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大井浩明 フォルテピアノリサイタル
Liszt Ferenc nyomában, látomásai és vívódásai
全自由席4,000円
お問い合わせ poc@artandmedia.com (アートアンドメディア株式会社)

〈使用楽器〉 1840年製エラール(Érard)社フォルテピアノ [80鍵、430Hz]
〈使用エディション〉 新リスト全集 (1972/2021、ミュジカ・ブダペシュト社)
チラシ

2/21(土)18時 1840年製エラールによる《リストとショパンの連接》_c0050810_09075149.jpg

【第4回公演「ショパンとの連接 Connexities with Chopin」】
2026年2月21日(土)18時開演(17時半開場)


ショパン「6つのポーランド歌曲」 S.480 (1857/60) 18分
I. 願い [主題と3つの変奏] (1829) - II. 春 (1838) - III. 指環 (1836) -
IV. 酒場の唄 (1830) - V. 私の愛しい人 (1837) - VI. 家路 [許婚] (1831)

ベッリーニ《清教徒》の行進曲による「創世の六日間(ヘクサメロン)」変奏曲 S.392 (1837) 20分
序奏 - 主題 - 第1変奏(S.タールベルク) - 第2変奏 - 第3変奏(P.ピクシス) -
第4変奏(H.ヘルツ) - 第5変奏(C.チェルニー) - 第6変奏(F.ショパン) - 終曲

ラマルティーヌによる交響詩《前奏曲》 S.511 (1855/59) [C.タウジヒ編独奏版] 17分
I.星辰 - II.愛 - III.嵐 - IV.田園画 - V.勝利

(休憩)

超絶技巧練習曲集(第2稿) 第7番~第12番 S.137 (ミラノ初版、1838) [ショパンに献呈] 40分
7. Allegro deciso - 8. Presto strepitoso - 9. Andantino -
10. Presto molto agitato - 11. Lento assai - 12. Andantino

三関健斗(1996- ):《雲を喰らい尽くす》(2026、委嘱初演) 5分

(休憩)

2つのポロネーズ S.223 (1852) 20分
I. Moderato (憂鬱なポロネーズ) - II. Allegro pomposo con brio

華麗なマズルカ S.221 (1850) 4分

慰め S.172-3 (1850) 5分

バラード第2番 S.170a (1853、初稿) 14分

子守歌 S.174 (第2版、1862) 10分

葬送、1849年10月 S.173-7 (1849) 11分

Joseph Kriehuber (1800-1876) : "Ein Matinée bei Liszt" (1846)
(左から)Joseph Kriehuber, Hector Berlioz (1803-1869), Carl Czerny (1791-1857), Franz Liszt, Heinrich Wilhelm Ernst (1814-1865)
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"Liszt Ferenc nyomában, látomásai és vívódásai"
Hiroaki OOI, fortepiano
Shōtō Salon (1-26-4, Shōtō, Sibuya-ku, Tokyo) [Google Map https://shorturl.at/bgzJM]
Instrument: An original Hammerflügel by Érard [1840, Paris, 80 keys, 430Hz]
Edition: The New Liszt Complete Critical Edition (NLE), Editio Musica Budapest (1972/2021)
4,000 yen
reservation: poc@artandmedia.com(Art & Media Inc.)

< Connexities with Chopin - Συνάφεια με τον Σοπέν >
Sat. 21 February 2026, 6pm start
Kent Miseki (1996- ): "Devour the clouds" for fortepiano (2026, Commissioned Work, World Premiere)
Franz Liszt (1811-1886) : 6 Polish Songs S.480 (1857/60), Hexaméron Variations S.392 (1837), Symphonic poem "Les Préludes" S.97 (1854/59) [arr. by C.Tausig], Grandes études S.137 (Milan first edition, 1838) [dedicated to Chopin], 2 Polonaises S.223 (1852), Mazurka brillante S.221 (1850), Consolations S.172-3 (1850), Ballade No.2 S.170a (1853, 1st version), Berceuse S.174 (1862, 2nd version), Funérailles S.173-7 (1849)



三関健斗《雲を喰らい尽くす Devour the clouds》(2026、委嘱初演)
私たちは日常のなかで、絶えず言葉を交わしている。そこでは意味がやり取りされる以前に、声の強弱や速度、重なり、遮断といった、純粋に音としての現象が先行している。インターネット上のコミュニケーションには物理的な音は存在しないにもかかわらず、発話は時間的な密度や断続、同時多発性として知覚され、しばしば過密な「音の集合」を想起させる。本作は、このように実際の音の有無を超えて立ち現れる、日常的で非均質なコミュニケーションのあり方を出発点として構想された。
用いられる音型の多くは、会話に含まれるリズムや抑揚、間合いから着想を得ている。それらは旋律として展開されるのではなく、音程構造によってグルーピングされたトーン・クラスターを中心として配置される。各トーン・クラスターには固有の色彩が与えられ、音楽はそれらを軸としながら、配置や重なり、変容によって進行していく。クラスターの多用に伴い、演奏者の身体的な身振りそのものもまた、演奏技法の拡張として音楽の構造に組み込まれている。(三関健斗)


三関健斗 Kent MISEKI, composer
2/21(土)18時 1840年製エラールによる《リストとショパンの連接》_c0050810_08544613.jpg
1996年札幌市生まれ。様々な楽器のための音楽から建物全体を使ったインスタレーション作品まで作曲活動は多岐にわたる。発音の際に伴う大小さまざまなノイズや、音そのものが連続することによって生み出される関係性、拡張的な奏法への関心を根幹に置きつつ、多層的な分野への興味を結び付けながら創作を展開している。コレクティブ「CDs」所属。近作に、ホルンとコントラバスのための《Air I》(2021)、マリンバ独奏のための《「ナハトムジーク」による昼のさざめき II》(2021)、ヴィブラフォン独奏のための《Swing-by "ex-partition" V》(2021)、二十五絃箏、コントラバス、ハープのための《Parallel, Parallax》(2022)、コントラバス独奏のための《その発響現象によって音響拡大され》(2022)、スネアドラム5重奏のための《ノイズ付きコラール/スクランブル交差点上で》(2024)等。 YouTubeチャンネル



2/21(土)18時 1840年製エラールによる《リストとショパンの連接》_c0050810_01250540.jpg



# by ooi_piano | 2026-02-03 08:52 | リストの轍 2025 | Comments(0)

大井浩明 連続ピアノリサイタル
Hiroaki OOI Klavierrezitals
Robert Schumanns Fußspuren

松山庵 (芦屋市西山町20-1) 阪急神戸線「芦屋川」駅徒歩3分
4000円(全自由席)
〔要予約〕 tototarari@aol.com (松山庵)

後援 一般社団法人 全日本ピアノ指導者協会(PTNA) [ ]

チラシ 

2026年1月11日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第3回公演 [2026/01/03 update]_c0050810_08483717.jpg


【第3回公演】 2026年1月11日(日)15時開演(14時45分開場)
朗読:山村雅治 (*) 

《4つのフーガ Op.72》(1845) 11分
I. Nicht schnell - II. Sehr lebhaft - III. Nicht schnell und sehr ausdrucksvoll - IV. Im mäßigen Tempo

《スペインの歌芝居 Op.74》より「密輸業者」(1849/62) [C.タウジヒ編独奏版] 2分

《4つの行進曲 Op.76》(1849) 15分
I. Mit größter Energie - II. Sehr kräftig - III. Sehr mäßig - IV. Mit Kraft und Feuer

《子供のための歌のアルバム Op.79》より「春の訪れ S.569」(1849/74) [F.リスト編独奏版] 2分

《森の情景 Op.82》(1848/49) 20分
I. 森の入り口 - II. 待ち伏せる狩人 - III. 孤独な花 - IV. 禁足地 - V. 懐かしい風景 - VI. 宿 - VII. 予言の鳥 - VIII. 狩の歌 - IX. 別れ

  (休憩)

《協奏的小品 Op.86 (原曲:4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュテュック)》(1849/2025)[米沢典剛独奏版、初演] 17分
I. Lebhaft - II. Romanze. Ziemlich langsam - III. Sehr lebhaft

《ゲーテ「ヴィルヘルム・マイスター」に基づくリートと歌 Op.98》より「ただ憧れを知る者だけが S.569」(1849/74) [F.リスト編独奏版] 3分

《色とりどりの小品 Op.99》(1836/49) 35分
〈3つの小品〉 I. - II. - III. / 〈アルバムの綴り〉 IV. - V. - VI. - VII. - VIII. / IX. ノヴェレッテ - X. 前奏曲 - XI. 行進曲 - XII. 夕べの音楽 - XIII. スケルツォ - XIV. 速い行進曲

  (休憩)

《スペインの愛の歌 Op.138》より「前奏曲」「間奏曲(国民舞曲)」(1849)[作曲者編独奏版] 3分

《美しきヘートヴィヒ Op.106 (詩:F.ヘッベル)》(1849) (*) 5分

《3つの幻想的小曲 Op.111》(1851) 10分
I. Sehr rasch, mit leidenschaftlichem Vortrag - II. Ziemlich langsam - III. Kräftig und sehr markirt

《2つのバラード Op.122 (詩:F.ヘッベル/P.B.シェリー)》(1852/53) (*) 8分
I. 荒野の少年のバラード - II. 難民

《アルバムの綴り Op.124》(1832/45) 25分
1. 即興曲 - 2.哀しみの予感 - 3. 小スケルツォ - 4.ワルツ - 5. 幻想的舞曲 - 6. 小さな子守歌 - 7. 田舎風舞曲(レントラー) - 8. 終わりなき悲哀 - 9. 即興曲 - 10. ワルツ - 11. ロマンス - 12. ブルラ(ブルレスカ) - 13. ラルゲット - 14. 幻視 - 15. ワルツ - 16. まどろみの歌 - 17. エルフ(妖精) - 18. 伝言 - 19. 幻想的小品 - 20. カノン


〈使用エディション〉 新シューマン全集 (2020)


