Portraits of Composers(POC) 第32~第36回公演
大井浩明(ピアノ)
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分
3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円 5公演パスポート12000円]
【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 050(5849)0302 (10~18時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付)
【特別公演】 フェルドマン全ピアノ曲総攬・完結編
2018年4月15日(日)午後2時半開演(午後2時開場) 全自由席3000円
えびらホール (品川区/東急旗の台駅より徒歩6分)
[要・事前予約] feldman2018@yahoo.co.jp
(※プライベートホールの為、詳しい場所はチケット予約されたお客様のみにお知らせします)
●モートン・フェルドマン (1926-1987):《三和音の記憶(トライアディック・メモリーズ)》(1981) 80分
●同:《バニタ・マーカスのために》(1985) 70分
●上野耕路(1960- ):《Volga Nights(たらこたらこたらこパラフレーズ)》(2018、委嘱新作初演)10分
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【プレイベント】 日本ピアノ指導者協会(PTNA) 公開録音コンサート
2017年9月20日(水)19時開演 東音ホール(巣鴨) 浦壁信二+大井浩明(2台ピアノ)
●ストラヴィンスキー(1882-1971):《結婚(儀礼)》(1917)
●一柳慧(1933- ):《二つの存在》(1981)
●西村朗(1953- ):《波うつ鏡》(1985)
●篠原眞(1931- ):《波状 B》(1997)
●南聡(1955- ):《異議申し立て――反復と位相に関する2台のピアノのための協奏曲:石井眞木の思い出に Op.57》(2003/10)
●湯浅譲二(1929- ):《2台のピアノのためのプロジェクション》(2004)
●西風満紀子(1968- ):《melodia-piano I/II/III》(2014/15、世界初演)
(終了)
●川島素晴(1972- ):《アクション・ミュージック》(2017、委嘱新作初演)
●アレッシオ・シルヴェストリン(1973- ):《凍れる音楽》(2015、世界初演)
●ジャチント・シェルシ(1905-1988):《組曲第8番「ボト=バ」》(1952、東京初演)〔全6楽章〕、《アクション・ミュージック》(1955、東京初演)〔全9楽章〕、《組曲第11番》(1956、東京初演)〔全9楽章〕
(終了)
【ポック[POC]#33】 2017年11月4日(土)18時開演(17時半開場) ウストヴォリスカヤ全ピアノソナタ集
●水野みか子:《植物が決める時》(2017、委嘱新作初演)
●ドミトリ・ショスタコーヴィチ(1906-1975):ピアノ・ソナタ第1番 (1926)
●ガリーナ・ウストヴォリスカヤ(1919-2006):ピアノ・ソナタ第1番 (1947)、ピアノ・ソナタ第2番 (1949)、ピアノ・ソナタ第3番 (1952)、ピアノ・ソナタ第4番 (1957)、ピアノ・ソナタ第5番 (1986)、ピアノ・ソナタ第6番 (1988) (終了)
【ポック[POC]#34】 2017年12月22日(金)18時開演(17時半開場) フェルドマン主要ピアノ作品
●由雄正恒(1972- ):《セクシー・プライムズ》(2017、委嘱新作初演)
●シュテファン・ヴォルペ(1902-1972):《闘争曲(バトル・ピース) I~VII》 (1942/47、日本初演)
