★第1回公演(6月16日、ケージ「ソナタとインタリュード」+「易の音楽」)感想集 http://togetter.com/li/322182
★第2回公演(7月14日、ケージ「南のエチュード」+サティ他)&フェルドマン「バニタ・マーカスのために」感想集 http://togetter.com/li/338525
横島浩:《華麗対位法Ⅱ》
ミュージック・セリエルは線的書法でありながらその線が認知されないという弱点を持つ、との意見に対しシュトックハウゼンは分子の集合体が例えば「机」に見えるように「総合的な音響」を聴くべきだと反論した。彼のセリーを私自身よく理解していないが、「聴き手」の心理的動きを前提に刺激が上手く配列されているように感じてならない。そのような操作がトータル・セリーで可能なのか私は興味を持っている。セリーが線的であるとの前提に対する批判はシュトックハウゼンが支配する音響イメージが持つ強烈な「物質的」ともいえる作品を前にしてしまえば脆いように思えるが。
現代の超絶技巧曲をものともせずに制覇してきたピアニスト・大井浩明氏への挑戦状とも言える難曲を用意した。
この作品は、完全に「線の音楽」である。しかし、シュトックハウゼンのセリーと同様それを聴き分けられることが不可能に作られ、音の拡散や凝縮が非分別に成り立つよう書かれている。
二つの曲からなり、両曲とも4段譜で記されている(そうしないことには音符が書き収められないからである)。二曲ともルネサンス対位法の大家であるパレストリーナ(6声)とジョスカン・デュ・プレ(4声)のミサ曲を引用。
一曲目は1~6順列組み合わせ5040通りからなる配列の番号から、生年→没年→生年と並ぶ番号を選び原曲からどれだけ音高・音強・音価を歪めるのかを決定していった。
二曲目は音強を統一し原曲に基づく装飾音を先の配列から決定していった。
音響的なイメージを私自身が持ちつつも、速度が決定できず「任意」としている。おそらくは、そのイメージを凌駕する演奏を大井氏が聴かせてくれるのではないだろうかと恐れを抱いている次第である。
横島浩 Hiroshi YOKOSHIMA, composer
武蔵野音楽大学大学院修了。1990年作曲家グループ「TEMPUS NOVUM」立ち上げに参加。現音新人賞に二度入選。日本音楽コンクール作曲部門第一位受賞併せて明治安田賞も受賞。2011年全曲初演による個展が開かれる。実質的なデビュー曲となった1988年現音新人賞入選作となった《C.P.E.Times》はシアターピースの形態である。「何かが起きるタイミング」が感情過多様式を代表するエマヌエル・バッハのシンフォニアで起こる「起伏」に求められている。これも一つの引用方法。《情愛のない性格》では原曲を明らかにして暫時変化に耳が行くように作られており、これも一つの引用方法。しかし、「引用」の王道(?)であるパッチワークには私自身関心を持っていない。最近は太宰治の小説「女生徒」に書かれた言葉の配列を音に置き換える「作曲」にハマっている。太宰がつたない少女文体を引用していることに魅力を感じているから?でもなさそう。なんかこの小説が好きなんです。《華麗対位法Ⅱ》を作るに当たって、急にシビアな世界に戻った感じがする。書き始めた途端身体の不調が起こって即入院てこともあったし。
高橋悠治:光州1980年5月 (1980)
高橋悠治は1938年9月21日鎌倉生れ。1954年〜58年桐朋学園にて柴田南雄と小倉朗に作曲を師事。米フォード財団の助成により1963年〜66年ベルリンにてクセナキスに師事。66年に米ロックフェラー財団によりニューヨークに渡りコンピュータによる作曲に従事、1972年まで米国に滞在。1973年の《メアンデル》以降、アジア伝統音楽や左翼思想に根ざした作品を多く書いている。《光州1980年5月》は、光州事件直後に制作された富山妙子のスライドのために作曲。あらかじめ準備しておいた民衆歌、抵抗歌などの素材を、東京での初演に向かう列車の中で整理した作品と云う。スライド本体の頒価50,000円で、日本国内のみレンタル可(1週間以内 15,000円)との事。
