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8/31(日)公演 平野貴俊氏寄稿(その3)

その1その2その3)  8/31公演・演奏曲目

(つづき)

8/31(日)公演 平野貴俊氏寄稿(その3)_c0050810_326059.jpg(註1)Georges-Louis Leclerc comte de Buffon, Histoire naturelle, générale et particuliére avec la description du Cabinet du roy, Paris, Imprimerie royale, 1749-1804. フランス国立科学研究センターのビュフォン・アーカイヴ(http://www.buffon.cnrs.fr/)、フランス国立図書館デジタル・アーカイヴ「ガリカ」(http://gallica.bnf.fr/)、京都大学医学図書館ビュフォン・コレクションhttp://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/b16/buffon_cont.html)の各ウェブサイトで全文を閲覧できる。

(註2)Olivier Messiaen, Traité de rythme, de couleur, et d’ornithologie (1949-1992) Tome V 1er volume, Paris, Alphonse Leduc, 1999, p. 113.

(註3)Ibid., p. 471.

(註4)Ferdinand de Fénis, Contribution à l'étude des cris et du chant des oiseaux dans ses rapports avec la musique, Paris, Institut général psychologique, 1917.

(註5)Alain Louvier, Messiaen et le concert de la nature, Paris, Cité de la Musique, 2012, p. 133.

(註6)ヴィルレー virelai は、バラード ballade、ロンドー rondeau と並んで、14-15世紀のフランスの詩および歌で多用された定型。ABBAの形式をとることが多い。

(註7)Maria Anna Harley, « Birdsong », Grove Music Online. Oxford Music Online. Oxford University Press, consulté le 18 août, 2014, http://www.oxfordmusiconline.com/subscriber/article/grove/music/03123.

8/31(日)公演 平野貴俊氏寄稿(その3)_c0050810_782677.gif(註8)沼野雄司「音楽評論家の舞台うら:音楽は「時」「鳥」「風」........」、毎日新聞夕刊、2014年8月19日、4面。

(註9)武満は1954年『フィルハーモニー』に発表した文章で、デュカ(メシアンの作曲の師)の「小鳥の声に耳を傾けよ、彼らは巨匠である」という言葉に重要性を与えている。「このデュカの言葉に秘む思想は深く芸術の本質に言及している。[…]作家は、表面的なもの、一時的なものには無関心に、只事実にのみ心を潜めなければならない。デュカが、「小鳥の声……」から語るのは、このことであり、物質界、精神界の総ての事物、すべての状況から、直ちに音楽的プランの上に、彼が移す実体に就いてではないであろうか。」武満徹「ポール・デュカ」、『武満徹著作集5』、新潮社、2000年、219~220ページ。

(註10)Olivier Messiaen, « La Nature, les chants d’oiseaux », Guide de concert, 3 avril 1959, p. 1093-1094.

(註11)ヴァイオリンがサヨナキドリを奏し、クラリネットがサヨナキドリとクロウタドリの両方を受け持っていると推測される。なお、クラリネットの独奏による第3楽章は「鳥たちの深淵」と題されている。

(註12)ジョン・ケージ、ダニエル・シャルル『ジョン・ケージ 小鳥たちのために』(John Cage, Pour les oiseaux : entretiens avec Daniel Charles, Paris, Belfond, 1976.) 青山マミ訳、青土社、1982年、40ページ。

(註13)Jean Boivin, La classe de Messiaen, Paris, Christian Bourgois, 1995, p. 331.

(註14)François-Bernard Mâche, « Messiaen ornithologue », Anik Lesure et Claude Samuel dir., Olivier Messiaen : le livre du centenaire, Paris, Symétrie en collaboration avec France Musique, 2008 p. 183.

(註15)Robert Fallon, « Birds, Beasts, Bombs in Messiaen’s Cold War Mass », The Journal of Musicology, Vol. 26 No. 2 (Spring 2009), p. 175-204.

(註16)Messiaen, Traité Tome I, 1994, p. 68.

