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9/20(水) 現代日本人作品2台ピアノ傑作選
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# by ooi_piano | 2009-11-09 08:54 | Comments(6)

汎用クラヴィア奏法試論βーーーおおまかな組織化(その1)

[読み易いように、(その1)→(その5)を上下順にしました。項目については、ブログ目次を御覧下さい。(11/07)]

c0050810_12481076.jpg  2年前に脱力法についての一連の記事(その1その2その3その4)を書いた際、A社から出版の御打診を頂いたもののそのままになり、追加記事を昨年10月にアップしつつ、クラヴィコード録音ならびに各種フォルテピアノの経験を経て、今年後半に入ってやっと試論(Versuch)としての目処が立ちました。ここ2ヶ月ほどは、様々な職種・年齢層・音楽歴の方々への脱力セッション(closed beta test)もやってみました。
   初心者が16分音符で指がもつれるのも、上級者が重音技巧に手を焼いたり腱鞘炎やジストニア(書痙・跳ね指)で往生するのも、傍目には似たような現象に見えますし、「もどかしさ」という点では両者に差は無いでしょう。運動神経や才能の多寡は、この際クリティカルではありません。なぜ「もどかしい」のか、なぜ神経細胞を活動電位が効率的に伝わっていってくれないのか、と言えば、「意識されない」筋肉のこわばりが邪魔をしているからです。


  試論は大きく2つの部分に分かれます。

【1】 鍵盤を押し下げるために必要最小限なモーションとは。
【2】 筋肉・骨の可動域を最大限確保するためには。


  【1】は奏法認識の演繹(ソフト)、【2】は指から胴体に至る体の燃費向上(ハード)と言えるでしょう。
  【2】が十分滑らかに活性化されており、そこに良い楽器と耳があれば、自然と【1】に到達出来る筈です。ソフト面ならびにハード面それぞれにおいて発生しがちな障碍についても、考察していきます。


1-a  奏法趣旨
   ヒストリカル・モデルのクラヴィコードで、特に3声部以上の複音楽を演奏しようとした際、余りにも鍵盤が軽いため、打鍵の「指先成分」を可能な限り捨象する必要に迫られました。すなわち、鍵盤上の適切な位置まで手首を持って行って、あとは置くだけ。
   この「ある位置まで手首を持って行く」、という作業に着目します。一見単純きわまりない動きですが、指先を決して阻害することなく、---すなわち手首・肘・肩等が一切突っ張ることなく---、完璧に手首を適正位置へ持って来るのは、実は非常に難しい。体操選手が平均台の上でバランスを取るのと同じくらいの覚悟をして丁度、かもしれません。
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   J.S.バッハは「あたかも指を動かしていないかのように」楽器を弾いた、と伝えられていますが、そのじつ本当に指を「動かして」いなかったのでは無いか。古今の名匠、ピアノだけではなくヴァイオリンでもギターでも、指をほとんど動かしていないように見える方は大勢いらっしゃいます。それらを評して、「背中の使い方が素晴らしい」、「インナーマッスルのバランスが半端じゃない」、等の形容も巷間耳にするところです。
c0050810_2217583.jpg   既成のピアノ奏法論が完璧なシステムならば、誰でも習えば楽にピアノが弾けるようになり、そのまま音楽とともに幸せな一生を過ごすことが出来る筈です。ピアノは10年習ったけれど、ショパンのワルツも弾けるようにはならなかった、と何度打ち明けられたことでしょう。あるいは、音大ピアノ科卒業者のうち、ピアノ、ひいては音楽そのものが嫌いになり、一切の関わりを持たなくなった人の割合のいかに高いことか。才能が無いから駄目、早期教育を受けないと駄目、良い楽器・環境で長期間練習しないと駄目、などのエクスキュースが準備されているのも、そもそも奇妙な話です。実のところ、教育者の方々は、「なぜか弾けない」元凶としばしばなりうる指先成分の動きについて、過度に強調するどころか、反対に、そこからどうにかして目を逸らさせるために粉骨なさっているのでは無いでしょうか。そこで御提案するのが、指先成分を可能な限り排除した鍵盤奏法です。

