感想集 http://togetter.com/li/231194
★9月23日クセナキス公演の感想集 http://togetter.com/li/191754
★10月22日リゲティ公演の感想集 http://togetter.com/li/203576
★11月23日ブーレーズ公演の感想集 http://togetter.com/li/217773
★POC2011関連のリンク http://ooipiano.exblog.jp/i9/
★在日本大韓民国民団・民団新聞記事 http://www.mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?page=1&subpage=2681&corner=6
〈前売〉 学生2,000円 一般2,500円 〈当日〉 学生2,500円 一般3,000円
【チケット取り扱い】 ローソンチケット 0570-084-003 Lコード:39824
ヴォートルチケットセンター 03-5355-1280 (10:00~18:00土日祝休)
【お問い合わせ】お問い合わせ 株式会社オカムラ&カンパニー
tel 03-6804-7490 (10:00~18:00 土日祝休)
fax 03-6804-7489 info@okamura-co.com
尹伊桑(ユン・イサン、1917年9月17日 - 1995年11月3日)は、釜山近くの慶尚南道・統営(トンヨン)の出身。15歳で来日、大阪でチェロと音楽理論を学ぶ。21歳で再来日、東京で池内友次郎に3年間師事。戦後、釜山・統営・ソウルで教員として勤めた後、1956年6月に渡欧、パリ音楽院でトニー・オーバンに、翌年からはベルリン音大でヨーゼフ・ルーファー、ボリス・ブラッハーに師事。1963年に北朝鮮を初訪問。ドナウエッシンゲンで初演された管弦楽のための《礼楽(レアク)》(1966)で国際的評価を得る。1967年7月に韓国中央情報部(KCIA)によって逮捕、裁判ののち、1969年2月に釈放。1971年に西ドイツ国籍に帰化、1974年からベルリン音大教授。ハンブルク芸術アカデミーならびにベルリン芸術アカデミー会員。1987年西ドイツ政府大功労十字勲章。細川俊夫、三輪眞弘、嶋津武仁、古川聖ら11名の日本人を含む多くの弟子を育てた。代表作に、オラトリオ《唵麼抳鉢訥銘吽(ああ蓮華の中の宝珠よ)》(1964)、ミュンヘン・オリンピック委嘱の歌劇《沈青》(1973)、《チェロ協奏曲》(1976)、交響詩『光州よ、永遠に!』(1981)、ベルリン・フィル100周年委嘱『交響曲第1番』(1982/83)、サントリーホール杮落委嘱『交響曲第4番 《暗黒の中で歌う》』(1986)、金日成生誕75周年を祝うカンタータ《わが地、わが民族よ!》(1987)等。
《5つの小品》(1958)は、公式作品リストの冒頭に挙げられた、ベルリン音大在籍中の作品。1959年オランダ・ビルトホーフェンに於けるガウデアムス現代音楽祭で、ヘルマン・クロイトにより初演。《小陽陰》(1966)はアントワネッテ・ヴィッシャーより委嘱、同氏に献呈。1967年9月にヴィッシャーが録音、1968年1月12日にドイツ・フライブルクでエディト・ピヒト=アクセンフェルトにより舞台初演が行われた。元々、5本のペダルを持つモダン・チェンバロのために書かれたが、作曲者の遺志により、ピヒト=アクセンフェルトによるヒストリカル・チェンバロ用版、ならびにアクセンフェルトの弟子であるハン・カヤ(韓伽倻)によるモダン・ピアノ版が1998年に出版された(2011年現在は絶版)。《間奏曲A》(1982)は、1982年5月6日に東京で高橋アキにより初演、同氏に献呈。初演者のファーストネームに由来したと思しきA音が、主要音(ハウプト・トーン)として多様な変容を見せつつ強靭な生命力を持続する。
