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11/13(土)POC第3回公演/塩見允枝子氏 作品解説

Shadow Piece
Make Shadows - still or moving - of your body or something on the road, wall, floor or anything else.
Catch the shadows by some means.
1963


Boundary Music
Make the faintest possible sound to a boundary condition whether the sound is given birth to as a sound or not. At the performance, instruments, human bodies, electronic apparatus or anything else may be used.
1963


Fluxus Performance Workbook (on web)

37 Short Fluxus Films (1962-1970)(on web)


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プロフィール
  1961年東京芸術大学楽理科卒業。在学中より小杉武久氏らと「グループ・音楽」を結成。即興演奏やテープ音楽の制作を試みる。グループ・インプロヴィゼーションは、次第にアクション・ミュージックやイヴェントへと移行し、それは図らずも世界的な傾向と一致していた。1964年ニューヨークへ渡り、フルクサスの活動に参加。同年10月ワシントン・スクエアー・ギャラリーでイヴェント作品によるソロ・リサイタルを開催。65年、郵便によって地球をステージとした遠隔共同パフォーマンス「スペイシャル・ポエム」のシリーズを開始。75年までに9つのイヴェントを行う。一方、イヴェントを舞台上のパフォーマンスとしても発展させ、インターメディア作品へと至る。70年に結婚して大阪へ移住。以後しばらくは、関西を中心に音と詞による室内楽作品を多数発表。
  90年ヴェニスのフルクサス・フェスティヴァルに招待されたことを契機に、フルクサスの仲間たちとの交流が再開し、90年代は欧米の数々のフェスティヴァルやグループ展に参加。95年パリ、98年ケルンで個展。同時に国内では、電子テクノロジーに興味を持ち、藤枝守・佐近田展康氏らの協力の下、神戸ジーベックで「メディア・オペラ」、「フルクサス・メディア・オペラ」などのコンサートを企画・演奏。96年には、<東京の夏>音楽祭「世界の女性作曲家」に推薦され、高橋アキ氏の委嘱による「時の戯れ Part II」を自選作として再演。97年神戸国際現代音楽祭では、ブック・オブジェクトから平面作品やパフォーマンスを経て50分の室内楽として作曲した「日食の昼間の偶発的物語#1~#3」を初演。1999年北上市で開催された「「日独ヴィジュアル・ポエトリー展」に参加。以後このジャンルの国内外の展覧会に出品。
  2001年5月国立国際美術館で裁判形式による複合パフォーマンス「フルクサス裁判」を構成・共演。同年11月「日本の作曲・21世紀へのあゆみ:前衛の時代1~ジョン・ケージ上陸」で過去のイヴェント作品を舞台音楽に作曲初演。2004年3月ジーベックにピアニスト井上郷子氏を招き、近藤譲氏との二人展「線の音楽・形の音楽」を企画。同年5月フルクサスの友人ベン・パターソンの来日公演をマネージメント・共演。2005年には、自伝的著書「フルクサスとは何か」をフィルムアート社から出版。一方、うらわ美術館でのフルクサス展を初め、大学などでフルクサスのレクチャーやワークショップを行う。2008年豊田市美術館でのグループ展「不協和音」には、音楽的コンセプトを持つ多数のヴィジュアルな作品を展示。
  2009年より再び作曲に戻り、ピアノ曲や、イヴェント性のあるチェロ、ハープのためのソロ作品を書いて現在に至る。なお、過去の出版物やオブジェクトなどは、ニューヨーク近代美術館を始め、国内外の多数の美術館やアーカイヴに収蔵されている。
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【主要音楽作品】
「ファントーム」1978 
「鳥の辞典」1979 
「もし我々が五角形の記憶装置であったなら」1979 
「午後に 又は 夢の構造」1979 
「草原に夕陽は沈む」1981 
「パラセリー二」1981 
「時の戯れ」1984 
「グロビュールの詩」1988 
「時の戯れ Part Ⅱ」1989 
「ジョージ・マチューナスへの鎮魂曲」1990 
「ピアニストのための方向の音楽」1990 
「グランド・ピアノのためのフォーリング・イヴェント」1991 
「ピアノの上のビリヤード」1991 
「そして夜鶯は翔んだ」1992 
「時の思索」1992 
「日食の昼間の偶発的物語」1997 
「カスケード」1997
「アンコールの伝言」1998 
「鏡の回廊」1998 
「パラボリック」1998 
「月食の夜の偶話 ・第一話」1999 
「彩られた影」2002 
「架空庭園No.1 – No.3」2009 
「チェロのための6つの小品」2010 
「ハーピストのための方向の音楽」2010
など。


