浜離宮朝日ホールで行われる「第5回チェンバロ・フェスティバル in 東京」(6/29~7/1)での私の演奏曲目は以下の通りです。フェスティバル全体のプログラムについては、こちらを御覧下さい。
チェンバロ・フェスティバルin東京 第5回 「バッハへの道、バッハからの道」
5th Cembalo Festival in Tokyo "Roads to Bach, Roads from Bach"
6月30日(土)15時30分開演(15時10分開場) 「チェンバロ独奏による近現代のなりかたち」
Sat. 30th June 2018, 15h30 start Lecture concert #1 "Pathfinder in modern harpsichord heritage"
浜離宮朝日ホール(小ホール) 大井浩明(チェンバロ/お話) 森川郁子(ソプラノ)(※)
Hamarikyu Asahi Hall Hiroaki Ooi (harpsichord/lecture) Yuko Morikawa (soprano) (#)
■F.ブゾーニ(1866-1924):《前奏曲、フーガとフーガ・フィグラータ ~「平均律第1巻」による BV254》(1909)
Ferruccio Busoni (1866-1924) : "Preludio, Fuga, e Fuga figurata - Studie nach J.S.Bach's wohltemperiertem Clavier" (1909)
■F.F.ショパン(1810-1849):《フーガ イ短調》(1841)+《8度のカノン ヘ短調》(1839)[補筆/田中博幸(1977- )]
Fryderyk Franciszek Chopin (1810-1849) : Fuga a-moll i Canon w oktawie f-moll (dopisanie przez Hiroyuki Tanaka)
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●J.H.ダングルベール(1629-1691):《J.C.d.シャンボニエール氏の墓》(1672)
Jean-Henri d'Anglebert (1629-1691) : Tombeau de Monsieur de Chambonnières (1672)
●M..d.ファリャ(1876-1946):《C.ドビュッシーの墓 ~ハープ・リュートのための》(1920)
Manuel de Falla (1876-1946) : Tombeau de Claude Debussy (Homenaje para arpa-laúd) (1920)
●E.デュンダル(1972- ):《S.シャルボニエール氏の墓 ~トルコ・マカーム音律による》(2018、チェンバロ・フェスティヴァル委嘱作品/世界初演)
Emre Dündar (1972- ) : "Tombeau de Monsieur Charbonnier" pour le clavier tempéré pour la zone poly-maqamique / "Bay Charbonnier’in Kabri" çoklu makam dizisel düzenli klavye için (2018, Commissioned by Cembalo Festival Tokyo, World Premiere)
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■L.ベリオ(1925-2003):チェンバロ独奏のための《循環(ラウンド)》(1965) [※ソプラノとの二重奏版、日本初演]
Luciano Berio (1925-2003) : "Rounds (to Antoinette Vischer)” for harpsichord (1965) (Version with soprano, Japan Premiere)(#)
■尹伊桑(ユン・イサン)(1917-1995):《小陽陰》(1966) [E.ピヒト=アクセンフェルト(1914-2001)によるヒストリカル・チェンバロ版/日本初演]
Isang Yun : "Shao Yang Yin (für Antoinette Vischer)" (1966) (Neuausgabe für Cembalo von Edith Picht-Axenfeld, Japan Premiere)
■西村朗(1953- ):《トッカータ ~「フーガの技法」第9曲による》(2000/2018、チェンバロ版世界初演)
Akira Nishimura (1953- ) : "Toccata" (2000/2018, harpsichord version World Premiere)
■藤倉大(1977- ):《リターニング》(2006/2013/2018、チェンバロ版世界初演)
Dai Fujikura (1977- ) : "Returning" (2006/2013/2018, harpsichord version World Premiere)