姜碩煕(カン・ソッキ、カン・スキ、カン・ソクヒ、1934年10月22日- )は、ソウル生まれ。ソウル工科専門学校で学んだ後、ソウル音大作曲科を1960年に卒業。1969年にパン・ミュージック・フェスティヴァルを創設。1970年に渡独、ハノーファーで尹伊桑に、ベルリン音大でボリス・ブラッハーに師事。1975年からソウル大講師、1982年~2000年ソウル大教授。1985年~1990年ISCM副委員長に就任(アジア人初)、のちに名誉会員。日本へは尚美学園大学客員教授として定期的に来日。代表作に管弦楽のための《カテナ》(1974~75)、フルート独奏と合奏のための《萬波》(1982)、ソウル・オリンピック開会式と閉会式のための電子音楽《プロメテウスの到来》(1988)、カンタータ《緑輝く地球上の平和》(1992)、東京室内歌劇場委嘱の歌劇《超越》(1995)、仏プレザンス音楽祭のクセナキス特集の一環で初演された《ピアノ協奏曲》(1998)、大關嶺音楽祭委嘱のヴァイオリン独奏と14弦楽器のための《平昌(ピョンチャン)- 四季》(2006)等。
《ピアノ・スケッチ》(1968)は短い3曲からなる。イ・ソンギョン(Lee Sung-Kyun)に献呈、ソウル・明洞芸術劇場で初演。第2曲は、1966年12月9日に韓国最初の電子音楽である《原色の饗宴》とともに発表された。《アペックス》は1972年4月ブレーメンにて完成、山下豊子に献呈。前作とは異なり、不確定的な記譜法が採られている。ピアノと電子音響のための大作《インヴェンツィオ》(1984)は、18音からなる主題が、パッサカリア、10の変奏曲を経て、終曲フーガへと変容してゆく。《ソナタ・バッハ》(1986)は、J.S.バッハ歿後300年記念年における、ベルリン・ホリゾント音楽祭の委嘱作品《サクセッション》のピアノ独奏版。パク・ウニ夫人(Eunhee Park)に献呈。B-A-C-Hの音名象徴を、4部から成る全体構成や倍音列システムにまで織り込んである。
朴泳姫(パク=パーン・ヨンヒ Younghi Pagh-Paan 1945年10月30日- )は、忠清北道清州(チョンジュ)市出身。姓であるパク(朴)に加えられたパーン(琶案)という言葉は、韓国人哲学者・金容沃(キム・ヨンオク 1948- )が贈った芸号で、「机の横に置かれた琵琶」という意味であるとともに、同じ発音で「破顔」の含意もあり、自身の音楽を聴いて人々が顔をほころばせて喜ぶことを願って併記しているとの事である。
ソウル大学で学んだのち、1974年に独政府給費DAAD留学生として渡独。フライブルク音大で作曲をクラウス・フーバー(後に彼女はフーバーと結婚)、楽曲分析をブライアン・ファーニホウ、ピアノをエディット・ピヒト=アクセンフェルトに師事。ドナウエッシンゲン音楽祭で初演された管弦楽のための《SORI》(1979)で国際的に知られるようになる。1994年よりブレーメン音大作曲科教授。自身の設立したアトリエ・ノイエ・ムジークの音楽監督。韓国民俗音楽と西欧前衛語法の融合を探求している。ボズヴィル現代音楽フォーラム第一位(1978)、ユネスコ国際作曲家会議第1位(1979)に始まり、ハイデルベルク女性作曲家賞(1995)、ベルリン芸術アカデミー会員(2009)に至る、数々の受賞歴がある。90年代以降、秋吉台や武生の音楽祭のために数度来日。作品はミュンヘン・リコルディ社から出版されている。
《パムン(波紋)》は、ソウル大学大学院修了作品であり、韓国時代の最後の作品となった。1971年6月25日、ソウルでキム・ユンジョン(Yoon-Jung Kim)により初演。2004年リコルディ社より出版。《のどの渇き》は、2008年10月29日東京、11月13日ソウルでハン・カヤ(韓伽倻)により初演、2010年リコルディ社より出版。済州島四・三事件(1948年)により韓氏の祖父母が殺害され両親が日本へ渡ってから、60周年を記念する鎮魂曲として委嘱された。