
ピティナ・ピアノ曲事典 公開録音コンサート
2018年5月25日(金) 18:30 開演(18:00開場)
浦壁信二+大井浩明(2台ピアノ)
入場料:後払い方式(※)
東音ホール
(JR山手線/地下鉄都営三田線「巣鴨駅」南口徒歩1分)
【予約/お問い合わせ】 一般社団法人全日本ピアノ指導者協会(ピティナ) 本部事務局 〒170-8458 東京都豊島区巣鴨1-15-1 宮田ビル3F
TEL:03-3944-1583(平日10:00-18:00) FAX: 03-3944-8838
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●ピアノと木管楽器のための協奏曲(1923/24)( 二台ピアノ版) 20分【演奏曲目】
Concerto for piano and wood winds (1923/24) [Two piano version]
●二台ピアノのための協奏曲(1935)20分
I. Largo / Allegro - II. Largo - III. Allegro
●ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ(1926/29)( 二台ピアノ版) 17分
Capriccio for piano and orchestra (1926/29) [Two piano version]
●ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ(1926/29)( 二台ピアノ版) 17分
Capriccio for piano and orchestra (1926/29) [Two piano version]
I.Presto - II. Andante rapsodico - III. Allegro capriccioso ma tempo giusto
●《詩篇交響曲》(1930)(ショスタコーヴィチによる四手ピアノ版、日本初演)20分
●《詩篇交響曲》(1930)(ショスタコーヴィチによる四手ピアノ版、日本初演)20分
Symphony for Psalms (1930) [Transcription for four hands by D. Shostakovich, japanese premiere]
I. 前奏曲:嗚呼ヱホバよ願はくは我が禱りを聽き給ヘ(詩篇38篇) - II. 二重フーガ:我耐へ忍びてヱホバを俟望みたり(詩篇39篇) - III. 交響的アレグロ: ヱホバを褒め讚へよ(詩篇150篇)
(休憩15分 intermission 15min.)
Concerto for two pianos (1935)
I. Con moto - II. Notturno (Allegretto) - III. Quattro variazioni - IV. Preludio e Fuga
●ダンバートン・オークス協奏曲(1938)(二台ピアノ版) 16分
Dumbarton Oaks Concerto in E-flat (1938) [Two piano version]
Dumbarton Oaks Concerto in E-flat (1938) [Two piano version]
I.Tempo giusto - II. Allegretto - III. Con moto
●二台ピアノのためのソナタ(1943) 10分
●二台ピアノのためのソナタ(1943) 10分
Sonata for two pianos (1943)
I.Moderato - II. Thème avec variations - III. Allegretto
●ロシア風スケルツォ(1944) 4分
●ロシア風スケルツォ(1944) 4分
Scherzo à la russe (1944) [Two piano version]
●ピアノと管弦楽のためのムーヴメンツ(1958/59)(二台ピアノ版) 8分
Movements for piano and orchestra [Two piano version]
●ピアノと管弦楽のためのムーヴメンツ(1958/59)(二台ピアノ版) 8分
Movements for piano and orchestra [Two piano version]