■野平一郎(1953- ):チェンバロ独奏のための《邂逅》(2008)
Ichiro Nodaïra (1953- ) : "Rencontre" pour clavecin (2008)
森川郁子 Yuko Morikawa (soprano)
桐朋学園大学卒業、同大学研究科2年修了。中世から近現代音楽まで幅広い分野で演奏活動を行う。 2015年、東京・春・音楽祭「大英博物館展」プレ・コンサートに出演。日伊修好150年記念オペラ「ジャパン・オルフェオ」等のバロックオペラに出演する他、数々の宗教曲でソリストを務める。女声アカペラアンサンブル レ・グラース、カペラッテ、ヴォーカルコンソート東京、アンサンブル・レニブス各メンバー。
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6月30日(土)18時開演(17時半開場) 浜離宮朝日ホール(音楽ホール)
Sat. 30th June, 18h start Hamarikyu Asahi Hall
古川聖(1959- ):《アリアと18の変換 ~ゴルトベルク変奏曲に基づく》(2018、チェンバロ・フェスティヴァル委嘱作品/世界初演)
Kiyoshi Furukawa (1959- ) : Clavier Ubung bestehend in einer ARIA mit verschiedenen Datenverarbeitungen vors Clavicimbal mit 2 Manualen (2018, commissioned by Cembalo Festival Tokyo, World Premiere)
現在、私たちは西洋音楽だけに限ってもグレゴリアンチャントから現代音楽までお望みのものを時代を超えに聴くことできる。しかし録音/複製技術の出現する前は他の時代の作品にふれる機会は少ないし、まして自分で弾く以外は同じ作品を何度も何度もくりかえし聴くということはなく、音楽聴取の様相はこ今日とはずいぶん違っていた。一般に変奏曲は大雑把にいうと様々な要素によって特徴付けられたテーマ=主題を脳科学の言うところの短期記憶に置いて、そのテーマをめぐり変奏が行われるわけであるが、この変換曲はゴールドベルク変奏曲を繰り返し聴くことを通して、その音楽を言わば長期記憶としてもつ現代特有の聴取を想定している。作曲はプログラマーの濵野峻行と開発したゲシュタルトエディターにデータとして個別の変奏曲を取り込み、それぞれに異なった変換手法を適用しその結果を吟味し楽譜に起すことにより行われた。(古川聖)
古川聖 Kiyoshi Furukawa, composer
1959年東京生まれ。中学・高校時代に入野義郎氏に師事。高校卒業後渡独、ベルリン、ハンブルクの音楽アカデミーで尹伊桑(ユン・イサン)、ジェルジ・リゲティのもとで作曲を学ぶ。1991年に米国のスタンフォード大学で客員作曲家。独・カールスルーエのZKM(アート・アンド・メディア・センター)でアーティスト・イン・レジデンス。作品は、新しいメディアと音楽の接点において成立するものが多く、1997年のZKMの新館のオープニングでは委嘱を受け、マルチメディアオペラ『まだ生まれぬ神々へ』を制作・作曲。近年は理化学研究所内で脳波を使った視聴覚表現に関するプロジェクトを行った。社会の中で表現行為が起こる場、新しいアートの形を探して2002年より、新しいメディアを使ったワークショップを世界各国で行っている。東京芸術大学先端芸術表現科教授、同芸術情報センター長。CDに「数による音楽」(2007, FONTEC) 、「物質による音楽」(2009, FONTEC) 等。
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7月1日(日)15時30分開演(15時10分開場) 「チェンバロと電子音響の饗宴」
Sun. 1st July 2018, 15h30 start Lecture concert #2 "Marriage of harpsichord and electronics"
浜離宮朝日ホール(小ホール) 大井浩明(チェンバロ/お話) 有馬純寿(電子音響)
Hamarikyu Asahi Hall Hiroaki Ooi (harpsichord/lecture) Sumihisa Arima (electronics)
■L.フェラーリ(1929-2005):《左翼連合綱領(プログラム・コマン)》(1972、チェンバロ+電子音響)
Luc Ferrari (1929-2005) : "Programme Commun" pour clavecin et bande
■K.サーリアホ(1952- ):《秘密の花園 II》 (1984/86、チェンバロ+電子音響)
Kaija Saariaho (1952- ): "Jardin secret II" cembalolle ja nauhalle (1984/86)
■J.P.ラモー(1683-1764):《ため息》(1724)
Jean Philippe Rameau (1683-1764) : "Les Soupirs" (1724)
