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◆リゲティとの奇遇 ―――――――――――――――塩見允枝子
リゲティの音楽に最初に触れたのは芸大在学中で、「アトモスフェール」というオーケストラの曲だった。手厳しい学生たちの間でも、それは称賛の的となっていた。その後、ニューヨークへ行った私は、「スペイシャル・ポエム」と名付けて、地球をステージとしたイヴェントを世界各国の人たちと行なうことを企画した。招待状は、フルクサスの主宰者マチューナスの住所録に従って出したのだが、殆どは知らない名前だった。確かにジェルジ・リゲティという名もあったし、その人からも返事が来た。しかしその内容から、この人が果たしてあの「アトモスフェール」のリゲティなのか、それとも同姓同名の赤の他人なのか、長い間私には判然としなかったのだ。
ところが2001年になって、思いがけずこの謎を解く絶好のチャンスがやって来た。リゲティ氏が京都賞を受賞され、ワークショップが開かれたのである。彼は練習曲集を例に挙げ、大井浩明氏の演奏を交えながら、自らの作曲法について講演をされた。全てが終わった後で、京都賞選考委員であり、藝大楽理科の後輩でもある佐野光司氏にお願いして控室へ案内して頂き、リゲティ氏に紹介してもらった。お祝いを述べてから、36年前の手紙を見せ、「このレポートは、貴方が書いて下さったものでしょうか?」と恐る恐る訊ねてみた。彼はその紙片を見るなり、「あ、これはフルクサスだ。うん、これは僕が書いた手紙だね」。そして鋭い眼差しで私を見据え、「きみ、ウイーンのジェルジ・リゲティだよ。僕の他に誰がいる」 Who else! と言い放った。その後しばらくの間、歓談させて頂いたのだが、彼に会ったのはこの時が一度きりである。
作曲家リゲティは、私など足下にも及ばぬ巨星だけれど、フルクサスに関わると同時にフラクタル理論にも興味を持つという共通点で、彼には何かしら不思議な親しみを感じている。今夜の演奏会で又一つ、他界した仲間たちへの恰好のお土産話が出来た。
◆《フラクタル・フリーク》について
フラクタル理論を初めて知ったのは、1995年パリのドンギュイ画廊でインタヴューを受けていた時のことである。フルクサスの過去のイヴェント作品とフラクタル理論との類似性を、あえて探ろうとしていた評論家A氏の解説に、その時は大した興味も持てなかったのだが、それから程なくして「鏡の伝説」という本の中で、思いがけなくその理論に生々しく再会することになった。あらゆるディテールに同じ情報が入っている、言い換えれば、ミクロの世界もマクロの世界も同じ構造で出来ている、というような記述は、私の想像力を、それこそ一粒の原子の中からシダの葉を突き抜けて、宇宙空間へと一気に広げてくれた。この視点のダイナミックな飛躍が、まず衝撃的だった。そして、フラクタル構造を持つ図形をコンピュータ上で作るには、Zの2乗+Cの解をZに反復代入すればよいというくだりでは、自己代入という手法から、音楽的なフレーズがどこまでも増殖し、立体的に伸びていく様を連想した。
とりわけ印象的だったのは、海岸線など複雑に入り組んでいる線上の二点間の距離を測るとき、凹凸のどの程度の細かさまで計測するかで、出てくる値はすっかり異なってくるが、それをフラクタル次元で表すと正確に表現できる、という部分だった。この理論は、音楽理論の様々なフェーズに応用できるのではないか!と、とっさに閃いた。なにしろ当時は、一本の樹のようにそれ自体が内包する法則でもって自律している音楽、人間の恣意的な表現を超えた、自然そのもののような音楽を目指している時期だったから。
四曲からなるこの曲集では、一曲毎に異なった角度から、この理論を応用・発展させた訳だが、それらはあくまで建造物の中の隠れた骨組みのようなものであり、感覚的に聴きとれる場合と、そうでない場合があるだろう。第1番から第3番までは、井上郷子さんからの委嘱で書いた。因みに、タイトルの「フリーク」とは「出来損ない」の意味。フラクタルとしては不完全でも、願わくば、音楽としては出来損ないでないことを!
