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POC#4(12月15日(水)) 伊左治直氏寄稿

POC#4(12月15日(水)) 伊左治直氏寄稿_c0050810_13121565.jpg  例えばサッカーや野球の選手は、ジュニアユースやリトルリーグに始まり、年齢とともに気付くとプロになっていた、ということは、よくある。職人や伝統芸能に携る者が、幼少時よりその「一事」を生涯にわたって続けることも、よくある。彼らは自身の幼少期を振り返ったときに、それを「早熟」とは思わないだろう。彼らにとってそれは普通のことだった筈だ。これらの、一貫した成長のあり方にはある種の幸せがあると思うが、その点で杉山洋一は幸せな音楽家といえるのではないだろうか。

  多くの作曲家の場合、大学入学以前は「古典的な作品」を作曲し、学習ソナタを習得し受験をする。そして大学に入り「現代音楽」と出会い、作曲するようになる。それは、年齢とともに世界が広がり未知のものと出会う流れの中での自然な変化と言えるが、およそ自分の中学高校時代には予想だにしなかった音楽でもあるだろう。さらには海外留学をし、突如日本人のアイデンティティーに目覚め、自分の祖母が茶道の師匠であったとか、叔父の義理の祖父の妹の長男が書道家であるとか、日本との繋がりを無理にでも意識しだす。恰も南米やアフリカのサッカー選手がEU国籍の取得のために系図を洗い出すようにして。

  こういった一般的な日本人音楽家の、成長過程での変容とか迷いとかと、杉山はほとんど無縁だったのではないだろうか。

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POC#4(12月15日(水)) 伊左治直氏寄稿_c0050810_13123659.jpg  杉山は高校受験のために(ということは中学生で)高橋悠治の「毛沢東」を弾いたと述べている。私の記憶では、「そのころ水牛通信の定期購読の仕方を高橋本人に電話して問い合わせた」という話も聞いたように思う。また、杉山は「ピアノがほとんど弾けない」と語っているが、一方で、ヴァイオリンを篠崎功子さんに師事していた。ピアノ以外の楽器に現代音楽の第一人者を通して接していた事は、彼の深層の部分に影響を与えているように思う。

  以下、思いつくままに挙げてみよう。すでにその当時からイタリアの文化に並々ならぬ興味を持ち、精通していた。音楽に限っても、イタリアバロックはもとより、当時ほとんど日本では知られていなかったイタリア現代作曲家のレコードも大量に所有していた。高校時代の作品を聴かせてもらった事があるが、それはシャリーノの影響の強い曲だったし、細かいアナリーゼを書き込んだブソッティの譜面を見せてもらった事もある。大学でのワークショップでは自作、スカルラッティ、エマニュエル・バッハ、中川俊郎、といったプログラムの室内オーケストラ演奏会を自身の指揮で主催していたのをはじめ、後に彼の師となるサンドロ・ゴルリやアルド・クレメンティ、ファビオ・バッキなどが次々と日本初演されていた。ここで特筆すべきは、現代音楽のみならずバロック作品も取り上げられていたことで、それがまったく自然に音楽的に並列されてしかるべき、と思わせる説得力を持っていたことだ。

POC#4(12月15日(水)) 伊左治直氏寄稿_c0050810_13133915.jpg  高校、大学時代の彼にとって、同期の作曲家・ピアニストの新垣隆とその師である中川俊郎の存在は大きく、単なる協力者をこえる、彼にとって精神的支柱ですらあったと思う。そして中川とともに『三年結社』の活動をしていた南聡、久木山直らの先輩作曲家との交流、その『三年結社』の間接的な生みの親とも言える故・八村義夫も彼に影響を与えていたと思う(大学一年の文化祭で杉山は八村特集を企画していた)。今振り返れば、わたしもまた大学一年の時、八村義夫は重要な位置にあったが、そのことが後に、杉山や新垣らと『冬の劇場』を立ち上げる契機となったのかもしれない。

  2年前、ブソッティが桐朋学園で一週間近くワークショップを開催したが、そこで、杉山、新垣、中川、久木山らが演奏に参加していた。その折、現在作曲科主任である石島正博氏が、学生時代の師であった八村義夫がブソッティの音楽を本当に好きだったこと、ここに今ブソッティがいること、同僚だった中川や後輩の杉山らがそれを演奏していること、を深い感慨をもって語っていた。その言葉は、歴史を知る者が思いあふれて口をついてしまった実感がこもっていて、とても記憶に残っている。石島氏の言葉(というか、その語り口)は感動的ですらあった。


POC#4(12月15日(水)) 伊左治直氏寄稿_c0050810_1314399.jpg  少し逸れてしまったが話を進めよう。大学以降の彼の作風は、特殊奏法や不確定な要素はほとんど姿を消し、ドナトーニの影響のある複雑で軽快で、そしてコメディア・デ・ラルテのように諧謔的でイタリアオペラのように壮大で華麗な音楽へと進化していく。彼の譜面は、恐ろしく複雑で細かい。しかし、それを正確に演奏したとき、そこには感動的な世界が約束されている。確実に。それは西洋音楽の醍醐味の本質にある音楽とも思える。また、出演者として、かつてはパフォーマーとして舞台に上がることもあったが、今は指揮者としてオーケストラや合唱団などの大編成の統率者として登場することがほとんどである。このありかたもまったく西洋音楽の本流の中にあると言えるだろう。

  POCに登場する作曲家、野村、山本、伊左治、田中は、それぞれ個性ある作曲家であるが、日本という(西洋から見たら)遠方の地の特殊な個性でもある、と思う。誤解を恐れずに言うなら、彼らは少し、「制度」から外れてしまっている。杉山はその点で少し異なる。今日聴かれる音楽は、まさに西洋音楽なのだ。
  

  イタリアが好きで、本当にイタリアへと渡り、その地で生活し音楽をし、今や水牛webにエッセイを寄稿する彼のあり方は、中学生の頃(もしかしたらもっと以前)からの、まったく自然な一貫した流れの中にある。海外滞在の長い作曲家は今も多くいるが、彼らとも杉山は違うと思う。彼の場合、強い意志を持って留学する、習得する、といったものと、無縁な気がしてならない。彼はまったく自然にイタリアにいるのだと思う。海外で活動することの困難ももちろんあるだろうから理想化はしないが、その自然さにおいて、彼は幸せな音楽家であると、思える。
by ooi_piano | 2010-12-06 10:55 | コンサート情報 | Comments(0)

6月15日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第1回公演


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