1-b   奏法具体例のイントロダクション
   いま、適切な姿勢(後述)で椅子に座っているものとします。指先成分は必要ありませんので、手首から先が「うらめしや」ポーズのようにダランと垂れた状態のまま腕を持ち上げ、ゆっくりと上下・左右・前後に動かします。肩周りは緩められており、肘は吊り橋のように垂れ下がっています。前腕の真ん中あたり(手首と肘の間)がヘリコプターで吊り下げられている、あるいは下からT字杖(or物干し竿受け)で持ち上げられ移動させられている、という体感イメージです。手首を持ち上げるのではなく、前腕の中間地点あたりに意識を置くのは、尺骨と橈骨の空間的ねじれの位置を温存し、手首の硬直を回避するためです。
   いわゆる「気をつけ」の姿勢において、両肩の肩甲骨面は「\...../」のように、20度~30度ほど前へ向かって、逆ハの字型に開いています。そのため、胴体の「真横」で肘をあげようとすると、肩が固まる、という現象が起こります。上記、手首の空間位置を変化させる際、この肩甲骨面のみを念頭に置くこと――、すなわち、「手首の次の位置を予測し、肩甲骨面が先に動き出すこと」を徹底させるのが、この奏法論の骨子です。子供の指は小さく柔らかく、モダン・ピアノの重い鍵盤には向いていませんが、肩甲骨周りは特上の柔らかさですので、「予測変換」については何も問題ありません。逆に、大学生以上の年齢になると、この動きにガクンとぎこちなさが見られるようになります。人間の腕の重みはかなりのものなので、それを持ち上げ支える筋肉と、肩甲骨を回転させる筋肉の齟齬から悪循環が発生するようです。
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   前腕よりも肩甲骨が先に動くのは、翼の羽ばたきをイメージすれば当然のことです。体感的には、腕で何かアクションを起こす直前(例えば投球)、体の内部をフッと軽くしバックスィングさせること等に相当します。人間の指・肘・上腕は様々な関節に分かれているため、この「翼の付け根」を固定したまま打鍵することが可能であり、子供時代には自然にズレていた肩甲骨・肘・手首の位相が、いつしか同期し固定されるに至るようです。
  手や足の位置を動かしたとき、その体勢での安定性がいかに重要であるかは、野球のピッチングフォーム、ゴルフのアドレス、バレエのアラベスク、相撲の四股など、多数の例を引き合いに出すまでもありません。手や足を少しあげただけで、体内のバランスはいとも簡単に崩れ易く、それが手先・足先のコントロールを阻害するわけです。


   以下簡単のため、深層筋(インナーマッスル)等の最適状態調整(バランシング)を、略してI.B.(インナーバランシング)と呼びます。鍵盤の高さ丁度に手首を持って行った状態のI.B.をI.B.(0)、鍵盤から1cm低い位置での手首のI.B.をI.B.(-1)などとします。I.B.(0)とI.B.(-1)は、わずかではありますが異なったものです。I.B.(-5)の状態で指を鍵盤に置くならば、手首から先は(体感的に)垂れ下がったまま、すなわち指の動きは一切使わなくても、指で鍵盤を押し下げることが出来るでしょう。垂れ下がっていた手首の角度は水平に近づき、肘は押し出され、肩甲骨はneutralの位置から外転します。指が鍵盤に触れた瞬間に指をわざわざ硬くする必要はありません。指の形が大きく崩れない程度に意識が「通っているような通っていないような」程度で十分です。
     このI.B.(0とI.B.(-5)の差、いわば位置エネルギーの差が、鍵盤にかかる「腕・体の重み」とされるものです。鍵盤の重さが重いほど、エネルギー差をより利用しなければならなくなります。例えばモダンピアノではI.B.(-5)、チェンバロでは2段カプラーでI.B.(-3)、上段マニュアル8フィートならI.B.(-2)、ヒストリカルのクラヴィコードならI.B.(-1)、などと譬えられるでしょう。モダン・ピアノでも、奏者の指の大きさ・重さ、楽器の個性、強弱・音色、白鍵にくらべ僅かに奥であり高い黒鍵、等々の諸条件下で、I.B.は多様に変化します。チェンバロにおいては、適正なタッチのためには、高さならびに重さの違う鍵盤のための最適なI.B.が求められますし、オルガンではさらに足鍵盤まで両立させるためのI.B.を探らねばなりません。指先メインでの処理にいちいち苦心するよりも、I.B.で柔軟に受け流すほうが、音楽的側面からも遥かに効率的・現実的だと思います。
   この動きでは、「重力(gravity)奏法」という言葉から連想される、加速(gravitational acceleration)は意識する必要はありません(不必要な押し付けにつながるから)。等速運動のイメージで無問題です。I.B.の位相変化を、「落下していく感じ」と表現する人も多い。余計な硬直を取り除いていった結果、I.B.の位相を滑らかに変化出来るようになり、気付くといつのまにかスピードがあがっていた、くらいが健康的なプロセスでしょう。スピードを指標として採用するのは、どうしてもスピード自体が目的となりがちであり、硬直を招く危険と隣り合わせです。


