伊左治直 Sunao ISAJI, composer
1968年生まれ。
1989年、東京音楽大学に入学。一年先輩の福島康晴、桐朋学園大学の同期にあたる杉山洋一、新垣隆らと出会い、学内にてワークショップを重ねる。その発展形として1991年〜2000年まで現代音楽祭「冬の劇場」を主宰。また同時期、片岡祐介、岡野勇仁らと度々、即興演奏をする。
1990年、最初の作品、《Heterochromia/残絲》(vl.pf)を作曲。その後の活動の原点ともいえる。
1995年、東京音楽大学大学院修士課程修了。在学中、作曲を西村朗、中世西洋音楽史を金澤正剛の各氏に師事。
1996年、最初の個展「原口統三没後50年祭—伊左治直個展」を開催。
1998年、打楽器アンサンブルのための《南蛮トリプル》作曲。打楽器が自分の中で重要な位置を占める契機となった作品。
1997年、水戸芸術館の「日本の実験音楽1960s」での一柳慧《サッポロ》に参加。ちなみに担当楽器欄には(一柳氏により)「アクション」と記載されていた。
1999年、サントリーホール国際作曲家委嘱シリーズ「湯浅譲二」にてフルート協奏曲《畸形の天女/七夕》が招待演奏。
2000年、ラジオオペラ「密室音響劇《血の婚礼》」(F・ガルシア・ロルカ原作)制作。
2001年、日本の作曲21世紀への歩み第16回「音楽の前衛I〜ジョン・ケージ上陸」(紀尾井ホール)にて、アート・ディレクター。武満徹、一柳慧、黛敏郎、塩見允枝子らの図形楽譜、パフォーマンス作品をリアリゼーションし、全体を一つの作品となるよう再構成する。また、この頃より、ブラジル音楽や古い日本の童謡などを独自にアレンジし、犬塚彩子(vo. guit.)、北口大輔(vc.)らと代官山(後、公園通りに移転)クラシックスでライブ活動を始める。このライブに来場した野村誠と初めて会う。
2002年、2 度目の個展「南蛮夜会—伊左治直個展」開催。この年、日韓W杯でブラジル代表が、まさかの優勝。
2003年、ジャック・タチ映画祭「プレイタイム」70mm版プレミア上映会(渋谷パンテオン)にてオープニングライブ。
2005年、サントリー音楽財団コンサート「対話する作曲家—伊左治直」(大阪いずみホール)開催。ここでは自作品、《マイザレーム》《ディオラマ》《魔法の庭》《機械の島の旅(夜明け)》《空飛ぶ大納言》とともに、ブラジル音楽よりジョアン・ボスコ《酔っぱらいと綱渡り芸人》、カエターノ・ヴェローゾ《サンバがサンバであったときから》ホベルト・カルロス《君の巻き髪のもとで》をアレンジしたものを加え、一つの舞台作品として構成した。
2006年、いずみホール&紀尾井ホール共同委嘱作品《綱渡りの娘、紫の花》の初演。この作品は《酔っぱらいと綱渡り芸人》とブラジルに咲く紫の桜、ジャカランダからイメージされた。
このほか、NHK-FM「現代の音楽」での特集放送(95年、00年、09年)。合唱団VOX HUMANAの委嘱初演(06年、08年)および定期公演アンコールピースの作曲(09年より継続中)。現代音楽祭「Music from Japan」参加(03年、10年)など。
91年、第60回日本音楽コンクール1位なしの第2位(室内楽作品)、93年、第9回現音作曲新人賞、94年代63回日本音楽コンクール第1位(オーケストラ作品)、95年、第5回芥川作曲賞、98年、第8回、出光音楽賞など受賞。
CD
「熱風サウダージ劇場」(FOCD-2565)
《綱渡りの娘、紫の花》《機械の島の旅(夜明け)》《橋を架ける者》《フィネガン前夜祭》《墜落舞踏綺奏曲》《ゆっくり蛇の足》《テューバ小僧》《THE》収録。本来独立している各作品を「熱風サウダージ劇場」という一つの組曲としてイメージし、構成。
「南天夢譚—ジャック・タチの優しい夜」
完全自主制作。ジャック・タチの映画全作品のサントラからのアレンジに、名作《ぼくの伯父さん》日本公開時(1958年)に日本語歌詞が付けられた幻の歌謡曲(しかも2曲も存在した)の発掘再アレンジ等を加え、アルバム一枚をタチ・ワールドとして構成。 http://homepage2.nifty.com/officesasaki/tati/nanten.html
