8/25(金) ソラブジ《オープス》& 古川聖《ノベレッテ集》完演


by ooi_piano

(承前)

2-b.  各部位を連動させるための導入エクササイズ

c0050810_1338159.jpg   2-aの条件下で、手首~肘~肩甲骨を連動させるエクササイズを導入していきます。
   エクササイズといっても単純なもので、手首を誰かに持ち上げてもらい、左右に軽く揺すってもらうだけです。手首に合わせて肘~肩甲骨がブラブラ揺れていれば、もうオッケーです。ただ、これが案外難しい。様々な方々と脱力セッションをさせて頂いて、ほぼ共通していたのは、ある年齢以上ではどうしても肩が固くなることでした。その場で一時的にやわらかくすることは出来ても、ピアノの前に座るとまた固くなったり、奏法に落とし込めなかったり、等々。手首を「置く」だけで鍵盤が押し下がるためには、「置く」アクションに逆らう筋肉は全て緩めることが前提となります。余計な筋肉が突っ張ると、それだけ「置く」アクションの効率が阻害されるからです。
   効率的に腕を動かす、というのは、出来るだけのたくさんの部位の筋肉を、最小限ずつ使用することです。特定の少ない部位の筋肉を精一杯動かそうとすると、痛くなったり動かなくなったりする。腕が軽い、とは、沢山の部位がちょうどバランス良く参入している状態を意味します。
c0050810_13392556.jpg   解剖図を見ながら××筋を動かし××筋を動かさないように、と思ってみても、特に肩周りでは、そうは簡単にことは運びません。付加的な指令を脳から発信するのは諸刃の刃(やいば)で、使用は限定した方が良いでしょう(次章参照)。動きを支える部位の準備が出来たら(前章参照)、あとは筋肉が勝手に回りだしてくれるのを待つのがベストです。勝手に動いてくれたときが、筋肉の組み合わせが最も効率化されているからです。
   困ったことには、突っ張った筋肉は緩められて初めて、突っ張っていたことが分かります。各部位の筋肉の質は人それぞれであり、しかも今日と明日で状態が変わる。注意深いストレッチとは、往々にしてアクションの反対側に位置する、縮まなくて良い筋肉をじっくり解除し、各部位の可動域を広げていくことです。実のところ、体が動く動かないの問題解決は、それに尽きます。注意深いチェックとは、脳の可塑性を活用した、神経回路の再構築に他なりません。味噌汁を作る前に慎重に出汁を取る程度の、慣れれば当然、慣れてなければ面倒、わずかな手間隙・味見が必要な準備作業のことです。そのあたりを含み込みながら、肩周りを緩めていきましょう。


●誰かに揺さ振ってもらう場合
c0050810_13414757.jpg   以下、揺する側(A)・揺すられる側(B)の視点を、適宜シフトしながら書いていきます。いま揺する側(A)は人間を想定していますが、最終的にはこの(A)は楽器そのものです。すなわち、「ピアノに手をつかまれ、揺さ振られている」、という見方です。
   まずBは直立して、両腕をラクに垂らします。【1】AはBの手首を、前方の鍵盤位置の高さくらいまでゆっくり持ち上げていきます。そして元へ戻す。【2】再び手首を鍵盤位置まで持ち上げ、その高さで高音域(右方向)、低音域(左方向)へゆっくり動かす。同様に【3】上下、【4】前後へも移動させます。このとき、手首の移動にともなって、前章の「肩周りのリラックス」、ホウキの上で軽やかにバランスを取るカボチャを意識しましょう。
   【5】次に、鍵盤位置まで持ち上げた手を、その位置で軽く左右に揺すってもらいます。そのまま軽く揺すり続けながら、手首の位置を【6】左右、【7】上下、【8】前後に移動させます。【1】~【4】の場合と、【5】~【8】の場合に、背中周り・肩周りに何か違いが起きたか、観察してみましょう。
   そののち、今度は椅子に座って同じことを繰り返します。立った時に比べて座った際に何か不都合があったなら、2-aの「腰周りのリラックス」を意識してみましょう。以下、【1】~【8】での注意点など。

c0050810_13425745.jpg   【1】・・・ AがBの手に触れる前に、既にBが手を差し出して来ることがあります。両腕は全行程を通じて、ブランと垂れ下がったままにしてもらって下さい。赤の他人に手を握られる心理的抵抗感、あるいは、急に腕に放されてその落下の衝撃を受ける恐怖(=高所恐怖症の一種)から、脇や腕を硬くしてしまわないようにしましょう。腕の「脱力」を確認するため、ピアノ教師が生徒の腕をガッと持ち上げ、急に放して自由落下するかどうかテストすることがありますが、果たして、一般に演奏中も始終その「落下状態」は守られているでしょうか。
   変位(動かす)の直前に、まずはBに息を吐き切ってもらいましょう。息を吐き切ったタイミングを見計らった直後、空気が体の中へ自然と入り込んでくる(=Bが息を吸う)のと平行して、手首を持ち上げていきます。アクションの前に、就寝時に息を吐き切った際の体の状態を再現して下さい。そこがエクササイズの出発地点です。そして、今度は息をゆっくり吐き出すのと同時に、腕を下ろしていく。それが出来たら、今度は呼気と吸気のタイミングを逆にしてみましょう。
   一連のプロセスにおいて、「頭は空中にしろしめし、体はただ事も無く平和」、という遠隔操作感が大事です。妙な突っ張りは解除してゆくべきですが、それ以外は一切何もせず、BはAのなすがままにしていること。AがBに、「息をゆっくり吸いながら」「息をゆっくり吐きながら」「顔は正面を向いたままで」「はいもっと力を抜いて、もっと抜いて、さらに抜いて」「へその下から息を出し入れして」「突っ張っているところをちょっとずつリリースしていって」などと、声をかけるのも効果的です。ふわふわ、どろどろ、にゅー、どーん、びよーん等の擬態語を、AのみならずB自身が口に出してストレッチするのも、ときにあっけないほどの変化を齎すようです。音楽的には、ティラリ、リララ、ディヤダ等の口三味線で、アーティキュレーション・節回しが全く違ってくることに相当します。
   手の位置を変化させる際、諸関節が適切に動いているかどうかを判別するのは、素人の手に負えることではありませんので、厳密には専門家に当たられることをお勧めします。

