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大井浩明 連続ピアノリサイタル
Hiroaki OOI Klavierrezitals
Robert Schumanns Fußspuren

松山庵 (芦屋市西山町20-1) 阪急神戸線「芦屋川」駅徒歩3分
4000円(全自由席)
〔要予約〕 tototarari@aol.com (松山庵)

後援 一般社団法人 全日本ピアノ指導者協会(PTNA) [ ]

チラシ 

2026年3月22日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第4回公演 [2026/03/06 update]_c0050810_08483717.jpg


【第4回公演】 〈1853年のロベルト・シューマン〉
2026年3月22日(日)15時開演(14時45分開場)

《プロヴァンス地方の恋唄 Op.139-4/ S570》(1852/1881) [F.リスト編独奏版] 〔ブラームスに献呈〕 3分

《ゲーテのファウストからの情景 WoO 3》序曲 (1853/1882) [R.クラインミヒェル編独奏版] 8分

《7つのフゲッタ形式によるピアノ曲 Op.126》(1853) 15分
1. Nicht schnell, leise vorzutragen - 2. Mässig - 3. Ziemlich bewegt - 4. Lebhaft - 5. Ziemlich langsam, empfindungsvoll vorzutragen - 6. Sehr schnell - 7. Langsam ausdrucksvoll

《朝の歌 Op.133》(1853) 15分
I. Im ruhigen Tempo - II. Belebt, nicht zu rasch - III. Lebhaft - IV. Bewegt - V. Im Anfange ruhiges, im Verlauf bewegtes Tempo

  (休憩)

《序奏と協奏的アレグロ Op.134》(1853/2025) [米沢典剛編独奏版/初演] 〔ブラームスに献呈〕 13分
I. Ziemlich langsam - II. Lebhaft

《F.A.E.ソナタ(自由だが孤独に)》より「間奏曲とスケルツォ」(1853/2025) [ブラームスとの共作、米沢典剛編独奏版/初演] 8分

《天使の主題による変奏曲 WoO24》(1854) 11分
Theme – Var.I - Var. II / Canonisch - Var.III / Etwas belebter - Var.IV - Var.V

ブラームス:《シューマンの天使の主題による変奏曲 Op.23》(1861/1878) [T.キルヒナー編独奏版] 16分
Theme. Leise und innig - Var.1 L'istesso Tempo / Andante molto moderato - Var.2 - Var.3 - Var.4 - Var.5 Poco più animato - Var.6 Allegro non troppo - Var.7 Con moto / L'istesso tempo - Var.8 Poco più vivo - Var.9 - Var.10 Molto moderato, alla marcia


〈使用エディション〉 新シューマン全集 (2020)


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Hiroaki OOI Klavierrezitals - Robert Schumanns Fußspuren
March 22, 2026 (Sun) 3:00 PM Start (Doors open at 2:45 PM)
SHŌZAN-AN (20-1 Nishiyamachō, Ashiya City) 3-minute walk from Hankyu “Ashiyagawa” Station [Google Map https://maps.app.goo.gl/3fckoavsb26SVkYM6 ]
¥4,000
[Reservation] tototarari@aol.com (Shōzan-An)

Robert Schumann (1810-1856):
- Provenzalisches Lied Op. Op.139-4 (1852) [dedicated to Brahms] / S570(1881) [arr. Franz Liszt], Overture from "Szenen aus Goethes Faust" WoO 3 (1853/1882) [arr. Richard Kleinmichel (1846–1901)], 7 Klavierstücke in Fughettenform Op.126 (1853), Gesänge der Frühe Op.133 (1853)
- Concert-Allegro mit Introduction Op.134 (1853) [dedicated to Brahms] / (2025) [arr. Noritake Yonezawa], F.A.E.-Sonate / II. Intermezzo (Schumann) + III. Scherzo (Brahms) 」(1853/2025) [arr. Noritake Yonezawa], Thema mit Variationen (Geistervariationen) WoO 24 (1854), Brahms: Variationen über ein Thema von Robert Schumann Op.23 (1861/1878) [arr. Theodor Kirchner (1823–1903)]
<Edition: Neue Schumann-Ausgabe (2020)>


2026年3月22日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第4回公演 [2026/03/06 update]_c0050810_19124494.jpg



1

 1854年2月、ロベルト・シューマンは重い鬱病を発症した。自殺を試みる27日直前の数日間、ロベルトは何度もクララに自分たちの寝室から出ていってほしいと頼んだ。自分が彼女を傷つけてしまうかもしれないという理由で。浮橋からライン川へ身を投げる瞬間、ロベルトは自分の結婚指輪を水中に投げた。クララはこれを「至福の妄想」と考えた。「これによって、彼の指輪が私の指輪といっしょになれると思ったのだろう」と。ロベルトにとって、ライン川に溺れるという自分の姿は死のモティーフとして、早くも1829年5月13日の「旅の覚書」に現われた。またクララとの婚約期間中、二人の関係が最大の危機を迎えた1837年11月28日付のクララ宛の手紙にも取りあげられている。
 「夢を見た。深い水の傍を歩いていると、不意にある思いにとらわれ指輪を水に投げ入れた。はてしない憧れがこみあげてきて、後を追って飛び込みたいと感じたんだ」。
 たまたま通りかかった船の船頭に助けられたロベルトは、その船からも飛び込み、助けられた。2度にわたる自殺の試みから、彼は助かることを望んでいなかったことが判る。長女マリーは救助された父が人びとに抱きかかえられて家に連れ戻されたときのことを書いている。
 「父の捜索が始められました。私が表に出ると、大勢の一団の人たちが騒ぎながら家のほうに近づいてくるのが見えました。それは二人の男の人に両腕を抱えられて、両手で顔を覆っている父だとわかりました」。

 そのときシューマンの頭のなかには"Geistervariationen”が鳴っていただろう。日本語に直訳すれば《亡霊変奏曲》または《幽霊変奏曲》となるところだが、《精霊の変奏曲》、《天使の主題による変奏曲》と呼ばれることが多いようだ。クララの日記によれば、助けられた翌日2月28日、「彼はベッドから出て、再び一日じゅう机に向かって書き物をしていた。医師たちは彼に二人の看護人をつけた。ロベルトは今日ユンゲ嬢を通して、私に浄書した変奏曲を送ってきた」。クララは会えばロベルトがまた興奮する恐れがあるから、会わずに別のところにいた。
 "Geistervariationen”は1853年から幻聴に悩まされていたシューマンは、1854年2月になってからは、邪悪な精霊におののき、精霊の声に恍惚となる状態が続く。幻聴は10日から17日までに頂点に達した。クララの日記によれば、「17日金曜日の夜、私たちがベッドに入ってほどなくロベルトは起きあがり、精霊が彼に歌ってくれたといって、ひとつの主題を書きとめた。書き終わると彼は横になり、一晩じゅうずっと目を見開いて点を見つめ、空想を口走った。彼は精霊が彼の周りを漂い、彼にこの世ならぬすばらしい啓示を、すべて音楽のかたちで表してくれているのだと固く信じていた」。「天使が歌う」旋律を聴いたシューマンは変ホ長調の旋律を書き写す。この世のものとは思われないその声は、やがて虎とハイエナの唸り声になって彼を苦しめるが、この幻聴のなかで書きとめた精霊の歌が、この「変奏曲」になった。シューマンが指揮を務めていたオーケストラのベッカーとの会話によればシューマンはこの旋律をシューベルトの霊によるものだと考えていたらしい。この《変奏曲》が最後の作品となり、クララに捧げられた。


2

 死の前年、ロベルトとクララのシューマン夫妻は二人の若い才能を知った。1853年に22歳のヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムをまず8月30日に聴いて、言語障害をひきおこすほどに感銘を覚えたシューマンはヴァイオリンと管弦楽のための《幻想曲 Op.131》に着手し、9月21日にヴァイオリンのための小品を書きはじめるが、これが《ヴァイオリン協奏曲》に発展していく。そのヨアヒムの紹介状を持って9月30日にもうひとりの若い才能がシューマン家を訪れる。呼び鈴に応えて長女マリーが玄関に出た。ひとりの青年がリュックサックを背にして泥まみれの長靴で、まぶしそうに立っているのを見た。北の港町ハンブルクから来た20歳のヨハネス・ブラームスだった。彼がピアノ曲と歌曲などをシューマン夫妻に弾いてみせると、たちまち作曲家としてもピアニストとしてのブラームスに衝撃を覚えた。
 ロベルトは10月8日にヨアヒムに書いた。「ヨアヒムへ。私がもっと若ければ、とつぜん思いがけずアルプスからデュッセルドルフに飛び降りてきたあの若鷲のために、いくつか詩を書いたことでしょう。あるいは彼はナイアガラのような壮大な流れにたとえられるかもしれない。その流れは高みから瀑布となり音を立てて落ちるときに最も美しい。そこでは波の上に虹がかかり、岸には蝶が飛びかい、うぐいすが歌いかわすのです。いま私は思います。ヨハネスは真の預言者です。彼は黙示を記すでしょう。それは何世紀のちにも多くのフィリシテ人が謎解くことができないような黙示なのです」。
 翌日シューマンは《新しい道》と題した記事に着手して13日に仕上げる。記事は10月28日付の『音楽新報』に掲載された。
 「何年もの歳月が過ぎた。それはほとんど私がこの雑誌に捧げた年月と同じほど、いわば10年ほどのもなる。この豊かな思い出のある領域で、かつては数々の発言をしてきたのだった。この10年、私は緊張した創作活動をおこなってきたのだが、しばしば音楽の新しい力を告げる数多くの才能に刺激を受けることもあった。私は最大の関心を傾けながら、いつか突然、ひとりの人物が現れるだろう、現われるにちがいないと思っていた。
 時代の最高の表現を理想的に語るよう召命を受けた人。段階を追いその力を拓いて大家であることを示す人ではなく、ちょうどクロニオンの頭から飛びだしたときから完全武装していたミネルヴァのような人が。そして彼は来た。その揺りかごが優雅の女神と英雄に見守られていた若者が。彼の名はヨハネス・ブラームス。ハンブルクの生まれである。
 もし、かれがその魔法の杖を振りおろし、合唱と管弦楽において大きな響きの力が彼に与えられるなら、精神の世界になお驚くべき光景が現れるだろう。
 どんな時代にも、近しい精神のひそかな同盟というものが存在する。そこに属する盟友たちは、芸術の真理をますます明るく照らすために、いたるところ歓びと祝福を広げつつ、いっそうその環をしっかりと結べばいい」。


