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5/31(金)〈調性音楽の仄暮~2台ピアノによる協奏曲集〉

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浦壁信二+大井浩明(2台ピアノ)
2019年5月31日(金)19時開演(18時半開演) 入場無料(後払い方式)
東音ホール(JR山手線/地下鉄都営三田線「巣鴨駅」南口徒歩1分)

【予約/お問い合わせ】 一般社団法人全日本ピアノ指導者協会(ピティナ) 本部事務局 〒170-8458 東京都豊島区巣鴨1-15-1 宮田ビル3F
TEL:03-3944-1583(平日10:00-18:00) FAX: 03-3944-8838


●G.フォーレ:《幻想曲 ト長調 Op.111》(1919、アルフレッド・コルトーに献呈)  15分  
  I. Allegro moderato - II. Allegretto - III. Allegro moderato
●K.シマノフスキ:《交響曲第4番 Op.60 「協奏的交響曲」》 (1932、アルトゥール・ルービンシュタインに献呈) [グジェゴシュ・フィテルベルクによる2台ピアノ版] 25分
  I. Moderato - tempo commodo - II. Andante molto sostenuto - III. Allegro non troppo, ma agitato ed ansioso
  (休憩 10分)
  I. Allegro Moderato - II. Andante - III. Allegro

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浦壁信二/Shinji Urakabe(Pf.)
  1969 年生まれ。4 才の時にヤマハ音楽教室に入会、1981 年国連総会議場でのJOC(ジュニア・オリジナル・コンサート)に参加し自作曲をロストロポーヴィッチ指揮ワシントンナショナル交響楽団と共演。1985 年から都立芸術高校音楽科、作曲科に在籍後、1987 年パリ国立高等音楽院に留学。和声・フーガ・伴奏科で1 等賞を得て卒業、対位法で2 等賞を得る。ピアノをテオドール・パラスキヴェスコ、伴奏をジャン・ケルネルに師事、その他ヴェラ・ゴルノスタエヴァ、イェルク・デームス等のマスタークラスにも参加。1994 年オルレアン20 世紀音楽ピアノコンクールで特別賞ブランシュ・セルヴァを得て優勝。ヨーロッパでの演奏活動を開始。その後拠点を日本に移し室内楽・伴奏を中心に活動を展開、国内外の多くのアーティストとの共演を果たしている。近年ソロでも活動の幅を拡げ'12 年CD「水の戯れ~ラヴェルピアノ作品全集Ⅰ」'14 年「クープランの墓~ラヴェルピアノ作品全集 II」をリリース、それぞれレコード芸術誌に於て特選、準特選を得るなど好評を得ている。EIT(アンサンブル・インタラクティブ・トキオ)メンバー。現在、洗足学園音楽大学客員教授、ヤマハマスタークラス講師として後進の指導にも当たっている。

大井浩明/Hiroaki Ooi(Pf.)
  京都市出身。スイス連邦政府給費留学生ならびに文化庁派遣芸術家在外研修員としてベルン芸術大学(スイス)に留学、ブルーノ・カニーノにピアノと室内楽を師事。同芸大大学院ピアノ科ソリストディプロマ課程修了。ガウデアムス国際現代音楽演奏コンクール(1996)、メシアン国際ピアノコンクール(2000)入賞。朝日現代音楽賞(1993)、アリオン賞(1994)、青山音楽賞(1995)、村松賞(1996)、出光音楽賞(2001)、文化庁芸術祭賞(2006)、日本文化藝術賞(2007)、一柳慧コンテンポラリー賞(2015)等受賞。「ヴェネツィア・ビエンナーレ」「アヴィニョン・フェスティヴァル」「MUSI CAVIVA」「ハノーファー・ビエンナーレ」「パンミュージック・フェスティヴァル(韓国・ソウル)」「November Music Festival (ベルギー・オランダ)」等の音楽祭に出演。アルトゥーロ・タマヨ指揮ルクセンブルク・フィルと共演したCD《シナファイ》はベストセラーとなり、ル・モンド・ドゥ・ラ・ミュジック"CHOC"グランプリを受賞。2010 年からは、東京で作曲家個展シリーズ「Portraits of Composers( POC)」を開始、現在までに41 公演を数える。 公式ブログ http://ooipiano.exblog.jp/

