2015年9月7日(月)18時半開演(18時開場)
スタジオSKホール(東京都杉並区梅里1-7-7、丸の内線「新高円寺」駅南口徒歩1分) 全自由席/5000円
お問い合わせ tel.03-3992-7256 (菊地)
阿部千春(バロック・ヴァイオリン)+大井浩明(チェンバロ)
●ビアージョ・マリーニ (1594-1663):ヴァイオリンのための変奏ソナタ第3番 (1629)
●ジョバンニ・バッティスタ・フォンターナ (1589?-1631):ソナタ第6番 (1641)
●カルロ・ファリーナ (c.1600-1639):ソナタ “ラ・デスペラータ”(1628)
●マルコ・ウッチェリーニ (c.1610-1680):ソナタ第3番 “ラ・エブレア・マリナータ”(1645)
●ジョバンニ・アントニオ・パンドルフィ・メアッリ(1624-c.1687):ソナタ “ラ・クレメンテ” 作品3-5 (1660)
(休憩)
●アンジェロ・ベラルディ (c.1636-1694):カンツォーネ第1番作品7 (1670)
Adagio – Allegro – Presto – Adagio – Canzone Allegro – Presto assai
●アレッサンドロ・ストラデッラ (1639-1682):シンフォニア第6番(1670s)
●カルロ・アンブロジオ・ロナーティ (c.1645-c.1712):ソナタ第5番(1701)
Largo/Allegro/Largo - Vivace - Largo - Spiritoso - Allegro
●アルカンジェロ・コレッリ (1653-1713):ソナタ作品5-10 (1700)
Preludio Adagio - Allemanda Allegro - Sarabanda Largo - Gavotta Allegro - Giga Allegro
【使用楽器】
ヴァイオリン:作者不詳 南ドイツ 1700年ごろ
弓 :ハンス・ライナー製作/ザルツブルクの大聖堂で発見された17世紀後半のオリジナルのコピー
ラトゥール製作/コレッリモデルのバロック弓
チェンバロ :クラヴサン工房アダチ 2005年製作イタリアン・モデル/ジョヴァンニ・バッティスタ・ジュースティに基づくコピー [提供:石井賢]
プログラムに寄せて──────阿部千春

1600年ごろ、”第2の作法” モノディー様式が、各声部が対等に扱われるルネサンス後期のポリフォニーに代わり全く新しい芸術としてもてはやされるようになる。”言葉 (歌詞)に忠実なしもべ”としての、より劇的な表現を追求した初期モノディーは、対位法的な興味を全て犠牲にしたものだったが、1650年ごろになると過剰な表現を抑制/体系化する動きが強くなる。19世紀終わりにまで渡っての作曲の基盤となる和声システムの発展と並行して、17世紀終わりには様式の均等化の試みが見られ、旋法的ポリフォニーが次第に和声的対位法に溶け込んでいく。のちにジャン・ジャック・ルソーが ”和声が混乱し、転調と不協和音で満たされている”(音楽事典、1768年)と評したように、様々な試みがなされた多様でワイルドな時代であった。

通奏低音は1680年ごろにはヨーロッパ中に広まり、バロック時代のみならず、特に教会音楽においては19世紀まで使用された。
最新のイタリアのスタイル”モノディー様式”と並行して、古いスタイルである厳格な対位法”スティレ・アンティコ” -パレストリーナ様式- は、生きた伝統として現代にまで重要視されている。この二つの様式から、特に器楽曲で発展した調的対位法が17世紀に現れる。通奏低音の和声的なテクスチャー、長・短調システム、不協和音のさらに自由な使用法、フィグレーション(音型の使用による旋律・和声進行の装飾)などによって、調的対位法は整えられていった。コレッリの後期ソナタに見られるような、調性に根ざしたフーガ的な書法がここに成立する。
17世紀におけるヴァイオリン音楽と楽曲形式の発展