I. - II. - III. - IV. - V.








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■2014年9月12日 http://ooipiano.exblog.jp/22474259/
D.ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調作品43 (1935/36) (作曲者による2台ピアノ版、日本初演)[全3楽章、約60分]
A.スクリャービン:交響曲第4番作品54《法悦の詩》 (1908) (レフ・コニュスによる2台ピアノ版)[単一楽章、約20分]
(アンコール)B.バルトーク:《管弦楽のための協奏曲》より第4楽章「遮られた間奏曲」(1943、ヴェデルニコフ編)
三宅榛名:《奈ポレオン応援歌》(1979)
■2015年3月13日 http://ooipiano.exblog.jp/23322462/
A.オネゲル:交響曲第3番《典礼風》(1945/46)(ショスタコーヴィチによる2台ピアノ版、日本初演)[全3楽章、約30分]
I. 怒りの日(Dies irae) - II. 深き淵より(De profundis clamavi) - III. 我らに平和を(Dona nobis pacem)
O.メシアン:《アーメンの幻影》(1943)[全7楽章、約50分]
I. 創造のアーメン - II. 星たちと環のある惑星のアーメン - III. イエスの苦しみのアーメン - IV. 願望のアーメン - V. 天使たち、聖人たち、鳥たちの歌のアーメン - VI. 審判のアーメン - VII. 成就のアーメン
(アンコール)A.オネゲル:《パシフィック231》(1923)(N.キングマン(1976- )による二台ピアノ版(2013)、世界初演)
P.ブーレーズ:構造Ia (1951)
■2015年5月22日 http://ooipiano.exblog.jp/24126209/
G.マーラー:交響曲第2番ハ短調《復活》(1888/94) [全5楽章] (約80分) H.ベーン(1859-1927)による二台ピアノ版(1895) (日本初演)
I. Maestoso - II.Andante con moto - III. In ruhig fließender Bewegung - IV.Urlicht - V. Im Tempo des Scherzos. Wild herausfahrend
B.A.ツィマーマン:《モノローグ》(1960/64) [全5楽章] (約20分)
I.Quasi irreale - II. - III. - IV. - V.
(アンコール)G.マーラー:交響曲第3番第5楽章「天使たちが私に語ること」(J.V.v.ヴェスによる四手連弾版)



(※)入場料:後払い方式・・・コンサート後に、好きな額を当日お配りする封筒にいれて頂きます。そのお金は演奏者ならびにピティナ・ピアノ曲事典への寄付金として大切に使わせて頂きます。 公開録音について
□浦壁信二 Shinji Urakabe, piano

1969年生まれ。4才の時にヤマハ音楽教室に入会、1981年国連総会議場でのJOC(ジュニア・オリジナル・コンサート)に参加し自作曲をロストロポーヴィッチ指揮ワシントンナショナル交響楽団と共演。1985年から都立芸術高校音楽科、作曲科に在籍後、1987年パリ国立高等音楽院に留学。和声・フーガ・伴奏科で1等賞を得て卒業、対位法で2等賞を得る。ピアノをテオドール・パラスキヴェスコ、伴奏をジャン・ケルネルに師事、その他ヴェラ・ゴルノスタエヴァ、イェルク・デームス等のマスタークラスにも参加。1994年オルレアン20世紀音楽ピアノコンクールで特別賞ブランシュ・セルヴァを得て優勝。ヨーロッパでの演奏活動を開始。その後拠点を日本に移し室内楽・伴奏を中心に活動を展開、国内外の多くのアーティストとの共演を果たしている。近年ソロでも活動の幅を拡げ、’03年CD「ストラヴィンスキーピアノ作品集」'12年「水の戯れ~ラヴェルピアノ作品全集~」'14年「クープランの墓~ラヴェルピアノ作品全集~」をリリース、それぞれレコード芸術誌に於て特選、準特選を得るなど好評を得ている。EIT(アンサンブル・インタラクティブ・トキオ)メンバー。現在、洗足学園音楽大学客員教授、ヤマハマスタークラス講師として後進の指導にも当たっている。
□大井浩明 Hiroaki Ooi, piano
