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田村文生:《Ding Dong Ding - きん こん かん》(2011、委嘱新作初演)
私が過去にピアノ独奏のために作曲したものは、1994年に1曲、1996年1曲の僅か2曲と少ない。どちらも、ある種の限定を設定することから作曲が始められた。前者は、ピアノの音域(上半分のみ)と音の出現順を限定(一種の音列作法)、一方後者は、中央の1オクターブのみを用い、常に最高音と最低音で小節を開始する・・・という具合である。
88個の鍵盤、合計200本近くの弦を持つ楽器が身近にどれだけあるだろうか?ピアノ曲とは「200人までの音楽」という潜在的なものの中からの抽出結果、ということになるかと思うが、良く考えてみると、音を出すための手は2本、指は10本、(クラスターでもなければ)それによって瞬時に発音できる音は、せいぜい15個以下ということになる。それを踏まえると、この楽器は(もちろん鍵盤楽器全般においても)特殊な演奏様式を持つ楽器と言えるかも知れない。しかしそれこそが「ピアニスティック」なものであると言えるだろう。その意味では、例えば、200(弦)対15(指)の関係によってイディオム化される「ピアニスティックなもの」に対して、15(弦)対15(指)で(あるいは200対200で)イディオム化されるそれは全く異なるであろうことは想像に難くない。
いずれにせよ「作品」とは、楽器や演奏様式などの様々な側面に、ある種の「限定」を設定することによって異化された状態の表出であり、同時に、楽器そのものに対する、また、それを作品としてどのように記してゆくかという作者の見解を反映するものであろう。
さて、この作品における限定とは何か。明白に音域が限定されているわけでもなく、特定の音階や音列への固執が本来的である訳でもないが、音高素材や展開の限定という意味ではミニマリズムからの、運動の限定という意味では点描主義的なものからの、そして、倍音を部分抽出したかのような響きは音響派からの、どれもある種の限定の要素が顕著に見られる音楽的傾向からの影響があるように思う、それらは以下のような点に要約されるであろう。
・限定された響きからの逸脱、響きの変調
・音響構造と旋律的・身体的運動の限定(あるいは排除)
・音程構造の限定と響きの単純な段階的推移
木村カエラ「Ring a Ding Dong」を思わせるタイトル(・・・或いは和田アキ子やF.リストでも良いが・・・)は、作品を発想する際のアイデアや部分的な音響構造が、埼玉県川越市の「時の鐘」の音を周波数分析した結果に基づいていることに由来した、いわゆる、「カンパノロジー」的な発想を示している。微分音を含む音響構成を平均律で調律されたピアノによって再現すること自体が殆ど不可能であるが、鐘は、音響構成のヒントとして作品に反映されている。
今回の作品は、大井浩明氏からの委嘱ということもあり、超絶技巧のネ申を悶絶させたいという誘惑との戦いであった。果たしてその誘惑に勝ったか?負けたか?勝敗はともかく、神のご加護に感謝したいと思う。(田村文生)
田村文生 Fumio TAMURA, composer
東京都杉並区に生まれ、埼玉県川越市に育つ。東京藝術大学大学院およびGuildhall School of Music and Drama, London大学院修了。1995年から97年まで文化庁芸術家在外研修員としてイギリスにて研修。作曲を北村昭、近藤譲、松下功、R,サクストンの各氏に師事。これまでにVallentino Bucchi国際作曲コンクール(ローマ)、安宅賞、文化庁舞台芸術創作奨励特別賞、朝日作曲賞、国立劇場作曲コンクール、ジェネシスオペラ作曲賞(ロンドン)審査員特別賞などに入選・入賞。作品は、アジア音楽祭、東京の夏音楽祭、Spitalfields音楽祭(ロンドン)、The State of the Nation音楽祭(ロンドン)、アンジェリカ・フェスティバル(ボローニャ)、アジア作曲家協議会音楽祭(ソウル)2003、国際現代音楽協会(ISCM)世界音楽の日々(香港)など、各地で演奏されている。