1-c なぜ鍵盤を押さえ込み、握り掴みたくなるか
   体が十分に柔軟であるにもかかわらず、不要な重さをかけて鍵盤を押さえ込み、かえって指が回らなくなってしまうケースについて考えていきます。

c0050810_125218.jpg●鍵盤楽器に共通する問題
   肩周りが最も自由になるためには、骨格的には顔は真正面を向いていなければなりません。一方、どうしても鍵盤の白黒模様、あるいは視線下方にある譜面を見ざるを得ないのも現実です。そのときのI.B.の崩れを最小限に留めること。体の中心線を鍵盤中央に合わせたら、あとは目を閉じていてもおおよその鍵盤風景が把握出来ている(=Keyboard mapping)べきですが、これは手首の左右移動におけるI.B.に他なりません。オルガン奏者が決して足鍵盤を見ないのも同様です。マッピングが出来ていることと、緊張することなく悠々と手首も所期の位置へ移動させられることは、卵が先か鶏が先かと云った相関関係にあります。時間を節約したければ、練習の最初期の段階から、この2つの両立を全力で図るべきでしょう。


●モダンピアノの利便性の裏側
   この百数十年間に製作されたモダン・ピアノは、多少の乱暴なタッチにも耐え得るように設計されており、それが上記I.B.問題と相対する機会を奪っています。肩甲骨周りを硬直させていても手首の回転は可能ですし、音色を度外視すれば音高を拾うこと自体は容易です。すなわち、あたかも「不自由が無い」ような錯覚に陥る。
   I.B.問題を看過あるいは先送りすると、ときどき上手くいくけど、ときどき上手くいかない、という不安定な状態が続きます。そして、舞台上での緊張や、楽器との相性、加齢による筋肉の変質等といった、ちょっとした状況変化によって、いとも簡単に破綻が訪れる。ここで持ち出されるエクスキュースは、またしても「才能」「適性」、あるいは「集中力」、「経験」、「練習量」、「もう年だから」、などです。
  モダン・ピアノでは余りにも簡単に音が出ることから、音色よりもミスタッチの多寡が重視され、特定の指を特定の鍵盤へ無理から捻じ込む、すなわち指先成分メインの打鍵になりがちです。リキんで叩いても音が出るので、安心してブッ叩いた結果、フォルテとフォルティシモの区別は無くなり、強打で音色が割れる。一方ピアノ・ピアニシモでは、音色よりも音量が念頭にあるため、音がかすれるのを恐れて、やはり手を硬くしてしまう。
   引っ掻くようなタッチでもとにかく音は出るので、オクターヴあるいは10度に手を広げる際、肘から前腕をガチガチに固めてしまう。突ッ付いても音が出るため、手首を鍵盤上空まで持って行く準備作業なしに、そのあたりの音域めがけて指を猪突させ、無駄に出血したりする。

