https://www.jfcomposers.net/
〈お知らせ〉(2020年3月6日)
日本作曲家協議会としては、3月15日(日)「日本の作曲家Bプログラム」 のコンサートを予定通り実施したいと思いますので、お知らせいたします。
新型コロナウィルスによる感染拡大が続いておりますので、皆様に「少しでも体調が悪い、特に熱がある場合は来場をご遠慮頂く」「十分な手洗いと消毒を行った上でご入場頂く」「咳エチケットへのご配慮をお願いする」ということで、このコンサートから感染が拡がらぬよう予防措置を講じた上で、実施させて頂きます。また、チケットをご購入頂きながら、来場を見合わせるお客様には、理由の如何に関わらず、次回以降、JFCのコンサートに振り替えさせて頂きたいと思います。JFC主催のコンサートであれば、2023年度までのどの公演でも結構ですので、今回の未使用チケットをご提示下さい。「振り替えご招待」とさせて頂きます。また、チケットをご購入頂きながら、来場を見合わせるお客様に向けて、YouTube上で当日の演奏の様子を後日公開致します。ご希望の場合は、購入済のチケットの写真とともに、事務局メールアドレス concert@jfc.gr.jp にお申込み下さい。当日券の販売はありません。それでは、3月15日には、感染を避けつつのご来場を、お待ち申し上げております。
日本作曲家協議会「日本の作曲家2020」
大井 浩明 ピアノリサイタル
2020年3月15日(日)13時30分開演(13時開場)
東京オペラシティリサイタルホール(東京都新宿区西新宿3-20-2)
「オーケストラで弾ける曲はピアノでも弾ける。その逆もまた真」と言っても過言ではないように、ピアノ(鍵盤楽器)は長い間、西洋音楽における「基準」となる楽器だった。デジタルピアノはもとより生楽器の自動演奏なども可能になった今なお、現代の作曲家はその基準のもとで何を生み出すのだろう・・そのような期待の中で大井浩明氏を迎えてピアノリサイタルを企画した。言うまでもなく、大井氏は数々のコンクールの受賞や国際的な活躍で知られるだけでなく古楽から現代音楽まで、そして古今東西のピアノ(広く鍵盤楽器のための)曲から管弦楽作品まで何でも「ピアノで弾いてみせる」異色のピアニストであり、年齢も音楽的傾向も異なる、新入会員も含むJFCの作曲家たちの多様な創造的挑戦に応えてもらうに相応しい演奏家であるに違いない。事実、今回演奏される7人の作曲家による8作品の半数は新作初演であり、このリサイタルは21世紀の「作曲」というものを垣間見る絶好の機会となるだろう。それと同時に、今回のプログラムではピアニストの強い希望もあり昨年米寿を迎えた篠原眞会員に注目し、氏ならではの徹底した感性に裏付けられた2作品(再演及び改訂版世界初演)が演奏される。そこでは先駆者としての篠原眞が切り開いてきた戦後の現代音楽の世界的な「基準」が聞こえてくるだろう。 [企画:三輪眞弘(作曲家、日本作曲家協議会理事)]
篠原眞(1931- ):《アンデュレーションA [波状]》(1996) 12分
門脇治(1964- ):《power supply fantasy》(2019、世界初演) 10分
牛島安希子:《肌理/形態》(2020、世界初演) 5分
上野耕路(1960- ):《Opus Americana》(2020、世界初演) 13分
〈休憩10分〉
松本祐一(1975- ):《大国主の国譲り ~ アンケート・アート「天皇とアメリカ」より》 (2020、世界初演) 9分 (※)
水野みか子:《植物が決めるとき》(2017、大井浩明委嘱作品) 12分
Ⅰ.Arnica - Ⅱ.トゥーランドットの庭 - Ⅲ.土の音
三輪眞弘(1958- ):《虹機械 公案-001》(2017、大井浩明委嘱作品) 13分
〈休憩10分〉
篠原眞(1931- ):《ブレヴィティーズ [簡潔]》(全24曲)(2015/18、改訂版世界初演) 30分
1.減少 2.発音 3.分散 4.変動する安定 5.拡張 6.不安定 7.運動 8.高音 9.残響 10.発展 11.分散音 12.反映 13.加速 減速 14.低音 15.瞬間 16.変化 17.動作 18.重ねられた分割音価 19.配分 20.音塊 21.分解-帰結 22.対比する音価 23.規則的 不規則的 24.重ねられた音強