●モートン・フェルドマン (1926-1987):《天然曲(ネイチャー・ピース) I~V》(1951)、《変奏曲》(1951)、《交点 2》(1951)、《ピアノ曲》(1952)、《外延 3》(1952)、《合間 1~6》(1950/53)、《交点 3》(1953)、《三つの小曲》(1954)、《ピアノ曲》(1955)、《ピアノ曲A(シンシアに)/B》(1956)、《当近曲(ラスト・ピース) I~IV》(1959)、《ピアノ曲(フィリップ・ガストンに)》(1963)、《垂直の思考 4》(1963)、《ピアノ曲》(1964)、《ピアノ》(1977)、《マリの宮殿》(1986) (終了)
【ポック[POC]#35】 2018年1月27日(土)18時開演(17時半開場) フィニッシー自選ピアノ代表作集
●木山光(1983- ):《ピアノ・ソナタ》(2017、委嘱新作初演)
●マイケル・フィニッシー(1946- ):《英吉利俚謡(イングリッシュ・カントリー・チューンズ)》(1977/1985)〔全8楽章 /I.緑なす草場 II.夏の盛りの朝ぼらけ III.花飾を君に贈ろう IV.5月と12月 V.嘘と奇蹟 VI.シーズ・オブ・ラヴ VII.愛おしい人 VIII.打てよ太鼓、吹けよ横笛〕、《ヴェルディ編曲集》(1972-2005)より「合唱付き七重唱: 見よ、この殿方はいかにして [エルナーニ]」 「ロマンツァ: 私はさまよい歩くみなしごに [運命の力]」、《音で辿る写真の歴史》(1995–2001)より終曲「陽光の食刻」(日本初演)、《「テレーズ・ラカン」から五つの断章》(1993/2005、日本初演)、《第三の政策課題(イギリスのEU離脱に抗して)》(2016、日本初演)、《ミュコノス》(2017、世界初演)
(終了)
【ポック[POC]#36】 2018年2月24日(土)18時開演(17時半開場) 知命作曲家特集
●山口恭子(1969- ):《zwölf》(2001、日本初演)
●望月京(1969-):《メビウス・リング》(2003)
●原田敬子(1968- ):《NACH BACH》(2004、全24曲・通奏初演)
●田村文生(1968- ):《きんこんかん》(2011、委嘱作・東京初演)
●山路敦司(1968- ):《通俗歌曲と舞曲 第一集》(2011、委嘱作・東京初演)
●木下正道(1969- ):《「すべて」の執拗さのなかで、ついに再び「無」になること II 》(2011)
●西風満紀子(1968- ):《wander-piano II (harmony go!) 》(2015、日本初演)
●夏田昌和(1968- ):《ガムラフォニー II》(2009)、《センターポジション》(2018、委嘱新作初演)
●伊藤謙一郎(1968- ):《アエストゥス》(2018、委嘱新作初演)
(終了)
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POC2017:戦後前衛の裏側に踏み込む────野々村 禎彦
POCシリーズも今年度で7期目。前年度は19世紀生誕のモダニスト特集だったこともあり、もう「現代音楽」には戻ってこないのではないか? と不安だった方も少なくないだろうが、そんなことはない。ただし、何から何まで元通りではなく、若手・中堅作曲家への委嘱と組み合わせるスタイルは前年度を踏襲している。そして特集作曲家も戦後前衛の落ち穂拾いではなく、その枠組みを引っくり返した異能者揃い。戦後前衛の全貌をその前史も含めて辿ってきたのは、〈歓喜の歌〉よろしく、今年度のためだったのだ! 逆に、戦後前衛に物申せるのはこのレベルのアウトサイダーに限られ、チンケな折衷主義者の出る幕ではない、ということでもある。
まずはシェルシ。ダッラピッコラやペトラッシと同世代のイタリアの作曲家であり、マリピエロやカゼッラらとノーノやベリオらとの狭間の世代の存在と見る向きもありそうだが、とんでもない! 彼の音楽が広く知られるようになったのは1980年代に入ってからだが、微分音程のうなりに焦点を絞った誰にも似ていない音楽はその後数年で爆発的に演奏されてゆき、1988年に死を迎えた時点で「いまや20世紀後半の音楽は、シェルシ抜きでは考えられない」と評価されるまでになっていた。「メディチ荘で過ごしていると、変な老人が寄ってくるから気をつけろ」というローマ賞の先輩たちの忠告を守らなかったグリゼーとミュライユは、彼の音楽に導かれてスペクトル楽派の活動を始め、楽屋を訪れた「変な老人」の音楽に心酔して80年代の「シェルシ・ルネサンス」を牽引したのは、アンサンブル2e2mの主宰者メファーノ、アルディッティ弦楽四重奏団、チェロのウィッティ、コントラバスのレアンドル、ピアノのミカショフとシュレーダーら、錚々たる顔ぶれだった。
