チラシ表 http://twl.sh/VFX8L2 チラシ裏 http://twl.sh/VFXxxk
■9月26日付・日本経済新聞で御紹介頂きました。http://www.nikkei.com/article/DGKDZO77517790V20C14A9BC8000/
■9/21ミュライユ公演 感想まとめ http://togetter.com/li/724725
■10/19近藤譲公演 感想まとめ http://togetter.com/li/738137
■11/23リーム+12/14西村朗公演 感想まとめ http://togetter.com/li/760105
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大井浩明 Portraits of Composers [POC]
大井浩明(ピアノ+オンドマルトノ独奏)
両国門天ホール (130-0026 東京都墨田区両国1-3-9 ムラサワビル1-1階)
JR総武線「両国」駅西口から徒歩5分、大江戸線「両国」駅A4・A5出口から徒歩10分
3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円 全公演パスポート15000円]
【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 03(3377)4706 (13時~19時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付) http://www.opus55.jp/
POC2014:戦後前衛の先に広がる豊穣を聴く ――野々村 禎彦
日本前衛音楽のゴッドファーザー松平頼則(1907年生)から大井と同年生まれ(1968年生)の作曲家たちまで、プログラムの出発点と終着点をあらかじめ示して始まったPOCシリーズも今年度で4期目。昨年度はフォルテピアノによるベートーヴェン・ソナタ全曲演奏会東京公演で休んだ代わりに、例年よりも1回多い全6回ヴァージョンで帰ってきた。このシリーズは、「現代音楽」の歴史を鍵盤曲の全曲演奏で振り返るのが基本コンセプトだが、今期取り上げる作曲家は全員が戦後生まれ、1947年から1958年まで。いよいよシリーズも佳境を迎える。現代音楽を代表する作曲家を大別すると、大トレンドの代表者と際立つ個性の一匹狼にまず分かれる。ポスト戦後前衛世代で言えば、「新しい複雑性」の代表ファーニホウ(1943年生)とイタリアの一匹狼代表シャリーノ(1947年生)は既に第3期で取り上げた。今期で彼らに対応するのが、「スペクトル楽派」の代表ミュライユ(1947年生)と日本の一匹狼代表近藤譲(1947年生)である。
グリゼー(1946年生)とミュライユは、ローマ大賞を受賞しローマに留学した際に、現代音楽史の特異点とも言えるシェルシ(1905年生)の音楽に出会った。ひとつの音を果てしなく繰り返して倍音構造に没入する即興演奏から素材を得るのがシェルシの「作曲」の特徴だが、師メシアンと同じく反復と音色探求が基調でも、かくも異様な音楽が存在するという啓示は、彼らが師の影響から羽ばたく契機になった。結局、シェルシの即興をスペクトル分析や音響合成などの科学的アプローチに置き換えたのが、「スペクトル楽派」の音楽に他ならない。ふたりの音楽性は見事なまでに相補的で、大編成の原理的な探求を得意にしたのがグリゼー、小編成のプラクティカルな探求を得意にしたのがミュライユだった。従って、鍵盤曲ではミュライユがスペクトル楽派の代表になる。またミュライユは、ジャンヌ・ロリオに続く世代を代表するオンド・マルトノ奏者でもあり、この楽器のための作品も多い。ピアノとオンド・マルトノ独奏曲を網羅したミュライユの音世界の核心を伝えるプログラムは、どちらの楽器にも精通した大井ならでは。