京都市出身。スイス連邦政府給費留学生ならびに文化庁派遣芸術家在外研修員としてベルン芸術大学(スイス)に留学、ブルーノ・カニーノにピアノと室内楽を師事。同芸大大学院ピアノ科ソリストディプロマ課程修了。ガウデアムス国際現代音楽演奏コンクール(1996)、メシアン国際ピアノコンクール(2000)入賞。朝日現代音楽賞(1993)、アリオン賞(1994)、青山音楽賞(1995)、村松賞(1996)、出光音楽賞(2001)、文化庁芸術祭賞(2006)、日本文化藝術賞(2007)、一柳慧コンテンポラリー賞(2015)等受賞。「ヴェネツィア・ビエンナーレ」「アヴィニョン・フェスティヴァル」「MUSICA VIVA」「ハノーファー・ビエンナーレ」「パンミュージック・フェスティヴァル(韓国・ソウル)」「November Music Festival(ベルギー・オランダ)」等の音楽祭に出演。アルトゥーロ・タマヨ指揮ルクセンブルク・フィルと共演したCD《シナファイ》はベストセラーとなり、ル・モンド・ドゥ・ラ・ミュジック"CHOC"グランプリを受賞。2010年からは、東京で作曲家個展シリーズ「Portraits of Composers (POC)」を開始、現在までに36公演を数える。公式ブログ: http://ooipiano.exblog.jp/
詩篇交響曲 第1楽章
Exaudi orationem meam, Domine, et deprecationem meam; あゝヱホバよねがはくはわが祈をきゝ わが號呼に耳をかたぶけたまへ
auribus percipe lacrimas meas. Ne sileas, quoniam advena ego sum apud te, et peregrinus sicut omnes patres mei. わが涙をみて黙したまふなかれ われはなんぢに寄る旅客すべてわが列祖のごとく宿れるものなり
Remitte mihi, ut refrigerer prius quam abeam et amplius non ero. 我こゝを去てうせざる先になんぢ面をそむけてわれを爽快ならしめたまへ
第2楽章
Exspectans exspectavi Dominum, et intendit mihi. 我たへしのびてヱホバを俟望みたり ヱホバ我にむかひてわが號呼をきゝたまへり
Et exaudivit preces meas, et eduxit me de lacu miseriae et de luto faecis. Et statuit super petram pedes meos, et direxit gressus meos. また我をほろびの阱より泥のなかよりとりいだしてわが足を磐のうへにおきわが歩をかたくしたまへり
Et immisit in os meum canticum novum, carmen Deo nostro. Videbunt multi, et timebunt, et sperabunt in Domino. ヱホバはあたらしき歌をわが口にいれたまへり 此はわれらの神にさゝぐる讃美なり おほくの人はこれを見ておそれ かつヱホバによりたのまん
第3楽章
Alleluia. Laudate Dominum in sanctis ejus; laudate eum in firmamento virtutis ejus. ヱホバをほめたゝへよ その聖所にて神をほめたゝへよ その能力のあらはるゝ穹蒼にて神をほめたゝへよ
Laudate eum in virtutibus ejus; laudate eum secundum multitudinem magnitudinis ejus. その大能のはたらきのゆゑをもて神をほめたゝへよ その秀ておほいなることの故によりてヱホバをほめたゝへよ
Laudate eum in sono tubae… ラッパの聲をもて神をほめたゝへよ [筝と琴とをもて神をほめたゝへよ]
Laudate eum in tympano et choro; laudate eum in chordis et organo. つゞみと蹈舞とをもて神をほめたゝへよ 絃簫をもて神をほめたゝへよ
Laudate eum in cymbalis benesonantibus; laudate eum in cymbalis jubilationis. 音のたかき鐃鈸をもて神をほめたゝへよ なりひゞく鐃鈸をもて神をほめたゝへよ
Omnis spiritus laudet Dominum! Alleluia. 氣息あるものは皆ヤハをほめたゝふべし なんぢらヱホバをほめたゝへよ