【CDソロ・アルバム】
「フルクサス組曲―80名についての音楽的辞典」2002 Edition Hundertmark
「Satoko Plays Mieko Shiomi」2005 Edition Hundertmark
「音と詞の時空」2010 fontec

『フラクタル・フリーク』について
  フラクタル理論を初めて知ったのは、1995年パリのドンギュイ画廊でインタヴューを受けていた時のことである。フルクサスの過去のイヴェント作品とフラクタル理論との類似性を、あえて探ろうとしていた評論家A氏の解説に、その時は大した興味も持てなかったのだが、それから程なくして「鏡の伝説」という本の中で、思いがけなくその理論に生々しく再会することになった。あらゆるディテールに同じ情報が入っている、言い換えれば、ミクロの世界もマクロの世界も同じ構造で出来ている、というような記述は、私の想像力を、それこそ一粒の原子の中からシダの葉を突き抜けて、宇宙空間へと一気に広げてくれた。この視点のダイナミックな飛躍が、まず衝撃的だった。そして、フラクタル構造を持つ図形をコンピュータ上で作るには、Zの2乗+Cの解をZに反復代入すればよいというくだりでは、自己代入という手法から、音楽的なフレーズがどこまでも増殖し、立体的に伸びていく様を連想した。とりわけ印象的だったのは、海岸線など複雑に入り組んでいる線上の二点間の距離を測るとき、凹凸のどの程度の細かさまで計測するかで、出てくる値はすっかり異なってくるが、それをフラクタル次元で表すと正確に表現できる、という部分だった。この理論は、音楽理論の様々なフェーズに応用できるのではないか!と、とっさに閃いた。なにしろ当時は、一本の樹のようにそれ自体が内包する法則でもって自律している音楽、人間の恣意的な表現を超えた、自然そのもののような音楽を目指している時期だったから。

  四曲からなるこの曲集では、一曲毎に異なった角度から、この理論を応用・発展させた訳だが、それらはあくまで建造物の中の隠れた骨組みのようなものであり、感覚的に聴きとれる場合と、そうでない場合があるだろう。第1番から第3番までは、井上郷子さんからの委嘱で書いた。因みに、タイトルの「フリーク」とは「出来損ない」の意味。フラクタルとしては不完全でも、願わくば、音楽としては出来損ないでないことを!
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No.1カスケード CAsCAde (1997)
  タイトル中の大文字が示すように、様々な音域のCからAへと一定のリズムで下降するフレーズが連なる。それらは繰り返される度に異なった道筋を辿って一音ずつ長くなり、又、響きも単音から次第に複雑な前打音を伴った和音へと厚みを増していく。それは変奏というより、単純な画像が次第にブレて、色彩を伴って多層的に重なっていく、といった視覚的なイメージに近い。全体の構造は、二つの相似形となっているが、最後の単音による下降フレーズは、第3のより大きな相似形の始まりであり、この曲が無限に続いていることを暗示している。

No.2 鏡の回廊 A Mirror Cloister (1998)
  この曲では、同じ情報が次元の異なるあらゆる細部に含まれるという原理を、音程関係と時間に変換してみた。まず、鍵盤上に13個の架空の鏡を等間隔に置いたと仮定すると、13種の音域で、鏡を中心に上下に同じ幅で広がる音列や和音が得られる。すべてのフレーズは、そうした音階のいずれかで出来ている。又、最後の部分では、時間の中に複数の鏡を置くことで、フレーズは何度も折れ曲がって過去に遡る.丁度、鏡張りの回廊を曲がる度に、通り過ぎた風景が逆さまに映し出されるように。