十字架上のキリストの最後の7つの言葉に基づくシリーズの一環で、タイトルは第五の言葉(ヨハネ福音書19章28節) に由来する(「この後イエス萬(よろづ)の事の終りたるを知りて、――聖書の全うせられん爲に――『われ渇く』と言ひ給ふ。/Darnach, da Jesus wußte, daß schon alles vollbracht war, daß die Schrift erfüllt würde, spricht er: Mich dürstet!)。「肉体ではなく精神の渇き、海に漕ぎ出す漁師たちの力強い歌、済州島(チェジュド)の風土等が背景にある」(作曲者)。
陳銀淑(チン・ウンスク Unsuk Chin 1961年7月14日- )は、ソウル生まれ。ソウル大学で姜碩煕に師事。在学中の1985年、3台のチェロのための《スペクトラ》でガウデアムス国際作曲賞第1位(アジア人初)。独政府給費DAAD留学生として渡欧、ハンブルク音大でジェルジ・リゲティに師事(1985-88)。ポスト・セリエル書法で書かれた当時の作品を、時代遅れだとリゲティに非難され、3年間作曲が出来なくなる。1988年にベルリンへ居を移し、ベルリン工科大学電子音楽スタジオにて、8台ピアノのための《無限への階梯》(1989)をはじめとする7作品を制作。ソプラノとアンサンブルのための《折句―言葉遊び》(1991)で国際的知名度を得る。1995年にブージー・アンド・ホークス社と契約、全作品の楽譜を同社より出版。1999年以降ケント・ナガノと交流を深め、バイエルン国立歌劇場でのオペラ《不思議の国のアリス》(2007)を含めて、5作品が彼によって初演されている。ヴィヴィアネ・ハークナーとナガノによって初演されたヴァイオリン協奏曲(2002)はグロマイヤー作曲賞を受賞、テツラフ/ラトル/ベルリン・フィル(2005)を含めた全世界のオーケストラにより再演されている。他に、IRCAM委嘱作品《ザイ Xi(種/核)》によりブルージュ電子音楽国際コンクール第1位(1999)、A.シェーンベルク賞(2005)、ハイデルベルク女性作曲家賞(2007)等。韓国民俗音楽を含めた特定の文化と自作との関連性を否定している。
ピアノのための練習曲集は全12曲が予定され、現在までに6曲が完成している。そのうち4曲は、2003年に簡易版(改訂版)が作成され、現在取り上げられるのはもっぱらこのヴァージョンである。第1番《インC》は、1998年バリ島滞在中でのガムラン体験に触発されたもの。バッハ平均律、ショパン・ドビュッシー練習曲集と同様に、曲集の劈頭を「ハ調」が飾る。第2番~第4番は米ウォッシュバーン大学(Washburn University)からの委嘱作品。東京オペラシティ財団委嘱の第5番《トッカータ》は、第1番同様、C音の倍音列に基づく。英サウス・バンク・センターでのブーレーズ生誕75周年記念コンサートのために書かれた第6番《粒子》は、波形合成の一方式である「グラニュラー・シンセシス(微粒合成)」の翻案。
【初演データ】 第1番―[初版]1999年5月25日ハノーファー/大井浩明、[改訂版]2003年12月16日東京/大井浩明。第2番―[初版]1995年6月15日ベルリン/ディン・シャオリ(北京出身でアメリカに学んだ中国人ピアニスト)、[改訂版]2003年12月16日東京/大井浩明。第3番―[初版]1996年2月11日米カンザス州トピカ/ディン・シャオリ、[改訂版]2003年12月16日東京/大井浩明。第4番―[初版]1996年2月11日米カンザス州トピカ/ディン・シャオリ、[改訂版]2003年12月16日東京/大井浩明。第5番―2003年12月16日東京/大井浩明。第6番―2000年3月26日ロンドン/ロルフ・ハインド。
★9月23日クセナキス公演の感想集 http://togetter.com/li/191754
★10月22日リゲティ公演の感想集 http://togetter.com/li/203576
