山本裕之(やまもと・ひろゆき/作曲家)
1967年山形市生まれ、主に神奈川県で育つ。1992年東京芸術大学大学院作曲専攻修了。在学中、作曲を近藤讓、松下功の両氏に師事。これまでに第58回日本音楽コンクール第3位(1989)、現音作曲新人賞(1996)、BMW musica viva作曲賞第3位(ドイツ/1998)、武満徹作曲賞第1位(2002)、第13回芥川作曲賞(2003)を受賞。またフォーラム91(カナダ/1991)、ガウデアムス国際音楽週間'94(オランダ/1994)、ISCM世界音楽の日々(ルクセンブルク/2000、横浜/2001)など、様々な音楽祭に入選している。作品はLe Nouvel Ensemble Moderne、Ensemble Contemporain de Montréal、Trio Fibonacci(以上モントリオール)、Nieuw Ensemble、Calefax Reed Quintet(以上アムステルダム)、バイエルン放送交響楽団(ミュンヘン)、ルクセンブルク管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、東京シンフォニエッタ、ヴォクスマーナなど、各地の演奏団体等により演奏され、またラジオで放送されている。演奏家や演奏団体、放送局等からの委嘱を受けて作曲を行っている。
作曲家鈴木治行に誘われて1990年より作曲家集団『TEMPUS NOVUM』に田中吉史、横島浩、田村文生(1994年より)とともに参加、「実験・修行の場」とする。1996年より日本の若手作曲家を紹介するサイト『音ヲ遊ブ』を立ち上げ、現在に至る(http://japanesecomposers.info)。2002年ピアニスト中村和枝氏とピアノ+作曲ユニット『claviarea』を立ち上げ、コンサートの企画などを行う(現在に至る)。2003年、ポートレートCD『カンティクム・トレムルム』(fontec/FOCD2555)をリリース。最近は「秋吉台世代」(1989年より1998年まで開かれた「秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバル」に参加し、その後日本の現代音楽シーンにおいて重要な役割を果たしている作曲家諸氏)の一人として見られることが多いが、秋吉台に行ったのは高校時代の修学旅行だけである。
2002年第51回神奈川文化賞未来賞受賞。同姓同名のテノール歌手は別人。2003年から2009年まで盛岡市の岩手大学に勤めた後、現在愛知県立芸術大学准教授。NPO Glovill、Ensemble Contemporary αメンバー。名古屋市在住。
【主な作品リスト】(ピアノ・ソロ曲を除く)
ソニトゥス・アンビグースII Female-Vo.,Sax.,P./1996
インテグメントゥム Sop-Sax.,Cowbells/1996
北回帰線 Alt-Fl.,Bn.,Tp.,Perc.,Vn.,Va.,Db./1997
Eve I String-Quart./1997
カンティクム・トレムルムI Orch./1998
パルラータI~IV Tp./1999~2010
私に触れてはいけません Sax.&9-instruments/2000
無伴奏モノ・オペラ《想像風景》 Female-Vo=Performer (with Mobile-Phone & Flexatone)/2000
彼方と此方 Vn.,Vc.,P./2001
カンティクム・トレムルムII Orch./2001
マタイ受難曲受難 Musique Concrete/2002
層 Orch./2003
日本海モノディ Tp.,Vn./2004
チャムパの花 2-Mix-Cho.,P./2004
カッシーニ間隙 Gagaku/2005
モノディ協同体 Orch./2005
水の音 Vocal-Ens./2006
バビロンの流れを変えよ Wind-Orch./2007
カヤグムとオルガン Kayagum,Org./2008
イポメア・アルバ Euph.,P./2009
浜辺にて Sop.,Euph.,Hp.,Mute-P./2009
輪郭主義I Tuba,P./2010
インケルタエ・セディス String-Orch./2010

ピアノソロ曲は1993年以来8曲書いているわけだから、ピアノは私にとって重要な、もしくは縁のある楽器ということになる。今回の数年おきに書かれているピアノ曲のラインナップをみると、その時々で私が何に興味を持って作曲していたのかがよくわかる。まるで日記をひもとくようなものだ。以下のノートは、その日記を自分以外にも判るように翻訳したようなものといえる。なおそれぞれ記録的意味を込めて、「作曲年月日、初演日時・場所、委嘱者・献呈者」を付記しておくが、作曲年月日は私の場合スケッチが終わった日付であり、実際にはその後修正と浄書を経て演奏者に渡されるのが常である。
●東京コンチェルト Tokyo Concerto(1993)
