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7/19(土) 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第七回公演

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リサイタル・シリーズ 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第7回公演
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2014年7月19日(土)15時開演 (14時半開場)
タカギクラヴィア松濤サロン (東京都渋谷区松濤1-26-4 Tel. 03-3770-9611)
最寄駅/JR・東横線・地下鉄「渋谷駅」より徒歩10分、京王井の頭線「神泉駅」より徒歩3分
使用楽器:NYスタインウェイ

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7/19(土) 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第七回公演_c0050810_9521135.jpg■《おお神よ、慈しみ深き神よ》による様々なパルティータ BWV 767 (1703)
  Partita I - II- III- IV - V- VI - VII - VIII - IX

■カプリッチョ 変ロ長調 《最愛の兄の旅立ちにあたって》 BWV992 (1704)
  I. Arioso - Adagio 兄の旅立ちを引き止めようとする友人たちの甘い言葉 - II. (Andante) 異国で出会うであろう様々な出来事の想像 - III. Adagissimo 友人たちの嘆き - IV. (Andante con moto) 引き止め切れないと知った友人たちがやってきて別れを告げる - V. Aria di Postiglione 郵便馬車の御者のアリア - VI. Fugue 郵便馬車の角笛をまねたフーガ

■トッカータ ハ短調 BWV911 (1710)

■半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV 903 (1719)

■二声のインヴェンション BWV 772-786 (1723) [全15曲]
  I.ハ長調 - II.ハ短調 - III.ニ長調 - IV.ニ短調 - V.変ホ長調 - VI.ホ長調 - VII.ホ短調 - VIII.ヘ長調 - IX.ヘ短調 - X.ト長調 - XI.ト短調 - XII.イ長調 - XIII.イ短調 - XIV.変ロ長調 - XV.ロ短調


(休憩15分)


●H.ラッヘンマン《ニ短調インヴェンションBWV 775への第三声》(1723/1986)

■三声のシンフォニア BWV 787-801 (1723) [全15曲]
  I.ハ長調 - II.ハ短調 - III.ニ長調 - IV.ニ短調 - V.変ホ長調 - VI.ホ長調 - VII.ホ短調 - VIII.ヘ長調 - IX.ヘ短調 - X.ト長調 - XI.ト短調 - XII.イ長調 - XIII.イ短調 - XIV.変ロ長調 - XV.ロ短調

■《われらみな一なる神を信ず》によるフゲッタ(小コラール) BWV 681 (1739)

■《天にましますわれらの父よ》(初期稿による小コラール) BWV 683a (1739)

■4つのデュエット BWV 802-805 (1739)
  I.ホ短調 - II.ヘ長調 - III.ト長調 - IV.イ短調
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●お問い合わせ/(株)オカムラ&カンパニー tel 03-6804-7490(10:00~18:00 土日祝休) fax 03-6804-7489 info@okamura-co.com http://okamura-co.com/ja/events/piano-axis/

※タカギクラヴィアに直接チケットを申し込むと、隣接のカフェ(http://www.cafetakagiklavier.com/cafe_f.html)のドリンク券がつきます。

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7/19(土) 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第七回公演_c0050810_1014090.jpg  もしインターネット掲示板のYahoo知恵袋に古楽部門があったら、もっとも閲覧数を集めるQ&Aは、「バッハをピアノでどう弾くか」、という設問かもしれません。
  現代のピアノは洗練の行き着く先とも言えるし、末生りのカボチャとも言えます。昨日の淵を今日の瀬としていた息子たちに、父バッハが「私とともに歩まぬ者は私に背く者である」(ルカ第11章/マタイ第12章)、と色を作(な)したとは思えません。
  一方、モダンピアノ奏者が古楽器を弾くと、指先から出て来るのは所詮モダンピアノの音であるのも事実です。すなわち、奏者の頭の中で響いている音が指先からこぼれ出すだけなので、最終的にはインターフェースが何であるかは問題ではありません。私は現代作品を手がける者として、作曲様式に対応する演奏様式の取捨選択には、出来る限り敏感でいたいと思っています。恐ろしいことに、それは「聞けばすぐ分かる」ことですから。