★11月23日ブーレーズ公演の感想集 http://togetter.com/li/217773
★POC2011関連のリンク http://ooipiano.exblog.jp/i9/
★在日本大韓民国民団・民団新聞記事 http://www.mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?page=1&subpage=2681&corner=6
〈前売〉 学生2,000円 一般2,500円 〈当日〉 学生2,500円 一般3,000円
【チケット取り扱い】 ローソンチケット 0570-084-003 Lコード:39824
ヴォートルチケットセンター 03-5355-1280 (10:00~18:00土日祝休)
【お問い合わせ】お問い合わせ 株式会社オカムラ&カンパニー
tel 03-6804-7490 (10:00~18:00 土日祝休)
fax 03-6804-7489 info@okamura-co.com
【ポック#9】 韓国現代ピアノ作品を集めて
2011年12月23日(祝) 午後6時開演 (午後5時30分開場) 白寿ホール
大井浩明(ピアノ)、有馬純寿(電子音響)
■尹伊桑(ユン・イサン 윤이상)(1917-1995)/5つの小品 (1958)、小陽陰(1966)、間奏曲A(1982)
■朴琶案泳姫(パク=パーン・ヨンヒ 박-파안 영희)(1945- )/波紋(1971)、のどの渇き(2008)
■陳銀淑(チン・ウンスク 진은숙)(1961- )/ピアノのためのエテュード集(1994-2003)(初版+改訂版 全曲による通奏世界初演)
I.インC (初版+改訂版)、II.連鎖 (初版+改訂版)、III.自由なスケルツォ (初版+改訂版)、IV.音階 (初版+改訂版)、V.トッカータ ~大井浩明のために、VI.粒子 ~P.ブーレーズのために
--(休憩15分)--
■姜碩煕(カン・ソッキ 강석희)(1934- )/ピアノ・スケッチ(1968)(日本初演)、アペックス(1972)(日本初演)、インヴェンツィオ~ピアノと電子音響のための(1984)(日本初演)、ソナタ・バッハ (1986)
------------
[POC#9] Anthology of Korean Piano Works
Fri, 23 Dec 2011 start 6:00 p.m. / open 5:30 p.m. Hakuju Hall, Tokyo
Hiroaki OOI, piano - Sumihisa ARIMA, electronics
Isang YUN: Fünf Stücke, Shao Yang Yin, Interdium A
Younghi PAGH-PAAN: Pa-mun, Mich dürstet/I thirst
Unsuk CHIN: Klavieretüden ~ I. In C (original & revised versions), II.Sequenzen(original & revised versions), III.Scherzo ad libitum(original & revised versions), IV.Scalen(original & revised versions), V.Toccata für Hiroaki Ooi, VI.Grains for Pierre Boulez
[intermission 15 minutes]
Sukhi KANG: Piano Sketch, Apex, INVENTIO--musicae clavichordii et sonorum artificiosorum (with Sumihisa ARIMA, electronics), Sonate BACH
