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1843年製プレイエルによる《ピアノ音楽の革命》(全5回公演) (2022/02/14 update)



1843年製プレイエルによる《ピアノ音楽の革命》(全5回公演) (2022/02/14 update)_c0050810_14290832.jpg1843年製プレイエルによる《ピアノ音楽の革命》(全5回公演) (2022/02/14 update)_c0050810_14292136.jpg1843年製プレイエルによる《ピアノ音楽の革命》(全5回公演)
大井浩明(フォルテピアノ独奏)
松濤サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)
使用楽器:プレイエル社1843年製80鍵フォルテピアノ [タカギクラヴィア(株)所蔵]
全自由席 5000円
お問い合わせ pleyel2020@yahoo.co.jp (エッセ・イオ)〔要予約〕
チラシpdf https://bit.ly/31jEDAA



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【第5回公演】 2021年2月27日(土)18時開演(17時半開場)
●C.V.アルカン(1813-1888): 《短調による12の練習曲 Op.39》(1857)
 ~I.風のように II.モロッソス格で III.悪魔的スケルツォ IV.~VII.ピアノ独奏による交響曲(全4楽章) VIII.~X.ピアノ独奏による協奏曲(全3楽章) XI.序曲 XII.アイソーポスの饗宴
クロード・レンナース(Claude Lenners)(1956- ):フォルテピアノ独奏のための《パエトーン》(2020、委嘱新作初演)


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(終了)【第1回公演】 2020年10月23日(金)19時開演(18時半開場) (※)須田祥子(客演/東京フィルハーモニー交響楽団ヴィオラ首席奏者)
●H.ベルリオーズ(1803-1869): 《幻想交響曲 ~ある芸術家の生涯の出来事》 S.470 (1830/36、F.リストによるピアノ独奏版)[全5楽章]、《交響曲「イタリアのハロルド」》 S.472 (1834/36、F.リストによるピアノ独奏版)[全4楽章] (※)
高橋裕(1953- ):フォルテピアノ独奏のための《濫觴》(2020、委嘱新作初演)

【アンコール】
〇N.パガニーニ《ヴィオラと管弦楽のためのソナタ》(1834)

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(終了)【第2回公演】 2020年11月13日(金)19時開演(18時半開場)
●F.F.ショパン(1810-1849): 12の練習曲Op.10 (1829/32)、12の練習曲Op.25 (1832/36)、3つの新しい練習曲 B.130 (1839)、ピアノソナタ第2番Op.35《葬送》(1837/39)、ピアノソナタ第3番Op.58 (1844)、前奏曲嬰ハ短調Op.45 (1841)
●鈴木光介(1979- ):フォルテピアノ独奏のための《マズルカ》(2020、委嘱新作初演)

【アンコール】
〇C.V.アルカン:練習曲《相似的無窮動 Op.76-3》(1838)
〇ショパン/ゴドフスキー(生誕150周年):練習曲第47番《誂い》

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(終了)【第3回公演】 2020年12月11日(金)19時開演(18時半開場)
●R.シューマン(1810-1856):《謝肉祭 - 4つの音符による滑稽譚 Op.9》 (1833/35)、《クライスレリアーナ - ピアノのための幻想曲集 Op.16》(1838)、《幻想曲 Op.17(初稿)》(1836/39)

【アンコール】
〇ショパン《「お手をどうぞ」による変奏曲 Op.2》(1827、独奏版)
〇シューマン《ピアノソナタ第3番終楽章(Green/Moyerによるオリジナル草稿補筆版)》(1835、日本初演) 

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【第4回公演】 2021年1月30日(土)18時開演(17時半開場)
●F.リスト(1811-1886): 《超越的演奏のための12の練習曲(決定稿)》 S.139 (1851)、《ピアノソナタ ロ短調(初稿)》 S.178 (1852/53)
アダム・コンドール(Ádám Kondor)(1964- ):フォルテピアノ独奏のための《5つの超越的前奏曲》(2020、委嘱新作初演)

【アンコール】
〇リスト《ドン・ジョヴァンニの回想 S.418》(1841)
〇アルカン《2つの室内フーガ「泣くジャン、笑うジャン」》(1840)