3

 1852年12月27日の日記でシューマンは記している。「今年のほぼ半分は、重い神経失調に倒れ病気のうちに過ぎた」。年末にも幻聴やめまい、さらにはリウマチの発作に見舞われた。しかし1853年を迎えた時期にもシューマンの創作意欲に衰えはなかった。元旦から2月までバッハ研究に打ち込み《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ》にピアノ伴奏を付け、2月末から《無伴奏チェロ組曲》を研究し、3月中旬には合唱バラード《エーデンハルの幸福》にとりかかる。4月には「ニーダーライン音楽祭」のために祝典序曲《ラインの葡萄酒の歌 Op.123》を書く。
 5月後半から6月はじめは、小品に向かう。まず《7つのフゲッタ形式によるピアノ曲 Op.126》を書いた。そして子どもたちのために《少年のための3つのソナタ Op.118》。
 夏の終わりと秋にヨアヒムとブラームスに出会ったあとには、デュッセルドルフを訪れるヨアヒムのために、シューマンはブラームス、アルベルト・ディートリッヒと3人で、ヨアヒムのモットーである「Frei 自由に Aber しかし Einsam 孤独に」の頭文字FAEを主題にしたヴァイオリン・ソナタを構想した。ディートリッヒが第1楽章、シューマンが第2楽章と第4楽章、ブラームスが第3楽章を受け持った。シューマンはのちに第1、3楽章も自分で書いて《ヴァイオリン・ソナタ第3番》にした。この間、ブラームスはほぼ毎日シューマン家を訪れて、シューマンの創作意欲を刺激した。高揚感のなかでシューマンは10月中旬にクラリネットとヴィオラとピアノのための《おとぎ話 Op.132》、続いてヘルダーリンの詩に触発された後期ピアノ曲の傑作《朝の歌 Op.133》を書いている。


4

 クララは生涯ロベルトに尽くした。しかし、ロベルトとクララの関係には互いに音楽家であることの葛藤が影を射すこともあった。すでに12歳のクララのピアノ演奏によるショパンの作品2の演奏を聴き、ロベルトは彼女の方がピアニストとして自分より優れていることに気づいた。「クララはなんという存在だろう! 僕らのなかでも、彼女の話しぶりがいちばん機知に富んでいた。まだ背丈も1メートルそこそこなのに、成長ぶりは目覚ましく、僕を不安にするほどだ。少女のなかでは気分の変化もめまぐるしく、笑いと涙、死と生があざやかな対照をなして稲妻のように急激に交替するのだ」。
 シューマンがクララとの結婚生活が始まったころ、自分が幸福の絶頂にあると感じていたことはたしかだ。長いあいだ待たされ、一時は見通しさえ失ったあとで、生涯の伴侶と定めた女性と結ばれたのだ。彼女の躍進と輝かしい名声を複雑な気持ちで見ていたこともたしかだ。彼女の活躍を心から願う一方で、結婚して一緒に生活を営むという自分のイメージを実現するのが難しくなることを恐れてもいた。結婚後、しばらくしてそうした問題は、予想したよりもさらに強い度合いで浮上し、年とともに増大していく。一方、クララがシューマンの天才を認識したのは出会いの当初からのことではなかった。ピアノ曲ばかりを書いていた最後の年1839年ごろになってはじめて、彼女は自分の恋人が音楽史上の偉人になるかもしれないと悟ったようだ。それ以降、彼女は自分の確信をしっかり握って手放さず、最も絶望的な状況にあっても、けっして迷わず、彼のためにできることをすべてなし、自分自身の芸術家としてのキャリアよりも彼の芸術活動を無条件に優先したのだった。

 シューマンは結婚をめぐる法廷での対決にあたり、パリに演奏旅行中のクララに書いた。
 「結婚したら、最初の一年は自分が芸術家であることを忘れて、もっぱら君自身と君の家と、君の夫のためにのみ生きてほしい。なんといっても妻という存在は女流芸術家よりも地位が高いのだから。それに君がもはや公共の場ではなしえぬことを、もし僕が代わりになしえたとすれば、それだけで僕の心の奥底の願いは充たされるのだ。ゆえに君はいつまでも今のままの芸術家であり続けることになるだろう。君の父親がこの世の至上の幸福と考えるような、三流紙でのちっぽけな名声など僕は軽蔑する」。
 クララは返事をしたためた。自分の心を決める根本条件として、まさにそれを期待していたからだ。
 「愛するロベルト、今日私は署名をしました。あなたが書いた手紙を受け取り、心の底からうっとりとして読んだのです。私の抱擁を受けてください。愛するわがよき夫よ。私にとって至高の人、私のすべて!」。
 クララは愛によって、シューマンという難しい人間との生活を耐えぬき、経済状態が危なくなれば演奏活動によって家計を破綻から救い、8人の子どもを生み、そのうち7人を育てた。つきあいが下手で無口なシューマンを自分の仲立ちで助けて、彼と外界との関係を維持した。自分がピアノを弾いて練習につきあうことで指揮者としての彼を献身的に支えた。そして家庭内のありとあらゆる物質的、心理的、教育的な問題をほとんどひとりで解決した。作曲家シューマンがこれほど長く生きていくつもの健康障害や職業上の困難な問題を乗り越えてこれたのは、クララの想像を絶する忠実さとたくましさがあったからだろう。最晩年のロベルトの暗く沈んだ気分には苦しめられていたが、にもかかわらずかぎりなく彼を愛していた。

 ロベルト没後のクララを支えたのはブラームスだった。ロベルトがブラームスから受けた感動はクララのものでもあり、ブラームスもクララに出会い、ロベルトの死までの二年半を自分の「ヴェルテルの時代」と名づけた。1855年8月12日に22歳のブラームスは、36歳のクララに書き送った。
 「あなたがいなければ僕はどんなに不幸だったでしょう。僕は人が書物からではなく、魂からのみ学ぶことが可能な生命力を、たえずあなたから学ぶのです。あなたはいつも僕のそばで僕のよき天使として、いてくださらなければなりません。そうすれば僕がなりうべきものが確実に僕から成就するでしょう」。
 ロベルトの死後、ブラームスは《シューマンの天使の主題による変奏曲 Op.23》(1861)を書いた。三女ユーリエに献呈して"Geistervariationen”の主題による4手用の変奏曲だ。翌1862年、ブラームスはヨアヒムにある危惧を手紙に書いた。「この曲の出版は、シューマン夫人はお気に召さないでしょう。もちろん私は夫人のお気持ちを害したくありません。心配はこの曲の出版に反対されはしないかということです」。
 クララは夫ロベルトの名声を深く気遣っていた。狂気の人というレッテルは、中世ならば「神の声が聞こえる人」と尊敬さえされたが、近代は狂気が隔離される時代になった。ヴァジェレフスキーによる評伝『ロベルト・シューマン』(1857)によって、それが身近にいたヴァイオリニストの手になる一次資料にちがいはないものの、そこに記されたロベルトがテーブルを浮かせる交霊会に参加したことや、精神の病に投身自殺などから沸き起こる風評としての「つくられた逸話」によって歪められた。
 ロベルトの尊厳を守るために、クララはロベルト最晩年の遺作の出版には慎重にならざるを得なかった。

 "Geistervariationen”「天使の主題による変奏曲」の主題について、後年の研究で明らかになった事実がある。シューマン自身が書いた《ヴァイオリン協奏曲 ニ短調》(1853年9月から10月4日)の第2楽章にすでに現れていた。また、《少年のための歌のアルバム Op.79》(1849)の第20曲「春の訪れ」にも。1851年11月に、早世したブルグミュラー(弟)の交響曲第2番(遺作)の第3楽章のオーケストレーションを行ったが、その第1楽章が「天使の主題」に似ている。これらの美しい旋律がシューマンの頭のなかに閃くように現れ、旋回していたのだ。(山村雅治)



2026年3月22日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第4回公演 [2026/03/06 update]_c0050810_19143267.jpg







# by ooi_piano | 2026-02-23 14:28 | Comments(0)
大井浩明 フォルテピアノリサイタル
Liszt Ferenc nyomában, látomásai és vívódásai
全自由席4,000円
お問い合わせ poc@artandmedia.com (アートアンドメディア株式会社)

〈使用楽器〉 1840年製エラール(Érard)社フォルテピアノ [80鍵、430Hz]
〈使用エディション〉 新リスト全集 (1972/2021、ミュジカ・ブダペシュト社)
チラシ

3/28(土)18時 1840年製エラールによる「ヴァイマールの黎明」 [2026/03/06 update]_c0050810_12491775.jpg

【第5回公演「ヴァイマールの黎明 Die Dämmerung Weimars」】
2026年3月28日(土)18時開演(17時半開場)


ハンガリー狂詩曲第6番 S.244-6 (1847) 7分
Tempo giusto – Presto - Lassan (Andante) - Friska (Allegro)

ハンガリー狂詩曲第14番 S.244-14 (1847) 12分
Lento quasi marcia funebre - Allegro eroico - Allegretto alla Zingarese - Vivace assai

演奏会用大独奏曲 S.176 (1849) 18分
Allegro energico / Grandioso - Andante sostenuto - Allegro agitato assai - Andante, quasi marziale funebre / Allegro con bravura

1qaz (1995-):《トルコ月光行進曲》《ちょっとエモいトルコ行進曲》(2025、委嘱初演) 10分

(休憩)

F.キュームシュテット(1809-1858)《リスト博士の主題による4声の演奏会用大フーガ Op.24》(1850) 11分
Introduction / Adagio - Fuge / Allegro maestoso

スケルツォと行進曲 S.177 (1851) 12分
Allegro vivace, spiritoso (Scherzo) - Allegro moderato, marciale

マイアベーア《預言者》の再洗礼派のコラール「我らに救いを求めし者たちに」
による幻想曲とフーガ S.259 (1850/97) [ブゾーニ編独奏版] 25分
I. 幻想曲 - II. アダージョ - III. フーガ