日本作曲家協議会、日本電子音楽協会、作曲家グループTEMPUS NOVUM、邦楽器アンサンブル日本音楽集団各団員・会員。現代音楽演奏団体Ensemble Contemporary α代表として現代音楽の演奏会企画・制作に携わる。教員として神戸大学、姫路市立生涯学習大学校、神戸シルバーカレッジ、神戸女学院大学に出没。
【今後の主な演奏会予定】
2011年11月20日(岩見沢)21日(札幌)北海道教育大学Super Winds演奏会「田村文生の世界」
12月12日すみだトリフォニー(錦糸町)Ensemble Contemporary α公演
12月23日ヤマハホール(銀座)宮村和宏オーボエリサイタル
2012年5月5日川越市民会館 埼玉県立川越高等学校吹奏楽部第50回定期演奏会 記念委嘱作品
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山路敦司:《通俗歌曲と舞曲 第一集より From "Popular Songs and Dances Vol.1"》(2011、委嘱新作初演)
実は僕は現代音楽から興味を失ってしまっていて、かれこれ10年以上コンサートのための器楽曲を書いてなかったんです。その間何をしていたかというと、コンピュータミュージックやメディアアート、そして情報デザインの分野で作品を作ったり考えたりしていました。現代音楽は遠くから眺めていただけなんですけど、それでも自分が40歳を越えた時にもう一度現代音楽を書こうと、心の中でひっそりと決めていました。そして、40歳を越えてしまったなという時、丁度よいタイミングで大井君から作曲の委嘱を受けたんです。しかもTwitter経由で。かつて僕らが20代だった頃、大井君と初めて会った時に見せてくれた公演企画書というのがあって、当時、企画書を書いてプレゼンする演奏家がいるってことがとても新鮮だったわけですが、初対面の僕に向かって大井君は演奏会の企画意図を力説していたのです。どんな企画かっていうと、同世代というか同級生の作曲家によるオーセンティックな関係を探るということだった。40歳を越えた今、今回はその時と同じというか延長にある企画でした。喫茶店のテーブルの向こうで、すごい勢いで喋る20代の大井君がとっさに思い出された。僕は10年以上の月日を遠く思いながら、この委嘱を引き受けることにしました。ブランクの間に自分の中にあちこち散在しながら溜まってきたものどもを整理するために。そして現代音楽を作曲するリハビリも兼ねて。
最初に大井君の演奏を聴いた時、その超絶技巧と音楽を読み解く力に圧倒されました。彼の巨体で鳴らされるクラスターが素晴らしく美しい響きだった。その後、彼もヨーロッパに留学し、現代音楽に留まらず古楽演奏にも活動の幅を広めたと聞きました。じゃあ今回の曲はクラスターと装飾音を素材として用いようと単純に考えました。大井君の「音響体」としてのダイナミックレンジと繊細さを引き出そうと考えたわけです。
実際の作業工程としては、ピアノを初めて触る子供がよくやる即興演奏のような、あえて稚拙で単純なフィジカルなアイデアをスケッチし、それをコンピュータのアルゴリズムを使ったりして、デザインとして音楽をとらえるというスタンスでディテールを詰めていきました。言うまでもなく、僕が机上というかコンピュータの画面上で実際にどんな作業をしたのかなど、演奏の結果には何も関係ないことですけれど。でもそこには僕がこの10年の間にやってきたこと、建築家や現代美術作家とのコラボレーションで経験したことなどの影響もあるかと思います。
僕の中にある既成的な構成感覚を捨てて突き放す。そしてまた引き戻すことを何度も繰り返しながらこの作品を完成させました。しかし結果的にはライヴでそれをも破壊させてしまうスリリングさと寛容さこそが、同時代における作曲家と演奏家のオーセンティックな関係だと思っているわけです。(山路敦司)
山路敦司 Atsushi YAMAJI, composer