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Hiroaki OOI Klavierrezitals - Robert Schumanns Fußspuren
January 11, 2026 (Sun) 3:00 PM Start (Doors open at 2:45 PM)
SHŌZAN-AN (20-1 Nishiyamachō, Ashiya City) 3-minute walk from Hankyu “Ashiyagawa” Station [Google Map https://maps.app.goo.gl/3fckoavsb26SVkYM6 ]
¥4,000
[Reservation] tototarari@aol.com (Shōzan-An)

Robert Schumann (1810-1856):
- Vier Fugen Op. 72 (1845), Der Kontrabandiste (1849/72)[arr.C.Tausig], Vier Märsche Op. 76 (1849), Frühlings Ankunft Op.79-20 (1849/74) [arr. F. Liszt], Waldszenen.Op. 82 (1849)
- Konzertstück Op.86 (1849/2025, Premiere)[arr. N.Yonezawa], Nur wer die Sehnsucht kennt Op.98a-3 (1849/74) [arr. F. Liszt], Bunte Blätter Op. 99 (1836/49)
- Spanische Liebeslieder Op.138 [Vorspiel + Intermezzo] (1849), Schön Hedwig, Op.106 (1849) [Declamation : Masaharu Yamamura], Drei Fantasiestücke Op. 111 (1851), 2 Balladen Op.122 [Declamation : Masaharu Yamamura], Albumblätter Op.124 (1832/45)
<Edition: Neue Schumann-Ausgabe(2020)>



2026年1月11日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第3回公演 [2026/01/03 update]_c0050810_19435423.jpg


《きみは花のよう》から《レクイエム》へ                      
山村雅治

 作品番号を付けた最初の23曲はすべてピアノ独奏のための音楽だった。1829年以来、ひたすらピアノという鍵盤楽器に身をささげてきた若い作曲家は、ほかのジャンルには見向きもしない一心不乱さにおいてショパンと肩を並べていた。「歌の年」1840年を半年後に控えた1839年にも、シューマンは声楽曲を「器楽作品よりも下位に置き、偉大な芸術とは見なしてこなかった」と書いている。「自分が生きているあいだ、この考えを翻すつもりはない、と。

 習作時代に歌曲は書かれなかったわけではない。宗教合唱曲の作曲を試みもし、学生のときには歌曲も熱心につくっていた。これらのなかのいくつかの部分はピアノのための作品に転用された。
 だからこそいっそう1840年2月16日/22日付のクララ宛の手紙には驚かされる。
「とりあえず、これだけは伝えておこう。僕は楽譜帳6冊分の歌曲やバラード、大小さまざまな4世の作品を仕上げた。いくつかは君も大いに気に入ると思うよ。ああ、クララ、歌のために書くことはなんという喜びだ! 長いあいだ、僕はこの幸せを知らずに過ごしてきたんだ」。

 歓喜にはちきれる叫びは1840年の最初の数か月に、猛然と湧きあがった創作意欲に駆られて書き上げたいくつかの歌曲集について発せられたものだ。ブラームスによれば、ハイネの詩「きみは花のよう」が「歌の年」に書いた最初の作品だった。歌曲集《ミルテの花 Op.25》の第24曲に置かれた。《ミルテの花》はリュッケルト、ゲーテ、バーンズ、バイロン、ハイネなど6人の詩に曲がつけられた。彼らのなかでハイネは1830年代にパリからの記事や本によって、ドイツの若い芸術家たちに最も持続的な影響を及ぼした文学者だった。

 すでに1828年にシューマンは、ハイネと知り合っていた。大学入学を控えた候補生のときのミュンヘンへの旅で、シューマンは「不平屋の厭世家」としてハイネをとらえていたところ、ハイネが「人間味あふれるギリシャのアナクレオンのごとく、親しげに」自分に歩み寄ってくれたのだ。
 「彼は口のまわりにだけ、辛辣で皮肉な微笑みを浮かべていたが、この微笑みは実人生の些細な煩いを超越した至高の微笑みであり、卑小な人間たちへの嘲りなのである。『旅の絵本』に見られるあの辛辣な風刺、魂の内奥から身体の隅々にまで染みわたるかのような生への憤怒さえもが、彼の話しぶりに大きな魅力を添えていた」。

 シューマンの目に、ハイネは「大いなる絶望」という世界と人生をつらぬく感情を代表する人物と映っていた。ハイネの「奇抜な趣向」や「灼けつくようなような皮肉」に惹かれると同時に、異様で不気味なものと感じた。判り、認める。しかし、シューマン自身は、「全体が最後に調和し、宥和が達成されないような」芸術作品は「解決に至らぬ不協和音と同じだ」と断罪した。

 ベルリオーズの《幻想交響曲》への批評にもこの屈折がある。最後の一行「そしてさらに、滂沱の涙はいつのまにか真珠へと変容を遂げたのである」は、印刷に際して削除した。
 ゲーテの「ファウスト」を音楽にするにあたって、ベルリオーズとシューマンは扱う場面がまるでちがった。ベルリオーズではメフィストフェレスが活躍し、ファウストは地獄の底に突き落とされて死んでしまう。Dämonisch(日本語ではデモーニッシュと表記される)な表現をベルリオーズは自家薬籠中のものにした。
 シューマンはちがった。まず作曲にとりかかったのは「ファウスト」の最終場面で、ファウストは救済される。そしてその前の神秘の「合唱」。メフィストフェレスはファウストの死の場面しか出てこない。

 最終場面について、マルセル・ブリオンは激賞している。
 「この曲の〈神秘の合唱〉を聴くと、天上の平安の国へと、またすべて人間的なものを超越し、真の精神の光を目の当たりにさせる晴朗なエクスタシーへと導かれ、高められるように感ずる。シューマンの作曲した教会音楽すら、これほどの神聖な情感、神的な直感に達してはいない。シューマンは見事な簡潔さで天使の合唱によって天上の喜びを称えさせ、厳かにも甘美な和音の響きの中で聖母マリアを顕現させる」。

 シューマンは、ハイネが言い表した「世界を両断する巨大な裂け目」はよく認識していた。しかし、「社会に走る亀裂」は修復可能であると確信していた。彼にとって、実人生と芸術創造はこうした希望なしには考えられなかった。「さまざまな矛盾こそが、見透かされ、嘲笑される」という可能性をよりどころとした彼の音楽。
 「実人生における苦痛は、音楽における不協和音に相当する。不協和音はそれ自体、大きな魅力を持つものの、聴き手の心は解決を志向するのである」(1838年8月23日)。

2026年1月11日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第3回公演 [2026/01/03 update]_c0050810_18271113.jpg

 かくして、魅かれていたけれども怖れていた「ハイネの思想」からは身を遠ざけるようになった。ジャン・パウルのフモールの概念と、ハイネの刻印を帯びた皮肉(イロニー)はしだいに分離していった。
 ハイネは「歌の本」などの抒情詩を初め、多くの旅行体験をもとにした紀行や文学評論、政治批評を執筆した。1831年からはパリに移住して多数の芸術家と交流を持ち、その中には作曲家エクトル・ベルリオーズ、フレデリック・ショパン、フランツ・リスト、ジョアキーノ・ロッシーニ、フェリックス・メンデルスゾーン、リヒャルト・ワーグナー、作家オノレ・ド・バルザック、ヴィクトル・ユーゴー、ジョルジュ・サンド、アレクサンドル・デュマらが含まれる。

 ハイネは1832年、ゲーテの死を受けて、「ドイツ近代文学の歴史のために」を執筆した。このころより青年ドイツ派の作家ハインリヒ・ラウベと交流を持つようになるが、1835年にドイツ連邦議会により青年ドイツ派の出版が禁止され、ハイネは彼らの筆頭に上げられてしまう。

 1843年、パリで25歳のカール・マルクスと親交を結び、1845年のマルクスの出国まで頻繁に会う。マルクスはハイネの「ドイツ冬物語」(13年ぶりのドイツ旅行を題材にしたもの)の出版の手助けをするなど援助に努め、ハイネもマルクスに多くの詩を読み聞かせて意見を求めた。1844年、シレジアの窮乏した織物工が起こした蜂起を題材にした時事詩「シレジアの職工」を発表、社会主義者の機関紙でフリードリヒ・エンゲルスの激賞を受ける。ハイネは彼らのプロレタリア革命など共産主義思想の着想に多大な影響を与えた。文学史的にはロマン派の流れに属するが、政治的動乱の時代を経験したことから、批評精神に裏打ちされた風刺詩や時事詩も多く発表している。

 とはいえ愛誦していたハイネの「抒情詩」は別だった。ハイネの愛をうたいあげる抒情詩は文句なく美しかった。シューマンは、「歌の本」に収録された作品群から《詩人の恋》《リーダークライス Op.24》《二人の擲弾兵》など多くの歌曲を書いた。
 1833年の「ライプツィヒの生活帳」には、「H.ハイネの詩にもとづいて音楽による詩をまとめ、これをハイネに捧げる」と書きとめた。ハイネの詩を下敷きにピアノによる「詩」を書こうと考えていた。もとになった詩は、おそらくは添え書きとして付されて聴衆は黙読したり、あるいは演奏前に朗読することを予想していただろう。

 詩を音楽に置き換えるという発想は、ロマン派の時代には中心になる課題だった。ピアノ・パートと歌の声部の関係はシューベルトから一歩踏み出して、両者はきわめて密接に結びついている。「詩をかぶせたピアノ作品」にさえ聞こえる場合がしばしばある。ピアノ作品にも歌詞をつけたくなるような旋律が出てくることがある。1845年、フランツ・ブレンデルはシューマンの音楽の歴史上の意義を早くもみつけようとし、彼の歌曲が「ある意味で、ピアノのための性格的小品の延長上にある」と見抜いていた。


「きみは花のよう」 ハイネ

きみは花のように
とても優しく、美しく、清らかだ
きみを見つめると、切ない思いが
ぼくの心に忍び込んでくる。

ぼくはこの手を
きみの頭にのせて
神に祈りたくなってしまう
きみを清らかで、美しく、優しいままでいさせて下さいと


 シューマンはクララとの愛の日々に酔い、せき止められていた大滝が流れ落ちるように、1840年には来る日もくる日も「歌」を書いた。彼はシューベルトの後継者ではなかった。完全に新しい歌曲の時代を先駆けていた。噴きあがる創造の高揚のなかに、古今未踏の領域に足を踏み入れていると感じていた。「魂の言語としての音楽芸術は、いまだ始まったばかりだ」。
 「人間の声だけではすべてを再現できない」。「歌詞の細かなニュアンスを浮き彫りにする」ためには、なによりも器楽の役割が重要になる。ピアノは声楽パートにおのが身を「絡みあわせて」、ひとつの統一体をなさねばならない。ピアノが歌曲全体にかかわるさまは、「縁どり」「支え」「伴奏」といったものではなく、全体の流れはピアノ・パートのなかに凝縮されている。
 
