(※)満席となりました。
【第1回】2020年10月23日(金)19時開演(18時半開場)
大井浩明(フォルテピアノ独奏)
須田祥子(ヴィオラ客演/東京フィル首席奏者)
松濤サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4) 渋谷駅徒歩10分、神泉駅徒歩2分
全自由席 5000円
お問い合わせ pleyel2020@yahoo.co.jp (エッセ・イオ)〔要予約〕
使用楽器:プレイエル社1843年製80鍵フォルテピアノ(430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]
Andreas PreussによるSanto Serafin(1710)のレプリカ(2012、裸ガット弦使用)
●H.ベルリオーズ(1803-1869): 《幻想交響曲 ~ある芸術家の生涯の出来事》 S.470 (1830/36、F.リストによるピアノ独奏版)[全5楽章] 約50分
I. 夢想、情熱 - II. 舞踏会 - III. 野の情景 - IV.断頭台への行進 - V.サバトの夜の夢
(休憩 15分)
●高橋裕(1953- ):フォルテピアノ独奏のための《濫觴》(2020、委嘱新作初演) 約7分
●H.ベルリオーズ:《交響曲「イタリアのハロルド」》S.472 (1834/36、F.リストによるピアノ独奏版)[全4楽章] 約45分
I. 山岳のハロルド:憂鬱、幸福、歓喜の情景 - II. 夕べの祈祷文を唱和する巡礼者の行進 - III.アブルッツィの或る山人が愛する女に捧げるセレナード - IV.山賊の酒盛り、先だつ数々の情景の回想
■須田祥子 Sachiko SUDA, viola
6歳よりヴァイオリンを始め、桐朋学園大学在学中にヴィオラに転向し、98年同大学を首席で卒業。ヴァイオリンを室谷高廣、ヴィオラを岡田伸夫に師事。
97年、第7回日本室内楽コンクール、99年、第7回多摩フレッシュ音楽コンクール、99年、第23回プレミオ・ヴィットリオ・グイ賞国際コンクール、2000年、第2回淡路島しづかホールヴィオラコンクールの全てのコンクールで第1位優勝。
皇居内御前演奏会、トッパンホール ランチタイム コンサート、日本演奏連盟リサイタルシリーズ、FMリサイタル、B→C、ヴィオラスペース等数多くのソロ・室内楽の演奏活動を行なっている。特に、「日本の作曲家2001」及びオーケストラ・アンサンブル金沢との演奏など、NHK-FMでも紹介され高い評価を得た。宮崎音楽祭、鎌倉ゾリスデン、サイトウ・キネン・オーケストラ等に度々出演。
2015年5月の「題名のない音楽会」及び2016年11月の「らららクラシック」のヴィオラ特集、同月の「題名のない音楽会」の「弦楽四重奏特集」に出演。2016年1月には「報道ステーション」で白川氷柱群の前からヴィオラだけのソロ演奏が生中継された。また、2018年6月にNHK-FM「きらクラ」の水戸での公開収録に、2020年2月には「今日は一日ビオラ三昧」にゲスト出演。
現在、東京フィルハーモニー交響楽団首席奏者、日本センチュリー交響楽団首席客演奏者、アクロス弦楽合奏団、ザ・シンフォニエッタみよしのメンバーを務める他、ヴィオラ演奏集団「SDA48」を主宰。洗足学園大学非常勤講師として後進の指導にも当たっている。
ソロアルバム「ビオラは歌う」シリーズ、SDA48「びおらざんまい」をリリース。 公式ブログ https://ameblo.jp/sachikosuda/
■高橋裕:フォルテピアノ独奏のための《濫觴》(2020)
濫觴とは、物のはじまり、物の起源を表す(揚子江も水源を遡れば觴(さかずぎ)を濫(うか)べるほどに微である)。ひいては生命の始まり、地球の始まり、宇宙の始まりへと想いは拡がる。時間空間の悠久の時の流れと、その壮大なる誕生には、我々人間の思いも遠く及ばない、壮絶なるドラマが起こっていたことであろう。