現代音楽の作曲家として活動する傍ら、音楽プロデューサーとして映画、アニメ、CM、ゲームなどの映像音楽からJ-POPの作品まで幅広く手掛ける。特にコンピュータミュージックやノイズの分野において、欧米をはじめ多くの海外の音楽祭で先鋭的な音楽作品が発表される等、アカデミックで実験的かつポップな作曲手法で国際的な評価も高い。東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程修了。スタンフォード大学 Center for Computer Research in Music and Acoustics(CCRMA)客員研究員、国際情報科学芸術アカデミー修了等を経て、現在は大阪電気通信大学総合情報学部教授を務める。メディア芸術に関連する映像音楽の研究やポピュラー音楽教育の実践を行うなど、活動範囲は多岐にわたる。http://sushilab.jp
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夏田昌和:《Gamelaphony II》
この作品は、ピアニストの左右の手を独立した2つのガムラン・アンサンブルと看做し、その同時演奏によって複層的な時間感覚と複調的な旋法感覚による音楽体験を生み出そうと試みたものである。主部においては、リズム転調によって結び合わされる4つの基本テンポ(160、120、90、68)上において、2種の基本パルス(16分音符と8分音符の3連符)の2、3、4、5つというグルーピングによって生み出される、13種のヴァーチャルなテンポ感の26通りの組み合わせを、左右の手による2つのガムランが一つずつ試していく。また音高システムでは、ガムラン音楽にもともと見られるペログとスレンドロに近い2つにその変種3つを加えた計5種の5音音階が、左右のガムランに補完的に(互いの構成音が重複しないように)組み合わされる。
微分音程によって12平均律の響きを越えることを創作の大きな柱としている私にとって、内部奏法もプリペアードも用いないピアノのために音楽を書くことはかなりの難題である。紛れもなく金属打楽器の一種であるピアノの鍵盤をある種のガムランに見立てることは、ドビュッシー以来珍しいことではない(中でもプーランクの素晴らしい2台ピアノの協奏曲や、リゲティのピアノ・エチュードを特に挙げたいと思う。)が、私にとってはこの作品が書かれたのが主に夏であったこと、そしてこの季節になるときまってブラームスよりはガムランを聴きたくなることと関係していなくもない。友人のピアニスト飯野明日香さんよりの委嘱作品としてリサイタルのために書かれ、彼女に献呈されている。(夏田昌和)
夏田昌和 Masakazu NATSUDA, composer
東京芸大附属音楽高校を経て、1991年、東京芸術大学音楽学部作曲科首席卒業。1993年、同大学院修士課程修了。1997年、パリ国立高等音楽院作曲科を審査員全員一致の首席一等賞他を得て卒業。作曲を野田暉行、永富正之、近藤譲、ジェラール・グリゼイ、指揮を秋山和慶、ジャン=セバスチャン・ベローに師事。
日本音楽コンクール第3位、新交響楽団作品公募第1席、出光音楽賞、ゴッフレード・ペトラッシ国際作曲コンクール審査員特別表彰、入野賞入選、フンダカオ・オリエンテ国際指揮者コンクール第3位、ガウデアムス国際音楽週間入選、ISCM入選など国内外のコンクールで入賞・入選多数を果たす。作品は、内外の著名なオーケストラやアンサンブル及びソリストによって演奏されている。また、近年は指揮者としての活躍も目立ち、ジェラール・グリゼイの『Vortex Temporum』(日本初演)やスティーブ・ライヒの『砂漠の音楽』といった、同時代の優れた作品の紹介に取り組んでいる。
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望月京:《メビウス・リング》(2003)
オーストリア・クラングシュプーレン音楽祭委嘱。2003年9月13日インスブルックにてニコラス・ホッジスにより初演。「冒頭提示される拍動リズムに基づく変奏曲の連なりで、各変奏ごとにその拍動リズムから遠ざかろうとするものの、姿や速度を変えつつ常に原点に戻ってきてしまうというプロセスを繰り返す」。