尹伊桑(ユン・イサン、1917年9月17日 - 1995年11月3日)は、釜山近くの慶尚南道・統営(トンヨン)の出身。15歳で来日、大阪でチェロと音楽理論を学ぶ。21歳で再来日、東京で池内友次郎に3年間師事。戦後、釜山・統営・ソウルで教員として勤めた後、1956年6月に渡欧、パリ音楽院でトニー・オーバンに、翌年からはベルリン音大でヨーゼフ・ルーファー、ボリス・ブラッハーに師事。1963年に北朝鮮を初訪問。ドナウエッシンゲンで初演された管弦楽のための《礼楽(レアク)》(1966)で国際的評価を得る。1967年7月に韓国中央情報部(KCIA)によって逮捕、裁判ののち、1969年2月に釈放。1971年に西ドイツ国籍に帰化、1974年からベルリン音大教授。ハンブルク芸術アカデミーならびにベルリン芸術アカデミー会員。1987年西ドイツ政府大功労十字勲章。細川俊夫、三輪眞弘、嶋津武仁、古川聖ら11名の日本人を含む多くの弟子を育てた。代表作に、オラトリオ《唵麼抳鉢訥銘吽(ああ蓮華の中の宝珠よ)》(1964)、ミュンヘン・オリンピック委嘱の歌劇《沈青》(1973)、《チェロ協奏曲》(1976)、交響詩『光州よ、永遠に!』(1981)、ベルリン・フィル100周年委嘱『交響曲第1番』(1982/83)、サントリーホール杮落委嘱『交響曲第4番 《暗黒の中で歌う》』(1986)、金日成生誕75周年を祝うカンタータ《わが地、わが民族よ!》(1987)等。
《間奏曲A》(1982)は、1982年5月6日に東京で高橋アキにより初演、同氏に献呈。初演者のファーストネームに由来したと思しきA音が、主要音(ハウプト・トーン)として多様な変容を見せつつ強靭な生命力を持続する。
姜碩煕(カン・ソッキ、カン・スキ、カン・ソクヒ、1934年10月22日- )は、ソウル生まれ。ソウル工科専門学校で学んだ後、ソウル音大作曲科を1960年に卒業。1969年にパン・ミュージック・フェスティヴァルを創設。1970年に渡独、ハノーファーで尹伊桑に、ベルリン音大でボリス・ブラッハーに師事。1975年からソウル大講師、1982年~2000年ソウル大教授。1985年~1990年ISCM副委員長に就任(アジア人初)、のちに名誉会員。日本へは尚美学園大学客員教授として定期的に来日。代表作に管弦楽のための《カテナ》(1974~75)、フルート独奏と合奏のための《萬波》(1982)、ソウル・オリンピック開会式と閉会式のための電子音楽《プロメテウスの到来》(1988)、カンタータ《緑輝く地球上の平和》(1992)、東京室内歌劇場委嘱の歌劇《超越》(1995)、仏プレザンス音楽祭のクセナキス特集の一環で初演された《ピアノ協奏曲》(1998)、大關嶺音楽祭委嘱のヴァイオリン独奏と14弦楽器のための《平昌(ピョンチャン)- 四季》(2006)等。
《ソナタ・バッハ》(1986)は、J.S.バッハ歿後300年記念年における、ベルリン・ホリゾント音楽祭の委嘱作品《サクセッション》のピアノ独奏版。パク・ウニ夫人(Eunhee Park)に献呈。B-A-C-Hの音名象徴を、4部から成る全体構成や倍音列システムにまで織り込んである。
陳銀淑(チン・ウンスク Unsuk Chin 1961年7月14日- )は、ソウル生まれ。ソウル大学で姜碩煕に師事。在学中の1985年、3台のチェロのための《スペクトラ》でガウデアムス国際作曲賞第1位(アジア人初)。独政府給費DAAD留学生として渡欧、ハンブルク音大でジェルジ・リゲティに師事(1985-88)。ポスト・セリエル書法で書かれた当時の作品を、時代遅れだとリゲティに非難され、3年間作曲が出来なくなる。1988年にベルリンへ居を移し、ベルリン工科大学電子音楽スタジオにて、8台ピアノのための《無限への階梯》(1989)をはじめとする7作品を制作。ソプラノとアンサンブルのための《折句―言葉遊び》(1991)で国際的知名度を得る。1995年にブージー・アンド・ホークス社と契約、全作品の楽譜を同社より出版。1999年以降ケント・ナガノと交流を深め、バイエルン国立歌劇場でのオペラ《不思議の国のアリス》(2007)を含めて、5作品が彼によって初演されている。ヴィヴィアネ・ハークナーとナガノによって初演されたヴァイオリン協奏曲(2002)はグロマイヤー作曲賞を受賞、テツラフ/ラトル/ベルリン・フィル(2005)を含めた全世界のオーケストラにより再演されている。他に、IRCAM委嘱作品《ザイ Xi(種/核)》によりブルージュ電子音楽国際コンクール第1位(1999)、A.シェーンベルク賞(2005)、ハイデルベルク女性作曲家賞(2007)等。韓国民俗音楽を含めた特定の文化と自作との関連性を否定している。
