(承前)
c0050810_130826.jpg    指が動いてくれない、という壁を突破するためには、「ピアノをどうやって弾くか(奏法認識)」というソフト側と、「体をやわらかくしておく(大枠)」のハード側、その両側からトンネルを掘り進み開通させるのが賢明だと思います。第1部で述べたのが前者で、これから述べるのが後者です。もしこの世に完全無欠な鍵盤奏法というものが存在するなら、年をとろうが何をしようが指は回り続けるでしょうし、ピアノのみならずくチェンバロもクラヴィコードもオンド・マルトノでもこなせる筈です。また、いかなる手の変位も体が柔軟に受け流すことが出来るなら、あらゆる体操選手はピアニストへ転職可能でしょう。
   第1部の、指先成分をゼロへ持ち込む奏法については、私は寡聞にして文章化された前例を知りません。(もっとも、それに近い弾き方をしている奏者は少なからずいます。)第2部での体法関連については、幾つかのキーワードで検索すれば山のようにヒットしますので、私などが上から目線でぐだぐだ申し上げる筋合いは本来御座いません。諸歴史的鍵盤楽器も視野に入れた「汎用」を目指しつつ、また自分自身やclosed beta test等で見かけた典型例なども盛り込みながら、おおよそのラインをまとめてみます。「2-a 勝手に筋肉が動いてくれるための準備体勢」、「2-b 各部位を連動させるための導入エクササイズ」、「2-c それでも筋肉が動いてくれない場合」、「2-d 変化のプロセス素描」、の4部に分かれます。


2-a 勝手に筋肉が動いてくれるための準備体勢

c0050810_132544.gif   この項では、筋肉が滑らかに連動するための準備体勢(姿勢による下拵え)について、概観していきます。
   前出記事1-bにおいて、「適切な姿勢で椅子に座っていれば、I.B.(-5)の状態で指を鍵盤に置いた際、手首の角度は水平に近づき、肘は押し出され、肩甲骨は外転する」、と述べました。肩甲骨というのは、背中上部の両端(うなじと脇の間)にある、翼のような骨です。腕を動かす際、本来肩甲骨は前後・左右・上下におのずと回転する筈のものです。
   いかなる時も肩甲骨が自由に宙を舞い続けていてくれれば話は早いのですが、頭を背骨の上に乗せてバランスを取る筋肉、肩甲骨をぐるぐる回す筋肉、手を上へ持ち上げていく筋肉等々が、まるで多面ルービックキューブのように錯綜しており、それらが何かの不都合で一旦絡まって(固まって)しまうと、案外簡単に肩は動かなくなります。肩甲骨と肘(ひじ)は連動しているため、「指は回るけど重みがかけられない」、「重みをかけると指先が固まる」、「一部の指は回るけどポジション移動がしにくい」、等々の事態が発生して来ます。指が回らない原因が、まさか肩や背中の筋肉の不具合とは思いにくいので、硬直の悪循環の冥府魔道を彷徨うことになります。
   筋肉が適切に動いてくれない場合、やはり「正しい姿勢」というものに立ち返るのが結局近道なのは、認めなければなりません。PCの画面を切り替えたり、ボタンを押して反応が返ってくるのを待つ際、ひとは20秒以上は我慢出来ないそうです。正しい姿勢、すなわち最小限のタスクで体を支えるための大枠を設定して、あとは筋肉が勝手に動き出してくれるのをじっと待つ。それが最も賢明だと頭では分かっていても、目先のラクさに引き摺られてしまうのも我々の性(さが)です。
   「朝起きてすぐの20秒」、「大金払っての20秒」、「にっちもさっちも行かない場合の20秒」なら何とか我慢出来るかもしれません。正しい体勢のポイントとなるのは、呼吸、首周り、腰周りの3つです。
   

●呼吸について
c0050810_1342014.jpg   胸に硬いクッションをあててうつ伏せに寝、全身をリラックスさせると、呼吸する胸とクッションの押し引きに連動して、体のさまざまな部分が緩やかに動いていることが分かります。これが脱力の基本です。
   普通に呼吸しているだけで体のどこかに硬直が発生するとしたら、それは息を吸うときでしょう。「空気を吸わなくちゃ」、と妙に意識すると、かえってつまらない部位をリキませてしまう。解決法としては、まずは息をゆっくりと吐(は)き切ってしまうことです。そうすると、何もしなくても空気は体へ勝手に入り込んで来る。呼吸の順番は字義通り、「吸って吐く」ではなく、「吐いて吸う」である、と考えれば、呼吸時の硬直は避けられます。息を吐き切っていく際、そして吐き切った際の筋肉のバランスも、よく覚えておきましょう。
   通常、就寝時には自然な呼吸(=肩を上下させない腹式呼吸)が行われていますが、起床して活動するにつれ、それが不規則になって来ます。「吸って吐く」を頭で意識し出すと、ますます不自然になる。息の出し入れを意識したときに、筋肉の連動がおかしなことにならないよう、自然な呼吸パターンを静かにウォッチングしてみましょう。呼吸のパターンは、性別・年齢等々によって人それぞれだそうです。××式呼吸法に無理に合わせようとして硬直を招くのでは、意味がありません。 