かつて近藤譲は、最も影響を受けた作曲家として、ヴェーベルン、《アゴン》以降のストラヴィンスキー、偶然性以前のケージ、フェルドマンを挙げていた。ヨーロッパ・セリー主義のハードコアを志向するが戦後前衛のセリー主義ではなく、米国実験主義を志向するがケージ流の苛烈な偶然性ではない。このスタンスは、「時代様式」至上主義者には中途半端に見えるかもしれないが、歴史を俯瞰して自らの感性に適った先人を見出し、その先を探求する姿勢こそが「前衛」と呼ぶにふさわしい。実際、彼は「最後の前衛作曲家」を自認しているという。また、絶対音感は持っていないと公言する近藤は、まずピアノに向かって作曲する。かつて主宰していたムジカ・プラクティカでは、井上郷子参加以前は自作のピアノパートはしばしば自分で弾いていた。従って、井上もまだライヴでは試みていないピアノ曲全曲演奏は、近藤の音楽の核心に至るための一番の早道である。
ポスト戦後前衛のトレンドを語る際、「新ロマン主義」あるいは「新表現主義」「新しい単純性」は無視できない。この用語が元々指していた界隈は、ヘンツェ(1926年生、折衷主義的なオペラの大家)に師事したドイツ圏の作曲家たちだが、オイルショック以降の世界的不況を背景に広まったこのトレンドは、ルトスワフスキ(1913年生)、尹伊桑(1917年生)ら年長世代や戦後前衛世代の伝統志向の作曲家たち(リゲティ、ブーレーズ、ベリオ、武満徹、ペンデレツキ…、ただし彼らの多くは自認していない)も巻き込んで一大勢力になった。W.リーム(1952年生)と西村朗(1953年生)は、自他ともにこのトレンドの東西代表と認められている。
ただし、あるトレンドの「代表者」は、往々にして異端者でもある。このふたりは早熟で知られ、W.リームは10代後半には既に戦後前衛の諸技法を身に着けていた。その先を探求するために、戦後前衛の本丸シュトックハウゼンの門を叩いたが、折しも師は《シュティムンク》《マントラ》など、調性的な素材の可能性を探求していた時期であり、W.リームもこの関心を受け継いだ。すなわち彼の新ロマン主義は、折衷主義の対極にある。大編成作品では往々にして粗製濫造のW.リームだが、《ピアノ曲》シリーズと弦楽四重奏曲にはその時点の総力を注ぎ込んできた。J.S.バッハ、ベートーヴェン、シュトックハウゼン、ラッヘンマン作品の全曲演奏を重ねてきた大井にとっても、この全曲演奏はドイツ音楽解釈の総決算になりそうだ。また西村の場合は、20代半ばで日本アカデミズムの頂点に立ち、その後を見据えて採用したのが、東アジアの民族音楽(《ヘテロフォニー》《ケチャ》シリーズ)と新ロマン主義だった。すなわち彼の新ロマン主義は、ガラパゴス化を深める日本アカデミズムとの訣別宣言だった。実際、W.リームと西村の弦楽四重奏曲は、戦後前衛音楽演奏のチャンピオン、アルディッティ四重奏団の最重要レパートリーに他ならない。
近藤と西村は、武満が「日本の前衛音楽」の首領として君臨していた時期から広く知られており、一般に「日本のポスト戦後前衛」の代表者と看做されているのはむしろ、細川俊夫(1955年生)と三輪眞弘(1958年生)である。細川は90年代初頭からまず秋吉台国際現代音楽祭、次いで武生国際音楽祭を通じて新しい複雑性やスペクトル楽派などの国際的なトレンドを積極的に紹介し、アカデミズムも「前衛音楽」側も長らく鎖国状態だった日本の状況に風穴を開け、多くの後進を育てた。三輪はクラーレンス・バーロウ(1945年生)譲りのアルゴリズム作曲を人文学の文脈に落とし込む巧みなコンセプトと、現代音楽と実験的ポピュラー音楽の最先端が切れ目なく繋がった今日の状況を予見したスタンスで、細川とは全く異なった角度から多くの後進を育てた。このふたりは一見あらゆる面で対照的だが、尹伊桑のもとで音楽を専門的に学び始めたこと、武満が主催したMusic Today作曲コンクールへの入選を機に日本で知られ始めたことなど、共通点も思いの外多い。
