第1回~第3回公演 感想まとめ等: http://togetter.com/li/568921
ベートーヴェン:ピアノソナタ全32曲連続演奏会(全8回)
~様式別・時代順のフォルテピアノ(古楽器)による~
淀橋教会・小原記念チャペル(東京都新宿区百人町1-17-8)
JR総武線・大久保駅「北口」下車徒歩1分、JR山手線・新大久保駅下車徒歩3分
3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円 5公演パスポート13000円]
【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 03(3377)4706 (13時~19時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付) http://www.opus55.jp/
FBイベントページ https://www.facebook.com/events/313503112121363/
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《フォルテピアノとの出逢い》 ―――正田朝子
「これはいけるかもしれない。」私はその時、フォルテピアノのレクチャーコンサートの会場で、モーツァルトの演奏に釘付けになっていた。今まで体験したことのない、鮮やかな音がフォルテピアノから紡ぎだされていた。私が長い間ずっと、自分のモーツァルト演奏に持っていた不満が解消されるかもしれないという光が、射し込んで来た。「この楽器を弾いてみたい!」。
それまでも、フォルテピアノに接する機会がないわけではなかった。オーストリアやドイツを旅行した際には、モーツァルトやベートーヴェンなど作曲家ゆかりの記念館や楽器博物館で、何度か目の当たりにした。最初は、「え、これが、こんな華奢な楽器が、ベートーヴェンが使っていたモノ?!」と肩すかしをくらった感じだった。幼少の頃からピアノを習って来たけれど、「ベートーヴェンの作曲は楽器の発達とともに」などと本で読んだりもしていたけれど、当時作曲家が実際にどんな楽器を使っていたのか、正直あまり考えたことがなかったのだ。実物を目の前にすると、「てことは、後期のソナタも、こんな小さな楽器で弾いていたんだ・・・」とその大きさが意外に思えた。
ただし、そういう博物館では、生の音はなかなか聴くことができない。なので日本で、何回かレクチャーコンサートに足を運んでみたりもした。ただ、そういう場だとクラヴィコードから始まって様々な楽器を紹介することが多かったり、広い会場で楽器が遠かったりで、なんとなく「こんな楽器もあるんだぁ、この楽器はこんな音かぁ」で終わってしまっていた。だが、この日のレクチャーコンサートは、モーツァルトに的をしぼって解説と演奏をしてくれて、フォルテピアノならではのモーツァルトの響きを楽しむことができた。パラパラと本当に軽やかなタッチ、弱音ペダルを使った時のハッとするような暗くくぐもった音色。そして語りかけてくるようなアーティキュレーションや間合いなど。私はそれまで、モーツァルトを弾きながら「きっと楽譜にはもっと素敵で面白いことが書かれているはずだと思うのに、それがわからない、掘り出せない」と、自分の演奏のつまらなさにウンザリ、がっかりしていた。どうやれば、生き生きとした演奏になるのか。四角四面でない、かといってロマン派的なアプローチは何か違う、何かもっと「語る」ような演奏はどうしたらできるのか。…というようなことを、ぼんやりと感じ続けていた。それがこの日のレクチャーコンサートの演奏を聴いて、「自分はこんな演奏がしたいんだ、こういう手法(?)を学びたい!」と興奮してしまったのである。
実は私はこれより前に、本当に少しだけチェンバロをかじったことがあるのだが、その時も「今まで現代ピアノで苦労してバッハとか弾いていたのは、何だったの?」と思ったのだった。チェンバロならば、各声部が立ち上がるように現れてくれるし、なんかもったりしていたパッセージがくっきりと輪郭を描いてくれる。この楽器を使えば、表現したいことがとても楽にできそうだということを思い知らされたのだった。もちろんそれと、自分がチェンバロを弾けるようになるということとは、別物なのだが・・・。
そんなわけで、このレクチャーコンサート以来、フォルテピアノを弾いてみたいという願いがおさまらず、迷ったけれど思いきってレッスンに行くことにしてしまった。全くの初心者だし、誰か知り合いに先生を紹介してもらったわけでもないし、我ながら無謀というか「先生に失礼かも・・・」と思わないでもなかった。もちろん自宅にフォルテピアノなどあるはずもないし、近い将来買える予定もない。けれど、チェンバロを習っていた時もやはり自宅に楽器がなくてもレッスンはしてもらえたし、きっとなんとかなるだろうとわりと楽観的に門を叩いたのだった。そこはアマチュアの強さ(図々しさ)と言われれば、そうなんだろうと思う。