●首周りのリラックスについて
c0050810_1316699.jpg   肩甲骨を硬直から解き放つためには、まずは首周りを徹底的にリラックスさせることです。それには、頭が軽やかに背骨の上でバランスを取っている必要があります。首周りで一番ネックになるのは何と言っても、両耳の後ろから項(うなじ)にかけての部位です。知らず知らずのうちに、このあたりを萎縮させていると、いつしか猛毒が全身に回ります。逆に言うと、全身の解毒(げどく)をしたければ、首元から手をつけるべきでしょう。
   人間の頭部は体重の1~2割を占めるほどの、かなり重たい物体です。電車で居眠りをすれば、首がダランと倒れるのは自然なことです。一方、肩周りが自由に動くためには顔は真正面を向いているべきですから、ダランと垂れた首を引き上げ、背骨の上に乗せるための筋肉は、最小限使用しなければなりません。
   背骨をホウキの柄、頭蓋骨をカボチャ(球体)とすると、ホウキはカボチャに突き刺さっており、その先端はカボチャの中心に到達しています。カボチャの中心は両耳の真ん中、鼻の穴の奥あたりです。前述の通り、肩甲骨や上腕が自在に動くためには、か細いホウキの上で重たいカボチャが軽やかにバランスを取っている必要があります。人間の眼は前方を見ているので、どうしても頭の後方は意識が回りにくい。横から眺めて、他人の耳が球体の真ん中に付いているのは当たり前であっても、自分の耳は何となく頭のかなり後ろのほうにあるような気がしている。そうすると、頭の後半球の重みをいつしか度外視するため、気付くと前かがみになっている。これを解決するには、リドリー・スコットの「エイリアン」のように、自分の後頭部がうしろへ長く垂れ下がっているようにイメージすることです。そうすれば、自然にアゴは引っ込み、カボチャをホウキの上に上手い具合に乗せることが出来る。喉元を緊張させてアゴを「引き締める」のは、本末転倒です。頭の天辺に紐がついていて吊り下げられている感じ、という形容も体感されて来るでしょう。筋肉の説明ではなく骨の位置関係から述べているのは、そのほうが効率的にリラックス出来るからです。
c0050810_1322396.jpg   余りにも猫背が長年の癖になっている場合、腰を反らせたり背中の下部を突っ張らせずに「姿勢を正しく」することは、いわば真後ろへ向かって体を落下させるに等しい恐怖です。ゆえに猫背は治らず、首周りの硬直もなかなか取れない。良い姿勢を習慣付けていけば、いきなり筋肉が滑らかに動かなくとも、少なくとも筋肉の突っ張りを感じ取れるようにはなって来ます。これは不必要な硬直をほぐしていくための、非常に重要なステップです。一見ラクなダラけた体勢は、そのじつ自分の背骨そのものに寄りかかるに等しく、肩凝り・腰痛の原因となります。いわゆる姿勢の良い人は、見た目の美しさや倫理的規範にしたがって姿勢を正しくしているのではなく、単にラクだから背筋を伸ばしているのです。「正しい姿勢」とは、筋肉の不必要な硬直を起こさないために、体の各部位の重みが適切なバランスを取れる体勢のことであり、結果としての外見の美しさは二義的なものです。
   おおよそのカボチャとホウキの位置関係を感じ取るためには、半仰臥位(セミスパイン)が手っ取り早いでしょう。厚めの硬い本を枕に仰向けに寝、膝を立てます。膝を曲げることによって、股関節周りが緩められます。背中は床にべったり付いているので、床が無ければ体は地球の中心へ落下していくことでしょう。その背中のラインの延長線上より、少し前(上)に頭がある。後頭部の一点が本(枕)で支えられることにより、顔は真正面(天井)を見、首周りはリラックスしています。この体勢を90度回転させたものが、おおよその「正しい姿勢」の指標となり得ます。ストレッチポールを背中にあてがっているイメージも有用かもしれません(購入しないまでも)。

   体全体をリラックスさせ、何かに背中を預けている状態の喩えとしては、巨大な阿修羅に背後から両脇を支え上げられ、「高い高い」をされている、というイメージは如何でしょうか。便宜上、このとき阿修羅は三面八臂(三つの顔に八つの腕)とします。「高い高い」をしながら、同時に阿修羅は別の腕で我々の尺骨を下から持ち上げ、手首の位置を上下左右に動かします。猫背のままだとしんどいので、我々の背筋は自然に伸びるでしょうし、空中に吊り上げられているため腰から足首まではダランと垂れたままです。重要なのは、体を支える阿修羅の腕と、手首を支え動かす阿修羅の腕は別物、ということです。阿修羅の右腕4本をr1、r2、r3、r4とすると、r1は脇を差し込んで骨格の大枠を支える係、r2は前腕中央を下から持ち上げ移動させる係、そしてr3とr4は肩甲骨の両側(背中側と胸側)を手の平で包んで、縮む・伸びるを優しくサポートします。右手が高音域へ移動する(体から離れる)ときは、背中側r3がグッと支え、胸側r4は伸びる筋肉に掌を添え暖める。逆に右手が低音域方向へ移動する際は、今度は胸側r4がアクションの内側(へこむ側)をグッと支え、背中側r3は伸びる背筋を柔らかく介護している。アクションと同じ側の筋肉が縮む際、見えない手によってグッと支えられ、それに「もたれている」、と感じられれば、アクションの反対側の筋肉が共縮することなく伸び、かくして「ちょうどよいバランス」を思い出せるようです。因みに、阿修羅の三つの頭は、「支える筋肉」、「縮む筋肉」、「伸びる筋肉」をそれぞれ管轄しています。
   繰り返しになりますが、「正しい姿勢」とは、手や足を動かしても、ホウキの上でカボチャが軽やかにバランスを取れている状態のことです。無意識に首周りを硬直させたくなる心理的背景については、次章(2-b)で触れます。

