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6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その2)

つづき

鳥の名の女 イヴォンヌ・ロリオの献身

6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その2)_c0050810_10114411.jpg  ドイツの宣戦布告に伴い招集されたメシアンは、強度の近視のため衛生兵として従軍することになった。1940年6月、ドイツ軍の電撃作戦によりフランス軍は潰走するが、自転車で逃げようとしたメシアンはパンクしてドイツ軍の捕虜になってしまう。その捕虜収容所で同年、食糧難に苦しみながらも作曲し、捕虜の音楽家によるアンサンブルで初演したのが名高い『時の終わりのための四重奏曲』である。
  ドイツに降伏したフランスはペタン元帥が首相となり、かろうじて国家の存続が決まって、安堵した国民はペタンを熱狂的に支持した。占領下でドイツに協力的であった人々の中には、著名なピアニストでエコールド・ノルマルの院長アルフレッド・コルトーがおり、捕虜となった音楽家の釈放に尽力したとされるが、そうしたこともあってか、メシアンの捕虜生活は翌年には終わり、パリに戻ってパリ音楽院の和声クラス教授に就任する。1941年5月7日のメシアン最初の講義を受けた学生のひとりイヴォンヌ・ロリオは深い感銘を受け、メシアンを「天から降りてきた先生」と形容したという。
  14歳でバッハの平均律と、ベートーヴェンの全ソナタを弾きこなしたというロリオをメシアンは「単にピアノ書法のみならず、様式、世界の見方、思考方式をも変えた、唯一の、気高い、天才的な演奏者」とまで賛美する。以後ロリオの協力により、『前奏曲集』以来、クレールとの家庭生活時代に本格的には絶えていたピアノ音楽が、管弦楽作品と共にメシアンの主要な創作ジャンルに浮上することとなる。1943年から1944年にかけての『アーメンの幻影』、『幼児イエスへの二十の眼差し』という大作は、メシアン曰く、イヴォンヌの「前代未聞の超絶的名人技」を想定して書かれ、彼女に献呈されており、上演時の騒動が話題になった、ピアノ、オンドマルトノ、合唱と管弦楽のための『神の現存のための三つの小典礼』でもピアノが大きな役割を果たしている。
  代わってメシアンの創作から後退したのが、クレールの楽器であったヴァイオリンの独奏曲と、メシアンの自作、バッハ、クレールの作品というプログラムを組むこともあったオルガン作品、そして歌曲であった。ヴァイオリン独奏曲は全く姿を消し、オルガン作品も主要なものはクレール時代に集中しており、歌曲は1945年の歌曲集『ハラウィ』が最後で最新の作品となったのである。
 