(休憩)

交響詩「プロメテウス」 S.99 (1855/56) [A. ストラダル編独奏版] 13分
Allegro energico ed agitato assai - Andante (Recitativo) - Allegro molto appassionato - Allegro moderato (Fuge) - Stretto, Più animato

グレゴリオ聖歌「怒りの日」による《死の舞踏》 S.525 (1853/65) [作曲者編独奏版] 16分
序奏 - グレゴリオ聖歌「怒りの日」主題 - 変奏1 Allegro moderato - 変奏2 L'istesso tempo - 変奏3 Molto vivace - 変奏4 (Canonique) Lento - 変奏5 (Fugato) Vivace - Cadenza - 変奏6 Sempre allegro, ma non troppo

レーナウ《ファウスト》からの2つのエピソード S.513a/514 (1860) 25分
I. 夜の行列(聖トマス・アクィナスの聖体讃歌「吾が舌よ、榮光に滿てる御身の秘蹟を謳え」による幻想曲) - II. 村の居酒屋の踊り(メフィスト・ワルツ第1番)



[使用エディション:新リスト全集 (1972/2019、ミュジカ・ブダペシュト社)]


3/28(土)18時 1840年製エラールによる「ヴァイマールの黎明」 [2026/03/06 update]_c0050810_12503961.jpg

"Liszt Ferenc nyomában, látomásai és vívódásai"
Hiroaki OOI, fortepiano
Shōtō Salon (1-26-4, Shōtō, Sibuya-ku, Tokyo) [Google Map https://shorturl.at/bgzJM]
Instrument: An original Hammerflügel by Érard [1840, Paris, 80 keys, 430Hz]
Edition: The New Liszt Complete Critical Edition (NLE), Editio Musica Budapest (1972/2021)
4,000 yen
reservation: poc@artandmedia.com(Art & Media Inc.)

< Die Dämmerung Weimars >
Sat. 28 March 2026, 6pm start
1qaz (1995- ) : "Turkish Moonlight March" "A slightly emo-ish march" (2025, Commissioned works, World Premiere)
Friedrich Kühmstedt (1809-1858): Grosse vierstimmige Concert-Fuge über ein von Herrn Dr. Liszt gegebenes Thema Op.24 (1850)
Franz Liszt (1811-1886) : Ungarische rhapsodie S.244-6 (1847), Ungarische rhapsodie S.244-14 (1847), Grosses Konzertsolo S.176 (1849), Fantasie und Fuge über den Choral Ad nos, ad salutarem undam S.259 (1850/97, piano solo version by Ferruccio Busoni), Prometheus S.99 (1855/1905, piano solo version by August Stradal), Totentanz S.525 (1853/65), Zwei Episoden aus Lenaus Faust S.513a/514 (1860)




3/28(土)18時 1840年製エラールによる「ヴァイマールの黎明」 [2026/03/06 update]_c0050810_02571399.jpg
 YouTubeというプラットフォームにおいて、音楽はまず「情報」として処理される。そこでは、タイトルとサムネイルがすべてを支配する。どんなに緻密な和声や技巧を凝らしたところで、クリックという「門」を通過しなければ、その音はこの世に存在しないも同等だ。近年のJ-POPがイントロを消失させ、冒頭数秒に強烈なフックを配置するようになったのは、ストリーミングという媒体において「スキップ」という審判を回避するための適応進化である。音楽史の文脈から見れば異質な変容だが、今の時代、プラットフォームのアルゴリズムに選別され、レコメンド(おすすめ)という名の「押し付け」の循環に居座ることこそが、音楽が「公に生存する」ための、ひとつの避けては通れないプロトコルなのである。
 ここで、ひとつの残酷な問いが浮かび上がる。「音楽的な面白さと、プラットフォーム上の数値には相関があるのか?」
 私の見解はこうだ。「良い音楽が必ず人気になるわけではないが、人気な音楽は何かしら人を魅了した項目(変数)を持っている」。再生数、高評価、登録者数……可視化された数値は、かつて本屋やCDショップのポップが担っていた「推奨」という能動的な行為を、AIによる「最適化」という受動的な体験へと変質させた。現代のリスナーにとって「聴きたい曲を探す」という行為はすでに機能不全に陥っており、検索欄はもはや形骸化している。私たちは、プラットフォームが提示する「数値的魅力の高い動画」をただ浴びるように消費し、その数値を唯一の客観的な評価基準として内面化していく。
 しかし、私がこの戦場に身を投じた根源は、決して高尚な志ではない。もともとは「脳内に浮かんだ突拍子もない着想を、誰かに見てほしい」という、極めて素朴な、あるいは幼稚な欲求から始まっている。そこには「良い音楽を作りたい」という高潔な意思よりも、衝動的なアイデアを即座に社会へ放り込む「無責任な発信」への快楽があった。かつてならば門前払いを食らっていたはずのこうした個人の創作が、インターネットというインフラによってダイレクトに市場と接続された。これは現代のITがもたらした最大の功績であり、同時に「音楽の氾濫」を招いた最大の功罪でもある。
 ある日、唐突に「トルコ“行進曲”を行進不能にしたらどうなるか?」という着想を得て、実行に移した。自分でも手応えはあったが、そこに「再生数」という具体的な数字が伴ったとき、私のクリエイティビティは変質した。人間というのは強欲な生き物だ。一度その数値がもたらす快楽に魅了されると、次はいかにしてその「数字を最大化するか」というゲームに没頭し始める。
 当初、ここまで「トルコ行進曲」という一曲に固執するつもりはなかった。しかし、膨大な情報が濁流となるYouTubeにおいて埋没を避けるには、万能な音楽家であることよりも、「一点突破の変人」としてタグ付けされるほうが圧倒的に有利である。これがいわゆる「ジャンル特化型」への転換――再生数を伸ばすためのイメージ戦略である。「良い音楽」を追求すること以上に、「アルゴリズムに認識されやすい、尖ったアイコンになること」を優先した結果なのだ。
 この歪な構造を、既存の批評家は「もはや芸術ではない」と断じるかもしれない。だが、それは単に評価軸が二極化したに過ぎない。「音楽に精通した人間が面白いと思う音楽」と、「大衆がクリックしたくなる、数値が伸びる音楽」。これら二つの軸がテクノロジーによって露骨に可視化されたのだ。音楽が飽和する現代において、出会いの難しさを突破するために“数値”という共通言語による格付けが必要とされてしまうのは、ある種の一興、あるいは必然ではないだろうか。
 今回の二つの作品――ベートーヴェンの熱量を情報の奔流へと圧縮した『トルコ月光行進曲』、そして現代の「エモさ」というテンプレートをハックした『ちょっとエモいトルコ行進曲』――は、そんな欲望と戦略の交差点から生まれた。これらは純粋な音楽的探求であると同時に、いかにして「30秒の壁」を突破し、視聴者の意識をハックするかという、YouTube的な力学の産物でもある。
 クリックもスキップもできないコンサートホールという特殊な空間において、これらの「デジタルな偏執」が、生身の肉体を通じてどう響くのか。それは私にとっても、自分自身の初期衝動を問い直すための、スリリングな実験場なのである。(1qaz [いちくあず] https://www.youtube.com/@1qaz927




# by ooi_piano | 2026-02-22 12:51 | リストの轍 2025 | Comments(0)

大井浩明 フォルテピアノリサイタル
Liszt Ferenc nyomában, látomásai és vívódásai
全自由席4,000円
お問い合わせ poc@artandmedia.com (アートアンドメディア株式会社)

〈使用楽器〉 1840年製エラール(Érard)社フォルテピアノ [80鍵、430Hz]
〈使用エディション〉 新リスト全集 (1972/2021、ミュジカ・ブダペシュト社)
チラシ

2/21(土)18時 1840年製エラールによる《リストとショパンの連接》 [2026/02/13 update]_c0050810_09075149.jpg

【第4回公演「ショパンとの連接 Connexities with Chopin」】
2026年2月21日(土)18時開演(17時半開場)


ショパン「6つのポーランド歌曲」 S.480 (1857/60) 18分
I. 願い [主題と3つの変奏] (1829) - II. 春 (1838) - III. 指環 (1836) -
IV. 酒場の唄 (1830) - V. 私の愛しい人 (1837) - VI. 家路 [許婚] (1831)

ベッリーニ《清教徒》の行進曲による「創世の六日間(ヘクサメロン)」変奏曲 S.392 (1837) 20分
序奏 - 主題 - 第1変奏(S.タールベルク) - 第2変奏 - 第3変奏(P.ピクシス) -
第4変奏(H.ヘルツ) - 第5変奏(C.チェルニー) - 第6変奏(F.ショパン) - 終曲

ラマルティーヌによる交響詩《前奏曲》 S.511 (1855/59) [C.タウジヒ編独奏版] 17分
I.星辰 - II.愛 - III.嵐 - IV.田園画 - V.勝利

(休憩)

超絶技巧練習曲集(第2稿) 第7番~第12番 S.137 (ミラノ初版、1838) [ショパンに献呈] 40分
7. Allegro deciso - 8. 「衆魔殿」Presto strepitoso - 9. Andantino -
10. Presto molto agitato - 11. Lento assai - 12. Andantino

三関健斗(1996- ):《雲を喰らい尽くす》(2026、委嘱初演) 10分

(休憩)

2つのポロネーズ S.223 (1852) 20分
I. Moderato (憂鬱なポロネーズ) - II. Allegro pomposo con brio

華麗なマズルカ S.221 (1850) 4分

慰め S.172-3 (1850) 5分

バラード第2番 S.170a (1853、初稿) 14分

子守歌 S.174 (第2版、1862) 10分

葬送、1849年10月 S.173-7 (1849) 11分

Joseph Kriehuber (1800-1876) : "Ein Matinée bei Liszt" (1846)
(左から)Joseph Kriehuber, Hector Berlioz (1803-1869), Carl Czerny (1791-1857), Franz Liszt, Heinrich Wilhelm Ernst (1814-1865)
2/21(土)18時 1840年製エラールによる《リストとショパンの連接》 [2026/02/13 update]_c0050810_09094614.jpg

"Liszt Ferenc nyomában, látomásai és vívódásai"
Hiroaki OOI, fortepiano
Shōtō Salon (1-26-4, Shōtō, Sibuya-ku, Tokyo) [Google Map https://shorturl.at/bgzJM]
Instrument: An original Hammerflügel by Érard [1840, Paris, 80 keys, 430Hz]
Edition: The New Liszt Complete Critical Edition (NLE), Editio Musica Budapest (1972/2021)
4,000 yen
reservation: poc@artandmedia.com(Art & Media Inc.)