(註17)Albert R. Brand Bird Song Foundation, Laboratory of Ornithology, Cornell University, American Bird Songs (six 78 rpm records), Ithaka, NY, Comstock Publishing, 1942.

8/31(日)公演 平野貴俊氏寄稿(その3)_c0050810_792956.gif(註18)François-Bernard Mâche, op. cit., p. 86. マーシュはこの論文で、ドビュッシーとスペクトル楽派を橋渡しする重要な語法として「色彩‐和音」を位置づけている。またミュライユの音楽に詳しいピアニスト、マリリン・ノンケンによれば、鳥の時代でメシアンが試みた和音の扱いがミュライユ初期のピアノ曲にも現れているという。ミュライユはメシアンに師事する前、《聖霊降臨祭のミサ》や《異国の鳥たち》を弾いてその語法を独学した。Marilyn Nonken, « Messiaen and the Spectralists », Christopher Dingle et Robert Fallon dir., Messiaen Perspectives 2 : Technique, Influence and Reception, Aldershot, Ashgate, 2013, p. 229.

(註19)メシアンは、1986年に行われたクロード・サミュエルによる2度目のインタヴューで次のように述べている。「意表を突く言い方かもしれませんが、私は「調的」、「旋法的」、「セリー的」という概念、あるいはこれに類するその他の言葉は、見せかけのものでしかないと考えています。それらを使っていると主張しても、それは嘘にしかならないのです。[…]私の旋法にはトニックもフィナリスもありません。それらは色彩です。古典的な和音は引力と解決を前提としています。私の和音は色彩です。それらは知的な色彩を生むのであり、その色彩は和音とともに発展していくのです」Claude Samuel, Permanences d’Olivier Messiaen, Arles, Actes Sud, 1999, p. 76, 97. メシアンはかつて色彩を「移調の限られた旋法」に関連させ、旋法の転回形はそれぞれ固有の複雑な色彩をもっていると述べていたが、上でメシアンが言う「色彩」はもはや具体的な色の組み合わせを指示するものではない。メシアンによれば色彩は音色、すなわち音色 timbre は文字通り音=色 son-couleur なのである。この観方がスペクトル楽派によって受け継がれたと考えることも可能である。上の恣意的な関係づけから色彩が実際何を意味するのかを読みとることはむずかしいが、十二音音楽を含むセリー音楽が十把一からげに無色もしくは灰色とみなされていたことに鑑みて、色彩とは調と旋法の一種のアマルガムであると推測することは不可能ではないだろう。

(註20)Harry Halbreich, Olivier Messiaen, Paris, Fayard, SACEM, 1980, p. 83.

(註21)ただし、オルガン曲集《聖霊降臨祭のミサ》(1950-1951)と《オルガンの書》(1951-1952)にはいずれも鳥の歌が用いられている。また、1951年にはパリ音楽院の試験課題曲として《クロウタドリ》が書かれている。

(註22)Yvonne Loriod-Messiaen, « Fioretti », Anik Lesure et Claude Samuel dir., Olivier Messiaen : le livre du centenaire, Paris, Symétrie en collaboration avec France Musique, 2008, p. 239.

8/31(日)公演 平野貴俊氏寄稿(その3)_c0050810_3274873.jpg(註23)Messiaen, Traité Tome V 1er volume, p. 585. このとき書き取られたニシヒバリの歌は、《幼な子イエスにそそぐ20のまなざし》第8曲〈いと高きところのまなざし〉と《神の臨在の3つの小典礼曲》第1楽章半ばの第1ヴァイオリンのソロに用いられている。《まなざし》では、このほか第5曲〈子にそそぐ子のまなざし〉、第14曲〈天使たちのまなざし〉でも鳥の歌が用いられている。