ストラヴィンスキー《詩篇交響曲》とショスタコーヴィチ――大塚健夫

《詩篇交響曲 Symphony of Psalms》(1930) はイーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー(1882-1971)がそれまでの作風から大きくギアを切り替えるセンセーショナルな合唱と管弦楽の作品である。弦楽器群にヴァイオリンとヴィオラはなく、フルート5本、オーボエ4本、トランペット5本、それにピアノ2台といった楽器の取り上げ方は、普通のオーケストラの編成と大きく異なる。「詩篇 Psalms」とは旧約聖書の一部で、カトリックのミサにおいて二人の朗読者が歌う詩篇にこたえるかたちで会衆が唱和することを答唱詩篇という。カトリック教会の共通言語であったラテン語が用いられたが、その後各国語の言葉が使われるようになり、ストラヴィンスキーはまずロシア語の歌詞を用いて書き始めたが、その後ラテン語に切り替え最終版とした。
第1楽章: 冒頭Em(ホ短調)の和音のあとに、いきなりEから増五度はなれたBbをベースとするオクタトニックのアルペジオが始まる。当時なんともモダンな響きであったろうことは、現代の我々でも想像に難くない。それに続いてまずはチェロの高音部で始まる歌。舞踏カンタータ「結婚(儀礼)」(1917)の冒頭、kosa maya(露 коса моя,あたしの三つ編み髪)・・・もそうなのだが、ストラヴィンスキーの書く歌あるいは合唱の最初の部分は半音あるいは一度という狭い音程での動きに支配されている。
第2楽章: C - Eb - B♮-Dの増五度の音程がちょっと無理な背伸びをするような主題をまずオーボエが切り出し、そのあと古典的で緻密なフーガが展開してゆくメロデイーの重なりの中に、控えめだが深い悲しみの思いが聞こえるようだ。
第3楽章: 始まりの「アレルヤ」のゆっくりしたハーモニーはF6の和音からFm6を経てEbで終わる特徴的なもので、このあたりがすでに一般的な宗教音楽の域を超えている。テンポが速くなって、拍のアクセントを金管が刻み八分音符と三連符八分が絡んでくると、ストラヴィンスキーお得意の風を切るようなカッコいいスピード感が出る。そして再びまったりとしたテンポとなり最初の「アレルヤ」のコラールが出て、ゆっくりとした低音部のオスティナートに乗って歌は「主をほめたたえよ」を繰り返しながら、美しいハ長調の響きに終わる。

《詩篇交響曲》はボストン交響楽団の創立50周年を記念して委嘱された作品で、1930年12月19日、常任指揮者セルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951) によってアメリカ初演された。同じ演奏会でシェーンベルクの編曲によるバッハ《プレリュードとフーガ変ホ長調 BWV552》の管弦楽版も披露された。当時の現代音楽楽壇の寵児二人を同時に紹介したクーセヴィツキーの意図は明らかだ。その6日前の12月13日にアンセルメの指揮によりベルギーで《詩篇交響曲》はヨーロッパ初演され、ストラヴィンスキーは《ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ》(1926/29)のピアノを自演してこの演奏会に参加している。
今まであまり宗教的な作品に縁のなかったストラヴィンスキーがなぜこういう曲を書いたかについては、いくつかの説があって面白い。ヴェネツィアでの演奏会の前に手に腫れ物ができたのだが、教会へ行って祈りを捧げたら腫れがすっと引いたのをきかっけに宗教心に目覚めたという説がある。祖国を離れて十数年が経つストラヴィンスキーが異国の地にあって、自分は何者なのか、ロシア人かヨーロッパ人か、あるいはユーラシア人かというアイデンティティーを求めて悩んでいたであろう。病気が進み信心深くなっていた妻エカチェリーナのことや、多くの作品を一緒に手掛けてきたディアーギレフの急逝(1929)が大変なショックであったことが自伝に述べられている。なにかの心の拠り所を必死に求めていたことがこの作品を生んだのかもしれない。