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アレクサンドル・スクリャービン ~その時代と作曲家を取巻くひとたち───大塚健夫

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ロシア中部を滔々と流れカスピ海に注ぐ大河、母なるヴォルガを大型の客船がくだってゆく。1910年4月、指揮者セルゲイ・クーセヴィツキー(1874 – 1951)とオーケストラの楽員を乗せ沿岸11箇所の街でコンサートを催すというロシア始まって以来の大規模なプロジェクト・ツアーだった。ソロ・ピアニストとして同行し自作のピアノ協奏曲嬰へ短調を披露したのはアレクサンドル・スクリャービン(1872 – 1915) 、当時38歳、あと数年で終わる自分の生涯をこのときは予感もしていなかっただろう。
  1910年代はロシアに資本主義と呼んでよい景色が現れる短い期間だった。学校で教わる世界史では日露戦争、2月革命、レーニン率いる10月革命、そして社会主義政権の樹立ということがハイライトされているが、農業や鉱工業も発展し自由で大胆な資本家や経済人が出たそれなりにきらびやかな時代でもあった。たとえば、ロシア(ウクライナを含む)の家畜の頭数は1913年がピークであり、ソ連邦崩壊(1991年)までこの記録を超えることがなかった。革命後の農業集団化で絶望した富農(クラーク)たちが自らの財産であった家畜たちをことごとく処分してしまったからである。(ソ連崩壊後も集団農場の後遺症は一向に癒えず、2014年になってウクライナをめぐって米欧がロシアに経済制裁を課し多くの農産物が禁輸となるに至り、ようやく自国での農業生産に目覚めたプーチンのロシアにおいて、ロシアの近代的農業は発展をみた。)
  ロシアの片田舎の決して豊かではない家庭に生まれたクーセヴィツキーが、茶葉の輸入と販売流通で億万長者となったウシュコーフの一人娘ナターリアと結婚し、自分の才能プラス圧倒的な財力で前述のようなツアー企画を実現させたことは、19世紀の貴族出身のパトロンと一線を画している。彼は露欧米を市場とする出版社を起業し、有望な作曲家を独占的に支配し、版権と演奏というソフトでカネを稼ぐという、いまの言葉でいうプラットフォーム・ビジネスみたいなことを始めたのだ。しかも彼は資本家専業ではなく名コントラバス奏者、そして大指揮者でもあり、革命後は欧州を経てボストン交響楽団の音楽監督まで登りつめた。スクリャービンにはそれまでミトロファン・ベリャーエフ(1836 -1903、材木商で財をなした実業家かつペテルブルグ音楽界のリーダー)、マルガリータ・モローゾヴァ(莫大な遺産を相続した未亡人)といった彼の芸術を支援する19世紀タイプのパトロンがいたが、いずれも縁が切れ、経済的な窮地に陥っていた。その矢先、1908年のクーセヴィツキーとの出会いは渡りに舟だったであろう。ところ3年続けたヴォルガ・ツアーのあと、この資本家型パトロンとは主として金銭的な揉め事から仲違いしてしまう。ツアー中11回のコンサートのソリストとしての出演料を全部で1,000ルーブルと言われ、スクリャービンがキレたらしい。当時のルーブルの価値を現代に置き換えるのは難しいが今の日本でおよそ100万円から150万円、つまり1回の出演につき11万円程度、演奏旅行の足代や食事は込みだったのかという細かいことはわからないが、当時の流行ピアニスト、スクリャービンとしては屈辱的な額であったのだろう。クーセヴィツキーも「億万長者の婿」のわりに採算にはセコかったようだ。一方、全生涯を通じてスクリャービンという人には経済感覚がなかったことも、多くの知人が認めている。