曲は始原の空間から始まり、やがて膨大なるエネルギーの渦に巻き込まれていく。
ベルリオーズも生きていた頃に生を受けたこのプレイエルが、類稀なる大井浩明氏の演奏によって、いかなる響きの世界を誕生させるか楽しみである。(高橋裕)
●高橋裕 Yutaka TAKAHASHI, composer
1953年京都生まれ。1980年東京藝術大学大学院作曲専攻修了。池内友次郎、松村禎三、黛敏郎の各氏に師事。《Sinfonia Litrugica》が日本交響楽振興財団作曲賞入選。1983年《般若理趣交響曲》で世界仏教音楽祭コンクール第1位。1987年《弦楽四重奏曲》で国際C.M.v.ウェーバー室内楽コンクール第1位。1988年藤堂音楽賞受賞。1991年《Symphonic Karma》が第1回芥川作曲賞。1992年《笙とオーケストラのための「風籟」》がオーケストラ・アンサンブル金沢より特別賞。1993年京都新人賞受賞。1997年2枚組CD「シンフォニック・カルマ/高橋裕管弦楽作品集」(DENON)でレコード芸術特選。作品は欧州から北米・中南米他、数多くの国々で演奏されている。東京藝大、同附属高校にて長く指導にあたった後、現在名古屋音楽大学特任教授、大阪芸大客員教授。 公式サイト http://www.yutaka-takahashi.com/
ベルリオーズの「情熱」―――上田泰史
「パッション」という言葉は、「情熱」と訳されることが多い。「受難」という意味もあるように、この語は外部刺激への反応から生じる心の動きのことを指す。同じくギリシャ語の「パトス」から派生した言葉に「アフェクト」というのもあるが、こちらは反対に能動的ニュアンスがある。
フランス人は昔からパッションの類型化に余念がなかった。デカルトの『情念論』における「情念」は「パッション」で、彼は外的刺激の受容器官である感覚と心の関係を追究した。画家のシャルル・ルブランは、デッサン教本でデカルト流のパッション類型を表情の描写によって示している。
Charles Le Brun, Conférence de Monsieur le Brun [...] sur l'expression générale et particulière des passions, 1713.
左から「平静」、「感嘆」、「驚嘆」、「恐怖を伴う驚嘆」
ベルリオーズも《幻想交響曲》の標題で、パッションに触れている。第一楽章の標題にはこうある。「彼はとある著名な作家が『あてどない情熱』と呼んだ、心の病に冒されている」。この「あてどない情熱 Le vague des passions」は、作家シャトーブリアンの著作『キリスト教精髄』(1802年)第9章の章題から採られている。しかし、シャトーブリアンの「パッション」は、類型としてのそれとは種類が違う。
彼によると、「あてどない情熱」とは「情熱」の未成熟な状態で、表出される前の閉ざされた内なる力である。情熱が向かうべき目的を外部に持たないので、その力は行き場もなく、内面に渦巻く。煙突のない蒸気機関車さながら、内圧が高まり、深い憂鬱が生まれる。
なぜこんな心性が時代を覆ったのか?シャトーブリアンは旧貴族の生まれだが、フランス大革命までは啓蒙思想に染まり共和政に傾倒していた。だが、革命の暴力を目の当たりにしてアメリカとイギリスで亡命生活を送る。その間に身内が次々に逮捕されたり、処刑されたりした。母の死をきっかけにふたたび信仰心を取り戻し、王政支持者となる。フランス革命の理念と現実に起こったこととの乖離が、実生活に対する諦念を抱かせ、信仰を取り戻したのだ。彼は『キリスト教精髄』で「あてどない情熱」について、こう書いている。
