・・・
【CD用インタビュー(抜粋)】
Q.壮大な企画ですが、きっかけは。
A. 4年ほど前に武田浩之氏から、「堺の山本さんのコレクションをお借り出来れば、ベートーヴェンのソナタ全曲を時代別フォルテピアノで弾き分けられるよ」、と御教唆頂いたのが、そもそもの切っ掛けです。その時は絶句して終わったのですが、イアーゴーに囁かれたオセロのように、いつのまにか脳内で妄想が増殖しておりました。鍵盤楽器奏者として、ベートーヴェン作品はいやでも対峙しないといけない大テーマなので、このたび30代最後を迎えるにあたり、ピリオド楽器によるチクルスを敢行するに到った次第です。
武田氏は十数年前の日本財団時代に、メルヴィン・タンを招聘して、日本初のフォルテピアノによるベートーヴェン・ソナタ全曲シリーズを開催なさいました。このときは、全32曲の前半がワルター1800年、後半がグラーフ1827年の、2台のフォルテピアノで演奏されました。
Q. 今回のシリーズでは、フォルテピアノを合計9種類使われるとか。
A. ベートーヴェンの多彩な楽想をかんがみるに、私は少なくとも、5オクターヴ・5オクターヴ半・6オクターヴの3種類の音域、ならびにウィーン式のみならずイギリス式への眼差しが不可欠と考え、都合ソナタで6種類、交響曲で3種類の楽器を使い分けることに致しました。ソナタについては、《田園》までの17曲がウィーン式(A.シュタインとワルター)、それ以降の15曲はイギリス式(ジョーンズ=ラウンド、ムツィオ・クレメンティ、ジョン・ブロードウッド)です。音域が問題となる作品106《ハンマークラヴィア》では、ブロードウッドとマテウス・シュタインの2台を並べ、楽章毎に切り替えます。
楽器選択のポイントは、ベートーヴェンが「作曲作業時に使ったような」楽器、すなわち、作曲年よりも「少し前」に製造されたモデルを用いることです。 例えばアンドレアス・シュタインの楽器は、一般にはモーツァルト向きとされており、ベートーヴェン初期の作品2、7、13などのソナタは明らかに「積載オーヴァー」です。 しかし、A.シュタインで演奏してこそ、25歳のベートーヴェンの猛り狂うような革新性がより露わになります。 珍しい5オクターヴ半のイギリス式フォルテピアノで演奏された《ワルトシュタイン》や《熱情》では、その一杯一杯さ加減により、興味深いことに、あたかも産業革命の槌音、19世紀プロレタリアートの息吹が聴こえてくるかのようです。 そこから、バプティスト・シュトライヒャーやイグナツ・プレイエルへの線も、おのずと立ち現われるでしょう。
Q.フォルテピアノの発展に従って、ベートーヴェンの作風も変わっていたわけですね。
A. 実際に公演を重ねてみて改めて愕然とするのは、フォルテピアノの機構の変遷と、ベートーヴェンの筆致のあいだに、事実上ほとんど積極的連関が見られない点です。 バッハやクセナキスもそうですが、大作曲家の偉大な作品は、つねに「ヴァーチャル」だ、ということでしょう。 遺書をしたためるような絶望的状況でさえ、彼の覇気には一切影響しなかったわけですから。
Q. 使用するエディション(楽譜)は。
A. 初版譜と自筆譜を基本にしています。「すべてファクシミリを自分で筆写する」などという伝説が出回っているレオンハルトだって、現代の印刷譜のコピーを切り貼りして使っていたのを先日目撃しましたので、まぁお好み次第でしょう。 初版譜しかソースが無い場合など、モダン印刷譜では誤植や書き損じと判断されている箇所を、「音楽的誤植(l'Erratum Musical)」としてそのまま確信犯的に弾いてしまう楽しみもあります。
Q. フォルテピアノの演奏法は、どなたに師事を。
A. 誰にも習っておりませんし、習えるものでは無いと思います。 文字化された奏法論も目にしたことはありません。 レプリカでさえ、提示部を演奏時には眠っていた鍵盤が、再現部を弾く頃には目覚めていた、なんてことは茶飯事ですから、いわんやオリジナル楽器では、実に目まぐるしい臨機応変の処理が要求されます。
Q.Plaudite Amici (プラウディテ・アミーキー)というCDシリーズ名について。