念願かなって、レッスンの初回。恐る恐る、フォルテピアノの鍵盤を押すと、「え、これで終わり?!」。鍵盤がとても浅いのだ。誤解を恐れずに言うと、おもちゃのピアノみたい。現代ピアノの感覚で弾くと、あっという間に音が割れてしまう。現代ピアノでの指の感覚からすると、弱音域くらいの狭い範囲で微妙に調整していく感じだ。どのくらいが適切なのか、先生にアドヴァイスをいただきながら、手探りで弾いていく。制御にものすごく神経を使い、気づいたら汗をかいていた。脱力どころの話ではない。息も止まっていたかもしれない(笑)。
こんなおっかなびっくりのスタートだったが、レッスンに通うたびに、私はフォルテピアノの魅力の虜になってしまった。
まずは何と言っても、その軽やかなタッチ。「ころころと転がるような」というのは、こんな音色のことを言うのかと思う。そして更に、チェンバロのようにちょっとしたアーティキュレーションをつけやすいので、パッセージにぐっと表情が出てくる。このアーティキュレーションのつけ方は、チェンバロを習っていた時に教わったのと似ていることも多く、「なるほど、奏法というものは連続しているんだなあ」と納得した。考えてみれば当たり前だが、クラヴィコードもチェンバロもフォルテピアノも同時期に存在していたことがあるわけで、作曲家や演奏家は、これらの楽器をごく普通に弾き分けていたのだよなあと。ならば、全く断絶した奏法のわけがないよなあと。私が新鮮だったのは、「弾きにくい音型というのは、弾きにくいというそのことに意味がある」というようなこと。現代ピアノでは、少なくとも私は、弾きにくい箇所でもインテンポで弾けるように頑張ってさらうのが当たり前だったと思う。でもそうではなくて、間に合わないならばそういう時間が必要な音型ということで、間があいてもいい、間があかないとおかしい、それによって自然な流れができてくるんだと言われ、ハッとさせられた。そう考えると、いろいろなパッセージの音型の見え方が今までと違って来た。まあつまりは、自分は本当に読譜力がないということを、痛感しているわけだ。
次の魅力は、音色の不均一さ。「不均一」と言うとマイナスイメージを抱きがちだが、そうではない。フォルテピアノは音域によって音色が均質でないので、高音は高音らしく低音はとても低音らしく、響いてくれるのだ。現代ピアノで弾くと「なんとなく全部中音域(実際、現代ピアノでは中音域になってしまうし)」という曲も、すごくダイナミックに響くのだ。恥ずかしながら、「あ、この曲のこの音は、もう最高音に近かったのか」と初めて意識したり、また低音の響きに圧倒されたり、それはそれは弾いていて楽しいのである。全体の音量は現代ピアノよりも小さいけれど、聴いた時の印象ははるかにスケールが大きいと思う。
それからペダルの効果もすごい。フォルテピアノは音の減衰が早いので、ダンパーペダルを踏んでも現代ピアノのように音が濁らない。なので、ペダル踏みっぱなしにしていても、全然大丈夫なのである。この響き具合がなんとも魅力的。その昔、ベートーヴェンの楽譜とかでペダル記号に疑問を感じたこともあったけれど、フォルテピアノなら可能なんだと改めて思った次第だ。あとはなんといっても弱音ペダル。これを踏むと、ガラッと雰囲気が変わって、ぞくぞくしてしまう。現代ピアノだと弱音ペダルはなんだか単にボケた音になるだけな気がして、私は積極的に踏むことはなかった。だけど、フォルテピアノの弱音ペダルは、本当に「使わなきゃ損」だ。
フォルテピアノのレッスンに通い始めてほんのちょっと、入口に立ったところの私が実感として思いつくフォルテピアノの魅力はこんなところだが、これからもまだまだ楽しみが見つけられそうでワクワクしている。そのうち、ソロだけでなく弦楽器などとのアンサンブルもやってみたいなあと思ったりしている。フォルテピアノが伴奏をしているチェロソナタを生で聴いたのだが、フォルテピアノの音量だと全くチェロの邪魔をすることがなく、とてもバランスが良かったのだ。フォルテピアノが思いっきり弾いているのに、チェロがかき消されることなく朗々と響いていて、非常に心地よかった。このバランスを、一度自分でも体感してみたい。
けれど自分はアマチュアで、当然のことだが現代ピアノを弾く機会が圧倒的に多い。「フォルテピアノじゃなきゃモーツァルトやベートーヴェンを弾く気にならない」とか言ってみたいけど、そうそう言えない(笑)。だから、フォルテピアノの弾き方を現代ピアノに少しでも反映させることができたらいいな、とも考える。チェンバロやフォルテピアノの奏法が連続しているのなら、フォルテピアノと現代ピアノの奏法も連続しているのだろうと思うのだが、まだ自分の中でうまくつながっていない。それでも、現代ピアノでモーツァルトを弾く時にもフォルテピアノの音が思い浮かべられるようになっただけでも、自分としては進歩なのかもしれない。また、私はチェンバロよりもフォルテピアノの方が弾きやすいと感じるので、それもフォルテピアノが現代ピアノと連続しているということなのかもしれない。