< Connexities with Chopin - Συνάφεια με τον Σοπέν >
Sat. 21 February 2026, 6pm start
Kent Miseki (1996- ): "Devour the clouds" for fortepiano (2026, Commissioned Work, World Premiere)
Franz Liszt (1811-1886) : 6 Polish Songs S.480 (1857/60), Hexaméron Variations S.392 (1837), Symphonic poem "Les Préludes" S.97 (1854/59) [arr. by C.Tausig], Grandes études S.137 (Milan first edition, 1838) [dedicated to Chopin], 2 Polonaises S.223 (1852), Mazurka brillante S.221 (1850), Consolations S.172-3 (1850), Ballade No.2 S.170a (1853, 1st version), Berceuse S.174 (1862, 2nd version), Funérailles S.173-7 (1849)



三関健斗《雲を喰らい尽くす Devour the clouds》(2026、委嘱初演)
私たちは日常のなかで、絶えず言葉を交わしている。そこでは意味がやり取りされる以前に、声の強弱や速度、重なり、遮断といった、純粋に音としての現象が先行している。インターネット上のコミュニケーションには物理的な音は存在しないにもかかわらず、発話は時間的な密度や断続、同時多発性として知覚され、しばしば過密な「音の集合」を想起させる。本作は、このように実際の音の有無を超えて立ち現れる、日常的で非均質なコミュニケーションのあり方を出発点として構想された。
用いられる音型の多くは、会話に含まれるリズムや抑揚、間合いから着想を得ている。それらは旋律として展開されるのではなく、音程構造によってグルーピングされたトーン・クラスターを中心として配置される。各トーン・クラスターには固有の色彩が与えられ、音楽はそれらを軸としながら、配置や重なり、変容によって進行していく。クラスターの多用に伴い、演奏者の身体的な身振りそのものもまた、演奏技法の拡張として音楽の構造に組み込まれている。(三関健斗)


三関健斗 Kent MISEKI, composer
2/21(土)18時 1840年製エラールによる《リストとショパンの連接》 [2026/02/13 update]_c0050810_08544613.jpg
1996年札幌市生まれ。様々な楽器のための音楽から建物全体を使ったインスタレーション作品まで作曲活動は多岐にわたる。発音の際に伴う大小さまざまなノイズや、音そのものが連続することによって生み出される関係性、拡張的な奏法への関心を根幹に置きつつ、多層的な分野への興味を結び付けながら創作を展開している。コレクティブ「CDs」所属。近作に、ホルンとコントラバスのための《Air I》(2021)、マリンバ独奏のための《「ナハトムジーク」による昼のさざめき II》(2021)、ヴィブラフォン独奏のための《Swing-by "ex-partition" V》(2021)、二十五絃箏、コントラバス、ハープのための《Parallel, Parallax》(2022)、コントラバス独奏のための《その発響現象によって音響拡大され》(2022)、スネアドラム5重奏のための《ノイズ付きコラール/スクランブル交差点上で》(2024)等。 YouTubeチャンネル





2/21(土)18時 1840年製エラールによる《リストとショパンの連接》 [2026/02/13 update]_c0050810_01422263.jpg




# by ooi_piano | 2026-02-13 19:18 | リストの轍 2025 | Comments(0)

大井浩明 連続ピアノリサイタル
Hiroaki OOI Klavierrezitals
Robert Schumanns Fußspuren

松山庵 (芦屋市西山町20-1) 阪急神戸線「芦屋川」駅徒歩3分
4000円(全自由席)
〔要予約〕 tototarari@aol.com (松山庵)

後援 一般社団法人 全日本ピアノ指導者協会(PTNA) [ ]

チラシ 

2026年1月11日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第3回公演 [2026/01/03 update]_c0050810_08483717.jpg


【第3回公演】 2026年1月11日(日)15時開演(14時45分開場)
朗読:山村雅治 (*) 

《4つのフーガ Op.72》(1845) 11分
I. Nicht schnell - II. Sehr lebhaft - III. Nicht schnell und sehr ausdrucksvoll - IV. Im mäßigen Tempo

《スペインの歌芝居 Op.74》より「密輸業者」(1849/62) [C.タウジヒ編独奏版] 2分

《4つの行進曲 Op.76》(1849) 15分
I. Mit größter Energie - II. Sehr kräftig - III. Sehr mäßig - IV. Mit Kraft und Feuer

《子供のための歌のアルバム Op.79》より「春の訪れ S.569」(1849/74) [F.リスト編独奏版] 2分

《森の情景 Op.82》(1848/49) 20分
I. 森の入り口 - II. 待ち伏せる狩人 - III. 孤独な花 - IV. 禁足地 - V. 懐かしい風景 - VI. 宿 - VII. 予言の鳥 - VIII. 狩の歌 - IX. 別れ

  (休憩)

《協奏的小品 Op.86 (原曲:4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュテュック)》(1849/2025)[米沢典剛独奏版、初演] 17分
I. Lebhaft - II. Romanze. Ziemlich langsam - III. Sehr lebhaft

《ゲーテ「ヴィルヘルム・マイスター」に基づくリートと歌 Op.98》より「ただ憧れを知る者だけが S.569」(1849/74) [F.リスト編独奏版] 3分

《色とりどりの小品 Op.99》(1836/49) 35分
〈3つの小品〉 I. - II. - III. / 〈アルバムの綴り〉 IV. - V. - VI. - VII. - VIII. / IX. ノヴェレッテ - X. 前奏曲 - XI. 行進曲 - XII. 夕べの音楽 - XIII. スケルツォ - XIV. 速い行進曲

  (休憩)

《スペインの愛の歌 Op.138》より「前奏曲」「間奏曲(国民舞曲)」(1849)[作曲者編独奏版] 3分

《美しきヘートヴィヒ Op.106 (詩:F.ヘッベル)》(1849) (*) 5分

《3つの幻想的小曲 Op.111》(1851) 10分
I. Sehr rasch, mit leidenschaftlichem Vortrag - II. Ziemlich langsam - III. Kräftig und sehr markirt

《2つのバラード Op.122 (詩:F.ヘッベル/P.B.シェリー)》(1852/53) (*) 8分
I. 荒野の少年のバラード - II. 難民

《アルバムの綴り Op.124》(1832/45) 25分
1. 即興曲 - 2.哀しみの予感 - 3. 小スケルツォ - 4.ワルツ - 5. 幻想的舞曲 - 6. 小さな子守歌 - 7. 田舎風舞曲(レントラー) - 8. 終わりなき悲哀 - 9. 即興曲 - 10. ワルツ - 11. ロマンス - 12. ブルラ(ブルレスカ) - 13. ラルゲット - 14. 幻視 - 15. ワルツ - 16. まどろみの歌 - 17. エルフ(妖精) - 18. 伝言 - 19. 幻想的小品 - 20. カノン


〈使用エディション〉 新シューマン全集 (2020)


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Hiroaki OOI Klavierrezitals - Robert Schumanns Fußspuren
January 11, 2026 (Sun) 3:00 PM Start (Doors open at 2:45 PM)
SHŌZAN-AN (20-1 Nishiyamachō, Ashiya City) 3-minute walk from Hankyu “Ashiyagawa” Station [Google Map https://maps.app.goo.gl/3fckoavsb26SVkYM6 ]
¥4,000
[Reservation] tototarari@aol.com (Shōzan-An)

Robert Schumann (1810-1856):
- Vier Fugen Op. 72 (1845), Der Kontrabandiste (1849/72)[arr.C.Tausig], Vier Märsche Op. 76 (1849), Frühlings Ankunft Op.79-20 (1849/74) [arr. F. Liszt], Waldszenen.Op. 82 (1849)
- Konzertstück Op.86 (1849/2025, Premiere)[arr. N.Yonezawa], Nur wer die Sehnsucht kennt Op.98a-3 (1849/74) [arr. F. Liszt], Bunte Blätter Op. 99 (1836/49)
- Spanische Liebeslieder Op.138 [Vorspiel + Intermezzo] (1849), Schön Hedwig, Op.106 (1849) [Declamation : Masaharu Yamamura], Drei Fantasiestücke Op. 111 (1851), 2 Balladen Op.122 [Declamation : Masaharu Yamamura], Albumblätter Op.124 (1832/45)
<Edition: Neue Schumann-Ausgabe(2020)>



2026年1月11日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第3回公演 [2026/01/03 update]_c0050810_19435423.jpg


《きみは花のよう》から《レクイエム》へ                      
山村雅治

 作品番号を付けた最初の23曲はすべてピアノ独奏のための音楽だった。1829年以来、ひたすらピアノという鍵盤楽器に身をささげてきた若い作曲家は、ほかのジャンルには見向きもしない一心不乱さにおいてショパンと肩を並べていた。「歌の年」1840年を半年後に控えた1839年にも、シューマンは声楽曲を「器楽作品よりも下位に置き、偉大な芸術とは見なしてこなかった」と書いている。「自分が生きているあいだ、この考えを翻すつもりはない、と。

 習作時代に歌曲は書かれなかったわけではない。宗教合唱曲の作曲を試みもし、学生のときには歌曲も熱心につくっていた。これらのなかのいくつかの部分はピアノのための作品に転用された。
 だからこそいっそう1840年2月16日/22日付のクララ宛の手紙には驚かされる。
「とりあえず、これだけは伝えておこう。僕は楽譜帳6冊分の歌曲やバラード、大小さまざまな4世の作品を仕上げた。いくつかは君も大いに気に入ると思うよ。ああ、クララ、歌のために書くことはなんという喜びだ! 長いあいだ、僕はこの幸せを知らずに過ごしてきたんだ」。

