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《フランツ・リストの轍、その啓行と跛行》(全4回) [2024/05/27 update]_c0050810_11470233.jpg

大井浩明 連続ピアノリサイタル
フランツ・リストの轍、その啓行と跛行

Hiroaki Ooi Matinékoncertek
Liszt Ferenc nyomában, látomásai és vívódásai

松山庵 (芦屋市西山町20-1) 阪急神戸線「芦屋川」駅徒歩3分
4000円(全自由席)
〔要予約〕 tototarari@aol.com (松山庵)

チラシ 

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【第1回】 2024年7月7日(日) 15時開演 (14時45分開場)

ロッシーニ(リスト編):歌劇《ヴィルヘルム・テル》序曲 S.552 (1829/42) 12分

《遍歴時代(巡礼の年)》 第1年 スイス S.160 (1848/55) 45分
  1. ヴィルヘルム・テルの聖堂 - 2. ヴァレンシュタットの湖 - 3. 牛追唄 - 4. 泉のほとりで- 5. 嵐 - 6. オーベルマンの谷 - 7. 羊追唄 - 8. 郷愁 - 9. ジュネーヴの鐘
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第2年 イタリア S.161 (1846/49) 49分
  1. 婚礼 - 2. 沈思の人 - 3. サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ - 4. ペトラルカのソネット 第47番 - 5. ペトラルカのソネット 第104番 - 6. ペトラルカのソネット 第123番 - 7. ダンテを読んで : ソナタ風ファンタジア

第2年補遺 ヴェネツィアとナポリ S.162 (1859) 16分
  1. G.B.ペルキーニの「ゴンドラの金髪娘」による舟唄 - 2. ロッシーニ《オテロ》の船頭歌「猶大いなる苦患なし」(ダンテ)によるカンツォーネ - 3. G.L.コトローによるタランテラ
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第3年 S.163 (1867/82) 45分
  1. アンジェリュス!(御告げの鐘) 守護天使への祈り - 2. エステ荘の糸杉に I : 哀歌 - 3. エステ荘の糸杉に II : 哀歌 - 4. エステ荘の噴水 - 5. ことごとは涙の粒(ハンガリー風の調べで) - 6. 葬送行進曲 - 7. 心臓を捧げよ


[使用エディション:新リスト全集 (1972/2019、ミュジカ・ブダペシュト社)]

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【第2回】 2024年11月10日(日) 15時開演 (14時45分開場)

演奏会用大独奏曲 S.176 (1849)
ハンガリー狂詩曲第2番 S.244-2 (1847)
マイアベーア《ユグノー教徒》の主題による大幻想曲 S.412 (1842、最終版)
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スペインの歌による演奏会用大幻想曲 S.253 (1845)
バラード第2番 S.171 (1853)
死の舞踏 S.525 (1865) [作曲者編独奏版]
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ドニゼッティ《ルクレツィア・ボルジア》の回想 S.400 (1840)
半音階的大ギャロップ S.219 (1838)
モーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》の回想 S.418 (1841)



【第3回】 2025年1月12日(日) 15時開演 (14時45分開場)

マイアベーア《悪魔のロベール》の回想 S.413 (1841)
ハンガリー狂詩曲第14番 S.244-14 (1846)
ギャロップ S.218 (1841)
ベルリオーズ《レリオ》の主題による交響的大幻想曲 S.120 (1834) [独奏版]
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J.S.バッハのカンタータ第12番《泣き 歎き 憂い 慄き》の通奏低音と《ロ短調ミサ》の「十字架に釘けられ」による変奏曲 S.180 (1862)
ハンガリー狂詩曲第6番 S.244-6 (1847)
モーツァルト《フィガロの結婚》と《ドン・ジョヴァンニ》の動機による幻想曲 S.697 (1842/1993) [L.ハワード補筆版]
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ベッリーニ《清教徒》の回想 S.390 (1836)
スケルツォと行進曲 S.177 (1851)
パガニーニによる超絶技巧練習曲集 S.140 (初版、1838) [全6曲]



【第4回】 2025年3月9日(日) 15時開演 (14時45分開場)

交響詩《前奏曲》 S.511a (1855/85) [作曲者/K.クラウザー編独奏版]
ハンガリー狂詩曲第12番 S.244-12 (1847)
パガニーニの「鐘」による華麗な大幻想曲 S.420 (1832)
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ベッリーニ《ノルマ》の回想 S.394 (1841)
スペインの主題「密輸業者」による幻想的ロンド S.252 (1836)
マイアベーア《預言者》のコラール「我らに救いを求めし者たちに」による幻想曲とフーガ S.259 (1850/97) [ブゾーニ編独奏版]
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オベール《ポルティチの唖娘》による華麗なるタランテラ S.386 (1869)
メンデルスゾーン《真夏の夜の夢》の「結婚行進曲」と「妖精の踊り」 S.410 (1850)
ハンガリー狂詩曲第15番 「ラコッツィ行進曲」 S.244-15 (1853)
管弦楽のない協奏曲 S.524a (1839)


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# by ooi_piano | 2024-05-27 12:01 | Comments(0)
ライヴ演奏動画集 (2024/05/23 update)_c0050810_23092196.jpg

【New!】
シューベルト編曲集プレイリスト
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●南聡(1955- ):《帽子なしで Op.63-4》(2023)
●F.グロリュー(1932-2023) :《ショパンのマズルカ風のモーツァルトのトルコ風ロンド》(1988)
■F.シューベルト:《連弾のためのソナタ ハ長調「グラン・ドゥオ」 D 812》(1824) [J.F.C.ディートリヒ/L.シュタルク編独奏版]
■F.シューベルト:《連弾のためのフーガ ホ短調 D 952》(1828) [J.F.C.ディートリヒ編独奏版]
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■F.シューベルト:弦楽四重奏曲第12番ハ短調 D 703 「四重奏断章」 (1820/2023) [米沢典剛編独奏版]
■F.シューベルト:《連禱(万霊節) D 343》 (1816/1926) [ゴドフスキー独奏版]
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■F.シューベルト:《八重奏曲 ヘ長調 D 803》(1824/1905、全6楽章) [J.B.バイス編連弾版] [+浦壁信二(ピアノ)]
■F.シューベルト:ピアノトリオ第2番 変ホ長調 D 929 より第2楽章+第3楽章 (1827/1875) [ルートヴィヒ・シュタルク(1831-1884)によるピアノ独奏版]
■F.シューベルト:《弦楽三重奏曲 D 471》(1816/2023) [米沢典剛によるピアノ独奏版]
■F.シューベルト:《さすらい人 D 493》(1816/1981) [フリードリヒ・グルダによるピアノ独奏版]
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■メンデルスゾーン(1809-1847):《弦楽八重奏曲 変ホ長調 Op.20》より終楽章「プレスト」 (1825) [作曲者編連弾版] [+浦壁信二(ピアノ)]
■米津玄師(1991- ):《KICK BACK》(2022) [金喜聖(キム・ヒソン)編曲による連弾版] [+浦壁信二(ピアノ)]
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■G. シェルシ:《アデュー(お別れ)》(1978)
■B.カニーノ(1935- ):《カターロゴ》(1977)
■B.カニーノ(1935- ):《カターロゴ第2番「怒りの日?」》(2022)
■R. ピアナ(1971- ):《フニクリ・フニクラによる即興》(1880/2017)
■C. モンテヴェルディ(1567-1643):オペラ《ポッペーアの戴冠》より終曲の二重唱「ただあなただけを見つめ」 (1642/2016) [E.デルッキによるピアノ独奏版]
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■S.V.ラフマニノフ:《6手のためのロマンス》(1891/2022) [米沢典剛編独奏版] 
■S.V.ラフマニノフ:《ここは素晴らしい場所 Op.21-7》 (1902/2004) [V.アシュケナージ編独奏版]
■S.V.ラフマニノフ:《ああ Op.38-6》(1916/2022) [米沢典剛編独奏版] 