c0050810_13434297.jpg   【2】~【4】・・・ AがBの右手を取って高音域側へ動かそうとすると、右脇が閉まってAの手を引っ張り返してしまう(【2】)。鍵盤位置から手首を上へ持ち上げていくと、今度は吊り橋のように垂れているべき肘がリキんで外側へ張り出し、脇が開く(【3】)。手首の位置を胴体側へ押し込んでいくと(=手押し相撲)、肩と肘が背中方向へ退却し受け流すことなく、脇が締まり、胸の手前で肘が折り畳まれてしまう(【4】)。 ・・・というのが、よくあるパターンでした。
   このうち最も問題なのは、手を左右に腕を動かすときに肩甲骨周りが固くなり、移動がぎごちなくなったり、鍵盤に手を押し付けてしまうことでしょう。右手の場合、高音域という遠い見知らぬ場所を、「弱い」指(小指・薬指)で弾かねばならない、という心理、また左手の場合は低音域を爆音で弾きたい、という心理が、跳躍のための硬直やらオクターヴ用の硬直やら(前述)と組み合わさって、脇の締め付けを起こしています。そもそも、ベートーヴェン時代までの鍵盤楽器の高音域は、元々細く薄くなるよう設計されていましたので、左手を柔らかく右手をたっぷりと輝かしく弾くのが上級者、という考え方も、わりと最近の話です。右手が鍵盤中央を弾く際のI.B.をI.B.(x=0)、そこから30cm右方向を弾く際のI.B.をI.B.(x=30)とすると、右手を鍵盤中央から右方向へ30cm跳躍させるためには、その跳躍直前にI.B.(x=0)からI.B.(x=30)へと、胴体の中で準備作業が出来ていなければなりません。細かいアーティキュレーションを施すための浮遊する手首を体感するためには、鍵盤表面上の爪先グリッサンドでノイズを立てるラッヘンマン《ギロ(グエロ)》を練習してみると良いでしょう。白鍵の表面を高速で爪先グリッサンドしても、実音が決して出ないようにすること。x=0のポジションからx=30のポジションへの移動を練習する際、ほどよい等速で《ギロ》式に滑っていくのは、keyboard mappingにも大いに役立ちます(これはオルガンの足鍵盤も同様です)。
  腕が横方向に引っ張られたとき、その変位を受け流すには、体の中心線を意識してみると良いでしょう。背骨が上方向と下方向に延長され、体全体が垂直方向に串刺しになっているとイメージします。手が引っ張られると、串を中心に筋肉・内臓はくるくる回る。体を捻(ひね)らない、という考え方は、武道の順体、相撲の調体(てっぽう)、歌舞伎の六方(ろっぽう)、ナンバ歩き等にも見られる智慧です。

c0050810_13445017.jpg   【5】~【8】・・・ 手首を揺すられたときに肩甲骨がブラブラと連動してくれない、あるいは揺すられると手首位置の移動に支障が生じたりするのは、硬い肩、すなわち首周りの緊張に起因しています。肩が「開端」していないことにより波動が堰き止められていることは、Bには自覚出来ていなくても、Aは如実に手元で感じることが出来ます。縄跳びの縄を左右に振ってヘビごっこをする際、縄の一方が結び付けられているかどうかは、手元ですぐ判別出来るのと同様です。
   他人によって肩甲骨が揺すられること、すなわち、気道に近い筋肉がぐにょぐにょ動かされるのは、慣れないうちは恐怖、少なくとも不愉快なことです。そんな生命線に近いところ(=喉)が吊り橋の一端となっているなど、考えたくない。動くにしても、もうちょっと手前が動いて欲しい。そもそも、いつも動いていないところ(=慣れないところ)は、他人はおろか、自分自身でも動かすのは億劫なものです。かくして首周りを固めてしまう。
   また、「腕の付け根」というものが、肩あるいは脇の固定された「一点」だと思っているため、肩甲骨をまるごとペロンと動かすことを無意識に拒絶してしまう。これは解剖図などを見れば一目瞭然ですので、知識で誤認を解決出来る範囲ではあります。
   リラックスということでは、BがAの膝に乗り、背中側から二人羽織のように手を握られ、揺すってもらうのが理想的かもしれません。ぶらぶら手首を揺すりながら、AがBの肩甲骨あたりにもう一方の手を添える、あるいは肩甲骨近くに手をかざすだけで、Bの動きに変化が起こることがあります。言葉と体温と催眠ペンダントで、ひとは幾らでも暗示にかかる、ということでしょう。

