
日本シベリウス協会 Japanin Sibelius Seura
《ピアノで紡ぐシベリウスの管弦楽の世界》
2017年7月2日(日) 14時開演(13時30分開場)
マルシャリンホール(飯野病院7F 調布駅東口すぐ)
大井浩明(ピアノ独奏)
新田ユリ(お話/指揮者・日本シベリウス協会会長)
シベリウス協会会員 1000円/一般 2000円
申込み: info[at]sib-jp.org (6月20日締切)

I.光のヴィネット Vignette in Twilight - II.森のジーグ Gigue of Forest - III.水のパヴァーヌ Pavane for Water - IV.鳥たちのコンマ Commas of Birds - V.風のトッカータ Toccata in the Wind
●J.シベリウス(米沢典剛編曲):交響曲第6番 ニ短調 Op.104 (1923/2017、世界初演) (約30分)
I.Allegro molto moderato - II.Allegretto moderato - III.Poco vivace - IV.Allegro molto
(休憩15分)
●J.シベリウス(米沢典剛編曲):交響曲第7番 ハ長調 Op.105 (1924/2016、世界初演) (約20分)
Adagio - Vivacissimo - Adagio - Allegro molto moderato - Allegro moderato - Presto - Adagio - Largamente molto - Affettuoso
●J.シベリウス(米沢典剛編曲):交響詩「タピオラ」 Op.112 (1925/2017、世界初演) (約18分)
Largamente - Allegro moderato - Allegro
協会ページ FBページ
《一筆書きの先は・・・》───新田ユリ

交響曲第7番、弦楽器が全員で登りゆく音階の階段、その始まりは耳に届いてくるチェロの音ではない。耳を澄まし聞こえてくるティンパニが奏でる一つの音、“ト音―ソ”。そして続くラーシードーレーミーファーソ・・・遅れて半拍のズレを持って同様に階段を上るコントラバスが消えかけるころ、冒頭で確信的な“ソ”を奏でたティンパニがもう一度“ソ”を提示。前世紀の作品であれば迷いなく次は“ハ音―ド”にゆき、「弦楽器御一行様お疲れ様でした。到着駅“ド”でございます~このハ長調の街は・・」などと、やおらバチを拡声器に持ち替え喉を鳴らすティンパニ奏者の姿が目に浮かぶ。しかし、旅はそう簡単ではない。音階は穏やかなハ長調から逸脱し、さらに上り到着点は“変ホ音―ミ♭”。ハ長調の世界には通常存在しない音・・・これは曲が始まってわずかに3小節の時間の出来事。そしてその25分ほど後には、全員で“ド”の音に解決。C-Dur ハ長調の完成。無事にハ長調の街に到着。
このシンプルな音の旅は途切れることなく、まるでフィンランド鉄道の車窓を見るかのように 変わらぬ風景の中いつの間にか目的地にたどり着く。列車シベリウス号の旅としようか・・・。
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そして第7番を構築している間に、第8番の姿がそのスケッチに記されているという。しかし“シベリウス号”は、第8番にはたどり着かなかった。
最後の停車地はもう一つの路線、“交響詩”の終着、“タピオラ―森の神の棲むところ”となった。
そこは人の手の届かぬ原始の森。
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「友など持たぬ方が賢明だ・・・人皆一人で死んでゆく・・・酒だけが唯一の友・・」1924年の11月、シベリウスがコペンハーゲンで第7番の演奏会を指揮し大成功を収めてまもなくの作曲家自身の言葉。
60歳になろうとするシベリウス、後世の我々はこの後“30年の沈黙”の入り口に向かうことを知っているが、その事実の内側を知ることは許してもらえるだろうか・・・。
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それでも何とか3月2日にこの作品を完成させ、ストックホルムに渡った。かの地での成功を持って帰国したシベリウス。ところがヤルヴェンパーの地に帰るや否や「私の人生はまもなく終わる・・恐ろしい不安の始まり・・」などの言葉が記された。作曲の霊感が消えてゆくこと、体力の衰え、手の震えの問題、アイノ夫人との擦れ違い。
そんな状況でも作曲家シベリウスを求める外からの声は増えてゆく。9月23日に、再びアイノ夫人は同行せず、シベリウスは一人でコペンハーゲンへ。そこではシャンパンだけを飲み、美食の楽しみもあったようだ。新たな交流も生まれ、やや上流志向のあるシベリウスにとっては居心地が良い旅の面もあった。コペンハーゲンでも大成功。しかし交響曲第7番を自ら指揮すること、それがシベリウスを疲労困憊させた。医師の勧めもありしばらく指揮活動は休止。再びシベリウスの魂は閉じこもり「酒が唯一の友達」この言葉が綴られることとなる。
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人生の一本道、立ち止まってしまったシベリウス。
時折昔の作品を振り返りながらも、もう一歩踏み出した。そこが“タピオラ”森の神の棲むところ。
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この二つの作品のどちらも、初めの一音と最後の一音が多くを語る。
“ト音―ソ”で始まり、ハ長調の世界を明朗な気分で清潔な大気の中を歩むはずが、たった一音の踏み外しからその先、一本道を多くの困難を体験しながら、停まることはあっても決して道を戻らず、楽器がまるでお互いに手を差し伸べつなぎ受け継ぐような見事な一筆書きの音符の先に、全員が“ハ音―ド”にたどり着く。
一方の“タピオラ”も、やはりティンパニの一音が森の言葉を告げる。それは“ロ音―シ”。清冽で明解なハ長調は人の思考の整理を感じる。しかし“ロ音-シ”で始まり、最後にロ長調-H durの弦楽の響きが悠久の時間を描くとき、そこは人が完全には理解できない、そして踏み入ってはいけないもう一つの神秘の道が続いていることを気づかせてくれる。
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タピオラの森に姿が見えなくなったシベリウス号は、走り続けたのだろうか。
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一期一会のもの、その慣用句をヒト社会はあたたかく使う。しかし二度と会えないもの、二度と同じ状況がないことの連続の先に何があるのか・・・一筆書きの先・・・そこには厳しい自然の、命の掟がみえる。
初出/アイノラ交響楽団第10回定期演奏会プログラム
参考文献/Andrew Barnett "Sibelius"(2007, Yale University Press), Jean Sibelius Sämtliche Werke [JSW] Kritischer Bericht (Breitkopf und Härtel)
【cf.】
■J.シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 Op.43 (1901/2017)(マイケル・グラント編独奏版)、交響曲第3番 ハ長調 Op.52 (1907/2018)(米沢典剛編独奏版)[2019.09.16] https://ooipiano.exblog.jp/30363641/
■J.シベリウス:交響曲第4番イ短調Op.63(米沢典剛編独奏版)、交響曲第5番変ホ長調 Op.82(K.エクマン編独奏版)[2018.09.09] https://ooipiano.exblog.jp/29707513/
■《フリーメーソンの儀式音楽》より「冒頭の讃歌」Op.113-1 [2019.08.13] https://www.youtube.com/watch?v=heSq0_blBDQ
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●テオドール・アドルノ「シベリウス注解 Glosse über Sibelius」(1938)/ルネ・レボヴィッツ「シベリウス 世界最悪の作曲家 SIBELIUS le plus mauvais compositeur DU MONDE」(1955) 日本語訳 http://blaalig.a.la9.jp/sibelius_criticism.html