7/19(土) 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第七回公演_c0050810_102128.jpg  昨今、「古楽アプローチ」というと、表現上でのある種のバイアスを意味することが多いようですが、本来は「自分の頭で考えてみよう」、というムーヴメントなはずです。古物営業法違反の疑いで逮捕されるならともかく、実体の無い「正調お古楽」の名取を目指して精進するのも空しい限りです。
  実のところ、モダン奏法と古楽奏法の音楽作りの手立ては80%くらいは重なっています。いわゆる《良い趣味 bon goût》と呼ばれる規範にしても、そもそも実態は同定不能ですし、恐らくモダン奏法内での個性差を大きく超えるものではありません。
  バッハ次男・モーツァルト父・クヴァンツ等の教則本、あるいは類似の指南書を読んで、いきなり実践へ移すのには無理があります。ギーゼキングやコルトーの奏法本を読んだ「だけ」で、ピアノが弾けるようにはならないのと一緒です。取っ掛かりとしては、口頭で目の前でやってもらうのを盗むのが一番早い。幾つかのスタイル(試行例)に慣れたら、あとは自分で自由に開拓してゆけば良いでしょう。

7/19(土) 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第七回公演_c0050810_9545467.jpg  古楽奏法の最大の長所は、バッハやモーツァルトと一応、「直通電話」がつながることです。彼らが何を喋っているかすぐには理解出来なくても、余計な通訳やら執事やらを介していないだけで、どれだけ無駄な遠回りを省ける事か。楽譜だけを見ていれば良い、と分かると、他人のアドバイス・演奏・録音に頼る気は失せます。楽譜と自分の成長・変化が直接リンクするので、「配られたカード」の優劣にやきもきする事なく、余計な「個性」の演出にも煩わされずに済みます。(その結果がマーケットに乗るかどうかは別問題。)
  すぐ分かる人、少々時間がかかる人、色々ですが、「年を食ってるから手遅れな人」はいません。古楽といえば、作品の成立経緯や使用エディション、調律法といったトピックに興味が集まりがちですけれども、いわゆる修辞学に代表されるtipsは大変便利で、バロック以降のすべての音楽に応用出来ます。かつては入手しにくかった初版ファクシミリも、ここ数年はimslp等で容易に閲覧・ダウンロードできるようになりました。音大で古楽器は必修副科にすべきと思いますが、まだまだ「政治」の敷居は消えていないようです。これも最終的には、学ぶ側のやる気次第です。


  では今、バッハでは現代楽器か古楽器、どちらを選びますか、と問われれば、個人的には、音色の絶対的優越性から後者を採ります。天然鯛を捨てて養殖ティラピアを好む人はいないでしょう。「ピアノとチェンバロ、音色が華やかで美しいのは?」とピアニストに質問したら、100人中100人がピアノと答えるでしょうが、残念ながら、正解はチェンバロです。「チェンバロのほうが音色が美しい」、という直感的な皮膚感覚を得るのに、私は5年ほど要しました。私の耳の悪さのせいか、チェンバロやオルガンに加え、ヴィオラダガンバやバロックリュート等も嗜んだあと、やっとその境地へ到達した次第です。
7/19(土) 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第七回公演_c0050810_9574627.jpg  さて厄介なことに、クラヴィコード・オルガン・チェンバロでバッハのクラヴィア曲を一通り学んだあとでも、ピアノでバッハを弾けるようになるとは限りません。交差弦の濁った鈍重な響きは、泥酔したデヴィ夫人が入れ歯をはずしてわめいているようなもので、何らかの「翻訳」を余儀なくされます。この翻訳作業は、歴史上存在し得なかった骨折り損に他ならず、それをいきなり押し付けられるピアノ初学者が、バッハ嫌い・ピアノ嫌い、ひいては音楽嫌いになるのも無理はありません。
  不幸にも、現代日本でバッハ演奏に最も使われる楽器がモダンピアノであるのも避けがたい現実ですので、ひとまず「翻訳」手続きについて整理していきしょう。かつてエマヌエル・バッハは、「クラヴィコードが上手く弾ける人はフリューゲル(チェンバロ)もうまいが、その逆は有り得ない(aber nicht umgekehrt.)」、と喝破しました。これに倣って、「《インヴェンション》をチェンバロ・クラヴィコードで公開演奏出来る人は、現代ピアノでも《インヴェンション》を弾ける可能性があるが、その逆は有り得ない」、と、そろそろ言い切っても良いでしょう。すなわち、ピアノで演奏された全てのバッハのディスクは参考にならず、各人が自分自身の正解を見つけ出して行くしかない。《トッカータ集》や《最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョ》のような初学者向きとされる作品でも、フレスコバルディ・フローベルガー・ブクステフーデ等の経験なしには、譜面の読み方さえ見当が付かないのでは無いでしょうか。
7/19(土) 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第七回公演_c0050810_1024074.jpg  言うまでもなく、バッハをピアノで弾くためには、ピアノの演奏技術に習熟しているのが大前提です。ペダル無しでバッハを弾きたい、と思ったときに、ペダル無しでピアノを弾けるテクニックを事前に持ち合わせている必要があります。「ピアノでバッハをどう弾くか」を示そうとして一流の古楽奏者がふにゃふにゃの指でモダンピアノをまさぐり失笑を買うのと同様に、ピアニストがチェンバロを弾いた際、ささくれたタッチと音色に自分で気付くことはありません。耳は指に騙されるのです。