●腰周りのリラックスについて
c0050810_18422861.gif   腰周りがリラックスするためには、まず骨盤を立てて坐骨で座ることです。坐骨というのは、骨盤の一番下にある2つの突起です(図参照)。坐骨で座る、とは、頭蓋骨を乗せた背骨の重みを、骨盤が効率よく支える、ということです。
   背骨は背中の皮膚近くではなく、胴体の真ん中を通っています。前かがみになって胴体前後のバランスが崩れるのを避けるために、背筋を伸ばし、背骨から前、すなわち胴体の前半分の重みを、鼠蹊部(股)に乗せていきましょう。いわゆる「丹田」の場所については諸説あるようですが、臍から3~5cm下、皮膚から数センチ下の体内に、風呂場の吸水口のようなものがあって、呼吸のみならず、体の重みもそこに吸い込まれてゆく、とイメージすると、自然に下腹部が折り畳まれていきます。骨盤を寝かせることなく、肛門を少し絞ってみるのも良いでしょう。首周りのリラックスと腰周りのリラックスは相互補完関係にあるので、どちらかが出来れば良い、というものではありません。すなわち、「腰を入れる」ことは、指回りにもつながってきます。
c0050810_13185861.jpg  坐骨で座れているかどうかを判別するためには、腿を少しあげ前後左右に動かしてみて、腰周りの安定性を確かめるのと良いでしょう。腰周りがリラックス出来ていないと、演奏中に足が不要にバタバタ動いたり、腿(もも)がリキんで競(せ)り上がってきたりします。初期フォルテピアノでは、両足の太腿で鍵盤裏側(下面)の「膝レバー(膝ペダル)」を操作しなければなりませんし、オルガンの足鍵盤では持ち上げた足を前後左右へ自在に滑り下ろす必要があります。坐骨で座れていないと、太腿をあげるたびに上半身がグラつき、膝レバー・足鍵盤の操作のみならず、手鍵盤にも深刻な影響を与えます。モダン・ピアノですと、肩周りをかためて鍵盤を押さえ付け、腰周りを固めてガチガチの足首でペダルを踏み付けても、一応音は出せるため、かくして各人各様の気侭な「演奏スタイル」が生まれます。
   余談ながら、膝レバー付き初期フォルテピアノの場合、レパートリー的にダンパーペダルを使用する箇所が少ない上、「補助ペダル」なる道具も不必要、かつ鍵盤も弾きやすく軽い、といった点で、子供の教育用には打って付けだと思います。シュタイン・モデルで、インヴェンションからベートーヴェン悲愴までカヴァー出来ます。
c0050810_13201367.gif  さて、立った状態から椅子へ座る際の座り方、また椅子からの立ち上がり方についても、十分注意が必要です。これには、足を開いて腰を上げ下ろしする、相撲の腰割り(wide-stance squat)が一番でしょう。両足を肩幅より広く、逆ハの字型に開いて立ちます。爪先と膝は同じ方向になるよう、内股を緩め股関節を調節します。(この、股関節~膝~爪先を「逆ハの字型」に揃えることが、肩甲骨面の「逆ハの字」同様、最も重要なポイントだと思います。)顔を真正面に向け、背骨は地面と垂直のまま、太腿が床と平行になるまで、息を吸いながら腰を下ろして(しゃがんで)いきます。そして、息を吐き出しながら元に戻します。普通のスクワットと違ってお尻を突き出さないように、また膝が爪先より内側(の角度)に入って来ないようにします。先述の丹田呼吸、肛門閉めも意識してみましょう。膝を90度以上曲げるのは有害のようです。最初は壁に沿ってやったり、慣れてきたら頭の後ろや胸の前で両手を組む、などのヴァリアントもあります。腰の上げ下げを最も邪魔するのは、意外にも肩周りの硬直のようです。I.B.のチェックが目的ですので、筋肉の微細な突っ張りを一つ一つ丁寧にほぐし、観察していきましょう。突っ張りが無ければ、上半身全体が錘(おもり)となり、まるでフタを取った便器に尻が落ち込んでいくような重心移動を体感出来ます。

(この項続く)
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# by ooi_piano | 2009-11-07 09:11 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)


(承前)