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一般社団法人全日本ピアノ指導者協会[PTNA]のYouTubeアカウント(+α)で公開されている動画一覧 大井浩明(ピアノ/フォルテピアノ/クラヴィコード/オルガン)

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【作曲家五十音順】
【あ】
■伊藤謙一郎(1968- ):《アエストゥス》(2018)
■入野義朗(1921-1980):《三つのピアノ曲》(1958)
奥村一(1925-1994):《さくらさくら》(1963)
■落晃子(1969- ):《八犬伝》(2021)
■P.オリヴェロス(1932-2016):《ノルウェーの木》(1989)
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【か】
■G.カペレン (1869-1934) :《君が代》(1904)
■姜碩煕(カン・スキ)(1934-2020):《ゲット・バック》(1989)
■喜多郎(1953- ):《絲綢之路》(1980)
■I.クセナキス(1922-2001):《シナファイ》(1969) (i) NJP 1996 Jul. - (ii) KSO 1996 Nov.(前半後半)- (iii) LPO 2002 Mar.  《エリフソン》(1974) LPO 2004 Jun.  《ケクロプス》(1986) TPO 2022 Feb.
■桑原ゆう(1984- ):《花のフーガ》(2019)
■J.コズマ(1905-1969):《枯葉》 (1945/1993)[武満徹編]
■L.ゴドフスキー(1870-1938):《天国のアナクレオンへ》(1780/1921)
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【さ】
■坂本龍一(1952- ):《エナジー・フロー》(1999)
■佐村河内守(新垣隆)(1970- ):《ドレンテ》(2011)
■G. シェルシ(1905-1988):《アデュー(お別れ)》(1978)
■清水卓也(1986- ):《町田のヤンキー》(2011)
■F.シューベルト(1797-1828):《弦楽三重奏曲 D 471》(1816/2023) [米沢典剛によるピアノ独奏版]  《さすらい人 D 493》(1816/1981) [フリードリヒ・グルダ編独奏版]  《連禱(万霊節) D 343》 (1816/1926) [ゴドフスキー独奏版] 弦楽四重奏曲第12番ハ短調 D 703 「四重奏断章」 (1820/2023) [米沢典剛編独奏版] 《八重奏曲 ヘ長調 D 803》(1824/1905、全6楽章) [J.B.バイス編連弾版] [+浦壁信二(ピアノ)]  《連弾のためのソナタ ハ長調「グラン・ドゥオ」 D 812》(1824) [J.F.C.ディートリヒ/L.シュタルク編独奏版] ピアノトリオ第2番 変ホ長調 D 929 より第2楽章+第3楽章 (1827/1875) [L.シュタルク編独奏版] 《連弾のためのフーガ ホ短調 D 952》(1828) [J.F.C.ディートリヒ編独奏版]
■R.シューマン(1810-1856):《夕べの歌 Op.85-12》(サン=サーンス編)
■D. D. ショスタコーヴィチ(1906-1975):《革命の犠牲者を追悼する葬送行進曲》(1918)  オペラ《ムツェンスク郡のマクベス夫人 Op.29》より第2幕間奏曲「パッサカリア」 (1932) [作曲者編独奏版]  《ピアノ五重奏曲 Op.57》より第2楽章「フーガ」(1940/2022) [米沢典剛編独奏版]  オラトリオ《森の歌 Op.81》より第7曲「栄光」(1949/2021) [米沢典剛編独奏版)  映画音楽《忘れがたき1919年》より「クラスナヤ・ゴルカの攻略」Op.89a-5 (1951/2022) [米沢典剛編2台ピアノ版] [+浦壁信二(pf)]  交響曲第10番第2楽章 Op.93-2 (1953) [作曲者による連弾版] [浦壁信二(pf)]  交響曲第13番《バビ・ヤール》第5楽章「出世」(1962/2022) [米沢典剛編独奏版] 《弦楽四重奏曲第15番 Op.144》より第1楽章「エレジー」(1974/2020) [米沢典剛編独奏版]
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■M.スコリク(1938-2020):《メロディ》(1981)
■鈴木悦久(1975- ): 《クロマティスト》(2004)  《ピアノの練習》(2019)
■棚田文紀(1961- ):《前奏曲》(2007/18)
■田村文生(1968- ):《きんこんかん》(2011)
■P.チャイコフスキー(1840-1893) :《弦楽四重奏曲第1番ニ長調 Op.11 第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」》(1871/73) [K.クリントヴォルト編曲ピアノ独奏版]  交響曲第2番《ウクライナ》より第2楽章「行進曲」(1872/1942)[S.フェインベルク編独奏版]  歌曲集《6つのロマンス Op.16》より「ゆりかごの歌」「おお、あの歌を歌って」「それが何?」 (1873、作曲者自身によるピアノ独奏版) 《6つの小品 Op.19》より第4曲「夜想曲」(1873) 《「四季」(12の性格的描写) Op.37bis》(1876) 《弦楽セレナーデ》より第3楽章「エレジー」 Op.48-3(1880/1902) [M.リッポルトによるピアノ独奏版] 《子供のための16の歌 Op.54》より「春」「私の庭」「子供の歌」 (1881-83/ 1942) [S.フェインベルクによる独奏版] 《即興曲(遺作)》(1892/1894) [タネーエフ補筆]
■R.ディットリヒ(1861-1919):《さくら》(1894)
■寺内大輔(1974- ):《地層》(2014)
■C.ドビュッシー(1862-1918): 《舞踊詩「遊戯」》(1912/2005、J.E.バヴゼ編2台ピアノ版)[+浦壁信二(ピアノ)]  《白と黒で》(1915) [+浦壁信二(ピアノ)]
■冨田勲(1932-2016):《きょうの料理》(1957)
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【な】
■中川真(1951- ):《非在の声》(2020)
■長瀬弘樹(1975-2012):《見えない星》(2007)
■信時潔(1887-1965):《あかがり》(1920)
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【は】
■S.バーバー(1910-1981) (米沢典剛編):《弦楽四重奏曲第1番第2楽章「アダージョ」》(1936/2017)
■林廣守(1831-1896):《君が代》(1880) ノエル・ペリ(1865-1922)編曲(1905)  A.グラズノフ (1865-1936) [Op.96、米沢典剛編ピアノ版](1915/2019)  河村光陽(直則)(1897-1946):《君が代踊り》(1941)  溝部國光(1908-1996)編(1971)   小弥信一郎(1950- )編(1979)  三宅純(1958- )編(2016)  吉田光貴(1994- )編(2016)  久米由基(1960- )編(2018)  松尾賢志郎(1995- )編(2019)
■平井(保喜)康三郎(1910-2002): 幻想曲「さくらさくら」(1971)
■M.d.ファリャ(1876- 1946):《ヴォルガの舟歌》(1922)
■G.フォーレ(1845-1924):《さようなら Op.21-3》 (1878/2021) [横島浩編ピアノ独奏版] 《バイロイトの思い出 ~ワーグナー「ニーベルングの指環」のお気に入りの主題によるカドリーユ形式の幻想曲》(1880、A.メサジェ採譜)  《月の光》(1887/1927)(M.ボニによるピアノ独奏版)+C.ドビュッシー(1862-1918):「仮装舞踏組曲」より《月の光》(1880)  《消え去らぬ香り Op.76-1》 (1897/2021) [横島浩編ピアノ独奏版]  パリ音楽院ピアノ科初見試験課題曲 [女子学生用(1899)/男子学生用(1901)] 歌劇《ペネロープ》第1幕への前奏曲 (1913、作曲者編)  《チェロ・ソナタ第1番 ニ短調 Op.109》(1917)(全3楽章) 〔+上森祥平(チェロ)〕  《天守夫人(塔の奥方) Op.110》(1918) (ピアノ独奏版)  《幻想曲 Op.111》(1918、作曲者による2台ピアノ版) [+浦壁信二(ピアノ)]  《平和が来た Op.114》(1919/2021) [横島浩によるピアノ独奏版]  組曲《マスクとベルガマスク》 Op.112 (1919/2018) [米沢典剛編ピアノ独奏版] 《チェロ・ソナタ第2番 ト短調 Op.117》(1921)(全3楽章) 〔+上森祥平(チェロ)〕 「ディアーヌよ、セレネよ Op.118-3」(1921) ~歌曲集《幻想の水平線》より  《ピアノ三重奏曲 ニ短調 Op.120》(米沢典剛によるピアノ独奏版)(1923/2018) 《弦楽四重奏曲 Op.121》(G.サマズイユ編独奏版)
■G.プッチーニ(1858-1924)(=R.T.カッツ編):《弦楽四重奏曲 「菊」 嬰ハ短調》(1890/2017)
■J.ブラームス(1833-1897):交響曲第2番 Op. 73 第2楽章(1877/1915) [M.レーガー編独奏版]  《野の寂しさ Op.86-2》(1881/1907) [M.レーガー編独奏版]  《セレナード Op.106-1》(1885/1907) [M.レーガー編独奏版]  交響曲第4番 Op. 98 第2楽章 (1886/1916) [M.レーガーによるピアノ独奏版]  《メロディのように Op.105-1》(1888/1912) [M.レーガーによるピアノ独奏版]  《我が眠りは一層浅くなり Op.105-2》(1888/1906) [M.レーガー編独奏版] 《弦楽五重奏曲第2番 ト長調 Op.111》(1890/1920) [P.クレンゲルによるピアノ独奏版] 《クラリネット五重奏曲 Op.115》(1891/1904)[P.クレンゲルによるピアノ独奏版]  クラリネットソナタ第2番(Op.120-2) 第1楽章 (1894/2021) [米沢典剛編ピアノ独奏版] 《4つの厳粛な歌 Op.121》(1896/1912) [M.レーガーによるピアノ独奏版]  《一輪のバラが咲いて Op.122-8》(1896/1902) [ブゾーニ編独奏版]
■C.フランソワ (1939-1978)/J.ルヴォー(1940- ):《マイ・ウェイ》(夏田昌和によるピアノ独奏版)(1967/2014)
■L.ブローウェル(1939- ):《丘の愚者》(1976)
■L.v.ベートーヴェン(1770-1827): ソナタ第20番第2楽章(1795)  交響曲第3番《英雄》第1楽章(1803)(F.リストによる独奏版、前半後半) ソナタ第23番《熱情》第1楽章(1806)  弦楽四重奏のための《大フーガ》(1826)(L.ヴィンクラーによる独奏版、前半後半)(全てフォルテピアノ独奏)
■G.ペッソン(1958- ):《マストの上で(水兵の歌)》(2009)