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  スクリャービンも上級貴族の出身ではなかったが、彼を生んですぐに死んだ母親はピアニストだった。彼を育てた叔母は、彼の音楽の才能を早くに見抜き、良い教師につけさせた。モスクワ音楽院小ホールの入口を入ったところにある歴代の最優秀卒業生の名を金文字で刻んだプレートの中にはセルゲイ・ラフマーニノフ(1873 – 1943) と並んでスクリャービンの名前がある。二人の音楽院在学中の作曲(楽理)の教授はアントン・アレンスキー(1861 – 1906)。大酒飲みで遊び人という師の性格は生真面目なラフマーニノフよりスクリャービンに近かったのだが、なぜかスクリャービンには厳しく評価も低くかった(当時、彼がピアノの曲しか書かなかった、というのも理由らしい)。結局スクリャービンはピアノ科のみ優秀な成績で卒業し「小金メダル」、ピアノ科に加えて作曲科でも最優秀だったラフマーニノフが「大金メダル」という差がついてしまった。若きスクリャービンの代表作のひとつであるピアノ協奏曲嬰へ短調、作品20のオーケストレーションを、完成前に管弦楽法の大御所リムスキー=コルサコフに見せた時は酷評されたようだ。しかし、その後の特に後期のオーケストラ作品を聴くと、あの独特な和声進行は当時最先端を行っていたワグナーやドビュッシーなどを徹底して解析したことに加えての独創性であり、彼も「大金メダル」に値する才能と筆者は思う。スクリャービンは時に右手が自由に動かなくなるというハンディを抱えつつも高度な演奏技術をもち、ラフマーニノフ、ニコライ・メットネル(1880 – 1951)とともに花形のピアニストであった。音楽院時代はショパンの譜面を枕にして寝たという逸話もあり、これはピアノ協奏曲や初期のソナタを聴けば全く自然に受け入れられる。もっとも1906年のアメリカ旅行において、当時まだ現地ではロシア音楽・演奏家の認知度が低く、「コサックのショパンが来る」という見出しが新聞等に出たとき、スクリャービンは憤慨したという。

  スクリャービンはその後半の作品において神秘主義に大きな影響を受け、「スクリャービンの神秘和音」と言われる独創的な和声を考え出していったことがよく知られている。スクリャービン一家と家族ぐるみで親交のあったボリス・パステルナーク(「ドクトル・ジバゴ」の著者)の自伝にある以下の記述にひとつのヒントがあるかもしれない(またパステルナークの父は画家で、スクリャービンのコンサートの絵などをいくつか残している)。

「超人についてのスクリャービンの議論は、異常であることを願うロシア人固有の考えであった。(中略)音楽は全てを意味する超音楽でなければならず、世の中の全てのものはその存在を超えて秀でていなければならない」(藤野幸雄訳)。

  もっとも「スクリャービンが雷雨を呼び寄せることができると言ったのを聞いた」等々の当時の周辺の人たちの話を読むと、かなり危ないところまで来ていた人、という気になる。一方、死の3年前に締結したモスクワの住まいの賃貸契約が、彼が死んだ日(1915年4月14日、旧露歴)をもって切れたという証言に接すると、「神がかった人」いう感も抱かざるをえない。筆者の知る最も詳細なスクリャービン伝である「スクリャービンの思い出」(モスクワ、1925年/日本語訳、2014年)の著者であるレオニード・サバネーエフ(1881 – 1968)はこういったことを極めて淡々と書いている。
   サバネーエフは純粋数学や動物学でも論文を書くというマルチの才能を持った作曲家/ピアニスト/音楽評論家である。1896年にスクリャービンがまだ二つの楽章しかできていないピアノ協奏曲を自ら弾いて聴かせたときは「薄められたショパンもどき」の音楽に聴こえたという。スクリャービンが1910年に交響曲第5番「プロメテ(火の詩)」作品60を作曲した後、サバネーエフはピアノ2台(4手)による編曲を引き受けた。その理由のひとつはスクリャービンがこの曲のピアノ版には少なくとも4人(8手)のピアニストが必要だとして悩んでいたこと。もう一つは初演指揮者のクーセヴィツキーがオーケストラの総譜の理解がいまひとつで、スクリャービン(ピアノ・パート)とサバネーエフ(オケ・パート)による曲想の提示が必要だったからだ。ひと月足らずで完成したピアノ編曲に作曲者本人はおおいに驚き、こういうことができる奴がいるということに気を悪くさえした。そして、スクリャービンという作曲家はオーケストラの作曲家ではなく、生来のピアノ曲の作曲家であるということを理解するに至ったという。

  「プロメテ(火の詩)」は後期スクリャービンの集大成ともいうべき作品である。音を特定の色のイメージでとらえ、ホールにその色彩を映し出しながら演奏するという構想で、その彼の「哲学」は当時では斬新なものだったはずだ。ただし、ある音から特定の色が見えるというのは現在の精神医学で「共感覚 」と言われるもので、この感覚を表明する現代の音楽家は結構存在する(イツァーク・パールマン、エレーヌ・グリモーなど)。ここではスクリャービンがイメージしていた音と色の説明は下記の図にとどめておく。