  モダン楽器を使って、モダン奏法と古楽奏法を両立させている演奏家は、いるのでしょうか。
  います。オルガニストです。バッハ解釈で質問があったら、まずはオルガニストに訊くのが確実です。(同じ古楽奏者でも、チェンバリストはこの限りではないので、注意を要します。)残響豊かな聖堂でバッハを演奏するための、さまざまな発音法(打鍵/離鍵)や発話法(アゴーギク)は、オルガン学習ではいまや分かり易くメソッド化されており、「ピアノで弾くバッハ」に重要な指針を与えてくれます。
7/19(土) 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第七回公演_c0050810_9564158.jpg  へばりつく漆喰を振り払うのはあくまでも音響上のことで、指をばたばた上げ下げする必要はありません。リヒテル的レガート処理、グールド的スタッカート処理はもはや昭和の遺物であり、平成生まれは手を出してはいけません。オルガンを半年も弾いていれば、ダンパーペダルとおさらば出来るでしょう。長い音が重要な音であり、事前にその発声を準備すべし、強弱に頼らないアゴーギク表現は舌で転がして確認すべし、etcという程度の常識も、ピアノ業界では知られていないようです。
  もっとも、オルガンのタッチをそのままピアノの鍵盤に移行すると、音色がかっちんこっちんになる懼れがあります。最終的なタッチと音楽作りは、あくまでクラヴィコードが基本でしょう。《インヴェンション》や《フランス組曲》だけではなく、他のクラヴィア曲も頑張ってクラヴィコードで弾いてみると、ピアノでの「翻訳」作業に多くのヒントを得ることが出来ます。ピアノで弾いてはいけないバッハ作品の最右翼はゴルトベルク変奏曲でしょうが、一度無理矢理に一段クラヴィコードで弾いてみたところ、二段チェンバロだけに拘る必要は無いかも、と思えるようになりました。ポイントは、クラヴィコードをチェンバロ的にぶりぶり鳴らそうとするのではなく、あくまで静謐に、バロック・リュートと同様、自由に沈黙と行き来できる特性を生かす事です。

7/19(土) 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第七回公演_c0050810_1033682.gif  古楽演奏の要諦である拍節感の確保には、アーティキュレーションもさることながら、少なくとも数字(和声)が変わる瞬間に、バスとトレブルが良い音量バランスで明晰に鳴り響くことがポイントとなります。案外ピアニストがこれを嫌がるのは、メロディを前面に出すためにバスは出来るだけ薄く弾かないと、同業者から上手いと思ってもらえないからです。「ダンパーペダルが無い」「音量が小さい」のもさることながら、「低音域がデカい(高音域が薄い)」のが、ピアニストには耐えられないのかもしれません。
  複音楽でやたらと声部間でカメラをパンしたがるのは、ひとりピアニストだけの宿痾ではなく、オルガンでもリード管によるカントゥス・フィルムス(定旋律)がフルー管による他声部の「ツッコミ」を日陰へ押しやる悪習が残っています。ブーレーズ《第2ソナタ》(1948)序文に於ける、「すべての対位は等しく重要であり、主声部・副次声部の区別は無い」、という注意書きは、この慣行を揶揄したものでしょう。