メビウスの帯、またはメビウスの輪は、帯状の長方形の片方の端を180度ひねり、他方の端に貼り合わせた形状の図形(曲面)である。数学的には向き付け不可能性という特徴を持ち、帯の表面を普通の帯の2倍利用できるため、カセットテープ(エンドレステープ)、プリンターのインクリボンなどに使用されている。メビウスの帯の名前は1790年生まれのドイツの数学者アウグスト・フェルディナント・メビウスの名に由来する。彼は多面体の幾何学に関するパリのアカデミーの懸賞問題に取り組む過程でメビウスの帯の概念に到達し、1865年に「多面体の体積の決定について」という論文の中で発表した。マウリッツ・エッシャー・安野光雅・タイガー立石などが自身の作品中でモチーフとして利用しており、また、循環(無限の繰り返し)や再生を想起させることからリサイクルのシンボルマークとして採用されている。
望月京 Misato MOCHIZUKI, composer
東京藝大附属音楽高校、1991年東京藝術大学卒業、同大学院修了。フランス政府給費留学生として渡仏し、パリ国立高等音楽院作曲科第3課程(博士課程)を修了。 IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)研究員となる。作曲を北村昭、尾高惇忠、間宮芳生、ポール・メファノ、エマヌエル・ヌネス、ブライアン・ファーニホウ、トリスタン・ミュライユに師事。
第64回日本音楽コンクール作曲部門第1位及び安田賞、シュティペンディエン賞(ダルムシュタット)、ユネスコ国際作曲家会議優秀作品賞(パリ)、第10回芥川作曲賞、アルス・ムジカ音楽祭prix du public(ブリュッセル)、 第53回芸術選奨文部科学大臣新人賞、第13回出光音楽賞などを受賞。秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバル、南西ドイツ放送局、ベルリン・ビエンナーレ、西ドイツ放送局、ロワイヨモン財団(フランス)、読売日本交響楽団、サントリー音楽財団、ケルン放送局、ミュージック・フロム・ジャパン(ニューヨーク)など世界各国の音楽祭やオーケストラ、財団等から作品委嘱。明治学院大学准教授(2007年 - )。http://www.misato-mochizuki.com/
田村文生:《Ding Dong Ding - きん こん かん》(2011、委嘱新作初演)
私が過去にピアノ独奏のために作曲したものは、1994年に1曲、1996年1曲の僅か2曲と少ない。どちらも、ある種の限定を設定することから作曲が始められた。前者は、ピアノの音域(上半分のみ)と音の出現順を限定(一種の音列作法)、一方後者は、中央の1オクターブのみを用い、常に最高音と最低音で小節を開始する・・・という具合である。
88個の鍵盤、合計200本近くの弦を持つ楽器が身近にどれだけあるだろうか?ピアノ曲とは「200人までの音楽」という潜在的なものの中からの抽出結果、ということになるかと思うが、良く考えてみると、音を出すための手は2本、指は10本、(クラスターでもなければ)それによって瞬時に発音できる音は、せいぜい15個以下ということになる。それを踏まえると、この楽器は(もちろん鍵盤楽器全般においても)特殊な演奏様式を持つ楽器と言えるかも知れない。しかしそれこそが「ピアニスティック」なものであると言えるだろう。その意味では、例えば、200(弦)対15(指)の関係によってイディオム化される「ピアニスティックなもの」に対して、15(弦)対15(指)で(あるいは200対200で)イディオム化されるそれは全く異なるであろうことは想像に難くない。
いずれにせよ「作品」とは、楽器や演奏様式などの様々な側面に、ある種の「限定」を設定することによって異化された状態の表出であり、同時に、楽器そのものに対する、また、それを作品としてどのように記してゆくかという作者の見解を反映するものであろう。
さて、この作品における限定とは何か。明白に音域が限定されているわけでもなく、特定の音階や音列への固執が本来的である訳でもないが、音高素材や展開の限定という意味ではミニマリズムからの、運動の限定という意味では点描主義的なものからの、そして、倍音を部分抽出したかのような響きは音響派からの、どれもある種の限定の要素が顕著に見られる音楽的傾向からの影響があるように思う、それらは以下のような点に要約されるであろう。