(※)協力:坂本小見山
入場料: 一般 3,300円(税込 全席自由)
お問い合わせ:一般社団法人日本作曲家協議会
tel 03-6276-1177(土日祝休) concert@jfc.gr.jp
一般社団法人 日本作曲家協議会
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篠原眞:《ブレヴィティーズ [簡潔]》(全24曲)(2015/18)
2009年末に「発展」を書いたのを皮切りにして、ピアノ作品の作曲を断続的に続け、2015年夏に24曲出来上がった時点で、相互に均衡を保ちながら全体としての統一性が形作られるように配慮しつつこれらの曲を並べました。
短いこと、無調であること、鍵盤のみを弾くことをなどを枠として、個々の曲は自由に書きました。このことから、24曲全部或いはその中から選んだ曲を別の順序で演奏することが可能になっています。
個々の曲には、それらを作るための指針になったテーマをタイトルとして付加しました。即ち、一般的な抽象概念である「減少」「分散」「変動する安定」「拡張」「不安定」「運動」「発展」「瞬間」「変化」「動作」「分解凝結」「規則的 不規則的」があります。一方、「発音」「高音」「加速減速」「低音」「重ねられた分割音価」「対比する音価」「重ねられた音強」はパラメーター(音の要素)の指定ですし、更に「反映」「配分」は構成の指示であり、「残響」「音塊」は音材の、そして「分散音」は奏法の指定になります。
個々の曲はそれぞれが独自の音現象を展開し、それぞれがその特定性を象徴的に表出するものと思われます。 (篠原眞)
篠原眞:《アンデュレーションA [波状]》 (1996)
この作品は、12の半音を辿るメロディックな線の提示とその11の変奏より成る計12の部分 - それらは人間の様々な心理とその現れとしての行動を暗示する - とそれらの繰り返し - それぞれ一回ずつ、但し最初の部分は二回 - すなわち総計25の部分より成っています。
この繰り返しは個々の部分の継続的展開か、いろいろな変奏、或いは異なってはいるが類似したもの、などです。
一部分からその部分への移行に際しては、それぞれ一つ前の部分の繰り返しが間に挟まれます。このことから作品には丁度引いては寄せる波の動きのようなフォームが与えられます。
演奏は鍵盤だけに限られていますが、通常の奏法に加えて音量ペダルの少しの押し下げによって生じる短い余韻の音、無音で押し下げられた鍵の弦の共鳴による長い余韻の音、第三ペダルの使用による保持音と保持されていない音の重ね合わせ、等の奏法が用いられています。(篠原眞)
篠原眞 Makoto SHINOHARA
大阪市出身。東京藝術大学音楽学部(作曲:池内友次郎)、パリ国立高等音楽院(作曲・音楽哲学:オリヴィエ・メシアン、理論、指揮)、フランス放送局音楽探求グループ、ケルン国立音楽大学(作曲:ベルント・アロイス・ツィマーマン、電子音楽:ゴットフリート・ミハエル・ケゥーニッヒ)、ケルン市立音楽院(作曲:カールハインツ・シュトックハウゼン)に在学。マッギル大学音楽部(モントリオール)客員教授(1978)。パリ(フランス政府給費)、ミュンヘン(バイエルン政府給費)、ケルン(国立音楽大学給費)、ベルリン(ドイツ学術交流局助成)、ローマ(イタリア政府給費)、ニューヨーク(ロックフェラー3世財団助成)、モントリオール(カナダ芸術評議会助成)、ユトレヒト(ソノロジー研究所勤務)に滞在。作品は器楽(洋楽器、邦楽器)(ソロ、室内楽、オーケストラ)、声楽(ソロ、合唱)、電子音楽(電子音、具体音)(テープ、ライヴ)の範囲におよび、個々の作品で奏法の開拓、雑音の融合化、空間化(スピーカー、音源移動)、視覚化(奏者移動、マイム、スライド)の探求を行う。オランダ祭のテーマ作曲家(1983)。個展を国内(東京、名古屋、草津)で計7回、国外(ドイツ、オーストリア、オランダ、ポルトガル、ポーランド、アメリカ合衆国で計12回開催。国内(音楽之友社、全音楽譜出版社)、国外(ルデュック、ショット、リコルディ)より27作品出版。国内10社(カメラータ、フォンテック等)、国外(ドイツ、フランス、オランダ、スイス、デンマーク、スウェーデン、アメリカ合衆国)12社より23作品LP/CDに収録。 作品リスト