(註24)クレール・デルボスはヴァイオリニスト、作曲家。ソルボンヌの高名な哲学科教授を父に持ち、スコラ・カントルムで学んだ。作曲家としては、メシアンの母である詩人セシル・ソヴァージュの代表作《芽ばえる魂》にもとづくソプラノのための歌曲集(1937)を作曲している。第2次世界大戦中は息子パスカルとともに実家で暮らし、当時捕虜だったメシアンとたびたび文通した。戦後はパリでメシアンと同居していたが、1943年までには身体に不調をきたすようになった。ロリオとメシアンが出会ったのは1941年5月7日、パリ音楽院でメシアンが初めて授業を行った日である。ただしヒル=シメオンによれば、《ミのための詩》(1936)のみならず、《ハラウィ》(1945)もデルボスに対する愛を謳ったものである(Peter Hill et Nigel Simeone, Messiaen, New Haven et Londres, Yale University Press, 2005, p. 182)。しかし、《トゥランガリラ交響曲》で描かれる愛がロリオとの関係を示唆しているのかどうかは定かではないが、本作品の完成直後からデルボスの容態はますます悪化した。《5つのルシャン》(1948-1949)で表される情欲がロリオに向けられたものであることは疑いないとアントワーヌ・ゴレアは推測している(Antoine Goléa, Rencontres avec Olivier Messiaen, Paris, René Julliard, 1960, p. 150.)1949年2月、演奏旅行で忙しいメシアンに代わってメシアンの父ピエールがデルボスの世話を見はじめ、デルボスは実家に戻りパリには出てこなくなかった。その後デルボスはたびたび不審な行動を起こしたため、いくつかの施設を転々とした。メシアンは毎日曜教会でオルガンを演奏したあと、ロリオと一緒にデルボスを見舞うという生活を続けていた。彼女は精神的な疾患を抱えていたといわれるが、1952年にはまだ作曲を続けており、会話することは死の直前まで可能だったようだ。メシアンはデルボスが亡くなった2日後、ロリオとの結婚に踏み切る決意をし、葬儀が行われた日の夜、ドイツから帰ってきたばかりのロリオとパリ東駅で落ち合い、結婚を申し込んだ。メシアンは後年、みずからの音楽を「官能的 sensuel」と評されることを強く嫌い、弟子ミシェル・ルヴェルディの《5つのルシャン》の分析からエロスにかんする記述を削除させているが、こうした姿勢は上記の事情と無関係ではないだろう。

8/31(日)公演 平野貴俊氏寄稿(その3)_c0050810_710290.gif(註25)《鳥のカタログ》の作曲を準備していたころ、メシアンは意気消沈した様子を見せることがよくあった。これは身内の不幸が重なったためとも、ブーレーズ、シュトックハウゼンら一部の弟子が新たな道を開拓しはじめたことに焦りを感じていたためとも考えられる。1955-1956年にパリ音楽院でメシアンの授業を受けたアレクサンダー・ゲーアによれば、メシアンは学生と口論を戦わせると、弱気になってたびたび涙を見せた。また、インタヴューのためメシアンの自宅を訪れたゴレアは、メシアンは室内の手入れを行う余裕がないと嘆いていたと語っている。Hill et Simeone, op. cit., p. 214. Goléa, op. cit., p. 17.

(註26)メシアンが《鳥のカタログ》を準備していた1958年7月3日、南仏モンペリエの北に位置するロゼール県での採譜の途中、ロリオはダイシャクシギの声を聞いた。ロリオはその声を直接聞いたことはなかったが、《鳥のカタログ》の第7巻第13曲〈ダイシャクシギ(大杓鷸)〉を演奏したことがあったため、その鳴き声には聞き覚えがあったのである(1957年3月30日、ロリオはドメーヌ・ミュジカルの演奏会で《鳥のカタログ》の6曲を抜粋初演している)。ロリオは200メートル先にいるメシアンにそっと近づき、ダイシャクシギの声が聞こえたと伝えると、「そんなはずはない。ここは生息地ではないのだから」とメシアンは答えたが、まもなくメシアンもダイシャクシギがいることに気づいた。メシアンはロリオの耳が正しかったことを認め、2人は互いに褒め合ったという。Messiaen, op. cit. Tome V 2e volume, p. 627.(このエピソードはメシアンではなくロリオが執筆している)同じエピソードは、ピーター・ヒルによるインタヴューでも語られている。Peter Hill, « Interview with Yvonne Loriod », Peter Hill dir., Messiaen Companion, London, Faber and Faber, 1995, p. 298-299.