音楽史的観点から今期POCの聴きどころを眺めてきたが、今期の作曲家の顔ぶれは、大井の個人史的にも大きな意味を持っている。ヨーロッパ留学以前の彼が、関西の作曲家を紹介する演奏会シリーズを始めた時、最初に取り上げたのが西村であり(《ピアノ・ソナタ》世界初演を含む、1994年時点での全曲演奏)、Portraits of Composers というシリーズ名及び「ポック」と読ませる略称は、この時西村が命名した。また彼は、朝日現代音楽賞受賞記念コンサートで近藤譲《ペルゴラ》を委嘱初演したが、リハーサルで近藤から「もっとシューベルトのように弾いて欲しい」と注文されたのが、独学を止めて留学を決意する最後の一押しになったという。なお、彼は若手作曲家への委嘱及び作品演奏を活動初期から積極的に行ってきたが、その多くは今回取り上げる作曲家たちの弟子筋にあたり、彼らのルーツを辿る意味合いもある。
なお、ここまで南聡(1955年生)には触れなかったのには理由がある。日本のアカデミズムでは突出して先鋭的な作風の持ち主ながら、80年代半ばから北海道教育大学で教鞭を執り、以後は作品発表も音楽著述も主に道内で行ってきたため、日本の表舞台ではなかなか認知されなかった。だが、かつてのヨーロッパの大トレンドも過去のものとなったここ数年、彼の評価は急速に高まってきた。作品集はコンスタントに音盤化され、2013年にはレコードアカデミー賞現代音楽部門も受賞した。折衷主義と無縁の、真のポストモダニズムを体現したカーゲル(1931年生)も既に世を去り、その精神を今日に伝えているのは、直弟子のバウクホルト(1959年生)の他には南だけかもしれない。これまで南とは直接の接点はなかった大井が、大トリに南のソナタ全曲を選んだことは、今期一番のサプライズと言えそうだ。ただし、彼の留学時代の師カニーノはカーゲルの作品解釈に定評があり、また彼はポストモダン的傾向の強い三宅榛名、野村誠、伊左治直や南とは縁の深い杉山洋一の作品もレパートリーにしている。サプライズに留まらない化学反応に期待したい。
■9月26日付・日本経済新聞で御紹介頂きました。http://www.nikkei.com/article/DGKDZO77517790V20C14A9BC8000/
■9/21ミュライユ公演 感想まとめ http://togetter.com/li/724725
■10/19近藤譲公演 感想まとめ http://togetter.com/li/738137
■11/23リーム+12/14西村朗公演 感想まとめ http://togetter.com/li/760105
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大井浩明 Portraits of Composers [POC]
大井浩明(ピアノ+オンドマルトノ独奏)
両国門天ホール (130-0026 東京都墨田区両国1-3-9 ムラサワビル1-1階)
JR総武線「両国」駅西口から徒歩5分、大江戸線「両国」駅A4・A5出口から徒歩10分
3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円 全公演パスポート15000円]
【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 03(3377)4706 (13時~19時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付) http://www.opus55.jp/
【ポック[POC]#16】 ~ミュライユ全鍵盤作品 2014年9月21日(日)18時開演(17時半開場) 助演:長谷綾子[※]
