
ブソッティ《ラーラ・フィルム》 生演奏付き上映会
2015年10月6日(火)19時開演(18時半開場)
渋谷・公演通りクラシックス (東京都渋谷区宇田川町19-5、東京山手教会B1F) 全自由席3000円
予約・問い合わせ tel. 080-6887-5957 book.k-clscs[at]ezweb.ne.jp http://k-classics.net/
日野原秀彦+大井浩明(二台ピアノ)、薬師寺典子(ソプラノ)、恩地元子(プレトーク)
Hidehiko HINOHARA+Hiroaki OOI, pianos / Noriko YAKUSHIJI, soprano / Motoko ONCHI, introduction
●シルヴァーノ・ブソッティ(1931- ):《タブロー・ヴィヴァン(「サドによる受難曲」に先行する活人画) Tableaux vivants avant 'La Passion selon Sade'》(1964)〔約15分〕
(休憩)
●シルヴァーノ・ブソッティ:《ラーラ(フィルム) - 未公表ミュージック・シーケンスによる新編集版 RARA (film), Nuovo montaggio d’inedite sequenze musicali》(1967-69/2007、日本初演)〔約70分〕
(※)《ラーラ・フィルム》出演者・・・ Laura Betti, Carlo Cecchi, Romano Amidei (=RARA), Anita Masini, Mario Masini, Pippo Masini, Angelica Ippolito, Tono Ancanaro, Dario Bellezza, Dacia Maraini, Luigi Mezzanotte, Franca Valeri, Daria Nicolodi, Giancarlo Nanni, Maria Monti, Cathy Berberian ed altri.
シルヴァーノ・ブソッティ(Sylvano Bussotti)は、1931年フィレンツェ生まれのイタリアの作曲家。フィレンツェの音楽院で学んだあと、パリでM.ドイッチェに作曲をまなび、ブーレーズと親しく交流し、ケージの偶然性の音楽に大きく影響された。ローマでは武満徹とも親しく交流し、武満より日本に招待され初来日したほか、武満はブソッティの誕生日のためにギターの小品を作曲しているほどだ。幼少にはヴァイオリンを弾いたが、現在はピアノをよく弾く。現在はもっぱら作曲が主だが、過去には、クラシックのオペラやバレエの振り付け、演出をよくし、自身のオペラに自ら出演し歌うこともあった。自らの絵の才能を生かした独特の図形楽譜はよく知られていて、オルセー美術館で、ゴッホの傍らに彼の作品が飾られたことを誇りとする。イタリアの左翼系インテリの筆頭だった時期もあり、現代詩人ブライバンティとひとしくゲイ文化を象徴する存在であり、作品には退廃的で甘美な官能性と肉体性があふれている。ヴェネチア・フェニーチェ劇場、トーレ・デル・ラーゴの芸術監督もつとめた。近年再評価が高く、しばしば演奏される機会が増えてきている。
日野原秀彦 Hidehiko HINOHARA, piano
1964年熊本生まれ。東京藝術大学作曲科卒業。同大学院在学中、イタリア政府給費留学生としてイタリア・フィレンツェに留学、シルヴァーノ・ブッソッティに師事。1991年、ヴェネチア・ビエンナーレ現代音楽祭でソプラノと8楽器のための《La vecchia del sonno眠りの老婆》を発表、以降イタリアを中心に作曲活動を続けている。ブッキ国際作曲コンクール第1位(ローマ、1993)。トライエットーリエ・ソノーレ国際作曲コンクール第1位(コモ、1995)。2000年、ローマ歌劇場(オペラ座)におけるブソッティのオペラ《ティエステ》世界初演や、2007年ローマにおけるブソッティの室内オペラ《シルヴァーノ・シルヴァーノ》舞台初演等において、独奏ピアニストを務めた。
《ラーラ・フィルム》に関する一文─────

Sylvano Bussotti
1960年代に制作された《ラーラ・フィルム》は、主にローマにおいて撮影された。舞台は、ローマ近郊の田園や、テヴェレ川の河口、そして海岸線。出演者は作者自身、そして当時親交を結んでいた大勢の友人達や隣人達。中には演劇界で既に脚光を浴びている者もいた。皆、慣習を超越し後に歴史を作ることとなる「前衛芸術」に命を捧げていた者ばかりである。
シルヴァーノ・ブソッティは、当時、音楽・絵画・文学といった彼の馴れ親しんだ表現領域を超越した芸術表現へと向かっていた。
当時は沢山の人が、本当に少ない予算で映画を作っていた。そこでは出演者であれ、技術者であれ、裏方であれ、また通りすがりの動物ですら、誰一人として物質的報酬を要求するものはいなかった。皆、友情の高尚な戯れとして、この稀に見るお祭り騒ぎを謳歌していたのである。彼ら全員に、私の浮立つ心からの深い感謝の意を表する。
撮影に使用されたフィルムは、時に明らかな傷や汚れを呈していることがあったが、編集するにあたって、作者は敢えてその傷や汚れをそのまま映像の中に取り入れた。作者の当時のパートナー、ロマーノ・アミデイ(Romano Amidei)の姓と名の頭文字をとってつけられた題名は、その後長きにわたり国際的大出版社によって出版され、世界中で演奏されることとなる音楽作品群の表題となる。