アルテゥール・ルリエ(1892 - 1966)というヨーロッパに亡命し戦後米国で没したロシア人作曲家の《Concerto Spirituale》(1929)という合唱曲に影響を受けて書いたという説もある。ルリエは革命後のソヴィエト新政権のもと、ルナチャルスキー率いる人民啓蒙委員部(NARKOMPROS 1918-)の音楽部門の人民委員という要職にあったにも拘わらず、1921年に欧州に出国したあとソヴィエト・ロシアには戻らなかったので、その後のロシア・ソヴィエト音楽史からは完全に抹殺されていた。しかし近年米国の音楽学者リチャード・タラスキン(2017年に稲盛財団「京都賞」を受賞)による研究でその存在が明らかになってきた。彼は欧州で一時期ストラヴィンスキーのアシスタントの仕事をし、ロシア出身で欧州を経て米国に渡った指揮者クーセヴィツキーとも懇意で、後年この大指揮者の伝記も出版した。ルリエの《Concerto Spirituale》を聴くかぎり旋律や和声での《詩篇交響曲》との共通性は感じられないが、2台のピアノが入り弦楽器は低弦のみという特徴的な編成が共通している。ルリエは思想面でも大きな影響をストラヴィンスキーに与えたというが、その後は疎遠になっていった。ストラヴィンスキーは言うこと書くことともにかなり屈折した人であったから彼の本音に迫ることは難しいが、亡命先で生計を立てるための演奏活動に追われていた当時の彼にとって、ルリエを通じてクーセヴィツキーがより身近な存在となり、米国の名門オーケストラから委嘱されたことは経済的にも大きなラッキーであったことは確かだと思う。
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ストラヴィンスキーより24歳若いドミートリー・ドミートリーヴィチ・ショスタコーヴィチ(1906 – 1975) は、ストラヴィンスキーの《結婚(儀礼)》のロシア初演(1926)において第二ピアノ(編成はピアノ4台、打楽器、声楽)を担当したことを後年まで誇りにしていた。そのあと《火の鳥》や《浄められた春(春の祭典)》よりも《詩篇交響曲》に最も強く惹かれていたというのは興味深い。1930年代の西側とのコンタクトが困難な時代、《詩篇交響曲》のスコアをレニングラードにいたショスタコーヴィチに届けたのが誰かは定かではないが、彼はそれを受け取るとすぐにピアノ四手版の編曲に着手した。第二次大戦でナチス・ドイツ軍がレニングラードに迫る中、モスクワへ疎開せざるを得なかったショスタコーヴィチは、携行できる荷物を制限され、持って行けたのは自身の第七交響曲の原稿、《マクベス夫人》、そして《詩篇交響曲》のスコアとピアノ四手編曲版だったという。このことからも彼のこのストラヴィンスキー作品への執着がわかる。ショスタコーヴィチは1955年3月に《詩篇交響曲》のスコアを愛弟子だったガリーナ・ウストヴォルスカヤ(1919 - 2006)にプレゼントしている。表紙にEdition Russe de Musique, Founds : S&N Koussevitsky(セルゲイ・クーセヴィツキーは、大商人の娘ナターリヤ・ウシュコーヴァと結婚して資金面のバックグラウンドを得ており、出版社の基金は夫妻の名前を冠している) と印刷されたこのスコアは現在ウストヴォルスカヤのギャラリーに保管されている。
ショスタコーヴィチはレニングラード音楽院の教授時代、管弦楽曲のピアノ連弾への編曲を通じて弟子たちに作曲を教えていた。2006年、作曲家生誕100年を記念した「プラウダ」紙のインタビューで、チホーン・フレンニコフ(1913 - 2007) はレニングラードへ行った際、ショスタコーヴィチと共に《詩篇交響曲》ピアノ四手版を一緒に演奏したと語っている。

1940年にストラヴィンスキーは欧州から米国に渡り、最初は西海岸、そして晩年はニューヨークで過ごし1971年に没した。その間、たった一回だけ祖国ロシア、当時のソ連を訪れている。これを実現させたソ連側の人間の一人がフレンニコフだった。既にソ連音楽界の要職にあった彼がソ連音楽家代表団として1961年にロサンゼルスに来て、翌年1962年秋にストラヴィンスキーをソ連へ招待することに決めた。前述のタラスキンによれば、フレンニコフはストラヴィンスキーがこれを機会に祖国に戻って永住することを促し、果てはチャイコフスキーや「力強い仲間たち」の作曲家たちが眠るレニングラード(現サンクトペテルブルグ)のネフスキー寺院に葬りたかったのだ、とまで述べている。それはさておいてもフレンニコフという人はたいへんなソヴィエト・ロシア愛国者であったことは間違いなく、それゆえ彼の評価も賛否両論がある。話はややそれるが、筆者がモスクワに住んでいた1998年6月、第11回チャイコフスキー国際コンクールのオープニングにおいて、組織委員長を務めていたフレンニコフは「前回は日本のスポンサーにお世話になったが、今回はロシアの国家と企業の資金でコンクールは運営される」と高らかに宣言、大きな拍手が沸いたのをよく覚えている。