7/19(土) 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第七回公演_c0050810_9585198.jpg  現在ピアノで弾かれるバッハ作品は、チェンバロやクラヴィコードの素早く減衰する音色を前提として音符が書かれています。古楽器に比べてピアノの音色は、立ち上がり(attack)がぼんやりしており、減衰(decay)が中途半端に遅く、減衰後の保持(sustain)は長すぎ、余韻(release)は短すぎます。このため、バッハの譜面に書かれている装飾音をピアノで「素敵に」響かせるのは、極めて困難です。もったいない限りですが、しばしば割愛を余儀なくされます。せめて音数を慎重に限定し、トラヴェルソやリュートのようにあどけない優雅さをもって添える程度にしないと、鍵盤に指をギュッと押し付けるやいなや、トリルが電気的に加速、音量までデカくなる悪循環に陥りがちです。ピアニストによる校訂譜などで、装飾記号をわざわざ32分音符などで書き直してありますが、勿論あれはガイドに過ぎず、真に受けてはいけません。モダン楽器でも、例えばトランペットやオーボエなどは適切な奏法で装飾を行っているのに対し、ピアノ・ヴァイオリン・フルートなどはしばしば2音の間を痙攣しているだけです。


7/19(土) 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第七回公演_c0050810_104924.jpg  大バッハ(あるいはフーガ等の楽式)に対して「身構えて」しまうのは、古楽奏者もモダン奏者も違いはありません。次男のファンタジアでは自由奔放に振舞っていたチェンバリストが、父バッハの平均律でがちがちに固まってしまう例は何度も見かけました。我々は日本人ですから、硬直したアーリア・モデルを恭しく踏襲する義理はありません。身の丈を忘れて高踏的に吟じ晦渋さを装えば、大作曲家への尊崇を表したことになるのでしょうか。ト短調シンフォニアやハ短調トッカータ(のアダージョ部)で、「だって涙が出ちゃう・・・」瞳を潤ませてみせるのも、あの精緻な対位法の綾取りにはふさわしくありません。
  そもそもバッハは、「聞けば分かる」ように明解に音符を書いています。例えばフーガ。声と声との雄弁な掛け合いによって、聴く者の中に何かを感応させる、という点では、つづまるところ漫才と一緒です。上岡龍太郎氏によると、「本当に面白い漫才は、1つのコンビに1本が普通、3本で一流。どんなに多くても5本が限度」。松本人志氏によると、「コントは30分でも思いつくが、本当に面白い漫才はどうやっても1ヶ月はかかる」そうです。バッハは、この作り込まれ練り上げられた「本当に面白い話芸」の台本を、次から次に書けた人でした。
  各曲の最初に出て来る旋律は「主題」と呼ばれ、これが漫才のボケにあたります。主題は、形を変えて何度も繰り返されます。世間に対して主題(ボケ)を分かりやすく解(ほぐ)すのが、対句(ツッコミ)です。逆に言うと、ツッコミを観察することによって、ボケに何を言わせたかったかを推定出来ます。フーガとは、面白い発想の話題に基づいて数人が雑談している光景です。声と声が「会話」をしている部分と、その間にある「ト書き」「余談(くすぐり)」部分の境目がはっきりしていなかったり、二人の声で一人、あるいは一人で二人の声を思わせる動きなどは、落語と一緒です。地味なお題(ボケ)の形を少しずつ変えながら、次から次へとネタを広げていくのは、まるで大喜利(おおぎり)(笑点)です。