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  「プロメテ(火の詩)」はピアノ協奏曲と言ってよいくらいピアノ・パートの目立つ作品で、初演は作曲家自身がピアノ・パートを弾き、1911年モスクワでクーセヴィツキーの指揮で行われた。ロシア音楽出版(指揮者の所有する出版社, 1947年Boosey & Hawkes社によって買収)から出された初版のスコアの表紙は、竪琴の内部に両性具有者の顔が大きく描かれた、いわくありげな意匠になっている。Clavier à lumières(色光鍵盤)と呼ばれる音ごとに色を投影する鍵盤楽器、3管編成のオーケストラ、それにヴォカリーズ(歌詞を伴わない母音のみでの歌唱)のコーラス、オルガンも入った贅沢な編成で、これもクーセヴィツキーの財力ゆえに受け入れられたものであろう。前述のサバネーエフによれば、指揮者は初演に際し光の演出には関心を示さずにClavier à lumièresの使用をきっぱりと断わり、スクリャービンはやむなくこれに同意したという(この装置を準備したがうまく機能しなかったという記録もあるが)。初版スコアに「Clavier à lumièresは無しでも演奏可」と書かれていることからも、クーセヴィツキーのクールな態度がうかがわれる。色の投影を伴った演奏が初めて行われたのは1915年、ニューヨークにおける演奏会の場であった。

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  スクリャービンは音楽院の女子生徒やロシア以外も含めてあらゆる階層の女性たちとスキャンダラスな交際をいくつも重ねた男であったようだが、パートナーとして彼の生涯を支えた二人の女性がいた。
  最初の妻、ヴェラ・イサコーヴィチ(1875 - 1920)はモスクワ音楽院でピアノを学んだ女性であり、ピアノ協奏曲の2台ピアノ版を試みたりしている。二番目の妻(正式に籍は入れていない)のタチアナ・シュレッツェル(1876 – 1920) はヴェラのピアノの師であったシュレッツェル教授の娘であり、「サーシャ(スクリャービン)はワグナーのさらに上を行っている」と言って憚らなかったというスクリャービンの熱烈な崇拝者。ロシア正教は離婚を原則認めないので二人の女性には多くの葛藤があったはずだ。両者ともそれぞれスクリャービンとの間に子供を儲け、タチアナの娘、マリーナは作曲家、音楽学者として1998年まで生きた。ロシアの文献は宗教的に厳密なのかタチアナのことを夫人とは書いていないものが多い。筆者はスクリャービンの母代わりだった叔母のリュボーフィ(愛称リューバ)がかくあるべきと言ったという「市民結婚」という言葉が最も合っているように思う。(市民結婚による夫、妻はロシア語でгражданский муж, гражданская жена といい、現代でも頻繁に使われる、いわゆる籍を入れていない夫婦のこと。「愛人」とか「内縁の妻」とか訳すとなにか艶めかしく、あるいは湿っぽく響いてしまうので。)
  二人のパートナーの共通点は、いずれも音楽院で本格的な教育を受けた教養の高い女性であり、ユダヤ系であるということだ。彼女たちは相当ハイレベルな生徒であったのだろうが、当時のモスクワやペテルブルグの音楽院は、いわゆる縁故で入ってくる貴族や上流家庭のお嬢さんが多かったという。花嫁修業の一部として、あるいはちょっとアップグレードして売り込むために腰掛け的な入学をさせたのだろう。チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父」(1899年)に、初老のやたらと気難しい教授と彼に従順に付き合う若い妻、エレーナという美人が登場する。閑人のワーニャは彼女を口説こうとするが相手にされない。聞くと彼女はコンセルヴァトアールを出ておりピアノも弾いたりする・・・。エレーナのような職業音楽家ではないが音楽の素養のある魅力的な女性が当時のロシアの都会には多くいたのであろう。