彼の死後程なく「ジャチント・シェルシ、それは私だ」と題するインタビューが音楽学雑誌に掲載され、1940年代半ば以降の彼の「作曲」は、即興演奏(の録音)を助手が譜面化したものだったと明かされたが、シェルシ名義の作品の評価が揺らぐことはなかった。その核心は微分音オルガンによる即興の録音を素材とする《1音に基づく4つの小品》(1959) 以降の作品であり、ピアノ独奏曲はその前史に位置付けられるが、これまで日本で主に取り上げられていたのは後期スクリャービンの面影が強い中庸を行く作品だった。ピアノのひとつの音を何時間も弾き続けて倍音構造に聴き入ることを通じて精神の平衡を取り戻した、というエピソードそのものの作曲復帰作《ピアノ組曲第8番》と、暴力性と瞑想性の両極を体現してピアノ独奏曲の時代を締め括る2曲《アクション・ミュージック》《ピアノ組曲第11番》という選曲は、彼の凄味をこの編成で体験するには最もふさわしい。
続くはウストヴォリスカヤ。ショスタコーヴィチが高く評価していた弟子の女流作曲家という扱いだったが、彼女の真価が知られるようになったのはシェルシよりも遅く、1990年代に入ってからである。シェルシの音楽の評価ポイントは、戦後前衛の音群音楽の抜本的アップグレードという、クセナキスの音楽と対をなすものだったが、ウストヴォリスカヤの根幹はあくまで調性音楽だった。だがそれは師の再生産に留まるものではなく、調性音楽の始源――後期モンテヴェルディがルネサンス音楽から訣別した瞬間に匹敵する暴力性を体現していた。旧ソ連の崩壊過程でグバイドゥーリナ、シュニトケ、ペルトらの演奏機会は増えたが、程なく新ロマン主義に飲み込まれて牙を抜かれていった。その中で、真のラスボスである「ハンマーを持った聖女」への関心が徐々に高まっていった。
シェルシのピークは1950年代末から1970年代初頭まで、戦後前衛の音群音楽のピークと時期は同じで、今回取り上げられるピアノ曲はその直前の姿を伝える。他方、ウストヴォリスカヤのピークは《コンポジション》3曲(1971, 1973, 1975) と交響曲第2番(1979)・第3番(1983) に絞られる。いずれもポスト前衛時代に書かれた特異な編成(例えば《コンポジション》第2番は、コントラバス8挺、ピアノ、巨大な木材とハンマー)のアンサンブル曲であり、「私の音楽は、生死を問わず誰の影響も受けていない」という言葉通りの音楽である。だが、彼女のピアノソナタ6曲が書かれたのは1947-57年と1986-88年、習作期を脱した直後と最晩年(交響曲第5番(1989-90) が彼女の最後の作品)であり、彼女のピークを想像するには少々物足りない。そこで、師ショスタコーヴィチが最も尖っていた時期のピアノソナタ第1番(1926) と並べて、彼女の異才を照らし出す形を取った。
そしてフェルドマン。ケージと並ぶニューヨーク楽派を代表する作曲家だが、「ケージは窓を開けた、私は少し閉めた」という言葉が、彼のスタンスを象徴している。ケージが易経に基づく偶然性の音楽を始めた1951年は、彼が図形楽譜に基づく作曲を始めた年でもあり、このふたつの手法が楽派の基本的語彙になった、ただし「偶然性」の理念は楽派で共有されても、ケージの音選択手法を採用したのはケージ自身のみで、他メンバーは専ら図形楽譜を採用した。ブラウンはジャズ畑出身、ウォルフも即興が得意なピアニストで、一音ごとに易を立てる家事労働のような地味な作業に耐えられたのはケージだけだった。フェルドマン以外は図形楽譜の自由度を高め続け、後にケージも可動プラスティック板に図形を描く「天才的発明家」らしい発想で参戦した。だがフェルドマンは1960年代まで、自由度を上げ下げする試行を地道に続けた。チューダーのような「図形楽譜解釈の専門家」以外にも弾いてほしかったからだが、この歩みを全曲演奏で追体験するのがPOC流である。