No.1カスケード CAsCAde (1997)
タイトル中の大文字が示すように、様々な音域のCからAへと一定のリズムで下降するフレーズが連なる。それらは繰り返される度に異なった道筋を辿って一音ずつ長くなり、又、響きも単音から次第に複雑な前打音を伴った和音へと厚みを増していく。それは変奏というより、単純な画像が次第にブレて、色彩を伴って多層的に重なっていく、といった視覚的なイメージに近い。全体の構造は、二つの相似形となっているが、最後の単音による下降フレーズは、第3のより大きな相似形の始まりであり、この曲が無限に続いていることを暗示している。
No.2 鏡の回廊 A Mirror Cloister (1998)
この曲では、同じ情報が次元の異なるあらゆる細部に含まれるという原理を、音程関係と時間に変換してみた。まず、鍵盤上に13個の架空の鏡を等間隔に置いたと仮定すると、13種の音域で、鏡を中心に上下に同じ幅で広がる音列や和音が得られる。すべてのフレーズは、そうした音階のいずれかで出来ている。又、最後の部分では、時間の中に複数の鏡を置くことで、フレーズは何度も折れ曲がって過去に遡る.丁度、鏡張りの回廊を曲がる度に、通り過ぎた風景が逆さまに映し出されるように。
No.3 パラボリック Parabolic (1998)
パラボリックとは、「放物線の」という意味。タイトルの通り大小の放物線状のパターンが、時にはゆったりと、時にはネズミ花火のように素早く乱舞する。これら一見、乱雑に入れ乱れる放物線の群れも、一つひとつは厳密な音程関係の約束事に従っている。
即ち、一つの音から次の音へ向かう場合、上向するときは、それ以前の音程と同じかそれよりもさらに狭い音程をとり、下降するなら逆に、同じかより幅広い音程をとる、という非常に単純な原理に。
No.4 彩られた影 Animated Shadows (2002)
ペダルなしのオクターヴで弾くシンプルな構造体と、その影として投影されるフレーズとの立体的構成。音数・音域共に拡大していくオクターヴの断片は、影によって頻繁に中断されるものの、全体としては一つの大きな構造物であるというイメージのもとに、常に前の断片の最後の音から始まる。丁度、角度をずらせて写真を撮り、それらをつなぎ合わせてパノラマを作る時のように。一方、影として伸びるフレーズは、現実の影が元の物体の形を歪めながらもその特性を保持するように、本体のリズムやパターンの特徴を引き継ぎながら展開する。影は初めのうちこそ平面的・静的であるが、次第に音楽的アニマを得て狂奔し、主客転倒して、遂には本体の断片をもその中に取り込む。
◆プロフィール
1961年東京藝術大学楽理科卒業。在学中より小杉武久氏らと「グループ・音楽」を結成し、即興演奏やテープ音楽の制作を試みる。64年ニューヨークへ渡り、フルクサスの活動に参加。郵便によって世界各国の人々と同一のイヴェントを行ない、その報告を編集して送り返す「スペイシャル・ポエム」のシリーズを開始。帰国後はイヴェントを演奏芸術としても発展させ、インターメディアへと至る。70年大阪へ移住し、音と詞を中心にした室内楽を多数作曲。90年ヴェニスのフルクサス・フェスティヴァルに参加して以来、メンバーたちとの交流が再開し、欧米でのグループ展やフェスティヴァルに関わる。同時に国内では、電子メディアにも関心を持ち、幾つかのコンサートを企画。京都ドイツ文化センター、水戸芸術館、神戸ジーベックなどでは大井浩明氏とも共演した。作曲の他、パフォーマンス、音楽的コンセプトによる視覚詩やオブジェクトの作成など、活動は多岐にわたる。
大井浩明・ピアノリサイタル2011 in 芦屋
〈第3回公演〉2011年8月27日(土)18時開演
山村サロン
助成■全国税理士共栄会文化財団
【演奏曲目】
●塩見允枝子:《フラクタル・フリーク》(1998/2002) I. カスケード CAsCAde
■G.リゲティ:《エテュード集》(1985~2001)
I.反秩序、II.開放弦、III.阻まれた打鍵、IV.ファンファーレ、V.虹、VI.ワルシャワの秋