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 7年間にわたる中断ののち、1847年にシューマンは《ロマンツェとバラード》(メーリケ詩)によって歌曲創作の第2期を迎える。愛をうたいあげる抒情詩ではなく、政治や社会を採りあげている、きわめて多声的な書法が用いられている。後期の歌曲創作は1849年と1850年が中心になり、1852年の《メアリー・ステュアート女王の詩 Op.135》で終止符が打たれた。独唱歌曲は大量の声楽曲の一部にすぎなくなり、合唱によるバラードやロマンツェ、そしてオラトリオという新しいジャンルの作品を生んだ。音楽はあまねく理解され、できるだけ社会の現実にはたらきかけるものにあってほしい。歌曲は合唱曲の様式に近づいていく。音楽の構造を簡潔に切りつめ、歌詞が朗読のように聞き取れるようにする。もはや「詩の細かいニュアンス」をすくいあげようとする意図が前面に押し出されることはない。《楽園とペリ》以来、合唱作品でなかで追及されてきた方向が、いまや逆にピアノ伴奏による歌曲にも影響を及ぼしていく。
 
 シューマンが劇的な朗読様式を強く求めるようになったことも確かだろう。《美しいヘドウィッヒ Op.106》(ヘッベル詩)において「語られる歌曲」にきわまり、1852年にはバラード2篇《荒野の少年》(ヘッベル詩)と《逃亡者たち》(シェリー詩)でさらに推し進められる。リート(歌曲)にとどまらず「メロドラマ」様式の可能性をシューマンは探っていた。
 
 歌曲様式のドラマへの接近は、もうひとつの「歌芝居」(Liederspiel リーダーシュピール)への取り組みにもつながった。1849年の《スペインの歌芝居 Op.74》と《スペインの愛の歌 Op.138》と《愛の戯れ Op.101》(リュッケルト詩)の3作品を同じ年につくっている。この「歌芝居」は、筋と音楽のつくりが簡素であるという点でジングシュピール(Singspiel、モーツァルト《魔笛》など)を上回っている。このように「歌の年」1840年に生みだされた一連の歌曲とはちがい、後期の歌曲はひとつの固有のジャンルにとどまらない、より広い表現手段としての「声楽」の試みが広がった。

 創作活動の終わりに、シューマンは宗教音楽の大作を書いた。まず《ミサ曲 ハ短調 Op.147》が1852年2月13日から3月30日にかけて大部分が作曲され、その後1853年3月23日に「オッフェルトリウム」が付け加えられて現在の形となった。作曲者の死から6年後の1862年に、クララ・シューマンの呼びかけで全曲初演が実現した。出版も1862年まで持ち越された。
 そして《レクイエム 変ニ長調 Op.148》は、作品番号ではシューマンの最後の楽曲になっている。出版は死後の1864年。しかし本曲は完全に忘れられ、初演は1976年まで行われなかった。祈祷文を使用した純粋なレクイエムとしてはこの作品が唯一の作品。おだやかな慰安を求めるような広やかな響きが意外だった。ほかの作曲家のレクイエムのような旋律の強さは避けられている。終曲へ進むにつれて沁みこんでくる悲しみの翳。無視されてきたのは、「晩年の精神の病が影を落としているとみなされたため」とされている。しかしこの曲に狂気の影はない。楽譜に向かうシューマンの精神に狂いはなかった。


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〈予告〉
【第4回公演】
2026年3月22日(日)15時開演(14時45分開場)

《7つのフゲッタ形式によるピアノ曲 Op.126》(1853)
《朝の歌 Op.133》(1853)
  ---
《プロヴァンス地方の恋唄 Op.139-4/ S570》(1852/1881) [F.リスト編独奏版] 〔ブラームスに献呈〕
《序奏と協奏的アレグロ Op.134》(1853/2025) [米沢典剛編独奏版/初演] 〔ブラームスに献呈〕
《F.A.E.ソナタ(自由だが孤独に)》より「間奏曲とスケルツォ」(1853/2025) [ブラームスとの共作、米沢典剛編独奏版/初演]
  ---
《ゲーテのファウストからの情景 WoO 3》序曲 (1853/1882) [R.クラインミヒェル編独奏版]
《天使の主題による変奏曲 WoO24》(1854)
ブラームス:《シューマンの天使の主題による変奏曲 Op.23》(1861/1878) [T.キルヒナー編独奏版]




# by ooi_piano | 2025-12-29 05:40 | シューマンの轍 | Comments(0)
大井浩明 フォルテピアノリサイタル
Liszt Ferenc nyomában, látomásai és vívódásai
全自由席4,000円
お問い合わせ poc@artandmedia.com (アートアンドメディア株式会社)

〈使用楽器〉 1840年製エラール(Érard)社フォルテピアノ [80鍵、430Hz]
〈使用エディション〉 新リスト全集 (1972/2021、ミュジカ・ブダペシュト社)
チラシ

12/20(土)18時 1840年製エラールによる《リストの轍》第3回公演 [2025/12/14 update]_c0050810_01081002.jpg


【第3回公演「射光のヴィルトゥオーゾⅡ」】 2025年12月20日(土)18時開演(17時半開場)


ドニゼッティ《ルクレツィア・ボルジア》の回想 S.400 (1840) 23分
I. アルフォンソ公、ルクレツィア、ジェンナーロの三重唱「侯爵夫人の嘆願により」(第1幕終曲) - II. オルシーニ「幸せになる秘訣は(乾杯の歌)」 / ルクレツィアとジェンナーロの二重唱「ああ、あなたのお母様を愛して Ama tua madre」 / 終結部

ギャロップ S.218 (1841、遺作) 6分

モーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》の回想 S.418 (1841) 16分
石像「貴様の笑いも夜明けまでには終わろうぞ」「もはや必要ないのだ、人間の食べ物は」(第2幕) - ジョヴァンニとツェルリーナの二重唱「お手をどうぞ」(第1幕) - 石像「お前はわしを夕食に招いた」(第2幕) - 「シャンパンの歌」(第1幕)

  (休憩)

マイアベーア《悪魔のロベール》の回想 S.413 (1841) 10分
第3幕「地獄のワルツ」 - 「黒い悪魔たちよ、亡霊たちよ、天を忘れよ」(合唱)/「私の栄光は消え去り」(ベルトラン)/「喇叭を鳴らせ、旗を讃えよ」(騎士団の合唱)

モーツァルト《フィガロの結婚》と《ドン・ジョヴァンニ》の動機による幻想曲 S.697 (1842/1993、遺作) [L.ハワード補筆版] 20分
第1幕フィガロ「もう飛ぶまいぞ、この色気の蝶々」 - 第2幕ケルビーノ「恋の悩み知る君は」 - 《ドン・ジョヴァンニ》第1幕終結部(メヌエット+コントルダンス+ワルツ)

スペイン風主題による残翰 S.695c (1845、遺作) 17分
5r (vivace) - 6r (ファンダンゴ /リトルネロ) - 6v - 7r -7v - 9r - 9v - 10r -10v -8r - 11v 「エル・プエルトの雄牛たち」 - 12r -12v -13r - 13v - 14r - 14v - 15r - 15v - 16v - 16r 「ファンダンゴ風メヌエットと変奏」 - 18r - 18v - 17r - 18v - 19r - 19v - 20r - 21v - 21v - 22r - 1r (アラゴンのホタ) - 1v - 2r - 3r - 3v - 4r - 4v

金喜聖(1996- ):K-POPガールズ「GOLDEN」によるパラフレーズ (2025、初演) 4分

  (休憩)

スペインの歌による演奏会用大幻想曲 S.253 (1845、遺作) 14分
ファンダンゴ - カチューチャ(19世紀アンダルシア地方のボレロ) - アラゴンのホタ

メンデルスゾーン《真夏の夜の夢》の「結婚行進曲」と「妖精の踊り」 S.410 (1850) 10分

オベール《ポルティチの唖娘》による華麗なるタランテラ S.386 (第2版、1846/69) 10分
導入部 - 第3幕「タランテラ」 - 第4幕終曲「Allegro marziale」 - Stretta, vivace assai

12/20(土)18時 1840年製エラールによる《リストの轍》第3回公演 [2025/12/14 update]_c0050810_01091103.jpg

"Liszt Ferenc nyomában, látomásai és vívódásai"
Hiroaki OOI, fortepiano
Shōtō Salon (1-26-4, Shōtō, Sibuya-ku, Tokyo) [Google Map https://shorturl.at/bgzJM]
Instrument: An original Hammerflügel by Érard [1840, Paris, 80 keys, 430Hz]
Edition: The New Liszt Complete Critical Edition (NLE), Editio Musica Budapest (1972/2021)
4,000 yen
reservation: poc@artandmedia.com(Art & Media Inc.)