「黒船以来〜日本の吹奏楽150年の歩み」(KICC407/408)
《英国歩兵連法〜信号喇叭「早足」》などから《軍国に踊るリズム》、《カン・カン・ムスメ・マーチ》(ドラム演奏はフランキー堺!)、《万国博マーチ》などを経て、伊左治作品《南蛮回路》までの吹奏楽150年をたどるCD。
「ユーフラテスの響き」(KOCD2528)
ユーフォニアム奏者、外囿祥一郎氏の委嘱作品《ワクワク島周遊記》が収録。
「Racoondog」(ZIP-0028)
甲斐史子さん(vl.)、大須賀かおりさん(pf.)のデュオ、“ROSCO”のCDへ、中山晋平作曲《証城寺の狸囃子》を書き下ろし編曲、収録。めでたくタイトルチューンとなった。ちなみに、わたしと(作詞の)野口雨情とは誕生日が同じ。
伊左治直の音楽 ――――――――――野村誠
伊左治直という作曲家がいる。若い頃から数々の賞を受賞し、自ら「冬の劇場」を主宰し、アクティヴに活動する現代音楽の旗手として知られる。そういった 伊左治直を、野村誠という偏った視点で論じてみよう、というのが、今回のお題目なので、一度、数々の経歴はリセットして、ぼく自身が体験した 伊左治直について書いてみようと思う。
伊左治直を初めて知ったのは、1992年頃だと思う。大井浩明から、1968年生まれの作曲家を集めたコンサートの企画を持ちかけられた。企画書の中には、伊左治直、田中吉史、夏田昌和、野村誠ほか、数多くの68年生まれの作曲家の名前があがっていた。その中で、ぼくの企画は、歩行器にスライドや鍵盤ハーモニカを載せて行うパフォーマンス色の強い作品で、伊左治直もピンポン球を使用するパフォーマンス性の高い作品を提示していた。その当時、ぼくもピンポン球をスチールドラムや大太鼓と組み合わせるパフォーマンスを行っていたこともあって、彼の作品に興味を抱いたが、企画は実現せず、彼との出会いは、ずっと先になる。
伊左治直と出会い親しくなったのは、21世紀の初め頃だ。ぼくの「しょうぎ作曲」のプロジェクトにも、何度か参加してもらい、作曲家としてというより、クリエイティヴ・パフォーマーとしての関わりと言った方が良いかもしれない。そんな折、音楽家の友人たちが集まってボサノヴァのライヴをする時、ぼくは鍵盤ハーモニカを持って遊びに行ったが、その時にピアノを弾いたのが、伊左治直だった。そして、彼のアレンジによる「大きな古時計」を体験した。それは、まさしく体験だった。彼の繊細のピアノの音色がポロン、ポロン、と響きながら、延々とイントロ部分が続いていく。景色を微妙に変えながら、心地よくありながら、しかし、不安定に進んでいく音楽。ずーっと着地することなく浮遊し続けた音楽が、10分近く経った時に、ようやく着地し、あの良く知られた「大きなのっぽの古時計」という歌が始まった時、背筋が凍りつくような瞬間に遭遇した。古時計が味わった100年間が凝縮されたこの音楽は何だろう?そして、この着地点を知らずに浮遊し続ける不安定さ、そして、突如、異界の景色が立ち現れるあざやかな着地、これこそが伊左治直という才能なのだ、ということを思い知った。
その後、彼の所謂「現代音楽」作品に出会った時にも、この不安定に浮遊する音楽を体験することができた。飛んでいくわけでもない。落ちていくわけでもない。浮遊するのだ。この浮遊感が、本当に独特なのだ。例えば、「空飛ぶ大納言」という作品。空を飛ぶというよりも、浮遊するという感覚の方が近いと思うのだ。高所恐怖症で飛行機やジェットコースターが苦手なぼくも、彼の音楽で浮遊するのは、大好物になった。
この浮遊する感覚を生み出すために、彼の音楽は常に重力から自由でなければならない。古典的な主和音に帰結するという調性音楽の重力、いつも同じ強迫が繰り返されるビートという重力、一つのコンセプトに集約される様式の重力。これらの重力から、常に自由でいるにはどうしたら良いか?それこそが、 伊左治直の格闘なのだと思う。
