人気ブログランキング | 話題のタグを見る

11/21(土) マーラー《大地の歌》&《若き日の歌》

11/21(土) マーラー《大地の歌》&《若き日の歌》_c0050810_3223563.jpg2015年11月21日(土)14時半開演(14時開場) 青山音楽記念館バロック・ザール (阪急嵐山線「上桂」駅より徒歩5分)
¥3,500(全自由席)
【お問い合わせ】 青山音楽記念館 tel. 075-393-0011
◎チケットぴあ  ☎0570-02-9999 (Pコード 272-385)
※セブンイレブン、サークルKサンクスでも購入可

北村敏則/テノール、 森季子/メゾ・ソプラノ、 大井浩明/ピアノ

■G.マーラー:歌曲集《若き日の歌》(1880/89)より
  春の朝 - シュトラスブルクの砦の上 - 私は喜びに満ちて緑の森を歩いた - 悪い子を良い子にするには - それ行け! - 二度と会えない - ハンスとグレーテ - 夏に交代
  (休憩)
■G.マーラー:交響曲《大地の歌》(1908)[全6楽章](作曲者自身によるピアノ伴奏版) [国際マーラー協会(ウィーン)監修]
 I. 地上の苦を詠う酒宴歌(原詩:李白)
 II. 秋に寂しき女(原詩:張籍あるいは銭起)
 III. 磁器の園亭(原詩:不明)
 IV. 岸辺にて(原詩:李白)
 V. 春に酔える男(原詩:李白)
 VI. 告別(原詩:王維、孟浩然)


11/21(土) マーラー《大地の歌》&《若き日の歌》_c0050810_324026.jpg北村敏則 (テノール) Toshinori KITAMURA
  京都市立芸術大学音楽学部卒業及び同大学院修了。音楽学部賞、大学院賞を受賞。ウィーン留学。第2回J.S.G.シューベルト国際歌曲コンクール第一位及び聴衆審査特別賞、第6回ボルツアーノ(北イタリア)歌曲コンクール第一位及びアダ・ヴェルバ賞、第一回青山音楽賞、京都市芸術新人賞を受賞。1994年姫路城世界文化遺産指定記念イヴェント、オペラ「おなつ・清十郎」の清十郎役に抜擢されオペラデビューを果たし以後、中国二期会、倉敷音楽祭、びわ湖市民オペラにいずれも客演として出演。関西二期会では2006年に「魔笛」でデビュー。続いて「愛の妙薬」「ナクソス島のアリアドネ」に出演。イギリス、イタリア、ドイツ、オーストリアでのオペラ公演の参加をはじめ、国内外でのリサイタル、ソリストとしてベートーヴェン「第九」、モーツァルト、ヴェルディなどの「レクイエム」、オルフ「カルミナ・ブラーナ」などに出演、その中でも「ヨハネ受難曲」「マタイ受難曲」のエヴァンゲリストとして高い評価を得ている。これまでに蔵田裕行、田原祥一郎、E・ヴェルバ、K・エクヴィルツの各氏に師事。現在、シューベルト協会同人、関西二期会正会員、京都市立芸術大学准教授。

11/21(土) マーラー《大地の歌》&《若き日の歌》_c0050810_3261267.jpg森季子 (メゾ・ソプラノ) Tokiko MORI
  京都市立芸術大学大学院修了。修了時大学院賞受賞。京都芸術祭において毎日新聞社賞、京都市長賞、亀岡市長賞受賞。青山音楽賞新人賞受賞。ウィーン国立音楽大学リート・オラトリオ科に留学。宗教曲等ではバッハ「ヨハネ受難曲」、モーツァルト「レクイエム」「戴冠ミサ」、ベートーヴェン「第九」、シューベルトミサ曲、マーラーの作品などのソリストを務める。オペラではモーツアルト「フィガロの結婚」ケルビーノ・バルバリーナ、「コシファントゥッテ」デスピーナ(カヴァーキャスト)、「魔笛」侍女Ⅱ・侍女Ⅲ、「皇帝ティートの慈悲」セスト、ワーグナー「タンホイザー」牧童、「ワルキューレ」ジークルーネ、「ラインの黄金」フリッカ、オッフェンバック「ホフマン物語」ニクラウス、「天国と地獄」世間、フンパーディング「ヘンゼルとグレーテル」ヘンゼル、マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」サントゥッツァ、ラヴェル「子どもと魔法」子ども、コルンゴルト「死の都」ルシエンヌ等、多数出演。これまでに北村敏則、M.ウングリアヌ、W.モーア、加納悦子の各氏に師事。びわ湖ホール声楽アンサンブルソロ登録メンバー、IL DONGRIメンバー。



ピアノ版『大地の歌』から読み取れる演劇的要素───甲斐貴也

  マーラー『大地の歌』の第1曲、「大地の苦を詠う酒宴歌」は、李白の原詩に比較的忠実なハイルマン独訳に、ベトゲが題名変更の他かなりの翻案を加えている。

   a) 題名を「悲しみの歌」から「地上の苦を詠う酒宴歌」に変更。
   b) 杯を黄金にすることで、王侯級の華麗な宴席の情景にした。
   c) 悲嘆を吐露するリフレインを、生も死も暗いという箴言(しんげん)(戒めの言葉)にした。
   d) 「ただひとつ確実なものは、最後にニヤリと笑う墓」などシニカルな詩句を追加。