尹伊桑(ユン・イサン、1917年9月17日 - 1995年11月3日)は、釜山近くの慶尚南道・統営(トンヨン)の出身。15歳で来日、大阪でチェロと音楽理論を学ぶ。21歳で再来日、東京で池内友次郎に3年間師事。戦後、釜山・統営・ソウルで教員として勤めた後、1956年6月に渡欧、パリ音楽院でトニー・オーバンに、翌年からはベルリン音大でヨーゼフ・ルーファー、ボリス・ブラッハーに師事。1963年に北朝鮮を初訪問。ドナウエッシンゲンで初演された管弦楽のための《礼楽(レアク)》(1966)で国際的評価を得る。1967年7月に韓国中央情報部(KCIA)によって逮捕、裁判ののち、1969年2月に釈放。1971年に西ドイツ国籍に帰化、1974年からベルリン音大教授。ハンブルク芸術アカデミーならびにベルリン芸術アカデミー会員。1987年西ドイツ政府大功労十字勲章。細川俊夫、三輪眞弘、嶋津武仁、古川聖ら11名の日本人を含む多くの弟子を育てた。代表作に、オラトリオ《唵麼抳鉢訥銘吽(ああ蓮華の中の宝珠よ)》(1964)、ミュンヘン・オリンピック委嘱の歌劇《沈青》(1973)、《チェロ協奏曲》(1976)、交響詩『光州よ、永遠に!』(1981)、ベルリン・フィル100周年委嘱『交響曲第1番』(1982/83)、サントリーホール杮落委嘱『交響曲第4番 《暗黒の中で歌う》』(1986)、金日成生誕75周年を祝うカンタータ《わが地、わが民族よ!》(1987)等。
《5つの小品》(1958)は、公式作品リストの冒頭に挙げられた、ベルリン音大在籍中の作品。1959年オランダ・ビルトホーフェンに於けるガウデアムス現代音楽祭で、ヘルマン・クロイトにより初演。《小陽陰》(1966)はアントワネッテ・ヴィッシャーより委嘱、同氏に献呈。1967年9月にヴィッシャーが録音、1968年1月12日にドイツ・フライブルクでエディト・ピヒト=アクセンフェルトにより舞台初演が行われた。元々、5本のペダルを持つモダン・チェンバロのために書かれたが、作曲者の遺志により、ピヒト=アクセンフェルトによるヒストリカル・チェンバロ用版、ならびにアクセンフェルトの弟子であるハン・カヤ(韓伽倻)によるモダン・ピアノ版が1998年に出版された(2011年現在は絶版)。《間奏曲A》(1982)は、1982年5月6日に東京で高橋アキにより初演、同氏に献呈。初演者のファーストネームに由来したと思しきA音が、主要音(ハウプト・トーン)として多様な変容を見せつつ強靭な生命力を持続する。
姜碩煕(カン・ソッキ、カン・スキ、カン・ソクヒ、1934年10月22日- )は、ソウル生まれ。ソウル工科専門学校で学んだ後、ソウル音大作曲科を1960年に卒業。1969年にパン・ミュージック・フェスティヴァルを創設。1970年に渡独、ハノーファーで尹伊桑に、ベルリン音大でボリス・ブラッハーに師事。1975年からソウル大講師、1982年~2000年ソウル大教授。1985年~1990年ISCM副委員長に就任(アジア人初)、のちに名誉会員。日本へは尚美学園大学客員教授として定期的に来日。代表作に管弦楽のための《カテナ》(1974~75)、フルート独奏と合奏のための《萬波》(1982)、ソウル・オリンピック開会式と閉会式のための電子音楽《プロメテウスの到来》(1988)、カンタータ《緑輝く地球上の平和》(1992)、東京室内歌劇場委嘱の歌劇《超越》(1995)、仏プレザンス音楽祭のクセナキス特集の一環で初演された《ピアノ協奏曲》(1998)、大關嶺音楽祭委嘱のヴァイオリン独奏と14弦楽器のための《平昌(ピョンチャン)- 四季》(2006)等。