c0050810_12533095.jpg●モダンピアノの無意味に重い鍵盤
   バッハがクラヴィコードで《平均律》を弾いていた際は勿論、ショパンがウィーン式フォルテピアノで《練習曲集》を書いたときでさえ、彼らはここまで重たい鍵盤、鈍く濁った響きは想像だにしていなかったことでしょう。ヴァイオリンやチェロなら子供用の分数楽器が用意されているのに、ピアノだと5度しか届かない小さな手で必死で鍵盤を叩くよう強いられます。バッハが長男に手ほどきするためクラヴィア小曲集を書いたのは彼が10歳になってから、しかもクラヴィコード用でした。いまの小学生が弾くレパートリーは、所詮バロック・古典派がメインなのですから、リストやラフマニノフ用の重たい楽器を宛(あて)がうのも、19世紀以前は存在もしなかった、「不必要な労苦」と謂えるでしょう。
  プロセスとしてのハイフィンガー、「肘を使いましょう」「脇を閉めましょう」「鍵盤の底までしっかりと」「打鍵の瞬間だけ指を硬くしましょう」など、ある場面ではひょっとすると有用でも、他の場面では途端に障碍となり得る善意のアドヴァイスの数々は、特に子供・女性・東洋人にとって非常に重たい、モダンピアノの鍵盤に由来しているのでは無いでしょうか。

●「レガート奏法」の呪い
   モダンピアノ開発時に「語る」から「歌う」へと演奏様式が変化していったせいもあり、レガートで弾ければ弾けるほど上級者、ペダルを最大限踏めば踏むほど音楽的、という、無間レガート地獄が今もって跋扈しています。ボーイング(弦楽器)やアンブシュア(管楽器)も無く、鍵盤に粘着したままでも演奏は可能な上、初心者向けに「隣り合う音を少しずつ重ねましょう」と推奨されることも、止め処ない指の押し付けの一因だと思います。演奏開始直前は、鍵盤にちょっと触ってはまた離し、と躊躇(ためら)い傷を繰り返しておきながら、いったん演奏を始めた後は、ずっと鍵盤を押さえ込みしがみ付いていないと不安、という心理は、重力恐怖症(Barophobia)の一種と看做せるでしょう。一方スタッカートはスタッカートで、腕全体を軽くはずませるというよりは、指先でチクチクと小さく突き刺しているのもよく見かけます。
  同じヨーロッパの中でも、ドイツ・フランスよりはイタリア・スペインなどのほうが無節操なレガートの弊害は軽いようなので、日常会話での修辞が多少なりとも音楽とリンクしていることが、楽器の奏法にも関連してくるのかもしれません。書道と一緒で、手首が空中を自由に浮遊していなければ、適切なアーティキュレーションは施せません。舌が口蓋に貼り付かず自由に動かせ波打たせられるからこそ、的確に子音が発音出来、言葉の意味合いも明瞭に伝えることが出来ます。 浮かせたいと思ったときに即座に浮かせられる手首は、少なくともベートーヴェン以前の作品では必須でしょう。

c0050810_12553899.jpg●われ爆音主義を待ち望む
  例えば私のような巨デブのオッサンがグラビアアイドルになりたいとかジャニーズJr.に入りたいとか妄想するのと同程度に、指の細い手の小さい女の子がラフマニノフの第3協奏曲を大管弦楽と共演したがるのは、傍目には悲喜劇です。
  そもそもモダンピアノは、ほっといても莫迦デカい音が出る楽器なのに、さらに「楽器を鳴らし切る」ことが重要なテクニックの一つとされ、「オーケストラを貫いて聞こえるピアノ独奏部」などが賞賛されます。音量のためにリキみ、速度のためにさらにリキむ。
   本来、ある限度以上の音量や速度は、聴き手とのコミュニケーションとしては低劣な手法であり、むしろ騒音として拒絶される確率のほうが高い。大きな声で怒鳴ったり、早口でまくしたてたり、プロパガンダを連呼されても、説得力は増しません。ところが一部の聴き手は、大盛り御飯をスピード給仕することに、盛大な拍手を送る。喰っていかないといけないし、弾いていて気持ちも良いものだから、ますます頑張って鍵盤を殴打する日々となります。