・限定された響きからの逸脱、響きの変調
・音響構造と旋律的・身体的運動の限定(あるいは排除)
・音程構造の限定と響きの単純な段階的推移
木村カエラ「Ring a Ding Dong」を思わせるタイトル(・・・或いは和田アキ子やF.リストでも良いが・・・)は、作品を発想する際のアイデアや部分的な音響構造が、埼玉県川越市の「時の鐘」の音を周波数分析した結果に基づいていることに由来した、いわゆる、「カンパノロジー」的な発想を示している。微分音を含む音響構成を平均律で調律されたピアノによって再現すること自体が殆ど不可能であるが、鐘は、音響構成のヒントとして作品に反映されている。
今回の作品は、大井浩明氏からの委嘱ということもあり、超絶技巧のネ申を悶絶させたいという誘惑との戦いであった。果たしてその誘惑に勝ったか?負けたか?勝敗はともかく、神のご加護に感謝したいと思う。(田村文生)
田村文生 Fumio TAMURA, composer
東京都杉並区に生まれ、埼玉県川越市に育つ。東京藝術大学大学院およびGuildhall School of Music and Drama, London大学院修了。1995年から97年まで文化庁芸術家在外研修員としてイギリスにて研修。作曲を北村昭、近藤譲、松下功、R,サクストンの各氏に師事。これまでにVallentino Bucchi国際作曲コンクール(ローマ)、安宅賞、文化庁舞台芸術創作奨励特別賞、朝日作曲賞、国立劇場作曲コンクール、ジェネシスオペラ作曲賞(ロンドン)審査員特別賞などに入選・入賞。作品は、アジア音楽祭、東京の夏音楽祭、Spitalfields音楽祭(ロンドン)、The State of the Nation音楽祭(ロンドン)、アンジェリカ・フェスティバル(ボローニャ)、アジア作曲家協議会音楽祭(ソウル)2003、国際現代音楽協会(ISCM)世界音楽の日々(香港)など、各地で演奏されている。
日本作曲家協議会、日本電子音楽協会、作曲家グループTEMPUS NOVUM、邦楽器アンサンブル日本音楽集団各団員・会員。現代音楽演奏団体Ensemble Contemporary α代表として現代音楽の演奏会企画・制作に携わる。教員として神戸大学、姫路市立生涯学習大学校、神戸シルバーカレッジ、神戸女学院大学に出没。
【今後の主な演奏会予定】
2011年11月20日(岩見沢)21日(札幌)北海道教育大学Super Winds演奏会「田村文生の世界」
12月12日すみだトリフォニー(錦糸町)Ensemble Contemporary α公演
12月23日ヤマハホール(銀座)宮村和宏オーボエリサイタル
2012年5月5日川越市民会館 埼玉県立川越高等学校吹奏楽部第50回定期演奏会 記念委嘱作品
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山路敦司:《通俗歌曲と舞曲 第一集より From "Popular Songs and Dances Vol.1"》(2011、委嘱新作初演)
実は僕は現代音楽から興味を失ってしまっていて、かれこれ10年以上コンサートのための器楽曲を書いてなかったんです。その間何をしていたかというと、コンピュータミュージックやメディアアート、そして情報デザインの分野で作品を作ったり考えたりしていました。現代音楽は遠くから眺めていただけなんですけど、それでも自分が40歳を越えた時にもう一度現代音楽を書こうと、心の中でひっそりと決めていました。そして、40歳を越えてしまったなという時、丁度よいタイミングで大井君から作曲の委嘱を受けたんです。しかもTwitter経由で。かつて僕らが20代だった頃、大井君と初めて会った時に見せてくれた公演企画書というのがあって、当時、企画書を書いてプレゼンする演奏家がいるってことがとても新鮮だったわけですが、初対面の僕に向かって大井君は演奏会の企画意図を力説していたのです。どんな企画かっていうと、同世代というか同級生の作曲家によるオーセンティックな関係を探るということだった。40歳を越えた今、今回はその時と同じというか延長にある企画でした。喫茶店のテーブルの向こうで、すごい勢いで喋る20代の大井君がとっさに思い出された。僕は10年以上の月日を遠く思いながら、この委嘱を引き受けることにしました。ブランクの間に自分の中にあちこち散在しながら溜まってきたものどもを整理するために。そして現代音楽を作曲するリハビリも兼ねて。