ピアノのための練習曲集は全12曲が予定され、現在までに6曲が完成している。そのうち4曲は、2003年に簡易版(改訂版)が作成され、現在取り上げられるのはもっぱらこのヴァージョンである。第1番《インC》は、1998年バリ島滞在中でのガムラン体験に触発されたもの。バッハ平均律、ショパン・ドビュッシー練習曲集と同様に、曲集の劈頭を「ハ調」が飾る。第2番~第4番は米ウォッシュバーン大学(Washburn University)からの委嘱作品。東京オペラシティ財団委嘱の第5番《トッカータ》は、第1番同様、C音の倍音列に基づく。英サウス・バンク・センターでのブーレーズ生誕75周年記念コンサートのために書かれた第6番《粒子》は、波形合成の一方式である「グラニュラー・シンセシス(微粒合成)」の翻案。
★第2回公演(7月14日、ケージ「南のエチュード」+サティ他)&フェルドマン「バニタ・マーカスのために」感想集 http://togetter.com/li/338525
大井浩明 《ピアノ・アンバイアスト》 第3回公演 ~1980年代のピアノ作品を巡って
Hiroaki OOI - “Piano Unbiased”
2012年8月25日(土)18時開演
山村サロン (JR芦屋駅前)
〒659-0093 芦屋市船戸町4-1-301 (ラポルテ本館3階)
[JR芦屋駅下車、改札を右折、直進して陸橋を渡る。その方向のままラポルテ本館に入り、エスカレーターを1階ぶんのぼった正面。所要時間2~3分]
全自由席 前売り¥2500 当日¥3000
予約/問い合わせ: 山村サロン 0797-38-2585 yamamura@y-salon.com
●S.シャリーノ(1947- ):ソナタ第2番(1983)
●高橋悠治(1938- ):光州1980年5月 (1980)
●尹伊桑(ユン・イサン 윤이상)(1917-1995):間奏曲A(1982)
●S.シャリーノ(1947- ):ソナタ第3番(1987)
●姜碩煕(カン・ソッキ 강석희)(1934- ):ソナタ・バッハ (1986)
●B.ファーニホウ(1943- ):レンマ-イコン-エピグラム(1981)
(休憩)
●陳銀淑(チン・ウンスク 진은숙)(1961- ):ピアノのためのエテュード集(1994-2003)(初版+改訂版 )
I.インC (初版+改訂版)、II.連鎖 (初版+改訂版)、III.自由なスケルツォ (初版+改訂版)、IV.音階 (初版+改訂版)、V.トッカータ ~大井浩明のために、VI.粒子 ~P.ブーレーズのために
●横島浩(1961- ):ピアノ独奏のための《華麗対位法Ⅱ Florid Counterpoint II》(2012) 委嘱新作初演
第1曲「Palestrina」 - 第2曲「Josquin des Prés」
横島浩:《華麗対位法Ⅱ》
ミュージック・セリエルは線的書法でありながらその線が認知されないという弱点を持つ、との意見に対しシュトックハウゼンは分子の集合体が例えば「机」に見えるように「総合的な音響」を聴くべきだと反論した。彼のセリーを私自身よく理解していないが、「聴き手」の心理的動きを前提に刺激が上手く配列されているように感じてならない。そのような操作がトータル・セリーで可能なのか私は興味を持っている。セリーが線的であるとの前提に対する批判はシュトックハウゼンが支配する音響イメージが持つ強烈な「物質的」ともいえる作品を前にしてしまえば脆いように思えるが。現代の超絶技巧曲をものともせずに制覇してきたピアニスト・大井浩明氏への挑戦状とも言える難曲を用意した。
この作品は、完全に「線の音楽」である。しかし、シュトックハウゼンのセリーと同様それを聴き分けられることが不可能に作られ、音の拡散や凝縮が非分別に成り立つよう書かれている。