1962年10月のモスクワで行われたストラヴィンスキー歓迎レセプション(主催はソ連邦文化大臣に就任して間もないエカチェリーナ・フルツェヴァ(1910 – 1974):ソ連史上初めての女性政治局員、自由奔放でスキャンダラスな生涯を送った) と晩餐会にはショスタコーヴィチも招待され、これが二人の作曲家の人生でただ一度の言葉を交わす機会となった。ショスタコーヴィチは《詩篇交響曲》を初めて聴いたときの驚きと、その後自分で編曲までしたことを、はにかみながらストラヴィンスキーに語ったという。ショスタコーヴィチは1949年にソ連の文化人代表の一人としてニューヨークに派遣され、そこでストラヴィンスキーの作品について否定的なソ連の公式見解を述べざるを得なかったという苦い経験があった。モスクワではスターリン没後9年を経た「雪解け」の時期ではあったが、二人が忌憚のない意見を交換できるような状況ではまだなかったのであろう。ストラヴィンスキーの方も大いに「構えていた」に違いない。ストラヴィンスキーは生まれ故郷であるレニングラードにも来た。筆者がレニングラードに留学していた1982-3年当時はまだこの20年前の出来事を覚えている人たちが多くいて、彼らは「ストラヴィンスキーが自作を指揮したオーケストラは、ムラヴィンスキーの功労者芸術家集団(レニングラード・フィルハーモニー)ではなく、当時ワンランク下と位置付けられていたレニングラード交響楽団の方だった」と語ってくれた。

ショスタコーヴィチは回想録で「ストラヴィンスキーもペテルブルグ生まれであるのみならず、二人ともポーランドの血を受け継いだ家系という点でも共通、これはリムスキー=コルサコフも同じ」と語っている。1962年のレセプションでのショスタコーヴィチの「はにかみながらの語りかけ」は、ロシア出身の偉大な先輩作曲家へのできる限りの敬愛の表明だったのであろう。
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【浦壁信二+大井浩明 ドゥオ】
■2014年9月12日 http://ooipiano.exblog.jp/22474259/
D.ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調作品43 (1935/36) (作曲者による2台ピアノ版、日本初演)[全3楽章、約60分]
A.スクリャービン:交響曲第4番作品54《法悦の詩》 (1908) (レフ・コニュスによる2台ピアノ版)[単一楽章、約20分]
(アンコール)B.バルトーク:《管弦楽のための協奏曲》より第4楽章「遮られた間奏曲」(1943、ヴェデルニコフ編)
三宅榛名:《奈ポレオン応援歌》(1979)
■2015年3月13日 http://ooipiano.exblog.jp/23322462/
A.オネゲル:交響曲第3番《典礼風》(1945/46)(ショスタコーヴィチによる2台ピアノ版、日本初演)[全3楽章、約30分]
I. 怒りの日(Dies irae) - II. 深き淵より(De profundis clamavi) - III. 我らに平和を(Dona nobis pacem)
O.メシアン:《アーメンの幻影》(1943)[全7楽章、約50分]
I. 創造のアーメン - II. 星たちと環のある惑星のアーメン - III. イエスの苦しみのアーメン - IV. 願望のアーメン - V. 天使たち、聖人たち、鳥たちの歌のアーメン - VI. 審判のアーメン - VII. 成就のアーメン
(アンコール)A.オネゲル:《パシフィック231》(1923)(N.キングマン(1976- )による二台ピアノ版(2013)、世界初演)
P.ブーレーズ:構造Ia (1951)

■2015年5月22日 http://ooipiano.exblog.jp/24126209/
G.マーラー:交響曲第2番ハ短調《復活》(1888/94) [全5楽章] (約80分) H.ベーン(1859-1927)による二台ピアノ版(1895) (日本初演)
I. Maestoso - II.Andante con moto - III. In ruhig fließender Bewegung - IV.Urlicht - V. Im Tempo des Scherzos. Wild herausfahrend
B.A.ツィマーマン:《モノローグ》(1960/64) [全5楽章] (約20分)
I.Quasi irreale - II. - III. - IV. - V.