最初に大井君の演奏を聴いた時、その超絶技巧と音楽を読み解く力に圧倒されました。彼の巨体で鳴らされるクラスターが素晴らしく美しい響きだった。その後、彼もヨーロッパに留学し、現代音楽に留まらず古楽演奏にも活動の幅を広めたと聞きました。じゃあ今回の曲はクラスターと装飾音を素材として用いようと単純に考えました。大井君の「音響体」としてのダイナミックレンジと繊細さを引き出そうと考えたわけです。
実際の作業工程としては、ピアノを初めて触る子供がよくやる即興演奏のような、あえて稚拙で単純なフィジカルなアイデアをスケッチし、それをコンピュータのアルゴリズムを使ったりして、デザインとして音楽をとらえるというスタンスでディテールを詰めていきました。言うまでもなく、僕が机上というかコンピュータの画面上で実際にどんな作業をしたのかなど、演奏の結果には何も関係ないことですけれど。でもそこには僕がこの10年の間にやってきたこと、建築家や現代美術作家とのコラボレーションで経験したことなどの影響もあるかと思います。
僕の中にある既成的な構成感覚を捨てて突き放す。そしてまた引き戻すことを何度も繰り返しながらこの作品を完成させました。しかし結果的にはライヴでそれをも破壊させてしまうスリリングさと寛容さこそが、同時代における作曲家と演奏家のオーセンティックな関係だと思っているわけです。(山路敦司)
山路敦司 Atsushi YAMAJI, composer
現代音楽の作曲家として活動する傍ら、音楽プロデューサーとして映画、アニメ、CM、ゲームなどの映像音楽からJ-POPの作品まで幅広く手掛ける。特にコンピュータミュージックやノイズの分野において、欧米をはじめ多くの海外の音楽祭で先鋭的な音楽作品が発表される等、アカデミックで実験的かつポップな作曲手法で国際的な評価も高い。東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程修了。スタンフォード大学 Center for Computer Research in Music and Acoustics(CCRMA)客員研究員、国際情報科学芸術アカデミー修了等を経て、現在は大阪電気通信大学総合情報学部教授を務める。メディア芸術に関連する映像音楽の研究やポピュラー音楽教育の実践を行うなど、活動範囲は多岐にわたる。http://sushilab.jp
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夏田昌和:《Gamelaphony II》
この作品は、ピアニストの左右の手を独立した2つのガムラン・アンサンブルと看做し、その同時演奏によって複層的な時間感覚と複調的な旋法感覚による音楽体験を生み出そうと試みたものである。主部においては、リズム転調によって結び合わされる4つの基本テンポ(160、120、90、68)上において、2種の基本パルス(16分音符と8分音符の3連符)の2、3、4、5つというグルーピングによって生み出される、13種のヴァーチャルなテンポ感の26通りの組み合わせを、左右の手による2つのガムランが一つずつ試していく。また音高システムでは、ガムラン音楽にもともと見られるペログとスレンドロに近い2つにその変種3つを加えた計5種の5音音階が、左右のガムランに補完的に(互いの構成音が重複しないように)組み合わされる。
微分音程によって12平均律の響きを越えることを創作の大きな柱としている私にとって、内部奏法もプリペアードも用いないピアノのために音楽を書くことはかなりの難題である。紛れもなく金属打楽器の一種であるピアノの鍵盤をある種のガムランに見立てることは、ドビュッシー以来珍しいことではない(中でもプーランクの素晴らしい2台ピアノの協奏曲や、リゲティのピアノ・エチュードを特に挙げたいと思う。)が、私にとってはこの作品が書かれたのが主に夏であったこと、そしてこの季節になるときまってブラームスよりはガムランを聴きたくなることと関係していなくもない。友人のピアニスト飯野明日香さんよりの委嘱作品としてリサイタルのために書かれ、彼女に献呈されている。(夏田昌和)