■ヤコブTV(1951- ):《ラモーのため息》(1995、チェンバロ+電子音響/日本初演)
Jacob Ter Veldhuis (1951- ) : "De Zuchten van Rameau (voor Annelie de Man)" (1995, Japan Premiere)
■K.シュトックハウゼン(1928-2007):オペラ『光の金曜日』より《クラヴィア曲第XVI番》(1995、チェンバロ+電子音響/東京初演)
Karlheinz Stockhausen : Klavierstück XVI (vom FREITAG aus LICHT) für Saitenklavier und Tonband (1995, Tokyo Premiere)
有馬純寿 Sumihisa Arima (electronics)
1965年生まれ。エレクトロニクスやコンピュータを用いた音響表現を中心に、現代音楽、即興演奏などジャンルを横断する活動を展開。これまでに数多くの演奏会で音響技術や演奏を手がけ高い評価を得ている。第63回芸術選奨文部科学大臣新人賞芸術振興部門受賞。2012年より現代音楽アンサンブル「東京現音計画」を開始、第1回公演が第13回佐治敬三賞を受賞。現在、帝塚山学院大学人間科学部准教授。京都市立芸術大学非常勤講師。
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7月1日(日)18時開演(17時半開場) 浜離宮朝日ホール(音楽ホール)
Sat. 30th June, 18h start Hamarikyu Asahi Hall
I.クセナキス(1922-2001):《ホアイ Khoaï-Χοαί》(1976)
Iannis Xenakis (1922-2001) : "Khoaï" pour clavecin amplifié
2011年に創設されて以来第5回目を迎える「チェンバロ・フェスティバルin 東京」で、バロック以外の近現代曲が取り上げられるのは今回が初めてになると云う。昨年(2017年)は、5月にポーランド人女流チェンバロ奏者エルジュビエタ・ホイナツカ(1939-2017)が、9月にチェコ人女流チェンバロ奏者ズザナ・ルージチコヴァ(1927-2017)が他界し、同月に死後5年目にしてグスタフ・レオンハルト(1928-2012)のバッハ編曲集がNBAと同じ装丁で公刊された。今年(2018年)は、5月にアムステルダムで1960年以降の現代曲に特化した「アネリー・デ・マン記念チェンバロコンクール」が開催され、8月のブルージュ古楽コンクール(ベルギー)チェンバロ部門本選ではヨハン・ヘイス(1942-、審査委員長)による委嘱新作(2018)が課題曲となっている。9月にはワルシャワで古楽器によるショパンコンクールが初めて行われると聞く。古楽/古楽器、現代楽器/現代曲の垣根がますます取り払われる中、本レクチャーコンサートでは、「今、チェンバロで何が出来るか」を考える。
いわゆるチェンバロのためのメインレパートリーは、16世紀のカベソンやバードあたりを起点として、17世紀・18世紀に隆盛を迎え、下限はせいぜい、初版譜に「チェンバロまたはフォルテピアノ用」と書かれたベートーヴェン《ファンタジア風ソナタ Op.27》(1802)が関の山であろう。ハイドンやモーツァルトのクラヴィア曲は、モダンピアノよりチェンバロで弾いたほうが遥かにしっくり来る。ベートーヴェン《田園》ソナタ以降からチェンバロ指定が消えたのは、楽器の表現力というよりむしろ音域の問題だったのではないか。平行弦のウィーン式フォルテピアノで育ったショパンの演奏が、音量も表現も非常に「繊細」であったことが伝わっているが、フレスコバルディやモーツァルトの主題でフーガ集を上梓したアントニーン・レイハ(1770-1836)ほど凝ってはいないものの、一筆書きの対位法演習曲《フーガ》(1841)と《カノン》(1839)でも、ショパンの才能の片鱗は伺えよう。
世紀をまたいで、J.マスネ《メヌエット》(歌劇「テレーズ」の一部)(1907)、F.ブゾーニ《ソナチネ第3番「子供のために」》(1915)、ディーリアス《舞曲》(1919)などは、「チェンバロ用」と明記されているにもかかわらず、現代ではピアノで弾かれているのは、バッハ作品と同様である。自邸にドルメッチ=チッカリングのチェンバロを所蔵していたブゾーニは、バッハ校訂楽譜を編纂する一方、オルガン小曲集や《シャコンヌ》等のピアノ編曲、ひいては「フーガの技法」の未完のフーガに基づく大作《対位法的幻想曲》(1910)を作曲した。(その20年後、イギリスの作曲家カイホスルー・ソラブジ(1892-1988)によって、さらに10倍の規模を持つ《オプス・クラウィケンバリスティクム(鍵盤楽器の始源に捧げて)》へと結実する。)今回取り上げる《前奏曲、フーガとフーガ・フィグラータ》(1909)は、平均律第1巻ニ長調に基づく「シュトゥーディー(ネタ曲)」である。