   応用編としては、たとえばB自身が左腕を「うらめしや」状態で持ち上げておいて、別途Aに右腕を揺すってもらう。左腕を持ち上げていることが、右肩周りの脱力を邪魔していないかどうか。加えて、左手の指を開いたり握ったりした場合はどうなるか。なにか条件を付け加えたときに、意識的無意識的な筋肉調整の変化を観察しましょう。


c0050810_18151799.jpg●自分で揺すってみる場合
   誰かに揺すってもらった際の筋肉の状態を思い出しつつ、今度はアシスト無しでやってみましょう。不具合の調整に好きなだけ時間をかけられるメリットの一方、手を動かすための脳からの指令にバグが含まれている危険も覚悟しなければなりません。
   まず腰の横に両腕を垂らします。手のひらを前へ向けると、上腕は回外し、肩甲骨が内側へ寄ります(=内転)。手のひらを背後、さらには逆手で外側へ向けると、上腕は回内し、肩甲骨は外側に広がります(=外転)。手首を「うらめしや」状態で持ち上げ、少しだけ内側・外側に傾けた際、手首~肘~肩甲骨が連動して傾いているでしょうか。手首~肘~肩甲骨をゆるゆると揺らしつつ、手首の位置を左右・上下・前後に動かした際、滑らかにI.B.が取れれれば、このエクササイズは終了です。   
c0050810_13473576.jpg   第1-b章で述べたように、自分自身で手を持ち上げる場合、「前腕の真ん中あたり(手首と肘の間)がヘリコプターで吊り下げられている」、あるいは「下からT字杖(or物干し竿受け)でリフトアップされている」、という体感イメージがベストだと思います。これは、前腕の尺骨、すなわち手首の小指側の付け根と肘を結ぶラインを動きの支点とするに等しい。もし手・腕のどこかに意識をあてるとするなら、それは指先ではなく、尺骨の真ん中(重心)あたりであれば、手首から先をリキませずに済みます。
   尺骨を物干し竿とすると、その真ん中をT字杖で下から持ち上げ、そのまま竿の端にブラ下がっていた手首を鍵盤に引っ掛けること。「うらめしや」状態だった手は鍵盤を押し下げ、それと連動して、吊り橋のように垂れていた肘は外側へ押し出され、上腕は回内し、肩甲骨はニュートラル位置から外転します。指先が対象物に触れた瞬間、上腕が回内し肩甲骨は外転し、余計な力を入れずに腕の重みを対象物へ伝えられるのは、弦楽器の右手・左手についても同様だと思います。
   重要なのは、肩甲骨が外転し、その状態でフレクシブルに左右に揺れていることです。解剖図のことは一端忘れて、肩甲骨が空中でフワフワ転がっているテトラパックだと思うこと。ある方向へ動くべきものだ、という思い込みが硬直を招きます。上腕が回内していても肩甲骨が連動しなければ、遠からず肩に激痛が走るでしょう。ピアノの連続高速オクターヴ連打や、一流弦楽器ソリストも内心気に病む「一弦連続スタッカート」は、盆の窪を緩めて指先・弓先の喰い付きにより肩甲骨をゆるゆると電気アンマする(軽く波打たたせる)ことに尽きるのでは無いでしょうか。

c0050810_13493096.jpg   手首~肘~肩甲骨の連動について、別経路で考えてみます。まず腰の横に両腕を垂らします。そのまま上半身全体を左右に捻ると、両腕はデンデン太鼓のように投げ出され、振り回されます。一挙に両腕ともデンデン太鼓状態にするのは難しいので、例えばまず右腕は胴体にぴったり貼り付けて固定しておいて、左腕だけをブンブン回す、その次に左腕を固定して右腕を振り回す、最後に両手で、という順を追っても良いでしょう。脇の上で、肩甲骨と鎖骨がクランクシャフトのような押し競饅頭をしているのを感じること。
  それが出来たら、片手ずつ手首を「うらめしや」状態へ持ち上げていきましょう。持ち上げるのは少しで良いです。その際、デンデン太鼓状態がどれくらい崩れるでしょうか。「裸で歯を磨くとチンチンが揺れるのは、チンチンが脱力しているからである」、「シリコンが入っていないおっぱいは、走ると内側へ向かって回転して揺れる」等の喩えは、脱力セッションに付き合って頂いた皆様から、分かり易いとの御高評を頂きました。
   こういった柔軟エクササイズは、一回出来たらハイ終わり、ではなく、不具合を感じる毎に回帰し常にチェックすべきものです。ピアノ教育の何割かは、この手のボディワークに割くべきでしょう。無論、従来の鍵盤演習とのリンクも可能です。例えば、学生時代にハノンを弾いて上手くなった、という事例は、指先と肩甲骨の回転がシンクロ出来るようになったことを意味している可能性があります。確かにあの音型はリンク作業に向いている。何でもモノは使いようであり、リキんだ指先・手首・肘でタイピングに興じるので無ければ、ハノンもコルトー・メソッドも全否定すべき存在では無いでしょう。