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門脇治:《power supply fantasy》(2019、世界初演)
2014年に発表したピアノのサンプリング音源とコンピュータによる「ドップラー電源幻想曲」の(一卵性)姉妹作である。振動の幅を徐々に広げながら連打を加速させ、クライマックスを迎えた後に収束する。自然現象の推移にもドラマやストーリーがあるとすれば、そういったストーリーを再現しただけのものと言える。(門脇治)
門脇治 Osamu KADOWAKI
1964年宮城県塩釜市生まれ。宮城教育大学、および同大学院にて作曲を故本間雅夫、吉川和夫の両氏に師事。平成10年度宮城県芸術選奨新人賞。日本現代音楽協会、日本作曲家協議会、日本電子音楽協会、宮城県芸術協会、東北の作曲家、北海道作曲家協会各会員。未来の作曲家コンサートin東北実行委員として、次世代の作曲家育成にも携わる。主な作品に、吹奏楽のための《Toward 》(多賀城高等学校吹奏楽部委嘱)、ピアノ独奏のための《天体より降る水》(赤城眞理委嘱)、テナーサックスと管弦楽のための《edge》、女声合唱のための《防人の歌》(平成15年度文化庁舞台芸術創作奨励賞佳作入選)、アンサンブルと電子音響のための《scape》(Sond’Ar-te electric ensemble)、弦楽四重奏のための《measure space》(ISCM 世界音楽の日2020ニュージーランド大会入選)、ヴァイオリンとピアノのための《渇望9、アルトサクソフォンのための《Axons hope》など。2020年2月に大井浩明リサイタルにて委嘱初演された《前奏曲》は、様々なピアニストのために書かれた「前奏曲集」シリーズの第11番にあたる。
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牛島安希子:《肌理/形態》(2020、世界初演)
ピアノは自分にとって一番近しい楽器であるが、作曲行為が客観的な行為である私にとって、ピアノ独奏という編成は創作する際に不可侵な領域であった。この作品では普段にも増して自分の礎である感覚と向き合うこととなった。言語化以前の原感覚。未分化なもの。それは生活している風土、環境の影響下にある身体の記憶でもある。エネルギーが水面下で溢れ出し、マグマのように隆起しようとしている。躍動的に動き、重みのある、液体のような固体のような音のイメージ。それらをポリリズム、点描的な語法をもって、生命力が感じられるよう構成した。(牛島安希子)
牛島安希子 Akiko USHIJIMA
愛知県立芸術大学大学院音楽研究科作曲専攻修了。ハーグ王立音楽院作曲専攻修士課程修了。室内楽作品、エレクトロアコースティック作品の制作や映像とのコラボレーションを行う。作品はアメリカ、イギリス、オランダ、ベルギー、ロシアなどで演奏されている。第6回JFC作曲賞入選。ICMC 2013,2014 入選。MUSICA NOVA 2014入選。愛知県立芸術大学非常勤講師を経て、現在、名古屋系術大学非常勤講師。日本作曲家協議会、先端芸術音楽創作学会会員。
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上野耕路:《Opus Americana》(2020、世界初演)
このAmericaはUnited Statesではなく、豊富な食材(トマト、かぼちゃ、じゃがいも、さつまいも、トウガラシ、とうもろこし、インゲン豆、落花生、パイナップル、アボカドなど)をもたらし、イタリア人の名前がつけられた大陸のことを指します。カチナ人形のダンス、化石の森の珪化木生成の超早回し映像などを想像しながら聴くのも一興かと存じます。(上野耕路)
上野耕路 Koji UENO