●塩見允枝子:《フラクタル・フリーク》 II. 鏡の回廊 A Mirror Cloister
■G.リゲティ:《エテュード集》
VII.伽藍梵論、VIII.メタル、IX.眩暈、X.魔法使いの弟子
―――(休憩15分)―――
■G.リゲティ:《エテュード集》
XI.宙ぶらりん、XII.入り組み模様、XIII.悪魔の階段、XIV.無限柱
●塩見允枝子:《フラクタル・フリーク》 III. パラボリック Parabolic
■G.リゲティ:《エテュード集》
XV.白の上の白、XVI.イリーナへ、XVII.勝手にしやがれ、XVIII.カノン
●塩見允枝子:《フラクタル・フリーク》 IV 彩られた影 Animated Shadows
◆リゲティとの奇遇 ―――――――――――――――塩見允枝子

ところが2001年になって、思いがけずこの謎を解く絶好のチャンスがやって来た。リゲティ氏が京都賞を受賞され、ワークショップが開かれたのである。彼は練習曲集を例に挙げ、大井浩明氏の演奏を交えながら、自らの作曲法について講演をされた。全てが終わった後で、京都賞選考委員であり、藝大楽理科の後輩でもある佐野光司氏にお願いして控室へ案内して頂き、リゲティ氏に紹介してもらった。お祝いを述べてから、36年前の手紙を見せ、「このレポートは、貴方が書いて下さったものでしょうか?」と恐る恐る訊ねてみた。彼はその紙片を見るなり、「あ、これはフルクサスだ。うん、これは僕が書いた手紙だね」。そして鋭い眼差しで私を見据え、「きみ、ウイーンのジェルジ・リゲティだよ。僕の他に誰がいる」 Who else! と言い放った。その後しばらくの間、歓談させて頂いたのだが、彼に会ったのはこの時が一度きりである。
作曲家リゲティは、私など足下にも及ばぬ巨星だけれど、フルクサスに関わると同時にフラクタル理論にも興味を持つという共通点で、彼には何かしら不思議な親しみを感じている。今夜の演奏会で又一つ、他界した仲間たちへの恰好のお土産話が出来た。

フラクタル理論を初めて知ったのは、1995年パリのドンギュイ画廊でインタヴューを受けていた時のことである。フルクサスの過去のイヴェント作品とフラクタル理論との類似性を、あえて探ろうとしていた評論家A氏の解説に、その時は大した興味も持てなかったのだが、それから程なくして「鏡の伝説」という本の中で、思いがけなくその理論に生々しく再会することになった。あらゆるディテールに同じ情報が入っている、言い換えれば、ミクロの世界もマクロの世界も同じ構造で出来ている、というような記述は、私の想像力を、それこそ一粒の原子の中からシダの葉を突き抜けて、宇宙空間へと一気に広げてくれた。この視点のダイナミックな飛躍が、まず衝撃的だった。そして、フラクタル構造を持つ図形をコンピュータ上で作るには、Zの2乗+Cの解をZに反復代入すればよいというくだりでは、自己代入という手法から、音楽的なフレーズがどこまでも増殖し、立体的に伸びていく様を連想した。
とりわけ印象的だったのは、海岸線など複雑に入り組んでいる線上の二点間の距離を測るとき、凹凸のどの程度の細かさまで計測するかで、出てくる値はすっかり異なってくるが、それをフラクタル次元で表すと正確に表現できる、という部分だった。この理論は、音楽理論の様々なフェーズに応用できるのではないか!と、とっさに閃いた。なにしろ当時は、一本の樹のようにそれ自体が内包する法則でもって自律している音楽、人間の恣意的な表現を超えた、自然そのもののような音楽を目指している時期だったから。
四曲からなるこの曲集では、一曲毎に異なった角度から、この理論を応用・発展させた訳だが、それらはあくまで建造物の中の隠れた骨組みのようなものであり、感覚的に聴きとれる場合と、そうでない場合があるだろう。第1番から第3番までは、井上郷子さんからの委嘱で書いた。因みに、タイトルの「フリーク」とは「出来損ない」の意味。フラクタルとしては不完全でも、願わくば、音楽としては出来損ないでないことを!