  こうして侘しい酒席で人生無常を嘆く詩は、富貴の人々の集う華麗な宴席で、多分に挑発的に無常を説く情景となった。ベトゲは何故このような翻案をしたのだろうか。その出典となりそうなものが、ベトゲが典拠のひとつとするサン=ドニ『唐代詩集』所収の李白小伝にある。そこには、李白が玄宗皇帝に詩才を認められて宮廷に招かれたが、その奇矯な振る舞いを皇帝の取り巻きの貴族たちに憎まれ、ついに追放された史実が記されているのである。つまりベトゲの翻案詩の情景は、玄宗皇帝の宮廷の宴席における李白の振る舞いを想定したという推測が成り立つ。『大地の歌』作曲当時、ウィーン宮廷歌劇場総監督辞任劇の渦中にあったマーラーが、この設定に興味を持たぬはずはあるまいが、実際マーラーが作曲した音楽は劇的で緊張度が高く、悲嘆よりも斜めに構えた諧謔的な傾向が強い。
  マーラーはベトゲの追加したシニカルな詩句を含む第3節後半をリフレインごと削除して有節形式を崩し、劇中歌的な第3節の独立性を明確にした。管弦楽版ではホルンのfffで轟然と提示される、猿の鳴き声を表す4度音程のライトモチーフ的動機は、ピアノ版では続くトリルによる半音下行 (第3、 4小節)の、宴席の喧騒・笑い声の動機のffに対してfであり、猿の声が遠景から響く遠近関係が明らかである〔譜例1〕。(漢詩における悲哀の象徴である猿声は、森の樹上に住むテナガザルのものであり、ニホンザルの騒音的鳴き声とは全く異なる)
11/21(土) マーラー《大地の歌》&《若き日の歌》_c0050810_3503741.jpg

  喧騒を遮って乾杯を制止した李白は、人の死の運命を説き、「悲しみの歌」により哄笑を起こすと予告し、空海の「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」を思わせる箴言「闇なのだ、生も死も」 “Dunkel ist das Leben, ist die Tod!” を垂れる。第2節では玄宗皇帝(この家の主)の酒蔵を讃え、リュートの演奏を予告し、再び箴言を垂れると、それまで李白の口上を嘲笑うように頻出していたトリルは、御前での歌と演奏を静聴するかのように鎮まり、リュート弾き語りによる酒宴歌「悲しみの歌」が始まる。ここから、前2節では歌詞の“Lied” (第36、 37小節) の部分でだけ響いたトレモロが支配的となる〔譜例2〕。 
11/21(土) マーラー《大地の歌》&《若き日の歌》_c0050810_3515865.jpg

  管弦楽版で目立たないトレモロの存在感が大きいのはピアノ版の特徴であり、動機としての重要性を示す。猿声動機の構成音A、 Eを含むことから、宴席の世俗的な喧騒を表すトリルと対照的な、森(自然界、異界)の響きであろう。トレモロと猿や鳥の鳴き声を背景にリュートの演奏が始まり(第210小節から)、後半は歌とリュートが交互に現れる弾き語りの情景となる。老子の「天長地久」を引用した、人生無常と物欲の空しさを説く歌が進むと、俗物たちの嘲笑のようにトリルが散発し始め、ついに歌を遮ってトリルがffで爆笑するように現れる(第325小節)。予告どおり、歌によって哄笑が引き起こされたのだ。だが間髪を入れず李白は猿の出現を告げる(第328小節)。森の樹上で鳴いていたはずの猿の一匹がいつの間にか墓場に現れ、月光を浴びて叫ぶ禍々しい姿。人間の死の運命を象徴する凶兆の出現に、人々は恐れおののき、これ以後トリルの笑い声は一切沈黙する。わが意を得た李白は猿声の4度下行(第353小節)と笑い声の半音下行(第358-359小節 = 第3-4小節)を歌う。今度は李白が人々を嘲笑する番なのだ〔譜例3〕。
11/21(土) マーラー《大地の歌》&《若き日の歌》_c0050810_3522449.jpg

  地獄落ちの9度下行で人々が倒れ伏すと猿の姿が消えたのか音楽は静まる。一曲歌った李白は約束どおり乾杯を促す。人はその運命の杯を飲み干さなければならないのだから。3度目のリフレインはピアノ版ではまさかの長調で明るく歌われ、最後の“Tod!” で突如暗転し短調の和音を響かせる。続くコーダは、「急速に幕」のト書きがふさわしいような終結和音で閉じられる。
  この劇的な情景に続く第2曲「秋に寂しい女」は宮女の失意の歌だが、マーラーは管弦楽版で題を男性に変更した。中国では古来、ことにマーラーと同時代の清朝期においては、恋愛詩を君臣関係の比喩として解釈することが一般的であったが、マーラーの友人で『大地の歌』作曲のきっかけを作り、古代中国文化の情報を提供していたとみられる中国学者フリードリヒ・ヒルトFriedrich Hirth(1845~1927、米コロンビア大学中国学科主任教授)は、これを知っていたはずである。すると回想的エピソードの第3曲「磁器の園亭」と第4曲「岸辺にて」(管弦楽版ではそれぞれ「青春について」「美について」に変更され、対になる曲であることが明確化されている)を挟んだ第1, 2, 5, 6曲はすべて宮廷における君臣関係にまつわるものとなり(宮女の嘆きもまた純粋な恋愛ではなく君臣関係の一種ではある)、俗物貴族たちの讒言(ざんげん)を受け、皇帝の寵愛を失って宮廷を追われ、失意のうちに去ってゆく優れた芸術家の物語が浮かび上がってくる。
  これはもちろん、李白の伝記的エピソードを表現しようとしたのではなく、マーラー自身の宮廷歌劇場総監督辞任と、新天地アメリカへの渡航を象徴した隠喩であろう。マーラーの当時の心境には諸説があるが、この隠しストーリーからは、内心相当に悔しい思いがあり、それを作品に昇華したと見ることも出来るのである。
by ooi_piano | 2015-11-05 11:52 | コンサート情報 | Comments(0)

Blog | Hiroaki Ooi


by ooi_piano