●トリスタン・ミュライユ(1947- ):《夢によって吊るされ磨かれた片眼のように》(1967)、《マッハ2.5》(1971)[※]、《拡がる鏡》(1971)[※]、《河口》(1971/72)、《ガラスの虎》(1974)[※]、《忘却の領土》(1977)、《南極征服》(1982)、《別離の鐘と微笑み~O.メシアンの追憶に》(1992)、《マンドラゴラ》(1993)、《仕事と日々》(2002)
【ポック[POC]#17】 ~近藤譲全ピアノ曲 2014年10月19日(日)18時開演(17時半開場)
●近藤譲(1947- ):《クリック・クラック》(1973)、《視覚リズム法》(1975)、《形は影にしたがう》[ピアノ独奏版] (1975)、《歩く》(1976)、《撚りII》(1980)、《記憶術のタンゴ》(1984)、《ピアノのための舞曲「ヨーロッパ人」》(1990)、《早春に》[ピアノ独奏版] (1993)、《高窓》(1996)、《夏の小舞曲》(1998)、《メタフォネーシス》(2001)、《リトルネッロ》(2005)、《イン・ノミネ<レスニェフスキー風子守唄>》(2006)、《長短賦》(2009)、《テニスン歌集》(2011)、《ギャマット》(2013)、《観想》(2013)
【ポック[POC]#18】 ~W.リーム「ピアノ曲」全曲 2014年11月22日(土)18時開演(17時半開場) 助演:法貴彩子 [※]
●ヴォルフガング・リーム(1952- ):ピアノ曲第1番Op.8a(1970)、同第2番Op.8b(1971、日本初演)、同第3番Op.8c[ピアノ連弾](1971/99、日本初演)[※]、同第4番(1974、日本初演)、同第5番《墓》(1975)、同第6番《バガテル集》(1977/78)、同第7番(1980)、《再習作(ナッハシュトゥディー)》(1992/94、日本初演)
【ポック[POC]#19】 ~西村朗ピアノ作品撰集 2014年12月14日(日)18時開演(17時半開場)
●西村朗(1953- ):《三つの幻影》(1994)、《タンゴ》(1998)、《オパール光のソナタ》(1998)、《アリラン幻想曲》(2002)、《薔薇の変容》(2005)、《神秘の鐘》(2006)、《カラヴィンカ》(2006)
【ポック[POC]#20】 ~細川俊夫/三輪眞弘全ピアノ曲 2015年1月25日(日)18時開演(17時半開場)
●細川俊夫(1955- ):《メロディアII》(1977/78)、《夜の響き》(1994/96)、《ピエール・ブーレーズのための俳句》(2000/03)、《舞い》(2012)、《エチュード集》(2011/13)
●三輪眞弘(1958- ):《3つの小品》 (1978)、《公現/幻》 (1985)、《レット・イット・ビー(アジア旅行)》(1990)、《語られた音楽が語るとき》(2000)、《虹機械》より第2部「武装した人」(2008)、《虹機械第2番「七つの照射」》(2008)
【ポック[POC]#21】 ~南聡「ピアノソナタ」全曲 2015年2月22日(日)18時開演(17時半開場)
●南聡(1955- ):ソナタ第1番《隠喩の窓辺》Op.19 (1989)、ソナタ第2番《昼の注解/鳥籠の中の変貌》Op.25 (1992)、ソナタ第3番《甘き春の残痕》Op.30 (1995)、ソナタ第4番《間-用語(禁止)》Op.37 (1997)、ソナタ第5番《帯 II》Op.46 (2000)
POC2014:戦後前衛の先に広がる豊穣を聴く ――野々村 禎彦