作曲当時、私はまだ習作期を脱してなく(芸術大学を出たばかりのぺーぺーであった)、自作品リストに載せてあるこの時期の数少ない曲の1つである。作曲時にバロックコンチェルトの、特に協奏や競争ではなくソロとグロッソの音密度の対比について興味を持っていたことから、それをテーマとした作品をいくつか書いていた。タイトルはJ.S.バッハの《イタリア協奏曲》から拝借しているが、リトルネロ形式にはなっていない。初演時のプログラム・ノートから。「『協奏曲』という名を冠して、楽器の数ではなく一人のピアニストの手によって密度の対比が語られることも、充分有り得て良いのではないだろうか。」その対比は、右手の協和音程と左手の不協和音程によって表現されている。1993年5月4日作曲、同年7月4日初演・榎坂スタジオ(東京都港区)、大井浩明氏委嘱初演・同氏に献呈。
(1995年より現在に至るまで、私は「音は曖昧である、だから音楽は曖昧である」という考え方により曲を作り続けているが、もちろん時期によってその作曲への反映の仕方は変わっている。)
●フォールマ Forma(1996)
古典的な四和音のアルペジオとその断片がまくしたてられるように弾かれるが、それらは粒として聴かれる余地をだんだん奪われ、集合し融合し、新しく「曖昧な楽音」として形成される(ちなみにタイトルはラテン語で「成り立ち」を意味する)。この「素早いアルペジオ」は、「楽音の不明瞭化」のための手法のひとつとして、この作品を機に数年間使いまわし続けた。本作品で第13回現音作曲新人賞を受賞、その後中村和枝氏が自身のCD『to you from...』(fontec, FOCD2555)に収録している。1996年8月12日作曲、同年11月21日初演・上野学園エオリアンホール(東京都台東区)、渋谷淑子氏初演。
●月の役割 Pars lunae(1999)
細かい音符群で構成されている点はFormaと同じだが、音の最小構成単位が「音符」ではなく、ペダルでひとまとめにした「音響」と定義する意識がより強い(ちなみにFormaはペダルを用いない)。音はそもそも曖昧な存在なのだから、音符というデジタル記号を基本構成要素と考える根拠はない、という粋がった考えで書いた。1999年12月31日作曲、2000年9月29日初演・すみだトリフォニー小ホール(東京都墨田区)、中村和枝氏委嘱初演・同氏に献呈。
●テレプシコーレ舞踏者 Saltatrix e Terpsichore(2000)
井上郷子氏の委嘱。タイトルは曲が完成した後に考えられたものなので、音楽との直接の関連はない。ただし舞曲として書いたつもりはなくとも、この曲がわれわれが知る文化の外にある舞踏にフィットする音楽の候補たりえるのではないか、という空想の遊びは可能である。その「たとえ」として17世紀にM.プレトリウスが作曲・編纂した舞曲集からタイトルを借用した(もちろん17世紀独逸の舞曲がこういうものだったはずはない)。2000年10月30日作曲、2001年2月17日初演・バリオホール(東京都文京区)、井上郷子氏委嘱初演・同氏に献呈。

(このあと、私は中村和枝氏と「claviarea」というユニット活動に入り、現在に至るまで幾つかのピアノリサイタルを企画することになる。その中で発表した何曲かの作品は、ちょうど私の音楽的スタイルの変化に沿ってそれまでとは少し違う顔を見せている。)
●足の起源 I Origo pedum I(2002)
●足の起源II Origo pedum II(2004)
ピアノのメカニックな側面を意識した作品。ペダルの作り出す軋みや機械的ノイズは、弦の残響操作など音色を多彩にするペダル本来の目的と二律背反の関係にある。ペダルノイズは建前としてはない方が良いので、一般的には楽音として認識されることもなく「裏の音」としての地位に甘んじているわけだが、その立場を少しだけ上げてみようというのがこの曲の趣旨。ペダルノイズの中にはかなり小さいものもあるので、理想的にはピアノのすぐ近くで聴くのがよい。《足の起源 I》は2002年6月19日作曲、同年7月20日初演・門仲天井ホール(東京都江東区)、中村和枝氏初演。《足の起源 II》は2004年6月29日作曲、同年7月25日初演・門仲天井ホール(東京都江東区)、中村和枝氏初演。
●ハウス・カスヤのための音楽 Musique pour Haus Kasuya(2005)
横須賀にあるカスヤの森現代美術館(ハウス・カスヤ)でclaviareaの公演を行ったときに書き下ろした作品。美術館には今でもこの楽譜が飾ってある(と思う)。この頃からは私の現在の作曲法である、一つの線に様々なリズムやずれたピッチが施されることにより、焦点が曖昧になっていく手法(これを私は『モノディ』と呼んでいる)を用いているが、この曲もそのように書かれている。わずか2ページの短い音楽である。2005年3月11日作曲、同年4月23日初演・カスヤの森現代美術館(神奈川県横須賀市)、中村和枝氏初演・カスヤの森現代美術館に献呈。
●東京舞曲 Tokyo Dance(2010)
チラシ印刷の都合からアイデアよりタイトルが先に決まったので、「舞曲」をキーワードに作曲を進めた。その中で私が意識したことは「舞曲らしくところどころ印象的な時間を作る」ことと「印象的な部分を不明瞭にする」ことだった。その結果、なんとも説明しにくい作品に仕上がった。フォルテはまったく出てこない。2010年9月15日作曲、同年10月16日初演・門仲天井ホール(東京都江東区)、17年の時を経て再び大井浩明氏委嘱初演・同氏に献呈。