6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その2)_c0050810_10151429.jpg  『ミのための詩』、『天と地の歌』と『ハラウィ』はメシアンの三大歌曲作品と呼ばれるが、これまで見てきたように前二者がクレールとの「神聖な結婚生活」を描いていたのに対し、『ハラウィ』では全く様相を異にする異教徒のしかも不倫の愛が主題になっており、全二作であれほど希求された厳格な信仰と罪の恐れは影もなく、そこで控え目に描かれていた男女の愛と、その行き着く先の死が中心主題となっている。
  メシアンは『ハラウィ』を、続く超大作『トゥーランガリラ交響曲』と無伴奏合唱曲『5つのルシャン』とあわせて「トリスタンとイゾルデの三部作」と称し、『ハラウィ』はその1曲目だと繰り返し発言している。ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』、さらにはそれに連なり独自の世界を築いたドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』は、メシアンが早くから熱愛していた作品であったが、その愛は音楽のみならず、死もモラルも超えた大恋愛という主題にも向けられていたようである。メシアンはアルバン・ベルクの『ヴォツェック』も高く評価していたが、ベルクの作品で一番好きなのは『抒情組曲』であるとし、その理由に、近年明らかにされた、ベルクが自分と愛人ハンナのイニシャル(A.B.とH.F.)を曲中に散りばめていた事実を挙げているのに至っては、いささか無邪気な印象さえ受ける。こうしたことは、「生まれながらの信仰者」を標榜するメシアンにしては奇妙な嗜好に思えるが、そうした指摘に対してメシアンは、大恋愛とは真実の愛、つまり神の愛の反映なのだと反論している。
6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その2)_c0050810_1016287.gif  キリスト教の信仰を持たないものにとって、この議論はさほど興味をひかないものだが、現代における信仰者の作曲家としてメシアンを位置づける者には大きな問題のようである。カトリック信者であるパトリック・カヴァノー:『大作曲家の信仰と音楽』という、バッハに始まり現代に至る大作曲家たちの信仰について書かれた本のメシアンの項は驚くべきものだ。そこではクレール・デルボスとの結婚と、『ミのための詩』と『天と地の歌』を紹介しながら、イヴォンヌ・ロリオの名が一切出てこないのである。さらに『ハラウイ』はもちろん高名な『トゥランガリラ交響曲』の名も省かれ、ひたすら敬虔なカトリック信仰者としての作曲家の姿が美化されて描かれている。不倫の愛もまた神の愛の反映だ、などという強弁は、ここに採用しかねたということであろう。
  こうした歌曲の作風の変化は、作品発表当時も様々な憶測を招いたようで、音楽評論家アントワーヌ・ゴレアは、1957年(クレール存命時)のメシアンへのインタビューからまとめた著書『オリヴィエ・メシアンとの出会い』において、「トリスタンとイゾルデの伝説を思わせる、強く、深い恋愛、ワーグナーとマチルデ・ヴェーゼンドンクの情熱を語っているような恋愛に動揺しながらも、メシアンは彼の情熱を長い間ひたすら音楽に傾けたのであった」などと、メシアンとロリオの恋愛関係を示唆する記述をしている。
6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その2)_c0050810_10163620.jpg  これにロリオは相当遺恨を持っていたようで、メシアン死去の直前、1992年のインタビューでゴレアを名指しで批判しているが、自らの存在がメシアンの『ハラウィ』に何らかの影響を与えたかという質問への答えは『確かに(certainement)』であるとし、こう述べている。
  「私は『ハラウィ』を地上的な愛を表現した曲、それ以前の歌曲集を神に捧げた崇高な愛という様には分けたくない。なぜならメシアンは生涯を通じていつでもカトリック信仰に満ちた人であったからである。私は愛には様々な形、姿があり、どちらが上であるとか高低をつける必要はないと思う。」
  ロリオは『ハラウィ』のどこに影響を与えたのか明確に答えてはいないが、ピアノ書法にロリオの存在が影響していることは間違いない。そしてロリオが第11曲「星の愛鳥"Amour oiseau d'etoile"」の自筆譜から「あらゆる星の鳥たち"Tous les oiseaux des etoiles,"」の箇所を、ピアノパートごとメシアンの墓石に刻ませたのは、その公式的な言葉とは裏腹に、作曲家メシアンの半生を支えた最大の功労者であり妻であるロリオの、大切な愛の思い出であった故ではないだろうか。


 
歌曲集『ハラウィ』 Harawi

6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その2)_c0050810_10173849.jpg  前作に比べ、オノマトペの使用が飛躍的に増大して歌詞の主要部分を占める曲すらあり、エキゾティックなリズムの多用に加えてペルー民謡の導入もなされ、異教的、土俗的様相を呈する。『アーメンの幻影』『幼児イエスへの二十の眼差し』で培われたピアノ書法の高度化も生かされ、ピアノパートは前2作に比べて飛躍的に複雑化し、独立性を高めている。
  メシアンは、ベラクール・ダルクール夫妻によるアンデス地方の民謡集を読み、ペルー民謡の美しさに夢中になり、『ハラウィ』に取り入れたが、単に旋律を取っただけで、旋法は原曲の五音階を「移調の限られた旋法」に変え、リズムも独自のものを用いている。
  歌詞はペルーの古詩に使われているクチョワ語のオノマトペを交えたものを、当時メシアンが愛好していたピエール・ルヴェルディ、ポール・エリュアール、アンドレ・ブルトンらのシュールレアリズム詩のスタイルで書いた。メシアン自身によれば、「題名の『ハラウィ』という言葉は、クチョワ語であり(中略)、ペルーの民謡の中にたくさん出てくる「愛と死の歌」を意味している。つまり不幸な、抵抗しがたい恋愛を指しており、2人の恋人たちは死に至る。トリスタンとイゾルデの物語とほぼ同一のものである。ここではイゾルデはピルーチャという名である」。
  歌は前作までと同じく、マルセル・ビュンレの歌唱を想定して書かれ、ピアノパートは「大変難しく、オーケストラ以上にオーケストラ的、つまり多種多様な色彩を持っていると言える」と語っている。

6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その2)_c0050810_10185393.jpg1. 眠っていた街 おまえ
  歌曲集の序の性格を持つ。眠りからの目覚め、愛の目覚めが歌われる。

2. こんにちは、お前、緑の鳩よ
  ペルーで恋人を象徴する緑の鳩に向けて歌う。第7曲、第11曲で再び現れる息の長い主旋律はペルー民謡のものである。ピアノパートには鳥の歌が現れる。

3. 山
  低い音に当てられる「黒」の語は死を象徴する。

4. ドゥンドゥ チル
  「ドゥンドゥ チル」はペルーの愛の儀式舞踊において、踊り手の足首につける鈴の音の擬声語であるという説と、『アメリカインディアンの民謡集』所収のエクアドル民謡の囃子言葉だという説がある。ペルーとエクアドルは隣国であるから両説に矛盾はないかもしれない。 