2-b.  各部位を連動させるための導入エクササイズ

c0050810_1338159.jpg   2-aの条件下で、手首~肘~肩甲骨を連動させるエクササイズを導入していきます。
   エクササイズといっても単純なもので、手首を誰かに持ち上げてもらい、左右に軽く揺すってもらうだけです。手首に合わせて肘~肩甲骨がブラブラ揺れていれば、もうオッケーです。ただ、これが案外難しい。様々な方々と脱力セッションをさせて頂いて、ほぼ共通していたのは、ある年齢以上ではどうしても肩が固くなることでした。その場で一時的にやわらかくすることは出来ても、ピアノの前に座るとまた固くなったり、奏法に落とし込めなかったり、等々。手首を「置く」だけで鍵盤が押し下がるためには、「置く」アクションに逆らう筋肉は全て緩めることが前提となります。余計な筋肉が突っ張ると、それだけ「置く」アクションの効率が阻害されるからです。
   効率的に腕を動かす、というのは、出来るだけのたくさんの部位の筋肉を、最小限ずつ使用することです。特定の少ない部位の筋肉を精一杯動かそうとすると、痛くなったり動かなくなったりする。腕が軽い、とは、沢山の部位がちょうどバランス良く参入している状態を意味します。
c0050810_13392556.jpg   解剖図を見ながら××筋を動かし××筋を動かさないように、と思ってみても、特に肩周りでは、そうは簡単にことは運びません。付加的な指令を脳から発信するのは諸刃の刃(やいば)で、使用は限定した方が良いでしょう(次章参照)。動きを支える部位の準備が出来たら(前章参照)、あとは筋肉が勝手に回りだしてくれるのを待つのがベストです。勝手に動いてくれたときが、筋肉の組み合わせが最も効率化されているからです。
   困ったことには、突っ張った筋肉は緩められて初めて、突っ張っていたことが分かります。各部位の筋肉の質は人それぞれであり、しかも今日と明日で状態が変わる。注意深いストレッチとは、往々にしてアクションの反対側に位置する、縮まなくて良い筋肉をじっくり解除し、各部位の可動域を広げていくことです。実のところ、体が動く動かないの問題解決は、それに尽きます。注意深いチェックとは、脳の可塑性を活用した、神経回路の再構築に他なりません。味噌汁を作る前に慎重に出汁を取る程度の、慣れれば当然、慣れてなければ面倒、わずかな手間隙・味見が必要な準備作業のことです。そのあたりを含み込みながら、肩周りを緩めていきましょう。


●誰かに揺さ振ってもらう場合
c0050810_13414757.jpg   以下、揺する側(A)・揺すられる側(B)の視点を、適宜シフトしながら書いていきます。いま揺する側(A)は人間を想定していますが、最終的にはこの(A)は楽器そのものです。すなわち、「ピアノに手をつかまれ、揺さ振られている」、という見方です。
   まずBは直立して、両腕をラクに垂らします。【1】AはBの手首を、前方の鍵盤位置の高さくらいまでゆっくり持ち上げていきます。そして元へ戻す。【2】再び手首を鍵盤位置まで持ち上げ、その高さで高音域(右方向)、低音域(左方向)へゆっくり動かす。同様に【3】上下、【4】前後へも移動させます。このとき、手首の移動にともなって、前章の「肩周りのリラックス」、ホウキの上で軽やかにバランスを取るカボチャを意識しましょう。
   【5】次に、鍵盤位置まで持ち上げた手を、その位置で軽く左右に揺すってもらいます。そのまま軽く揺すり続けながら、手首の位置を【6】左右、【7】上下、【8】前後に移動させます。【1】~【4】の場合と、【5】~【8】の場合に、背中周り・肩周りに何か違いが起きたか、観察してみましょう。
   そののち、今度は椅子に座って同じことを繰り返します。立った時に比べて座った際に何か不都合があったなら、2-aの「腰周りのリラックス」を意識してみましょう。以下、【1】~【8】での注意点など。

c0050810_13425745.jpg   【1】・・・ AがBの手に触れる前に、既にBが手を差し出して来ることがあります。両腕は全行程を通じて、ブランと垂れ下がったままにしてもらって下さい。赤の他人に手を握られる心理的抵抗感、あるいは、急に腕に放されてその落下の衝撃を受ける恐怖(=高所恐怖症の一種)から、脇や腕を硬くしてしまわないようにしましょう。腕の「脱力」を確認するため、ピアノ教師が生徒の腕をガッと持ち上げ、急に放して自由落下するかどうかテストすることがありますが、果たして、一般に演奏中も始終その「落下状態」は守られているでしょうか。
   変位(動かす)の直前に、まずはBに息を吐き切ってもらいましょう。息を吐き切ったタイミングを見計らった直後、空気が体の中へ自然と入り込んでくる(=Bが息を吸う)のと平行して、手首を持ち上げていきます。アクションの前に、就寝時に息を吐き切った際の体の状態を再現して下さい。そこがエクササイズの出発地点です。そして、今度は息をゆっくり吐き出すのと同時に、腕を下ろしていく。それが出来たら、今度は呼気と吸気のタイミングを逆にしてみましょう。
   一連のプロセスにおいて、「頭は空中にしろしめし、体はただ事も無く平和」、という遠隔操作感が大事です。妙な突っ張りは解除してゆくべきですが、それ以外は一切何もせず、BはAのなすがままにしていること。AがBに、「息をゆっくり吸いながら」「息をゆっくり吐きながら」「顔は正面を向いたままで」「はいもっと力を抜いて、もっと抜いて、さらに抜いて」「へその下から息を出し入れして」「突っ張っているところをちょっとずつリリースしていって」などと、声をかけるのも効果的です。ふわふわ、どろどろ、にゅー、どーん、びよーん等の擬態語を、AのみならずB自身が口に出してストレッチするのも、ときにあっけないほどの変化を齎すようです。音楽的には、ティラリ、リララ、ディヤダ等の口三味線で、アーティキュレーション・節回しが全く違ってくることに相当します。
   手の位置を変化させる際、諸関節が適切に動いているかどうかを判別するのは、素人の手に負えることではありませんので、厳密には専門家に当たられることをお勧めします。