ヴェネチアはそのサンマルコ大聖堂を中心とした音楽活動で、また楽譜出版業や楽器製作において、17世紀前半までにおけるヨーロッパ音楽界の最先端をいく街であった。この時期に出版されたヴェネチアの作品には、多数のオルガン音楽、そして合奏のための”独立した”器楽曲(ソナタやカンツォーナといった曲も含まれる)がある。これらはおそらく教会儀式で、前奏曲あるいは後奏曲として使用されたと思われる。音楽家たちは至る所で行われる特別行事のため、また宗教奉仕団体(スクオーラ)での様々な行事において、高度な演奏を要求された。
ビアージョ・マリーニの作品8、ジョバンニ・バッティスタ・フォンターナの1641年に出版された器楽曲集、マルコ・ウッチェリーニの作品4はこのような背景におけるヴェネチアでの出版である。

マルコ・ウッチェリーニ(c.1610-1680)はフォルリンポポリで生まれ、1639年までにすでに2冊の作品集を出版。モデナのエステ家宮廷、大聖堂で活躍後パルマに移り、器楽曲の他に劇音楽も作曲、マリーニ、フォンターナといった先人たちの作風から、さらに表現豊かなスタイルを確立する。3オクターブに至る音域、カノン技法、遠隔への転調、半音階技法の使用でヴァイオリン音楽の可能性を広めた。
マントヴァ出身のカルロ・ファリーナ(c.1600-1639)は1625年、ハインリヒ・シュッツ率いる独・ドレスデンの宮廷楽団に迎えられる。記録では1628年まではドレスデンに滞在したようであるが、この間に計5冊の作品集を出版する。その後、ドイツ、イタリアの宮廷を転々とし、1639年にウィーンで没する。マントヴァ/ゴンザーガ家の宮廷は小さいながら当時のイタリアのなかで最も進んだ音楽都市のひとつとして名高く、ルネサンス時代から最良の音楽家を採用していた。クラウディオ・モンテヴェルディは1601年から1612年までここの宮廷楽長を務めている。こうした音楽的伝統を受け継ぎながらドイツの様式も取り入れた彼の作曲技法はヴァイオリンソナタにもよく現れている。重音奏法、音域のさらなる拡張、音の跳躍や素早いポジション移動といった技巧、また標題音楽の書法は、アルプス以北のヨハン・ショップ、ハインリヒ・シュメルツァー、ハインリヒ・イグナーツ・ビーバー、ヨハン・ヤコブ・ヴァルター、ヨハン・パウル・ヴェストホーフといった一流のヴァイオリニスト達に大きな影響を与える。


30年戦争(1618-1648)、度重なるペストの流行(前述のファリーナはペストに罹患し没している)の影響を受けず勢力を維持し続けたのは、キリスト教会である。その中心ローマは、ヨーロッパ随一の芸術の都として栄えた。教皇、ヴァチカン、他の教会/信心会のみならず、貴族、他国からの王族(スウェーデンのクリスティーナ女王、ポーランドのマリア・カジミエシュ女王)がパトロンとなり、活発な音楽活動が展開される。
特にヴァチカンはその絶対的権力をもって時には個人の音楽生活をも支配し、”背徳と道徳的混乱の温床である” オペラの上演を禁止することも度々であった。

アレッサンドロ・ストラデッラ(1639-1682)、カルロ・アンブロジオ・ロナーティ(c.1645-c.1712)はローマで活躍した、コレッリの一世代前の音楽家達である。早くに父親を亡くしたストラデッラは、兄弟とともに母に連れられてローマにやってくる。そこで音楽教育を受け、次第に作曲家として知られるようになる。1655年にローマに到着し、以来高度な文化サロン(アッカデミア)を主催していたスウェーデン女王クリスティーナのもとで、ストラデッラはロナーティと出会う。ナポリで歌手、ヴァイオリニストとして活動していたロナーティは1668年ごろローマにやってきたが、遅くとも1673年にはこの女王に仕えるようになり、”Il Gobbo della Regina "(女王のせむし男)というあだ名で呼ばれていた。