ポーランド人女流チェンバロ奏者ヴァンダ・ランドフスカ(1879-1959)は、「コンサート仕様」のモダンチェンバロをプレイエル社に製作させ、マヌエル・デ・ファリャの室内オペラ《ペドロ親方の人形芝居》(1923)でチェンバロ独奏部を担当した後、ファリャとプーランクにチェンバロ協奏曲を委嘱した。ファリャは《人形芝居》でチェンバロと並んでハープ・リュートという楽器を用いたが、今年没後100年を迎えるドビュッシーを追悼した《ドビュッシーの墓》(1920)はこのハープリュートで初演(1921年1月)された。(現在ではもっぱらギターやピアノで演奏されている。)
「墓(トンボー)」と称されるジャンルは、君主や盟友を悼むヨハン・ヤーコプ・フローベルガー(1616-1667)、フランス・チェンバロ音楽の始祖である恩師ジャック・シャンピオン・ド・シャンボニエール(1601-1672)を弔うダングルベール等に始まり、ジャン・マリー・ルクレール(1697-1764)のヴァイオリン・ソナタ(1734)を経て、第一次大戦で戦死した友人たちに捧げるラヴェル《クープランの墓》(1917)、デュカス・ルーセル・バルトーク・ファリャ・サティ・ストラヴィンスキー等による《ドビュッシーの墓》、そのデュカスを悼むメシアン《ポール・デュカスの墓》(1935)、そしてブーレーズ《ヴェルレーヌの墓》(1962)へと書き継がれてきた。
エムレ・デュンダル(1972- )はイスタンブール出身の作曲家・指揮者・ピアニストで、現在イルディス工科大学(イスタンブール)、アナドル大学(エスキシュヒール)、ミマール・スィナン芸術大学(イスタンブール)で教鞭を執っている。今回の委嘱新作《シャルボニエール氏の墓》(2018)は、2015年1月のイスラム過激派による週刊シャルリー襲撃事件で落命した編集長ステファヌ・シャルボニエール(シャルブ)への追悼曲であり、チェンバロの上鍵盤と下鍵盤で異なったマカーム音律(アラビア音楽の旋法体系)が用いられる。
ベリオ《循環(ラウンド)》(1965)、尹伊桑《小陽陰》(1966)、リゲティ《連続体(コンティヌウム)》(1968)、そしてジョン・ケージ《HPSCHD(ハープシコード)》(1969)は、すべてスイス人女流チェンバロ奏者アントワネッテ・ヴィッシャー(1909-1973)による委嘱献呈作で、これらをもってチェンバロのための「現代音楽」が開始されたと言えよう。
本来「ラウンド」は輪唱のことで、バッハ《ゴルトベルク変奏曲》でも第3変奏(同度のカノン)や第24変奏(8度のカノン)がそれにあたるが、ベリオ《ラウンド》はスコア全体を途中で上下回転(round)させて読譜し、一度弾いた音符やレジストレーションをすべて逆行させる仕掛けとなっている。同じタイトルのピアノ版(1967)は、リズムや音高などを完全に確定させた、チェンバロ原曲とはまったく独立した作品である。今回は、ベリオの最初の夫人であり、アーノンクール指揮の《オルフェオ》(1969)や《ポッペアの戴冠》(1974)でも名高い、アメリカ人歌手キャシー・バーベリアンが生前行ったソプラノとの二重奏版を紹介する。
昨年生誕100周年を迎えた尹伊桑(ユン・イサン)は、釜山近くの慶尚南道・統営(トンヨン)の出身。15歳で来日、大阪でチェロと音楽理論を学ぶ。21歳で再来日、東京で池内友次郎に3年間師事。戦後、釜山・統営・ソウルで教員として勤めた後、1956年6月に渡欧、パリ音楽院でトニー・オーバンに、翌年からはベルリン音大でヨーゼフ・ルーファー、ボリス・ブラッハーに師事。1963年に北朝鮮を初訪問。ドナウエッシンゲンで初演された管弦楽のための《礼楽(レアク)》(1966)で国際的評価を得る。1967年7月に朴正煕政権下の韓国中央情報部(KCIA)によって逮捕、裁判ののち、1969年2月に釈放。1971年に西ドイツ国籍に帰化、1974年からベルリン音大教授。細川俊夫、三輪眞弘、嶋津武仁、古川聖ら11名の日本人を含む多くの弟子を育てた。今年(2018年)3月末、文在寅政権下で遺灰の帰郷が「49年ぶりに」実現した。代表作に、オラトリオ《唵麼抳鉢訥銘吽(ああ蓮華の中の宝珠よ)》(1964)、ミュンヘン・オリンピック委嘱の歌劇《沈青》(1973)、交響詩《光州よ、永遠に!》(1981)、ベルリン・フィル100周年委嘱《交響曲第1番》(1982/83)、サントリーホール杮落委嘱《交響曲第4番「暗黒の中で歌う」》(1986)、金日成生誕75周年を祝うカンタータ《わが地、わが民族よ!》(1987)等。
チェンバロ独奏のための《小陽陰》(1966)は、作曲者がKCIAに拉致された直後の1967年9月にヴィッシャーが録音、翌1968年1月にドイツ・フライブルクでエディト・ピヒト=アクセンフェルトにより舞台初演が行われた。元々、5本のペダルを持つモダン・チェンバロのために書かれたが、作曲者の遺志により、ピヒト=アクセンフェルトによるヒストリカル・チェンバロ版、ならびにアクセンフェルトの弟子であるハン・カヤ(韓伽倻)によるモダン・ピアノ版が1998年に出版された(2018年現在は絶版)。