千葉県出身。日大藝術学部在学中に、「8 1/2」、サエキけんぞうらと「少年ホームランズ」「ハルメンズ」を、戸川純・太田螢一と「ゲルニカ」を結成、1982年に『改造への躍動』でYENレーベルからデビュー。1985年、無声映画のための『Music For Silent Movies』をリリース。1986/87年、坂本龍一の映画音楽プロジェクトへ参加、『子猫物語』『オネアミスの翼』『ラストエンペラー』などを手がける。高嶺剛監督『ウンタマギルー 』(1989)で第44回毎日映画コンクール音楽賞。14奏者のための《日本民謡組曲》(1990、国立劇場委嘱)、邦楽器アンサンブルのための《Sinfonietta Rurale》(1992)・《稲の王》(1996)(日本音楽集団委嘱)、6奏者のための《Connotations》(1993、ポール・ドレッシャー・アンサンブル(サンフランシスコ)委嘱)等。NHKテレビドラマ『幻蒼』(1995)で第32回プラハ国際テレビ祭でチェコ・クリスタル賞。1999年、全音楽譜出版社より『上野耕路 ピアノ作品集』を出版。2000年より日本大学藝術学部にて、映画音楽の講義を受け持つ。2004年、キユーピー「たらこパスタソース」のCM音楽が話題を呼ぶ。2009年、リコーダー四重奏のための《クァルテット・パストラーレ》初演。犬童一心監督『ゼロの焦点』(2009)で第33回日本アカデミー賞優秀音楽賞。2011年、音楽的側面の集大成とも言えるアルバム『エレクトロニック・ミュージック』を配信開始。蜷川実花監督『ヘルタースケルター』(2012)音楽監督。犬童一心・樋口真嗣監督『のぼうの城』(2012)で第36回日本アカデミー賞優秀音楽賞。2014年、NHKアニメ「ナンダカベロニカ」、NHKBSドラマ「プラトニック」等。16人編成のバンド「上野耕路・アンド・ヒズ・オーケストラ」を経て、現在は「ソシエテ・ノワール」で活動中。 https://www.alchemy-music.net/
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松本祐一:《大国主の国譲り(アンケート・アート「天皇とアメリカ」より)》(2020、世界初演)
古事記上巻「国譲り」抜粋の上代日本語による朗読(協力:坂本小見山)、ならびに、テクストを品詞別に音程やフレーズを割り振り、各単語の長さをリズムにして生成した音楽(「アンケート・アート」)から構成される。アンケート・アート「天皇とアメリカ」はサウンドパフォーマンス作品として、2017年に発表されている。
【この曲のキーワード】矢部宏治/人間宣言/星野之宣/国譲り/移行/1989年/テレビ/ボレロ/ディズニー/楽譜認識/magenta/機械学習/編集/カットアップ/よこはま・たそがれ/クローン/玉音放送/帆船効果/名詞/助詞 (松本祐一)
松本祐一 Yuuichi MATSUMOTO
1975年横浜生まれ。茨城大学工学部電気電子工学科卒業。電源制御機器開発会社の研究員を経て、IAMAS(国際情報科学芸術アカデミー)に入学。コンピュータ音楽等を学ぶ。作曲を早川和子、三輪眞弘に師事。アンケートを行い、その回答の文章から音楽を作るアンケート・アートを中心に、アーティストのサポートや、数多くの映像作品に楽曲を提供。第7回SICF南條史生賞受賞(2006)、第1回AACサウンドパフォーマンス道場入選(2006)、武満徹国際作曲賞第1位(2008、審査員/スティーブ・ライヒ)、eco japan cup 2008 アート部門準グランプリ、第19回芥川作曲賞ノミネート(2009)、「フォルマント兄弟のプレゼンテーション道場」佐々木敦セレクション」(2010)、東京ポッド許可曲第1回ジングルコンテスト第3位(2013)、同第2回ジングルコンテストグランプリ(2014)等。東京藝術大学大学院映像研究科特任助教。http://www.enquete-art.org/blog/
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水野みか子:《植物が決める時》(2017)
管弦楽のための《緑の波》(1999)を作曲したときには、豊かに実る穀物の畑をイメージしていた。ピアノとエレクトロニクスのための《リポクローム》(2016)は、人参のカロチノイドにあるような黄色い色素に関係させた。本作は、植物に関係する作品の第三弾にあたる。
作品のタイトル《植物が決める時 tempus planta》は、 1557年に書かれたとされる「自然哲学」の書にヒントを得て作成したフレーズである。