二つの曲からなり、両曲とも4段譜で記されている(そうしないことには音符が書き収められないからである)。二曲ともルネサンス対位法の大家であるパレストリーナ(6声)とジョスカン・デュ・プレ(4声)のミサ曲を引用。
一曲目は1~6順列組み合わせ5040通りからなる配列の番号から、生年→没年→生年と並ぶ番号を選び原曲からどれだけ音高・音強・音価を歪めるのかを決定していった。
二曲目は音強を統一し原曲に基づく装飾音を先の配列から決定していった。
音響的なイメージを私自身が持ちつつも、速度が決定できず「任意」としている。おそらくは、そのイメージを凌駕する演奏を大井氏が聴かせてくれるのではないだろうかと恐れを抱いている次第である。
横島浩 Hiroshi YOKOSHIMA, composer
武蔵野音楽大学大学院修了。1990年作曲家グループ「TEMPUS NOVUM」立ち上げに参加。現音新人賞に二度入選。日本音楽コンクール作曲部門第一位受賞併せて明治安田賞も受賞。2011年全曲初演による個展が開かれる。実質的なデビュー曲となった1988年現音新人賞入選作となった《C.P.E.Times》はシアターピースの形態である。「何かが起きるタイミング」が感情過多様式を代表するエマヌエル・バッハのシンフォニアで起こる「起伏」に求められている。これも一つの引用方法。《情愛のない性格》では原曲を明らかにして暫時変化に耳が行くように作られており、これも一つの引用方法。しかし、「引用」の王道(?)であるパッチワークには私自身関心を持っていない。最近は太宰治の小説「女生徒」に書かれた言葉の配列を音に置き換える「作曲」にハマっている。太宰がつたない少女文体を引用していることに魅力を感じているから?でもなさそう。なんかこの小説が好きなんです。《華麗対位法Ⅱ》を作るに当たって、急にシビアな世界に戻った感じがする。書き始めた途端身体の不調が起こって即入院てこともあったし。
高橋悠治:光州1980年5月 (1980)
高橋悠治は1938年9月21日鎌倉生れ。1954年〜58年桐朋学園にて柴田南雄と小倉朗に作曲を師事。米フォード財団の助成により1963年〜66年ベルリンにてクセナキスに師事。66年に米ロックフェラー財団によりニューヨークに渡りコンピュータによる作曲に従事、1972年まで米国に滞在。1973年の《メアンデル》以降、アジア伝統音楽や左翼思想に根ざした作品を多く書いている。《光州1980年5月》は、光州事件直後に制作された富山妙子のスライドのために作曲。あらかじめ準備しておいた民衆歌、抵抗歌などの素材を、東京での初演に向かう列車の中で整理した作品と云う。スライド本体の頒価50,000円で、日本国内のみレンタル可(1週間以内 15,000円)との事。
尹伊桑(ユン・イサン、1917年9月17日 - 1995年11月3日)は、釜山近くの慶尚南道・統営(トンヨン)の出身。15歳で来日、大阪でチェロと音楽理論を学ぶ。21歳で再来日、東京で池内友次郎に3年間師事。戦後、釜山・統営・ソウルで教員として勤めた後、1956年6月に渡欧、パリ音楽院でトニー・オーバンに、翌年からはベルリン音大でヨーゼフ・ルーファー、ボリス・ブラッハーに師事。1963年に北朝鮮を初訪問。ドナウエッシンゲンで初演された管弦楽のための《礼楽(レアク)》(1966)で国際的評価を得る。1967年7月に韓国中央情報部(KCIA)によって逮捕、裁判ののち、1969年2月に釈放。1971年に西ドイツ国籍に帰化、1974年からベルリン音大教授。ハンブルク芸術アカデミーならびにベルリン芸術アカデミー会員。1987年西ドイツ政府大功労十字勲章。細川俊夫、三輪眞弘、嶋津武仁、古川聖ら11名の日本人を含む多くの弟子を育てた。代表作に、オラトリオ《唵麼抳鉢訥銘吽(ああ蓮華の中の宝珠よ)》(1964)、ミュンヘン・オリンピック委嘱の歌劇《沈青》(1973)、《チェロ協奏曲》(1976)、交響詩『光州よ、永遠に!』(1981)、ベルリン・フィル100周年委嘱『交響曲第1番』(1982/83)、サントリーホール杮落委嘱『交響曲第4番 《暗黒の中で歌う》』(1986)、金日成生誕75周年を祝うカンタータ《わが地、わが民族よ!》(1987)等。《間奏曲A》(1982)は、1982年5月6日に東京で高橋アキにより初演、同氏に献呈。初演者のファーストネームに由来したと思しきA音が、主要音(ハウプト・トーン)として多様な変容を見せつつ強靭な生命力を持続する。
