
母方の五人兄弟の長男が伯父、長女が母で、親戚としては近い間柄にも関わらず、彼はアメリカ/東京在住、私は京都で、法事のときに数度見かけたくらいでしたから、音楽の話が出来たのは留学直前に一度、たまたま仕事で行った愛知県立芸大で数十分間だけです。
そこでの彼の留学アドヴァイス。

紹介して下さる方があって、当時私は米国某地方音大に留学を考えておりました。伯父が檄を飛ばして曰く、「そんなド田舎に行っても意味が無い。パリでもニューヨークでも行ってしまえ」。
結局、私はベルン(スイス)のようなド田舎に留学したのですが(笑)、そこはそれ、腐ってもヨーロッパで、地方都市ながらかなりの名教師を擁しておりました。ですので、あまり「大都市」であることには拘らなくても良いかと。
ベルン音大(現在は「芸大」)のピアノ・マスタークラスは当時ブルーノ・カニーノ、ヴァイオリン・マスタークラスはイゴール・オジムで、後者はコンクール入賞者養成場になってました。私と同期でソリストディプロマ課程を修了したのは、このオジム・クラスに在籍していたヴァイオリニスト3人でしたが、1人はソリスト(P.コパチンスカヤ、昨年4月に初来日)、2人はオケ首席になりました(BPOのT.ティムと、コミーシェオパー・コンマスのG.アドリアン)。
教師の有名どころでは他に、トロンボーンのブラニミル・スローカー、指揮/鍵盤楽器のイェルク・エヴァルト・デーラー、ギターのシュテファン・シュミットあたりかな。ベルン交響楽団の音楽監督は長らくかのドミトリー・キタエンコでした。ついでに言うと、ベルン音大の校舎のまさに真向かいの家で、アインシュタインが特殊相対性理論を発見して、今年でちょうど100年になります。クレー・センターも新規オープンしたところ。
留学先というのは、そのままその後の生活拠点になる可能性もありますから、その点では大都市有利でしょう。いまどきBPOやVPOが桟敷席で安く聞ける、ということが留学先の選択理由になるかなぁ。フルヴェンが振ってるならともかく。

当たり前のようで、案外知られていない大原則。これは海外音大教官だけではなく、国内・プライヴェートでも同様なのでは無いでしょうか。
私のように楽壇事情に不案内な独学者でさえ、仄聞する日本伝統芸能の「家元制度」からの連想で、「誰かの紹介が無いと無理なんでは・・・」と怖気づいておりました。この点については、伯父にマジで感謝。
連絡先(ファックス番号やメアドなど)は、そのアーティストがウェブサイトを持っているなら、そこへメールしてみるのが最速でしょう。あるいは、海外の所属事務所や日本公演の招聘元事務所などへ問い合わせてみる。教鞭を執っている音大が分かっている場合、その音大に直接連絡(CDライナーなどに書いてあることが多い)。
授業計画のオルガニザツィオンが滅茶苦茶な先生でも、クラス入学の問い合わせにだけは非常に懇切丁寧に返事をし、世話を焼いてくれるものです。また、ある程度国際的に活動している先生ならば、十中八九、英語OKです(話せなくても読めはする筈)。留学先が未確定の場合は、まずは中学英語を完璧にマスターしておきましょう。

良いタイミングで日本でマスタークラスが行われる先生ばかりでもありませんし、また初対面での「一見(いちげん)さん」レッスンでは、本領が不明なこともあります(褒めてばかりとか)。
各音大のウェブサイトで教授リストは簡単に確認出来ます。ウェブに掲載されてない時は、事務掛に問い合わせれば、少なくとも添付ファイルで送るくらいのことはしてくれるでしょう。
ベルン音大でカニーノやオジムが受け持っていたMeisterklasseという枠は、いわば音大の中で治外法権扱いでした。音大への正式な「入学試験」を経由すること無く、彼らの一存で入ることが出来ました。年齢制限や音楽学歴も不問。
年齢ということでは、まぁ早く行くに越したことは無いですが、日本とは違ってローティーンから30代までが雑然と同居、という感じです。レベルもまちまち。東京芸大ピアノ科に現役入学するためには、16歳(だっけ)までに平均律全曲とショパン練習曲全曲が仕上がってないと無理、という話ですが(これってデマ?それとも昔の話?)、とりあえずドイツ語圏の音大でさえ《平均律》を10曲以上スラスラ弾けるヤツというのは、ピアノ科でもチェンバロ科でも相当少ないんじゃないかなあ。ま、そんなレベルで燻っててもしょうが無いけど。