c0050810_13434297.jpg   【2】~【4】・・・ AがBの右手を取って高音域側へ動かそうとすると、右脇が閉まってAの手を引っ張り返してしまう(【2】)。鍵盤位置から手首を上へ持ち上げていくと、今度は吊り橋のように垂れているべき肘がリキんで外側へ張り出し、脇が開く(【3】)。手首の位置を胴体側へ押し込んでいくと(=手押し相撲)、肩と肘が背中方向へ退却し受け流すことなく、脇が締まり、胸の手前で肘が折り畳まれてしまう(【4】)。 ・・・というのが、よくあるパターンでした。
   このうち最も問題なのは、手を左右に腕を動かすときに肩甲骨周りが固くなり、移動がぎごちなくなったり、鍵盤に手を押し付けてしまうことでしょう。右手の場合、高音域という遠い見知らぬ場所を、「弱い」指(小指・薬指)で弾かねばならない、という心理、また左手の場合は低音域を爆音で弾きたい、という心理が、跳躍のための硬直やらオクターヴ用の硬直やら(前述)と組み合わさって、脇の締め付けを起こしています。そもそも、ベートーヴェン時代までの鍵盤楽器の高音域は、元々細く薄くなるよう設計されていましたので、左手を柔らかく右手をたっぷりと輝かしく弾くのが上級者、という考え方も、わりと最近の話です。右手が鍵盤中央を弾く際のI.B.をI.B.(x=0)、そこから30cm右方向を弾く際のI.B.をI.B.(x=30)とすると、右手を鍵盤中央から右方向へ30cm跳躍させるためには、その跳躍直前にI.B.(x=0)からI.B.(x=30)へと、胴体の中で準備作業が出来ていなければなりません。細かいアーティキュレーションを施すための浮遊する手首を体感するためには、鍵盤表面上の爪先グリッサンドでノイズを立てるラッヘンマン《ギロ(グエロ)》を練習してみると良いでしょう。白鍵の表面を高速で爪先グリッサンドしても、実音が決して出ないようにすること。x=0のポジションからx=30のポジションへの移動を練習する際、ほどよい等速で《ギロ》式に滑っていくのは、keyboard mappingにも大いに役立ちます(これはオルガンの足鍵盤も同様です)。
  腕が横方向に引っ張られたとき、その変位を受け流すには、体の中心線を意識してみると良いでしょう。背骨が上方向と下方向に延長され、体全体が垂直方向に串刺しになっているとイメージします。手が引っ張られると、串を中心に筋肉・内臓はくるくる回る。体を捻(ひね)らない、という考え方は、武道の順体、相撲の調体(てっぽう)、歌舞伎の六方(ろっぽう)、ナンバ歩き等にも見られる智慧です。

c0050810_13445017.jpg   【5】~【8】・・・ 手首を揺すられたときに肩甲骨がブラブラと連動してくれない、あるいは揺すられると手首位置の移動に支障が生じたりするのは、硬い肩、すなわち首周りの緊張に起因しています。肩が「開端」していないことにより波動が堰き止められていることは、Bには自覚出来ていなくても、Aは如実に手元で感じることが出来ます。縄跳びの縄を左右に振ってヘビごっこをする際、縄の一方が結び付けられているかどうかは、手元ですぐ判別出来るのと同様です。
   他人によって肩甲骨が揺すられること、すなわち、気道に近い筋肉がぐにょぐにょ動かされるのは、慣れないうちは恐怖、少なくとも不愉快なことです。そんな生命線に近いところ(=喉)が吊り橋の一端となっているなど、考えたくない。動くにしても、もうちょっと手前が動いて欲しい。そもそも、いつも動いていないところ(=慣れないところ)は、他人はおろか、自分自身でも動かすのは億劫なものです。かくして首周りを固めてしまう。
   また、「腕の付け根」というものが、肩あるいは脇の固定された「一点」だと思っているため、肩甲骨をまるごとペロンと動かすことを無意識に拒絶してしまう。これは解剖図などを見れば一目瞭然ですので、知識で誤認を解決出来る範囲ではあります。
   リラックスということでは、BがAの膝に乗り、背中側から二人羽織のように手を握られ、揺すってもらうのが理想的かもしれません。ぶらぶら手首を揺すりながら、AがBの肩甲骨あたりにもう一方の手を添える、あるいは肩甲骨近くに手をかざすだけで、Bの動きに変化が起こることがあります。言葉と体温と催眠ペンダントで、ひとは幾らでも暗示にかかる、ということでしょう。