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【浦壁信二+大井浩明 ドゥオ】

■2014年9月12日 http://ooipiano.exblog.jp/22474259/
 D.ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調作品43 (1935/36) (作曲者による2台ピアノ版、日本初演)[全3楽章、約60分]
 A.スクリャービン:交響曲第4番作品54《法悦の詩》 (1908) (レフ・コニュスによる2台ピアノ版)[単一楽章、約20分]
(アンコール)B.バルトーク:《管弦楽のための協奏曲》より第4楽章「遮られた間奏曲」(1943、ヴェデルニコフ編)
 三宅榛名:《奈ポレオン応援歌》(1979)

■2015年3月13日 http://ooipiano.exblog.jp/23322462/
 A.オネゲル:交響曲第3番《典礼風》(1945/46)(ショスタコーヴィチによる2台ピアノ版、日本初演)[全3楽章、約30分]
  I. 怒りの日(Dies irae) - II. 深き淵より(De profundis clamavi) - III. 我らに平和を(Dona nobis pacem)
 O.メシアン:《アーメンの幻影》(1943)[全7楽章、約50分]
  I. 創造のアーメン - II. 星たちと環のある惑星のアーメン - III. イエスの苦しみのアーメン - IV. 願望のアーメン - V. 天使たち、聖人たち、鳥たちの歌のアーメン - VI. 審判のアーメン - VII. 成就のアーメン
(アンコール)A.オネゲル:《パシフィック231》(1923)(N.キングマン(1976- )による二台ピアノ版(2013)、世界初演)
 P.ブーレーズ:構造Ia (1951)

■2015年5月22日  http://ooipiano.exblog.jp/24126209/
 G.マーラー:交響曲第2番ハ短調《復活》(1888/94) [全5楽章] (約80分) H.ベーン(1859-1927)による二台ピアノ版(1895) (日本初演)
  I. Maestoso - II.Andante con moto - III. In ruhig fließender Bewegung - IV.Urlicht - V. Im Tempo des Scherzos. Wild herausfahrend
 B.A.ツィマーマン:《モノローグ》(1960/64) [全5楽章]  (約20分)
  I.Quasi irreale - II. - III. - IV. - V.
(アンコール)G.マーラー:交響曲第3番第5楽章「天使たちが私に語ること」(J.V.v.ヴェスによる四手連弾版)

■2016年9月22日 《СТРАВИНСКИЙ ОСТАЕТСЯ》 http://ooipiano.exblog.jp/25947275/
 I.ストラヴィンスキー:《4つのエテュード》(1917)
  I. 踊り - II. 変わり者 - III. 雅歌 - IV. マドリード
 I.ストラヴィンスキー:舞踊カンタータ《結婚(儀礼)》(1917)
  花嫁の家で(おさげ髪) - 花婿の家で - 花嫁の出発 - 婚礼の祝宴(美しい食卓)
 I.ストラヴィンスキー:舞踊音楽《浄められた春(春の祭典)》(1913)
  〈大地讃仰〉 序奏 - 春の兆しと乙女たちの踊り - 誘拐 - 春の輪舞 - 敵の部族の戯れ - 賢者の行進 - 大地への口吻 - 大地の踊り
  〈生贄〉 序奏 - 乙女たちの神秘の集い - 選ばれし生贄への賛美 - 曩祖の召還 - 曩祖の祭祀 - 生贄の踊り
(アンコール)I.ストラヴィンスキー:《魔王カスチェイの兇悪な踊り》
 S.プロコフィエフ:《邪神チュジボーグと魔界の悪鬼の踊り》 (米沢典剛による2台ピアノ版)

■2017年4月28日 《Bartók Béla zenekari mesterművei két zongorára átírta Yonezawa Noritake》 http://ooipiano.exblog.jp/26516776/
 B.バルトーク=米沢典剛:組曲《中国の不思議な役人 Op.19 Sz.73》(1918-24/2016、世界初演)
    導入部 - 第一の誘惑と老紳士 - 第二の誘惑と学生 - 第三の誘惑と役人 - 少女の踊り - 役人が少女を追い回す
 B.バルトーク=米沢典剛:《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽 Sz.106》(1936/2016、世界初演)
    I.Andante tranquillo - II.Allegro - III.Adagio - IV.Allegro molto
 B.バルトーク=米沢典剛:《管弦楽のための協奏曲 Sz.116》(1943/2016、世界初演)
  I.序章 - II.対の提示 - III.悲歌 - IV.遮られた間奏曲 - V.終曲
(アンコール) 星野源:《恋 (Szégyen a futás, de hasznos.)》(2016) (米沢典剛による2台ピアノ版)

