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4月5日(日)午後6時開演 (午後5時半開場)
大井浩明+法貴彩子(ピアノ連弾)
山村サロン (JR芦屋駅前・ラポルテ本館3階)
〒659-0093 芦屋市船戸町4-1-301 http://www.y-salon.com/
全自由席 当日¥3000 (前売り¥2500)
予約/問い合わせ: 山村サロン 0797-38-2585 yamamura[at]y-salon.com
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アントン・ブルックナー(1824-1896)は、『交響曲第8番』ハ短調の第1稿となる総譜を1884年から1887年にかけて作曲した。前作『交響曲第7番』ホ長調がヨーロッパ各地やニューヨーク、ロンドンで大成功を収め、『テ・デウム』ハ長調および『ミサ曲第2番』ホ短調第2稿も好評をもって迎えられ、1886年夏には皇帝フランツ・ヨーゼフ1世から勲章と年金を受ける等、名実ともに絶頂期を迎えていた。1887年夏に『交響曲第8番』の作曲を終えた後、彼はすぐに「芸術上の父」と呼んでいたミュンヘンの宮廷楽長であるヘルマン・レーヴィにスコアを送る。レーヴィはリヒャルト・ワーグナーから『パルジファル』の初演を任された音楽家であり、ブルックナーはバイロイトを訪れた際に彼に自作交響曲の演奏を依頼していた。1884年12月ライプツィヒでのアルトゥル・ニキシュ指揮による『交響曲第7番』初演に続いて、翌1885年3月にミュンヘンで行われた同交響曲の演奏会を成功に導いたレーヴィであったが、『交響曲第8番』のスコアを見て困惑してしまう。そしてこの曲を理解できず、演奏はできないと、ブルックナーの弟子ヨーゼフ・シャルク(1857 -1900)を介して、また直接本人に手紙でも伝えてきた。ブルックナーの落胆は大きく、『交響曲第8番』完成2日後にはすでに着手していた『交響曲第9番』ニ短調の作曲を中断するほどであった。第8番第1稿から3年後の1890年に、オーケストレーションの変更、スケルツォ楽章のトリオの書き直しを含む、改訂第2稿が完成した。今日、通常オーケストラで演奏されるのは1890年第2稿である。1887年第1稿は1973年に全曲初演、1982年にエリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団によって世界初録音された。
『交響曲第8番』は、被献呈者である皇帝フランツ・ヨーゼフI世の援助のもと1892年に出版され、同年にウィーンでハンス・リヒター指揮によって初演された。このとき使われた版は「シャルク改訂版」とも言われ、作曲家の意にそぐわないカットや変更がなされているとして現在では演奏される機会はなくなったが、往年のクラシックファンにはクナッパーツブッシュ指揮ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団の名演でおなじみである。
ヨーゼフ・シャルクは1877年にウィーン音楽院に入学、ブルックナーのもとで音楽理論を学び始めた。翌年には後にウィーン宮廷歌劇場音楽監督に就任する弟、フランツ・シャルクも同校へ入学している。兄シャルクは、ウィーン・ワーグナー協会会長として、弟のフランツやフェルディナンド・レーヴェ、フリードリヒ・エクシュタインとともに、ワーグナーや師ブルックナー、友人フーゴー・ヴォルフの音楽を擁護し、評論家エドゥアルト・ハンスリック率いるブラームス派と激しく闘った。指揮者、音楽学者、ピアニストであった兄シャルクは、ブルックナーの主要作品を2台ピアノ版もしくは連弾版に編曲し、試演や曲の紹介に努めている。ブルックナーの大出世作になった『交響曲第7番』をライプツィヒのニキシュに紹介したのも、兄シャルクであった。ブルックナーが彼のことを「Herr Generalissimus(司令官殿)」と渾名したのは、彼の広報・啓蒙活動をからかったのであろう。
本日演奏される、兄シャルクによるピアノ連弾編曲版は、シャルク自ら校訂した初版スコアに基本的には準じているが、第1楽章冒頭が第1稿のままでクラリネットの導入は無く、第4楽章後半に初版にはないカットがある他、スケルツォとアダージョの楽章順が逆転している点が注目される。1885年に『弦楽五重奏』の全曲初演が委嘱者のヨーゼフ・ヘルメスベルガーらによってウィーン楽友協会大ホールで行われた際、第2楽章スケルツォと第3楽章アダージョは、わざわざ順序を逆にして演奏された。この公演では、作曲家は楽章ごとに拍手を受け、曲が終わったあとも十回のカーテンコールがあったほどの成功であったという。