誤解を受けやすい言葉かもしれませんが、しかし最も確実かつ迅速な上達方法です。これも、あのタイミングで伯父に言ってもらったのは、迷いをフッ切ることが出来た、という点で、とても良かった。
私の場合、最初で最後の「師匠」としてB.カニーノを選んだ理由の一つは、彼の音楽宇宙が私のそれとは銀河系の正反対くらいに異なっていたからでした。すなわち、たとえ私が彼を「完全コピー」しようとしても、所詮どこかが違っているだろう、と安心していられたわけです。にも関わらず、ミラノ在住の杉山洋一君などに言わせると、私とカニーノは「音が似ている」そうですが・・・(イタリア風?)。そのことを指摘された時の、カニーノの嫌そうな顔。
そもそも、完全コピーを要求する先生というのは案外いません。生徒が「でも・・・(Aber…)」と反論しようとすると「Kein Aber!!(問答無用)」と怒鳴りつけるザハール・ブロンなどは、どちらかと言えば例外でしょう(もちろんブロン氏も、生徒のレベルに合わせて教え方は変えるでしょうけど)。
もっとも、コンクールや試験用の詰め込み教育は、私も一概に否定しません。詰め込み式のほうが先生も生徒もラクだし、点数を取るためには最も効率的です。音楽教育においては、幼時に叩き込まれた美学が一生を支配してしまうという危惧もありましょうが、本当に才能があれば、成人後にどんどん変わって行くことも可能だと思います(これは先生ではなく、最終的に生徒側の問題)。
そう言えば、珍しく眉間に皺を寄せたカニーノの写真を見た某ピアノ教師の女性に、「カニーノ先生って神経質そうに見えるけれど、『おつかえ』するの、大変じゃない?」、と言われました。かなりショック(笑)。先生に「おつかえする」という発想も経験も無かったので。
----

ところで、舞台よりもレッスン室のほうが「上手い」先生もおります。(例えば斎藤秀雄のチェロ演奏はそうだったらしい。)カニーノにしても、レッスン室で「駄目な生徒の駄目な演奏」(私のことですが)の直後に、「どうせこうやって弾くもんなんでしょ?」と言って弾いてみせる「お手本」が、ホロヴィッツやアルゲリッチを凌駕するほど素晴らしい奔放さだったことが何度かありました。ところが彼は舞台上では、そうは弾かない。これは彼があがり性であるから、ではなくて、「舞台上では自分自身でいるべき」(=爆発発散型のソリスト天狗では無い)、ということのようです。そういった態度が、聴衆にとって「親切」かどうかはまた別問題でしょう。「なんでそんなにラディカリストなんですか?」といっぺん訊いてみたら、「おっしゃる意味が分かりませんねぇ」との仰せでした。
#ついでながら、三宅榛名女史のピアノ演奏も相当ラディカル、もとい、阿頼耶識系だと思います。女史に比べると、高橋悠治氏の演奏は常に聴衆へのサービス精神が感じられる。
-----