(アンコール)G.マーラー:交響曲第3番第5楽章「天使たちが私に語ること」(J.V.v.ヴェスによる四手連弾版)
■2016年9月22日 《СТРАВИНСКИЙ ОСТАЕТСЯ》 http://ooipiano.exblog.jp/25947275/
I.ストラヴィンスキー:《4つのエテュード》(1917)
I. 踊り - II. 変わり者 - III. 雅歌 - IV. マドリード
I.ストラヴィンスキー:舞踊カンタータ《結婚(儀礼)》(1917)
花嫁の家で(おさげ髪) - 花婿の家で - 花嫁の出発 - 婚礼の祝宴(美しい食卓)
I.ストラヴィンスキー:舞踊音楽《浄められた春(春の祭典)》(1913)
〈大地讃仰〉 序奏 - 春の兆しと乙女たちの踊り - 誘拐 - 春の輪舞 - 敵の部族の戯れ - 賢者の行進 - 大地への口吻 - 大地の踊り
〈生贄〉 序奏 - 乙女たちの神秘の集い - 選ばれし生贄への賛美 - 曩祖の召還 - 曩祖の祭祀 - 生贄の踊り
(アンコール)I.ストラヴィンスキー:《魔王カスチェイの兇悪な踊り》
S.プロコフィエフ:《邪神チュジボーグと魔界の悪鬼の踊り》 (米沢典剛による2台ピアノ版)

■2017年4月28日 《Bartók Béla zenekari mesterművei két zongorára átírta Yonezawa Noritake》 http://ooipiano.exblog.jp/26516776/
B.バルトーク=米沢典剛:組曲《中国の不思議な役人 Op.19 Sz.73》(1918-24/2016、世界初演)
導入部 - 第一の誘惑と老紳士 - 第二の誘惑と学生 - 第三の誘惑と役人 - 少女の踊り - 役人が少女を追い回す
B.バルトーク=米沢典剛:《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽 Sz.106》(1936/2016、世界初演)
I.Andante tranquillo - II.Allegro - III.Adagio - IV.Allegro molto
B.バルトーク=米沢典剛:《管弦楽のための協奏曲 Sz.116》(1943/2016、世界初演)
I.序章 - II.対の提示 - III.悲歌 - IV.遮られた間奏曲 - V.終曲
(アンコール) 星野源:《恋 (Szégyen a futás, de hasznos.)》(2016) (米沢典剛による2台ピアノ版)
■2017年9月20日 現代日本人作品2台ピアノ傑作選 https://ooipiano.exblog.jp/27397266/
西風満紀子(1968- ):《melodia-piano I/II/III 》(2014/15、世界初演)
一柳慧(1933- ): 《二つの存在》(1980)
西村朗(1953- ): 《波うつ鏡》(1985)
湯浅譲二(1929- ): 《2台のピアノのためのプロジェクション》(2004)
南聡(1955- ): 《異議申し立て――反復と位相に関する2台のピアノのための協奏曲:石井眞木の思い出に Op.57》(2003/10、本州初演)
(アンコール) 武満徹(1930-1996):《クロスハッチ》(1982)
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【ストラヴィンスキー作品によるピアノリサイタル】

■2016年8月20日@芦屋 https://ooipiano.exblog.jp/25870367/
ストラヴィンスキー:スケルツォ(1902) 2分
:4つのエチュード Op.7 (1908) 8分
I. Con moto - II. Allegro brillante - III. Andantino - IV. Vivo
:バレエ音楽「火の鳥」より3つの場面(1910)〔グイド・アゴスティ(1901-1989)による独奏版〕 12分
魔王カスチェイの凶悪な踊り - 子守歌 - 終曲
:ペトルーシュカからの3楽章(1911/21) 15分
ロシアの踊り - ペトルーシュカの部屋 - 謝肉祭
:ドイツ人の行進曲の思い出(1915) 1分