植物は行動しない。光、水、土などに反応することはあっても意志をもって次の動きを決めるということはなく、行動せずに根を張っていく。植物の魂によって決定される、底力ある「時間」は、人間意志に左右されずにどっしりした生命力で包んでくれるように思う。本作は、<Arnica>、<トゥーランドットの庭>、<土の音>の三曲で構成される。(水野みか子)
水野みか子 Mikako MIZUNO
東京大学、愛知県立芸術大学卒業。同大学院音楽研究科修了。工学博士。作曲と音楽学の分野で活動を展開。名古屋市立大学芸術工学部芸術工学研究科・情報環境デザイン学科教授。先端芸術創作学会JSSA運営委員、日本電子音楽協会 JSEM会長。近作に、パイプオルガンと電子音響のための《das dash!》(2015)、ヴァイオリンとコンピュータのための《行き交う光束》(2016)、ピアノとコンピュータのための《Lipochrome》(2017)、ファゴットと尺八のための《月と影 ハイドロニューマチックな夜》(2018)、管弦楽のための《Milford Pond》(2019)等。
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三輪眞弘:《虹機械 公案〇〇|》(2017)
「公案001」は大井浩明のために書かれた「虹機械」という作品である。他の「虹機械」同様、五度音程の積み重ねを基本原理とするセルフフィードバック・システムによって自動生成される単旋律は、その過程において音域や調性の明瞭度などを変化させながら刻々と音楽的「気分」を変えていく。しかしその「気分」は、変化を続ける音型パターンに対して繊細に、そして「機械のように」反応するぼくたち人間が生み出しているという事実をぼくは不思議に思う。(三輪眞弘)
「公案001」は大井浩明のために書かれた「虹機械」という作品である。他の「虹機械」同様、五度音程の積み重ねを基本原理とするセルフフィードバック・システムによって自動生成される単旋律は、その過程において音域や調性の明瞭度などを変化させながら刻々と音楽的「気分」を変えていく。しかしその「気分」は、変化を続ける音型パターンに対して繊細に、そして「機械のように」反応するぼくたち人間が生み出しているという事実をぼくは不思議に思う。(三輪眞弘)
三輪眞弘 Masahiro MIWA
1958年東京に生まれる。1974年東京都立国立高校入学以来、友人と共に結成したロックバンドを中心に音楽活動を始め、1978年渡独。ベルリン芸術大学で尹伊桑に、ロベルト・シューマン音楽大学(デュッセルドルフ)でギュンター・ベッカーに師事。1980年代後半からコンピュータを用いた作曲の可能性を探求し、特にアルゴリズミック・コンポジションと呼ばれる手法で数多くの作品を発表。1989年第10回入野賞第1位、2004年芥川作曲賞、2007年プリ・アルスエレクトロニカでグランプリ(ゴールデン・ニカ)、2010年芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞。近著「三輪眞弘音楽藝術 全思考一九九八ー二〇一〇」出版、2012年9月にリリースされた新譜CD「村松ギヤ(春の祭典)」などをはじめ、活動は多岐にわたる。旧「方法主義」同人。「フォルマント兄弟」の兄。情報科学芸術大学院大学(IAMAS)教授。
現代音楽史の中の篠原眞―――野々村 禎彦 [音源リンク付]
パリ音楽院作曲科を一等賞首席で修了してメシアンの薫陶を受け、GRMでリュック・フェラーリからミュジック・コンクレート制作を学び、ケルン国立音大でB.A.ツィンマーマンに作曲、ケーニヒから電子音楽制作を学んだ後、シュトックハウゼンの助手として《ミクストゥール》を浄書して初演の音響操作も担当し、正弦波発振音の加算合成による電子音楽と現実音の意味性を生かしたミュジック・コンクレートをともに制作し、箏独奏曲を自ら初演し「和洋の音楽的融合」を進める…現代音楽の「常識」では、到底一人の作曲家とは思えない振幅の中に、篠原眞(1931-) という作曲家は佇んでいる。