Sat. 20 December 2025, 6pm start
Heui Sung Kim (1996- ): Paraphrase on the theme of HUNTR/X “Golden” (from K-Pop Demon Hunters) for fortepiano (2025, Commissioned Work, World Premiere)
Franz Liszt (1811-1886) : Réminiscences de Lucrezia Borgia S.400 (1840), Galop S.218 (1841), Réminiscences de Don Juan S.418 (1841), Réminiscences de 'Robert le diable' S.413 (1841), Fantasie über Themen aus Mozarts Figaro und Don Giovanni S.697 (1842/1993, completed by Leslie Howard), Klavierstück über spanische Themen [Fragment] (Zongoradarab spanyol témákra [Töredék]) S.695c (1845), Grosse Konzertfantasie über spanische Weisen S.253 (1845), Hochzeitsmarsch und elfentanz S.410 (1850), Tarantelle di bravura d'après la tarantelle de 'La muette de Portici' S.386 (1869)




金喜聖《K-POPガールズ「GOLDEN」によるパラフレーズ》 (2025、委嘱初演)
12/20(土)18時 1840年製エラールによる《リストの轍》第3回公演 [2025/12/14 update]_c0050810_23515510.jpg
 Netflix映画《K-POPデーモン・ハンターズ》(2025年6月公開)は、K-POPガールズグループ「HUNTR/X」(ハントリックス)がアイドル活動の裏で人々を脅かすデーモンと戦う、ミュージカル要素を取り入れたファンタジーアニメである。主人公たちはその力を結集し、ライバルの悪霊系ボーイズグループ「サジャ・ボーイズ」と、舞台と舞台裏で対決する。クライマックスや重要な絆の場面で繰り返し使用される劇中歌「GOLDEN」は、アイドルソングとしては異例の3オクターヴの音域を駆使し、ビルボードHOT100やイギリスのオフィシャルシングルチャートで1位、韓国国内外の主要音楽チャートでも首位を獲得する異例の大ヒットを記録し、K-POP史上初の「グラミー賞」(2026年2月発表)主要4部門にノミネートされている。
 本作では、19世紀ロマン主義が持つお決まりの表現の上に、現代のポピュラーなメロディーを重ねることで、パラフレーズという手法そのものを掘り下げている。もとの曲と、その上に載せられた新しい様式とのあいだには、緊張感がある。ロマン派時代の技巧的な表現―たとえば特有の音の厚みや強弱の身振り―を、ひとつの形式として利用しているのだ。もっともその下には、原曲の構造がちゃんと残っていて、新しいスタイルの中に完全に溶けきってはいない。この作品は、いわば音楽のパリンプセスト(重ね書きされた羊皮紙写本)、ちょっとした時代錯誤のパフォーマンスでもあり、音楽の「格」をめぐる問いかけでもある。現代のメロディーをフランツ・リストの演奏会のような場―1840年製エラールのC1からG7の音域内で―に置くことで、「芸術音楽」と「大衆音楽」の境目を探っている。(金喜聖)


金喜聖 Heui Sung Kim, composer
12/20(土)18時 1840年製エラールによる《リストの轍》第3回公演 [2025/12/14 update]_c0050810_11491317.png
 金喜聖(キム・ヒソン、김희성)は、1996年韓国忠清北道生まれの作曲家・ピアニスト。英バース大学建築学科卒、ソウル藝術大学校に学ぶ。クラシックピアノの技巧と、ジャズ、Jポップ、ドラムンベース、ハイパーポップといった多様なジャンルの和声語法を融合させることに力を入れている。2013年に解説したYouTubeチャンネル(登録者数12,500人)では、現在までに131本の動画を公開。代表的なオリジナル曲に、《ピアノソナタ第4番》(2019)、《The Thingymajig》(2022)、《Pineapple Train》(2023)、《奚琴とピアノのための「前奏曲」》(2024)等。



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グランド・オペラとピアノ編曲
上山典子(静岡文化芸術大学教授)

18世紀後半の古典派と19世紀ロマン主義の時代は、音楽史的に類似性(あるいは連続性)が強く、時代を特徴づけるジャンルの多くを共有する。しかし歴史的には啓蒙主義の18世紀と対立するこの新しい世紀、音楽美学や思想、精神性には明らかな変化がみられるようになった。その根幹は理性を徹底した合理主義への反動であり、感情や直感、強烈な表現力と創造力を重視する絶対主観主義の姿勢であった。そして創作には、調和のとれた形式や普遍的規範よりも、強烈なオリジナリティーが求められるようになった。
また、無限の彼方や未知なるものへの憧れを特徴とするロマン的傾向は、あらゆる芸術分野のなかでも、音楽に最も強烈に示された。例えばドイツでは世紀初頭以降、ことばを用いない純粋器楽、特に交響曲のジャンルに高い美的地位が与えられ、器楽優位の思考としていわゆる絶対音楽の理念が生まれた。それは非物質的な音素材で無限なものを表現する芸術であり、天才の所業にふさわしい崇高な創造行為とみなされた。同じくロマン的言語で語るピアノ曲も、無限の憧憬を呼び起こす詩的音楽、無言歌として愛奏された。一方のフランスでは、18世紀を通して確立された音楽最高のジャンルとしてのオペラが依然として不動の地位にあり、1830年頃にはロマン主義時代にふさわしいグランド・オペラが花開いた
こうしたロマン主義の精神に特徴づけられる19世紀は、近代音楽史の幕開けとみなされる。18世紀までのほとんどの音楽家は宮廷や教会などに雇われる身だったが、フランス革命以降、社会における音楽家の地位と立場は大きく変化した。この変化はやがて、音楽と大衆との関係にも明白に表れるようになり、市民階級の趣味や動向が日々の音楽文化を形成するようになっていった。このような近代的音楽生活の象徴が、都市部を中心に日常的に開かれるようになった公開演奏会である
芸術音楽が市民階級にも普及するようになったこの時代、入場料を受け取る演奏会には不特定多数の聴衆が集まるようになった。音楽家には時代の流行や人々の嗜好に合わせた工夫が求められ、名人芸的な演奏が絶大な人気を集めた。その先駆的存在が、大衆はもちろんのこと、多くの音楽家たちにも衝撃を与えたヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニである。そしてそのパガニーニに触発されてピアノ界のパガニーニを目指し、彼に勝るとも劣らぬ効果で世間を熱狂の渦に巻き込んだフランツ・リスト、国際的に活動するピアニストの先駆けとなったフリードリヒ・カルクブレンナー、超絶技巧のピアノ演奏でリストと人気、名声を分かち合ったジキスモント・タールベルクなど、高度な技巧で人々を魅了するカリスマ的なヴィルトゥオーソ・ピアニストが相次いで誕生した。
こうしたピアニストたちの活躍により、19世紀前半には近代的リサイタルのシステムが確立したが、演奏会のプログラムは現代とは大きく異なっていた。例えば、1830~40年代にヴィルトゥオーソ・ピアニストとしてヨーロッパ中を駆けめぐったリストの演奏曲目を見てみると、ピアノのためのオリジナル曲はわずかで、およそ8割が編曲で占められていた。人気上位は、いずれもリスト自身が手がけた同時代のオペラ編曲やフランツ・シューベルトの歌曲編曲である。もちろんこの時代には、そのリストをはじめとする天才作曲家が次々と現れ、数々のオリジナル作品を生み出していた。しかし19世紀前半、市民階級が主な聴衆となった会場で人々を熱狂させた演奏曲目は、少なくとも数の上では、オリジナル曲よりも編曲が圧倒していたといえるだろう。
一方、音楽は大規模なコンサート会場だけでなく家庭やサロンなどの空間でも鳴り響き、家族や客人の愉しみのためのピアノ曲や歌曲のジャンルが人気を得た。こうした市民音楽の流行は楽譜出版業の急速な発展をもたらし、ピアノを保有する裕福な家庭の子女や音楽愛好家向けのピアノ曲(性格的小品、練習曲、連弾曲、歌曲編曲など)が大量に出回った。ヨーロッパ音楽文化の発信地から遠隔の地に至るまで、人気作曲家による流行りの音楽が楽譜という媒体を介して、遍く、しかも比較的手ごろな値段で届けられるようになったのである。
また、オペラ劇場や演奏会における最新の動向を人々に伝える音楽雑誌の出版も盛んになり、音楽批評、音楽ジャーナリズムの分野も確立された。ブルジョワ市民が主な読者層となった定期刊行物は、都市によって多少の差はあるものの、演奏会レビューやオペラ関連の記事に多くの紙面を割いた。特にパリにおいては、注目オペラの初演に対して20~30もの個別記事が掲載されるのが常だった。

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このように、19世紀の市民音楽文化は新たな市場を次々と生み出し、音楽を介した経済活動を活性化させた。ここで、市民社会に解放された近代音楽生活の特筆すべき現象であるブルジョワ層の台頭、公開演奏会の日常化、ヴィルトゥオーソ・ピアニストの誕生、そして楽譜出版の興隆など、いずれの現象とも密接な関係があるものとして、「編曲」の存在に注目する必要が出てくる。
実際、19世紀は西洋音楽史上、編曲が最も盛んに作られ、流通し、消費された時期である。多種多様な演奏形態の編曲が作られ、楽譜出版業の拡大と共に、市場には無数の編曲譜が出回った。なかでも楽器の改良と普及、ヴィルトゥオーソ・ピアニストの登場、公開演奏会の発達に音楽サロンの興隆といったさまざまな社会文化史的要因を背景に、この黄金期を支えたのは明らかにピアノのための編曲だった。そして、親しみやすい旋律や人気の場面に基づくオペラ編曲(いわゆる原曲に「忠実」な編曲よりも、華麗なパラフレーズ、ファンタジー、変奏曲など)は、その花形だった
世紀初頭、こうした編曲の第一の大義には、原曲の形で聴くことの出来ない同時代の曲をより多くの人々に届ける作品の普及が挙げられたが、やがてそれは当初の目的とはかならずしも関係なく、ピアニストにとっては演奏会やサロンで欠くことの出来ないレパートリーとなった。また、原曲を上回る勢いと幅広さで社会に供給された編曲の印刷譜は、家庭にピアノを所有する音楽愛好家やブルジョワ階級の楽譜購買意欲に応える市場の人気商品になった。
大衆向けの編曲が大量に生産された結果、編曲者の名前さえ不明の、決して質の高くない楽譜が氾濫したことも事実であった。しかしオペラ編曲は編曲者、楽譜出版業者、そして楽譜購入者、すなわち供給者・流通業者・需要者のすべてに利をもたらす市民社会の一大人気商品であり、当時の音楽家にとって、その作成に従事することは不可避であり、時代の使命でもあった。