   応用編としては、たとえばB自身が左腕を「うらめしや」状態で持ち上げておいて、別途Aに右腕を揺すってもらう。左腕を持ち上げていることが、右肩周りの脱力を邪魔していないかどうか。加えて、左手の指を開いたり握ったりした場合はどうなるか。なにか条件を付け加えたときに、意識的無意識的な筋肉調整の変化を観察しましょう。


c0050810_18151799.jpg●自分で揺すってみる場合
   誰かに揺すってもらった際の筋肉の状態を思い出しつつ、今度はアシスト無しでやってみましょう。不具合の調整に好きなだけ時間をかけられるメリットの一方、手を動かすための脳からの指令にバグが含まれている危険も覚悟しなければなりません。
   まず腰の横に両腕を垂らします。手のひらを前へ向けると、上腕は回外し、肩甲骨が内側へ寄ります(=内転)。手のひらを背後、さらには逆手で外側へ向けると、上腕は回内し、肩甲骨は外側に広がります(=外転)。手首を「うらめしや」状態で持ち上げ、少しだけ内側・外側に傾けた際、手首~肘~肩甲骨が連動して傾いているでしょうか。手首~肘~肩甲骨をゆるゆると揺らしつつ、手首の位置を左右・上下・前後に動かした際、滑らかにI.B.が取れれれば、このエクササイズは終了です。   
c0050810_13473576.jpg   第1-b章で述べたように、自分自身で手を持ち上げる場合、「前腕の真ん中あたり(手首と肘の間)がヘリコプターで吊り下げられている」、あるいは「下からT字杖(or物干し竿受け)でリフトアップされている」、という体感イメージがベストだと思います。これは、前腕の尺骨、すなわち手首の小指側の付け根と肘を結ぶラインを動きの支点とするに等しい。もし手・腕のどこかに意識をあてるとするなら、それは指先ではなく、尺骨の真ん中(重心)あたりであれば、手首から先をリキませずに済みます。
   尺骨を物干し竿とすると、その真ん中をT字杖で下から持ち上げ、そのまま竿の端にブラ下がっていた手首を鍵盤に引っ掛けること。「うらめしや」状態だった手は鍵盤を押し下げ、それと連動して、吊り橋のように垂れていた肘は外側へ押し出され、上腕は回内し、肩甲骨はニュートラル位置から外転します。指先が対象物に触れた瞬間、上腕が回内し肩甲骨は外転し、余計な力を入れずに腕の重みを対象物へ伝えられるのは、弦楽器の右手・左手についても同様だと思います。
   重要なのは、肩甲骨が外転し、その状態でフレクシブルに左右に揺れていることです。解剖図のことは一端忘れて、肩甲骨が空中でフワフワ転がっているテトラパックだと思うこと。ある方向へ動くべきものだ、という思い込みが硬直を招きます。上腕が回内していても肩甲骨が連動しなければ、遠からず肩に激痛が走るでしょう。ピアノの連続高速オクターヴ連打や、一流弦楽器ソリストも内心気に病む「一弦連続スタッカート」は、盆の窪を緩めて指先・弓先の喰い付きにより肩甲骨をゆるゆると電気アンマする(軽く波打たたせる)ことに尽きるのでは無いでしょうか。

c0050810_13493096.jpg   手首~肘~肩甲骨の連動について、別経路で考えてみます。まず腰の横に両腕を垂らします。そのまま上半身全体を左右に捻ると、両腕はデンデン太鼓のように投げ出され、振り回されます。一挙に両腕ともデンデン太鼓状態にするのは難しいので、例えばまず右腕は胴体にぴったり貼り付けて固定しておいて、左腕だけをブンブン回す、その次に左腕を固定して右腕を振り回す、最後に両手で、という順を追っても良いでしょう。脇の上で、肩甲骨と鎖骨がクランクシャフトのような押し競饅頭をしているのを感じること。
  それが出来たら、片手ずつ手首を「うらめしや」状態へ持ち上げていきましょう。持ち上げるのは少しで良いです。その際、デンデン太鼓状態がどれくらい崩れるでしょうか。「裸で歯を磨くとチンチンが揺れるのは、チンチンが脱力しているからである」、「シリコンが入っていないおっぱいは、走ると内側へ向かって回転して揺れる」等の喩えは、脱力セッションに付き合って頂いた皆様から、分かり易いとの御高評を頂きました。
   こういった柔軟エクササイズは、一回出来たらハイ終わり、ではなく、不具合を感じる毎に回帰し常にチェックすべきものです。ピアノ教育の何割かは、この手のボディワークに割くべきでしょう。無論、従来の鍵盤演習とのリンクも可能です。例えば、学生時代にハノンを弾いて上手くなった、という事例は、指先と肩甲骨の回転がシンクロ出来るようになったことを意味している可能性があります。確かにあの音型はリンク作業に向いている。何でもモノは使いようであり、リキんだ指先・手首・肘でタイピングに興じるので無ければ、ハノンもコルトー・メソッドも全否定すべき存在では無いでしょう。