大阪生まれ東京育ちの篠原は、音楽は姉たちのピアノや箏の稽古事に倣って始めた。ピアノは練習曲反復方式を嫌って独学に移り、さらに権威主義的な教授法の箏は全くの独学で身に着けた。この独立心旺盛な姿勢は終生変わっていない。都立日比谷高校から青山学院大学に進み、高校の音楽仲間と合唱団「フェーゲライン・コール」を結成した(なお、日比谷高校の校歌は、篠原が留学中に作曲)。やがてこの合唱団はアマチュア合唱運動を代表する団体に成長する。彼はこのような活動に満足していたが、偶々知り合った池内友次郎に強く薦められ、2年後に東京藝術大学に入り直すことになる。
藝大作曲科在学中も合唱団の活動は続け(この団体のための編曲レパートリーは、東京混声合唱団に受け継がれた)、学内では同年生まれで同門、現場志向も共有する林光と親交を結んだ。作曲と並行して安川加壽子にピアノを学び、リサイタルでしばしば譜めくりを担当していた。作曲の師となった池内は、まだ2年生だった彼を東京交響楽団に推薦し、作品表の冒頭を飾る《ロンド》(1953) が委嘱新作として生まれた。池内は彼の才能は日本の枠に収まらないと見抜いて早くから留学準備を薦めており、フランス政府給費留学生に選ばれた彼は、翌1954年に藝大を中退してパリ音楽院に留学した。
戦後の藝大作曲科では橋本國彦ら独墺系の教授陣が公職追放され、池内らフランス系が中核になったことで留学先もパリ音楽院が中心になったが、留学先で成果を挙げるのは容易ではない。池内を継いで矢代秋雄は藝大、三善晃は桐朋学園大の作曲アカデミズムを担ったが、パリ音楽院での成果は芳しくなかった。矢代は作曲科を5年かけて修了したが一等賞は逃し、見切りをつけて帰国した。三善は高校時点で音大に進む必要はないとされ、フランス留学に備えて東大文学部仏文科に進み、在学中に日本音楽コンクール一等賞を受賞し鳴り物入りで留学したが、3年で中退して帰国している。
矢代と同じく、篠原も作曲をトニー・オーバンに師事した。程なく師の保守性に飽き足らなくなり、唯一の進歩派メシアンのクラスに出入りするようになったが、そのくらい反骨精神がある方が評価されるのがフランスのアカデミズムであり、3年で学内コンクールに入賞した。翌年に一等賞首席となった修了作品《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》(1958) は、バルトークの無伴奏ヴァイオリンソナタをメシアン風に伴奏したような、不思議な味を持つ。修了後はルデュック社から作品出版が始まり、コンクール課題曲などの新作委嘱も受けて、音楽生活は順風満帆だった。なかでもオーボエとピアノのための《オブセッション》(1960) は、この編成を代表する作品のひとつとして録音も多い。
篠原は日本のアカデミズムを支えた作曲家たちには到達できなかった地点から歩き始めたが、高みに立つとその先が見える。アカデミズムの枠内の活動では満足できなくなった彼はメシアンに進路を相談し、薦めに従って1959年にダルムシュタット国際現代音楽夏期講習に参加して、ヨーロッパ戦後前衛音楽の興隆に大いに刺激を受けた。並行してGRMでミュジック・コンクレートを学び(この時指導したのはリュック・フェラーリであり、奇しくもその後の篠原の電子音楽の方向性を予言している)、翌1960年には有給職を打診されたが、既にGRMで作品を制作していたクセナキスらとも相談してドイツ留学を決めた。「精神的に保守主義とおさらばする」ための決断だった。
だが、ドイツならばどこでも前衛音楽を学べるわけではなかった。最初に師事したミュンヘン音大のハラルド・ゲンツマーは、ヒンデミットに倣った作曲を求める極めて保守的な教師で、彼はすぐ大学に通うのを止めた。クセナキスの紹介でジーメンス社のスタジオで電子音楽を学ぶことになったが、制作作業の見学以上の経験は積めなかった。彼は全くの孤独の中、アカデミズムから戦後前衛への橋渡しとなったセリー技法による管弦楽曲《ソリチュード》(1961) を書き上げた。この時期の彼を支えたのはダルムシュタット国際現代音楽夏期講習だった。1961年のシュトックハウゼンの「モメンテ形式」の講義に感銘を受けた彼は、翌年の『音楽芸術』誌にこの講義の解説論文を寄稿した。講義の受講者には打楽器アンサンブル作品が課され、翌年のワークショップで発表した《アルテルナンス》(1961-62) が出世作になった。まだこの編成自体が珍しかった時代に、管理された偶然性を全面的に導入した発想はシュトックハウゼンに激賞され、後にストラスブール打楽器合奏団によって録音された。