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七月王政期の記念碑的ジャンル、グランド・オペラは、パリのオペラ座を出発点に、ヨーロッパ中の舞台、音楽、美術を圧倒し、ひいては文化、人々をも支配した。なかでもその典型とみなされる《悪魔のロベール》は驚異的な人気を博し、1831年のオペラ座初演以降、1893年までの60年余りにわたりほとんど休みなく758回も上演され、オペラ上演史上空前の大ブームを巻き起こした。また翌年には早くもロンドン、ベルリン上演を開拓すると、以降は破竹の勢いで、ウィーン、プラハ、フィレンツェ、サンクト・ペテルブルク、ジェノヴァ、マドリードなどヨーロッパ主要都市の舞台を征服し、《悪魔のロベール》とその作曲者ジャコモ・マイヤベーアはあの「ロッシーニ旋風」に匹敵する、そして時期的・地域的広がりの観点からはそれを遥かに凌ぐ成功を収めた
もちろんマイヤベーアの当時の評判は、この一作に頼るものではない。1836年の初演以降、第二次世界大戦まで定番レパートリーの地位を確保し、オペラ座で800回以上も上演された《ユグノー教徒》は、彼の最高傑作と謳われる。そして《預言者》もまた、1849年の初演以降何十年にもわたり、国内外のあらゆる主要劇場のレパートリーでありつづけた。こうしたグランド・オペラの盛隆は、パリこそがオペラ文化の中心地であることを知らしめるとともに、マイヤベーアをヨーロッパ随一の人気オペラ作曲家に認定するものとなった。プロイセン・アカデミー会員やフランス学士院会員としての栄誉、各国で授与された名誉の数々は、当時の誰をも、マイヤベーアが国際的なオペラ作曲家として不朽の名声を得たものと確信させた。
では、19世紀の音楽文化を牽引したグランド・オペラの主要な観客は、一体どのような人々だったのだろうか。公開演奏会が一般化した1830年代だが、音楽、美術、演劇などの総合芸術として上演に多数の人員を要する豪奢なオペラは、依然として一般市民には縁遠いジャンルであった。この時期、新しい聴衆の開拓と取り込みに熱心だったオペラ座には、確かに半世紀前では考えられなかった市民階級が大量になだれ込むようになっていたが、それでも、観客のほとんどは、「貴族ではないとしても、社会的特権階級であったことは否めない」。彼らは(少なくとも表面上は)18世紀の宮廷文化さながら、貴族風の品位と権力を保持し続けており、パリに限らずオペラ劇場というものは、こうした階級の「社交の場」とほとんど同義語であった。労働者階級はもちろんのこと、中産階級であっても、すべての人々がオペラ劇場に気軽に足を運べるようになったわけではなかった。
加えて、オペラの上演は圧倒的に大都市で行われていた。つまり、贅の限りを尽くした演出でグランド・オペラを上演できるのは豪華絢爛な大劇場に限られており、ヨーロッパ全地域の人々がオペラ座やスカラ座、そのほか各地の宮廷劇場に集ったわけではなかった。大規模で華やかな最新のグランド・オペラを日常的に堪能していた紳士淑女とは、依然として存在した特権階級や亡命貴族、そして産業や商業の発展で大成功を収めた都市部のブルジョワ最上層だったのである。
だからと言って、19世紀ヨーロッパの文化現象とも言われるグランド・オペラが、一般市民階級に馴染みのない存在だったわけではない。ロジャー・パーカーは次のように指摘している――「都市の劇場で公開上演されるオペラが、こんにち的な意味合いで『一般的な』(popular)楽しみとは決して呼ばれえないが、しかしこの[19世紀前半]、劇場での普及が示すよりも、はるかに幅広い現象となっていた」。その現象を可能にしたものとは、パロディーや改作を含む舞台演劇、そしてヨーロッパ中に広まった無数の「編曲」であった。確かに、社交の場としてのオペラ劇場に集ったのは貴族や都市の新興ブルジョワ階級だったものの、多くの一般市民は原曲オペラの片鱗に触れる機会を、演奏会ホールや家庭で響くピアノのための編曲を通して得ていた。オペラ編曲は日常的にオペラ劇場に通うことは出来ない、あるいは都市の劇場とは縁遠い市民階層に、日々の音楽生活を豊かに彩る「一般的な」楽しみを提供するものだったのである。
しかし、ピアノ1台で演奏する編曲が、音楽、台本、演出、舞台、衣裳、合唱、バレエなどさまざまな芸術の集大成であり、上演においては「ビジュアル効果」が作品の評価に大きな影響を与えるグランド・オペラの代替になりえたのだろうか。例えば、豪華な衣裳と壮大な舞台美術、ガス灯をはじめとする前代未聞のハイテク装置など、多額の経費を費やしたスペクタクルな演出で観客を魅了した《悪魔のロベール》は、聴くだけでなく、見なくてはならない劇的でロマン的な大オペラである。
そこで登場したのが、いわゆるピアノ譜としての編曲ではなく、「オペラ・ファンタジー」、「オペラ変奏曲」、そして「追想」(Réminiscences)や「挿絵」(Illustrations)といった、新しい時代の新しい手法によるオペラ編曲だった。それは音符対音符の単なる置き換えではなく、原曲を創造的に扱い、さまざまなレベルの奏者と演奏シーンを想定して作られた、19世紀ブルジョワ市民音楽文化の産物だった。アマチュア奏者向けの編曲は市民階級の家庭で大量に消費される一方、超絶技巧を要する編曲は、多くの場合、編曲者自身が演奏会で披露し、会場を大いに盛り上げた。このように、オペラ編曲は原曲をしのぐほどの勢いでヨーロッパ中に広がり、オペラ座の聴衆にはならなかった市民階層にまで浸透してゆくことになった。編曲の素材となった原曲のほとんどは同時代の大人気オペラだったことから、こうした編曲は当時の劇場レパートリー、人々の趣味を直接反映するものだったといえるだろう。

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各地で旋風を巻き起こしたグランド・オペラは、都市のオペラ劇場での上演のほか、ヴィルトゥオーソ・ピアニストたちによる編曲を介してさらに広範囲の、より多様な階層の人々にも届けられた。まさにこのグランド・オペラ全盛期の1830~40年代、ピアニストとしてヨーロッパ中を舞台に演奏旅行を繰り広げたリストは、王侯貴族、ブルジョワ階級、そして一般市民にもオペラ編曲の演奏を届けていった。なかでも1841年に相次いで完成した《悪魔のロベール追想》、《ノルマ追想》、そして《ドン・ジョヴァンニ追想》はいずれも独創的な傑作であり、各地の演奏会で欠かせないレパートリーとして活用された。原曲オペラの初演年や人気・知名度を考えると、これらの編曲作成が原曲の普及を第一の目的としたものでないことは明らかである。それは間違いなくリスト自身の演奏レパートリー用であり、事実、きわめて高度なヴィルトゥオーソ作品となっている。しかし「こうした編曲は、リストが作曲家としての能力も持ち合わせていることを世間に認知させる役割も果たしていた」と指摘されるように、オペラ編曲が有する表面的華やかさと創造的で豊かな音楽性が並存しうることを示している。
ここで、リストの演奏会曲目に注目していこう。《悪魔のロベール追想》は1841年3月27日、パリ、エラールのサロンで、一席20フランという、当時としては「とてつもなく高い、まったくもって普通ではない」入場料の演奏会で初演された。プログラムは《ギヨーム・テル序曲》で開始し、《ランメルモールのルチア追想》、シューベルトの歌曲編曲《セレナード》と《アヴェ・マリア》、ピアノ・オリジナル曲として《マゼッパ》と《半音階的大ギャロップ》が続き、完成したばかりの《悪魔のロベール追想》で締めくくられ、大興奮と鳴りやまぬ拍手で大成功を収めた。およそ二週間後の4月13日にもリストはほぼ同じプログラムで演奏会を行い、人々の熱狂は再び最高潮に達した。
さらに、4月25日の「ベートーヴェンの記念碑建立の資金集めのための演奏会」は、エクトール・ベルリオーズの指揮で、ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調をはじめとするオール・ベートーヴェン・プログラムで構成されるはずだった。しかし演奏会のさいごに聴衆が熱望したのは《悪魔のロベール追想》で、リストがそれに応じたことは、ちょっとした物議を醸す事態となった。
こうしたオペラ編曲がプログラムの骨格を占める演奏会は、グランド・オペラの中心地に限ったことではなかった。それらがドイツでのコンサートでも重要なレパートリーであったことは、マイケル・サフルの研究によっても実証されている。1840~45年の間にドイツで行われたリストの演奏会レパートリーを調査したサフルの統計によると、上位10曲のうち8曲が編曲で、そのうち6曲がオペラ編曲、2曲がシューベルトの歌曲編曲だった。演奏頻度第1位はリストのショーピース《半音階的大ギャロップ》で、約70回にのぼった。第2位は1838年に編曲した《魔王》で、65回以上登場していた。そして以下は、華麗なオペラ編曲が続く――第3位《ドン・ジョヴァンニ追想》55回以上、第4位《悪魔のロベール追想》50回以上、第5位《ランメルモールのルチア追想》40回以上、第6位《ギヨーム・テル序曲》約40回、第8位《清教徒追想》35回以上、第10位は《へクサメロン》で30回以上演奏されていた。
都市別で見てみると、のちにリストが宮廷楽長に就任することになるヴァイマルでも、プロイセン王国の首都ベルリンでも、プログラムの中心は《ヘクサメロン》、《魔王》、《ドン・ジョヴァンニ追想》、《ギヨーム・テル序曲》、《悪魔のロベール追想》、《半音階的大ギャロップ》だった。1841年末から2か月にわたる伝説的なベルリン・ツアーの初回、12月27日にジングアカデミーでの演奏会に出向いた同地の名士カール・アウグスト・ファルンハーゲン・フォン・エンゼは、会場が猛烈な喝采に包まれたこと、そしてボックス席の国王ヴィルヘルム4世をはじめ、王国の貴族たち、マイヤベーア、フェーリクス・メンデルスゾーン、ガスパーレ・スポンティーニ、音楽批評家のルートヴィヒ・レルシュタープらが聴衆として居合わせたことを記録している。このベルリンでリストが巻き起こした旋風と熱狂の渦は、ハインリヒ・ハイネによって呈された「リストマニア」(Lisztmania)の用語で知られる。
海を越えたイギリスでもこの傾向は変わらず、1840年代、同地では少なくとも《半音階的大ギャロップ》、《ヘクサメロン》、《悪魔のロベール追想》、《ランメルモールのルチア追想》、《ユグノー教徒》、《ノルマ追想》がレパートリー化されていた。
リストのオペラ編曲はマルセイユの港から運ばれてきたボワスロ社のピアノを通して、イベリア半島にも届けられた。1844年10月22日、33歳の誕生日にマドリードに到着したリストは同地で4度の演奏会を開催し、再び大成功を収めた。プログラムはもっぱら《ドン・ジョヴァンニ追想》、《ノルマ追想》、《清教徒》、そして《半音階的大ギャロップ》で構成されており、即興演奏も行われた。翌年初頭、リスボンに移動したリストは12回の演奏会に登場し、華やかなオペラ編曲で人々を魅了した。
このように、ヴィルトゥオーソ・ピアニスト時代の演奏曲目は、リスト自身が手がけたオペラ編曲がすべての中心だった。同じ都市で複数回行われる演奏会シリーズの場合、各回の演奏曲目は多少変更されていたが、オペラ編曲はかならず演奏されており、なかでも《ドン・ジョヴァンニ追想》、《悪魔のロベール追想》、《ノルマ追想》、《ランメルモールのルチア追想》、《ヘクサメロン》、《ギヨーム・テル序曲》から複数曲が、ほぼ例外なく取り入れられていた。さらに、アンコール曲の定番は、ブラヴーラの典型と言われるリストの《半音階的大ギャロップ》だったが、《悪魔のロベール追想》が追加されることもしばしばだった。当時の聴衆の人気を背景に、オペラ編曲は演奏会レパートリーとして不可欠の位置、そして不動の地位にあり、リストが演奏会に登場するたびに、これらの曲はさらに多くの人々の耳に届けられていった。
実際、どれほどの聴衆がリストのオペラ編曲を耳にしたのだろうか。1841年7月上旬にハンブルクで行われた北ドイツ音楽祭の聴衆は4千人以上、翌年4月に行われたサンクト・ペテルブルクの演奏会でも、貴族協会の大ホールに駆けつけた聴衆はおよそ3千人にのぼった。マドリードでのコンサートは、「いまだかつてピアニストがソロの演奏会を開催したことはなかったほどの大劇場」というテアトロ・シルコで、一公演あたり2,000フランの巨額出演料で開催された。そのほかパリのイタリア座、ベルリンのジングアカデミー、ヴァイマル宮廷劇場、ウィーン楽友協会ホールなどいずれの会場でも、《悪魔のロベール追想》をはじめとするグランド・オペラの編曲が演奏された。リストの演奏会は通常ではオペラ上演やオーケストラの公演を行うような大劇場で行われることもしばしばで、聴衆が千人を超えることも珍しくはなかった。例えばフレデリック・ショパンがまさに同時期に、パリ・サロンの親密な社交空間で行っていたような「限定された」客人向けの演奏会とは、層も数もまったく様相が異なっていたのである。