中間楽章がスケルツォ-アダージョの順の交響曲としては、ベートーヴェン『第9番』が有名であり、ブルックナー『第8番』とは第1楽章の第1主題リズムや、調性が判然としない冒頭部など、共通項も見られる。ブルックナーは第7番以前はアダージョ-スケルツォ、第8番と第9番でスケルツォ-アダージョを採用したわけだが、上記『弦楽五重奏』初演と同じく、連弾版の出版にあたり兄シャルクが気を回した可能性も否定出来ない。本日の公演では、出版された通りの楽章順で演奏する。
ひとりシャルクの「改変」を非難することは出来ない。ブルックナー旧全集版の校訂者であるロベルト・ハースは、「音楽的な」観点から第2稿の数箇所で第1稿からカットされた小節を復活させた。ブルックナー指揮者として有名なセルジウ・チェリビダッケは、第1楽章冒頭第5~6小節目のクラリネットを五度下げてファゴットに吹かせている。オット・クレンペラーやスタニスワフ・スクロヴァチェフスキーなどの巨匠たちも自ら編集を行った。ブルックナー自身は当時の聴衆を考えて演奏の際にカットを許容したが、出版に際しては総譜・パート譜とも自ら書いたままの印刷を望み、専門家や後世の人々に長大さを含め作曲した通りのものが理解されることを願っていた。
ブルックナー『交響曲第8番』ハ短調は、第1楽章終わりのトランペットの強奏部分が終末を告げる喇叭の音を連想させるからか、欧米では《黙示録的 “Apokalyptische”》というニックネームが付けられているが、翻って弟子グスタフ・マーラー(1860-1911)の『交響曲第8番』では、平行調である変ホ長調を用い、新しい世界へと導く創造主を讃えている。
マーラーは1906年夏にマイアーニヒで『交響曲第8番』変ホ長調を一気呵成に作曲した。作曲小屋に足を踏み入れた途端に「Creator Spiritus (創造主たる聖霊)」にとらわれて、第I部〈賛歌『来れ、創造主なる聖霊よ』〉と第II部〈ファウスト 第二部』から最後の場〉とからなる大作をわずか8週間で書き上げたと云う。作曲家自身はこの交響曲を自作の中でも最も重要な作品と考えていた。『大地の歌』『交響曲第9番』を書き上げ、『交響曲第10番』を準備していた1910年にいたっても妻アルマに手紙でその思いを残し、彼女にこの曲を献呈している(自作を献呈するということがあったのはこの機会だけ)。作品冒頭は、指揮者のウィレム・メンデルベルクに宛てて「宇宙全体が響き始めるのを想像してください」と述べたように、オルガンの力強い全奏で始まる。伝統的な四楽章形式にとらわれず、型破りなそして最初から最後まで歌われるという、それまで存在しなかった交響曲である。そこには内容的にも作曲家としての信条としても非常に肯定的な世界観が充溢している。3年かけて準備した第1稿を否定され、さらに3年かけて大改訂したのち完成したブルックナーの『交響曲第8番』と実に対照的である。
マーラー『交響曲8番』は1910年にミュンヘンにて初演され、大成功を収めた。その準備には、ウィーン宮廷歌劇場の仕事仲間であった弟シャルクやブルーノ・ワルターらの尽力があった。
本日演奏される連弾版の編曲者、ヨゼフ・フェナンティウス・フォン・ヴェス(1863-1943)は、16のミサ曲や3つのオペラ等を残した作曲家/オルガニストでもあり、また1901年にウィーンで創業したウニフェルザル出版社の編集者でもあった。『交響曲第8番』以外にもマーラーの交響曲第3番、第4番、第9番や嘆きの歌、大地の歌の連弾編曲やヴォーカルスコアを作成している。昨年春、当山村サロンにおいて、ツェムリンスキー編曲のマーラー『交響曲第6番』とともに、ヴェスによるマーラー『交響曲第4番』ト長調の連弾編曲が演奏されたのをご記憶の方もおられるだろう。
連弾編曲版の役割は、録音媒体が普及するまでの作品を手早く知る手段でもあり、同時に、(編曲者自身を含めた)学習用・研究用でもあった。現代の我々にとっては、当時作曲者に近かった人々による歴史的な息遣いを知る、重要な一手段でもある。家庭用の楽しみ、といった枠を大幅に超えた四手連弾は、ウィーン周辺ではベートーヴェン自編の『大フーガ』作品134やシューベルト『グラン・ドゥオ』ハ長調D.812など、古典派時代から存在していた。ソリスト二人が取り組む温故知新に期待したい。(小畑祐介)
4月5日(日)午後6時開演 (午後5時半開場)
大井浩明+法貴彩子(ピアノ連弾)
山村サロン (JR芦屋駅前・ラポルテ本館3階)
〒659-0093 芦屋市船戸町4-1-301 http://www.y-salon.com/
全自由席 当日¥3000 (前売り¥2500)
予約/問い合わせ: 山村サロン 0797-38-2585 yamamura[at]y-salon.com
アントン・ブルックナー(1824-1896):交響曲第8番ハ短調《黙示録的 „Apokalyptische“》 (1887/90)
〔ヨーゼフ・シャルク(1857-1900)による四手連弾版(1890s)〕(日本初演) 約80分
第1楽章 Allegro moderato
第2楽章(sic) Adagio. Feierlich langsam, doch nicht schleppend