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【ま】
■松下眞一(1922-1990): 《スペクトラ第4番》(1971)
■松平(工藤)あかね(1972- ):《ルグリにリフト》(2007)[+柴田暦(vocal)]
■G.マーラー(1860-1911) (米沢典剛編): 《花の章》(1888/2017)
■三木たかし [渡邊匡] (1945-2009):《夜桜お七》(1994) [後藤丹編ピアノ独奏版]
■箕作秋吉(1895-1971):《さくらさくら Op.16-2》(1940)
■O.メシアン(1908-1992)(=米沢典剛編):《星の血の悦び》(1948) [+浦壁信二(ピアノ)]
■F.メンデルスゾーン(1809-1847):《弦楽八重奏曲 変ホ長調 Op.20》より終楽章「プレスト」 (1825) [作曲者編連弾版] [+浦壁信二(ピアノ)]
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【や】
■吉本光蔵(1863-1907):《君が代行進曲》(ca.1902)
■米沢典剛(1959- ):《君が代》(2021)
■米津玄師(1991- ):《KICK BACK》(2022) [金喜聖(キム・ヒソン)編曲による連弾版] [+浦壁信二(ピアノ)]
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【ら】
■L.J.A.ルフェビュール=ヴェリー(1817-1869):《H.ルベールの歌劇「ガイヤールのおやじ」による華麗な二重奏曲》(1852)[+金澤攝(ピアノ連弾)]
■C.ルル―(1851-1926):《分列式行進曲(扶桑歌)》(1886)
■M.レーガー(1873-1916):《クリスマスの夢~「聖しこの夜」による幻想曲》(1902) 《マリアの子守歌 Op.76-52》 (作曲者編ピアノ独奏版)(1904/1915) 《夜の歌 Op.138-3》(1914/2019) [ヴェンデリン・ビツァン編ピアノ独奏用パラフレーズ]  《ドイツ国歌によるフーガ》(1916、遺作)
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【わ】
■若尾裕(1948- ):《さりながら雪》(2019)
■R.ワーグナー(1813-1883):歌劇《ローエングリン》第1幕前奏曲(1848/2017)(B.ブライモ編) 歌劇《ローエングリン》第2幕より「エルザの大聖堂への入場」(F.リスト編) ヴェーゼンドンク歌曲集(1858/1917) [A.シュトラダルによるピアノ独奏版]  《トリスタンとイゾルデ》より「愛の場面」(1859/65)(タウジッヒ編) 《ジークフリート牧歌》(1870/1973) [G.グールド編ピアノ独奏版]  舞台神聖祝典劇『パルジファル』第1幕前奏曲(1857-82/1882)(A.ハインツ編) 《エレジー WWV93》(1881)
渡辺香津美(1953- ):《アストラル・フレイクス》(1980)