先生に注意された箇所に丸印をつけるだけの人も見かけますが、それだけで的確に問題の詳細まで覚えていられるものでしょうか。私は先生が注意してくれた際の微妙な「言い回し」(言葉遣い)まで、忠実に記録するよう心掛けました。自分で勝手に早合点して、その時に分かる範囲で分かった気になる危険があるからです。先生が「ティヤラ」と言ったか「リヤラ」と言ったか「バラパ」と言ったかも、非常に重要です。全部書き取りました(この点でゴリデンヴァイゼルを揶揄するところがリヒテルの限界)。
DATレコーダーは、ピアノの内部に置いていました。再生してチェックしてみると、自分の下手糞さ加減に愕然とするとともに、続けて同じ楽器で師匠が弾いたときの音色の変わり具合に、再び呆然とするわけです。レッスン中に自分の耳に届いていた音と、全く違って聴こえる。触覚も視覚も聴覚を妨害する、ということを再確認する瞬間です。
また、レッスンで注意される事というのは、要するに「出来ていないこと」を指摘されているわけですから、本当に理解するまでに相当な時間がかかります。レッスン内容を楽譜に書き込み続けること数年、見返してみると、いかに同じ事ばっっっっかり繰り返し言われていることか。 楽器が上達する、というのは大変な作業であります。 さんざんガミガミ言われた挙句、「窓」の方向へ頭を向けることが出来たなら、それだけでもう大成功というべきでしょう。

★【独学】の方へ ・・・ 楽器をラクに弾きたい、上手く弾きたい、と思うのでしたら、先生につくのがベストです。自分で工夫して上達、というのはしょせん無理です。P.ブーレーズのような耳の持ち主でも、ピアノは下手なままでした(>《構造第2巻》の自作自演から判断)。「独学で適当に弾いてきたかどうか」は、初めの10秒でバレます。(近現代は比較的バレにくいけど。)貴方の演奏を聞いてプロが苦笑いしているのは、「高見に立って優越感に浸りたい」からではなく、本当に可笑しいから笑っているのです。もし褒めてくれるプロがいたとしたら、それは非常に寛大かつ親切で言って下さっているだけです。ヨーロッパの場合、学校に入ってしまえば授業料は日本より遥かに安価ですし、奨学金なども取り易いです。恐惶謹言。
★先生について学んでいる方へ ・・・ 楽器をラクに弾きたい、上手く弾きたい、と思うのでしたら、先生の仰ることを鵜呑みにしているだけでは充分ではありません。先生の「完全コピー」をすることさえ、細部まで徹底的に自分で検討・工夫し、疑問点を整理して能動的に質問しまくって丁度、くらいです。その点で、「悪い先生はいない。駄目な生徒がいるだけだ。」とさえ言えるでしょう。P.ブーレーズは、自分のジェスチャーとそれに対応するオーケストラの音響から、指揮法を独習したそうです。「周りの音大生がこう弾いているから」「先生がこう言ったから」というような解釈のツメの甘さは、初めの10秒でバレます(近現代は比較的バレにくいけど)。貴方の演奏を聞いてド素人の聴き手が欠伸をしているのは、芸術が分からないせいではなく、凡庸で退屈だからです。また、もし褒めてくれるド素人がいたとしたら、「なんて速く指が回るの」とか「なんて沢山の音符を覚えてられるの」とか、頓珍漢なことに感心していることが大半です(泣)。プロを目指すならば、1957年ライヴでクナがブル8のトリオでどんなルフトパウゼを入れたか、などというマニアックな質問にも、スラスラ答えられるように努力致しましょう。恐惶謹言。
「日本にいるうちに、ある程度コネとキャリアの土台を」とか、「最低英語で意思疎通は出来るように」、あたりについては、ケース・バイ・ケースでしょうか。
―――――――――

★有田正広氏レクチャービデオ紹介(後半5巻ぶん)
★ジークフリート・パルム追悼企画「猿でも弾ける《ノモス・アルファ》~演奏と分析」(全8回)
★同「猫なら弾ける《ヘルマ》必勝法~傾向と対策」(全2回)
★「外国語会話は慣れと度胸」(全1回)
★「アホでも弾ける通奏低音」(全6回)
★尹伊桑と南北朝鮮(全1回)

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。