第3楽章(sic) Scherzo. Allegro moderato: Trio. Langsam
第4楽章 Finale. Feierlich, nicht schnell
[法貴彩子/primo、大井浩明/secondo]
グスタフ・マーラー(1860-1911):交響曲第8番変ホ長調《千人の交響曲 „Sinfonie der Tausend“》(1906/07)
〔ヨゼフ・フェナンティウス・フォン・ヴェス(1863-1943)による四手連弾版(1912)〕 (日本初演) 約80分
第1楽章 Veni, creator spiritus
第2楽章 Schlussszene von Goethes „Faust“
[大井浩明/primo、法貴彩子/secondo]
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ヨーゼフ・シャルクは1877年にウィーン音楽院に入学、ブルックナーのもとで音楽理論を学び始めた。翌年には後にウィーン宮廷歌劇場音楽監督に就任する弟、フランツ・シャルクも同校へ入学している。兄シャルクは、ウィーン・ワーグナー協会会長として、弟のフランツやフェルディナンド・レーヴェ、フリードリヒ・エクシュタインとともに、ワーグナーや師ブルックナー、友人フーゴー・ヴォルフの音楽を擁護し、評論家エドゥアルト・ハンスリック率いるブラームス派と激しく闘った。指揮者、音楽学者、ピアニストであった兄シャルクは、ブルックナーの主要作品を2台ピアノ版もしくは連弾版に編曲し、試演や曲の紹介に努めている。ブルックナーの大出世作になった『交響曲第7番』をライプツィヒのニキシュに紹介したのも、兄シャルクであった。ブルックナーが彼のことを「Herr Generalissimus(司令官殿)」と渾名したのは、彼の広報・啓蒙活動をからかったのであろう。

中間楽章がスケルツォ-アダージョの順の交響曲としては、ベートーヴェン『第9番』が有名であり、ブルックナー『第8番』とは第1楽章の第1主題リズムや、調性が判然としない冒頭部など、共通項も見られる。ブルックナーは第7番以前はアダージョ-スケルツォ、第8番と第9番でスケルツォ-アダージョを採用したわけだが、上記『弦楽五重奏』初演と同じく、連弾版の出版にあたり兄シャルクが気を回した可能性も否定出来ない。本日の公演では、出版された通りの楽章順で演奏する。
ひとりシャルクの「改変」を非難することは出来ない。ブルックナー旧全集版の校訂者であるロベルト・ハースは、「音楽的な」観点から第2稿の数箇所で第1稿からカットされた小節を復活させた。ブルックナー指揮者として有名なセルジウ・チェリビダッケは、第1楽章冒頭第5~6小節目のクラリネットを五度下げてファゴットに吹かせている。オット・クレンペラーやスタニスワフ・スクロヴァチェフスキーなどの巨匠たちも自ら編集を行った。ブルックナー自身は当時の聴衆を考えて演奏の際にカットを許容したが、出版に際しては総譜・パート譜とも自ら書いたままの印刷を望み、専門家や後世の人々に長大さを含め作曲した通りのものが理解されることを願っていた。

マーラーは1906年夏にマイアーニヒで『交響曲第8番』変ホ長調を一気呵成に作曲した。作曲小屋に足を踏み入れた途端に「Creator Spiritus (創造主たる聖霊)」にとらわれて、第I部〈賛歌『来れ、創造主なる聖霊よ』〉と第II部〈ファウスト 第二部』から最後の場〉とからなる大作をわずか8週間で書き上げたと云う。作曲家自身はこの交響曲を自作の中でも最も重要な作品と考えていた。『大地の歌』『交響曲第9番』を書き上げ、『交響曲第10番』を準備していた1910年にいたっても妻アルマに手紙でその思いを残し、彼女にこの曲を献呈している(自作を献呈するということがあったのはこの機会だけ)。作品冒頭は、指揮者のウィレム・メンデルベルクに宛てて「宇宙全体が響き始めるのを想像してください」と述べたように、オルガンの力強い全奏で始まる。伝統的な四楽章形式にとらわれず、型破りなそして最初から最後まで歌われるという、それまで存在しなかった交響曲である。そこには内容的にも作曲家としての信条としても非常に肯定的な世界観が充溢している。3年かけて準備した第1稿を否定され、さらに3年かけて大改訂したのち完成したブルックナーの『交響曲第8番』と実に対照的である。

本日演奏される連弾版の編曲者、ヨゼフ・フェナンティウス・フォン・ヴェス(1863-1943)は、16のミサ曲や3つのオペラ等を残した作曲家/オルガニストでもあり、また1901年にウィーンで創業したウニフェルザル出版社の編集者でもあった。『交響曲第8番』以外にもマーラーの交響曲第3番、第4番、第9番や嘆きの歌、大地の歌の連弾編曲やヴォーカルスコアを作成している。昨年春、当山村サロンにおいて、ツェムリンスキー編曲のマーラー『交響曲第6番』とともに、ヴェスによるマーラー『交響曲第4番』ト長調の連弾編曲が演奏されたのをご記憶の方もおられるだろう。