ライヴ演奏動画集 (2024/05/23 update)_c0050810_07313455.jpg



# by ooi_piano | 2024-05-23 22:34 | 雑記 | Comments(0)
3/22(金) シューベルト:クラヴィアソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演 [2024/03/17 update]_c0050810_19263419.jpg

大井浩明(フォルテピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)Google Map

使用楽器 ヨハン・クレーマー(Johann Krämer)製作フォルテピアノ(1825年ウィーン、80鍵、4本ペダル、430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]

4000円(全自由席)
お問い合わせ poc@artandmedia.comアートアンドメディア株式会社
チラシpdf(



【最終公演】 2024年3月22日(金)19時開演(18時半開場)


F.シューベルト:《楽興の時 D 780》(1823/28) 25分
I. Moderato - II. Andantino - III. Allegro moderato 「ロシアの唄」
- IV. Moderato - V. Allegro vivace - VI. Allegretto 「吟遊詩人の嘆き」

M.フィニッシー(1946- ):《シューベルト:ソナタ断章 D769a の外衍》
(1823/2023、献呈初演) 16分

(休憩10分)

近藤譲(1947- ):《ペルゴラ》(1994/2024、フォルテピアノ独奏版初演 8分

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第21番変ロ長調 D 960》(1828) 35分
I. Molto moderato - II. Andante sostenuto
- III. Scherzo. Allegro vivace con delicatezza - IV. Allegro ma non troppo


[使用エディション:新シューベルト全集(1984/2023)]




M.フィニッシー:《シューベルト:ソナタ断章 D769a の外衍》 (1823/2023)
 シューベルトのソナタ断片D769Aは1823年頃の作品。ソナタ(ホ短調)の冒頭部分で、1ページしか残っていない。「Fortsetzung」という言葉は通常「続き」と訳されるが、私の作品は「続き」ではなく、シューベルトの現存する断片的な草稿を再文脈化(re-contextualise)している。この作品では、シューベルトのピアノ連弾のための《ハンガリー風ディヴェルティメント D 818》(1824)や、1822-23年のシューベルトの2つの歌曲、《愛は裏切られ D 751》《貴方は私を愛していない D 756》も参照したが、後者はシューベルトの未完ソナタ《レリーク D 840》の私の補完稿(2017)にも登場している。
 シューベルトは「遠い人」であり、私の心を込めた補作は気に入らないかもしれないが、東欧の民俗音楽へのアウトサイダー的な興味は彼と共有している。研究の後には、努力と空想と想像がある。(マイケル・フィニッシー)


マイケル・フィニッシー Michael Finnissy, composer
 1946年3月、テムズ川の南、ロンドンのランベス区に生まれる。 父親は写真家・記録家で、第二次世界大戦後のロンドンの爆撃被害と再建問題を記録していた。4歳から断続的にピアノを習い、独学で作曲を始める。奨学金を得て、ロンドンの王立音楽大学でバーナード・スティーヴンスに師事、さらにイタリアでローマン・ヴラドに師事。ブライアン・ファーニホウと出逢い、書簡で議論を重ねる。1977年、フライブルク=イム=ブライスガウでピアニストとしてデビュー。ダーティントン・サマースクール、サセックス大学、ルーヴェン・カトリック大学、英国王立音楽アカデミーで教鞭をとる。1990年、国際現代音楽協会(ISCM)会長に就任、1993年に再選され、1998年には同協会終身名誉会員となった。1999年から2018年までサウサンプトン大学教授、現在は名誉教授。2008年に英国王立音楽院フェロー、2023年にクーセヴィツキー賞。


近藤譲:《ペルゴラ》(1994/2024) [フォルテピアノ独奏版]
 曲題「ペルゴラ」は、例えば藤棚のような、蔓性の花樹や果樹で作ったトンネル状の四阿の意。元の編成はフルートとピアノの二重奏だが、ピアノ伴奏付きのフルート曲というよりも、フルートのオブリガートを伴うピアノ曲であった。旋律楽器とピアノという二重奏のための私の作品では、大抵の場合、ピアノが音楽の持続を担う役割を果たしている。(近藤譲)


3/22(金) シューベルト:クラヴィアソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演 [2024/03/17 update]_c0050810_19262350.jpg


 ロバート・レヴィン(ハーヴァード大学名誉教授)がシューベルト《2つの断章 D 916B/C》の自身による補筆稿と併せて2015年に発表したシューベルト奏法概論(約2万2千字)は、古楽器ならびに歴史的演奏実践を注意深く踏まえている点で例外的な文献である。この論考を叩き台として参照しつつ、現時点で妥当と思われる落としどころについて、幾つか省察を行う。いわゆる「古楽奏者とモダン奏者の温度差」や「古楽器へのアプローチ方法」については、10年前に《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》シリーズのためのプログラムノートで詳説した。

 シューベルトの存命中、フォルテピアノ製造の中心地はウィーン、パリ、ロンドンの3都市だった。エラール(パリ)やブロードウッド(ロンドン)から楽器を譲り受けながらも、ベートーヴェン、そして無論シューベルトのクラヴィア書法は、あくまでウィーン方式の楽器を前提としていた。ハンマーシャンクの方向と打弦位置、フェルトではなく革で覆われた小さなハンマーヘッドにより、打鍵速度は俊敏で、明瞭なアーティキュレーションに長けていた。英仏の丸みを帯びた、いわゆる「歌うような」響きに対し、ウィーン方式では「語る」ように設計されている。クラヴィコードやチェンバロの流れを汲む後者は、シューベルトの死後急速に廃れ、前者の優勢は延いてはモダンピアノへと結実してゆく。ロマン派の嚆矢として解釈されがちのシューベルトは、少なくとも使用楽器の外形的な特性については、モーツァルト・ベートーヴェンと同じカテゴリーに属している事に留意が必要である。

 ベートーヴェンのクラヴィア曲では、世紀をまたがりつつ5オクターヴから5オクターヴ半へじりじりと使用音域を拡げていったが、彼のホームグラウンド(そして当時の常識)は5オクターヴ半であり、Op.106(1818年)でもそれに準じて音域を狭めたロンドン初版が作成された。
 対照的に、若いシューベルトは所与のものとして高音域を渉猟し、ベートーヴェンでは最晩年のバガテルでのみ無茶振りされる「高音域へのクレッシェンド」も、屈託なく指示される。一方、低音域はE1を絶対に下回らない。ソナタ第14番D 784第3楽章で、ベーレンライター版でD1と太字で印刷されている音符は、初版ではもちろんD(1オクターヴ上)であった。