《人民が文明へと歩を進めればそれだけ、このあてどなき情熱の状態は増大する。というのも、そのときたいへん悲しい事象が生じるからだ。人はあまたの実例を目の当たりにしている。人間や感情を論ずる多くの書物は経験なきまま巧緻になっていく。人々は享受する前から誤謬を悟る。願望はなおいくつもあるのに、人はもう幻想を抱かない。想像力は豊かに溢れ、目を見張るほどだ。[だが] 生活は貧しく干からび、魅力を失っている。人はいっぱいに詰まった心でからっぽの世界に暮らし、何かに頼ったわけでもないのに、あらゆることから目覚めている。》
豊かな理想と逼迫した現実。ここから「世紀病mal du siècle」や「時代の子enfant du siècle」といった言葉で、ロマン主義者たちは自らの世代を言い表すようになった。
第一共和政末期に生まれたベルリオーズはシャトーブリアンより一世代下だが、人々は未だ大革命の生々しい記憶を留めていた。やがてナポレオン戦争が終結し王政が復古した。1820年代の末、パリの若者を中心に再び革命的機運が高まる。シャルル10世の強権的な治世下で蓄積した若者の鬱憤は、文芸や芸術をはけ口として表面化していった。《幻想交響曲》第四楽章の処刑シーンは、この時代の空気を、革命の克明なイメージとともに描いている。
1834年、パリでリストによる《幻想交響曲》のピアノ・トランスクリプションが刊行されたとき、パリの『ルヴュ・ミュジカル』で健筆を振るっていたフェティスはベルリオーズに対する辛辣な批評を書いた。第2楽章のワルツ以外、ほとんど理解しようとしなかった(第5楽章に至っては4行しか書かず、「手から筆を落としてしまった!」)。彼は音楽と標題についての議論を一蹴する。彼にとって、音楽(器楽)は本質的に曖昧で不定の芸術なので、悟性ではなく感性に訴えるものだからである。だから器楽に標題をつけるという行為は、本来音楽に出来ないはずのことを音楽に無理強いする事に他ならない。これは特にフェティスが石頭ということではなく、フランスの伝統的な器楽観である(→フォントネルの「ソナタよ、お前は私に何を欲するのか」)。
フェティスの批評を読んだ25歳年下のシューマンは、もうすこし寛容な見解を示した。標題は聴き手の想像力を限定するから各楽章タイトルがあれば充分だとしながらも、音楽を聴く内に次第に想像力が働きだして、標題の影響が和らいだと書いている。ベルリオーズはそうした批判の声を気にしたのか、1855年の改訂版では続編《レリオ》と併せて演奏しない限りは、標題を配布しなくてよいと意見を変えた。「劇的意図をすっかり差し引いても、独立した音楽的趣向をそれ自体で提供することは可能だからだ。」(1855年の標題序文より) とはいえ、どうして1830年の時点で標題の配布を必須と考えたのだろうか。この点については、一考の価値がある。彼は標題に先だってこう書いている。
《作曲者が目指したのは、とある芸術家の生涯のさまざまな状況を、それら[=状況]が音楽的な状態で含み持っているものの領域内で発展させることである。言葉の助けを借りない器楽劇という構想については、前もって提示しておく必要がある。以下のプログラム[標題]はつまり、オペラの話される台詞*と考えて頂きたい。それは各楽章を導き、それらの性格と表現がなぜそうなっているのかを説明している。》
[原註] *本プログラムは、この交響曲が演奏されるコンサートにおいて、必ず聴衆に配布すること。それは、本作の劇的構想を完全に理解してもらうためである。
これを読むと、ベルリオーズが「器楽」の新しい可能性に踏み出そうとしていることがよくわかる。彼は「ソナタよ、お前は私に何を欲するのか」という古くからある問いに、正面から立ち向かっている。フェティスなら、「言葉の助けを借りない器楽劇」という表現自体が破綻していると考えただろう。なぜなら、「曖昧で不定の」器楽表現はそもそも劇(ドラマ)のような具体的プロットを描き得ないという信念を持っていたのだから。