A. ソナタと交響曲のディスクを通し番号にするため、CDシリーズ全体のタイトルが必要となりました。分離派美術館のクリムト作品から採った《ベートーヴェンフリース》だと「3期」という感じになってしまうし、有名なモットー「悩みを過ぎ越し歓喜へ(ドゥーヒ・ライデン・ツァ・フロイデ)」と江戸後期の関取を引っ掛けた駄洒落《ドゥルヒ雷電爲右エ門》では長すぎる。 いまわのきわの言葉「フィーニータ・コーモエディア(喜劇は終わった)」もロマン・ロランそのものなので、その前段、「諸君、喝采せよ(Plaudite, Amici)」、と相成りました。 深い意味はありません。
Q. 現代のピアノではなく、あえてフォルテピアノで演奏する利点とは何でしょう。
A. 我々日本人の舌は、いわゆる「風味の違い」を簡単に識別できますよね。 一度分かってしまうと、もうインスタントには我慢が出来なくなる。
現代のピアノにくらべて、ベートーヴェン当時のフォルテピアノは、打鍵した音の減衰が早いこと、そして、離鍵した音の余韻が長いことに特徴があります。 打鍵した音の減衰が早い、ということは、音の立ち上がりがクリアで、歌う、というより、むしろ語る・話すような音色となります。 音を切ったあとの余韻が長い(音切れが悪い)、ということは、レガート時のダンパーペダルはむしろ邪魔であり、スタッカートとレガートの中間領域を自由に往復できる、ということです。
ベートーヴェンの譜面は、明らかに上記のような特徴を持つ楽器のために書かれています。 重く鈍く濁った現代ピアノでは、出発点からしてハンデがあり過ぎます。 フォルテピアノで弾けば一挙解決、ということには当然なりませんが、「一歩近づく」ことは可能でしょう。 これは何もハイレベルの話をしているわけではありません。 ピアノ初心者の中学生でさえ、現代ピアノでベートーヴェンを弾く際、どことはしれず違和感を覚えることもあるようですから。
Q. 現代のピアノでバッハやベートーヴェンを弾くのは、意味が無いことなのでしょうか。
A. モダンピアノ奏者がフォルテピアノを弾くと指先から出て来るのはモダンピアノの音であり、フォルテピアノ奏者がモダンピアノを弾くとその逆となります。要は、奏者の頭の中で響いている音が指先からこぼれ出すだけですので、つづまるところインターフェースが何であるかは問題ではありません。
Q. 解釈面などで、ここをアピールしたい、聞きどころ、というところはありますか。 いわゆる古楽アプローチをなさっているわけでしょうか。 聴き手として何かを意識すべきでしょうか。
A. そのまんま、聞いてくれはったらええと思います。 ベートーヴェンが《英雄》初演時に、「実はこないだ遺書書きましてん」とか、講釈垂れたとは思えないし。
昨今、「古楽アプローチ」というと、表現上でのある種のバイアスを意味することが多いようですが、本来は「自分の頭で考えてみよう」、というムーヴメントなはずです。 「正調お古楽」の名取を目指して精進しようとは思いません。 ベートーヴェンが次から次へと繰り出すあの大胆不敵さにくらべれば、演奏家の弄する小細工などたかが知れています。
古楽的アプローチ面での特徴をあえて一つ挙げるなら、「クラヴィコード的」解釈を目指している点でしょうか。ベートーヴェンの「第一の鍵盤楽器」はクラヴィコードであり、フォルテピアノを演奏する際も、あくまでクラヴィコードのためのテクニックを敷衍させていったに違いありません。 そこに、ベートーヴェンのあの摩訶不思議な譜面を解く鍵があるように思われます。
Q. リスト編曲の交響曲は、まれにしか演奏されないですね。特に全曲となると。
A. この200年に書かれたピアノ曲で、内容的にベートーヴェンの交響曲を凌駕する音楽など存在しないので、さらうこと自体は「技巧の正しい使い方」に他なりませんが、それにしても10度しか手が広がらない私にとっては、実に厄介な譜面です。 敬遠されるのもむべなるかなです。 第1番~第4番で使用したバプティスト・シュトライヒャー1846年は、誠にベートーヴェンにぴったりの、いうなれば超スーパー最高級ベーゼンドルファー・インペリアルのような素晴らしい音色を持っていますが、事実上「ハンガリア狂詩曲」と同様の真っ黒な音符群を処理するには、タッチが高貴過ぎます。
華美な効果を目指したロマンチックな編曲、と批判する向きもありましょうが、ドイツ語を母語とし、ベートーヴェンと直接面識もあった人物が、ベートーヴェンの死後わずか20~30年しか経っていない頃に丹精込めて換骨奪胎したわけですから、百数十年後のモダン・オケあるいは古楽オケとくらべて、どちらが「オーセンティック」なのか、っちゅう話です。