日本前衛音楽のゴッドファーザー松平頼則(1907年生)から大井と同年生まれ(1968年生)の作曲家たちまで、プログラムの出発点と終着点をあらかじめ示して始まったPOCシリーズも今年度で4期目。昨年度はフォルテピアノによるベートーヴェン・ソナタ全曲演奏会東京公演で休んだ代わりに、例年よりも1回多い全6回ヴァージョンで帰ってきた。このシリーズは、「現代音楽」の歴史を鍵盤曲の全曲演奏で振り返るのが基本コンセプトだが、今期取り上げる作曲家は全員が戦後生まれ、1947年から1958年まで。いよいよシリーズも佳境を迎える。現代音楽を代表する作曲家を大別すると、大トレンドの代表者と際立つ個性の一匹狼にまず分かれる。ポスト戦後前衛世代で言えば、「新しい複雑性」の代表ファーニホウ(1943年生)とイタリアの一匹狼代表シャリーノ(1947年生)は既に第3期で取り上げた。今期で彼らに対応するのが、「スペクトル楽派」の代表ミュライユ(1947年生)と日本の一匹狼代表近藤譲(1947年生)である。
グリゼー(1946年生)とミュライユは、ローマ大賞を受賞しローマに留学した際に、現代音楽史の特異点とも言えるシェルシ(1905年生)の音楽に出会った。ひとつの音を果てしなく繰り返して倍音構造に没入する即興演奏から素材を得るのがシェルシの「作曲」の特徴だが、師メシアンと同じく反復と音色探求が基調でも、かくも異様な音楽が存在するという啓示は、彼らが師の影響から羽ばたく契機になった。結局、シェルシの即興をスペクトル分析や音響合成などの科学的アプローチに置き換えたのが、「スペクトル楽派」の音楽に他ならない。ふたりの音楽性は見事なまでに相補的で、大編成の原理的な探求を得意にしたのがグリゼー、小編成のプラクティカルな探求を得意にしたのがミュライユだった。従って、鍵盤曲ではミュライユがスペクトル楽派の代表になる。またミュライユは、ジャンヌ・ロリオに続く世代を代表するオンド・マルトノ奏者でもあり、この楽器のための作品も多い。ピアノとオンド・マルトノ独奏曲を網羅したミュライユの音世界の核心を伝えるプログラムは、どちらの楽器にも精通した大井ならでは。
かつて近藤譲は、最も影響を受けた作曲家として、ヴェーベルン、《アゴン》以降のストラヴィンスキー、偶然性以前のケージ、フェルドマンを挙げていた。ヨーロッパ・セリー主義のハードコアを志向するが戦後前衛のセリー主義ではなく、米国実験主義を志向するがケージ流の苛烈な偶然性ではない。このスタンスは、「時代様式」至上主義者には中途半端に見えるかもしれないが、歴史を俯瞰して自らの感性に適った先人を見出し、その先を探求する姿勢こそが「前衛」と呼ぶにふさわしい。実際、彼は「最後の前衛作曲家」を自認しているという。また、絶対音感は持っていないと公言する近藤は、まずピアノに向かって作曲する。かつて主宰していたムジカ・プラクティカでは、井上郷子参加以前は自作のピアノパートはしばしば自分で弾いていた。従って、井上もまだライヴでは試みていないピアノ曲全曲演奏は、近藤の音楽の核心に至るための一番の早道である。
ポスト戦後前衛のトレンドを語る際、「新ロマン主義」あるいは「新表現主義」「新しい単純性」は無視できない。この用語が元々指していた界隈は、ヘンツェ(1926年生、折衷主義的なオペラの大家)に師事したドイツ圏の作曲家たちだが、オイルショック以降の世界的不況を背景に広まったこのトレンドは、ルトスワフスキ(1913年生)、尹伊桑(1917年生)ら年長世代や戦後前衛世代の伝統志向の作曲家たち(リゲティ、ブーレーズ、ベリオ、武満徹、ペンデレツキ…、ただし彼らの多くは自認していない)も巻き込んで一大勢力になった。W.リーム(1952年生)と西村朗(1953年生)は、自他ともにこのトレンドの東西代表と認められている。
