(1819)ならびにミクローシュ・シュパーニによる注釈(2001)を邦訳し(2004年6月)、雑誌《ムジカ・ノーヴァ》等やウェブ上で奏法論についての考察も発表している。2014年3月には、クラヴィコード独奏のための福島康晴《楽興の時》(全3楽章)の委嘱新作初演を行なった。
  オルガン奏者としては、クセナキス:《グメーオール》日本初演(川口リリアホール)がTV(CX系「とくダネ!」)・雑誌(週刊新潮他)で広く紹介され、サンサーンス:交響曲第3番《オルガン付き》独奏(大阪、ザ・シンフォニー・ホール)、ジャン・ギューらと参加したデュドゥランジュ大聖堂オルガンフェスティヴァルでのリサイタル(ルクセンブルク)、京都大学創立記念行事音楽会でのリサイタル(ヴィドール:《オルガン交響曲第6番ト短調》他、京都コンサートホール大ホール)、オムロン・パイプオルガン・コンサートシリーズでのリサイタル(J.S.バッハ:《ドイツ・オルガン・ミサ》全曲、京都コンサートホール大ホール)、委嘱新作初演を中心としたリサイタル(シェーンベルク:《レチタティーヴォ主題による変奏曲Op.40》他、淀橋教会小原記念聖堂)、中全音律バロック・オルガンによるフレスコバルディ:《音楽の花束》全曲公演(日本基督教団本郷教会)等を行っている。 公式ブログ: http://ooipiano.exblog.jp/


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(西方音楽館・会報より)
10月23日、31日にペダルクラヴィコード・リサイタルを行っていただく大井浩明氏へ、ペダルクラヴィコードについてご質問しました。

---練習楽器としてはどう思われますか?

c0050810_21151559.jpg  ペダルクラヴィコードは、響きがやや異なる通常のクラヴィコード(手鍵盤)2台が積み重ねられ、その下に足鍵盤による低音クラヴィコードを合体したものです。ゆえに、鍵盤間の連結装置(カプラー)はありません。足鍵盤は通常より横幅が広く、下鍵(白鍵)に比べ上鍵(黒鍵)の位置が高目で、足の縦方向の稼動域も狭いため、どのみち踵(かかと)を使うのは困難に思えます。足鍵盤も手鍵盤と同様に繊細なタッチが求められます。もしこれがオルガン用の練習楽器であるなら、「最上度の鍛錬になる」ことは確かです。手鍵盤部は分離しても使用可能ですので、そのまま《平均律》や《フーガの技法》も演奏出来ますね。西洋音楽史の根幹に位置する、伝説の楽器を目の当たりにするのは、私にとっても素晴らしい体験です。現代のピアニストがチェンバロやクラヴィコードに面食らうのに喩えれば、(言い方は変ですが)ペダルクラヴィコードはあたかも「古楽器のオルガン」に触れたかのような衝撃でした。

---演奏楽器としてはどう思われますか?

c0050810_2116796.jpg  パイプオルガンが教会の豊かな残響の彼方で高らかに吹き鳴らされているのに対して、ペダルクラヴィコードでは耳元でヒソヒソと内緒話をささやく感じで、二者には大きな時空間的なへだたりがあります。どちらでも成立するように書かれているのが、バッハの譜面の面白いところです。オリジナル楽器を精査なさった小渕晶男氏によるレプリカは、ペダルクラヴィコード独特のニュアンス、アーティキュレーション、音色など、弾き手・聴き手ともに想像力をかきたてられる、多様な可能性を秘めていると思います。

パイプオルガンで演奏されることが圧倒的に多いJ.S.バッハのトリオ・ソナタ、パッサカリアが、大井浩明氏の手でどのような音楽に姿を変えるのか、ぜひ聴きにいらしてください。