この曲に限らず、1950~1980年代にモダン・チェンバロのために書かれた作品群は、特に21世紀に入ってからは、楽譜上のさまざまな指示(たとえば足ペダルによるレジストレーション変更)を等閑視するかたちで、ヒストリカル・チェンバロで演奏されているのが現状である。ヒストリカル楽器に比べ、モダン・チェンバロは音色も音量も貧弱であり(音量が大きいというのは誤解)、重量がかさばるため運搬費用も倍以上かかり、使用頻度が低いためしばしばメンテナンスも不十分である。鍵盤の重さはむしろ軽く反応も鈍く、タッチによる表現の幅はヒストリカルとは比較にならない。ことこまかなレジストレーション指定(それはモダン思考に他ならない)も、聞き手にはさほど効果的には伝わらない。一方、クセナキス《ホアイ》(1976)等での、4フィート弦(1オクターヴ上)と16フィート弦(1オクターヴ下)を片手ずつ各々2段鍵盤を同時に押さえつつ急速な連打音を含む大量の音群が要求される場合などは、ヒストリカル楽器では処理困難となる。
日本人の古楽器奏者にとって、最も手軽にオーセンティシティ(真正性)を得られるのは、言うまでもなく日本人作曲家の新作初演である。特に作曲家が親族だったり同級生だったりすれば申し分ない。「譜面と直接向き合い、自分の頭で考える」という点では、古楽の演奏実践と全く同じ作業である。
武満徹(1930-1996)には、《クラヴサンのために》(1948)という18歳の習作があるらしく、もし楽譜が現存していれば邦人作品としては最初期の一例となる。ホイナツカの委嘱で書かれた《夢みる雨》(1986)は、ヒストリカルへ移行する時代の趨勢を見据えた先見の明がありつつも、低音域の密集和音は明らかにモダンピアノの鐘の音をイメージしていた。「2つの鍵盤楽器のための」と題された《クロスハッチ》(1982)は、2段鍵盤チェンバロ1台、あるいは2台のチェンバロで演奏可能である。ホイナツカが委嘱した邦人作品としては、ほかに一柳慧《ミラージュ(蜃気楼)》(1998、笙とチェンバロ)がある。笙の三分損益法に合わせてチェンバロをピタゴラス調律にした演奏はまだ無いようである。
日本人の国際的作曲家ということでは、例えば細川俊夫・望月京・藤倉大はチェンバロ曲を書いていない(古楽器アンサンブル除く)。ロンドン在住の藤倉大(1977- )の《リターニング》(2006/2013)の指定はユニークで、「曲を通してピアニッシモの弱音であること」「習いたての子供のように『ペダルなしで』弾くこと」「同時に鳴らす音は3つまで」「基盤となるリズムのパターンも3つのみ」というルールに則っており、これらの書法への挑戦は作曲上の転機ともなったと云う。藤倉作品では、他に2オクターヴ半のトイピアノのための《ミリアンペア》(2010)もチェンバロ独奏可能である。
西村朗(1953- )の《トッカータ》(2000)は、J.S.バッハ没後250周年の全音出版社の記念コンサートのために書かれた。《フーガの技法》のコントラープンクトゥス・ノーヌス(対位第九)の主題が、まずB-A-C-Hの各音を主音とする調性で提示され、その後、B-A-C-Hという音型の変化に基づく主音列の調性へと移行する。曲の前半では、主題はストレッタ風に順次切迫して現れ、後半はその逆となる。
ピアノに加えチェンバロでも演奏活動を行う、野平一郎(1953- )のチェンバロ独奏曲《邂逅 Rencontre》(2008)は、ライフワークであるピアノのための連作《間奏曲集》(1992- )と共通した語法を取りながらも、レオンハルト弟子のブリス・ポゼ(1965- )の《前奏曲集》(1999)等と比べると、ヒストリカル楽器としては珍しく頻繁なレジストレーション変更が特徴的である。なお、委嘱元の財団による「バッハと現代曲を組み合わせたシリーズ」では、20年間/200公演のうち、チェンバロ・リサイタルはわずか4回との事である。小ホール規模でバッハを弾くに相応しい楽器はまずはチェンバロである故、これは遺憾である。
現代作曲家にチェンバロに興味を持ってもらうには、ピアノよりもチェンバロのほうが華やかで麗しい音色を持つ、という科学的事実に気付かせる必要がある。それには、チェンバロを至近距離で(出来れば蓋の中に頭を突っ込んで)聴かせるのが一番であろう。西欧鍵盤音楽の基盤であるバッハからベートーヴェンのソナタ(の半数)までは、F1~F6の5オクターヴの音域内で書かれており、両端音域(あるいはバフストップ等の目先の効果)には拘っておらず、ダンパーペダルにも頼らず(チェンバロは既に残響豊かな楽器である)、迫力や強弱差ではなく語り口(修辞)そのものを音楽の主眼としている。一方、チェンバロ奏者側にも、「誰に委嘱するか」で見識を問われるのは、言うを俟たない。
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チェンバロの音を聴くやいなや睡魔に襲われるクラシック/現代音楽ファンがいる一方で、ミュージック・コンクレートを含む電子音響に生理的嫌悪感を抱く古楽愛好家も一定数を占め、その二者を組み合わせたプログラミングが実現されることは稀である。
リュク・フェラーリ《社会主義的音楽、あるいは左翼連合綱領(プログラム・コマン) Musique Socialiste, ou Programme Commun》は、1972年6月に社会党第一書記フランソワ・ミッテラン(当時)が共産党書記長ジョルジュ・マルシェと締結した左翼政府共同綱領に由来する。5年後に連合は決裂し、綱領は更新されなかった。