Q. フォルテピアノのための新作委嘱について何か一言。
A. 全13回公演のうち9つの公演で、各々のソナタを作曲していた当時のベートーヴェンとほぼ同年齢の日本の若手作曲家の皆さんへ、各様式別のフォルテピアノのための新作をお願い致しました。 正体不明の楽器のためにマッチング・ポイントを探す(あるいは探さない)、という点で、ベートーヴェンと同じ土俵にあがってもらう企図です。 ベートーヴェンが如何にアヴァンギャルドに楽器を扱っていたかが、逆に炙り出された格好です。
Q. CDは全17巻が予定されているそうですが、全巻購入者には何か特典があるのでしょうか。
A. そのような神様のような御客様には、例えばクラヴィコードを持ち込んで、楽器の響板に顔を突っ込んでいただき、「定員一名」の演奏でもさせて頂ければと存じます。 古楽器は響板に顔を突っ込んで聴いてナンボ、で御座いますから。
大井浩明 Beethovenfries
16 Dec 1770 - 26 Mar 1827
第十回公演《きみしあひみはゆかましものを》
京都文化博物館 別館ホール
(旧日本銀行京都支店、明治39年竣工/重要文化財)
2008年12月27日(土) 18時30分開演
使用楽器:
プレイエル 1846年 パリ
85鍵(AAA-a4) イギリス式シングルアクション 平行弦
【助成】
アサヒビール芸術文化財団 (財)ローム ミュージック ファンデーション 芸術文化振興基金 朝日新聞文化財団
【参加公演】
関西元気文化圏
【協力】
アクティブKEI
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《演奏曲目》
ベートーヴェン作曲/F.リスト編曲:交響曲第7番イ長調Op.92(1811/12) R 128/7, SW 464/7
第1楽章 Poco sostenuto - Vivace
第2楽章 Allegretto
第3楽章 Presto - Assai meno presto
第4楽章 Allegro con brio
【休憩15分】
ベートーヴェン作曲/F.リスト編曲:同第8番ヘ長調Op.93(1812) R 128/8, SW 464/8
第1楽章 Allegro vivace e con brio
第2楽章 Allegretto scherzando
第3楽章 Tempo di Menuetto
第4楽章 Allegro vivace
ベートーヴェン作曲/F.リスト編曲:連作歌曲集 《遥かなる恋人に寄す》Op.98 (1816)
I. 丘の上に腰をおろし(Auf dem Hügel sitz' ich)
II. 山々のかくも青く(Wo die Berge so blau)
III. 天空を行く軽やかな帆船よ(Leichte Segler in den Höhen)
IV. 空高く飛ぶ雲は(Diese Wolken in den Höhen)
V. 五月がめぐってきて(Es kehrt der Maien)
VI. 受け取っておくれこの歌を(Nimm sie hin denn diese Lieder)
【CD用インタビュー(抜粋)】
Q.壮大な企画ですが、きっかけは。
A. 4年ほど前に武田浩之氏から、「堺の山本さんのコレクションをお借り出来れば、ベートーヴェンのソナタ全曲を時代別フォルテピアノで弾き分けられるよ」、と御教唆頂いたのが、そもそもの切っ掛けです。その時は絶句して終わったのですが、イアーゴーに囁かれたオセロのように、いつのまにか脳内で妄想が増殖しておりました。鍵盤楽器奏者として、ベートーヴェン作品はいやでも対峙しないといけない大テーマなので、このたび30代最後を迎えるにあたり、ピリオド楽器によるチクルスを敢行するに到った次第です。
武田氏は十数年前の日本財団時代に、メルヴィン・タンを招聘して、日本初のフォルテピアノによるベートーヴェン・ソナタ全曲シリーズを開催なさいました。このときは、全32曲の前半がワルター1800年、後半がグラーフ1827年の、2台のフォルテピアノで演奏されました。
Q. 今回のシリーズでは、フォルテピアノを合計9種類使われるとか。