●同じように足首を揺すってみる
c0050810_13501658.jpg   今度は、手首のかわりに足首を持ち上げて、揺すってみましょう。手首のときと同様、足首はフワッフワの状態のままにします。椅子や地面があるとどうしても踏ん張ってしまいたくなるので、例えば空中に浮かぶ椅子に、タケコプターで着地する、とイメージしましょう。当然タケコプターは頭の天辺についています。椅子は宙に浮かんでますので、座っても足首は空中に垂れ下がっています。椅子を取り払うと、元のタケコプター飛行状態(=手足ともにダランと垂れている)に戻ります。・・・この喩えが想像しにくい場合は、プールサイドで水に足を漬けている状態、と言ったほうが早いかもしれません。どちらにしても、椅子には坐骨で座っています。
   もし見えざる手で脛(すね)を握られ、上下・左右・前後に動かされた際の、股関節の角度や膝の曲がり具合を想像してみましょう。例えば足先が右方向へ動かされた際、股関節がリキんで無ければ、おのずと膝は内側へ落ち込む(=内股になる)筈です。これが、オルガンの足鍵盤奏法の基本です。広背筋は腰周りと肩周りをリンクしているで、「足首がフワッフワでいられる」ことは、手の指先へも影響する可能性があります。
   アフリカならびに中南米の人たちに見られるリズム感の良さは、足首の柔らかさ、腰周りの柔軟性に由来しているのかも、と思ったことがあります。乗馬にしても、鐙(あぶみ)を踏ん張ってしまうと駄目みたいです。ロナウジーニョの足にボールが吸い付いているように見えるのは、ありとあらゆる足首と膝の位置のためのI.B.を、安定して連続させられるからでしょう。一本歯下駄やMBTシューズに頼らずとも、ひょっとするとブッシュマンの如く裸足のままフワフワと都会を歩き回れば、太古の記憶も蘇ってくるかもしれません。

(この項続く)
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# by ooi_piano | 2009-11-07 09:10 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)
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 Versuchの中核部分は、第1部の奏法論、第2部前半のエクササイズ導入で既に述べたことになります。ここでブレイクを。
  指が回る・回らない、という、原因不詳の壁に突き当たった際の対応の差は、実は、日頃の学習態度にも現れている筈です。まずは、専門学生とアマチュア愛好家の典型例で比較してみましょう。


専門学生  ⇔  アマチュア愛好家

(1)地味な曲を地道に練習するのは当然の仕事  ⇔  (2)人をアッと驚かせモテモテになりたい

(3)意図的に曖昧な言い回しには慣れている   ⇔   (4)完全に途方にくれる

(5)一曲仕上げるのに長時間を覚悟   ⇔   (6)何か秘法を知ればすぐに弾けるようになるものと夢想

(7)お手本を弾かれた際、ある程度は吸収   ⇔   (8)ポカーンと傍観

(9)入試やコンクールの内部裏事情をgetすれば元が取れる   ⇔  (10)有名人の師事歴が書けると嬉しいな

(11)曲を練習するのは基本的に義務感からなので、新しい課題は面倒なだけ   ⇔  (12)好きな曲・好きな楽器を好きなタイミングで練習するのにワクワク

(13)才能が無いことは薄々気付いている   ⇔   (14)自分は本当は天才だと思っている

(15)それでも音楽業界に身を置きたい  ⇔   (16)音楽を仕事にするほどアホでは無い


c0050810_1355326.jpg   左項(専門学生的)、右項(アマチュア的)ともに、長所・短所があると思います。クラシックの演奏家が古楽器や現代曲に手を出さないのは、プロフェッショナル的(11)とも言えるし、アマチュア的(2、4、6、8)とも批判され得る。重音のパッセージが弾けない、クラヴィコードがうまく発音出来ない、あるいは寝違えや四十肩で指が回らなくなって右往左往するのは、解決法がメソッド化されていない(4)、奏法の根源的見直しや長期間の忍耐を要する(6)、という点で、本来はプロにとって、がぷり四つに組むべき課題ではあります。

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  専門学生の中には、「弾けてしまう子」と「弾けない子」がいます。これも、情報授受におけるリテラシーの問題として、考えてみましょう(過去記事再掲)。

  【弾けてしまう子の場合】・・・・・弾けてしまう子はしばしば、教師の言うことを聞きません。3割先生、7割自分。先生側も、好きにさせておくことが多い。
  さて、こういう子が教える立場になると、なにせ、いつのまにか弾けてしまうので、「どうして弾けるのか」を省察・言語化していることは稀です。ですので、なぜ生徒の指が回らないのか理解出来ない。ムカデに歩き方を尋ねるようなもので、善意でのアドヴァイスも生徒の混乱を招いたり、表層的な効果を狙うだけになりがちです。