 歓喜にはちきれる叫びは1840年の最初の数か月に、猛然と湧きあがった創作意欲に駆られて書き上げたいくつかの歌曲集について発せられたものだ。ブラームスによれば、ハイネの詩「きみは花のよう」が「歌の年」に書いた最初の作品だった。歌曲集《ミルテの花 Op.25》の第24曲に置かれた。《ミルテの花》はリュッケルト、ゲーテ、バーンズ、バイロン、ハイネなど6人の詩に曲がつけられた。彼らのなかでハイネは1830年代にパリからの記事や本によって、ドイツの若い芸術家たちに最も持続的な影響を及ぼした文学者だった。

 すでに1828年にシューマンは、ハイネと知り合っていた。大学入学を控えた候補生のときのミュンヘンへの旅で、シューマンは「不平屋の厭世家」としてハイネをとらえていたところ、ハイネが「人間味あふれるギリシャのアナクレオンのごとく、親しげに」自分に歩み寄ってくれたのだ。
 「彼は口のまわりにだけ、辛辣で皮肉な微笑みを浮かべていたが、この微笑みは実人生の些細な煩いを超越した至高の微笑みであり、卑小な人間たちへの嘲りなのである。『旅の絵本』に見られるあの辛辣な風刺、魂の内奥から身体の隅々にまで染みわたるかのような生への憤怒さえもが、彼の話しぶりに大きな魅力を添えていた」。

 シューマンの目に、ハイネは「大いなる絶望」という世界と人生をつらぬく感情を代表する人物と映っていた。ハイネの「奇抜な趣向」や「灼けつくようなような皮肉」に惹かれると同時に、異様で不気味なものと感じた。判り、認める。しかし、シューマン自身は、「全体が最後に調和し、宥和が達成されないような」芸術作品は「解決に至らぬ不協和音と同じだ」と断罪した。

 ベルリオーズの《幻想交響曲》への批評にもこの屈折がある。最後の一行「そしてさらに、滂沱の涙はいつのまにか真珠へと変容を遂げたのである」は、印刷に際して削除した。
 ゲーテの「ファウスト」を音楽にするにあたって、ベルリオーズとシューマンは扱う場面がまるでちがった。ベルリオーズではメフィストフェレスが活躍し、ファウストは地獄の底に突き落とされて死んでしまう。Dämonisch(日本語ではデモーニッシュと表記される)な表現をベルリオーズは自家薬籠中のものにした。
 シューマンはちがった。まず作曲にとりかかったのは「ファウスト」の最終場面で、ファウストは救済される。そしてその前の神秘の「合唱」。メフィストフェレスはファウストの死の場面しか出てこない。

 最終場面について、マルセル・ブリオンは激賞している。
 「この曲の〈神秘の合唱〉を聴くと、天上の平安の国へと、またすべて人間的なものを超越し、真の精神の光を目の当たりにさせる晴朗なエクスタシーへと導かれ、高められるように感ずる。シューマンの作曲した教会音楽すら、これほどの神聖な情感、神的な直感に達してはいない。シューマンは見事な簡潔さで天使の合唱によって天上の喜びを称えさせ、厳かにも甘美な和音の響きの中で聖母マリアを顕現させる」。

 シューマンは、ハイネが言い表した「世界を両断する巨大な裂け目」はよく認識していた。しかし、「社会に走る亀裂」は修復可能であると確信していた。彼にとって、実人生と芸術創造はこうした希望なしには考えられなかった。「さまざまな矛盾こそが、見透かされ、嘲笑される」という可能性をよりどころとした彼の音楽。
 「実人生における苦痛は、音楽における不協和音に相当する。不協和音はそれ自体、大きな魅力を持つものの、聴き手の心は解決を志向するのである」(1838年8月23日)。

2026年1月11日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第3回公演 [2026/01/03 update]_c0050810_18271113.jpg

 かくして、魅かれていたけれども怖れていた「ハイネの思想」からは身を遠ざけるようになった。ジャン・パウルのフモールの概念と、ハイネの刻印を帯びた皮肉(イロニー)はしだいに分離していった。
 ハイネは「歌の本」などの抒情詩を初め、多くの旅行体験をもとにした紀行や文学評論、政治批評を執筆した。1831年からはパリに移住して多数の芸術家と交流を持ち、その中には作曲家エクトル・ベルリオーズ、フレデリック・ショパン、フランツ・リスト、ジョアキーノ・ロッシーニ、フェリックス・メンデルスゾーン、リヒャルト・ワーグナー、作家オノレ・ド・バルザック、ヴィクトル・ユーゴー、ジョルジュ・サンド、アレクサンドル・デュマらが含まれる。

 ハイネは1832年、ゲーテの死を受けて、「ドイツ近代文学の歴史のために」を執筆した。このころより青年ドイツ派の作家ハインリヒ・ラウベと交流を持つようになるが、1835年にドイツ連邦議会により青年ドイツ派の出版が禁止され、ハイネは彼らの筆頭に上げられてしまう。

 1843年、パリで25歳のカール・マルクスと親交を結び、1845年のマルクスの出国まで頻繁に会う。マルクスはハイネの「ドイツ冬物語」(13年ぶりのドイツ旅行を題材にしたもの)の出版の手助けをするなど援助に努め、ハイネもマルクスに多くの詩を読み聞かせて意見を求めた。1844年、シレジアの窮乏した織物工が起こした蜂起を題材にした時事詩「シレジアの職工」を発表、社会主義者の機関紙でフリードリヒ・エンゲルスの激賞を受ける。ハイネは彼らのプロレタリア革命など共産主義思想の着想に多大な影響を与えた。文学史的にはロマン派の流れに属するが、政治的動乱の時代を経験したことから、批評精神に裏打ちされた風刺詩や時事詩も多く発表している。

 とはいえ愛誦していたハイネの「抒情詩」は別だった。ハイネの愛をうたいあげる抒情詩は文句なく美しかった。シューマンは、「歌の本」に収録された作品群から《詩人の恋》《リーダークライス Op.24》《二人の擲弾兵》など多くの歌曲を書いた。
 1833年の「ライプツィヒの生活帳」には、「H.ハイネの詩にもとづいて音楽による詩をまとめ、これをハイネに捧げる」と書きとめた。ハイネの詩を下敷きにピアノによる「詩」を書こうと考えていた。もとになった詩は、おそらくは添え書きとして付されて聴衆は黙読したり、あるいは演奏前に朗読することを予想していただろう。

 詩を音楽に置き換えるという発想は、ロマン派の時代には中心になる課題だった。ピアノ・パートと歌の声部の関係はシューベルトから一歩踏み出して、両者はきわめて密接に結びついている。「詩をかぶせたピアノ作品」にさえ聞こえる場合がしばしばある。ピアノ作品にも歌詞をつけたくなるような旋律が出てくることがある。1845年、フランツ・ブレンデルはシューマンの音楽の歴史上の意義を早くもみつけようとし、彼の歌曲が「ある意味で、ピアノのための性格的小品の延長上にある」と見抜いていた。


「きみは花のよう」 ハイネ

きみは花のように
とても優しく、美しく、清らかだ
きみを見つめると、切ない思いが
ぼくの心に忍び込んでくる。

ぼくはこの手を
きみの頭にのせて
神に祈りたくなってしまう
きみを清らかで、美しく、優しいままでいさせて下さいと


 シューマンはクララとの愛の日々に酔い、せき止められていた大滝が流れ落ちるように、1840年には来る日もくる日も「歌」を書いた。彼はシューベルトの後継者ではなかった。完全に新しい歌曲の時代を先駆けていた。噴きあがる創造の高揚のなかに、古今未踏の領域に足を踏み入れていると感じていた。「魂の言語としての音楽芸術は、いまだ始まったばかりだ」。
 「人間の声だけではすべてを再現できない」。「歌詞の細かなニュアンスを浮き彫りにする」ためには、なによりも器楽の役割が重要になる。ピアノは声楽パートにおのが身を「絡みあわせて」、ひとつの統一体をなさねばならない。ピアノが歌曲全体にかかわるさまは、「縁どり」「支え」「伴奏」といったものではなく、全体の流れはピアノ・パートのなかに凝縮されている。
 
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 7年間にわたる中断ののち、1847年にシューマンは《ロマンツェとバラード》(メーリケ詩)によって歌曲創作の第2期を迎える。愛をうたいあげる抒情詩ではなく、政治や社会を採りあげている、きわめて多声的な書法が用いられている。後期の歌曲創作は1849年と1850年が中心になり、1852年の《メアリー・ステュアート女王の詩 Op.135》で終止符が打たれた。独唱歌曲は大量の声楽曲の一部にすぎなくなり、合唱によるバラードやロマンツェ、そしてオラトリオという新しいジャンルの作品を生んだ。音楽はあまねく理解され、できるだけ社会の現実にはたらきかけるものにあってほしい。歌曲は合唱曲の様式に近づいていく。音楽の構造を簡潔に切りつめ、歌詞が朗読のように聞き取れるようにする。もはや「詩の細かいニュアンス」をすくいあげようとする意図が前面に押し出されることはない。《楽園とペリ》以来、合唱作品でなかで追及されてきた方向が、いまや逆にピアノ伴奏による歌曲にも影響を及ぼしていく。
 
 シューマンが劇的な朗読様式を強く求めるようになったことも確かだろう。《美しいヘドウィッヒ Op.106》(ヘッベル詩)において「語られる歌曲」にきわまり、1852年にはバラード2篇《荒野の少年》(ヘッベル詩)と《逃亡者たち》(シェリー詩)でさらに推し進められる。リート(歌曲)にとどまらず「メロドラマ」様式の可能性をシューマンは探っていた。
 
 歌曲様式のドラマへの接近は、もうひとつの「歌芝居」(Liederspiel リーダーシュピール)への取り組みにもつながった。1849年の《スペインの歌芝居 Op.74》と《スペインの愛の歌 Op.138》と《愛の戯れ Op.101》(リュッケルト詩)の3作品を同じ年につくっている。この「歌芝居」は、筋と音楽のつくりが簡素であるという点でジングシュピール(Singspiel、モーツァルト《魔笛》など)を上回っている。このように「歌の年」1840年に生みだされた一連の歌曲とはちがい、後期の歌曲はひとつの固有のジャンルにとどまらない、より広い表現手段としての「声楽」の試みが広がった。