《ピアノ・スケッチ》(1968)は短い3曲からなる。イ・ソンギョン(Lee Sung-Kyun)に献呈、ソウル・明洞芸術劇場で初演。第2曲は、1966年12月9日に韓国最初の電子音楽である《原色の饗宴》とともに発表された。《アペックス》は1972年4月ブレーメンにて完成、山下豊子に献呈。前作とは異なり、不確定的な記譜法が採られている。ピアノと電子音響のための大作《インヴェンツィオ》(1984)は、18音からなる主題が、パッサカリア、10の変奏曲を経て、終曲フーガへと変容してゆく。《ソナタ・バッハ》(1986)は、J.S.バッハ歿後300年記念年における、ベルリン・ホリゾント音楽祭の委嘱作品《サクセッション》のピアノ独奏版。パク・ウニ夫人(Eunhee Park)に献呈。B-A-C-Hの音名象徴を、4部から成る全体構成や倍音列システムにまで織り込んである。
朴泳姫(パク=パーン・ヨンヒ Younghi Pagh-Paan 1945年10月30日- )は、忠清北道清州(チョンジュ)市出身。姓であるパク(朴)に加えられたパーン(琶案)という言葉は、韓国人哲学者・金容沃(キム・ヨンオク 1948- )が贈った芸号で、「机の横に置かれた琵琶」という意味であるとともに、同じ発音で「破顔」の含意もあり、自身の音楽を聴いて人々が顔をほころばせて喜ぶことを願って併記しているとの事である。
ソウル大学で学んだのち、1974年に独政府給費DAAD留学生として渡独。フライブルク音大で作曲をクラウス・フーバー(後に彼女はフーバーと結婚)、楽曲分析をブライアン・ファーニホウ、ピアノをエディット・ピヒト=アクセンフェルトに師事。ドナウエッシンゲン音楽祭で初演された管弦楽のための《SORI》(1979)で国際的に知られるようになる。1994年よりブレーメン音大作曲科教授。自身の設立したアトリエ・ノイエ・ムジークの音楽監督。韓国民俗音楽と西欧前衛語法の融合を探求している。ボズヴィル現代音楽フォーラム第一位(1978)、ユネスコ国際作曲家会議第1位(1979)に始まり、ハイデルベルク女性作曲家賞(1995)、ベルリン芸術アカデミー会員(2009)に至る、数々の受賞歴がある。90年代以降、秋吉台や武生の音楽祭のために数度来日。作品はミュンヘン・リコルディ社から出版されている。
《パムン(波紋)》は、ソウル大学大学院修了作品であり、韓国時代の最後の作品となった。1971年6月25日、ソウルでキム・ユンジョン(Yoon-Jung Kim)により初演。2004年リコルディ社より出版。《のどの渇き》は、2008年10月29日東京、11月13日ソウルでハン・カヤ(韓伽倻)により初演、2010年リコルディ社より出版。済州島四・三事件(1948年)により韓氏の祖父母が殺害され両親が日本へ渡ってから、60周年を記念する鎮魂曲として委嘱された。十字架上のキリストの最後の7つの言葉に基づくシリーズの一環で、タイトルは第五の言葉(ヨハネ福音書19章28節) に由来する(「この後イエス萬(よろづ)の事の終りたるを知りて、――聖書の全うせられん爲に――『われ渇く』と言ひ給ふ。/Darnach, da Jesus wußte, daß schon alles vollbracht war, daß die Schrift erfüllt würde, spricht er: Mich dürstet!)。「肉体ではなく精神の渇き、海に漕ぎ出す漁師たちの力強い歌、済州島(チェジュド)の風土等が背景にある」(作曲者)。
陳銀淑(チン・ウンスク Unsuk Chin 1961年7月14日- )は、ソウル生まれ。ソウル大学で姜碩煕に師事。在学中の1985年、3台のチェロのための《スペクトラ》でガウデアムス国際作曲賞第1位(アジア人初)。独政府給費DAAD留学生として渡欧、ハンブルク音大でジェルジ・リゲティに師事(1985-88)。ポスト・セリエル書法で書かれた当時の作品を、時代遅れだとリゲティに非難され、3年間作曲が出来なくなる。1988年にベルリンへ居を移し、ベルリン工科大学電子音楽スタジオにて、8台ピアノのための《無限への階梯》(1989)をはじめとする7作品を制作。ソプラノとアンサンブルのための《折句―言葉遊び》(1991)で国際的知名度を得る。1995年にブージー・アンド・ホークス社と契約、全作品の楽譜を同社より出版。