バイエルン州からの給費留学期限が迫る中、彼はB.A.ツィンマーマンに手紙を書き、ケルン国立音大入学と新たな給費留学の推薦を得た。入学後はB.A.ツィンマーマンに作曲を師事したが教育には消極的で、映画音楽の講義を受けたにすぎない。むしろ重要なのはゴットフリート・ミヒャエル・ケーニヒに電子音楽を学んだことで、講義の一環として西ドイツ放送電子音楽スタジオの制作環境に触れている。管理された偶然性によるピアノ独奏曲《タンダンス》(1963/69) の初稿を自ら初演した1963年、彼はケルン市立音楽院の新音楽講座に参加してシュトックハウゼンの講義を受けた。極めて不確定性の高い《プルス・ミヌス》の確定譜面化演習など、講義は非常に興味深い内容だったというが、このふたりの作曲家の確執が災いし、彼は翌1964年に大学を移って給費は打ち切られることになった。
そこでシュトックハウゼンは彼を助手として採用し、《ミクストゥール》の浄書と初演のライヴエレクトロニクス操作(管弦楽のリング変調)を任せた。貴重な経験だったがすさまじい重労働でもあり、ユトレヒト大学電子音楽スタジオ(後にソノロジー研究所と改称)ディレクターに就任したケーニヒの招聘を受けて、正規職員として働くことになった。そこで彼は1年近く制作に没頭し、《ヴィジョンI》(1965) を完成させた。正弦波発振音の加算合成をセリー技法で管理する、戦後前衛の王道的な発想に基づいた作品であり、労力の割に成果は限定的だと実感した上で次のステップに移った。
1966年、シュトックハウゼンがNHK電子音楽スタジオに滞在して《テレムジーク》を制作した時、この計画を提案した篠原も同行して雑務を一手に引き受け、制作現場もたびたび視察した。世界の民俗音楽のアーカイヴと来日後に録音した寺院楽器や宗教儀式の音源を再生し、発振音を加えて変調する、「次元の異なったものが同時に起こる」コンセプトに影響され、帰国後にユトレヒトで《メモワール》(1966) を制作した。日常音の録音に《ヴィジョンI》の素材を加えて変調する手法は《テレムジーク》を踏襲しているが、儀式的な崇高さを追求した《テレムジーク》と、日常の寛いだ雰囲気を保ったこの作品の違いは大きい。DAADプログラムによるベルリン滞在中にベルリン工科大学電子音楽スタジオで制作した《ペルソナージュ》(1968/73) は、素材を人声と身体由来の音響に絞り、変調を通じて統合した。後からパントマイムと照明を加え、音楽の「生身の身近さ」をさらに増幅している。他方、器楽曲では管理された偶然性を引き続き探求した。6楽器のための《コンソナンス》(1967) はISCM入選、リコーダー独奏のための《フラグメンテ》(1968) は、ブリュッヘンによる初演後も頻繁に演奏・録音されて現代の古典になった。この方向性は《タンダンス》の改訂版(1969) で一段落する。作曲意図を汲んで管理された偶然性をリアライズできる演奏家は限られていたためだという。
管弦楽のための《ヴィジョンII》(1970) 以降の作品では、管理された偶然性の代わりに性格の異なる長短さまざまな断片を確定的に繋ぐ、「モメンテ形式」を自己流に昇華した構成を用いるようになり、この傾向は現在まで続いている。《ヴィジョンII》や25楽器のための《エガリザシオン》(1975)、メゾソプラノと12楽器のための《たびゆき》(1984) は、ポストセリー様式のアンサンブル作品として飛び抜けた密度を持つ。コロンビア=プリンストン電子音楽センターで作り始めた《都市訪問》(1971-79) (その1・その2)とNHK電子音楽スタジオで制作した《ラジオ放送》(1974) はさらに興味深い。《都市訪問》は鞄に忍ばせたカセットレコーダーで録り溜めたニューヨークの音響を再構成し、《ラジオ放送》はNHKラジオの1日分の放送を60分の1に凝縮するコンセプトのミュジック・コンクレートである。《都市訪問》にはクラシックコンサートから街角のゴスペルやBGMまでさまざまな音楽が登場し、それと日常音の絡み合いが聴きもの。《ラジオ放送》は素材を選べない分、速度変化や変調で音楽として統合する妙味が聴きもの。いずれの曲でも音響の意味性が音楽の成り行きにおいて本質的な役割を果たしている。