 創作活動の終わりに、シューマンは宗教音楽の大作を書いた。まず《ミサ曲 ハ短調 Op.147》が1852年2月13日から3月30日にかけて大部分が作曲され、その後1853年3月23日に「オッフェルトリウム」が付け加えられて現在の形となった。作曲者の死から6年後の1862年に、クララ・シューマンの呼びかけで全曲初演が実現した。出版も1862年まで持ち越された。
 そして《レクイエム 変ニ長調 Op.148》は、作品番号ではシューマンの最後の楽曲になっている。出版は死後の1864年。しかし本曲は完全に忘れられ、初演は1976年まで行われなかった。祈祷文を使用した純粋なレクイエムとしてはこの作品が唯一の作品。おだやかな慰安を求めるような広やかな響きが意外だった。ほかの作曲家のレクイエムのような旋律の強さは避けられている。終曲へ進むにつれて沁みこんでくる悲しみの翳。無視されてきたのは、「晩年の精神の病が影を落としているとみなされたため」とされている。しかしこの曲に狂気の影はない。楽譜に向かうシューマンの精神に狂いはなかった。


2026年1月11日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第3回公演 [2026/01/03 update]_c0050810_18274730.jpg

〈予告〉
【第4回公演】
2026年3月22日(日)15時開演(14時45分開場)

《7つのフゲッタ形式によるピアノ曲 Op.126》(1853)
《朝の歌 Op.133》(1853)
  ---
《プロヴァンス地方の恋唄 Op.139-4/ S570》(1852/1881) [F.リスト編独奏版] 〔ブラームスに献呈〕
《序奏と協奏的アレグロ Op.134》(1853/2025) [米沢典剛編独奏版/初演] 〔ブラームスに献呈〕
《F.A.E.ソナタ(自由だが孤独に)》より「間奏曲とスケルツォ」(1853/2025) [ブラームスとの共作、米沢典剛編独奏版/初演]
  ---
《ゲーテのファウストからの情景 WoO 3》序曲 (1853/1882) [R.クラインミヒェル編独奏版]
《天使の主題による変奏曲 WoO24》(1854)
ブラームス:《シューマンの天使の主題による変奏曲 Op.23》(1861/1878) [T.キルヒナー編独奏版]




# by ooi_piano | 2025-12-29 05:40 | シューマンの轍 | Comments(0)
大井浩明 フォルテピアノリサイタル
Liszt Ferenc nyomában, látomásai és vívódásai
全自由席4,000円
お問い合わせ poc@artandmedia.com (アートアンドメディア株式会社)

〈使用楽器〉 1840年製エラール(Érard)社フォルテピアノ [80鍵、430Hz]
〈使用エディション〉 新リスト全集 (1972/2021、ミュジカ・ブダペシュト社)
チラシ

12/20(土)18時 1840年製エラールによる《リストの轍》第3回公演 [2025/12/14 update]_c0050810_01081002.jpg


【第3回公演「射光のヴィルトゥオーゾⅡ」】 2025年12月20日(土)18時開演(17時半開場)


ドニゼッティ《ルクレツィア・ボルジア》の回想 S.400 (1840) 23分
I. アルフォンソ公、ルクレツィア、ジェンナーロの三重唱「侯爵夫人の嘆願により」(第1幕終曲) - II. オルシーニ「幸せになる秘訣は(乾杯の歌)」 / ルクレツィアとジェンナーロの二重唱「ああ、あなたのお母様を愛して Ama tua madre」 / 終結部

ギャロップ S.218 (1841、遺作) 6分

モーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》の回想 S.418 (1841) 16分
石像「貴様の笑いも夜明けまでには終わろうぞ」「もはや必要ないのだ、人間の食べ物は」(第2幕) - ジョヴァンニとツェルリーナの二重唱「お手をどうぞ」(第1幕) - 石像「お前はわしを夕食に招いた」(第2幕) - 「シャンパンの歌」(第1幕)

  (休憩)

マイアベーア《悪魔のロベール》の回想 S.413 (1841) 10分
第3幕「地獄のワルツ」 - 「黒い悪魔たちよ、亡霊たちよ、天を忘れよ」(合唱)/「私の栄光は消え去り」(ベルトラン)/「喇叭を鳴らせ、旗を讃えよ」(騎士団の合唱)

モーツァルト《フィガロの結婚》と《ドン・ジョヴァンニ》の動機による幻想曲 S.697 (1842/1993、遺作) [L.ハワード補筆版] 20分
第1幕フィガロ「もう飛ぶまいぞ、この色気の蝶々」 - 第2幕ケルビーノ「恋の悩み知る君は」 - 《ドン・ジョヴァンニ》第1幕終結部(メヌエット+コントルダンス+ワルツ)

スペイン風主題による残翰 S.695c (1845、遺作) 17分
5r (vivace) - 6r (ファンダンゴ /リトルネロ) - 6v - 7r -7v - 9r - 9v - 10r -10v -8r - 11v 「エル・プエルトの雄牛たち」 - 12r -12v -13r - 13v - 14r - 14v - 15r - 15v - 16v - 16r 「ファンダンゴ風メヌエットと変奏」 - 18r - 18v - 17r - 18v - 19r - 19v - 20r - 21v - 21v - 22r - 1r (アラゴンのホタ) - 1v - 2r - 3r - 3v - 4r - 4v

金喜聖(1996- ):K-POPガールズ「GOLDEN」によるパラフレーズ (2025、初演) 4分

  (休憩)

スペインの歌による演奏会用大幻想曲 S.253 (1845、遺作) 14分
ファンダンゴ - カチューチャ(19世紀アンダルシア地方のボレロ) - アラゴンのホタ

メンデルスゾーン《真夏の夜の夢》の「結婚行進曲」と「妖精の踊り」 S.410 (1850) 10分

オベール《ポルティチの唖娘》による華麗なるタランテラ S.386 (第2版、1846/69) 10分
導入部 - 第3幕「タランテラ」 - 第4幕終曲「Allegro marziale」 - Stretta, vivace assai

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"Liszt Ferenc nyomában, látomásai és vívódásai"
Hiroaki OOI, fortepiano
Shōtō Salon (1-26-4, Shōtō, Sibuya-ku, Tokyo) [Google Map https://shorturl.at/bgzJM]
Instrument: An original Hammerflügel by Érard [1840, Paris, 80 keys, 430Hz]
Edition: The New Liszt Complete Critical Edition (NLE), Editio Musica Budapest (1972/2021)
4,000 yen
reservation: poc@artandmedia.com(Art & Media Inc.)

Sat. 20 December 2025, 6pm start
Heui Sung Kim (1996- ): Paraphrase on the theme of HUNTR/X “Golden” (from K-Pop Demon Hunters) for fortepiano (2025, Commissioned Work, World Premiere)
Franz Liszt (1811-1886) : Réminiscences de Lucrezia Borgia S.400 (1840), Galop S.218 (1841), Réminiscences de Don Juan S.418 (1841), Réminiscences de 'Robert le diable' S.413 (1841), Fantasie über Themen aus Mozarts Figaro und Don Giovanni S.697 (1842/1993, completed by Leslie Howard), Klavierstück über spanische Themen [Fragment] (Zongoradarab spanyol témákra [Töredék]) S.695c (1845), Grosse Konzertfantasie über spanische Weisen S.253 (1845), Hochzeitsmarsch und elfentanz S.410 (1850), Tarantelle di bravura d'après la tarantelle de 'La muette de Portici' S.386 (1869)




金喜聖《K-POPガールズ「GOLDEN」によるパラフレーズ》 (2025、委嘱初演)
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 Netflix映画《K-POPデーモン・ハンターズ》(2025年6月公開)は、K-POPガールズグループ「HUNTR/X」(ハントリックス)がアイドル活動の裏で人々を脅かすデーモンと戦う、ミュージカル要素を取り入れたファンタジーアニメである。主人公たちはその力を結集し、ライバルの悪霊系ボーイズグループ「サジャ・ボーイズ」と、舞台と舞台裏で対決する。クライマックスや重要な絆の場面で繰り返し使用される劇中歌「GOLDEN」は、アイドルソングとしては異例の3オクターヴの音域を駆使し、ビルボードHOT100やイギリスのオフィシャルシングルチャートで1位、韓国国内外の主要音楽チャートでも首位を獲得する異例の大ヒットを記録し、K-POP史上初の「グラミー賞」(2026年2月発表)主要4部門にノミネートされている。
 本作では、19世紀ロマン主義が持つお決まりの表現の上に、現代のポピュラーなメロディーを重ねることで、パラフレーズという手法そのものを掘り下げている。もとの曲と、その上に載せられた新しい様式とのあいだには、緊張感がある。ロマン派時代の技巧的な表現―たとえば特有の音の厚みや強弱の身振り―を、ひとつの形式として利用しているのだ。もっともその下には、原曲の構造がちゃんと残っていて、新しいスタイルの中に完全に溶けきってはいない。この作品は、いわば音楽のパリンプセスト(重ね書きされた羊皮紙写本)、ちょっとした時代錯誤のパフォーマンスでもあり、音楽の「格」をめぐる問いかけでもある。現代のメロディーをフランツ・リストの演奏会のような場―1840年製エラールのC1からG7の音域内で―に置くことで、「芸術音楽」と「大衆音楽」の境目を探っている。(金喜聖)


金喜聖 Heui Sung Kim, composer
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 金喜聖(キム・ヒソン、김희성)は、1996年韓国忠清北道生まれの作曲家・ピアニスト。英バース大学建築学科卒、ソウル藝術大学校に学ぶ。クラシックピアノの技巧と、ジャズ、Jポップ、ドラムンベース、ハイパーポップといった多様なジャンルの和声語法を融合させることに力を入れている。2013年に解説したYouTubeチャンネル(登録者数12,500人)では、現在までに131本の動画を公開。代表的なオリジナル曲に、《ピアノソナタ第4番》(2019)、《The Thingymajig》(2022)、《Pineapple Train》(2023)、《奚琴とピアノのための「前奏曲」》(2024)等。



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グランド・オペラとピアノ編曲
上山典子(静岡文化芸術大学教授)