3/22(金) シューベルト:クラヴィアソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演 [2024/03/17 update]_c0050810_20220139.jpg

 シューベルトが作曲を始めた頃には、膝レバーは足ペダルに置き換えられ、ダンパーペダルも使いやすくなった。フンメルの教則本(1827年)では、「ダンパーをあげたままの演奏の流行は、未熟者の隠れ蓑である」「学習者はペダルを控えるべき」「ペダルの濫用に耐えられるのは鈍麻な耳の持ち主だけである」と、烈しい語気で戒めている。ことにシューベルトの中庸のテンポの楽章で、モダンピアノに準じてダンパーペダルを使用すると、途端に「語るような」アクションが不規則・不如意にかき乱されるため(生理的に弾きにくい)、むしろチェンバロ並みのかなり思い切った節制を余儀なくされた。
 チェルニーの教本(1839年、シューベルトの死から11年後)では、ダンパーペダルを徐々に活用し始めたのは「ベートーヴェン(1770-1827)、ドゥシーク(1760-1812)、シュタイベルト(1765-1823)」以降であり、ペダルを頻用する新しい作曲家達として「リース(1784-1838)、カルクブレンナー(1784-1849)、フィールド(1782-1837)、ヘルツ(1803-1888)、リスト(1811-1886)、タールベルク(1821-1871)、モシェレス(1794-1870)」を挙げている。そこにシューベルト(とショパン)の名は無い。

3/22(金) シューベルト:クラヴィアソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演 [2024/03/17 update]_c0050810_20234861.jpg

 シューベルト時代の弱音ペダルには2種類あり、1つはシフトペダル、もう1つはモデラートペダルである。ベートーヴェンOp.110(1821年)では、3本弦から2本弦、そして1本弦へとシフト指定がしてある(モダンピアノでは不可能)。シューベルトでシフトペダル(mit Verschiebung)が書き込まれているのは、ソナタ第16番第3楽章トリオとソナタ第17番第2楽章だけである。音楽面で際立った楽句でもないので、(シューベルト自身による)出版時の気まぐれな追加に見える。
 シューベルト作品でのpppはモデラートペダルの使用を指す、という口頭伝承は、ソナタ第14番第2楽章(1823)での8分休符で枠取りされた短い挿入句「sordini」に由来する。歌曲《テクラ D595》と《死と乙女 D 531》(どちらも1817年)でsordiniはPed.と同時に併記されているため、この説を補強している(違う種類のペダルを指している事になる)。
 pppの楽句が休符等で枠取りされていれば良いが、そもそもpppはppからの連続で現れる事も多い。ダンパーペダルと併用される条件下で、シフトペダルとモデラートペダルは連続させることが出来ない。シフトペダルの効き具合には楽器の個体差があるようである。
 シューベルト中期ソナタの冒頭第1主題は、第13番イ長調(p)、第14番イ短調(pp/ユニゾン)、第15番ハ長調(p/ユニゾン)、第16番イ短調(pp/ユニゾン)と云った調子で、たとえp/ppと書かれていても、シフトペダルで輝きを減じさせて大ソナタを開始出来るものなのか、という疑問がある。シフトペダルが無ければ即死するか、と言われれば、《さすらい人幻想曲》第2部後半(1822)を除けば、おおよそどの曲も演奏可能であった。チェルニー曰く、「シフトペダルは滅多に用いてはならない」「最も美しく賞賛に値する弱音は、常に指の柔らかいタッチだけで作り出す物である」。さらには、「ファゴットペダルは、しっかりした演奏家なら決して使わない子供騙しである」

3/22(金) シューベルト:クラヴィアソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演 [2024/03/17 update]_c0050810_20242077.jpg
3/22(金) シューベルト:クラヴィアソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演 [2024/03/17 update]_c0050810_20242904.jpg

 シューベルト自筆譜のアクセント記号は、大きさも長さもまちまちで、時には(=五線譜にスペースがある時には?)斜め上方に伸ばされており、デクレッシェンドと区別が付きにくい。ベーレンライター社の新シューベルト全集は、一説には「長さだけで」即物的に判断してアクセント記号に統一しているため、この点で長らく悪名高い。
 アクセント記号についてはやや配慮した他社の新しいエディションには、漏れなく編者による指使いが付け加えられており、その点のみがベーレンライター版の優位を保証していたが、2011年の《即興曲集》《楽興の時》の新訂版では何故かわざわざ指使いを添加し、旧版を絶版にしてしまった。モダン奏者による「レガート優先」の愚鈍な指使いに煩わされないためには、ベーレンライター社ライセンスによるヤマハミュージックメディアの日本版(2001年)を入手するしかなくなったが(!)、これも既に国内の在庫は払底している。
 2015年以降、ウィーン科学研究技術基金(WWTF)のウェブサイトでシューベルトの自筆譜ならびに初版譜等は無料ウェブ公開が開始され、20/21世紀の原典版の校訂報告と照らし合わせなくとも、第1次史料に容易にアクセス可能となったのは喜ばしい。初版譜をそのままプリントアウトして使用すれば、少なくとも「指使い」問題は解決される。

 シューベルトのディミヌエンド(dim.)には、デクレシェンド「かつ」リタルダンドが含意される、という口頭伝承も厄介である。《3つのクラヴィア曲 D 946》第1曲中間部の最後のように、ppでdecresc.した直後、pppがdimin.されて冒頭に回帰するような、一目見て分かりやすい箇所ばかりではない。構造上の区切りの前に出現するのは良いとして、変に早すぎるタイミングでのdim.指定も少なからず見かける。ただ、「ベートーヴェンは初期にはdecresc.を使っていたが後年はdim.に移行した一方、シューベルトは初期から両方同時に使用している」「a tempo指示はdim.のあとに書かれてもdecresc.の後には書かれない」等の指摘は傾聴に値する。

 快速テンポで3連符が付点と一致するのは、18世紀以来親しまれた記譜法に過ぎず、シューベルト《グレート》(1826)の両端楽章とショパン《ロンド ハ短調 Op.1》(1825)は同じ慣行に従っている。ソナタ第19番第2楽章等の6連符での一致も同様である。どうしても諦めきれない場合は、彼らの自筆譜での音符位置を眺める事である。
 シューベルトやショパンの新全集が現れる以前と以降の解釈差がはっきり分かりやすいのはこのリズムの扱いあたりで、シューベルトでは往年の巨匠は苦心して付点を詰めているし、21世紀でもショパンホ長調前奏曲をワルシャワ優勝者は律儀に一致させている(主催者からお達しが来るのだろうか)。