No.3 パラボリック Parabolic (1998)
  パラボリックとは、「放物線の」という意味。タイトルの通り大小の放物線状のパターンが、時にはゆったりと、時にはネズミ花火のように素早く乱舞する。これら一見、乱雑に入れ乱れる放物線の群れも、一つひとつは厳密な音程関係の約束事に従っている。
  即ち、一つの音から次の音へ向かう場合、上向するときは、それ以前の音程と同じかそれよりもさらに狭い音程をとり、下降するなら逆に、同じかより幅広い音程をとる、という非常に単純な原理に。

No.4 彩られた影 Animated Shadows (2002)
  ペダルなしのオクターヴで弾くシンプルな構造体と、その影として投影されるフレーズとの立体的構成。音数・音域共に拡大していくオクターヴの断片は、影によって頻繁に中断されるものの、全体としては一つの大きな構造物であるというイメージのもとに、常に前の断片の最後の音から始まる。丁度、角度をずらせて写真を撮り、それらをつなぎ合わせてパノラマを作る時のように。一方、影として伸びるフレーズは、現実の影が元の物体の形を歪めながらもその特性を保持するように、本体のリズムやパターンの特徴を引き継ぎながら展開する。影は初めのうちこそ平面的・静的であるが、次第に音楽的アニマを得て狂奔し、主客転倒して、遂には本体の断片をもその中に取り込む。
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午後に 又は 夢の構造 (1979)
   60年代の終わり頃、音、光、詞、映像、物体、人体の動きなど、あらゆる素材を用いた大掛かりなインターメディア・アートに邁進した後、再びスリム化を目指して、音と詞だけを対象にしていた頃の作品である。先ずは別紙の対訳をご参照頂きたい。
   この曲では詞と音とは対等な関係にあり、一方が他方を説明したり補足したりするものではない。詞は、夢の中の出来事のように、時には関連性を持ち、また時には無関係に飛躍しながら展開する。さらに、VやPなど同じ子音から始まる単語が連なる部分では、言葉はイメージの乱射の果てに意味を半ば失い、単なる音声としてピアノと対等なリズムを刻む。一方、ピアノのパートには、ゆったりとした幅広い和音、ランダムな分散クラスター、モースル信号のリズム、上向グリッサンドなどいくつかの特徴的なパターンが繰り返し現れ、それらは詞の展開とも連動している。
   この詞のナレーションは、初演ではピアニスト自身が行なった。その後の演奏では、ナレータが脚立の上に腰かけて行なったり、或いは、ピアニストがペダルを踏むことで合成音声がスピーカーから聞こえてくる、というようなシステムを組んで行なったこともある。ナレーターがテキストを朗読する場合には、ピアニストより空間的に高い所に位置した方がよい。何故なら、これはピアニストが弾きながら見ている夢、という設定でもあるから。

シャドウ・ピース+バウンダリー・ミュージック(1963/2010)
  〈Shadow Piece〉・・・「● 路上、壁、床その他任意の場所へ自分の体か他の何かの物体の―それは静止していても動いていてもよいーを作ること。 ● 何かの方法でそのを捕まえること」
  + 〈Boundary Music〉・・・「●自分が演奏する音を、それが音として生まれるか生まれないかの境界の状態にまで、できるだけ微かにすること。演奏に際しては、楽器、人体、電気的装置、その他何を用いてもよい」

  これらは共にフルクサスから出版されているイヴェント作品であるが、当時の作品はインストラクションが単純で、多様な演奏の可能性を秘めているために、現在でもいろんな解釈が試みられている。特に最近は、二つの曲を同時に行ったり、時間を逆行させたりというように、かなりソフィスティケイトされたことも行なわれているという。今回は、〈Boundary Music〉を演奏するピアニストのを、作曲家の伊左治さんが捕まえるのだそうだ。果たして、どのようにして影を捕まえるのだろうか? それは見てのお楽しみ。

(写真提供/塩見允枝子・Xebec Hall)
by ooi_piano | 2010-10-31 14:42 | コンサート情報 | Comments(0)

12月7日(土)〈暴(あら)ぶるアルバン・ベルク〉


by ooi_piano