A. ベートーヴェンの多彩な楽想をかんがみるに、私は少なくとも、5オクターヴ・5オクターヴ半・6オクターヴの3種類の音域、ならびにウィーン式のみならずイギリス式への眼差しが不可欠と考え、都合ソナタで6種類、交響曲で3種類の楽器を使い分けることに致しました。ソナタについては、《田園》までの17曲がウィーン式(A.シュタインとワルター)、それ以降の15曲はイギリス式(ジョーンズ=ラウンド、ムツィオ・クレメンティ、ジョン・ブロードウッド)です。音域が問題となる作品106《ハンマークラヴィア》では、ブロードウッドとマテウス・シュタインの2台を並べ、楽章毎に切り替えます。
楽器選択のポイントは、ベートーヴェンが「作曲作業時に使ったような」楽器、すなわち、作曲年よりも「少し前」に製造されたモデルを用いることです。 例えばアンドレアス・シュタインの楽器は、一般にはモーツァルト向きとされており、ベートーヴェン初期の作品2、7、13などのソナタは明らかに「積載オーヴァー」です。 しかし、A.シュタインで演奏してこそ、25歳のベートーヴェンの猛り狂うような革新性がより露わになります。 珍しい5オクターヴ半のイギリス式フォルテピアノで演奏された《ワルトシュタイン》や《熱情》では、その一杯一杯さ加減により、興味深いことに、あたかも産業革命の槌音、19世紀プロレタリアートの息吹が聴こえてくるかのようです。 そこから、バプティスト・シュトライヒャーやイグナツ・プレイエルへの線も、おのずと立ち現われるでしょう。
Q.フォルテピアノの発展に従って、ベートーヴェンの作風も変わっていたわけですね。
A. 実際に公演を重ねてみて改めて愕然とするのは、フォルテピアノの機構の変遷と、ベートーヴェンの筆致のあいだに、事実上ほとんど積極的連関が見られない点です。 バッハやクセナキスもそうですが、大作曲家の偉大な作品は、つねに「ヴァーチャル」だ、ということでしょう。 遺書をしたためるような絶望的状況でさえ、彼の覇気には一切影響しなかったわけですから。
Q. 使用するエディション(楽譜)は。
A. 初版譜と自筆譜を基本にしています。「すべてファクシミリを自分で筆写する」などという伝説が出回っているレオンハルトだって、現代の印刷譜のコピーを切り貼りして使っていたのを先日目撃しましたので、まぁお好み次第でしょう。 初版譜しかソースが無い場合など、モダン印刷譜では誤植や書き損じと判断されている箇所を、「音楽的誤植(l'Erratum Musical)」としてそのまま確信犯的に弾いてしまう楽しみもあります。
Q. フォルテピアノの演奏法は、どなたに師事を。
A. 誰にも習っておりませんし、習えるものでは無いと思います。 文字化された奏法論も目にしたことはありません。 レプリカでさえ、提示部を演奏時には眠っていた鍵盤が、再現部を弾く頃には目覚めていた、なんてことは茶飯事ですから、いわんやオリジナル楽器では、実に目まぐるしい臨機応変の処理が要求されます。
Q.Plaudite Amici (プラウディテ・アミーキー)というCDシリーズ名について。
A. ソナタと交響曲のディスクを通し番号にするため、CDシリーズ全体のタイトルが必要となりました。分離派美術館のクリムト作品から採った《ベートーヴェンフリース》だと「3期」という感じになってしまうし、有名なモットー「悩みを過ぎ越し歓喜へ(ドゥーヒ・ライデン・ツァ・フロイデ)」と江戸後期の関取を引っ掛けた駄洒落《ドゥルヒ雷電爲右エ門》では長すぎる。 いまわのきわの言葉「フィーニータ・コーモエディア(喜劇は終わった)」もロマン・ロランそのものなので、その前段、「諸君、喝采せよ(Plaudite, Amici)」、と相成りました。 深い意味はありません。
Q. 現代のピアノではなく、あえてフォルテピアノで演奏する利点とは何でしょう。
A. 我々日本人の舌は、いわゆる「風味の違い」を簡単に識別できますよね。 一度分かってしまうと、もうインスタントには我慢が出来なくなる。
現代のピアノにくらべて、ベートーヴェン当時のフォルテピアノは、打鍵した音の減衰が早いこと、そして、離鍵した音の余韻が長いことに特徴があります。 打鍵した音の減衰が早い、ということは、音の立ち上がりがクリアで、歌う、というより、むしろ語る・話すような音色となります。 音を切ったあとの余韻が長い(音切れが悪い)、ということは、レガート時のダンパーペダルはむしろ邪魔であり、スタッカートとレガートの中間領域を自由に往復できる、ということです。