●他の人が手を押し付けて弾いているから、そう教えられたから
  これは単なる悪循環ですので、論考に値しません。「ポリーニが死ね言うたら死ぬんか」というレベルの話です。弾けない人が弾ける人の表層だけを物真似するのは滑稽であり、時間の無駄です。機械を使おうが使おまいが、モーション・キャプチャー解析に意味はありません。

(この項続く)
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# by ooi_piano | 2009-11-07 09:12 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(1)

汎用クラヴィア奏法試論βーーーおおまかな組織化(その2)


(承前)
c0050810_130826.jpg    指が動いてくれない、という壁を突破するためには、「ピアノをどうやって弾くか(奏法認識)」というソフト側と、「体をやわらかくしておく(大枠)」のハード側、その両側からトンネルを掘り進み開通させるのが賢明だと思います。第1部で述べたのが前者で、これから述べるのが後者です。もしこの世に完全無欠な鍵盤奏法というものが存在するなら、年をとろうが何をしようが指は回り続けるでしょうし、ピアノのみならずくチェンバロもクラヴィコードもオンド・マルトノでもこなせる筈です。また、いかなる手の変位も体が柔軟に受け流すことが出来るなら、あらゆる体操選手はピアニストへ転職可能でしょう。
   第1部の、指先成分をゼロへ持ち込む奏法については、私は寡聞にして文章化された前例を知りません。(もっとも、それに近い弾き方をしている奏者は少なからずいます。)第2部での体法関連については、幾つかのキーワードで検索すれば山のようにヒットしますので、私などが上から目線でぐだぐだ申し上げる筋合いは本来御座いません。諸歴史的鍵盤楽器も視野に入れた「汎用」を目指しつつ、また自分自身やclosed beta test等で見かけた典型例なども盛り込みながら、おおよそのラインをまとめてみます。「2-a 勝手に筋肉が動いてくれるための準備体勢」、「2-b 各部位を連動させるための導入エクササイズ」、「2-c それでも筋肉が動いてくれない場合」、「2-d 変化のプロセス素描」、の4部に分かれます。


2-a 勝手に筋肉が動いてくれるための準備体勢

c0050810_132544.gif   この項では、筋肉が滑らかに連動するための準備体勢(姿勢による下拵え)について、概観していきます。
   前出記事1-bにおいて、「適切な姿勢で椅子に座っていれば、I.B.(-5)の状態で指を鍵盤に置いた際、手首の角度は水平に近づき、肘は押し出され、肩甲骨は外転する」、と述べました。肩甲骨というのは、背中上部の両端(うなじと脇の間)にある、翼のような骨です。腕を動かす際、本来肩甲骨は前後・左右・上下におのずと回転する筈のものです。
   いかなる時も肩甲骨が自由に宙を舞い続けていてくれれば話は早いのですが、頭を背骨の上に乗せてバランスを取る筋肉、肩甲骨をぐるぐる回す筋肉、手を上へ持ち上げていく筋肉等々が、まるで多面ルービックキューブのように錯綜しており、それらが何かの不都合で一旦絡まって(固まって)しまうと、案外簡単に肩は動かなくなります。肩甲骨と肘(ひじ)は連動しているため、「指は回るけど重みがかけられない」、「重みをかけると指先が固まる」、「一部の指は回るけどポジション移動がしにくい」、等々の事態が発生して来ます。指が回らない原因が、まさか肩や背中の筋肉の不具合とは思いにくいので、硬直の悪循環の冥府魔道を彷徨うことになります。
   筋肉が適切に動いてくれない場合、やはり「正しい姿勢」というものに立ち返るのが結局近道なのは、認めなければなりません。PCの画面を切り替えたり、ボタンを押して反応が返ってくるのを待つ際、ひとは20秒以上は我慢出来ないそうです。正しい姿勢、すなわち最小限のタスクで体を支えるための大枠を設定して、あとは筋肉が勝手に動き出してくれるのをじっと待つ。それが最も賢明だと頭では分かっていても、目先のラクさに引き摺られてしまうのも我々の性(さが)です。
   「朝起きてすぐの20秒」、「大金払っての20秒」、「にっちもさっちも行かない場合の20秒」なら何とか我慢出来るかもしれません。正しい体勢のポイントとなるのは、呼吸、首周り、腰周りの3つです。
   