  【弾けない子の場合】・・・・・・弾けない子はしばしば、教師の言うことに振り回されます。7割先生、3割自分。教師側も、まさか自分の言ったことが、生徒の可能性を凋めているとは夢にも思っていません。
  さて、こういう子が教える立場になると、さらに話はややこしい。ピアノを20数年誰かに師事して、ピアノは弾けるようにならなかったが、ピアノを「教える」ことは出来るようになった。なんとなれば、20数年間耳にタコが出来るほど聞かされた言葉を、自分で理解も納得も実践もすることなく、適当に復唱していれば商売になるからです。いわく、「もっと力を抜いて」「もっと感情を込めて」。 (→振り出しに戻る→)

c0050810_1356172.jpg   先述の「専門学生的」と「アマチュア的」の対比と同様に、先生側・生徒側双方に、各々の要素が混在するのが普通です(ドビュッシーは得意だけどバッハは頓珍漢、etc)。良心的なボディワークでは、行き当たりばったりの思いつきを投げかけることは無いでしょうが、壁に突き当たった際に途方にくれる点では五十歩百歩です。胃の中の紐を引っ張ればクシャミが出る、というほど人間の体は単純では無いので、約(つづ)まるところ、壁に向き合い続けるのは自分自身の意思・忍耐でしかない。
     生徒としての良し悪しは、ある情報が目の前を通過していった際に、その後ろ髪を毟り取るべく手を伸ばすか伸ばさないか、で明暗が分かれます。「こういうムズカシイ説明がしてある本(or授業)は分からない」と尻込みするのも困り物だけれど、「これなら知っている」と早合点するのはそれより遥かに危険でしょう。

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   演奏家と現代作品の関係にも、この種の類似性が見られます。現代曲を「未知の課題」と置き換えれば、これは「専門家的」「アマチュア的」とまったく平行現象です(再掲)。

一般的 ⇔ 現代曲プロパー的

(A)楽器は上手いが現代曲に興味が薄い ⇔ (B)楽器は下手だが現代曲を長時間我慢して練習出来る

(C)評価が確立していて既に参照録音も存在するような作品なら弾く ⇔ (D)新作初演上等、作曲家とのコラボも好き

(E)誰かに演奏法を教えてもらえるなら弾く ⇔ (F)職人は自分で道具を作って手入れするもの、練習法など自分で開発して当然

(G)汎調性、汎パルスの弾き易い曲なら弾く ⇔ (H)メロディもパルスも無いノイズ系上等

(I)歌ったりアクションしたりするなど考えられない ⇔ (J)叫ぶのも脱ぐのも大喜び

c0050810_13535765.jpg   上記で二極化した右項目に該当する演奏家は、なんだかんだで貴重な存在ですが、現代音楽演奏コンクールで優勝して日が当たるのが常に右項系とは限りません。もっとも、右項系は右項系で、バッハなど弾かせると左項系真っ青の古色蒼然たる解釈だったりしますので、情けない限り。
   教育課程には一応のゴールが設定されています。エリートであればあるほど、ゴールよりも先の譜面に遭遇した場合――すなわち、「初見でだいたいのところが掴めない」作品の場合――、脆くも思考停止になりがちです。優れた演奏能力を持ち、現代音楽に多大の関心がありながらも、上記の「左項系」(中ん就く(G)⇔(H)の「反ノイズ系」)に収束してしまうのは、こういった音楽教育の知られざる弊害と言えます。
   「アルゲリッチのテンポ・ルバートを耳コピー出来る俺って、凄くね?」的な発想は、アマチュア・プロを問わずよく見かけるものですが、いまや古楽や現代音楽の分野にもこの悪習が広がりつつあるようです。先だって聞いた米人奏者によるクセナキス《エヴリアリ》(しかも複数)は明らかに高橋アキ盤を下敷きにしていましたし、《シナファイ》についても同じ感想を持った演奏がありました(聞けば分かります)。譜面から自分の解釈を組み立てられないのなら、現代曲などに手を出すべきではありません。

c0050810_1359827.jpg   さて、上記の右項系が抱える宿痾は、何と言っても「不真面目さ」「不徹底さ」でしょう。いつになっても左項系から不審視される所以でもある。
   爛熟ロマン派と現代のピアノ曲の一部には、大量の音符をモーレツな勢いで演奏させる、「超絶技巧作品」なるカテゴリーが存在します。これを好んでレパートリーとして取上げるのが、「超絶技巧ピアニスト」です。
   B.カニーノはシュトックハウゼンのピアノ曲のうち、第1~第11番全曲を弾いたそうです(第10番除く)。「第10番は弾いていない」というコメントを聞いたときに、「ああ、あの曲は特にリズム表記が錯綜を極める上に、音符が多くて指が回らないからだろう」、などと思っていたものでしたが、これには別の見方もあります。第10番を弾いているピアニストは、(i)リズム表記ならびにデュナーミク指定を完全に無視して弾きまくっているだけ(初演者ジェフスキーなど)か、(ii)楽譜のテクスチュアそのものが本来内含する修辞論的理想像に肉薄するのを途中放棄しているか、のどちらかにおよそ二分出来ます。逆に言うと、「楽譜から音高以外の情報を読み取る能力が無ければ無いほど―――すなわち音高以外の音楽情報を捨象出来るほど―――、超絶難曲は弾きやすい」、ということです。
   ここで一つ、答えが出ました。「音高以外、特にリズムはケンチャナヨ」。リゲティのエテュード集がこれだけ幅広く弾かれるようになったのは、汎調性でロマンチックな演奏効果を持つことに加えて、「リズムを数えなくて良い」ことが大きいと思います。ブーレーズ初期作品だって、最初に音高さえ我慢して拾ってしまえば、あとはポリーニのCDでリズムを「覚える」だけで、莫迦でも「弾ける」ようになります。
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# by ooi_piano | 2009-11-07 09:09 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)
2-c.  それでも筋肉が動いてくれない場合