(註27)Ibid., p. 298.

(註28)Samuel, op. cit., p. 137-138.

(註29)Ibid., p. 141.

(註30)Robert Sherlaw Johnson, Messiaen, London, Dent & Sons, 1975. Halbreich, op. cit.

8/31(日)公演 平野貴俊氏寄稿(その3)_c0050810_7103564.gif(註31)Pierre Boulez, « Une sorte de principe d’incertitude... », Anik Lesure et Claude Samuel dir., Olivier Messiaen : le livre du centenaire, Paris, Symétrie en collaboration avec France Musique, 2008, p. 51. ブーレーズは同じ年に発表した別のオマージュで、シューマンのピアノ曲にちなんでメシアンを「予言の鳥 l’Oiseau Prophète」と評している。Pierre Boulez, [article sans titre], Messiaen 2008, Anne Bongrain dir., Paris, Conservatoire national supérieur de musique et de danse de Paris, 2008, p. 190.

(註32)Trevor Hold, « Messiaen’s Birds », Music & Letters, Vol. 52, No. 2 (April 1971), p. 115, 122. 同様の研究は、メシアンと自然との関係を専門とするアメリカの音楽学者、ロバート・ファロン(カーネギーメロン大学准教授)によっても行われている。Robert Fallon, « The Record of Realism in Messiaen’s Bird Style », Christopher Dingle and Nigel Simeone dir., Olivier Messiaen : Music, Art and Literature, Aldershot, Ashgate, 2007, p. 115–36. 以下のホームページで、実際の鳥の歌のスペクトログラムと、メシアンの作品中に登場する鳥の歌と実際の鳥の歌両方の音声ファイルにアクセスできる(http://oliviermessiaen.org/birdsongs/)。

(註33)Hold, op. cit., p. 115.

(註34)Ibid., op. 122.

(註35)Samuel, op. cit., p. 137.

(註36)《ハラウィ》の第2曲「おはよう、緑の鳩」の冒頭は、鳥の歌という表記こそ見られないものの、その書法は鳥の歌にもとづいている。《トゥランガリラ交響曲》第6楽章「愛の眠りの庭」ではピアノがサヨナキドリの歌を弾くが、これは実際の歌を純粋に再現したものとも、様式化された歌とも解釈することができる。Peter Hill et Nigel Simeone, Oiseaux exotiques, Aldershot, Ashgate, 2007, p. 3.

8/31(日)公演 平野貴俊氏寄稿(その3)_c0050810_711936.gif(註37)《鳥のカタログ》のための採譜に同行した鳥類学者ジャック・ペノは、メシアンへのオマージュのなかで、メシアンが「鳥類家 ornithologiste」ではなく敢えて「鳥類学者 ornithologue」と自己定義したことに注目している。ペノによれば、前者は鳥類愛好家であり(ペノも自身は鳥類家だと言っている)、専門的な知識を一般の人々に広めることに関心をもつが、後者はより学術的で専門性の高い研究に取り組む学者を指すという。Jacques Penot, « Olivier Messiaen ornithologue », Catherine Massip dir., Portrait(s) d’Olivier Messiaen, Paris, Bibliothèque nationale de France, 1996, p. 71-72. メシアンは、ジャズを含むポピュラー音楽全般に対してまったく関心をもたず、むしろそれらに対する嫌悪を顕わにしていたが、このことは彼があくまで「知的音楽 musique savante」の音楽家として振る舞ったことを示している。