だが1970年代に入ると、彼は図形楽譜に限界を感じて五線譜に回帰する。ただしこれは米国実験主義からの「転向」ではなく、彼がイメージする音世界を図形楽譜を用いずに実現する書法を見つけた、と捉えるべきだろう。編成=タイトルで統一されているこの時期は、自ら「ベケットの時代」と呼ぶあたりからも想像される通り、無時間的な持続の微妙なテクスチャーの変化に的を絞った、極めて内省的な作風の時期である。この時期の中心は独奏楽器とアンサンブル(しばしばオーケストラ、彼に言わせれば「ペダルのないピアノ」)のための作品群だが、多くのピアノ曲を自ら初演してきた彼の出発点は引き続きピアノであり、アンサンブルを用いる意味は色彩を豊かにすることではなく、アタックの立ち上がりを消して滑らかな音表面を得ることだった。この時期を締め括る《ピアノ》は、いよいよ満を持して出発点に帰ってきた、このプログラムのクライマックスである。
ここで彼は作風を再び転換し、今度はペルシャ絨毯のような、少数の素材を果てしなく繰り返すが細部はその都度微妙に変化する、「記憶と忘却の対位法」の時期を迎える。数時間に及ぶ長大な作品も珍しくなくなり、編成は総じて小さくなる。記憶への引っかかりを重視すると、必然的に調性的な素材が用いられる。ピアノ曲にも《三和音の記憶》と《バニータ・マーカスのために》という大曲があり、近年は演奏機会も増えているが、今回取り上げられるのは《マリの宮殿》、長時間化から再び凝縮に向かい始めた最晩年の境地である。これで彼の全人生を辿った…ことにはならない。ケージと出会って図形楽譜を使い始める以前、ウォルペに師事していた時期が抜けている。今回はこの時期の素朴な調性音楽の代わりに、ウォルペの代表作《バトル・ピース》を日本初演する。12音技法による濃密な大曲であり、チューダーがブーレーズの第2ソナタやシュトックハウゼンの前衛時代の鍵盤曲を軒並み米国初演できたのは、このウォルペ作品で鍛えられていたからだった。
20世紀後半を代表する3人の次はフィニッシー。英国でファーニホウとともに「新しい複雑性」を始めた作曲家と紹介されがちだが、二人のスタンスは大きく異なる。ファーニホウが目指したのは、英国には存在しなかった戦後前衛第一世代の音楽を蘇らせることで、英国の保守性を早々に見限ってドイツで一時代を築いた。「新しい複雑性」の次世代を代表するバレットも英国を離れ、独自の活動をオランダで続けている。しかしフィニッシーは英国に残り、その保守性と折り合いながら活動を続ける道を選んだ。それが可能だったのは、彼が優れたピアニストだったことが大きい。保守的な同僚たちとは演奏家として関わり、創作では馴れ合わなかった。ピアノ曲を創作の中心に据えれば自分で演奏すれば良いので、演奏会企画でも馴れ合わずに済む。「新しい複雑性」とは言ってもピアニストらしくヴルトゥオーゾ志向が強いが、「英国音楽」の悪弊には染まらずに筋を通してきた。
今回は彼の自選プログラムだが、まず大井がプログラム案を送り、その改良案として選曲された。彼には全曲演奏すれば2時間ないし6時間という大曲がいくつもあり、昨年度のソラブジ回のようにそれ1曲という選択も有り得た。だが大井が求めたのは、代表作の《英国田舎唄》を中心に創作史を俯瞰するプログラムだった。彼のピアノ曲の一つの軸である「編曲もの」の代表として《ヴェルディ編曲集》抜粋、民衆音楽を素材にした最初の曲《テレーズ・ラカン》抜粋、全6時間の集大成的大作《音で辿る写真の歴史》の終曲、彼の知られざる軸である、政治参加の側面を代表する《政策課題》シリーズの最新作、この日のための新作。彼の全貌を体験できるまたとない機会である。
そして最後は大井の同年代アンソロジー。そもそもPOCの第1期は、戦後前衛世代と同世代の日本の作曲家を組み合わせるコンセプトだったが、この回はさらに細かく、同学年(1968年4月~1969年3月生)に限定した。当初は内外半々程度を想定していたが、曲を比較検討するうちに日本国内に絞った方が稔りが多いという結論に達した。現代音楽界において、日本が依然アウトサイダーなのは否めない。録音や委嘱に至るまで欧米の楽譜出版社中心に回っているこの業界で、この構造に組み込まれている日本の作曲家は一握りである。だがそれは、新自由主義の進行に伴う地盤沈下に巻き込まれずに済むということでもあった。今期のテーマは、形を変えながらどの回にも通底している。