●呼吸について
c0050810_1342014.jpg   胸に硬いクッションをあててうつ伏せに寝、全身をリラックスさせると、呼吸する胸とクッションの押し引きに連動して、体のさまざまな部分が緩やかに動いていることが分かります。これが脱力の基本です。
   普通に呼吸しているだけで体のどこかに硬直が発生するとしたら、それは息を吸うときでしょう。「空気を吸わなくちゃ」、と妙に意識すると、かえってつまらない部位をリキませてしまう。解決法としては、まずは息をゆっくりと吐(は)き切ってしまうことです。そうすると、何もしなくても空気は体へ勝手に入り込んで来る。呼吸の順番は字義通り、「吸って吐く」ではなく、「吐いて吸う」である、と考えれば、呼吸時の硬直は避けられます。息を吐き切っていく際、そして吐き切った際の筋肉のバランスも、よく覚えておきましょう。
   通常、就寝時には自然な呼吸(=肩を上下させない腹式呼吸)が行われていますが、起床して活動するにつれ、それが不規則になって来ます。「吸って吐く」を頭で意識し出すと、ますます不自然になる。息の出し入れを意識したときに、筋肉の連動がおかしなことにならないよう、自然な呼吸パターンを静かにウォッチングしてみましょう。呼吸のパターンは、性別・年齢等々によって人それぞれだそうです。××式呼吸法に無理に合わせようとして硬直を招くのでは、意味がありません。 

●首周りのリラックスについて
c0050810_1316699.jpg   肩甲骨を硬直から解き放つためには、まずは首周りを徹底的にリラックスさせることです。それには、頭が軽やかに背骨の上でバランスを取っている必要があります。首周りで一番ネックになるのは何と言っても、両耳の後ろから項(うなじ)にかけての部位です。知らず知らずのうちに、このあたりを萎縮させていると、いつしか猛毒が全身に回ります。逆に言うと、全身の解毒(げどく)をしたければ、首元から手をつけるべきでしょう。
   人間の頭部は体重の1~2割を占めるほどの、かなり重たい物体です。電車で居眠りをすれば、首がダランと倒れるのは自然なことです。一方、肩周りが自由に動くためには顔は真正面を向いているべきですから、ダランと垂れた首を引き上げ、背骨の上に乗せるための筋肉は、最小限使用しなければなりません。
   背骨をホウキの柄、頭蓋骨をカボチャ(球体)とすると、ホウキはカボチャに突き刺さっており、その先端はカボチャの中心に到達しています。カボチャの中心は両耳の真ん中、鼻の穴の奥あたりです。前述の通り、肩甲骨や上腕が自在に動くためには、か細いホウキの上で重たいカボチャが軽やかにバランスを取っている必要があります。人間の眼は前方を見ているので、どうしても頭の後方は意識が回りにくい。横から眺めて、他人の耳が球体の真ん中に付いているのは当たり前であっても、自分の耳は何となく頭のかなり後ろのほうにあるような気がしている。そうすると、頭の後半球の重みをいつしか度外視するため、気付くと前かがみになっている。これを解決するには、リドリー・スコットの「エイリアン」のように、自分の後頭部がうしろへ長く垂れ下がっているようにイメージすることです。そうすれば、自然にアゴは引っ込み、カボチャをホウキの上に上手い具合に乗せることが出来る。喉元を緊張させてアゴを「引き締める」のは、本末転倒です。頭の天辺に紐がついていて吊り下げられている感じ、という形容も体感されて来るでしょう。筋肉の説明ではなく骨の位置関係から述べているのは、そのほうが効率的にリラックス出来るからです。
c0050810_1322396.jpg   余りにも猫背が長年の癖になっている場合、腰を反らせたり背中の下部を突っ張らせずに「姿勢を正しく」することは、いわば真後ろへ向かって体を落下させるに等しい恐怖です。ゆえに猫背は治らず、首周りの硬直もなかなか取れない。良い姿勢を習慣付けていけば、いきなり筋肉が滑らかに動かなくとも、少なくとも筋肉の突っ張りを感じ取れるようにはなって来ます。これは不必要な硬直をほぐしていくための、非常に重要なステップです。一見ラクなダラけた体勢は、そのじつ自分の背骨そのものに寄りかかるに等しく、肩凝り・腰痛の原因となります。いわゆる姿勢の良い人は、見た目の美しさや倫理的規範にしたがって姿勢を正しくしているのではなく、単にラクだから背筋を伸ばしているのです。「正しい姿勢」とは、筋肉の不必要な硬直を起こさないために、体の各部位の重みが適切なバランスを取れる体勢のことであり、結果としての外見の美しさは二義的なものです。
   おおよそのカボチャとホウキの位置関係を感じ取るためには、半仰臥位(セミスパイン)が手っ取り早いでしょう。厚めの硬い本を枕に仰向けに寝、膝を立てます。膝を曲げることによって、股関節周りが緩められます。背中は床にべったり付いているので、床が無ければ体は地球の中心へ落下していくことでしょう。その背中のラインの延長線上より、少し前(上)に頭がある。後頭部の一点が本(枕)で支えられることにより、顔は真正面(天井)を見、首周りはリラックスしています。この体勢を90度回転させたものが、おおよその「正しい姿勢」の指標となり得ます。ストレッチポールを背中にあてがっているイメージも有用かもしれません(購入しないまでも)。