こうした重力から解放されるための様々な試みは、20世紀の現代音楽で随分試行錯誤されたのだと思う。「調性音楽」の重力から解放されるべく「12音技法」が編み出されたり、「ビート」の重力から解放されるべく不規則な音価の音楽が編み出され、「様式」の重力から解放されるべくポストモダンの音楽が試行錯誤を繰り返した。しかし、その結果、かえって不自由になっていくことが、20世紀の現代音楽には非常に多かったように、ぼくは思う。
しかし、伊左治作品は、意識的にシステマティックに無重力状態を作ろうなどとは決してしない。逆の発想なのだ。重力が存在しているからこそ、浮遊への欲望が生まれるのだ!中心が存在するからこそ、人は浮遊を夢見るのだ。重力が存在しなくなれば、全てが相対化されて、浮遊という概念自体が意味をなさなくなってしまうから。
彼の音楽の浮遊感は、こうした重力の存在を大前提に成立する。しかし、調性だったり、拍節だったり、様式だったり、既存のシステムに、少しでも安直に根を下ろしてしまえば、浮遊感は瞬く間に消えてしまい、大地に根付いた陳腐な音楽になってしまうだろう。そうした際どさを、絶妙なバランスで巧みな肩すかし、実現する。それが、伊左治直の本領なのだと思う。このバランスは、本当に微妙なので、細部まで緻密に実現しなければ、いとも簡単に重力に回収されてしまう。だから、彼の作品は非常に繊細で、しかしながら、力強い。
それは、この世界に存在する権威などに、真っ向から抗うのではなく、しかし、権威に回収されずに、浮遊し続ける生き方とでも言える。これこそが、伊左治作品の強さであり、真の自由への探求だとぼくは思う。
伊左治直の音楽を聴きに行こう。彼の音楽に触れれば、論理的な思考などあっという間に吹っ飛び、気がつくと、彼の音楽に身を委ね、浮遊し始めるだろう。こうした音楽的浮遊が体験できたことに、ぼくは自由を獲得する勇気をもらう。今度は、ぼくの番だ。ぼくはぼくのやり方で、自由への更なる一歩を踏み出し続けていこうと思う。
1968年生まれ。
1989年、東京音楽大学に入学。一年先輩の福島康晴、桐朋学園大学の同期にあたる杉山洋一、新垣隆らと出会い、学内にてワークショップを重ねる。その発展形として1991年〜2000年まで現代音楽祭「冬の劇場」を主宰。また同時期、片岡祐介、岡野勇仁らと度々、即興演奏をする。
1990年、最初の作品、《Heterochromia/残絲》(vl.pf)を作曲。その後の活動の原点ともいえる。
1995年、東京音楽大学大学院修士課程修了。在学中、作曲を西村朗、中世西洋音楽史を金澤正剛の各氏に師事。
1996年、最初の個展「原口統三没後50年祭—伊左治直個展」を開催。
1998年、打楽器アンサンブルのための《南蛮トリプル》作曲。打楽器が自分の中で重要な位置を占める契機となった作品。
1997年、水戸芸術館の「日本の実験音楽1960s」での一柳慧《サッポロ》に参加。ちなみに担当楽器欄には(一柳氏により)「アクション」と記載されていた。
1999年、サントリーホール国際作曲家委嘱シリーズ「湯浅譲二」にてフルート協奏曲《畸形の天女/七夕》が招待演奏。
2000年、ラジオオペラ「密室音響劇《血の婚礼》」(F・ガルシア・ロルカ原作)制作。
2001年、日本の作曲21世紀への歩み第16回「音楽の前衛I〜ジョン・ケージ上陸」(紀尾井ホール)にて、アート・ディレクター。武満徹、一柳慧、黛敏郎、塩見允枝子らの図形楽譜、パフォーマンス作品をリアリゼーションし、全体を一つの作品となるよう再構成する。また、この頃より、ブラジル音楽や古い日本の童謡などを独自にアレンジし、犬塚彩子(vo. guit.)、北口大輔(vc.)らと代官山(後、公園通りに移転)クラシックスでライブ活動を始める。このライブに来場した野村誠と初めて会う。
2002年、2 度目の個展「南蛮夜会—伊左治直個展」開催。この年、日韓W杯でブラジル代表が、まさかの優勝。