:3つの易しい小品(1915) 4分
行進曲 - ワルツ - ポルカ
:子供達のワルツ(1917) 1分
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ストラヴィンスキー:交響詩《夜鶯の歌》(1917)(作曲者による独奏版、日本初演) 21分
故宮の祭礼 - 二羽の夜鶯(本物の夜鶯と機械仕掛けの夜鶯) - 皇帝の病気と快気
:11楽器のラグタイム(1917/18)(作曲者による独奏版) 4分
ムソルグスキー(1839-1881):《ボリス・ゴドノフ》序幕より民衆の合唱「なぜ我らを見捨てられるのか、我らが父よ!」(1869/1918)(ストラヴィンスキーによる独奏版、日本初演) 1分
ストラヴィンスキー:ピアノ・ラグ・ミュージック(1919) 3分
:管楽器のシンフォニー集――C.ドビュッシーの思い出に(1920)(アルトゥール・ルリエと作曲者による独奏版、日本初演) 8分
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中田粥:ピアノとエレクトロニクスのための《Pieces of Apparatus I》(2016、委嘱新作初演) 10分
ストラヴィンスキー:5本の指で(1921) 8分
I. Andantino - II. Allegro - III. Allegretto - IV. Larghetto - V. Moderato - VI. Lento - VII. Vivo - VIII. Pesante
:ピアノ・ソナタ(1924) 9分
I. - II. Adagietto - III.
:イ調のセレナード(1925) 12分
頌歌 - ロマンス - ロンドレット - 終止曲
:タンゴ(1940) 3分
:仔象のためのサーカス・ポルカ(1943) 4分

ストラヴィンスキー:ピアノソナタ 嬰へ短調(1903/04)〔全4楽章〕(日本初演) 28分
I.Allegro - II. Scherzo, Vivo - III.Andante - IV.Finale. Allegro
:四つのエチュード Op.7 (1908) 8分
I. Con moto - II. Allegro brillante - III. Andantino - IV. Vivo
:ペトルーシュカからの3楽章(1911/21) 15分
ロシアの踊り - ペトルーシュカの部屋 - 謝肉祭
:交響詩《夜鶯の歌》(1917)(作曲者による独奏版、東京初演) 21分
故宮の祭礼 - 二羽の夜鶯(本物の夜鶯と機械仕掛けの夜鶯) - 皇帝の病気と快気
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大蔵雅彦:《where is my》 (2016)(委嘱新作・世界初演) 4分
ストラヴィンスキー:11楽器のラグタイム(1917/18)(作曲者による独奏版) 4分
:《兵士の物語》による大組曲(1918)(作曲者による独奏版、日本初演) 25分
I.兵士の行進 - II.兵士のヴァイオリン - III.王の行進曲 - IV.小コンセール - V.3つの舞曲(タンゴ/ワルツ/ラグタイム) - VI.悪魔の踊り - VII.コラール - VIII.悪魔の勝利の行進曲
:ピアノ・ラグ・ミュージック(1919) 3分
:管楽器のシンフォニー集――C.ドビュッシーの思い出に(1920)(アルトゥール・ルリエと作曲者による独奏版、東京初演) 8分
:コンチェルティーノ(1920)(アルトゥール・ルリエによるピアノ独奏版、日本初演) 6分
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:八重奏曲(1923)(アルトゥール・ルリエによるピアノ独奏版、日本初演) 16分
I.シンフォニア - II.主題と変奏 - III.終曲
:ピアノ・ソナタ(1924) 9分
I. - II. Adagietto - III.
:イ調のセレナード(1925) 12分
頌歌 - ロマンス - ロンドレット - 終止曲
:タンゴ(1940) 3分
:仔象のためのサーカス・ポルカ(1943) 4分