 シューベルト時代の繰り返し記号は、任意ではない事を認めなければならない(閉館時間を気にしなくて良いのなら)。クラヴィア三重奏曲第2番第4楽章を846小節から約100小節ぶん刈り込んだ際、シューベルトは繰り返し記号を削除した。(繰り返しが任意ならそんな事をする必要はない)。翻って、《楽興の時》第1番の再現部、ヘ短調即興曲の再現部には繰り返し指定は無い。
 《3つのクラヴィア曲 D 946》第1曲は、A-B-Aの3部形式であるが、元々はA-B-A-C-Aであった初稿を、シューベルト自身が最後の2セクションを抹消した。1828年の自筆譜が、40年後に初めて公刊された際、校訂者ブラームスは削除された2セクションを断り無しに復活させた。この「古い」楽譜をそのまま使った演奏もある(アラウ、ピレシュ、内田etc)。本来なら、ハース版とノヴァーク版の殴り合いになりそうなトピックスだが、聴き手の関心は呼んでいないようである。

  シューベルトの生前に出版されたクラヴィア曲は限定的である。レントラー・エコセーズ・ワルツ・ギャロップ等の舞曲集(D 145 / 365/ 734/ 735/ 779/ 783/ 924/ 969)、連弾作品(D 599/ 602/ 617/ 624/ 675/ 733/ 773/ 813/ 819/ 818/ 823/ 824/ 859/ 885/ 951)を除けば、独奏曲としては《さすらい人幻想曲》(1823年出版)、ソナタ第16番イ短調「大ソナタ第1番」(1826年出版)、同第17番「大ソナタ第2番」(1826年出版)、同第18番「幻想曲」(1827年出版)、《即興曲 D 899》(1827年出版、第1・第2曲のみ)、《6つの楽興の時》(1828年出版)を数えるのみであり、残りは公刊前の推敲を経ない「遺作草稿」に過ぎない。言い換えれば、D 850の最終草稿と出版譜の差異程度の斟酌は、演奏者の裁量に任されている。バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンの諸作とは事情が異なり、少なくともシューベルトの遺作群に関しては、1820年代当時の楽器で演奏されるのは20世紀/21世紀を待たねばならなかった
 
 シューベルトの1818年から1825年にかけてのクラヴィアソナタは、4曲の完成作品と5曲の未完成作品からなっている。シューベルトの未完成作品の補筆作業の意義は、偏に「現代人が『シューベルト様式』でゼロから作曲したもの」より、明瞭に上質なものが出来上がる点にある。
 補筆にあたっては、シューベルト全作品の「悉皆調査」は当然の大前提であるとして、クラシック作品の「どこが面白いか(特別か)」についての直観的洞察力が問われる。嬰へ短調ソナタ(第8番)D 571では、マルコム・ビルソン、バドゥラ・スコダ(ヘンレ版)、マルティノ・ティリモ(ウィーン原典版)他の補筆例は、どうしても辛抱が出来なくなって余白を塗りつぶしてしまいがちなのに対し、2月16日公演で初演したロバート・レヴィン版(未出版)では、聴衆の想像力を誘発する余韻と悠揚迫らぬエレガンス、「何てことない機微」の決定的なセンスの差があるように感じられる。
 この嬰へ短調ソナタ D 571については、ベーレンライター社の「シューベルト初期ソナタ集(第1巻)」は、2000年のエディション(BA5642)では、(伝統的に欠落楽章を補綴するとされる)D 570/ 571が含まれていた。(D 604は大冊のBA 5525にしか採録されず)。ところが奇妙なことに、2022年の新訂エディション(BA9642)では丸ごと削除されてしまった。旧エディション(BA5642)は、前掲の《即興曲集》と同様に廃版状態であり、「国立音大のアカデミア出張売店に売れ残っていた」のが国内最後の1冊だったようである。(大井浩明)



# by ooi_piano | 2024-03-17 19:18 | Schubertiade vonZzuZ | Comments(0)
2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15490018.jpg


大井浩明(フォルテピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)Google Map

使用楽器 ヨハン・クレーマー(Johann Krämer)製作フォルテピアノ(1825年ウィーン、80鍵、4本ペダル、430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]

4000円(全自由席)
お問い合わせ poc@artandmedia.comアートアンドメディア株式会社
チラシpdf(



【第4回公演】 2024年2月16日(金)19時開演(18時半開場)

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第8番嬰へ短調 D 571》(1817/1997)
[R.レヴィンによる補筆完成版/日本初演]  8分

F.シューベルト:《3つのクラヴィア曲 D 946》(1828) 23分
I. Allegro assai - II. Allegretto - III. Allegro

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第16番イ短調(「大ソナタ第1番」)D 845》(1825) 35分
I. Moderato - II. Andante poco mosso
- III. Scherzo. Allegro vivace /Trio. Un poco più lento - IV. Rondo. Allegro vivace

(休憩 10分)

南聡(1955- ):《帽子なしで: a Capo Scoperto Op.63-4》(2023、世界初演) 5分

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第20番イ長調 D 959》(1828) 35分
I. Allegro - II. Andantino
- III. Scherzo. Allegro vivace / Trio. Un poco più lento - IV. Rondo. Allegretto


[使用エディション:新シューベルト全集(1984/2023)]




南聡:《帽子なしで》(2023、委嘱初演)
  極めて圧縮された奇想的なファンタジーである。シューベルトのファンタジーが残骸のようにちりばめてあるが、音楽の質量の差を際だだせる効果を曲のなかで形成することが狙いだった。その他、師匠の初期作であるファンタジーの一節を同時に引用した。師へのささやかな敬意表明と追悼の意をこめた。当初二曲でセットにしようとしたが適当な二曲目を作ることができなかった、そのため、短いながら単独の曲となった。
 作品63は老いの遊興といったかんじの独奏曲・室内楽をあつめたもの。相互の関連性は室内楽以外ない。独奏曲は衛星的な存在だ。(南聡)

南聡 Satoshi MINAMI, composer
2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15503474.jpg
  1955年生まれ。東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程修了。在学中作曲を野田暉行、黛敏郎に師事。 1982年今日の音楽国際作曲コンクール入選。 1983年日本音楽コンクール作曲部門2位(1位空位)。 1983年より八村義夫の周辺に集まった、中川俊郎、久木山直、内藤明美らと同人グループ「三年結社」を結成活動。 1986年北海道に移住。 1988年日本現代音楽協会と日本フィルの共催コンサートで初演された、独奏ハープを伴うオーケストラのための《譬えれば・・・の注解》によって注目される(2003年アジア音楽祭に入選)。 1990 年環太平洋作曲家会議に参加。 1991 年オーケストラのための《彩色計画Ⅴ》の初演が評価され村松賞。1992年3人の独奏と3群のための《歓ばしき知識の花園 Ib》にて文化庁舞台芸術奨励賞。同年ケルンでの日本音楽週間 '92 に湯浅譲二、藤枝守らとともに招かれ、室内アンサンブルのための《昼Ⅱ》の委嘱初演と自作に関する講演を持つ。 2001年ISCM 世界音楽の日々に3楽器のための《帯 / 一体何を思いついた?》 (1998)が入選。翌 2002 年にも8人の奏者のための《日本製ロッシニョール》 (1994) が入選した。現在は、北海道教育大学岩見沢校教授を経て同校名誉教授、日本現代音楽協会会員、荒井記念美術館評議委員、北海道作曲家協会会員。