18世紀後半の古典派と19世紀ロマン主義の時代は、音楽史的に類似性(あるいは連続性)が強く、時代を特徴づけるジャンルの多くを共有する。しかし歴史的には啓蒙主義の18世紀と対立するこの新しい世紀、音楽美学や思想、精神性には明らかな変化がみられるようになった。その根幹は理性を徹底した合理主義への反動であり、感情や直感、強烈な表現力と創造力を重視する絶対主観主義の姿勢であった。そして創作には、調和のとれた形式や普遍的規範よりも、強烈なオリジナリティーが求められるようになった。
また、無限の彼方や未知なるものへの憧れを特徴とするロマン的傾向は、あらゆる芸術分野のなかでも、音楽に最も強烈に示された。例えばドイツでは世紀初頭以降、ことばを用いない純粋器楽、特に交響曲のジャンルに高い美的地位が与えられ、器楽優位の思考としていわゆる絶対音楽の理念が生まれた。それは非物質的な音素材で無限なものを表現する芸術であり、天才の所業にふさわしい崇高な創造行為とみなされた。同じくロマン的言語で語るピアノ曲も、無限の憧憬を呼び起こす詩的音楽、無言歌として愛奏された。一方のフランスでは、18世紀を通して確立された音楽最高のジャンルとしてのオペラが依然として不動の地位にあり、1830年頃にはロマン主義時代にふさわしいグランド・オペラが花開いた
こうしたロマン主義の精神に特徴づけられる19世紀は、近代音楽史の幕開けとみなされる。18世紀までのほとんどの音楽家は宮廷や教会などに雇われる身だったが、フランス革命以降、社会における音楽家の地位と立場は大きく変化した。この変化はやがて、音楽と大衆との関係にも明白に表れるようになり、市民階級の趣味や動向が日々の音楽文化を形成するようになっていった。このような近代的音楽生活の象徴が、都市部を中心に日常的に開かれるようになった公開演奏会である
芸術音楽が市民階級にも普及するようになったこの時代、入場料を受け取る演奏会には不特定多数の聴衆が集まるようになった。音楽家には時代の流行や人々の嗜好に合わせた工夫が求められ、名人芸的な演奏が絶大な人気を集めた。その先駆的存在が、大衆はもちろんのこと、多くの音楽家たちにも衝撃を与えたヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニである。そしてそのパガニーニに触発されてピアノ界のパガニーニを目指し、彼に勝るとも劣らぬ効果で世間を熱狂の渦に巻き込んだフランツ・リスト、国際的に活動するピアニストの先駆けとなったフリードリヒ・カルクブレンナー、超絶技巧のピアノ演奏でリストと人気、名声を分かち合ったジキスモント・タールベルクなど、高度な技巧で人々を魅了するカリスマ的なヴィルトゥオーソ・ピアニストが相次いで誕生した。
こうしたピアニストたちの活躍により、19世紀前半には近代的リサイタルのシステムが確立したが、演奏会のプログラムは現代とは大きく異なっていた。例えば、1830~40年代にヴィルトゥオーソ・ピアニストとしてヨーロッパ中を駆けめぐったリストの演奏曲目を見てみると、ピアノのためのオリジナル曲はわずかで、およそ8割が編曲で占められていた。人気上位は、いずれもリスト自身が手がけた同時代のオペラ編曲やフランツ・シューベルトの歌曲編曲である。もちろんこの時代には、そのリストをはじめとする天才作曲家が次々と現れ、数々のオリジナル作品を生み出していた。しかし19世紀前半、市民階級が主な聴衆となった会場で人々を熱狂させた演奏曲目は、少なくとも数の上では、オリジナル曲よりも編曲が圧倒していたといえるだろう。
一方、音楽は大規模なコンサート会場だけでなく家庭やサロンなどの空間でも鳴り響き、家族や客人の愉しみのためのピアノ曲や歌曲のジャンルが人気を得た。こうした市民音楽の流行は楽譜出版業の急速な発展をもたらし、ピアノを保有する裕福な家庭の子女や音楽愛好家向けのピアノ曲(性格的小品、練習曲、連弾曲、歌曲編曲など)が大量に出回った。ヨーロッパ音楽文化の発信地から遠隔の地に至るまで、人気作曲家による流行りの音楽が楽譜という媒体を介して、遍く、しかも比較的手ごろな値段で届けられるようになったのである。
また、オペラ劇場や演奏会における最新の動向を人々に伝える音楽雑誌の出版も盛んになり、音楽批評、音楽ジャーナリズムの分野も確立された。ブルジョワ市民が主な読者層となった定期刊行物は、都市によって多少の差はあるものの、演奏会レビューやオペラ関連の記事に多くの紙面を割いた。特にパリにおいては、注目オペラの初演に対して20~30もの個別記事が掲載されるのが常だった。

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このように、19世紀の市民音楽文化は新たな市場を次々と生み出し、音楽を介した経済活動を活性化させた。ここで、市民社会に解放された近代音楽生活の特筆すべき現象であるブルジョワ層の台頭、公開演奏会の日常化、ヴィルトゥオーソ・ピアニストの誕生、そして楽譜出版の興隆など、いずれの現象とも密接な関係があるものとして、「編曲」の存在に注目する必要が出てくる。
実際、19世紀は西洋音楽史上、編曲が最も盛んに作られ、流通し、消費された時期である。多種多様な演奏形態の編曲が作られ、楽譜出版業の拡大と共に、市場には無数の編曲譜が出回った。なかでも楽器の改良と普及、ヴィルトゥオーソ・ピアニストの登場、公開演奏会の発達に音楽サロンの興隆といったさまざまな社会文化史的要因を背景に、この黄金期を支えたのは明らかにピアノのための編曲だった。そして、親しみやすい旋律や人気の場面に基づくオペラ編曲(いわゆる原曲に「忠実」な編曲よりも、華麗なパラフレーズ、ファンタジー、変奏曲など)は、その花形だった
世紀初頭、こうした編曲の第一の大義には、原曲の形で聴くことの出来ない同時代の曲をより多くの人々に届ける作品の普及が挙げられたが、やがてそれは当初の目的とはかならずしも関係なく、ピアニストにとっては演奏会やサロンで欠くことの出来ないレパートリーとなった。また、原曲を上回る勢いと幅広さで社会に供給された編曲の印刷譜は、家庭にピアノを所有する音楽愛好家やブルジョワ階級の楽譜購買意欲に応える市場の人気商品になった。
大衆向けの編曲が大量に生産された結果、編曲者の名前さえ不明の、決して質の高くない楽譜が氾濫したことも事実であった。しかしオペラ編曲は編曲者、楽譜出版業者、そして楽譜購入者、すなわち供給者・流通業者・需要者のすべてに利をもたらす市民社会の一大人気商品であり、当時の音楽家にとって、その作成に従事することは不可避であり、時代の使命でもあった。

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七月王政期の記念碑的ジャンル、グランド・オペラは、パリのオペラ座を出発点に、ヨーロッパ中の舞台、音楽、美術を圧倒し、ひいては文化、人々をも支配した。なかでもその典型とみなされる《悪魔のロベール》は驚異的な人気を博し、1831年のオペラ座初演以降、1893年までの60年余りにわたりほとんど休みなく758回も上演され、オペラ上演史上空前の大ブームを巻き起こした。また翌年には早くもロンドン、ベルリン上演を開拓すると、以降は破竹の勢いで、ウィーン、プラハ、フィレンツェ、サンクト・ペテルブルク、ジェノヴァ、マドリードなどヨーロッパ主要都市の舞台を征服し、《悪魔のロベール》とその作曲者ジャコモ・マイヤベーアはあの「ロッシーニ旋風」に匹敵する、そして時期的・地域的広がりの観点からはそれを遥かに凌ぐ成功を収めた
もちろんマイヤベーアの当時の評判は、この一作に頼るものではない。1836年の初演以降、第二次世界大戦まで定番レパートリーの地位を確保し、オペラ座で800回以上も上演された《ユグノー教徒》は、彼の最高傑作と謳われる。そして《預言者》もまた、1849年の初演以降何十年にもわたり、国内外のあらゆる主要劇場のレパートリーでありつづけた。こうしたグランド・オペラの盛隆は、パリこそがオペラ文化の中心地であることを知らしめるとともに、マイヤベーアをヨーロッパ随一の人気オペラ作曲家に認定するものとなった。プロイセン・アカデミー会員やフランス学士院会員としての栄誉、各国で授与された名誉の数々は、当時の誰をも、マイヤベーアが国際的なオペラ作曲家として不朽の名声を得たものと確信させた。
では、19世紀の音楽文化を牽引したグランド・オペラの主要な観客は、一体どのような人々だったのだろうか。公開演奏会が一般化した1830年代だが、音楽、美術、演劇などの総合芸術として上演に多数の人員を要する豪奢なオペラは、依然として一般市民には縁遠いジャンルであった。この時期、新しい聴衆の開拓と取り込みに熱心だったオペラ座には、確かに半世紀前では考えられなかった市民階級が大量になだれ込むようになっていたが、それでも、観客のほとんどは、「貴族ではないとしても、社会的特権階級であったことは否めない」。彼らは(少なくとも表面上は)18世紀の宮廷文化さながら、貴族風の品位と権力を保持し続けており、パリに限らずオペラ劇場というものは、こうした階級の「社交の場」とほとんど同義語であった。労働者階級はもちろんのこと、中産階級であっても、すべての人々がオペラ劇場に気軽に足を運べるようになったわけではなかった。
加えて、オペラの上演は圧倒的に大都市で行われていた。つまり、贅の限りを尽くした演出でグランド・オペラを上演できるのは豪華絢爛な大劇場に限られており、ヨーロッパ全地域の人々がオペラ座やスカラ座、そのほか各地の宮廷劇場に集ったわけではなかった。大規模で華やかな最新のグランド・オペラを日常的に堪能していた紳士淑女とは、依然として存在した特権階級や亡命貴族、そして産業や商業の発展で大成功を収めた都市部のブルジョワ最上層だったのである。
だからと言って、19世紀ヨーロッパの文化現象とも言われるグランド・オペラが、一般市民階級に馴染みのない存在だったわけではない。ロジャー・パーカーは次のように指摘している――「都市の劇場で公開上演されるオペラが、こんにち的な意味合いで『一般的な』(popular)楽しみとは決して呼ばれえないが、しかしこの[19世紀前半]、劇場での普及が示すよりも、はるかに幅広い現象となっていた」。その現象を可能にしたものとは、パロディーや改作を含む舞台演劇、そしてヨーロッパ中に広まった無数の「編曲」であった。確かに、社交の場としてのオペラ劇場に集ったのは貴族や都市の新興ブルジョワ階級だったものの、多くの一般市民は原曲オペラの片鱗に触れる機会を、演奏会ホールや家庭で響くピアノのための編曲を通して得ていた。オペラ編曲は日常的にオペラ劇場に通うことは出来ない、あるいは都市の劇場とは縁遠い市民階層に、日々の音楽生活を豊かに彩る「一般的な」楽しみを提供するものだったのである。
しかし、ピアノ1台で演奏する編曲が、音楽、台本、演出、舞台、衣裳、合唱、バレエなどさまざまな芸術の集大成であり、上演においては「ビジュアル効果」が作品の評価に大きな影響を与えるグランド・オペラの代替になりえたのだろうか。例えば、豪華な衣裳と壮大な舞台美術、ガス灯をはじめとする前代未聞のハイテク装置など、多額の経費を費やしたスペクタクルな演出で観客を魅了した《悪魔のロベール》は、聴くだけでなく、見なくてはならない劇的でロマン的な大オペラである。
そこで登場したのが、いわゆるピアノ譜としての編曲ではなく、「オペラ・ファンタジー」、「オペラ変奏曲」、そして「追想」(Réminiscences)や「挿絵」(Illustrations)といった、新しい時代の新しい手法によるオペラ編曲だった。それは音符対音符の単なる置き換えではなく、原曲を創造的に扱い、さまざまなレベルの奏者と演奏シーンを想定して作られた、19世紀ブルジョワ市民音楽文化の産物だった。アマチュア奏者向けの編曲は市民階級の家庭で大量に消費される一方、超絶技巧を要する編曲は、多くの場合、編曲者自身が演奏会で披露し、会場を大いに盛り上げた。このように、オペラ編曲は原曲をしのぐほどの勢いでヨーロッパ中に広がり、オペラ座の聴衆にはならなかった市民階層にまで浸透してゆくことになった。編曲の素材となった原曲のほとんどは同時代の大人気オペラだったことから、こうした編曲は当時の劇場レパートリー、人々の趣味を直接反映するものだったといえるだろう。