(註38)メシアンは小林桂助『原色日本鳥類図鑑』(1956、保育社)の英訳を参照していた。Keisuke Kobayashi, Birds of Japan in Natural Colours, Osaka, Hoikusha, 1956. ピーター・ヒルは1986年、《鳥のカタログ》の解釈についてメシアン自身からアドヴァイスを受けたが、このときメシアンが手にしていた図鑑は「やや失礼ながら、子どもにプレゼントするような初歩的な本」だったという。ヒルは次の面会時に、ヴィクトリア朝のイギリスで刊行された鳥類図鑑をメシアンに手渡すと、メシアンはたいそう満足そうにページを繰っていた。それを受けて、以後ヒルはメシアンと会うたびに鳥の本をプレゼントした。Peter Hill, « Les archives entrouvertes », Anik Lesure et Claude Samuel dir., Olivier Messiaen : le livre du centenaire, Paris, Symétrie en collaboration avec France Musique, 2008, p. 247.

(註39)Messiaen, Traité Tome V 1er volume, p. 5.

8/31(日)公演 平野貴俊氏寄稿(その3)_c0050810_711492.gif(註40)Robert Fallon, « A Catalogue of Messiaen’s Birds », Messiaen Perspectives 2, p. 115-116. 本論文は、国際鳥類学会議 International Ornithologists’ Union (IOU) が1980年代半ば以降行っている鳥名表記法の整理に従い、メシアンの作品に登場する鳥の名をラテン語(学名)、フランス語、英語でリストアップしている。各国語の鳥名の表記は随時更新されており、最新版はhttp://www.worldbirdnames.orgで確認することができる。本解説では、上記ウェブサイトに載っている日本語表記を採用している。

(註41)ただしメシアンは、「雌の鳥は巣作りや子育てに傾注するため、ほとんど歌うことがなく、羽色はたいてい地味である」と述べており、雌を音楽で扱うことはめったになかった。Messiaen, Traité Tome V 1er volume, p. XXV.

(註42)メシアンは、2、4、6、8といった従来多用されてきた拍数の代わりに、素数を用いて音価を柔軟に操作することを好んだ。1939年のテクスト「ストラヴィンスキーにおけるリズム」でメシアンは、リムスキー=コルサコフがストラヴィンスキーに先がけて素数の拍子を好んだこと(《サトコ》には4分の11拍子の箇所がある)に触れている。Olivier Messiaen, « Le Rythme chez Stravinsky », La Revue musicale, mai, no 191, p. 91-92.

(註43)メシアンが音楽に開眼したのもグルノーブルにおいてであり、7歳半のときにはグルック《オルフェオのエウリディーチェ》のスコアを買ってもらったという。

(註44)IOUのリストによれば、現在の正式なフランス語の名称は Chocard à bec jaune(ショカール・ア・ベック・ジョーヌ〔黄色い嘴のチャフ〕)。

8/31(日)公演 平野貴俊氏寄稿(その3)_c0050810_7122961.gif(註45)メシアンが分析・創作で用いた独自のリズム技法のひとつ。一定の仕方で漸次的に増大および減少する音価を、それとは異なる規則で増大および減少を被る(もしくは変化しない)別の音価と対応させる技法。メシアンはこのシステムを、演劇における登場人物の動きになぞらえ、ストラヴィンスキー《春の祭典》、とりわけそのなかの〈いけにえの踊り〉の分析で援用している。由来として、ダンディによるベートーヴェンの分析における「主題の拡大と省略 l’amplification et l’élimination du thème」、インドのリズム「シムハヴィクリーディタ Simhavikrìdita」が挙げられている。Messiaen, Traité Tome II, 1995, p. 91-399.

(註46)「ブドウの実るころに現れる鳥」の意。

(註47)イタリアの自然学者フランチェスコ・チェッティ(1726-1778)に由来するが、学名自体にとくに意味はない。

(註48)ただし《鳥たちの目ざめ》はデュランから出版されている。メシアンが文化相アンドレ・マルローの委嘱を受けて《われ死者の復活を待ち望む》(1964)を書いたとき、デュランは出版に意欲をみせたが、メシアンはこの提案を拒絶した。
by ooi_piano | 2014-08-25 02:46 | Chiersance2014 | Comments(0)

Blog | Hiroaki Ooi


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