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1843年製プレイエルによる《ピアノ音楽の革命》(全5回公演) (2022/02/14 update)_c0050810_16321877.gif  「ピアノ音楽の革命」――これが本シリーズのテーマだ。採り上げられる19世紀の作曲家はベルリオーズ、リスト、ショパン、シューマン、アルカン。錚々たる顔ぶれである。奏者としては慎ましいギタリストだったベルリオーズとピアニストへの道を断念したシューマンを除く三名は、ピアノのヴィルトゥオーゾである。彼らは皆、1810年代の前半に誕生している。この年代には、1811年生まれのフェルディナント・ヒラー、1812年生まれのジギスモント・タールベルク、1814年生まれのアドルフ・フォン・ヘンゼルトもいる。

  「1810年世代」は、続く一世紀のピアノ音楽の景色を一変させた。その背景には、1820年代から30年代にかけて起こった芸術思潮の大転換がある。この転換は、産業革命の結果大きな変化を遂げたピアノの製造と普及といった外的理由だけからは説明できない。それは、精神的な改革によって実現されたのである。

1843年製プレイエルによる《ピアノ音楽の革命》(全5回公演) (2022/02/14 update)_c0050810_16335510.gif  彼らの青春時代に、一体何が起こったのか?それは、器楽をめぐる美学上の革命だった。それまで鍵盤楽器のための音楽といえば、何よりもまずソナタであった(ソナタの原義は「器楽」である)。人々はソナタで演奏技術を磨き、ソナタで聴衆に語りかけた。ピアノ曲は、いまだ「歌詞のないロマンス(無言歌)」ではなく、いわば「言葉のない弁論」と見做されていた。ソナタは修辞学をモデルとして作曲され、演奏されていた。そこには発想(主題)があり、それらの巧妙な配置があり、論駁(展開)があり、確証(主調の確立)があった。作曲家(=奏者自身)がそのようにして書いたソナタを、奏者は解釈と身振りの力を借りつつ披露し、聴き手を感動させ、説得した。だが、このような器楽の在り方は批判にも晒されていた。「ソナタよ、お前は私に何を求めているのか」――フォントネルはこう問いかけた。明快な意味を持たない器楽よ、お前は言葉を伴う音楽に優ることはできない、と。

  ところが1800年を過ぎると、器楽の地位は俄かに向上していく。人々の「聴く耳」に変化が起きたのだ。ドイツの作家・批評家E. T. A. ホフマンは、ベートーヴェンの《交響曲第五番》に寄せた批評で、こんなことを書いている。

〈器楽曲は他の芸術の援助も混入も一切拒否して、音楽芸術にしかない独自のものを純粋に表現しているのである。この音楽こそあらゆる芸術のうちで最もロマン的なもの――唯一純粋にロマン的な芸術と言ってよいだろう。――オルフェウスの竪琴は冥府の門を開いたのである。〉(鈴木潔訳)

1843年製プレイエルによる《ピアノ音楽の革命》(全5回公演) (2022/02/14 update)_c0050810_16344179.gif  ホフマンにとって器楽は、言語の具体的な指示機能に依存することなく聴く者に深い夢を見させることのできる芸術だった。同じくドイツの作家レルシュタープも、ベートーヴェンの《幻想曲風ソナタ》Op.27-2(通称「月光」)を聴くとき、もはやそこに奏者(=弁論者)の姿を見出さない。彼の想像力は異界を飛翔し、山岳に囲繞された月下の湖、霊ごとく水面を漂う白鳥を目撃し、廃墟から漏れ聞こえるエオリアン・ハープの神秘的な調べを聴いた。
  ピアノは修辞学の器から、ロマン主義的精神の器に創り直されたのである。

  1814年、ナポレオンの失脚に続くアンシャン・レジームへの揺り戻しによって、ロマン主義はフランスで新たな局面を迎える。大革命と帝政により社会的立場を脅かされた人々が、心の中に「密やかな逃げ場所」を求め始めたのだ。かくて王党派の作家たちは、復古王政時代、民衆の趣味に寄り添う新たなフランス国民文学の確立に邁進した。シャトーブリアンは『ルネ』で血縁関係の分断や現実逃避といったテーマを扱いながら、「世紀病」や「あてどない情熱」と呼ばれる近代的憂鬱の典型を示した(ベルリオーズが《幻想交響曲》の標題で「ある著者」と言っているのはシャトーブリアンのこと)。