●同じように足首を揺すってみる
c0050810_13501658.jpg   今度は、手首のかわりに足首を持ち上げて、揺すってみましょう。手首のときと同様、足首はフワッフワの状態のままにします。椅子や地面があるとどうしても踏ん張ってしまいたくなるので、例えば空中に浮かぶ椅子に、タケコプターで着地する、とイメージしましょう。当然タケコプターは頭の天辺についています。椅子は宙に浮かんでますので、座っても足首は空中に垂れ下がっています。椅子を取り払うと、元のタケコプター飛行状態(=手足ともにダランと垂れている)に戻ります。・・・この喩えが想像しにくい場合は、プールサイドで水に足を漬けている状態、と言ったほうが早いかもしれません。どちらにしても、椅子には坐骨で座っています。
   もし見えざる手で脛(すね)を握られ、上下・左右・前後に動かされた際の、股関節の角度や膝の曲がり具合を想像してみましょう。例えば足先が右方向へ動かされた際、股関節がリキんで無ければ、おのずと膝は内側へ落ち込む(=内股になる)筈です。これが、オルガンの足鍵盤奏法の基本です。広背筋は腰周りと肩周りをリンクしているで、「足首がフワッフワでいられる」ことは、手の指先へも影響する可能性があります。
   アフリカならびに中南米の人たちに見られるリズム感の良さは、足首の柔らかさ、腰周りの柔軟性に由来しているのかも、と思ったことがあります。乗馬にしても、鐙(あぶみ)を踏ん張ってしまうと駄目みたいです。ロナウジーニョの足にボールが吸い付いているように見えるのは、ありとあらゆる足首と膝の位置のためのI.B.を、安定して連続させられるからでしょう。一本歯下駄やMBTシューズに頼らずとも、ひょっとするとブッシュマンの如く裸足のままフワフワと都会を歩き回れば、太古の記憶も蘇ってくるかもしれません。

(この項続く)
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# by ooi_piano | 2009-11-07 09:10 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

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 Versuchの中核部分は、第1部の奏法論、第2部前半のエクササイズ導入で既に述べたことになります。ここでブレイクを。
  指が回る・回らない、という、原因不詳の壁に突き当たった際の対応の差は、実は、日頃の学習態度にも現れている筈です。まずは、専門学生とアマチュア愛好家の典型例で比較してみましょう。


専門学生  ⇔  アマチュア愛好家

(1)地味な曲を地道に練習するのは当然の仕事  ⇔  (2)人をアッと驚かせモテモテになりたい

(3)意図的に曖昧な言い回しには慣れている   ⇔   (4)完全に途方にくれる

(5)一曲仕上げるのに長時間を覚悟   ⇔   (6)何か秘法を知ればすぐに弾けるようになるものと夢想

(7)お手本を弾かれた際、ある程度は吸収   ⇔   (8)ポカーンと傍観

(9)入試やコンクールの内部裏事情をgetすれば元が取れる   ⇔  (10)有名人の師事歴が書けると嬉しいな

(11)曲を練習するのは基本的に義務感からなので、新しい課題は面倒なだけ   ⇔  (12)好きな曲・好きな楽器を好きなタイミングで練習するのにワクワク

(13)才能が無いことは薄々気付いている   ⇔   (14)自分は本当は天才だと思っている

(15)それでも音楽業界に身を置きたい  ⇔   (16)音楽を仕事にするほどアホでは無い


c0050810_1355326.jpg   左項(専門学生的)、右項(アマチュア的)ともに、長所・短所があると思います。クラシックの演奏家が古楽器や現代曲に手を出さないのは、プロフェッショナル的(11)とも言えるし、アマチュア的(2、4、6、8)とも批判され得る。重音のパッセージが弾けない、クラヴィコードがうまく発音出来ない、あるいは寝違えや四十肩で指が回らなくなって右往左往するのは、解決法がメソッド化されていない(4)、奏法の根源的見直しや長期間の忍耐を要する(6)、という点で、本来はプロにとって、がぷり四つに組むべき課題ではあります。

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  専門学生の中には、「弾けてしまう子」と「弾けない子」がいます。これも、情報授受におけるリテラシーの問題として、考えてみましょう(過去記事再掲)。

  【弾けてしまう子の場合】・・・・・弾けてしまう子はしばしば、教師の言うことを聞きません。3割先生、7割自分。先生側も、好きにさせておくことが多い。
  さて、こういう子が教える立場になると、なにせ、いつのまにか弾けてしまうので、「どうして弾けるのか」を省察・言語化していることは稀です。ですので、なぜ生徒の指が回らないのか理解出来ない。ムカデに歩き方を尋ねるようなもので、善意でのアドヴァイスも生徒の混乱を招いたり、表層的な効果を狙うだけになりがちです。