夏田昌和 Masakazu NATSUDA, composer
東京芸大附属音楽高校を経て、1991年、東京芸術大学音楽学部作曲科首席卒業。1993年、同大学院修士課程修了。1997年、パリ国立高等音楽院作曲科を審査員全員一致の首席一等賞他を得て卒業。作曲を野田暉行、永富正之、近藤譲、ジェラール・グリゼイ、指揮を秋山和慶、ジャン=セバスチャン・ベローに師事。
日本音楽コンクール第3位、新交響楽団作品公募第1席、出光音楽賞、ゴッフレード・ペトラッシ国際作曲コンクール審査員特別表彰、入野賞入選、フンダカオ・オリエンテ国際指揮者コンクール第3位、ガウデアムス国際音楽週間入選、ISCM入選など国内外のコンクールで入賞・入選多数を果たす。作品は、内外の著名なオーケストラやアンサンブル及びソリストによって演奏されている。また、近年は指揮者としての活躍も目立ち、ジェラール・グリゼイの『Vortex Temporum』(日本初演)やスティーブ・ライヒの『砂漠の音楽』といった、同時代の優れた作品の紹介に取り組んでいる。
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望月京:《メビウス・リング》(2003)
オーストリア・クラングシュプーレン音楽祭委嘱。2003年9月13日インスブルックにてニコラス・ホッジスにより初演。「冒頭提示される拍動リズムに基づく変奏曲の連なりで、各変奏ごとにその拍動リズムから遠ざかろうとするものの、姿や速度を変えつつ常に原点に戻ってきてしまうというプロセスを繰り返す」。
メビウスの帯、またはメビウスの輪は、帯状の長方形の片方の端を180度ひねり、他方の端に貼り合わせた形状の図形(曲面)である。数学的には向き付け不可能性という特徴を持ち、帯の表面を普通の帯の2倍利用できるため、カセットテープ(エンドレステープ)、プリンターのインクリボンなどに使用されている。メビウスの帯の名前は1790年生まれのドイツの数学者アウグスト・フェルディナント・メビウスの名に由来する。彼は多面体の幾何学に関するパリのアカデミーの懸賞問題に取り組む過程でメビウスの帯の概念に到達し、1865年に「多面体の体積の決定について」という論文の中で発表した。マウリッツ・エッシャー・安野光雅・タイガー立石などが自身の作品中でモチーフとして利用しており、また、循環(無限の繰り返し)や再生を想起させることからリサイクルのシンボルマークとして採用されている。
望月京 Misato MOCHIZUKI, composer
東京藝大附属音楽高校、1991年東京藝術大学卒業、同大学院修了。フランス政府給費留学生として渡仏し、パリ国立高等音楽院作曲科第3課程(博士課程)を修了。 IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)研究員となる。作曲を北村昭、尾高惇忠、間宮芳生、ポール・メファノ、エマヌエル・ヌネス、ブライアン・ファーニホウ、トリスタン・ミュライユに師事。
第64回日本音楽コンクール作曲部門第1位及び安田賞、シュティペンディエン賞(ダルムシュタット)、ユネスコ国際作曲家会議優秀作品賞(パリ)、第10回芥川作曲賞、アルス・ムジカ音楽祭prix du public(ブリュッセル)、 第53回芸術選奨文部科学大臣新人賞、第13回出光音楽賞などを受賞。秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバル、南西ドイツ放送局、ベルリン・ビエンナーレ、西ドイツ放送局、ロワイヨモン財団(フランス)、読売日本交響楽団、サントリー音楽財団、ケルン放送局、ミュージック・フロム・ジャパン(ニューヨーク)など世界各国の音楽祭やオーケストラ、財団等から作品委嘱。明治学院大学准教授(2007年 - )。http://www.misato-mochizuki.com/