1843年製プレイエルによる《ピアノ音楽の革命》(全5回公演) (2022/02/14 update)_c0050810_16360686.gif  王党派の文学者たちが創り出した葛藤と逃避のトポスは、さまざまな形で芸術作品に表れることとなった。都市から隔絶された田園、スイスの山岳地帯、ベネツィアの干潟、墓場、サバト・・・ロマン主義者たちが描くこうした世界は、単なる外界の模倣ではなく、内面化された主観的世界である。そのために、ベルリオーズは冒頭からいきなり主人公にアヘンを多量投与しなければならなかった。ベルリオーズがコール・アングレにランズ・デ・ヴァーシュ(牛追い歌)を吹かせたとしても、それは羊飼いがそのように吹いたからではない。遠雷は、もはや神々が引き起こす気象現象として聴かれるのではない。それは主人公の心理的反映であり、聴き手の主観的経験として生きられるのだ。

  1830年の七月革命とともに、ピアノのロマン主義は一気に開花した。主観的自然や超自然的イメージは、ピアニスト兼作曲家たちにもあらゆる誇張を許した。リストの想像力は、ダグー夫人との恋愛とスイスへの「巡礼」(という名の逃避行)、ラムネー神父によってもたらされた宗教=社会的啓示、そして超人パガニーニの洗礼を経て、魔界から天国に至るまで縦横無尽に駆け巡った。もはや、ピアノはピアノとして鳴り響いてはいけない。未知なる技巧と表現力によって、彼方の音を地上に響かせなければならなかった。リストはベルリオーズ、ショパン、ヒラー、アルカンらとパリで親交を深め、文芸における「若きフランス」よろしくユゴーの「醜は美なり」という旗印に従った。

  ショパンは、「ピアノのベルリオーズ」アルカンのように、言葉と音楽を接近させることを好まなかったが、二人の親友は「凡庸なものへの嫌悪」(A. マルモンテル)で結ばれていた。ショパンが《ピアノ・ソナタ 第二番》作品35の終楽章で見せる異様さは、アルカンの〈風〉(作品15-2、全3曲をリストに献呈)とも響き合っている。

1843年製プレイエルによる《ピアノ音楽の革命》(全5回公演) (2022/02/14 update)_c0050810_16380886.gif  シューマンはショパンの作品2への批評で「諸君、脱帽せよ、天才が現れた」と称賛したが――もっともショパンは続くシューマンの詩的な解釈に面喰らった――、ショパンの第二ソナタの終楽章を評して「彼の最も狂気じみた4人の子供を無理矢理一緒にした」「墓場に吹きすさぶ風」(第4楽章)と書いたとき、おそらく、そこにアルカンの影を感じ取ったのではないだろうか。ちなみに、クララ・ヴィークは1839年の春に単身パリを訪れアルカンの演奏を聴いており、作曲家としての才能を高く評価した。もしかしたら、フィアンセによるこの称賛も、ロベルトのアルカン嫌いを助長する要因になったのかもしれない。

  ショパンとリストはシューマンと互いに献呈のやりとりがあるのに、アルカンだけは遂にシューマンと作品を献呈しあうことはなかったし、会うこともなかった。もしシューマンがアルカンの円熟期、つまり1857年以降の作品まで見ていたら、彼は「フランスの辞書には魂という言葉はない」という前言を撤回しただろうか。(上田泰史/音楽学)



上田泰史 Yasushi UEDA, musicology
1843年製プレイエルによる《ピアノ音楽の革命》(全5回公演) (2022/02/14 update)_c0050810_14173466.jpg
 金沢市出身。2016年に東京藝術大学大学院音楽文化学研究科にて論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号を取得。同年にパリ=ソルボンヌ大学にて博士論文 "Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853): l'homme, le pédagogue, le musicien" で同大学博士号(音楽・音楽学)を審査員満場一致で取得。在学中、日本学術振興会より育志賞を受ける。著書に『「チェルニー30番」の秘密――練習曲は進化する』(春秋社)、『パリのサロンと音楽家たち――19世紀の社交界への誘い』(2017)。東京藝術大学楽理科非常勤助手を経て、2018年4月より日本学術振興会特別研究員(SPD)を務める。東京藝術大学、国立音楽大学、大妻女子大学ほか非常勤講師。

【著書/論考 リンク集】
●世界遺産・富岡製糸場の「幻のピアノ」を求めて 第1回第2回第3回







by ooi_piano | 2021-02-01 19:39 | Pleyel2020 | Comments(0)

8月7日(日)ラフマニノフ《24の前奏曲集》+《18の練習曲集》


by ooi_piano