と言いつつ実は、「次はやっぱりクラヴィコードも弾いてみたい」とも思っていたりするのである。バッハやモーツァルト、ベートーヴェンも愛用していたというからには、弾いてみたらまた目からウロコなことがありそうだなあと、期待してしまうというもの。「弾いてみたい」と思っているだけなら誰にも迷惑をかけないし、まあ気長に温めておこうと思っている。
ベートーヴェン:ピアノソナタ全32曲連続演奏会(全8回)
~様式別・時代順のフォルテピアノ(古楽器)による~
淀橋教会・小原記念チャペル(東京都新宿区百人町1-17-8)
JR総武線・大久保駅「北口」下車徒歩1分、JR山手線・新大久保駅下車徒歩3分
3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円 5公演パスポート13000円]
【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 03(3377)4706 (13時~19時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付) http://www.opus55.jp/
FBイベントページ https://www.facebook.com/events/313503112121363/
第四回公演
使用楽器 ヨハン・ロデウィク・ドゥルケン(1795年頃、FF-g3)
[A=430Hz、1/6ヴァロッティ不等分律] 調律 太田垣至
〈チェンバロまたはピアノ=フォルテのための幻想曲風ソナタ
ジュリエッタ・グィッチャルディ伯爵令嬢へ、
ルイジ・ヴァン・ベートーヴェンにより作曲献呈、作品27第2 〉
《演奏曲目》
■ソナタ第12番変イ長調Op.26「葬送(Trauer)」(1800/01)[全4楽章]
Andante con Variazione - Scherzo: Allegro molto - MARCIA FUNEBRE sulla morte d'un Eroe - Allegro
■ソナタ第13番変ホ長調Op.27-1 《幻想曲風ソナタ》(1800/01)[全3楽章]
Andante/Allegro/Andante - Allegro molto e vivace - Adagio con espressione/Allegro vivace
【休憩、約15分】
■ソナタ第14番嬰ハ短調Op.27-2 《幻想曲風ソナタ》 「月光(Mondschein)」(1801)[全3楽章]
Adagio sostenuto - Allegretto - Presto agitato
■ソナタ第15番ニ長調Op.28「田園(Pastorale)」(1801)[全4楽章]
Allegro - Andante - Scherzo: Allegro vivace - Rondo: Allegro ma non troppo
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《フォルテピアノとの出逢い》 ―――正田朝子

それまでも、フォルテピアノに接する機会がないわけではなかった。オーストリアやドイツを旅行した際には、モーツァルトやベートーヴェンなど作曲家ゆかりの記念館や楽器博物館で、何度か目の当たりにした。最初は、「え、これが、こんな華奢な楽器が、ベートーヴェンが使っていたモノ?!」と肩すかしをくらった感じだった。幼少の頃からピアノを習って来たけれど、「ベートーヴェンの作曲は楽器の発達とともに」などと本で読んだりもしていたけれど、当時作曲家が実際にどんな楽器を使っていたのか、正直あまり考えたことがなかったのだ。実物を目の前にすると、「てことは、後期のソナタも、こんな小さな楽器で弾いていたんだ・・・」とその大きさが意外に思えた。