■2017年9月20日 現代日本人作品2台ピアノ傑作選  https://ooipiano.exblog.jp/27397266/
 ストラヴィンスキー(1882-1971):舞踊カンタータ《結婚(儀礼)》(1917/2017、米沢典剛による2台ピアノ版) 花嫁の家で(おさげ髪) - 花婿の家で - 花嫁の出発 - 婚礼の祝宴(美しい食卓)
 西風満紀子(1968- ):《melodia-piano I/II/III 》(2014/15、世界初演)
 一柳慧(1933- ): 《二つの存在》(1980)
 西村朗(1953- ): 《波うつ鏡》(1985)
 篠原眞(1931- ): 《アンデュレーションB [波状]》(1997)
 湯浅譲二(1929- ): 《2台のピアノのためのプロジェクション》(2004)
 南聡(1955- ): 《異議申し立て――反復と位相に関する2台のピアノのための協奏曲:石井眞木の思い出に Op.57》(2003/10、本州初演)
(アンコール) 武満徹(1930-1996):《クロスハッチ》(1982)

■2018年5月25日 ストラヴィンスキー2台ピアノ作品集成 https://ooipiano.exblog.jp/29413702/
ピアノと木管楽器のための協奏曲(1923/24)( 二台ピアノ版)
  I. Largo / Allegro - II. Largo - III. Allegro
ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ(1926/29)( 二台ピアノ版)
  I.Presto - II. Andante rapsodico - III. Allegro capriccioso ma tempo giusto
《詩篇交響曲》(1930)(ショスタコーヴィチによる四手ピアノ版、日本初演)
  I. 前奏曲:嗚呼ヱホバよ願はくは我が禱りを聽き給ヘ(詩篇38篇) - II. 二重フーガ:我耐へ忍びてヱホバを俟望みたり(詩篇39篇) - III. 交響的アレグロ: ヱホバを褒め讚へよ(詩篇150篇)
二台ピアノのための協奏曲(1935)
  I. Con moto - II. Notturno (Allegretto) - III. Quattro variazioni - IV. Preludio e Fuga
ダンバートン・オークス協奏曲(1938)(二台ピアノ版)
  I.Tempo giusto - II. Allegretto - III. Con moto
二台ピアノのためのソナタ(1943)
  I.Moderato - II. Thème avec variations - III. Allegretto
ロシア風スケルツォ(1944)
ピアノと管弦楽のためのムーヴメンツ(1958/59)(二台ピアノ版)
  I. - II. - III. - IV. - V.

■2018年11月30日 米英近現代作品コンピレーション https://ooipiano.exblog.jp/29850225/
G.ガーシュイン(1898-1937)/P.グレインジャー(1882-1961):歌劇《ポギーとベス》による幻想曲 (1934/1951)  18分
  I. 序曲 Overture - II. あの人は行って行ってしまった My Man's Gone Now - III. そんなことどうでもいいじゃない It Ain't Necessarily So - IV. クララ、君も元気出せよ Clara, Don't You Be Down-Hearted - V. なまず横丁のいちご売り Oh, Dey's So Fresh And Fine - VI. サマータイム Summertime - VII. どうにもとまらない Oh, I Can't Sit Down - VIII. お前が俺には最後の女だベス Bess, You Is My Woman Now - IX. ないないづくし Oh, I Got Plenty O' Nuttin - X. お天道様、そいつが俺のやり方 Oh Lawd, I'm On My Way
L.バーンスタイン(1918-1990)/J.マスト(1954- ): ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」より 《シンフォニック・ダンス》 (1960/1998)  25分
 I. プロローグ - II. サムウェア - III. スケルツオ - IV. マンボ - V. チャ・チャ - VI. クール(リフとジェッツ) - VII.決闘 - VIII. フィナーレ
H.バートウィッスル(1934- ):《キーボード・エンジン――二台ピアノのための構築》(2017/18、日本初演)  25分
J.アダムズ(1947- ):《ハレルヤ・ジャンクション》(1996)  16分
N.カプースチン(1937- ):《ディジー・ガレスピー「マンテカ」によるパラフレーズ》(2006)  4分
(アンコール)メシアン:《星の血の喜び》(1948)(米沢典剛による2台ピアノ版)





by ooi_piano | 2019-05-28 17:33 | コンサート情報 | Comments(0)