ピアノによるマーラー交響曲集
Mahlers Sinfonien am Klavier vorgetragen
【第二回公演】 2015年5月22日(金)19時開演(18時半開場)
浦壁信二+大井浩明/二台ピアノ
公園通りクラシックス (東京都渋谷区宇田川町19-5 東京山手教会B1F)
全自由席 3,000円 http://k-classics.net/
予約・問い合わせ tel. 080-6887-5957 book.k-clscs[at]ezweb.ne.jp
■B.A.ツィマーマン:《モノローグ》(1960/64) [全5楽章] (約20分)
I.Quasi irreale - II. - III. - IV. - V.
(休憩10分)
■G.マーラー:交響曲第2番ハ短調《復活》(1888/94) [全5楽章] (約80分)
H.ベーン(1859-1927)による二台ピアノ版(1895) (日本初演)
I. Maestoso - II.Andante con moto - III. In ruhig fließender Bewegung - IV.Urlicht - V. Im Tempo des Scherzos. Wild herausfahrend

《復活》終楽章には合唱が入っているが、マーラーがこの交響曲に合唱を使おうと思ったきっかけは、彼自身が手紙の中で述べた次のようなエピソードで広く知られている。1894年3月29日、ハンブルクにおいて行われた指揮者ハンス・フォン・ビューローの葬儀にマーラーが参列した際、そこで歌われたクロプシュトックの詩によるコラールを耳にして強い衝撃を受け、これを作曲中の交響曲の締めくくりに使用することを瞬時に思いつく。マーラー自身はこの瞬間のことを、芸術家が待ち望む「聖なる受胎」であると表現している。マーラーの初期の交響曲は、最初は別の曲のために構想された音楽がほぼそのまま転用されて交響曲の一部分になったり、作曲していくうちにどんどん構想が膨れ上がっていくなど、パッチワークされて出来上がった要素が強い。交響曲第2番は特にその傾向が顕著に現れているが、こうして膨れ上がった音楽をどう落としどころに持っていくか、マーラーは考えあぐねていた。一方、マーラーはこの交響曲をなんらかの宗教的なテキストによって締めくくろうという構想を早いうちから持っていたらしい。第1楽章は《葬礼》というタイトルで一つの独立した交響詩として構想されていた時期もあったのだが、このタイトルからして宗教的なヴィジョンや死生観といったものを想起させるし、それ以前に音楽それ自体が既に死や闇といったものを強く感じさせる。そこにビューローの葬儀で耳にしたクロプシュトックの詩が絶妙に適合したのである。

してみると、全曲の終わり近くで合唱によって力強く歌われる加筆部分、 ”Sterben werd’ ich, um zu leben!”「生きるためにこそ私は死ぬのだ!」こそが、マーラー自身の叫びに他ならないだろうと考えられる。逆説的な生命への希求であり、しかし単純な死への恐怖ではない。死という観念に捕われることの多かったマーラーだったが、ここでは死に立ち向かうことによって死を乗り越えることを選んだのである。第5楽章、合唱が登場するのは終盤であり、そこに至るまでは壮絶な闘争の音楽となっている。それは「最後の審判」であり、黙示録の世界であった。合唱が登場する直前、天上から天使のラッパが轟く。フルートとピッコロによる鳥のさえずり。その直後、厳かに合唱が歌いだす。そこから音楽は終結に向かってドラマティックに盛り上がっていく。合唱が力の限り歌い上げ、鐘が打ち鳴らされた後、全曲は力強く終結する。

ベーンによる《復活》の編曲譜には、原曲と同様に独唱と合唱パートも併記されている。もともとベーンの《復活》は、コンサートで演奏されることを前提にした編曲ではなく「音楽の骨格を露にする」こと(とベーン自身の楽しみのために)編曲された作品なので、特に音符の改変といったものはない。マーラーの原曲は大人数のオーケストラと合唱と二人の独唱者を必要とする、まずは音の質量で聴衆を圧倒するような作品であった。また、舞台上の演奏者とは別に舞台裏の演奏者を多く必要とする作品でもあり、「黙示録」の場面では、マーラー自身の指示によって、最後の審判を告げるラッパは舞台から遠く離れたところから鳴り響く。ベーンの《復活》は、舞台上のオーケストラはもちろん、そういった舞台裏のオーケストラもすべて二台のピアノでやらせている。本日の演奏は、独唱も合唱も無しで二台ピアノだけの演奏となる。原曲では合唱が登場するのは第5楽章の終盤部分で、交響曲全体からするとほんの一部分である。しかしその存在感は強烈で聞く者に強い印象を残す。前述した通り《復活》はパッチワークのような経緯で完成した作品だが、そうした経緯は楽章と楽章との間の関連が希薄であるという点に如実に現れている。マーラーの時代、交響曲というものは全体に一貫した関連が必要と考えられており、そのことはマーラーも強く意識していた。マーラー自身、完成した《復活》について、一つの交響曲にするのだったら楽章ごとの関連をもっと持たせておくべきだった、という意味のことを述べていた。しかし、最後の合唱はそういった「欠点」を覆い隠す効果を持っていて、いわば「終わり良ければすべて良し」に近いカタルシスを聞く者にもたらす。無論、そのような「力技」を可能にしたのはマーラーの天才に他ならないのだが、独唱も合唱も入らない2台ピアノのみの演奏は、それらのマーラーによる「力技」を全てはぎ取り、まさに「音楽の骨格を露にする」ものとなる。剥ぎ取られたものと残ったもの、どちらがより心に残るか。編曲という行為の危うさと醍醐味、それは背中合わせにあると言えるだろう。

B.A.ツィンマーマンもまた、神無き時代に神を求めた人間だった。ただ、マーラーの時代とマーラー自身は芸術という神をまだ信じることが出来たのだが、ツィンマーマンはそうでは無かったように思える。1918年生まれのツィンマーマンは、ナチスドイツや第二次世界大戦の災厄が直撃した世代に属する。第二次世界大戦後のドイツの芸術家は、「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮である」というテーゼに否応無く直面させられることとなった。この時代、かって芸術が纏っていた神聖さというベールは剥ぎ取られ、芸術という神もまた、死んだ。安易に人の人生を比較することは慎まなければならないが、しかし筆者はそれでも、マーラーよりもツィンマーマンの方が遥かに困難な人生を歩んだと言いたい欲求にかられる。そしてその分、神を求める心もより強く痛切なものだったのでは、と思えてならない。