[初出:「《悪魔のロベール》とパリ・オペラ座」(上智大学出版、2019)]



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# by ooi_piano | 2025-11-16 12:02 | リストの轍 2025 | Comments(0)
大井浩明 フォルテピアノリサイタル
Liszt Ferenc nyomában, látomásai és vívódásai
全自由席4,000円
お問い合わせ poc@artandmedia.com (アートアンドメディア株式会社)

〈使用楽器〉 1840年製エラール(Érard)社フォルテピアノ [80鍵、430Hz]
〈使用エディション〉 新リスト全集 (1972/2021、ミュジカ・ブダペシュト社)
チラシ



【第2回公演「射光のヴィルトゥオーゾⅠ」】 2025年11月15日(土)18時開演(17時半開場)


アレヴィ《ユダヤ教徒の女》の回想 S.409a (1835)  15分
第5幕 合唱「何たる愉悦、何たる喜び!彼らに鉄と火を浴びせよ!」 - 第3幕 エウドクシア王女のボレロ「我が優しい君主よ、この優美な額に」 - Var. I - Var. II, Quasi improvvisato - Finale

15世紀のフス教徒の歌 S.234 (1840)  8分

マイアベーア《ユグノー教徒》による大幻想曲 S.412 (第3版、1836/1842)  16分
第4幕 ラウルとヴァランティーヌの二重唱「ああ!どこへ行かれるのですか?」 - コラール「神は我がやぐら」

(休憩)

ベッリーニ《清教徒》の回想 S.390 (第2版、1836)  18分
第1幕第3場 アルトゥーロのカヴァティーナ「いとしい乙女よ、あなたに愛を」 - エルヴィーラのポロネーズ「私は愛らしい乙女」

ベッリーニ《ノルマ》の回想 S.394 (1841)  16分
 第1幕第1場 ドルイド教徒の合唱「ノルマが来るぞ」 - オロヴェーゾ「あの丘へ登れ、おおドルイド教徒たちよ」 - 同「御身の予言の力を」 - 第2幕第3場 ノルマ「ああ!あの子らを犠牲にしないで下さい」 - ノルマ「あなたが裏切った心が」 - ノルマ「父上、泣いておられるのですか?」 - 第2幕第2場 ノルマ「戦だ、戦だ!」

佐野敏幸(1972- ):शारदा वन्दना (2025、委嘱初演)  7分
I. - II.

(休憩)

神よ女王を守り給え S.235 (第2版、1841)  6分

ベートーヴェン《アテネの廃墟 Op.113》によるトルコ風奇想曲 S.388 (1846)  9分
第4曲「トルコ行進曲」 - 第3曲 回教僧の合唱「貴方は袖の襞に月を携え、それを打ち砕いた。カアバよ!ムハンマドよ!」

J.S.バッハのカンタータ第12番《泣き 歎き 憂い 慄き》の通奏低音と《ロ短調ミサ》の「十字架に釘けられ」による変奏曲 S.180 (1862)  16分
主題と43の変奏 - コラール「神の御業は全て善し」



"Liszt Ferenc nyomában, látomásai és vívódásai"
Hiroaki OOI, fortepiano
Shōtō Salon (1-26-4, Shōtō, Sibuya-ku, Tokyo) [Google Map https://shorturl.at/bgzJM]
Instrument: An original Hammerflügel by Érard [1840, Paris, 80 keys, 430Hz]
Edition: The New Liszt Complete Critical Edition (NLE), Editio Musica Budapest (1972/2021)
4,000 yen
reservation: poc@artandmedia.com(Art & Media Inc.)

Sat. 15 November 2025, 6pm start
Toshiyuki Sano (1972- ): Commissioned work for fortepiano (2025, world premiere)
Franz Liszt : Réminiscences de La juive S.409a (1835), Hussitenlied S.234 (1840), Réminiscences des Huguenots S.412 (3rd version, 1836/1842), Réminiscences des Puritains de Bellini S.390 (2nd version, 1837), Réminiscences de Norma S.394 (1841), God Save the Queen S.235 (2nd version, 1841), Capriccio alla turca sur des motifs de Beethoven S.388 (1846), Variationen über das Motiv von Bach S.180 (1862)

11/15(土)18時 1840年製エラールによる《リストの轍》第2回公演 [2025/11/11 update]_c0050810_19425986.jpg


佐野敏幸《शारदा वन्दना》(2025、委嘱初演)

この作品は、ピアノを「祭壇」として捉え、音を通して祈りを捧げるという発想から生まれた。基となったのは、インドの巨匠Ustad Allauddin Khan が創始したマイハール楽派(Maihar gharana)に伝わる讃歌《Shāradā(Hymn to Saraswatī)》である。
サラスワティ(Saraswatī)は、ヒンドゥー教において知恵・学問・芸術・音楽・言葉を司る女神であり、創造神ブラフマーの妃として知られる。サラスワティは宇宙を「音(ナーダ nāda)」によって秩序づけ、あらゆる創造の源泉に響く聖なる振動そのものを象徴する。聖なる河「サラスワティ川」の神格化としても信仰され、水が清め流すように、無知を洗い流し智慧を授ける存在とされた彼女のもう一つの名「ヴァーク(Vāk)」は「言葉」を意味し、詩人や学者、音楽家に霊感を与える。白衣をまとい、蓮に座し、手にヴィーナ(インドの弦楽器)を持つ姿は、純粋な知と音楽の流れを象徴する。
「シャーラダー(Shārada)」はサラスワティの別名であり、音楽・詩・韻律・旋律の流れを司る神格として崇められる。その名は「秋(śarada)の光明」に由来し、響きの成熟と調和を象徴する。

本作では、インド音楽の旋律体系ラーガ(rāga)のひとつ、ラーガ・バイラヴィ(Rāga Bhairavi)を基調としている。バイラヴィは朝の時間帯に演奏される伝統的なラーガで、精神の目覚めや新たな始まりを象徴する。さらに創作解釈として、バイラヴィはヒンドゥー教の女神としても描かれることがある。
女神バイラヴィは、破壊と変容、浄化と覚醒の力を象徴する存在であり、シヴァ神の力(シャクティ、Shakti)を体現するとも言われる。外的な闇を打ち砕き、内なる無明や煩悩を焼き尽くす火の力を持つ女神として信仰されてきた。その象徴的力を、ラーガ・バイラヴィの荘厳かつ沈潜する旋律に重ねることで、本作ではサラスワティの知と光、バイラヴィの浄化と覚醒の力が交錯する。

第1楽章はリズムを伴わないアーラープ(ālāp)の形式で始まり、音が祈りのように静かに立ちのぼる。終盤では多様なラーガを次々と用いる「ラーガマーラー(Rāgamālā)」の手法により、サラスワティの知と光、バイラヴィの浄化の力が交錯する音世界を表現する。
第2楽章は讃歌《Shāradā》を主題とし、16拍子に構成されている。全体を108小節としたのは、インドにおける聖なる数字に由来する。108は宇宙の周期や煩悩の数、神々の名の象徴とされ、サラスワティにも108の名が伝えられる。
ピアノという西洋楽器を「祭壇」と見立て、音楽を祈りの儀式として昇華する――この作品は、知と光の女神サラスワティへの讃歌であり、浄化と覚醒をもたらすバイラヴィの象徴的力への祈りでもある。二つの神性が融け合う瞬間を、音として描き出すことを目指した。(佐野敏幸)