c0050810_14113741.gif  2-aの条件下で2-bのエクササイズをやっても、それでも筋肉が動き出してくれない場合の、ありがちな死角・盲点・ブラックボックス、そしてその突破口について考察していきます。
  我々が怒るとき、怒りの科学的成分は90秒以内に血液中から無くなるそうです。すなわち、90秒以上怒りが持続するのは、我々自身が「怒り続けたい」と希望しているからだとか。また、岡田斗司夫氏によれば、デブというのは、デブで居続けるための努力を毎日行っている人々であるらしい。同様に、指が動かない、というのは、指を動かしたくない、と自身が希望し努力しているからに他なりません。指を動かすべく新たな指令を脳から出す必要は無く、余計な指令をやめるだけで良い。ツボに手を入れて、中にある石を握り締め、「ツボから手が抜けなくなった」と泣き叫ぶ前に、まずは石を放せば良いわけです。
   人の脳は覚えるためだけでなく、忘れるために努力もしている。赤ん坊の泣き声が理想の発声法であり、幼児の体の柔軟さが究極の身体であるとすると、我々はその理想から離れるために、日々努力を重ねて来たことになります。前は弾けていたのに、今はなぜか指が回らない、というのも、全く同じプロセスでしょう。痛みや突っ張りが発生した際、無理強いを続けることは、良き回路を忘れていく作業に他なりません。筋肉のバランシングは、いったん忘れると、取り戻すのは相当に難儀です。


●動いていても動かなくても感知不能
 
c0050810_14165689.jpg  出来るときは何も考えなくても出来るし、出来ないときは色々工夫しても動かない、というのが筋肉の厄介なところです。動かない元凶を意識の表層に引き摺りだすことが、この奏法論の当初の課題でしたが、本来は、「意識にのぼらないブラックボックス」の内部に問題点を置いたまま、余計な動作をさせないよう、じんわり変質させてゆくのが理想ではあります。
  肘を普通に曲げたとき、それは何事もなく「折れ曲がる」だけであって、片一方(内側)の筋肉が収縮して反対側(外側)は伸びている、という「実感」はありません。勝手に伸びたり縮んだりしているだけ。意識されない硬直のために筋肉が動かない――ということは、「滑らかにリラックスしている」と体感している部分が、じつは硬直している、ということです。そしてそれは、意外な部位な筈である。無味無臭だからといって、無毒とは限りません。人間は自分の筋肉を、「思い通りに」コントロールしているわけではない。一旦筋肉の一部がわずかに硬くなると、そのことを自覚する以前に、平気で遠回り指令を出す。その積み重ねが、「指が回らない」状態です。筋肉の動きは感知出来ている筈だ、という思い込みをまず捨てなければなりません。収縮している筋肉も、そうでない筋肉も、意識の表層には浮き出していないのです。
c0050810_14174278.jpg  ある動きを行うために、(A)大枠を支える筋肉、(B)その動作のために縮むべき筋肉、(C)そして何もすべきで無い筋肉があります。弾けているときは、その「支え」や「緩め」はほとんど意識されません。(A)がシュッと屹立していなくても指は回りますが、そこへいつしか(C)が余計な介入を始めたときに、指は回らなくなります。筋肉のストレッチとは、(C)を何もしないままで置くための、神経回路の構築(あるいは再構築)のことです。ある動きに対して、どの筋肉が(A)なのか(B)なのか(C)なのかは、ありとあらゆる側面から自分自身で感じ、探り当てていくしかありません。2-aの「首周りのリラックス」で触れた、三面八臂の阿修羅の喩えを御参照下さい。

  ここで一つの解決法が見出されます。盲点は、どうせ逆側にある、ということです。あるアクションを起こす場合、そのアクションと反対側の筋肉は、本来は何も行っていない筈ですし、また何も行っていないように感じられるものですが、そこを敢えて、「何もするな」という指令を差し加えてみる。たとえば、鍵盤中音域から高音域へ右手を移動させる際、小指先端に集中するのではなく、アクションと逆、すなわち右手の内側(右脇や上腕内側など)の「緩め」に一瞬意識を通す。親指をくぐらせるときは、肘の外側、さらには脇の裏側(背中)に意識を向ける。速く指を回したいときには、鍵盤にがっつくのではなく、掌底を暖かく緩める、というような具合です。何も悪事を行っていないように感じられるブラックボックスのような部位に、外側から念入りに「何もするな」と命令を付け加えてみること。見知らぬ側面(例えば背中側)へ向かって力を抜いていく恐怖については、既に述べました。
  初学者よりむしろ上級者が陥る罠として、「緩めてはいけない箇所を意図的に緩めてしまう」ケースが挙げられます。背中が痛い。と、背中を「緩め」たくなる。これは良し悪しです。背中側の筋肉で支えるべきモーションのとき、背中を意図的に緩めるのは、悪循環の開始を告げます。ここで行うべきなのは、いわば「痛い」側へあえてもたれかかって、「痛い」のと反対側を可能な限り緩めることです。するとアラ不思議、痛みが消え去ることがある。痛みや突っ張りなど筋肉の緊張が感知された際、勝手知ったる「脱力法」をすぐさま適用するのではなく、一歩踏みとどまって、そのアクションでどこが支え、どこが伸びているかを、今一度考え直してみましょう。
   ピアノの演奏は、いわば鍵盤との手押し相撲に喩えられます。相手方の変化を受け流すことがコツです。これは生活態度全般にもリンク出来るでしょう。人の言葉をすぐ個人攻撃と受け止めてイジケているようでは、命が幾つあっても足りません。曰く、「ホッチッチ かもてなや おまえの子じゃなし 孫じゃなし 赤の他人じゃ ホッチッチ 親類になったら かもてんか」。 