タイトル中の大文字が示すように、様々な音域のCからAへと一定のリズムで下降するフレーズが連なる。それらは繰り返される度に異なった道筋を辿って一音ずつ長くなり、又、響きも単音から次第に複雑な前打音を伴った和音へと厚みを増していく。それは変奏というより、単純な画像が次第にブレて、色彩を伴って多層的に重なっていく、といった視覚的なイメージに近い。全体の構造は、二つの相似形となっているが、最後の単音による下降フレーズは、第3のより大きな相似形の始まりであり、この曲が無限に続いていることを暗示している。
No.2 鏡の回廊 A Mirror Cloister (1998)
この曲では、同じ情報が次元の異なるあらゆる細部に含まれるという原理を、音程関係と時間に変換してみた。まず、鍵盤上に13個の架空の鏡を等間隔に置いたと仮定すると、13種の音域で、鏡を中心に上下に同じ幅で広がる音列や和音が得られる。すべてのフレーズは、そうした音階のいずれかで出来ている。又、最後の部分では、時間の中に複数の鏡を置くことで、フレーズは何度も折れ曲がって過去に遡る.丁度、鏡張りの回廊を曲がる度に、通り過ぎた風景が逆さまに映し出されるように。

パラボリックとは、「放物線の」という意味。タイトルの通り大小の放物線状のパターンが、時にはゆったりと、時にはネズミ花火のように素早く乱舞する。これら一見、乱雑に入れ乱れる放物線の群れも、一つひとつは厳密な音程関係の約束事に従っている。
即ち、一つの音から次の音へ向かう場合、上向するときは、それ以前の音程と同じかそれよりもさらに狭い音程をとり、下降するなら逆に、同じかより幅広い音程をとる、という非常に単純な原理に。
No.4 彩られた影 Animated Shadows (2002)
ペダルなしのオクターヴで弾くシンプルな構造体と、その影として投影されるフレーズとの立体的構成。音数・音域共に拡大していくオクターヴの断片は、影によって頻繁に中断されるものの、全体としては一つの大きな構造物であるというイメージのもとに、常に前の断片の最後の音から始まる。丁度、角度をずらせて写真を撮り、それらをつなぎ合わせてパノラマを作る時のように。一方、影として伸びるフレーズは、現実の影が元の物体の形を歪めながらもその特性を保持するように、本体のリズムやパターンの特徴を引き継ぎながら展開する。影は初めのうちこそ平面的・静的であるが、次第に音楽的アニマを得て狂奔し、主客転倒して、遂には本体の断片をもその中に取り込む。

1961年東京藝術大学楽理科卒業。在学中より小杉武久氏らと「グループ・音楽」を結成し、即興演奏やテープ音楽の制作を試みる。64年ニューヨークへ渡り、フルクサスの活動に参加。郵便によって世界各国の人々と同一のイヴェントを行ない、その報告を編集して送り返す「スペイシャル・ポエム」のシリーズを開始。帰国後はイヴェントを演奏芸術としても発展させ、インターメディアへと至る。70年大阪へ移住し、音と詞を中心にした室内楽を多数作曲。90年ヴェニスのフルクサス・フェスティヴァルに参加して以来、メンバーたちとの交流が再開し、欧米でのグループ展やフェスティヴァルに関わる。同時に国内では、電子メディアにも関心を持ち、幾つかのコンサートを企画。京都ドイツ文化センター、水戸芸術館、神戸ジーベックなどでは大井浩明氏とも共演した。作曲の他、パフォーマンス、音楽的コンセプトによる視覚詩やオブジェクトの作成など、活動は多岐にわたる。