7/19(土) 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第七回公演_c0050810_101633.jpg  拙ブログでは、大抵のトピックスについては延々と文字化作業を続けて参りましたが、例えば上記の「素敵な」「あどけない」装飾例など、チェンバロで目の前でやってみるに及(し)くはありません。個人レッスンも随時行っておりますので、ご興味の向きはメールフォームからお問い合わせ下さい。



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【2012年度(終了)】
2012年4月21日(土)平均律クラヴィア曲集第1巻(全24曲)
2012年7月28日(土)平均律クラヴィア曲集第2巻(全24曲)
2012年11月3日(土)シュトックハウゼン:自然の持続時間(全24曲)
【2013年度(終了)】
2013年4月20日(土)15時 パルティータ全6曲
2013年7月27日(土)15時 ゴルトベルク変奏曲、フランス序曲、イタリア協奏曲
2014年1月25日(土)15時 イギリス組曲全6曲
【2014年度】
2014月4月19日(土) フランス組曲(全6曲) (終了)
2014月7月19日(土) インヴェンションとシンフォニア(全曲)、最愛の兄へのカプリッチョ、半音階的幻想曲とフーガ、4つのデュエット他
2015年1月17日(土) フーガの技法(全曲)&音楽の捧げ物

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【予告】 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》最終公演
2015年1月17日(土)15時開演  タカギクラヴィア松濤サロン
使用楽器:NYスタインウェイ

7/19(土) 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第七回公演_c0050810_22172280.png●J.S.バッハ:《音楽の捧げ物》BWV1079より
  《三声のリチェルカーレ》+《六声のリチェルカーレ》、《王の主題によるカノン的労作》~無窮カノン - 二声のカノン〈求めよ、さらば与えられん〉 - 四声のためのカノン - 二声の蟹行カノン - 二声の反行カノン - 二声の拡大・反行カノン〈音価が増す如く王の幸いもいや増さんことを〉 - 二声の螺旋カノン - 二声の同度カノン - 上五度のカノン的フーガ
●J.S.バッハ:《フーガの技法》BWV 1080 (全曲)
  コントラープンクトゥス・プリームス(対位第一) - コントラープンクトゥス・セクンドゥス(対位第二) - コントラープンクトゥス・テルティウス(対位第三) - コントラープンクトゥス・クァールトゥス(対位第四) - コントラープンクトゥス・クィーントゥス(対位第五) - コントラープンクトゥス・セクゥストゥス ア・クヮットロ イン・スティーロ・フランチェーゼ(対位第六、四声、フランス風) - コントラープンクトゥス・セプティムス ア・クヮットロ ペル・アウグメンターティオーネム・エト・ディーミヌーティオーネム(対位第七、四声、拡大と縮小による) - コントラープンクトゥス・オクターウス ア・トレ(対位第八、三声) - コントラープンクトゥス・ノーヌス ア・クヮットロ アッラ・デゥオデキマ(対位第九、四声、12度による) - コントラープンクトゥス・デキムス ア・クヮットロ アッラ・デキマ(対位第十、四声、10度による) - コントラープンクトゥス・ウンデキムス ア・クヮットロ(対位第十一、四声) - コントラープンクトゥス・インウェルスス・ドゥオデキムス ア・クヮットロ フォールマ・インウェルサ(転回対位第十二、四声、倒立形) ―フォールマ・レクタ(同、正立形) - コントラープンクトゥス・インウェルスス ア・トレ フォールマ・レクタ(転回対位、三声、正立形) ―フォールマ・インウェルサ(同、倒立形) - カノーネ・ペル・アウグメンターティオーネム・イン・コントラーリオー・モートゥー(拡大反行のカノン) - カノーネ・アッラ・オッターヴァ(8度のカノン) - カノーネ・アッラ・デキマ イン・コントラプント・アッラ・テルツァ(10度のカノン、3度の対位による) - カノーネ・アッラ・デゥオデキマ イン・コントラプント・アッラ・クィンタ(12度のカノン、5度の対位による) - フガ・ア・トレ・ソッジェッティ(三主題のフーガ) - コラール前奏曲《われ汝の御座の前に進み出で》
by ooi_piano | 2014-07-17 09:37 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

6月15日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第1回公演


by ooi_piano