●筋肉の可動域や組み合わせの再点検

c0050810_14181636.jpg    筋肉のストレッチとは、なにごともなく無抵抗に動く可動域を少しずつ広げていくことです。体の中心線を基準に最短距離で動いていたものが、いつしか奇妙なS字の寄り道を始める。痛み自体は鍼灸や冷却で抑えることが出来るかもしれませんが、「遠回り」癖は自分の脳で矯正するしかない。骨・筋肉・内臓が全てドロドロの液状になったように感じるのは無理にしても、関節をすべてはずして中国雑技団になった「つもりのつもり」を念じるだけでも、存外に変化はあらわれます。因みに、私は生まれてこの方、膝をのばして両手が地面に付いたことが無いほどの体の固さですが、手首の角度と肩甲骨の回転をシンクロさせる程度のことは出来るようになりました。
   出発点としてお勧めなのは、延髄周りのストレッチ、とでも言うべきものです(「首周り」ではありません)。2-aで述べたように、カボチャ(頭部)はホウキの柄(背骨)の上で緩やかにバランスを取っているべきですが、このカボチャとホウキの接点あたりが膠着し易い。接点、すなわちカボチャを球体としたときの中心点で、頭を前後・左右・上下にわずかに回転させてみましょう。全音・半音ほどの幅広さではなく、いわば微分音のグリッサンドです。頭を時計回りに回転する、とは、右眼の位置が僅かに右下へ移動し、アゴの位置が僅かに左上へ移動することです。頭を前へ回転させる、とは、アゴを僅かに引き、正面から見て眼が僅かに伏目になることです。慣れないうちは、ちょっと気持ち悪くなってくる、くらいが正解かもしれません。案外これが難しい。自分の頭の中心点がどこにあるか、を自覚することが、全身のリラックスの起爆剤になると思います。肩甲骨や骨盤の周りのストレッチについては、無料動画も沢山ありますので、ラクに出来るものを試していきましょう。
   上記(A)(B)(C)の諸筋肉の役割分担の下拵えとしては、2-aで触れた相撲の「腰割り」(wide-stance squat)のような、呼吸・肩周り・腰周りを同時に連携させるものが良いでしょう。各部位に分割してチマチマと動かすのは、音高・強弱・ペダリングなどをひとつずつ積み上げていく練習法と同程度に不効率です。全てのものは同時に達成されなければなりません。
c0050810_14193447.jpg   硬直の観測は、空間的あるいは時間的なラグを伴うことがあります。前者は、硬直している部分そのものではなく、その周りの部位の痛みによって異常が推定される現象です。後者は、筋肉を伸ばしていくときに発生した硬直が、伸ばし切ったのちに戻していく際にやっと感知されたり、あるいは、息を吸い込むときに発生していた硬直が、息を吐くときになってやっと観測されるようなケースです。つまり、「戻していくとき」「息を吐くとき」の異常のチェックにも、決して油断をしないこと。
   肩を思い切ってすくめ、それを戻す。その際、すくめた状態(肩が固くなって上にせりあがる)における筋肉の組み合わせを、辞書登録しておきます。練習時に、その硬直の発生を許さないこと。練習が終わったら、いつのまにか上腕が疲れてました、肩が痛くなってました、でも練習したんだから当然、ということでは、進歩はありません。なんとなくの疲れ・痺れは、そのうち(あるいは既に)指周りをブロックします。力が入っている状態と入っていない状態をそれぞれ辞書登録しておくべきなのは、肩以外では、もちろん手首、肘、うなじ、喉元、脇、背中全体、胸、腹、股、膝、膝の裏、脛・・・と多岐に渡ります。
   筋肉のよりよい「導通」は、便意や陣痛のように自然発生するものであり、最初は微(かす)かな曙光かもしれませんが、しかしその「一瞬ラク」な状態を見逃さないようにしましょう。起床直前の、日中の緊張から体がほどよく解放され、自然な呼吸状態が持続し、また意識も活性化する頃合いが、一番チェックに良いように思います。取っ掛かりとして、様々なボディワークや機器を使うも良いでしょう。ただ、最終的には自分がどう筋肉を動かすか、という指令回路に関わっているので、そこを直さずして問題の解決は無いことを一刻も早く覚悟すべきです。