この後映像作品への挑戦はまだまだ続くが、映画芸術は言ってみれば常に蜃気楼のようなものであった。一方、本当の意味での楽曲スコアの作曲は、近年になって初めて行われた。かつての上映会において、その特殊性を明示すために提言された上映形式は、「ピアノに座った作者から見た」と表現されていた。数人の歌手、任意の小規模な合唱、複数の楽器、または録音テープ、それら全てを統括するヴァイオリン(ブソッティにとって初めての、そして唯一の調和的楽器)を含む付随音楽が生まれるのは、2007年、ボローニャの劇場で催された上映会のことである。映画への回帰、そして触発し喚起する威力を十全に発揮する映像への希求、それは劇場空間への可能性を全開するということでもあった。大きな窓を未来の空へ向けて開け放つように。夏休み、天気の良い日には、映画館の天井が満天の星空へ向けて開いた記憶が蘇ってくる。
この映画でその姿を見せる多くのスターたち、彼らはブソッティにとって多様な出会いの集合体であった。それは、まるで彼のよく言う次のようなフレーズを具現しているようでもある。「音楽は数多の行動の中のただ一つである。肉体はもっと存在する。」
SYLVANO BUSSOTTI (翻訳/日野原秀彦)
【2008年ブソッティ来日時の杉山洋一エッセイ】
2007年11月28日

部屋が全体にこざっぱりした印象を与えるのは、シルヴァーノ自身がものすごく几帳面で、彼「神経質なほどの整頓癖」のため、全てきっちりとアルファベット順に整理してあるからだと思います。同じようにいつも整頓されていた薄暗いランブラーテのドナトーニの仕事部屋を思い出します。シルヴァーノの部屋の違うところは、部屋中いたるところに絵や彫刻が飾られていて、それら殆どが男性器か男性の肉体美をモティーフにしたものであることです。ドナトーニは仕事部屋向いの台所の食卓前に、3、4枚ほど、女性の臀部のステッカーをペタペタ貼っていて、これを眺めてフランコは食事を摂るのかと納得すると微笑ましかった記憶がありますが、シルヴァーノの部屋はずいぶん違って、一種耽美的ともいえますが、美術品以外はこざっぱりしているので、すこし違う気もします。
客間のスペースと仕事部屋を分けるつい立て代わりのクローゼットには、彼の楽譜やレコードなどが、それは奇麗にぎっしりと整理されているのですが、木製のクローゼットの表面全体には、無数の男性の裸体の写真の切り抜きが、ぺたぺた貼られていて、その上改めて全体を彩色してあったかもしれません。「ぼくが作ったんだよ。どうだい、ちょっとした美術品だろう」と偉くお気に入りでした。
年代ものの木製の大きな仕事机も、一面に数え切れない裸体や局部の写真がひしめきあっていて、これを見ながら作曲しているのかと思うと、彼の音楽がよくわかるような気もするし、これでよく仕事ができるものだと感心もさせられます。歩いても出かけられる程の近所で気軽に遊びにゆけそうだけれど、結局日々の忙しさにかまけて、なかなか実現できません。ただ1月に日本でやる演奏会のため、シルヴァーノの音楽や楽譜を勉強している時間はかなりあって、いつも彼の部屋が頭に浮かんできます。

ですから、全て書き直してゆくプロセスは、自分にとって目から鱗が落ちるような経験で、驚きと発見の連続でした。この絵にしか見えない楽譜が、どれだけ精巧に、緻密に計画され組み合わされて、丹念に書き込まれているのか、よく分かったからです。高校のころから慣れ親しんだ「ラーラ・レクイエム」など、イタリアの現代音楽に於いて将来に名を残す傑作中の傑作の一つだと思うし、彼の才能を疑ったことはなかったけれど、でもこれだけの響きのヴァラエティや音色の魅力がこの絵に詰まっているとは、想像もしませんでした。
最も基本的な音の定着は、素朴な12音に従っているようだけれど、それを膨らませるプロセスは、安易な方法論に陥らないし、とびきりのファンタジーと遊び心に満ちていて、その表面を大げさなほど飾り立てながら、元来置かれていた音の意義そのものを全く別な次元へと変容させるかのようです。それが素晴らしいと思いました。
だから、「愛の曲がり角」を例のとれば、幾ら演奏し易くても、どんなに理解し易くても、彼の書いた絵の楽譜の意義は絶対的にあって、演奏者、少なくとも指揮者は、たとえ演奏用スコアを別に作ったとしても、原曲があの美しい楽譜であることは忘れてはならないのでしょう。
これが生産的な芸術かどうか考えるのは、あまり意味があるとは思いません。単純に音楽を理解するため必要とされる煩瑣な手続きを、演奏者が実際喜ぶかどうかも別問題です。ただ、イタリアが連綿と継承してきた「マニエリスム」という言葉を思い出すとき、シルヴァーノに勝る存在はいないと合点が行くし、それだけ意味ある存在なのだと実感させられるのです。挑発的で遊び心に満ちた、でもどこか合理的な奇矯な部屋も、彼の音楽と同じだとに気がつきます。
(つづく)