  【弾けない子の場合】・・・・・・弾けない子はしばしば、教師の言うことに振り回されます。7割先生、3割自分。教師側も、まさか自分の言ったことが、生徒の可能性を凋めているとは夢にも思っていません。
  さて、こういう子が教える立場になると、さらに話はややこしい。ピアノを20数年誰かに師事して、ピアノは弾けるようにならなかったが、ピアノを「教える」ことは出来るようになった。なんとなれば、20数年間耳にタコが出来るほど聞かされた言葉を、自分で理解も納得も実践もすることなく、適当に復唱していれば商売になるからです。いわく、「もっと力を抜いて」「もっと感情を込めて」。 (→振り出しに戻る→)

c0050810_1356172.jpg   先述の「専門学生的」と「アマチュア的」の対比と同様に、先生側・生徒側双方に、各々の要素が混在するのが普通です(ドビュッシーは得意だけどバッハは頓珍漢、etc)。良心的なボディワークでは、行き当たりばったりの思いつきを投げかけることは無いでしょうが、壁に突き当たった際に途方にくれる点では五十歩百歩です。胃の中の紐を引っ張ればクシャミが出る、というほど人間の体は単純では無いので、約(つづ)まるところ、壁に向き合い続けるのは自分自身の意思・忍耐でしかない。
     生徒としての良し悪しは、ある情報が目の前を通過していった際に、その後ろ髪を毟り取るべく手を伸ばすか伸ばさないか、で明暗が分かれます。「こういうムズカシイ説明がしてある本(or授業)は分からない」と尻込みするのも困り物だけれど、「これなら知っている」と早合点するのはそれより遥かに危険でしょう。

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   演奏家と現代作品の関係にも、この種の類似性が見られます。現代曲を「未知の課題」と置き換えれば、これは「専門家的」「アマチュア的」とまったく平行現象です(再掲)。

一般的 ⇔ 現代曲プロパー的

(A)楽器は上手いが現代曲に興味が薄い ⇔ (B)楽器は下手だが現代曲を長時間我慢して練習出来る

(C)評価が確立していて既に参照録音も存在するような作品なら弾く ⇔ (D)新作初演上等、作曲家とのコラボも好き

(E)誰かに演奏法を教えてもらえるなら弾く ⇔ (F)職人は自分で道具を作って手入れするもの、練習法など自分で開発して当然

(G)汎調性、汎パルスの弾き易い曲なら弾く ⇔ (H)メロディもパルスも無いノイズ系上等

(I)歌ったりアクションしたりするなど考えられない ⇔ (J)叫ぶのも脱ぐのも大喜び

c0050810_13535765.jpg   上記で二極化した右項目に該当する演奏家は、なんだかんだで貴重な存在ですが、現代音楽演奏コンクールで優勝して日が当たるのが常に右項系とは限りません。もっとも、右項系は右項系で、バッハなど弾かせると左項系真っ青の古色蒼然たる解釈だったりしますので、情けない限り。
   教育課程には一応のゴールが設定されています。エリートであればあるほど、ゴールよりも先の譜面に遭遇した場合――すなわち、「初見でだいたいのところが掴めない」作品の場合――、脆くも思考停止になりがちです。優れた演奏能力を持ち、現代音楽に多大の関心がありながらも、上記の「左項系」(中ん就く(G)⇔(H)の「反ノイズ系」)に収束してしまうのは、こういった音楽教育の知られざる弊害と言えます。
   「アルゲリッチのテンポ・ルバートを耳コピー出来る俺って、凄くね?」的な発想は、アマチュア・プロを問わずよく見かけるものですが、いまや古楽や現代音楽の分野にもこの悪習が広がりつつあるようです。先だって聞いた米人奏者によるクセナキス《エヴリアリ》(しかも複数)は明らかに高橋アキ盤を下敷きにしていましたし、《シナファイ》についても同じ感想を持った演奏がありました(聞けば分かります)。譜面から自分の解釈を組み立てられないのなら、現代曲などに手を出すべきではありません。

c0050810_1359827.jpg   さて、上記の右項系が抱える宿痾は、何と言っても「不真面目さ」「不徹底さ」でしょう。いつになっても左項系から不審視される所以でもある。
   爛熟ロマン派と現代のピアノ曲の一部には、大量の音符をモーレツな勢いで演奏させる、「超絶技巧作品」なるカテゴリーが存在します。これを好んでレパートリーとして取上げるのが、「超絶技巧ピアニスト」です。
   B.カニーノはシュトックハウゼンのピアノ曲のうち、第1~第11番全曲を弾いたそうです(第10番除く)。「第10番は弾いていない」というコメントを聞いたときに、「ああ、あの曲は特にリズム表記が錯綜を極める上に、音符が多くて指が回らないからだろう」、などと思っていたものでしたが、これには別の見方もあります。第10番を弾いているピアニストは、(i)リズム表記ならびにデュナーミク指定を完全に無視して弾きまくっているだけ(初演者ジェフスキーなど)か、(ii)楽譜のテクスチュアそのものが本来内含する修辞論的理想像に肉薄するのを途中放棄しているか、のどちらかにおよそ二分出来ます。逆に言うと、「楽譜から音高以外の情報を読み取る能力が無ければ無いほど―――すなわち音高以外の音楽情報を捨象出来るほど―――、超絶難曲は弾きやすい」、ということです。
   ここで一つ、答えが出ました。「音高以外、特にリズムはケンチャナヨ」。リゲティのエテュード集がこれだけ幅広く弾かれるようになったのは、汎調性でロマンチックな演奏効果を持つことに加えて、「リズムを数えなくて良い」ことが大きいと思います。ブーレーズ初期作品だって、最初に音高さえ我慢して拾ってしまえば、あとはポリーニのCDでリズムを「覚える」だけで、莫迦でも「弾ける」ようになります。
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# by ooi_piano | 2009-11-07 09:09 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)