●勘違いを直す/イメージ法の功罪

c0050810_14202121.gif  ピアノのレッスンでは、生徒の自主性を尊重して、あえて曖昧にアドヴァイスを与える場合があります。曰く、「もっと明るく」、「もっと夢見て」、「もっと溌剌と」、「もっと悲しげに」。幼少時からレッスン慣れしている生徒にはこれで十分でしょうが、それでもピンと来ない生徒には、勿論幾つかの具体的なトリックを教えるのが教師側の義務となります。
  ピアノ演奏の表層上のパラメーター操作に比べて、人間の体の機構は遥かに複雑であり、ある筋肉の状態をイメージで伝えようとした際、混乱の度合いも桁違いです。繰り返しになりますが、筋肉の質は人それぞれ、また筋肉の状態は時々刻々変化するものなので、今日有益だったアドヴァイスが、明日は有害となり得ます。人間の体は人間の体でしかない。カボチャの喩えもホウキもタケコプターも阿修羅マンも、余計な硬直を招くようでは要らぬお節介です。「××みたいなイメージで」、といったアドヴァイスは、すぐその通りに筋肉が動き出す人にとっては天啓でしょうが、そうでない人にとっては腹立たしいだけです。しかし、将来あるプロセスで突如役立つことも大いに有り得るので、一応take noteしておきましょう。
c0050810_14211813.jpg  頭の中で描く体の構造と実物との差異を知り、筋肉はこのように動く筈だ、という思い込みを捨て去るために、解剖図解説書に眼を通すのは勿論有益です。いったん手綱を手放すのは不愉快であり恐怖でもありますが、向き合う勇気を持ちましょう。例えば、上腕と前腕が組み合わさっている部分、肘の外側にちょっとした(指半分くらいの)スキマがあることを知れば、もっと小回りに回転出来るようになるかもしれません。肩甲骨を内側に引き付ければ、肩甲骨面(Scapula Plane)は後ろ側に広がる、ということも、いざ鍵盤の白黒模様を目の前にすると忘れがちな点です。肩甲骨が的確な位置さえ取ってくれれば、ピアノ演奏は落下と引き上げの直線運動というよりは、むしろ手首~肘~肩甲骨の連続的な回転運動に感じられて来るでしょう。
   もっとも、骨格図を見て直ちに体が自由に動き出すのなら、世の中イチローだらけです。実のところ、解剖図学習もイメージ論の一例に過ぎませんし、早合点は禁物です。筋肉よりは骨をイメージしたほうが早いか、あるいは皮膚の伸び縮みをイメージしたほうが良いのか、はたまた内臓ドロドロ系か、その都度あらゆる方便を駆使しましょう。砂時計の砂、あるいは傾けたコップの水のように、流体が体内を移動していく感覚。あるいは、伸びるべき側の皮膚が伸び、その皮膚を渡りゆく波動の振幅が端っこ(開端)まで伝わり、そして空中へ消え去るイメージ、等々。30秒で可動域が変化する場合と、そうでない場合があります。脱力セッションにお付き合い頂いた方々の中には、背中で合掌出来る程度に体の柔らかい方が何人もいらっしゃいました。しかし、その柔らかさが、手首と肩甲骨のシンクロにただちに結実するわけでもありませんでした。必要と思っている硬直が不必要であることを悟るには、フラフープをしつつ階段を昇降しながら算盤をはじく程度に、慣れを要するのでしょう。


●バイアス法

c0050810_14214311.jpg  体の関節をストレッチする際、[1]ある部分を完全に緩めることによって支える筋肉を探し出す、あるいは逆に、[2]ある筋肉をビシッと固めて(支えて)おいて、他の部分がどこまで緩められるかを調べる、というニ通りが考えられます。
  第1部の奏法論で述べた手首・足首ブラブラ法は、[1]に他なりません。2-aで述べた準備態勢、あるいは阿修羅マンに背後から両脇を差し入れられ手首を持ち上げられているイメージ等は、[2]に類します。2つの筋肉を同時にコントロール出来ないことから、一つを固めて一つを緩めていく、という[2]の練習は、一歩間違えると小学生向けハイフィンガーの如く、妙な癖の元凶になりうるので注意が必要です。

  [1]としては、手首をブラブラさせる運動を、いつ「支える」筋肉が阻害し出すのか、ポジションを寝る→座る→立つ、の順番に調べていく方法が考えられます。仰臥位(あおむけ)、そして側臥位(横向け)で、手首から先だけを回転、肘をついて回転、肩から先を回転、etc。椅子の背にもたれた場合ともたれない場合で差は生じるか。右足を持ち上げ椅子に乗せて弾いた場合、右肩はラクになるか。立った場合、立って壁にもたれた場合、その違いは、等々。

c0050810_14224494.jpg  [2]としては、いわゆる「丹田に力を入れる」のが、よく言われる方便です。体が一番へっこむポイント、例えば尻の穴を締めてみるのも良いでしょう(すぼめ方も色々)。開いた手から第3・4指を折り曲げた、いわゆる「折れ紅葉」との併用も効果的です。(もちろん、「うらめしや」状態に垂れ下がった「折れ紅葉」。)息を吐き切った状態からのアクション、息を吐き出しながらのアクションとの組み合わせ、体・顔の向きと視線とあえてズラすのも、バイアス法の一種です。息が変になってきたら、肺よりも臍の下、鳩尾(みぞおち)、眉間などを意識してみると良いでしょう。誰かに両人差し指で鉄杭のように脇を下から突き刺してもらい、阿修羅に持ち上げられる筋肉をイメージしながら両腕を動かしてみると、脇のどのあたりをグッと締めれば肩周りが支えられるのか、見当が付け易いと思います。
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# by ooi_piano | 2009-11-07 09:08 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)