他方、箏独奏のための《たゆたい》(1972) 以降、邦楽器のための作品の比重が増えてゆく。尺八とハープのための《求道B》(1973)(尺八独奏版は《求道A》(1974) )、三味線独奏のための《流れ》(1981)、十七絃箏独奏のための《十七絃の生まれ》(1981)、ヴァイオリンと箏のための《ターンズ》(1983) と、コンスタントに委嘱が続いた。前衛の時代が終わると日本国内では戦後前衛を受け継いだ音楽への関心は急速に薄れ、ましてや海外在住の篠原の作品が取り上げられる機会は減ったが、邦楽器作品は事情が違った。諸井誠と武満徹の諸作品から始まった「邦楽器ブーム」で前衛派の作曲家たちが取り上げたのは、中世以来の尺八や琵琶と笙や篳篥など雅楽で用いられる楽器が中心で、近世のお座敷音楽の伝統を背負った箏や三味線への関心は薄かったことと、現代音楽に熱心な奏者は邦楽界では異端であり、現代音楽業界の趨勢とは無関係に優れた作品を演奏し続けようとしたことが背景にある。
以上の創作史の集大成となる作品が、90年代初頭に相次いで書かれた。8邦楽器と8洋楽器とための《コゥオペレーション》(1990) と、和洋楽器管弦楽団と混声合唱のための《夢路》(1992) である。前者は笙、篳篥、能管、琵琶という前衛書法と相性の良い邦楽器を初めて用い、「和洋の音楽的融合」というコンセプトから想像されるのとは真逆の、尖った書法の邦楽器が洋楽器を引っ張る音楽である。後者ではさまざまな日本の伝統音楽や掛け声や相撲の呼び出し、洋楽草創期の唱歌などが引用される。初演時は彼も新ロマン主義的折衷に向かったと受け止められたが、以後の創作の方向性とは矛盾する。むしろ、《都市訪問》や《ラジオ放送》と同様のコンセプトを、日本の歴史と文化の広がりを象徴する音素材を用いて実現した作品だと筆者は捉えている。ソノロジー研究所は1986年、篠原が居を構えたユトレヒトからデン・ハーグに移転したこともあり、かつては彼の創作の中核にあった電子音楽の存在は目立たなくなっているが、そこで探求されたテーマは形を変えて受け継がれたのではないか。
これ以降の作品は、ある種の「晩年様式」を感じさせるものだった。ピアノ独奏のための《アンデュレーションA》(1996) ではタイトルの波状音型を前面に立てて、邦楽器独奏作品と同様に奏者の創意に多くを委ねている。この作品の2台ピアノ版《アンデュレーションB》(1997)、代表作《フラグメンテ》に二十一絃箏を加えたデュオ版(1998) 及びさらに打楽器を加えたトリオ版(1998)、増幅されたバスフルート独奏のための《パッサージュ》(1980/86) の木管四重奏版《パッサージュB》(2003) と、旧作の派生作品が増えてきた状況も後期ベリオの創作姿勢を思わせた。かつては同一編成の作品を書くことすら避けてきた厳しい創作姿勢を緩めたことを、「自在の境地」と呼ぶことは気が進まない。
だが、近作は新たなフェーズを思わせる。ピアノ独奏のための《ブレヴィティーズ》(2009-15/18) は、タイトル通り24の「簡潔」な小品の集合体であり、各曲の性格と長短の振れ幅は大きく、独自の「モメンテ形式」の一種と見做せる。他方、演奏曲の選択と順序は奏者に委ねられており、管理された偶然性が復活した。1曲ごとに固有の抽象的なシステムが設定され、モダニズムの強靭さも復活した。《弦楽四重奏曲》(2016) も同じ方向性を持ち、初演の演奏会では子供や孫の世代の作曲家たちの作品を(旧作のチェロ独奏曲《エヴォリューション》(1986) すら)圧倒した。日本に腰を落ち着けたこともこの変化の背景だろうが、2010年代以降の現代美術界では、飽和したポストモダニズムに代わって再びモダニズムが関心を集めている。歴史的に、音楽の動向は常に美術の後を追ってきた。日本人では唯一、ヨーロッパ戦後前衛の中心地でその動向とともに歩んできた篠原が、再び時代の最先端に立ったのかもしれない。なお篠原は現在、複雑なクラスター音響の管弦楽曲を書き進めているという。小編成でも既に圧倒的な密度と強度の音楽が、管弦楽で響き渡る日を期待して待ちたい。