   体全体をリラックスさせ、何かに背中を預けている状態の喩えとしては、巨大な阿修羅に背後から両脇を支え上げられ、「高い高い」をされている、というイメージは如何でしょうか。便宜上、このとき阿修羅は三面八臂(三つの顔に八つの腕)とします。「高い高い」をしながら、同時に阿修羅は別の腕で我々の尺骨を下から持ち上げ、手首の位置を上下左右に動かします。猫背のままだとしんどいので、我々の背筋は自然に伸びるでしょうし、空中に吊り上げられているため腰から足首まではダランと垂れたままです。重要なのは、体を支える阿修羅の腕と、手首を支え動かす阿修羅の腕は別物、ということです。阿修羅の右腕4本をr1、r2、r3、r4とすると、r1は脇を差し込んで骨格の大枠を支える係、r2は前腕中央を下から持ち上げ移動させる係、そしてr3とr4は肩甲骨の両側(背中側と胸側)を手の平で包んで、縮む・伸びるを優しくサポートします。右手が高音域へ移動する(体から離れる)ときは、背中側r3がグッと支え、胸側r4は伸びる筋肉に掌を添え暖める。逆に右手が低音域方向へ移動する際は、今度は胸側r4がアクションの内側(へこむ側)をグッと支え、背中側r3は伸びる背筋を柔らかく介護している。アクションと同じ側の筋肉が縮む際、見えない手によってグッと支えられ、それに「もたれている」、と感じられれば、アクションの反対側の筋肉が共縮することなく伸び、かくして「ちょうどよいバランス」を思い出せるようです。因みに、阿修羅の三つの頭は、「支える筋肉」、「縮む筋肉」、「伸びる筋肉」をそれぞれ管轄しています。
   繰り返しになりますが、「正しい姿勢」とは、手や足を動かしても、ホウキの上でカボチャが軽やかにバランスを取れている状態のことです。無意識に首周りを硬直させたくなる心理的背景については、次章(2-b)で触れます。

