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ペダル・クラヴィコード公演 J.S.バッハ《トリオソナタ集》全曲(その2)

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承前

ペダルクラヴィコードをめぐって───横山博(西方音楽館副館長)

ペダル・クラヴィコード公演 J.S.バッハ《トリオソナタ集》全曲(その2)_c0050810_2303498.jpg  クラヴィコードとは、マイナスドライバーの先のような金属片で弦を直接突き上げて音を出す鍵盤楽器で、一音一音適確なコントロールで打鍵しないと弦がうまく振動してくれず、耳障りなノイズが発生してしまうという恐ろしい特徴をもっている。それはオルガンやチェンバロの難しさとは全く異なるもので、ピッチ(音高)は鍵盤の押し加減によって変わってしまい、固定的ではなく、常にわずかに揺らいでいる。また、弦を突き上げた後、同じ重みで鍵盤を押していないと良い音が持続しないという大変繊細な楽器である。音量が非常に小さいという弱点があるにも関わらず、バッハはあらゆる鍵盤楽器の中でクラヴィコードを最も愛奏し、息子たちにも手取り足取り教えていた。
  いま皆様の目の前にある楽器の上部には、通常のクラヴィコード(手鍵盤)2台が積み重ねられている。そしてその下には足鍵盤で演奏できるようにした大型のクラヴィコードが合体している。一つ一つの楽器は連結されること無く完全に独立している。別々の3台のクラヴィコードを使って、独立した3パートを一人で演奏できるように作られたのが、本日使用される小渕晶男氏が復元したヨーハン・ダーフィット・ゲルステンベルク(1760年製作)のペダルクラヴィコードである。

ペダル・クラヴィコード公演 J.S.バッハ《トリオソナタ集》全曲(その2)_c0050810_2314351.jpg  当初は、ペダルクラヴィコードなどという特殊な楽器の製作を小渕氏に依頼することになるとは思ってもみなかった。私はバッハの《平均律クラヴィーア曲集》の全ての調を弾けるように4オクターヴの専有弦方式クラヴィコードを手に入れたいと考えていた。私のアパートにある楽器は共有弦方式のクラヴィコードだけで、それではシャープやフラットの多い曲になると出せない音があったのだ。《平均律》に相応しいクラヴィコードとは一体どのようなモデルなのか、私の師である英人音楽学者のジョン・バット氏(グラスゴー大学教授)にメールで問い合わると、彼は「そもそもバッハが専有弦クラヴィコードを所有したことがあるという確証は得られていない。いずれにしても《平均律第1巻》は4オクターヴ内に収まっているが《第2巻》は4オクターヴ以上の音域で書かれているので、歴史的に見合った楽器で全48曲を演奏したいと言うのなら2台のクラヴィコードが必要になるだろう」と教えてくれた。そしてイギリスやアメリカの信頼できるという製作家を何名か紹介しくれた。そのうちの一人、イギリスのピーター・バヴィングトン氏は「私はもう引退してしまったので注文を引き受けることはできないが、《平均律第1巻》に相応しいモデルの一つに、現存する最古の専有弦式クラヴィコードであるミヒャエル・ハイニッツ(1716年製作)が挙げられる」との返事をくれた。小渕氏にハイニッツを製作していただけないかとお願いした時、小渕氏は「それはかなり珍しいモデルと言えますが、興味を持った理由は何でしょう?」との事で、私は《平均律第1巻》との関連とバヴィングトン氏の意見を伝えた。「ハイニッツは確かにバッハと関わる機会があったかもしれない。しかしもう一つ、ハイニッツにとてもよく似た作りのモデルでヨーハン・ダーフィット・ゲルステンベルク(1760年製作)というものがあり、この楽器は2つの手鍵盤と足鍵盤を備え、バッハのトリオ・ソナタを演奏するために作られたと噂されるものです」と、思いがけず《平均律》と《トリオ・ソナタ》が同時に私の前に立ち並んだ。その約2週間後、小渕氏が制作した楽器の一つを所有している方のお宅でジルバーマンモデルの専有弦クラヴィコードを試奏できる機会があったのだが、お宅に上がり、私がジルバーマンを見るよりも先に、小渕氏はペダルクラヴィコードの巨大な図面のコピーを、そのお宅のリビング床一面に広げて見せてくれた。それは楽器の図面というよりも、モダン建築の設計図のように見えた。ジルバーマンの試奏が終わるとそのまま小渕氏の車で移動し、上尾直毅氏所有のホフマンモデルのクラヴィコードも試奏させてもらった。しかしその時の話題の中心もやはり、ゲルステンベルクのペダルクラヴィコードだった。