1999年以降ケント・ナガノと交流を深め、バイエルン国立歌劇場でのオペラ《不思議の国のアリス》(2007)を含めて、5作品が彼によって初演されている。ヴィヴィアネ・ハークナーとナガノによって初演されたヴァイオリン協奏曲(2002)はグロマイヤー作曲賞を受賞、テツラフ/ラトル/ベルリン・フィル(2005)を含めた全世界のオーケストラにより再演されている。他に、IRCAM委嘱作品《ザイ Xi(種/核)》によりブルージュ電子音楽国際コンクール第1位(1999)、A.シェーンベルク賞(2005)、ハイデルベルク女性作曲家賞(2007)等。韓国民俗音楽を含めた特定の文化と自作との関連性を否定している。
ピアノのための練習曲集は全12曲が予定され、現在までに6曲が完成している。そのうち4曲は、2003年に簡易版(改訂版)が作成され、現在取り上げられるのはもっぱらこのヴァージョンである。第1番《インC》は、1998年バリ島滞在中でのガムラン体験に触発されたもの。バッハ平均律、ショパン・ドビュッシー練習曲集と同様に、曲集の劈頭を「ハ調」が飾る。第2番~第4番は米ウォッシュバーン大学(Washburn University)からの委嘱作品。東京オペラシティ財団委嘱の第5番《トッカータ》は、第1番同様、C音の倍音列に基づく。英サウス・バンク・センターでのブーレーズ生誕75周年記念コンサートのために書かれた第6番《粒子》は、波形合成の一方式である「グラニュラー・シンセシス(微粒合成)」の翻案。
【初演データ】 第1番―[初版]1999年5月25日ハノーファー/大井浩明、[改訂版]2003年12月16日東京/大井浩明。第2番―[初版]1995年6月15日ベルリン/ディン・シャオリ(北京出身でアメリカに学んだ中国人ピアニスト)、[改訂版]2003年12月16日東京/大井浩明。第3番―[初版]1996年2月11日米カンザス州トピカ/ディン・シャオリ、[改訂版]2003年12月16日東京/大井浩明。第4番―[初版]1996年2月11日米カンザス州トピカ/ディン・シャオリ、[改訂版]2003年12月16日東京/大井浩明。第5番―2003年12月16日東京/大井浩明。第6番―2000年3月26日ロンドン/ロルフ・ハインド。
在日本大韓民国民団・民団新聞記事
http://www.mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?page=1&subpage=2681&corner=6
http://www.mindan.org/kr/newspaper/read_artcl.php?newsid=11300
오이 히로아키씨, 한국 전위 피아노작품 소개 연주회
일본, 유럽 등에서 활약하는 일본인 피아니스트 오이 히로아키(大井浩明)씨는 한국 현대피아노작품을 소개하는 리사이틀 공연 'Portra its of Composers' POC #9을 23일 도쿄 시부야구(澁谷區)의 하쿠쥬(白壽)홀에서 개최한다.
9월부터 내년 1월까지 매월 1회 전 5회에 걸친 연주회 시리즈로, 전후, 현대음악의 기점이 된 전위 피아노작품군을 체계적으로 소개하고 있다. 이번에는 윤이상(尹伊桑, 1917~1995), 강석희(姜碩熙, 1934~), 박파안영희(朴琶案泳姬, 1945~), 진은숙(陳銀淑, 1961~)의 작품을 연주한다.
특히 강석희의 '피아노 스케치', '아벡스', '인벤티오~피아노 전자음향을 위한'은 일본 첫공연. 당일은 강씨를 초청한다.
18시 공연 시작. 예매 일반 2500엔, 학생 2000엔. 당일 일반 3000엔, 학생 2500엔. 티켓은 로손티켓(전화 0570-084-003) L코드: 39824.
문의: 오카무라&컴퍼니(전화 03-6804-7490) 평일 10~18시.