2003年、ジャック・タチ映画祭「プレイタイム」70mm版プレミア上映会(渋谷パンテオン)にてオープニングライブ。
2005年、サントリー音楽財団コンサート「対話する作曲家—伊左治直」(大阪いずみホール)開催。ここでは自作品、《マイザレーム》《ディオラマ》《魔法の庭》《機械の島の旅(夜明け)》《空飛ぶ大納言》とともに、ブラジル音楽よりジョアン・ボスコ《酔っぱらいと綱渡り芸人》、カエターノ・ヴェローゾ《サンバがサンバであったときから》ホベルト・カルロス《君の巻き髪のもとで》をアレンジしたものを加え、一つの舞台作品として構成した。
2006年、いずみホール&紀尾井ホール共同委嘱作品《綱渡りの娘、紫の花》の初演。この作品は《酔っぱらいと綱渡り芸人》とブラジルに咲く紫の桜、ジャカランダからイメージされた。
このほか、NHK-FM「現代の音楽」での特集放送(95年、00年、09年)。合唱団VOX HUMANAの委嘱初演(06年、08年)および定期公演アンコールピースの作曲(09年より継続中)。現代音楽祭「Music from Japan」参加(03年、10年)など。
91年、第60回日本音楽コンクール1位なしの第2位(室内楽作品)、93年、第9回現音作曲新人賞、94年代63回日本音楽コンクール第1位(オーケストラ作品)、95年、第5回芥川作曲賞、98年、第8回、出光音楽賞など受賞。
CD
「熱風サウダージ劇場」(FOCD-2565)
《綱渡りの娘、紫の花》《機械の島の旅(夜明け)》《橋を架ける者》《フィネガン前夜祭》《墜落舞踏綺奏曲》《ゆっくり蛇の足》《テューバ小僧》《THE》収録。本来独立している各作品を「熱風サウダージ劇場」という一つの組曲としてイメージし、構成。
「南天夢譚—ジャック・タチの優しい夜」
完全自主制作。ジャック・タチの映画全作品のサントラからのアレンジに、名作《ぼくの伯父さん》日本公開時(1958年)に日本語歌詞が付けられた幻の歌謡曲(しかも2曲も存在した)の発掘再アレンジ等を加え、アルバム一枚をタチ・ワールドとして構成。 http://homepage2.nifty.com/officesasaki/tati/nanten.html
「黒船以来〜日本の吹奏楽150年の歩み」(KICC407/408)
《英国歩兵連法〜信号喇叭「早足」》などから《軍国に踊るリズム》、《カン・カン・ムスメ・マーチ》(ドラム演奏はフランキー堺!)、《万国博マーチ》などを経て、伊左治作品《南蛮回路》までの吹奏楽150年をたどるCD。
「ユーフラテスの響き」(KOCD2528)
ユーフォニアム奏者、外囿祥一郎氏の委嘱作品《ワクワク島周遊記》が収録。
「Racoondog」(ZIP-0028)
甲斐史子さん(vl.)、大須賀かおりさん(pf.)のデュオ、“ROSCO”のCDへ、中山晋平作曲《証城寺の狸囃子》を書き下ろし編曲、収録。めでたくタイトルチューンとなった。ちなみに、わたしと(作詞の)野口雨情とは誕生日が同じ。
伊左治直の音楽 ――――――――――野村誠
伊左治直という作曲家がいる。若い頃から数々の賞を受賞し、自ら「冬の劇場」を主宰し、アクティヴに活動する現代音楽の旗手として知られる。そういった 伊左治直を、野村誠という偏った視点で論じてみよう、というのが、今回のお題目なので、一度、数々の経歴はリセットして、ぼく自身が体験した 伊左治直について書いてみようと思う。
伊左治直を初めて知ったのは、1992年頃だと思う。大井浩明から、1968年生まれの作曲家を集めたコンサートの企画を持ちかけられた。企画書の中には、伊左治直、田中吉史、夏田昌和、野村誠ほか、数多くの68年生まれの作曲家の名前があがっていた。その中で、ぼくの企画は、歩行器にスライドや鍵盤ハーモニカを載せて行うパフォーマンス色の強い作品で、伊左治直もピンポン球を使用するパフォーマンス性の高い作品を提示していた。その当時、ぼくもピンポン球をスチールドラムや大太鼓と組み合わせるパフォーマンスを行っていたこともあって、彼の作品に興味を抱いたが、企画は実現せず、彼との出会いは、ずっと先になる。