ベートーヴェンの譜面は、明らかに上記のような特徴を持つ楽器のために書かれています。 重く鈍く濁った現代ピアノでは、出発点からしてハンデがあり過ぎます。 フォルテピアノで弾けば一挙解決、ということには当然なりませんが、「一歩近づく」ことは可能でしょう。 これは何もハイレベルの話をしているわけではありません。 ピアノ初心者の中学生でさえ、現代ピアノでベートーヴェンを弾く際、どことはしれず違和感を覚えることもあるようですから。
Q. 現代のピアノでバッハやベートーヴェンを弾くのは、意味が無いことなのでしょうか。
A. モダンピアノ奏者がフォルテピアノを弾くと指先から出て来るのはモダンピアノの音であり、フォルテピアノ奏者がモダンピアノを弾くとその逆となります。要は、奏者の頭の中で響いている音が指先からこぼれ出すだけですので、つづまるところインターフェースが何であるかは問題ではありません。
Q. 解釈面などで、ここをアピールしたい、聞きどころ、というところはありますか。 いわゆる古楽アプローチをなさっているわけでしょうか。 聴き手として何かを意識すべきでしょうか。
A. そのまんま、聞いてくれはったらええと思います。 ベートーヴェンが《英雄》初演時に、「実はこないだ遺書書きましてん」とか、講釈垂れたとは思えないし。
昨今、「古楽アプローチ」というと、表現上でのある種のバイアスを意味することが多いようですが、本来は「自分の頭で考えてみよう」、というムーヴメントなはずです。 「正調お古楽」の名取を目指して精進しようとは思いません。 ベートーヴェンが次から次へと繰り出すあの大胆不敵さにくらべれば、演奏家の弄する小細工などたかが知れています。
古楽的アプローチ面での特徴をあえて一つ挙げるなら、「クラヴィコード的」解釈を目指している点でしょうか。ベートーヴェンの「第一の鍵盤楽器」はクラヴィコードであり、フォルテピアノを演奏する際も、あくまでクラヴィコードのためのテクニックを敷衍させていったに違いありません。 そこに、ベートーヴェンのあの摩訶不思議な譜面を解く鍵があるように思われます。
Q. リスト編曲の交響曲は、まれにしか演奏されないですね。特に全曲となると。
A. この200年に書かれたピアノ曲で、内容的にベートーヴェンの交響曲を凌駕する音楽など存在しないので、さらうこと自体は「技巧の正しい使い方」に他なりませんが、それにしても10度しか手が広がらない私にとっては、実に厄介な譜面です。 敬遠されるのもむべなるかなです。 第1番~第4番で使用したバプティスト・シュトライヒャー1846年は、誠にベートーヴェンにぴったりの、いうなれば超スーパー最高級ベーゼンドルファー・インペリアルのような素晴らしい音色を持っていますが、事実上「ハンガリア狂詩曲」と同様の真っ黒な音符群を処理するには、タッチが高貴過ぎます。
華美な効果を目指したロマンチックな編曲、と批判する向きもありましょうが、ドイツ語を母語とし、ベートーヴェンと直接面識もあった人物が、ベートーヴェンの死後わずか20~30年しか経っていない頃に丹精込めて換骨奪胎したわけですから、百数十年後のモダン・オケあるいは古楽オケとくらべて、どちらが「オーセンティック」なのか、っちゅう話です。
Q. フォルテピアノのための新作委嘱について何か一言。
A. 全13回公演のうち9つの公演で、各々のソナタを作曲していた当時のベートーヴェンとほぼ同年齢の日本の若手作曲家の皆さんへ、各様式別のフォルテピアノのための新作をお願い致しました。 正体不明の楽器のためにマッチング・ポイントを探す(あるいは探さない)、という点で、ベートーヴェンと同じ土俵にあがってもらう企図です。 ベートーヴェンが如何にアヴァンギャルドに楽器を扱っていたかが、逆に炙り出された格好です。
Q. CDは全17巻が予定されているそうですが、全巻購入者には何か特典があるのでしょうか。
A. そのような神様のような御客様には、例えばクラヴィコードを持ち込んで、楽器の響板に顔を突っ込んでいただき、「定員一名」の演奏でもさせて頂ければと存じます。 古楽器は響板に顔を突っ込んで聴いてナンボ、で御座いますから。