佐野敏幸 Toshiyuki Sano /Santhosh, composer
11/15(土)18時 1840年製エラールによる《リストの轍》第2回公演 [2025/11/11 update]_c0050810_19354728.jpg
1972年愛知県豊橋市生まれ。京都大学理学部卒。13歳頃より独学でギターとピアノを始める。1992年、ギタリスト北口功氏に師事。同年、レオ・ブローウェル国際ギターコンクール入選。1995年、西洋音楽と自身のミスマッチを感じ始めていた頃にインド音楽に出会う。1996年、シタール奏者の田中峰彦氏の紹介により、Amit Roy氏に師事。より深くインド音楽を学ぶため、2000年よりAmit Roy氏のそばに移り住み研鑽を積む。楽器はシタールとスルバハール(大型で低音域のシタール)を奏する。2005年、タブラの巨匠Anindo Chatterjee氏との共演により、CD「Memory」を製作。作曲作品に、歌とピアノのための《Sandhyaprakash - meeting of the light》(2007)、チェンバロ独奏のための《GRS》(2009)などがある。





# by ooi_piano | 2025-11-11 09:29 | リストの轍 2025 | Comments(0)

大井浩明 連続ピアノリサイタル
Hiroaki OOI Klavierrezitals
Robert Schumanns Fußspuren

松山庵 (芦屋市西山町20-1) 阪急神戸線「芦屋川」駅徒歩3分
4000円(全自由席)
〔要予約〕 tototarari@aol.com (松山庵)

後援 一般社団法人 全日本ピアノ指導者協会(PTNA) [ ]

チラシ 



【第2回公演】11月9日(日)15時開演(14時45分開場)

《交響的練習曲 Op.13 + WoO 6》(1834/37) [ファンテジー(遺作)6曲を含む全19曲版] 32分
 Thême d'un Amateur / Andante - Etude I Un poco più vivo - Etude II Andante - Fantaisie 3 - Fantaisie 4 - Etude III Vivace - Etude IV Allegro marcato - Fantaisie 10 - Etude V Scherzando - Fantaisie 6 - Etude VI Agitato - Etude VII Allegro molto - Etude VIII Sempre marcatissimo - Etude IX Presto possibile - Etude X Allegro con energia / Fantaisie 7 / Etude X - Fantaisie 8 - Etude XI Andante espressivo - Etude XII (Finale) Allegro brillante
《子供の情景 Op.15》(1838) 18分
 I. 見知らぬ国と人々について - II. 不思議なお話 - III. 鬼ごっこ - IV. おねだり - V. 満足 - VI. 重大な出来事 - VII. トロイメライ(夢) - VIII. 暖炉のそばで - IX. 木馬の騎士 - X. むきになって - XI. こわがらせ - XII. 眠る子供 - XIII. 詩人のお話
《アラベスク Op.18》(1838/39) 6分
 Leicht und zart - Minore I, Etwas langsamer - Tempo I - Minore II, Etwas langsamer - Zum Schluss

  (休憩)

《花の曲 Op.19》(1839) 7分
 I. Leise bewegt - II. Ein wenig langsamer - III. - II. - IV. - III. - II. - IV. - V. Lebhaft - II. Minore - IV. - II.
《フモレスケ Op.20》(1839) 25分
 Einfach - Hastig - Einfach und zart /Intermezzo - Innig - Sehr lebhaft - Mit einigem Pomp - Zum Beschluss
《4つの夜曲 Op.23》(1839) 17分
 I. Mehr lengsam, oft zurückhaltend - II. Markirt und lebhaft - III. Mit grosser Lebhaftigkeit - IV. Einfach / Adagio
《君に捧ぐ(献呈) Op.25-1 /S.566》(1840/48) [F.リスト編独奏版] 3分

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《ウィーンの謝肉祭の道化 Op.26》(1840) 21分
 I. Allegro - II. Romanze - III. Scherzino - IV. Intermezzo - V. Finale
《3つのロマンス Op.28》(1839) 14分
 I. Sehr markiert - II. Einfach - III. Sehr markiert
《スケルツォ、ジーグ、ロマンスとフゲッテ Op.32》(1838/39) 11分
 I. Scherzo - II. Gigue - III. Romanze - IV. Fughette
《アンダンテと変奏曲 Op.46》(1843) [T.キルヒナー編独奏版、日本初演] 13分
 Andante espressivo - Var. I - Var. II Un poco più animato - Var. III - Var. IV Più animato - Var. V Più lento - Un poco più lento - Var. VI Più lento - Var. VII Animato - Var. VIII - Var. IX - Var. X Doppio movimento - Tempo primo


〈使用エディション〉 新シューマン全集 (2011/2014/2016)

11月9日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第2回公演 [2025/11/03 update]_c0050810_13591273.jpg

倒錯した崇高――シューマンとフモール
山村雅治

 芸術や哲学の姿は時代とともに移りかわる。シューマンが生きた時代は大きな転換期だった。ベートーヴェンは1827年に、ヘーゲルは1831年に帰らぬ人になった。ヘーゲルは《美学講義》(1835)のなかで書いていた。
 「かつて芸術は絶対的なるものを意識するための唯一無二の方法だったが、人類はそうした段階をもはや突きぬけた。普遍的な形式や原則があらゆるものを決定する基準になり、すべてを執りしきった。だが芸術活動や芸術作品には概して、もっと血の通った要素が求められる。普遍的なものが規則や原則があらかじめ存在するのではなく、心情や感覚の動きと一体になって生命を帯びなければならないのだ」。

 そしてゲーテが1832年に世から去る。1820年代から1830年代の芸術思潮の転換期は「ゲーテに代表される芸術の時代の終焉」と形容された。
 ハイネによれば人びとは確信していた。「ゲーテの死とともにドイツでは新たな文学の時代が始まり、ゲーテとともに古きドイツは土の中に葬られた。文学における貴族の時代は終わりを迎え、市民の時代が幕を開ける。あるいは、個人の精神は終息し、万人の精神が産声をあげたのである」。

 こうした確信に同調できた人物のうちにシューマンもいた。彼はリストが編曲したピアノ版のベルリオーズ《幻想交響曲》の新奇なリズムに、「ゲーテ/モーツァルトによる芸術の時代の花冠を頭に戴きながら、神々のごとく軽やかに空を舞う」規則正しいリズムとは正反対のものを感じとっている。若い世代のフランスの芸術家たちは『エルナーニ』を上演したヴィクトル・ユゴーのもとにあつまった。ドイツでも「若きドイツ/青年ドイツ派」が生まれ、ジャン・パウルの作風に理想を見た。

 文学史のなかでジャン・パウルはどこにも位置づけられない。ロマン派の運動に加わらなかったし、ゲーテを信奉する一派ともかかわらなかった。同時代において完全に孤立した彼は、心と著作を切り離さなかった。「青年ドイツ派」の作家たちもまた実人生と作品のあいだに境界をもうけることはなかった。ジャン・パウルを崇拝したのは筋金入りの自由主義者たちだった。彼は「身分いやしき者たちの詩人」、「聖なる鐘のように真実が鳴りわたることは望めぬ苦難の時代の」フモリストと見られていた。

 フモリストは「フモール Humor」を表現する。フモールとはユーモア(おかしみ)のこと。フモリスト、ジャン・パウルの小説ははじめは諷刺からはじまった。その対象は人間の個別的・現実的な側面へ向かう。だから諷刺は感傷主義小説に代表される感情の文学の対極に位置する。権力者を対象とし、人間の愚行や社会の悪弊を暴く諷刺はまた、婉曲を含む高い表現技術を必要とする。諷刺は、理性と感情の統合によって人間の真実に迫ろうとするジャン・パウルにとって、人間研究を積み言語の研鑽を重ねる機会を提供した。

 さらに諷刺は、貧困に喘ぎ社会の底辺で生きるジャン・パウルにとって、圧倒的な力で自分に襲いかかってくる外界から自分の身を守り、生き延びるための手段でもあった。それは外界との断絶を生む。感傷主義小説の登場人物たちが現実との妥協を自分の美徳を汚す行為として拒絶するように、真理と正義の旗を掲げる諷刺家もまた、諷刺家である限り、世界の外側に立って世界と対峙しつづけなければならない。両者に共通するするのは、世界からの退場、すなわち、死である。諷刺に専念するなかで、ジャン・パウルの胸底で静かに醸成をつづけていた世界との和解を求める欲求は、自らの死への予感をきっかけに、ついに表に現れた。この和解への欲求こそ、ユーモアの精神であり、生への意志だった。

 ジャン・パウルはユーモアを「倒錯した崇高」と呼ぶ。ユーモアは有限を無限との対比によって滅ぼすが、自らを滅ぼされる有限のなかに含める。ユーモアの根底にあるのは、人間が死を定められた存在であるという意識であり、この死の意識から生まれる地上的存在物にたいする寛容の態度である。ユーモアは自己と他者を結ぶ宥和と寛容の精神である。ユーモアの獲得によってジャン・パウルは世界と和解し、小説家としての足場を確保した。「わたしもあなたもいずれ死ぬんじゃないか」という冷厳な事実から生まれる人間存在そのものを包みこむ笑いによって。
 若い音楽家たちも変わりゆく時代のなかにいた。
 「ハイドンは叙事的な表現が優っているという意味でゲーテに、モーツァルトは抒情的で憂愁とないまぜになった情熱のゆえにシラーになぞらえよう。そしてベートーヴェンはといえば、すべてを包みこむフモールという点でジャン・パウルに、さらには劇的性格のゆえにイギリスのシェイクスピアにくらべられる」。ベートーヴェンの世界観は、フモールの力によって一切の一面的な制約を破壊する。
 
 シューマンは少年時代から文学にも関心があった。父アウグストは書店、出版社を経営して自ら著作もなした。とりわけ魅せられたのがジャン・パウルの作品だった。シューマンは耽読し、傾倒のあまり、自分より傾倒の度合いの少ないものを敵対者と見なしかねないほどだった。シューマンはライプツィヒの学生時代に借りた下宿部屋にはジャン・パウルとベートーヴェンの肖像画が掲げられていた。1828年に18歳のシューマンはアフォリズム集を出した。《天才とは何か。その陶酔性と独創性、その他の性質について》。そのなかで書いている。
「天才のうちに秘められた最も大きな力とは、感傷とフモールが織りなす芸術の美にほかならない。こうした審美性はしばしばジャン・パウルの作品に見いだすことができるし、とくにベートーヴェン、シューベルトらに見いだすことができるだろう」。