「補筆完成」などあり得ない
川島素晴

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15463051.jpg
 作曲家が様々な理由で完成できなかった作品を、後世の別人が補筆して完成させるということはしばしば行われてきた。例えばマーラーの《交響曲第10番》の場合は、第1楽章がほぼ完成していて、残る楽章をクックが補筆完成したものが広く演奏されているが、これは、作曲者が遺したスケッチなどを参照して、その様式によって完成を試みるものである。この手のものでは(2月14日に没後1年となる)ツェルハによるベルクの《ルル》3幕版などが有名だが、ツェルハのように補筆者が作曲家として活動している場合、その献身的な労力たるや、想像を絶するものがある。この二つに共通するのは、作曲者の逝去により絶筆、未完となった作品という点だが、補筆者が、学者としての活動がメインの場合と、現役で作曲活動もしている場合とでは、その作品性のあり方において異なる背景を見ることになる。学究的な肉薄か、それとも作家性を備えた筆による作品としてのリアリティか。前者に傾けば芸術性への疑義が、後者に傾けば学術的な疑義が生じ、どちらに対しても、それぞれの立場で賛否が分かれることだろう。つまり、どちらの立場からも完全なる同意や納得を得る仕事は、なかなか困難なのではなかろうか。

 一方、ベリオが、シューベルトの未完の交響曲を素材として作曲した《レンダリング》の場合は、ベリオ自身が「修復」作業と位置付けているように、遺された部分以外の埋め合わせを、シューベルト様式を逸脱してベリオのオリジナル部分によって行っている。この場合は、学究的な態度を残しつつ、作曲家独自の「作品」としても位置付ける取り組みとなっているわけだが、こうなると、もはやオリジナル作品としてみなされることで、学究的な意味での批判は免れる(というよりは無視することになる)だろう。実際、この作品はベリオの管弦楽作品の中でも再演回数が多いものの一つであり、ある種の「現代音楽マーケティング」成功例とも考えられよう。

 今回のコンサートシリーズにおけるレヴィンの態度が学究的なものの究極とすれば、フィニッシーの態度はオリジナルであることを厭わない態度の究極である。そもそもフィニッシーは、民謡や既存の名曲を素材に、編曲と称して全く原型を留めない作曲を行うことでよく知られている。原作者の様式に忠実に、などという考えは毛頭ないであろうことは想像に難くない。

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15463987.jpg
 では、レヴィンの試みが、果たして原曲作曲家の想定通りに作曲されたものと考えられるのか、と言えば、それはまた別の議論になるだろう。そもそも、作曲家逝去による絶筆ではない作品の場合、それを補筆完成することにはどのような意義があるのだろうか。初演予定に間に合わなくてお蔵入り、初演機会が頓挫してお蔵入り(コロナ禍では頻発した)、などの理由(つまり作曲家自身がそれを完成させる意欲があったに違いないと推定される場合)であれば、それを完成させる意義はあるかもしれない。しかし、作曲者自身が作品の完成を望まず、破棄と同義で完成を放棄したのだとしたら、それを「作曲者の意を汲んで」完成させるということは、ある種の矛盾を孕んでいる。そもそも、本当に「作曲者の意を汲む」のであれば、完成させないことこそが最も意を汲むことなのだから。では仮に、何らかの理由でお蔵入りして絶筆したものだったとしよう。それにしても、作曲家は、いついかなるときもある一定の様式をもって作曲に臨んでいるわけではなく、時代とともに、あるいは人生の様々な場面に応じて、その都度、少しずつでも新しい思考や経験則を伴って作曲を行うものだとするなら、その筆が途絶えたその瞬間の思考に肉薄してこそ「正しい」補筆と言えるわけだが、しかし果たして、そんなことが可能なのだろうか。

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15470407.jpg
 ここで、武満徹の《リタニ》のような作曲者自身による補筆完成作品を思い出してみよう。1950年に作曲した《二つのレント》の紛失した譜面を思い起こしつつ1989年に再作曲したというこの作品は、1989年時点の武満の経験値なり審美眼なりが反映しているという意味で、1950年当時のものと異なる姿であることは明白だ。しかし同時に、作曲者自身の手によるものという意味で、これ以上の説得力はないし、その作品性に疑義を呈する必然性はない。1950年当時の完全再現ではないということの批判にどれほどの意味があるだろうか。武満自身が1989年時点での眼が入ることを厭わなかったとしても、それは紛うことなき武満自身の作品である。では仮に、後世の者が、この作業を行ったとしたらどうだろうか。1950年当時の武満を想定すべきなのか、それとも1989年時点の武満を想定すべきなのか。このように、後世の者が補筆する場合は、どちらの武満を想定すべきか、という観点での判断の難しさを提供することになるだろう。

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15465051.jpg
 筆者自身の補筆経験として、1998年に行った甲斐説宗(1938-78)の生誕60年、没後20年企画に際して実行した《コントラバスとピアノのための音楽》について振り返りたい。遺族とともに4公演とシンポジウムなどを開催したこのイベントの首謀者だった筆者は、日本初演、未演奏作品の初演などを集めた回を設定し、そこでこの作品を補筆完成、初演した。甲斐本人によって遺されたものは、少しの断片とメモのみであった。その意味では、補筆というよりは事実上の再作曲と言ってよい取り組みだった。40歳を目前に逝去した甲斐の短い創作期間においても、作風には変化が見られる。この作品のメモが遺された時点の作風を想定すべきなのか、はたまた、最晩年に到達した世界を参照すべきなのか。逡巡はあったが、ここでは、学究的な態度を極めることよりは、むしろ自由にアプローチすることとした。しかしながら、甲斐説宗ならばどうしただろうか、という問いは常に保ち続けていた。このイベントの準備のために、遺族の協力のもと甲斐説宗の全作品のスコアも参照し、遺された様々なノートなども参照していたので、当時筆者は26歳と若かったが、その時点で筆者以上に甲斐説宗作品に通じている作曲家はいなかったはずだ。《コントラバスとピアノのための音楽》のために遺された断片とメモは、それを完成させたいと思わせるに足る魅力的なものだったし、この編成のための作品になかなか名曲が存在しないことを思うと、完成させることへのモチベーションは極めて高いものだった。筆者が試みたことは、当該メモが遺された1970年頃よりは少し後の時期である《ピアノのための音楽Ⅰ》(1974)の作風を主体として、最晩年(といってもそのたった4年後ではあるが)の世界も織り込んだ、いわば「甲斐説宗の軌跡」を一作に込めるものだった。だから、当然のことながら、作者自身が生きてこれに取り組んだら、このようにはならなかったであろう。ベリオのように、補筆者(即ち筆者)のスタイルを盛り込むことはしなかった(ただし、調弦変更などに筆者自身のアイデアも含めてはいる)が、しかし、全体としては確実に甲斐自身が書いたはずのものを想定するならそれとは異なる内容であり、それと同時に、どの瞬間も、甲斐自身が書いたかもしれない内容を想定して作業しており、そのことについては(少なくとも他者による作業を凌駕する)自負がある。このような補筆作業の実例、つまり作曲家の創作の軌跡を織り込みつつ細部は作曲家の書法を再現する試みは、他にはあまり存在しないかもしれない。武満が《リタニ》で見せたように、1998年時点からの再作曲作業は、1970年当時の本人の仕事とは異なるものを導くこととなったが、これが適切な作業だったのかどうかは、当然、賛否が分かれるだろう。