ペダル・クラヴィコード公演 J.S.バッハ《トリオソナタ集》全曲(その2)_c0050810_2323768.jpg  西洋音楽史の根幹に位置するとも言える伝説の楽器、ペダルクラヴィコードは多くのオルガニストの間では未だ「無用の長物」と見なされている。17世紀、18世紀の北ヨーロッパのオルガニストたちが実際どのような楽器で、どのような環境で、どのように演奏技術を習得したのかという議論がされるようになったのも、ここ20年位の話である。北ヨーロッパの教会の中は一年の半分はかなり寒く、もちろん電力の無い状況下では楽器に風を送る「ふいご師」たちに決して安くはない労賃を支払う必要があった。つまり17世紀、18世紀のオルガニストが大きなオルガンを心置きなく練習するということは相当に贅沢なものであり金銭的に無理のあることだった。もちろん小さなオルガンもあったが、それは現代の音楽大学の練習室にあるようなペダル(足鍵盤)を備えた楽器ではなく、そのほとんどはペダル無しの一段鍵盤で、とても軽いアクションのものだった。だからこそペダルクラヴィコードは、教会の大きなオルガンでは練習が困難であるという実態を、長きに渡って支えるものであり続けた。J.S.バッハの場合はどうだろう?ペダルテクニックにおいてバッハの右に出る者はいなかった。では彼は常日頃どのようにその技に磨きをかけていたのだろう?バッハのオルガンの練習やレッスンに関しての歴史的資料はまったく残されておらず、謎のままである。

ペダル・クラヴィコード公演 J.S.バッハ《トリオソナタ集》全曲(その2)_c0050810_23319100.jpg  バッハの息子と交流のあったヨハン・ニコラウス・フォルケルの述べるところによれば、

  「彼はペダルで低音や普通のオルガニストが左手の小指で押える音を弾いただけでなく、多くの人が五本の指をもってしてもなかなか引き出せないような性格の、本格的な低音旋律を演奏したのである」

  現代のオルガニストにとっても《6つのトリオ・ソナタ》(BWV525-530)はバッハの最も重要なオルガン作品の一つであり、主要なオーディションや国際コンクールに必ず課題として課せられている通り、今日でもなお、オルガン音楽の最難曲でありつづけている。互いに全く独立した3つの声部による対位法の綾取りが入念に書き込まれており、時に足鍵盤の動きは手鍵盤の動きにも匹敵する。オルガンでも演奏可能だが、室内楽的な響きにまとめる音色の選択(レジストレーション)の可能性は案外少なく、残響時間の長い教会ではすべての音域でお互いにクリアな関係を設定するのは難しい。一方、音域毎に音色の特徴が異なり、減衰の速いクラヴィコードでは、あたかもヴァイオリンとフルート、通奏低音がトリオ・ソナタを合奏していると錯覚させる瞬間がある。では、3人で演奏すればどうなるかといえば、全員が全員の役割を頭に入れて、その瞬間瞬間に紡ぎ上げる精妙な和声に支えられた音楽全体の流れを失わずに、しかも3人が同時に対話を進めていくことは至難の業である。

ペダル・クラヴィコード公演 J.S.バッハ《トリオソナタ集》全曲(その2)_c0050810_2341619.jpg  「バッハはこれを長男ヴィルヘルム・フリーデマンのために書いた。フリーデマンは偉大なオルガン奏者となるためにこれらを勉強し、事実のちにそのような存在となった」

  フリーデマン・バッハはトリオ・ソナタを「勉強」した。しかしフリーデマンは卓越したペダルテクニックを習得したというよりも、この曲集のもつ「ギャラント風」な性格を引き継いだように見える。

  「さらに、きわめて技巧的につくられた『パッサカリア』(BWV582)を加えておくが、これはオルガン用というより、むしろ二つの手鍵盤とペダルのためのものである」

  この「二つの手鍵盤とペダルのためのもの」という記述であるが、原文では“fur Zwey Claviere und Pedal”となっている。この“Clavier”はおそらくクラヴィコードのことであろう。「きわめて技巧的」なオルガン曲の演奏を仕上げるには、どんなオルガニストであろうと相当な練習時間が必要だし、ペダルチェンバロではなくペダルクラヴィコードがあれば、美しくデリケートな足さばきへの貴重な示唆を与えたに違いない。パッサカリアの手鍵盤パートには、オルガンには似合わないブロークンコードが含まれており、ギターやリュートのアンサンブルを思わせる。

  1901年、クロード・ドビュッシーはこの様に述べた。

  「バッハの音楽においてひとを感動させるのは、旋律の性格ではない。その曲線である。また往々にして、幾つかの併走する線の運動体だ。それらの線の出会い(アラベスク)が、偶然であるにせよ必然の一致にせよ、胸を打つ。 Dans la musique de Bach, ce n'est pas le caractère de la mélodie qui émeut, c'est sa courbe ; plus souvent même, c'est le mouvement parallèle de plusieurs lignes dont la rencontre, soit fortuite, soit unanime, solicite l'émotion.

ペダル・クラヴィコード公演 J.S.バッハ《トリオソナタ集》全曲(その2)_c0050810_2351421.jpg  演奏している姿をなかなか生で見ることのできないオルガニストの存在。本日はそのテクニックを音だけでなく間近に目でも楽しんで頂ける。強弱の変化はもちろん、多彩な陰影を表出するクラヴィコードという楽器が、両足、左手、右手のために3台積み重なった。本日のような一つの演奏会でトリオ・ソナタ全6曲がペダルクラヴィコードで公開演奏されるということは我々の知る限り世界で初めてのことである。ついに大井浩明氏の手と足によって、ペダルクラヴィコードがオルガンの完璧な表現力を超え得ることを証明する日がやってきた。


  
by ooi_piano | 2016-10-18 02:12 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)