5. ピルーチャの恋
  若い娘の歌う「トゥング」はおそらく鳩の鳴き声の擬声語。若い男は早くも「僕の首を切り取ってくれ」「愛、そして死」などと濃厚な愛の死の予感に高揚しているようだ。

6. 惑星の反復
  オノマトペが多用され、シュールレアリズム風の奇抜な空想的詩句を用いる。

6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その2)_c0050810_10192868.jpg7. さらば
  第2曲の旋律が循環主題として再び現れる。第2曲が「こんにちは」であったのに対し、第7曲は「別れAdieu」、つまり永遠の別れが歌われる。

8. シラブル
  緑の鳩が再び現れ、オノマトペが多用される。これは猿の声の擬声語であり、猿の声の警告によって危機を脱したインカの王子を記念する「猿の踊り」を模したものと云う。

9. 階段が復唱する、太陽の仕草
  歌詞にトリスタンとイゾルデの「媚薬」のモチーフが現れ、愛による死後の世界がシュールレアリズム的に描かれる。

10. 星の愛鳥
  シュールレアリズムのイギリス人画家、ロラン・ペンローズの絵画から発想したとされる。星空から下向きに突き出た巨大な女の頭から垂れる髪に、下から男の手が伸びるという、『ぺレアスとメリザンド』の一場面を思わせなくもないが奇妙な絵である。メシアンはこの絵を『ハラウィ』全体を象徴するものとしている。

11. カチカチ 星たち
  再びオノマトペが多用され、ピアノに鳥の歌が現れる。

12. 暗闇のなかに
  暗闇の死の世界で再び冒頭の「眠っている街」が現れ、円環構造を示唆するが、そこに「おまえ」はもういない。そして自らも闇の中に消え去ってゆく。

6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その2)_c0050810_10203469.gif  「ミ」のための2部作とも言える『ミのための詩』と『天と地の歌』の、神を敬い罪を恐れる歌詞とはあまりにも違う『ハラウィ』を、病床のクレールはどのように受け取ったのだろうか。その後、「トリスタンとイゾルデ3部作」の第二部に当たる、ボストン交響楽団から委嘱された異形の大作『トゥーランガリラ交響曲』が初演される頃には、クレールの病状は更に悪化していったという。最後の作曲は1951年。その後サナトリウムに収容される。
  同じころロリオは運転免許を取得し、運転のできないメシアンを乗せてクレールの見舞いに連れて行ったり、鳥の鳴き声の採譜のために郊外へ共に行くのが常となったという。そして1959年、クレール・デルボスはサナトリウムでこの世を去る。死後2日目に執り行われた葬儀に、演奏旅行先から駆け付けたロリオをメシアンは駅で出迎え、結婚を申し込んだ。そして3年後の1962年に二人は結婚する。「20年間、2人はこの時を待っていたと言える」。
  その後のロリオのメシアンへの、その没後にまで及ぶ献身ぶりは広く知られている。晩年の大作オペラ『アッシジの聖フランチェスコ』に至る多くの作品の創作も、20世紀の大作曲家として確固たる名声の確立も、ロリオの尽力なくしては考えられない。
  ロリオの名Loriodは、メシアンがロリオの協力のもとに書きあげた高名なピアノ曲集『鳥のカタログ』の第2曲「ニシコウライウグイス Loriot」と一字違いであり、発音が全く同じ同じである。メシアンは、ロリオ夫人の名前について特に言及を残していないと言うが、自称鳥類学者のメシアンが何事か思わぬはずもないだろう。この鳥は鮮やかな黄色をしているが、面白いことに色彩への強いこだわりのあるメシアンは、黄色は好きでないという。にもかかわらず、『鳥のカタログ』のロリオによる世界初録音のLPジャケットには、Loriotの絵が飾られている。これは鳥の名と演奏者の名をかけたデザインにまず違いなく、おそらくはメシアンの意向によるものと思われる。
 
6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その2)_c0050810_03415431.jpg  ロリオと結婚後、メシアンは公式にはクレール・デルボスについてほとんど言及しておらず、『天と地の歌』で歌われたパスカルについても、その後高校のロシア語教師になったということ以外のことはあまり知られていない。そうしたメシアンに対し人柄を冷淡と見る向きもあったが、おそらくは献身的な後妻ロリオへの遠慮もあったのだろう。近年明らかになったところでは、ロリオと結婚後も、メシアンの仕事場の机上にはクレールの写真が飾られ続けていたといい、パスカルとはその妻ジョゼットと共にしばしば食事をしていたそうである。





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by ooi_piano | 2016-06-22 07:55 | コンサート情報 | Comments(0)

6月15日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第1回公演


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