ただし、そういう博物館では、生の音はなかなか聴くことができない。なので日本で、何回かレクチャーコンサートに足を運んでみたりもした。ただ、そういう場だとクラヴィコードから始まって様々な楽器を紹介することが多かったり、広い会場で楽器が遠かったりで、なんとなく「こんな楽器もあるんだぁ、この楽器はこんな音かぁ」で終わってしまっていた。だが、この日のレクチャーコンサートは、モーツァルトに的をしぼって解説と演奏をしてくれて、フォルテピアノならではのモーツァルトの響きを楽しむことができた。パラパラと本当に軽やかなタッチ、弱音ペダルを使った時のハッとするような暗くくぐもった音色。そして語りかけてくるようなアーティキュレーションや間合いなど。私はそれまで、モーツァルトを弾きながら「きっと楽譜にはもっと素敵で面白いことが書かれているはずだと思うのに、それがわからない、掘り出せない」と、自分の演奏のつまらなさにウンザリ、がっかりしていた。どうやれば、生き生きとした演奏になるのか。四角四面でない、かといってロマン派的なアプローチは何か違う、何かもっと「語る」ような演奏はどうしたらできるのか。…というようなことを、ぼんやりと感じ続けていた。それがこの日のレクチャーコンサートの演奏を聴いて、「自分はこんな演奏がしたいんだ、こういう手法(?)を学びたい!」と興奮してしまったのである。

そんなわけで、このレクチャーコンサート以来、フォルテピアノを弾いてみたいという願いがおさまらず、迷ったけれど思いきってレッスンに行くことにしてしまった。全くの初心者だし、誰か知り合いに先生を紹介してもらったわけでもないし、我ながら無謀というか「先生に失礼かも・・・」と思わないでもなかった。もちろん自宅にフォルテピアノなどあるはずもないし、近い将来買える予定もない。けれど、チェンバロを習っていた時もやはり自宅に楽器がなくてもレッスンはしてもらえたし、きっとなんとかなるだろうとわりと楽観的に門を叩いたのだった。そこはアマチュアの強さ(図々しさ)と言われれば、そうなんだろうと思う。
念願かなって、レッスンの初回。恐る恐る、フォルテピアノの鍵盤を押すと、「え、これで終わり?!」。鍵盤がとても浅いのだ。誤解を恐れずに言うと、おもちゃのピアノみたい。現代ピアノの感覚で弾くと、あっという間に音が割れてしまう。現代ピアノでの指の感覚からすると、弱音域くらいの狭い範囲で微妙に調整していく感じだ。どのくらいが適切なのか、先生にアドヴァイスをいただきながら、手探りで弾いていく。制御にものすごく神経を使い、気づいたら汗をかいていた。脱力どころの話ではない。息も止まっていたかもしれない(笑)。
こんなおっかなびっくりのスタートだったが、レッスンに通うたびに、私はフォルテピアノの魅力の虜になってしまった。

次の魅力は、音色の不均一さ。「不均一」と言うとマイナスイメージを抱きがちだが、そうではない。フォルテピアノは音域によって音色が均質でないので、高音は高音らしく低音はとても低音らしく、響いてくれるのだ。現代ピアノで弾くと「なんとなく全部中音域(実際、現代ピアノでは中音域になってしまうし)」という曲も、すごくダイナミックに響くのだ。恥ずかしながら、「あ、この曲のこの音は、もう最高音に近かったのか」と初めて意識したり、また低音の響きに圧倒されたり、それはそれは弾いていて楽しいのである。全体の音量は現代ピアノよりも小さいけれど、聴いた時の印象ははるかにスケールが大きいと思う。
それからペダルの効果もすごい。フォルテピアノは音の減衰が早いので、ダンパーペダルを踏んでも現代ピアノのように音が濁らない。なので、ペダル踏みっぱなしにしていても、全然大丈夫なのである。この響き具合がなんとも魅力的。その昔、ベートーヴェンの楽譜とかでペダル記号に疑問を感じたこともあったけれど、フォルテピアノなら可能なんだと改めて思った次第だ。あとはなんといっても弱音ペダル。これを踏むと、ガラッと雰囲気が変わって、ぞくぞくしてしまう。現代ピアノだと弱音ペダルはなんだか単にボケた音になるだけな気がして、私は積極的に踏むことはなかった。だけど、フォルテピアノの弱音ペダルは、本当に「使わなきゃ損」だ。

けれど自分はアマチュアで、当然のことだが現代ピアノを弾く機会が圧倒的に多い。「フォルテピアノじゃなきゃモーツァルトやベートーヴェンを弾く気にならない」とか言ってみたいけど、そうそう言えない(笑)。だから、フォルテピアノの弾き方を現代ピアノに少しでも反映させることができたらいいな、とも考える。チェンバロやフォルテピアノの奏法が連続しているのなら、フォルテピアノと現代ピアノの奏法も連続しているのだろうと思うのだが、まだ自分の中でうまくつながっていない。それでも、現代ピアノでモーツァルトを弾く時にもフォルテピアノの音が思い浮かべられるようになっただけでも、自分としては進歩なのかもしれない。また、私はチェンバロよりもフォルテピアノの方が弾きやすいと感じるので、それもフォルテピアノが現代ピアノと連続しているということなのかもしれない。
と言いつつ実は、「次はやっぱりクラヴィコードも弾いてみたい」とも思っていたりするのである。バッハやモーツァルト、ベートーヴェンも愛用していたというからには、弾いてみたらまた目からウロコなことがありそうだなあと、期待してしまうというもの。「弾いてみたい」と思っているだけなら誰にも迷惑をかけないし、まあ気長に温めておこうと思っている。