ストラデッラは当時としては例外的にフリーランス音楽家として、多方面に渡る創作活動を続けた。そこには新しいスタイルに常に挑戦する姿勢が見られる。例えば、コレッリに先立って独奏と合奏のコントラストを手段とするコンチェルト・グロッソの様式を取り入れた。
現存する12曲のヴァイオリンと通奏低音のためのシンフォニアは、教会ソナタ形式を取っている。4楽章形式が多いが、舞曲の楽章を加えたものも多い。楽章は切り離されていないが、テンポ・拍子によってはっきり区別されている。
一方ジェミニアーニの師であったとも言われるロナーティの1701年のソナタ集は、彼のヴァイオリニストとしての活動の集大成ともいえよう。ドイツ・オーストリアの高度なヴァイオリン技法を取り入れた書法で、のちにフランチェスコ・ヴェラチーニは”今世紀一のヴァイオリニスト”と褒め称えている。彼のソナタでは各楽章の区分がはっきり記されている。

彼の出版物は6つの曲集のみと極めて少ないが、12のヴァイオリンソナタ集作品5(1700)はイタリア、パリ、アムステルダム、ロンドンで急速に発展した出版産業を通してヨーロッパ各地にベストセラーとして広まる。それまでに確立されていた形式に従いながら、声楽的なベルカント旋律や、不協和音を効果的に用いた対位法による厚い響きは、生前に15もの版を出すほどのヒットとなる。18世紀中にはまた様々なアレンジも出版された。弟子ジェミニアーニによるコンチェルト・グロッソへの編曲もそのひとつである。当時の音楽家達がソロパートに装飾を施したものも多数残っている。音楽が産業として成り立っていたロンドンにおいては、ジェミニアーニ、ヨハン・ヘルミク・ルーマン、またヘンデルのメサイア初演でコンサートマスターを務めたアイルランド・ダブリンのデゥボーグといったヴァイオリニスト達の装飾版が残されている。
当時の音高について

17世紀前半の楽器製作の中心であったヴェネチアでは464Hz前後と現在よりも約半音高いものであった。このピッチはイタリアの楽器、音楽家が各国に広まるにつれ、先方の教会、宮廷に導入される。例えばシュッツが率いるドレスデンの宮廷においてもこの高いピッチが使われていた。
しかし歌手にとってこのピッチは高すぎることが多く、”tuono corista“と呼ばれる器楽より一音低いピッチも同時に存在していた。
イタリアの中でもピッチは地方によって様々で、ローマでは390Hz~394Hzと現在より一音低い一方で、ミラノのオルガンのピッチは495Hzであった(器楽ではヴェネチアと同じく464Hz前後であった)。1670年ごろからフランスの国際的な台頭に従ってフランス音楽文化がヨーロッパに急速に広まり、弦、管楽器にフランスの低ピッチ(380Hz~392Hz)を用いる宮廷が増える。
イギリスではピッチにおいて独自のシステムが存在した。18世紀前半の、例えばヘンデルのオーケストラのピッチは423Hzだったという。
本日の演奏プログラムは、前半は17世紀前半のヴェネチア/またその影響下にあった作品、後半は17世紀後半のローマを中心とした作品を、またコレッリの演奏例として、18世紀前半のデゥボーグの装飾(1725年ごろ)を取り上げた。複数の楽器での実現が困難なため、”妥協” として415Hzでの演奏である。(阿部千春)
阿部千春(バロックヴァイオリン) Chiharu ABE, baroque violin

cf.モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ集(阿部千春+大井浩明) (クラシカル・ヴァイオリンとフォルテピアノによる全曲チクルス) 第一回(パリ・ソナタ集 K.301-306) [2009.07.25]、 第二回(アウエルンハンマー・ソナタ集 K.296, K.376-380) [2010.10.13]、 第三回(K.359/360/404/454/481/526/547) [2012.2.10]