カイヤ・サーリアホはフィンランド出身の女流作曲家で、近年来日を重ねている。チェンバロの音、それに彼女自身の声を音響素材として、パリのGRM(フランス音楽研究グループ)ならびにIRCAM(フランス国立音響音楽研究所)で製作された。初演は1986年7月、フィンランドのサヴォンリンナで、作曲家・チェンバロ奏者であるユッカ・ティエンスーが担当した。
オランダ人作曲家ヤコブTV(ヤコブ・テル・フェルトハウス)の《ラモーのため息》は、ジャン=フィリップ・ラモーのクラヴサン曲集(1724)第2組曲の《ため息》に触発され、オランダ人女流チェンバロ奏者アネリー・デ・マン(1943-2010)により献呈初演された。ルイ14世やアポリネールのテクストを含む、いわゆる「ラジカセ(boombox)物」の一つである。オプションで、クリスティン・ケルステンスによる映像が付加される。
シュトックハウゼンの《クラヴィア曲 Klavierstück》のシリーズは、まず第1番~第11番(1952-1961)がピアノ独奏のために書かれた。約20年のブランクののち、連作オペラ《光 Licht》の抜粋として、特殊奏法やアクション等をともなったピアノ独奏のための第12番「試験」(『木曜日』より)、第13番「ルシファーの夢」(『土曜日』より)、第14番「誕生日のフォルメル」(『月曜日』より)、そしてシンセサイザーならびに電子音響のための第15番「サンティ・フー [シンセ狂](『火曜日』より)、第16番・第17番「彗星」(『金曜日』より)、第18番(『水曜日』より)、第19番(『日曜日』より)が独立曲とされた。鍵盤楽器の種類を越えて「クラヴィア」という言葉を使い続けるのは、もちろんバッハのClavierübung(クラヴィア練習曲集)を踏まえての事であろう。第16番でシュトックハウゼン自身が指定したSaitenklavierという言葉は、クルト・ザックス=ホルンボステル分類に拠れば、まさにチェンバロを意味する。
私が経験した限りでは、ヒストリカル/モダン、あるいはチェンバロ/ピアノの楽器を変更することについて、西村・藤倉のご両所はもとより、シュトックハウゼン・クセナキス・ジョンケージ・リゲティらの御遺族・出版社が異を唱えることは無かった。「バッハもきっとそうだろう」という希望的憶測において、モダンピアノによる演奏は正当化されるのかもしれない。(大井浩明)
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【cf.】
■初期バロックと現代物を組み合わせたプログラミング例:
■ブルージュ古楽コンクールと現代曲課題
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Pourquoi ce titre ?
Avant ou après l’audition, la question reste posée, ou peut-on encore se poser la question (d’où le point d’interrogation). Comme reste posée, avant ou après les élections, la grande question du Socialisme.
(Je ne veux pas faire comparaisons, mais peut-on vivre en-dehors de l’actualité ?)
Que les réactionnaires condamnent devant lesq naïfs qui les écoutent volontiers, les régimes socialistes qui existent ailleurs, c’est la solution la plus avantageuse et la plus facile. Ce qui est plus difficile, c’est la construction d’une société originale qui ne soit pas basée sur le profit frauduleux. Et ça, ça regarde tout le monde, même les artistes.
(Je ne fais pas de politique, j'essaie de faire un métier qui devrait avoir une place dans la société.)
Participer à cette recherche, c’est depuis longtemps mon seul intérêt.
(Il faut bien dire que dans mon domaine, l’action bien que très modeste, a touteefois sa place, enfin je ne désespère pas.)