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15472567.jpg
 筆者による補筆の実例をもう一つ挙げておく。筆者が師事した師匠である松下功(1951-2018)が舞台作品《影向のボレロ》という新作の委嘱を受けていた。2019年3月24日に福島県白河市で初演されるはずのその作品は、松下自身は全く手付かずの状態で、松下は2018年9月16日に急逝した。その後、主催者による判断で、弟子である筆者が継承することになったのである。管弦楽、合唱のほか出演者総勢200名、正味2時間半に及ぶ全体の中で、幾つか、既存の松下作品を組み入れて上演することは予め決まっていたことだが、残る2時間程度の新しい音楽を作曲しなければならなかった。しかもその依頼を受けたのが9月下旬。本番まで半年を切る状況でのスタートだった。(それだけだったらよかったものの、これ以外の新作8曲の作曲と、本番直前にドイツに一週間滞在する仕事を抱えた状況だった。)組み入れることが決まっていた作品と、白河踊りの音楽など、使うことが決定している素材を軸に、筆者が「作曲」そのものを継承するというオーダーだったため、実際の作業は補筆ではなく、事実上の作曲であった。構想メモのようなものもない全くの手付かずの状況だったため、使用素材以外の事前情報は全く無い。ならば筆者自身の創作として自由に作曲できるかというと、予め組み入れられる素材とのバランスを調停しなければ全体がバラバラになるため、そうはいかない。そこでまず、組み入れることが決まっている松下による3作品と白河踊りを検証し、リズム的な共通点と、旋律的な共通点を見出した。(そのような共通点が存在したこと自体、奇跡的である。)さらに、そのリズム素材と旋律素材を全体の核となす素材として定義した。その上で全体を構築、管弦楽作品や合唱に加え、自身によるピアノや打楽器を用いたブリッジ部分を含めて2時間に及ぶ楽曲を完成させた。構想メモすらない状況での作曲は、補筆とは言えないかもしれない。しかし、既存部分との繋がりもあるので、筆者が筆者のスタイルで作曲したものとも言えない。と同時に、松下の筆ではあり得ず、筆者でなければ実行しないような部分も多々あった。そういった意味では筆者の作品であるが、もしも一から委嘱を受けたなら、全く異なる作品になったであろう。この事例は、作曲者没後の取り組みの実例ではあるものの、前述のマーラー/クックやベルク/ツェルハ、シューベルト/ベリオ等のいずれの例とも異なる、これまた珍しいタイプの補筆完成作業だったと言えよう。この場合はもちろん、松下功の仕事を再現することを目的にしたものではなく、筆者の作品であると思われることを厭わない態度だったが、それと同時に、筆者としては、筆者のオリジナル作品であるという意識もなかった。この作品は何だったのか。筆者自身、明確な答えを未だ持てずにいる。

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 このような稀有な上演を遂行した後、しばらく経ってから、同時期にオペラ《紫苑物語》を完成させていた西村朗と話をする機会を得た。師匠の松下功を継承して舞台作品を完成させたという話をしたところ、西村曰く、「病気を患っていたこともあり、万が一、この《紫苑物語》のオーケストレーションが完成しなかったら、川島さんに頼もうと思っていたんだよ。」本気か冗談かはともかく、ご一緒しているいずみシンフォニエッタ大阪での編曲の仕事などを通じて技術への信頼を得ていることの証左であり、誠に光栄な話だが、実際には、上記の松下功の件もあって、もしも依頼されたとしても手がけることはできなかっただろう。それに、ご承知の通り、《紫苑物語》は全て本人の手によって完成されており、実演に接しその完成度を目の当たりにした筆者は、到底その代行なぞできなかったと感服し平伏したものである。
 補筆してまでして完成に至らしめたいと思うような作品であればあるほど、その本人の筆致を完全再現する、いや、再現しないまでもせめて足元に及ぶ程度の内容になる、ということのハードルが高くなる。とある音楽作品の補筆完成などということは、それが高度なものであればあるほど、とどのつまり絵空事であり、実際に達成をみることなどあり得ないという言説も成立するのではなかろうか。
 ところで、そうした「完全再現」を目的とする補筆作業こそ、昨今話題の生成AIに実行させたらどうなのか。完成度や理念的な観点から、完全再現が実際に達成をみることなどあり得ないのだとすれば、AIをひたすら稼働させて、出力された無数の候補の中から、ベストと考えられるものを選択すればよいのではないだろうか。実際、作曲に関していうと、かなり前からプログラミングを行った上での自動作曲は実行されていた。ここ最近の生成AIの発展を見るだに、生成AIが絶筆作品の補筆完成を行うこと、それも、その候補を無数にはじき出すことは、近い将来に実現する話だろう。しかし、この事実をもってしても、なお、誰の目にも納得のいく補筆完成など存在しない、ということを物語っている。結局のところ、多くの候補が出力されて、それを判定するという過程が存在する以上、そこで全ての人が納得する唯一無二の候補を導くことはできないだろう。
 そう。作曲とは、そういうものなのだ。

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 仮に個人様式を確立していたとしても、そのときまでの体験に根差し、そのときに置かれた状況に影響され、思いついたり立ち止まったり、あるいは破棄してやり直したり、といったことをしながら完成させていく過程は、その作品を書き始めた本人が、その瞬間に紡いでいくことでしか、達成できない。少なくとも筆者は、「AIにはできないであろう仕事」を心がけているし、昨日の自分では思いつかなかった発想を得た瞬間など、AIにも、後世の他人にも、絶対に導けないだろう、という確信を感じている。
 そしてそれは、過去のあらゆる作曲家も同じだったことだろう。真の意味での「補筆完成」など、あり得ないのである。

 「補筆完成」・・・それは、いわば高度な遊戯である。今風に言うなら「◯◯が絶筆した作品を完成させてみた!」という動画をYouTubeにアップロードするかのような。それ以上でも以下でもない、という自覚をもって、こうした作業には臨むべきだろうし、こうした仕事に接するべきだろう。どうせ誰もが認める補筆なぞあり得ないのだから、真顔でその是非を論じても仕方あるまい。ツッコんだり愚痴こぼしたり、ときにスゲーと感嘆しながら、楽しんで聴けばいいのだ。







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# by ooi_piano | 2024-02-05 15:36 | Schubertiade vonZzuZ | Comments(0)

Blog | Hiroaki Ooi


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