
大井浩明リサイタル・シリーズ《時を得たメシアン Meantime Messiaen》
山村サロン(JR芦屋駅前) 全自由席 当日¥3000 (前売り¥2500)
予約/問い合わせ: 山村サロン 0797-38-2585 yamamura[at]y-salon.com
「五線譜という鳥籠――メシアン《鳥のカタログ》をめぐって」(平野貴俊) その1・その2・その3

【第一部】
●O.メシアン(1908-1992):《鳥のカタログ》(1956/58)より《I.黄嘴鴉》 約8分
○F.クープラン(1668-1733):《恋する小夜啼鳥》(1722)
●O.メシアン:《II.西高麗鶯》 約8分
○F.クープラン:《おじけた紅鶸》(1722)
●O.メシアン:《III.磯鵯》 約13分
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○F.クープラン:《嘆く頬白》(1722)
●O.メシアン:《IV.顔黒砂漠鶲》 約15分
○F.クープラン:《勝ち誇る小夜啼鳥》(1722)
●O.メシアン:《V.森梟》 約7分
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○F.クープラン:《お人好しの郭公》(1722)
●O.メシアン:《VI.森雲雀》 約7分
――――(休憩)――――【第二部】
○C.ジャヌカン(1485-1558):《鳥の歌》(1529)
●O.メシアン:《VII.葭切》 約30分
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○J.P.ラモー(1683-1764):《鳥の囀り》(1724)
●O.メシアン:《VIII.姫告天子》 約5分
○J.P.ラモー:《雌鶏》(1728)
●O.メシアン:《IX.欧羅巴鶯》 約11分
――――(休憩)――――
【第三部】
○J.J.F.ダンドリュー(1682-1738):《鳥のコンセール》(1724)
●O.メシアン:《X.腰白磯鵯》 約18分
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○L.C.ダカン(1694-1772):《燕》(1735)
●O.メシアン:《XI.鵟》 約10分
○L.C.ダカン:《郭公》(1735)
●O.メシアン:《XII.黒砂漠鶲》 約8分
○J.デュフリ(1715-1789):《鳩》(1748)
●O.メシアン:《XIII.大杓鷸》 約8分


〈煉獄のメシアン〉 ―――木下健一
Messiaen en peine --- Ken'ichi KINOSHITA (2002)

・・・てなことを考えさせられるのは、没後~もう!~10年。本国ではさぞかしメシアン回顧特集の大騒ぎと思いきや、これまたウソじゃないかと思うくらい・・・何もないのである。ただ独り、晩年のメシアンから並々ならぬ寵愛を一身に受けていたチョン・ミョンフンが律儀に3度にわたる特集コンサートを準備しているくらい。生前それこそ10年毎にお誕生コンサートの類を企画し続け、御大が亡くなるや、こことぞばかりメシアンを採り上げまくっていた人たちが揃いも揃って知らぬ狸を決め込んでいる。
確かに、本国でメシアンは、生前から現代の作曲家の中では最も採り上げられる頻度の高い人、それも、現代音楽専門の団体のみならず、通常のメジャー団体が競ってプログラムに載せていた作曲家でもあり、管弦楽曲など通常のレパートリーとさして変わりない扱いを受けていたわけで、なにを今さら!というところが、確かに・・・ないこともない。現代音楽専門団体の間では、今同じように煉獄で呻吟しているらしい作曲家ではモーリス・オアナやヤニス・クセナキスなど、生前メシアンほど優遇されていなかったから、もう名声の確立しているメシアンよりは・・・と考えたとしても不思議ではあるまい。