Comment cette préoccupation dominante pourrait-elle ne pas s’exprimer dans mon travail, je vous le demande ? Que je le veuille ou non, on ne peut dissocier les aspirations sociales et artistiques, comme on le fait trop souvent pour protéger les vieux privilèges.
Que ce soit directement comme cela peut se trouver dans le cinéma, ou indirectement comme dans ma musique, la question reste posée :
(Je la repose, et elle est double, profitons-en pendant qu’on a la parole.)
En particulier, y a-t-il une relation entre mon titre et ma pièce ?
En général, comment dans les activités artistiques, peut-on travailler à l’élaboration d’une société nouvelle ?
(Ça c’est la question. Moi je ne sais pas, mais je cherche, je cherche…)
Why this title?
Before or after hearing, the question remains, or can one still put the question (from where the question mark). As remains, before or after the elections, the great question of Socialism.
(I do not want to make comparisons, but can one live outside of the actuality?)
That the reactionaries condemn in front of the naive people who listens to them readily, the socialist modes, which exist elsewhere, is the most advantageous solution and the easiest one. What is more difficult is the construction of an original society, which is not based on the fraudulent profit. And that concerns everyone, even the artists.
(I am not a political; I try to make a profession that should have a place in the society.)
To take part in this research is since a long time my only interest.
(It should be said that in my field, the action although very modest, has however its place; finally I do not despair.)
How this dominant concern could not be expressed in my work, I ask you? Whether I want it or not, one cannot dissociate the social and artistic aspirations, like it is too often done to protect the old privileges.
Whether directly as that can be in the cinema, or indirectly as in my music, the question remains put:
(I ask it again, and this question is double, let us benefit from it while we can speak in liberty.)
In particular, is there a relation between my title and my piece?
In general, how in the artistic activities, can one work with the development of a new society?
(That is the question. I do not know, but I seek, I seek…)