姜碩煕(カン・ソッキ、カン・スキ、カン・ソクヒ、1934年10月22日- )は、ソウル生まれ。ソウル工科専門学校で学んだ後、ソウル音大作曲科を1960年に卒業。1969年にパン・ミュージック・フェスティヴァルを創設。1970年に渡独、ハノーファーで尹伊桑に、ベルリン音大でボリス・ブラッハーに師事。1975年からソウル大講師、1982年~2000年ソウル大教授。1985年~1990年ISCM副委員長に就任(アジア人初)、のちに名誉会員。日本へは尚美学園大学客員教授として定期的に来日。代表作に管弦楽のための《カテナ》(1974~75)、フルート独奏と合奏のための《萬波》(1982)、ソウル・オリンピック開会式と閉会式のための電子音楽《プロメテウスの到来》(1988)、カンタータ《緑輝く地球上の平和》(1992)、東京室内歌劇場委嘱の歌劇《超越》(1995)、仏プレザンス音楽祭のクセナキス特集の一環で初演された《ピアノ協奏曲》(1998)、大關嶺音楽祭委嘱のヴァイオリン独奏と14弦楽器のための《平昌(ピョンチャン)- 四季》(2006)等。
《ソナタ・バッハ》(1986)は、J.S.バッハ歿後300年記念年における、ベルリン・ホリゾント音楽祭の委嘱作品《サクセッション》のピアノ独奏版。パク・ウニ夫人(Eunhee Park)に献呈。B-A-C-Hの音名象徴を、4部から成る全体構成や倍音列システムにまで織り込んである。
陳銀淑(チン・ウンスク Unsuk Chin 1961年7月14日- )は、ソウル生まれ。ソウル大学で姜碩煕に師事。在学中の1985年、3台のチェロのための《スペクトラ》でガウデアムス国際作曲賞第1位(アジア人初)。独政府給費DAAD留学生として渡欧、ハンブルク音大でジェルジ・リゲティに師事(1985-88)。ポスト・セリエル書法で書かれた当時の作品を、時代遅れだとリゲティに非難され、3年間作曲が出来なくなる。1988年にベルリンへ居を移し、ベルリン工科大学電子音楽スタジオにて、8台ピアノのための《無限への階梯》(1989)をはじめとする7作品を制作。ソプラノとアンサンブルのための《折句―言葉遊び》(1991)で国際的知名度を得る。1995年にブージー・アンド・ホークス社と契約、全作品の楽譜を同社より出版。1999年以降ケント・ナガノと交流を深め、バイエルン国立歌劇場でのオペラ《不思議の国のアリス》(2007)を含めて、5作品が彼によって初演されている。ヴィヴィアネ・ハークナーとナガノによって初演されたヴァイオリン協奏曲(2002)はグロマイヤー作曲賞を受賞、テツラフ/ラトル/ベルリン・フィル(2005)を含めた全世界のオーケストラにより再演されている。他に、IRCAM委嘱作品《ザイ Xi(種/核)》によりブルージュ電子音楽国際コンクール第1位(1999)、A.シェーンベルク賞(2005)、ハイデルベルク女性作曲家賞(2007)等。韓国民俗音楽を含めた特定の文化と自作との関連性を否定している。
ピアノのための練習曲集は全12曲が予定され、現在までに6曲が完成している。そのうち4曲は、2003年に簡易版(改訂版)が作成され、現在取り上げられるのはもっぱらこのヴァージョンである。第1番《インC》は、1998年バリ島滞在中でのガムラン体験に触発されたもの。バッハ平均律、ショパン・ドビュッシー練習曲集と同様に、曲集の劈頭を「ハ調」が飾る。第2番~第4番は米ウォッシュバーン大学(Washburn University)からの委嘱作品。東京オペラシティ財団委嘱の第5番《トッカータ》は、第1番同様、C音の倍音列に基づく。英サウス・バンク・センターでのブーレーズ生誕75周年記念コンサートのために書かれた第6番《粒子》は、波形合成の一方式である「グラニュラー・シンセシス(微粒合成)」の翻案。






