伊左治直と出会い親しくなったのは、21世紀の初め頃だ。ぼくの「しょうぎ作曲」のプロジェクトにも、何度か参加してもらい、作曲家としてというより、クリエイティヴ・パフォーマーとしての関わりと言った方が良いかもしれない。そんな折、音楽家の友人たちが集まってボサノヴァのライヴをする時、ぼくは鍵盤ハーモニカを持って遊びに行ったが、その時にピアノを弾いたのが、伊左治直だった。そして、彼のアレンジによる「大きな古時計」を体験した。それは、まさしく体験だった。彼の繊細のピアノの音色がポロン、ポロン、と響きながら、延々とイントロ部分が続いていく。景色を微妙に変えながら、心地よくありながら、しかし、不安定に進んでいく音楽。ずーっと着地することなく浮遊し続けた音楽が、10分近く経った時に、ようやく着地し、あの良く知られた「大きなのっぽの古時計」という歌が始まった時、背筋が凍りつくような瞬間に遭遇した。古時計が味わった100年間が凝縮されたこの音楽は何だろう?そして、この着地点を知らずに浮遊し続ける不安定さ、そして、突如、異界の景色が立ち現れるあざやかな着地、これこそが伊左治直という才能なのだ、ということを思い知った。
その後、彼の所謂「現代音楽」作品に出会った時にも、この不安定に浮遊する音楽を体験することができた。飛んでいくわけでもない。落ちていくわけでもない。浮遊するのだ。この浮遊感が、本当に独特なのだ。例えば、「空飛ぶ大納言」という作品。空を飛ぶというよりも、浮遊するという感覚の方が近いと思うのだ。高所恐怖症で飛行機やジェットコースターが苦手なぼくも、彼の音楽で浮遊するのは、大好物になった。
この浮遊する感覚を生み出すために、彼の音楽は常に重力から自由でなければならない。古典的な主和音に帰結するという調性音楽の重力、いつも同じ強迫が繰り返されるビートという重力、一つのコンセプトに集約される様式の重力。これらの重力から、常に自由でいるにはどうしたら良いか?それこそが、 伊左治直の格闘なのだと思う。
こうした重力から解放されるための様々な試みは、20世紀の現代音楽で随分試行錯誤されたのだと思う。「調性音楽」の重力から解放されるべく「12音技法」が編み出されたり、「ビート」の重力から解放されるべく不規則な音価の音楽が編み出され、「様式」の重力から解放されるべくポストモダンの音楽が試行錯誤を繰り返した。しかし、その結果、かえって不自由になっていくことが、20世紀の現代音楽には非常に多かったように、ぼくは思う。
しかし、伊左治作品は、意識的にシステマティックに無重力状態を作ろうなどとは決してしない。逆の発想なのだ。重力が存在しているからこそ、浮遊への欲望が生まれるのだ!中心が存在するからこそ、人は浮遊を夢見るのだ。重力が存在しなくなれば、全てが相対化されて、浮遊という概念自体が意味をなさなくなってしまうから。
彼の音楽の浮遊感は、こうした重力の存在を大前提に成立する。しかし、調性だったり、拍節だったり、様式だったり、既存のシステムに、少しでも安直に根を下ろしてしまえば、浮遊感は瞬く間に消えてしまい、大地に根付いた陳腐な音楽になってしまうだろう。そうした際どさを、絶妙なバランスで巧みな肩すかし、実現する。それが、伊左治直の本領なのだと思う。このバランスは、本当に微妙なので、細部まで緻密に実現しなければ、いとも簡単に重力に回収されてしまう。だから、彼の作品は非常に繊細で、しかしながら、力強い。
それは、この世界に存在する権威などに、真っ向から抗うのではなく、しかし、権威に回収されずに、浮遊し続ける生き方とでも言える。これこそが、伊左治作品の強さであり、真の自由への探求だとぼくは思う。
伊左治直の音楽を聴きに行こう。彼の音楽に触れれば、論理的な思考などあっという間に吹っ飛び、気がつくと、彼の音楽に身を委ね、浮遊し始めるだろう。こうした音楽的浮遊が体験できたことに、ぼくは自由を獲得する勇気をもらう。今度は、ぼくの番だ。ぼくはぼくのやり方で、自由への更なる一歩を踏み出し続けていこうと思う。