周知の通り、メシアンという作曲家は自作が演奏される機会に、リハーサルの段階から、それこそマニアックなくらい綿密に自作演奏の場に付き合っていた人である。彼の要求はただ一つ、楽譜に忠実であること。とはいうものの、メシアンの場合自らを作曲家=創造者とみなす意識は稀薄だったはずで、あくまで天にまつわる神様=創造者が、天と地上との媒介の役割を果たす鳥の声などを通じ、地上における受容器(“réceptacle”)たるメシアンに下位した音たちの収集者として自らを位置づけていたことだろう。神様の音たちだからこそ、演奏者は作曲者のサイフならぬ「採譜」に極度に忠実でなくてはならぬわけで、それはロマン主義譲りの肥大した自意識、そして自作に対する所有権の主張とは一線を画すべきものである。
ただ、だからこそ、メシアンの作品が作曲者を離れ、独り歩きをし始めるのは作曲家の死を待たねばならなかった。事実、チョン・ミョンフンが作曲家の検閲の下にメシアンを振った演奏会と、自らの全責任の下に行ったレコード録音での演奏とは水と油のように異なるのが常だったし、エサ・ペッカ・サロネンが《トゥランガリラ交響曲》を採り上げ、シルヴァン・カンブルランやケント・ナガノが《アッシジの聖フランチェスコ》を振ると、メシアン自身があれほど愛情を持ち、あの刺激的な音が私たちの耳を逆撫でするのを好んだオンド・マルトノなど、管弦楽の背後でいとも奥ゆかしく鳴りを潜めるようになった。小澤征爾に振らせると、あれだけ野蛮で派手派手しかった音楽が、やたらスマートで均斉の取れた現代的な軽快さに装いを改める。
今、メシアンの音楽が、作曲家とその取り巻き連中の軛(くびき)を離れ自らの生を生き始めようとしている。メシアンが死んで10年。Vive Messiaen! (2002年8月5日)
※木下健一(1951~2011)/東京生まれ。1971年より2006年までパリ在住。パリ第10大学修士(哲学)、同第3大学博士課程修了(演劇学)。1980年代半ばより演劇および音楽部門におけるジャーナリスト、評論活動。1990年代末よりハイテク、メディア・ジャーナリスト。訳書に「デュティユーとの対話」(法政大学出版局)他。
※木下健一氏による大井インタビュー(2002年5月)

K.K.「あっはっは!…それは、メシアン一家らしい。だいたい、小澤征爾が世界初演した《アシジの聖フランチェスコ》の時だって、御大がしゃしゃり出てきて、なんだかんだと演出に口を挟んでくるわけよ。天使登場の場面 は豆電球かなんかでチカチカいかなくちゃならない、とかね。ところがね。あれが初演になったパリの旧歌劇場ガルニエ宮の裏手はギャルリー・ラファイエットだとかル・プランタンのあるデパート街なんだよ。それでこのオペラが世界初演された12月というのはクリスマス・年末大バーゲンセールであっちじゃ、ネオンサインが派手ばでしくチカチカやってるわけ。それが舞台の真後ろくらいにあることことをお客さんは誰でも知ってるから、豆電球チカチカで天使が登場すると、これはもう大爆笑なわけよ。特に、メシアンが抱いている天使のイメージってのは、牧歌的なフラ・アンジェリコみたいな天使じゃないでしょ。もう極彩 色で金管なんかがぎゃあぎゃあ鳴りわたる派手派手しい天使でしょうが…。だから、僕らはあの後ろでやってるクリスマス・バーゲンセールを想像しちゃって、これはもう…可笑しい(笑)。これは、お呼びでないところで作曲家が所有権を主張してしゃしゃり出てきたおかげで、そうなるべきではないところで期せずして「吉本大漫才」が始まっちゃった例。そうではなく最初から「吉本しゃべくり漫才路線」でいくと、そうはならないんだよ。最初から、あの後ろでデパートがバーゲンセールをやってるのを演出家が知ってて、舞台奥が開くと、あっちではギャルリー・ラファイエットのイルミネーションの切れっ端がセットしてあってチカチカ始まる(笑)。これはダニエル・メスギッシュ演出版リゲッティの《ル・グラン・マカーブル》の一場面。」

K.K.「…ところが、ちょっとマシな演出家の手にかかると、そんなのにならないから面白い(笑)。マルクス兄弟総出演で、オペラ座の模型に火を点けたりたりして、あの阿呆くさい話を攪乱してまわる。リゲッティ自身もそいつに加担しちゃって、初演日に途中でプイと帰っちゃったんだ。さあ、狂喜したのが批評家連中で、早速「作曲家を裏切る演出家」なんてやっちゃったわけ。そしたら二日目からは、カーテンコールにリゲッティとメスギッシュが抱き合って、大満悦で登場してる!…。皆、あの二人にいっぱい喰わされたんだ(笑)。いっぱい喰わされなかったのは『ル・モンド』紙のジャック・ロンシャンくらい。「確かに、メスギッシュはリゲッティを裏切ったかも知れない。しかしながら私には舞台のこの充実ぶりを否定することはできない」なんて書いてたよね」