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各地で旋風を巻き起こしたグランド・オペラは、都市のオペラ劇場での上演のほか、ヴィルトゥオーソ・ピアニストたちによる編曲を介してさらに広範囲の、より多様な階層の人々にも届けられた。まさにこのグランド・オペラ全盛期の1830~40年代、ピアニストとしてヨーロッパ中を舞台に演奏旅行を繰り広げたリストは、王侯貴族、ブルジョワ階級、そして一般市民にもオペラ編曲の演奏を届けていった。なかでも1841年に相次いで完成した《悪魔のロベール追想》、《ノルマ追想》、そして《ドン・ジョヴァンニ追想》はいずれも独創的な傑作であり、各地の演奏会で欠かせないレパートリーとして活用された。原曲オペラの初演年や人気・知名度を考えると、これらの編曲作成が原曲の普及を第一の目的としたものでないことは明らかである。それは間違いなくリスト自身の演奏レパートリー用であり、事実、きわめて高度なヴィルトゥオーソ作品となっている。しかし「こうした編曲は、リストが作曲家としての能力も持ち合わせていることを世間に認知させる役割も果たしていた」と指摘されるように、オペラ編曲が有する表面的華やかさと創造的で豊かな音楽性が並存しうることを示している。
ここで、リストの演奏会曲目に注目していこう。《悪魔のロベール追想》は1841年3月27日、パリ、エラールのサロンで、一席20フランという、当時としては「とてつもなく高い、まったくもって普通ではない」入場料の演奏会で初演された。プログラムは《ギヨーム・テル序曲》で開始し、《ランメルモールのルチア追想》、シューベルトの歌曲編曲《セレナード》と《アヴェ・マリア》、ピアノ・オリジナル曲として《マゼッパ》と《半音階的大ギャロップ》が続き、完成したばかりの《悪魔のロベール追想》で締めくくられ、大興奮と鳴りやまぬ拍手で大成功を収めた。およそ二週間後の4月13日にもリストはほぼ同じプログラムで演奏会を行い、人々の熱狂は再び最高潮に達した。
さらに、4月25日の「ベートーヴェンの記念碑建立の資金集めのための演奏会」は、エクトール・ベルリオーズの指揮で、ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調をはじめとするオール・ベートーヴェン・プログラムで構成されるはずだった。しかし演奏会のさいごに聴衆が熱望したのは《悪魔のロベール追想》で、リストがそれに応じたことは、ちょっとした物議を醸す事態となった。
こうしたオペラ編曲がプログラムの骨格を占める演奏会は、グランド・オペラの中心地に限ったことではなかった。それらがドイツでのコンサートでも重要なレパートリーであったことは、マイケル・サフルの研究によっても実証されている。1840~45年の間にドイツで行われたリストの演奏会レパートリーを調査したサフルの統計によると、上位10曲のうち8曲が編曲で、そのうち6曲がオペラ編曲、2曲がシューベルトの歌曲編曲だった。演奏頻度第1位はリストのショーピース《半音階的大ギャロップ》で、約70回にのぼった。第2位は1838年に編曲した《魔王》で、65回以上登場していた。そして以下は、華麗なオペラ編曲が続く――第3位《ドン・ジョヴァンニ追想》55回以上、第4位《悪魔のロベール追想》50回以上、第5位《ランメルモールのルチア追想》40回以上、第6位《ギヨーム・テル序曲》約40回、第8位《清教徒追想》35回以上、第10位は《へクサメロン》で30回以上演奏されていた。
都市別で見てみると、のちにリストが宮廷楽長に就任することになるヴァイマルでも、プロイセン王国の首都ベルリンでも、プログラムの中心は《ヘクサメロン》、《魔王》、《ドン・ジョヴァンニ追想》、《ギヨーム・テル序曲》、《悪魔のロベール追想》、《半音階的大ギャロップ》だった。1841年末から2か月にわたる伝説的なベルリン・ツアーの初回、12月27日にジングアカデミーでの演奏会に出向いた同地の名士カール・アウグスト・ファルンハーゲン・フォン・エンゼは、会場が猛烈な喝采に包まれたこと、そしてボックス席の国王ヴィルヘルム4世をはじめ、王国の貴族たち、マイヤベーア、フェーリクス・メンデルスゾーン、ガスパーレ・スポンティーニ、音楽批評家のルートヴィヒ・レルシュタープらが聴衆として居合わせたことを記録している。このベルリンでリストが巻き起こした旋風と熱狂の渦は、ハインリヒ・ハイネによって呈された「リストマニア」(Lisztmania)の用語で知られる。
海を越えたイギリスでもこの傾向は変わらず、1840年代、同地では少なくとも《半音階的大ギャロップ》、《ヘクサメロン》、《悪魔のロベール追想》、《ランメルモールのルチア追想》、《ユグノー教徒》、《ノルマ追想》がレパートリー化されていた。
リストのオペラ編曲はマルセイユの港から運ばれてきたボワスロ社のピアノを通して、イベリア半島にも届けられた。1844年10月22日、33歳の誕生日にマドリードに到着したリストは同地で4度の演奏会を開催し、再び大成功を収めた。プログラムはもっぱら《ドン・ジョヴァンニ追想》、《ノルマ追想》、《清教徒》、そして《半音階的大ギャロップ》で構成されており、即興演奏も行われた。翌年初頭、リスボンに移動したリストは12回の演奏会に登場し、華やかなオペラ編曲で人々を魅了した。
このように、ヴィルトゥオーソ・ピアニスト時代の演奏曲目は、リスト自身が手がけたオペラ編曲がすべての中心だった。同じ都市で複数回行われる演奏会シリーズの場合、各回の演奏曲目は多少変更されていたが、オペラ編曲はかならず演奏されており、なかでも《ドン・ジョヴァンニ追想》、《悪魔のロベール追想》、《ノルマ追想》、《ランメルモールのルチア追想》、《ヘクサメロン》、《ギヨーム・テル序曲》から複数曲が、ほぼ例外なく取り入れられていた。さらに、アンコール曲の定番は、ブラヴーラの典型と言われるリストの《半音階的大ギャロップ》だったが、《悪魔のロベール追想》が追加されることもしばしばだった。当時の聴衆の人気を背景に、オペラ編曲は演奏会レパートリーとして不可欠の位置、そして不動の地位にあり、リストが演奏会に登場するたびに、これらの曲はさらに多くの人々の耳に届けられていった。
実際、どれほどの聴衆がリストのオペラ編曲を耳にしたのだろうか。1841年7月上旬にハンブルクで行われた北ドイツ音楽祭の聴衆は4千人以上、翌年4月に行われたサンクト・ペテルブルクの演奏会でも、貴族協会の大ホールに駆けつけた聴衆はおよそ3千人にのぼった。マドリードでのコンサートは、「いまだかつてピアニストがソロの演奏会を開催したことはなかったほどの大劇場」というテアトロ・シルコで、一公演あたり2,000フランの巨額出演料で開催された。そのほかパリのイタリア座、ベルリンのジングアカデミー、ヴァイマル宮廷劇場、ウィーン楽友協会ホールなどいずれの会場でも、《悪魔のロベール追想》をはじめとするグランド・オペラの編曲が演奏された。リストの演奏会は通常ではオペラ上演やオーケストラの公演を行うような大劇場で行われることもしばしばで、聴衆が千人を超えることも珍しくはなかった。例えばフレデリック・ショパンがまさに同時期に、パリ・サロンの親密な社交空間で行っていたような「限定された」客人向けの演奏会とは、層も数もまったく様相が異なっていたのである。

[初出:「《悪魔のロベール》とパリ・オペラ座」(上智大学出版、2019)]



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# by ooi_piano | 2025-11-16 12:02 | リストの轍 2025 | Comments(0)

3/22(日)《ロベルト・シューマンの轍》第4回公演


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