●腰周りのリラックスについて
c0050810_18422861.gif   腰周りがリラックスするためには、まず骨盤を立てて坐骨で座ることです。坐骨というのは、骨盤の一番下にある2つの突起です(図参照)。坐骨で座る、とは、頭蓋骨を乗せた背骨の重みを、骨盤が効率よく支える、ということです。
   背骨は背中の皮膚近くではなく、胴体の真ん中を通っています。前かがみになって胴体前後のバランスが崩れるのを避けるために、背筋を伸ばし、背骨から前、すなわち胴体の前半分の重みを、鼠蹊部(股)に乗せていきましょう。いわゆる「丹田」の場所については諸説あるようですが、臍から3~5cm下、皮膚から数センチ下の体内に、風呂場の吸水口のようなものがあって、呼吸のみならず、体の重みもそこに吸い込まれてゆく、とイメージすると、自然に下腹部が折り畳まれていきます。骨盤を寝かせることなく、肛門を少し絞ってみるのも良いでしょう。首周りのリラックスと腰周りのリラックスは相互補完関係にあるので、どちらかが出来れば良い、というものではありません。すなわち、「腰を入れる」ことは、指回りにもつながってきます。
c0050810_13185861.jpg  坐骨で座れているかどうかを判別するためには、腿を少しあげ前後左右に動かしてみて、腰周りの安定性を確かめるのと良いでしょう。腰周りがリラックス出来ていないと、演奏中に足が不要にバタバタ動いたり、腿(もも)がリキんで競(せ)り上がってきたりします。初期フォルテピアノでは、両足の太腿で鍵盤裏側(下面)の「膝レバー(膝ペダル)」を操作しなければなりませんし、オルガンの足鍵盤では持ち上げた足を前後左右へ自在に滑り下ろす必要があります。坐骨で座れていないと、太腿をあげるたびに上半身がグラつき、膝レバー・足鍵盤の操作のみならず、手鍵盤にも深刻な影響を与えます。モダン・ピアノですと、肩周りをかためて鍵盤を押さえ付け、腰周りを固めてガチガチの足首でペダルを踏み付けても、一応音は出せるため、かくして各人各様の気侭な「演奏スタイル」が生まれます。
   余談ながら、膝レバー付き初期フォルテピアノの場合、レパートリー的にダンパーペダルを使用する箇所が少ない上、「補助ペダル」なる道具も不必要、かつ鍵盤も弾きやすく軽い、といった点で、子供の教育用には打って付けだと思います。シュタイン・モデルで、インヴェンションからベートーヴェン悲愴までカヴァー出来ます。
c0050810_13201367.gif  さて、立った状態から椅子へ座る際の座り方、また椅子からの立ち上がり方についても、十分注意が必要です。これには、足を開いて腰を上げ下ろしする、相撲の腰割り(wide-stance squat)が一番でしょう。両足を肩幅より広く、逆ハの字型に開いて立ちます。爪先と膝は同じ方向になるよう、内股を緩め股関節を調節します。(この、股関節~膝~爪先を「逆ハの字型」に揃えることが、肩甲骨面の「逆ハの字」同様、最も重要なポイントだと思います。)顔を真正面に向け、背骨は地面と垂直のまま、太腿が床と平行になるまで、息を吸いながら腰を下ろして(しゃがんで)いきます。そして、息を吐き出しながら元に戻します。普通のスクワットと違ってお尻を突き出さないように、また膝が爪先より内側(の角度)に入って来ないようにします。先述の丹田呼吸、肛門閉めも意識してみましょう。膝を90度以上曲げるのは有害のようです。最初は壁に沿ってやったり、慣れてきたら頭の後ろや胸の前で両手を組む、などのヴァリアントもあります。腰の上げ下げを最も邪魔するのは、意外にも肩周りの硬直のようです。I.B.のチェックが目的ですので、筋肉の微細な突っ張りを一つ一つ丁寧にほぐし、観察していきましょう。突っ張りが無ければ、上半身全体が錘(おもり)となり、まるでフタを取った便器に尻が落ち込んでいくような重心移動を体感出来ます。

(この項続く)
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# by ooi_piano | 2009-11-07 09:11 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)