 また1828年の日記にはこう書いた。「ベートーヴェンの音楽を聴くと、ジャン・パウルの小説の朗読を聞くような気がする。シューベルトはむしろノヴァーリスに近い」。
 S・ド・シル宛にはフモールの概念について説明したくだりがある。「フランス人は『フモレスケ』という用語を理解することはできないでしょう。あなたがたの言語が、夢想的な熱狂とフモールという、ドイツ国民性に根ざした二つの特性を適切に訳すのにぴったりの言語をもっていないのは不幸なことです。このフモールはいたずら者の機知と熱狂のまさに混ざりあったものなのです」。ジャン・パウルへの言及である。
 シューマンは音楽では「ロマン的フモール」はベートーヴェン《交響曲第7番》と晩年の作品全般においてはじめて現れた、という後期ロマン主義者たちの核心を共有していた。 

 「青年ドイツ派」のテオドール・ムント主宰の「文学的娯楽新聞」をシューマンは購読していたが、そこに掲載されたムントの言葉をみずから抜き書きしている。
 「哲学者たちはほかならぬ音楽から学びとることができよう。うわべには青春の浮薄な戯れをよそおいながらも、世界の深奥にある物事は言い表しうるのだと。というのも、音楽芸術の特質とは、旋律によって、遊びに夢中になる子供のようなあどけない姿を人びとに示そうとすることにほかならないからである。この子供は世故にたけた教養ある大人を前にして、みずからの胸にあふれる至福の思いをほとんど恥じてでもいるように、粒だったさまざまな音型の背後にいたずらっぽく身を隠すかと思えば、感傷に浸されて愛を求めるあまり、不可思議な音の仄めかしによって姿を現そうとする。こうして綾なす調べは、いかなる人の胸にも『僕のことをわかってくれる?』と静かに問いかけているのだが、万人に聞きとどけられるというにはほど遠い」。
 
11月9日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第2回公演 [2025/11/03 update]_c0050810_13594291.jpg

 《フモレスケ Op.20》は1838年から1839年にかけて書かれた。シューマンの「フモール」が縦横に描かれる。ムントの言葉はこの曲への批評のようだ。ここに表現されているのは逆説であり、滑稽な音楽ではなく、もっとも研ぎ澄まされた内面の告白だ。この作品を書き上げたあとの1839年7月16日にシューマンとクララは、頑として二人の結婚を認めないクララの父親ヴィークを裁判所に訴える。これはシューマンとクララの最後の選択だった。シューマンは緊張の極に達していた。
 ジャン・パウルは《美学入門》で、フモールは「神が有限なものを光明によって打ち砕く」「破壊作用」を見いだしている。シューマンも「フモール」によって現実を打ち砕きたかったのだろう。

 シューマンの「ピアノの時代」は1829年から1830年にかけての長い時間に試行錯誤しながら、《アベッグ変奏曲 Op.1》を書いて始まった。これまでの変奏曲とは異なる作品に批評家は注目した。《パピヨン Op.2》にはジャン・パウル《生意気盛り》が反映している。《パガニーニのカプリスによる変奏曲 Op.3》、《間奏曲集 Op.4》《クララ・ヴィークのロマンスによる即興曲集 Op.5》《ダヴィッド同盟舞曲集 Op.6》《トッカータ Op.7》《アレグロ Op.8》《謝肉祭 Op.9》《パガニーニのカプリスによる6つの演奏会用練習曲 Op.10》とピアノ作品が書き続けられ、1833年から35年にかけて《ピアノ・ソナタ第1番 Op.11》が完成した。まだピアノ曲は続く。《幻想小曲集 Op. 12》があり、作品23まですべてがピアノ曲だった。

 《交響的練習曲 Op.13 [+ WoO 6] 》は1834年から37年にかけて作曲された。シューマンは1828年の夏からヴィークにピアノを師事し、当時9歳のクララとも親しくなった。シューマンは架空の女性ABEGGに恋をしたが、現実にいる女性にも恋をした。アマチュア音楽家フリッケン男爵がつくった作品から《交響的練習曲》の主題を採ったわけだが、シューマンは1834年8月に男爵の娘エルネスティーネと密かに婚約した。婚約解消は1837年。翌1838年には一気にシューマンとクララの愛が燃えあがる。
 初版は《主題と12の変奏曲》。改訂版は《主題と9曲の変奏曲とフィナーレ》。ほかに初期稿として「A草稿」と「B草稿」がある。この作品の下地にあったのはベートーヴェンの交響曲研究だった。

 《子供の情景 Op.15》は1838年の作品。クララと結ばれる前に書かれた。クララはこの曲を気に入っていた。シューマンは1838年3月17日のクララへの手紙に「あなたは前に『わたしはときどき子供のように見えるでしょう』と書いてきましたね。私はそこで30曲ほどの小品を書きました。12曲を選んで《子供の情景》と名づけました」と書いた。完成版は13曲。

 《アラベスク Op.18》《花の曲 Op.19》《フモレスケ Op.20》と一群をなす作品として1839年8月に出版された。2曲は規模が小さく緊密な曲になった。《アラベスク》はすべてが独特なやりかたで絡みあっている「草花模様」。《花の曲》は変奏曲だが変奏された各曲が小さな3部分構成になり、変形主題の輪が波紋のように、あるいは群生する花のように広がっていく。

 《4つの夜曲 Op.23》は「ピアノの時代」の最終作品になった。1839年、ヴィークへの訴訟を控えてシューマンは極度に切迫していた。シューマンの作品のなかでも異様なとりとめのなさがある。死を意識していた。《夜曲》とはいえロマンティックなノクターンとは一線を画した「生命の夜」のような魂の安息。兄の危篤の知らせと逝去の体験が曲を書いている時期にあった。もはやヴィークとの和解は不可能と考えたシューマンは、1839年6月15日、クララの同意を得て弁護士に訴訟手続きを依頼した。

 《君に捧ぐ(献呈) Op.25-1》は晴れてクララとの結婚が許された年、1840年に書かれた歌曲集『ミルテの花』の第1曲。1840年8月12日にシューマンとクララの結婚を許可する判決が下され、二人は9月12日にライプツィヒ近郊シェーネフェルトの教会で結婚式を挙げた。「君は僕の魂 僕の心/僕の歓び 僕の苦しみ/君は 僕の生きる世界/僕がただよう天国/僕の善き霊 より良き「私」!」で結ばれるリュッケルトの詩を、結婚の当日にクララに捧げた。1840年は「歌の年」。歌曲への創作意欲が爆発した。

 《ウィーンの謝肉祭の道化 Op.26》は1839年3月に書きはじめられて、終曲の第5曲は1840年冬に完成。謝肉祭ではあらゆる価値を転倒させることで現世の秩序を笑いとばす。道化は「フモール」そのものだ。並行して書かれていた《夜曲》とは対照的で、やはりシューマンのなかにはフロレスタンとオイゼヴィウスという両極に引き裂かれた性格が併存していた。とはいえ第4曲「間奏曲」は《夜曲》のなかに構想されていたのだから、「死を意識して生きる」というありようが身についていたのかもしれない。

 《3つのロマンス Op.28》にはクララとの結婚への希望を託した。2曲目は美しい愛の二重唱になった。《スケルツォ、ジーグ、ロマンスとフゲッテ Op.32》は、ロマン派の性格小品とバロックの舞曲が混合された作品。シューマンのバッハ研究が背景にある。

 《アンダンテと変奏曲 Op.46》は1843年の作品。原曲は2台のピアノ・2本のチェロ・ホルンの5重奏曲。「歌の年」の翌年1841年には管弦楽作品を集中して書き、1842年には室内楽に専念した。5重奏版は478小節で、296小節に切りつめられた2台ピアノ版はブラームスの愛好曲だった。本日は、シューマン夫妻やブラームスとも親しかった、テオドール・キルヒナー(1823-1904)による独奏版で弾かれる。

11月9日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第2回公演 [2025/11/03 update]_c0050810_13593290.jpg

〔予告〕
【第3回公演】 2026年1月11日(日)15時開演(14時45分開場)
朗読:山村雅治(*)
《4つのフーガ Op.72》(1845)
《密輸業者 Op.74-10》(1849) [C.タウジヒ編独奏版]
《4つの行進曲 Op.76》(1849)
《春の訪れ Op.79-19 /S.569》(1849/74) [F.リスト編独奏版]
《森の情景 Op.82》(1848/49)
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《協奏的小品 Op.86》(1849/2025)[米沢典剛独奏版/初演]
《ただ憧れを知る者だけが Op.98-3 /S.569》(1849/74) [F.リスト編独奏版]
《色とりどりの小品 Op.99》(1836/49)
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《スペインの愛の歌 Op.138》より「前奏曲」「間奏曲(国民舞曲)」(1849)[作曲者編独奏版] 
《美しきヘートヴィヒ Op.106》(1849)(*)
《3つの幻想的小曲 Op.111》(1851)
《2つのバラード Op.122》(1852/53)(*)
《アルバムの綴り Op.124》(1832/45)


【第4回公演】 2026年3月22日(日)15時開演(14時45分開場)
《7つのフゲッタ形式によるピアノ曲 Op.126》(1853)
《朝の歌 Op.133》(1853)
《プロヴァンス地方の恋唄 Op.139-4/ S570》( 1852/1881) [F.リスト編独奏版]
《序奏と協奏的アレグロ Op.134》(1853/2025) [米沢典剛編独奏版/初演]
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《ゲーテのファウストからの情景 WoO 3》序曲 (1853/82) [R.クラインミヒェル編独奏版]
《天使の主題による変奏曲 WoO24》(1854)
ブラームス:《シューマンの天使の主題による変奏曲 Op.23》(1861/78) [T.キルヒナー編独奏版]

〈使用エディション〉 新シューマン全集 (2020)



# by ooi_piano | 2025-10-24 00:26 | シューマンの轍 | Comments(0)

2/21(土)18時 1840年製エラールによる《リストとショパンの連接》


by ooi_piano