製作うらばなし───小渕晶男

c0050810_2117143.jpg  クラヴィコードは今まで共有弦型、占有弦型合わせて30台近くを製作してきたが、ペダルクラヴィコードは今回初めてであった。ペダルクラヴィコードの歴史としては14世紀にすでにその存在を示唆する文献が残っている。現在残された歴史的な楽器としては1760年のGerstenberg, 1815年のMarckhert, 1844年のGlück製作によるものなどがいずれもドイツに保存されている。ザクセンのドレスデンとライプツィッヒのちょうど中間にあるゲリングスヴァルデのGerstenbergの楽器は手鍵盤2段と16フィートの付いた足鍵盤を備えたオルガン製作者Gerstenbergならではの作品でその大きさ、構成からひときわ存在感のある楽器である。
  この楽器に関しては近年ヨーロッパを中心に数台の復元楽器が製作されている。ヨーテボリのオルガン研究所のJoel Speerstraの描いた図面には有用な情報が多く含まれており、製作に当たっては大いに参考にさせていただいた。しかしながら、図面に表し切れていないか、あるいは理解しきれない箇所があり、どうしてもオリジナルを見ないと正確な復元は難しいと判断し、以前にサルテリオの採寸などで便宜を図っていただいた、ライプツィッヒのGRASSI博物館のMarkus Brosig氏に再び調査依頼をしたところ、そういう仕事なら、誰にも邪魔されない休館日の月曜日に来ると良いといって休みの日にわざわざ開けていただいた。そればかりでなく、Speerstraが同楽器の調査をしたときの指導教官であるエディンバラ大学のJohn Barnesが独自に書いたこの楽器に関する研究論文とその時に撮影した大量の写真のコピーを取らせていただいた。
c0050810_21174966.jpg  オリジナル楽器に当たらなければなかなかわからないことの一つに弦張力による楽器の変形という問題がある。John Barnesはこのことに関しても研究論文の中で彼が調査した時の変形量を記述している。そして、今回実際の楽器に当たってそれを確かめることが出来た。2台の手鍵盤楽器と16フィートを含む足鍵盤楽器はいずれも1台当たり約100本の弦が張られており、弦による張力の総和は1台当たり500Kgほどになる。クラヴィコードはその構造上弦の張力によって楽器の底板が、下に凸になるように変形する。その変形量がわかっていれば、組み立てる前にあらかじめ底板を反対向き、すなわち底板を下の面がへこむように弓なりに変形させておくことが出来る。足鍵盤楽器については全長が長いので、あらかじめ変形させておくだけでは長い年月のうちに変形が進む可能性を考えて、オリジナルには無い補強を入れた。
  ザクセンの楽器の多くは広葉樹を使っているが、この楽器は針葉樹を用いている。今回の製作に当たっては、近くに住む古民家移築なども手掛ける若い大工の資材置き場に長い間眠っていた十分エージングされた木材を使うことが出来たのは幸運であった。
  最後に今回この復元製作の機会を与えていただいた西方音楽館の中新井紀子さん、横山博さんに感謝します。

小渕晶男 Akio OBUCHI
c0050810_21182263.jpg  1969年よりチェンバロの製作を始め、75年にヨーロッパ各地の博物館や製作家を訪ねて以来、歴史的な楽器から学ぶ事を基本に現代に残る歴史的楽器のレプリカ、および時代的地理的に特徴付けられるスタイルの範疇の中で製作を行っている。 復元製作にあたっては、オリジナル楽器の外面的な再現だけでなく、製作者の製作意図を復元することが出来ればそれが理想と考えている。全ての工程において常に最終的な音のイメージを持ちながら作業を進めることを心がけている。 1993年にレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿に見られるヴィオラオルガニスタ(ガイゲンヴェルク)の試作を行って以来、音程とダイナミックスを奏者がコントロールできる鍵盤楽器への素質を持ったこの楽器に対する夢を捨てきれずに継続的に擦弦鍵盤楽器の研究と製作を続けている。バロック時代の打弦楽器サルテリオや15世紀に描かれたチェンバロやピアノの源流と考えられる弦を弾く叩くの双方を備えた、クラヴィシンバルムの製作も行っている。
  1971年日本大学大学院理工学研究科修士課程修了。音響メーカーにて電気音響変換機の研究開発、多国籍サービス会社にて石油、天然ガスの音響探査機器開発に従事。その後、携帯電話事業者に勤務の後2004年退職して以降、この間限られた時間を活用して継続してきたピリオド鍵盤楽器の研究および製作に専念。現在はクラヴィコードを中心に製作を行っている。American Musical Instrument Society会員。公式サイト:http://obuchi.music.coocan.jp/


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【関連リンク】
クラヴィコード公演《平均律第1巻》プログラム・ノート [2005.02.01]
クラヴィコード公演《平均律第2巻》プログラム・ノート 「平均律と吉本漫才の比較論」 [2006.08.20]
J.S.バッハのクラヴィコード演奏法・教授法 [2004.06.17]
[再掲] バッハのクラヴィコード教授法 (上)(中)(下)
  ――「バッハ・タッチ」について(ムジカ・ノーヴァ誌2006年1月号)  [2006.01.20]
  ――「バッハ・タッチ」補説  [2006.01.06]
●バッハ:フーガの技法 大井浩明インタビュー(英文)   同・日本語版 [2009.03.31]
同盤:古楽専門誌《アントレ》2009年9月号での神倉健氏による批評文 [2009.12.16]
●クラヴィコード公演ツイート集  J.S.バッハ:《6つのパルティータ》  《イギリス組曲(全6曲)》  《ゴルトベルク変奏曲》  C.P.E.バッハ:《ヴュルテンベルク・ソナタ集(全6曲)》  J.ハイドン《エステルハージ・ソナタ集(全6曲)》
■クラヴィコードによる平均律第2巻公演の感想ブログ集(2006年)
 http://bloomingsound.air-nifty.com/ongei/2006/09/20060906_c58f.html
 http://suralin.blog48.fc2.com/blog-entry-77.html
 http://www.oekfan.com/review/2006/0901.htm
 http://baybranch.exblog.jp/3704211/
 http://blog.goo.ne.jp/kananagano/e/5bdf317dd069f1f2bc8bdd2ddf69a27a
 http://okaka1968.cocolog-nifty.com/1968/2006/09/post_3bd1.html
 http://onkichi.exblog.jp/3735118/
 http://umeokagakki.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_4a3a.html
 http://blog.nsk.ne.jp/suzu/archive/month200609.html



(続き) ペダルクラヴィコードをめぐって───横山博

    
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# by ooi_piano | 2016-10-18 02:37 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)