ただし、あるトレンドの「代表者」は、往々にして異端者でもある。このふたりは早熟で知られ、W.リームは10代後半には既に戦後前衛の諸技法を身に着けていた。その先を探求するために、戦後前衛の本丸シュトックハウゼンの門を叩いたが、折しも師は《シュティムンク》《マントラ》など、調性的な素材の可能性を探求していた時期であり、W.リームもこの関心を受け継いだ。すなわち彼の新ロマン主義は、折衷主義の対極にある。大編成作品では往々にして粗製濫造のW.リームだが、《ピアノ曲》シリーズと弦楽四重奏曲にはその時点の総力を注ぎ込んできた。J.S.バッハ、ベートーヴェン、シュトックハウゼン、ラッヘンマン作品の全曲演奏を重ねてきた大井にとっても、この全曲演奏はドイツ音楽解釈の総決算になりそうだ。また西村の場合は、20代半ばで日本アカデミズムの頂点に立ち、その後を見据えて採用したのが、東アジアの民族音楽(《ヘテロフォニー》《ケチャ》シリーズ)と新ロマン主義だった。すなわち彼の新ロマン主義は、ガラパゴス化を深める日本アカデミズムとの訣別宣言だった。実際、W.リームと西村の弦楽四重奏曲は、戦後前衛音楽演奏のチャンピオン、アルディッティ四重奏団の最重要レパートリーに他ならない。
近藤と西村は、武満が「日本の前衛音楽」の首領として君臨していた時期から広く知られており、一般に「日本のポスト戦後前衛」の代表者と看做されているのはむしろ、細川俊夫(1955年生)と三輪眞弘(1958年生)である。細川は90年代初頭からまず秋吉台国際現代音楽祭、次いで武生国際音楽祭を通じて新しい複雑性やスペクトル楽派などの国際的なトレンドを積極的に紹介し、アカデミズムも「前衛音楽」側も長らく鎖国状態だった日本の状況に風穴を開け、多くの後進を育てた。三輪はクラーレンス・バーロウ(1945年生)譲りのアルゴリズム作曲を人文学の文脈に落とし込む巧みなコンセプトと、現代音楽と実験的ポピュラー音楽の最先端が切れ目なく繋がった今日の状況を予見したスタンスで、細川とは全く異なった角度から多くの後進を育てた。このふたりは一見あらゆる面で対照的だが、尹伊桑のもとで音楽を専門的に学び始めたこと、武満が主催したMusic Today作曲コンクールへの入選を機に日本で知られ始めたことなど、共通点も思いの外多い。
音楽史的観点から今期POCの聴きどころを眺めてきたが、今期の作曲家の顔ぶれは、大井の個人史的にも大きな意味を持っている。ヨーロッパ留学以前の彼が、関西の作曲家を紹介する演奏会シリーズを始めた時、最初に取り上げたのが西村であり(《ピアノ・ソナタ》世界初演を含む、1994年時点での全曲演奏)、Portraits of Composers というシリーズ名及び「ポック」と読ませる略称は、この時西村が命名した。また彼は、朝日現代音楽賞受賞記念コンサートで近藤譲《ペルゴラ》を委嘱初演したが、リハーサルで近藤から「もっとシューベルトのように弾いて欲しい」と注文されたのが、独学を止めて留学を決意する最後の一押しになったという。なお、彼は若手作曲家への委嘱及び作品演奏を活動初期から積極的に行ってきたが、その多くは今回取り上げる作曲家たちの弟子筋にあたり、彼らのルーツを辿る意味合いもある。
なお、ここまで南聡(1955年生)には触れなかったのには理由がある。日本のアカデミズムでは突出して先鋭的な作風の持ち主ながら、80年代半ばから北海道教育大学で教鞭を執り、以後は作品発表も音楽著述も主に道内で行ってきたため、日本の表舞台ではなかなか認知されなかった。だが、かつてのヨーロッパの大トレンドも過去のものとなったここ数年、彼の評価は急速に高まってきた。作品集はコンスタントに音盤化され、2013年にはレコードアカデミー賞現代音楽部門も受賞した。折衷主義と無縁の、真のポストモダニズムを体現したカーゲル(1931年生)も既に世を去り、その精神を今日に伝えているのは、直弟子のバウクホルト(1959年生)の他には南だけかもしれない。これまで南とは直接の接点はなかった大井が、大トリに南のソナタ全曲を選んだことは、今期一番のサプライズと言えそうだ。ただし、彼の留学時代の師カニーノはカーゲルの作品解釈に定評があり、また彼はポストモダン的傾向の強い三宅榛名、野村誠、伊左治直や南とは縁の深い杉山洋一の作品もレパートリーにしている。サプライズに留まらない化学反応に期待したい。