今日では、器楽に具体的な指示機能がないと主張するひとはあまり見かけない。音楽が文化的な事象である限り、いつの時代も聴衆は文化的コードに即して作品に意味を見出そうとする。シューマンが要求する想像力の自由は、実のところコードに規定された自由でしかない。たとえば「ヴァルプルギスの夜の夢」という第五楽章のタイトルだけで、既にフランスでも第一部が読まれていたゲーテの『ファウスト』が連想されるし、「夜の夢」という言い回しはシェイクスピアの『夏の夜の夢』を参照させる。ある文化を共有している聴き手は、共通の連想のネットワーク上で意味を見出す。こうした、文化的・社会的文脈において人々が共有する「場所=topos」は、トピックと呼ばれている。グレゴリウス聖歌の〈ディエス・イレ〉は、『ファウスト』第一部で、メフィストに殺されたヒロインの兄の葬儀(教会の場面)で鳴り響く。ベルリオーズはこの旋律(イデー・フィクスのジグザグ音型はこの聖歌から発想された?)を用いれば、大体聴き手がどんな情景かわかると考えたはずである。彼には、文学的・政治的なトピックを巧みに配置すれば、聴衆の連想を刺激して、器楽で器楽以上のこと(劇)を語ることが可能になる、という信念があった。とはいえ、パリ音楽院の大ホールに来る聴衆の全員が仏訳されたばかりの『ファウスト』第一部を読んでいるとも限らない。そこでベルリオーズは、親切心からこの標題を用意したのだろう。実際、何も背景を知らない人がこれを聴くと、この作品の新しさの意味が全く理解できない恐れもあった。
だが、そうした配慮はフェティスの前では何の役にも立たなかった。フェティスほどの知識人であれば、当然『ファウスト』第一部を読んでいてもおかしくないが、音楽の領分について断固たる美学を持っていたので、標題と音楽の関係についての議論はハナから拒絶してしまった。しかし、ベルリオーズは長らく正当化されてきた音楽芸術の「曖昧」「不定」といった否定的属性を「果てしない憧れ」や「出口のない憂鬱」として読み替え、交響曲をロマン主義的想像力の新しい領域に引きずり込んだのだ。(上田泰史/音楽学)
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以下に訳出した標題は、初演(1830年12月5日)に先だって、フランソワ=ジョゼフ・フェティスが自身の音楽雑誌『ルヴュ・ミュジカル』で紹介した標題である。
はじめに
作曲者が目指したのは、とある芸術家の生涯のさまざまな状況を、それら[=状況]が音楽的な状態で含み持っているものの領域内で発展させることである。言葉の助けを借りない器楽劇という構想については、前もって提示しておく必要がある。以下のプログラム[標題]*はつまり、オペラの話される台詞(★)と考えて頂きたい。それは各楽章を導き、それらの性格と表現がなぜそうなっているのかを説明している。
[原註] *本プログラムは、この交響曲が演奏されるコンサートにおいて、必ず聴衆に配布すること。それは、本作の劇的構想を完全に理解してもらうためである。
[訳者註]★オペラの一ジャンル、オペラ=コミックは、話される台詞と歌われる台詞から成る。
第一部 夢想、情熱(★)
作者は、一人の若い音楽家を念頭に置いている。彼はとある著名な作家があてどない情熱(★★)と呼んだ、心の病に冒されている。彼は初めて、想像の中で夢見ていた女性に出会った。彼女は、理想的な人に備わるありったけの魅力をひとまとめにしたような女(ひと)で、彼は無我夢中になった。奇妙なことから、この愛しいイメージが芸術家の心に浮かぶときには、必ずある楽想が浮かぶようになった。その楽想に、彼は情熱的でありながら高貴で内気な性格を感じ取った。彼が愛するその人に見出したような性格を・・・。
女の姿とともに現れる女の旋律的な似姿は、二重の固定観念となってたえず彼に付きまとう。こうした理由から、最初のアレグロを開始する旋律が、この交響曲の全楽章を通していつも現れる。この憂鬱な夢想に耽溺した状態は、わけもなく訪れる歓喜の発作によって遮られ、錯乱の情熱に駆られた状態へと移ろう。それに伴うのは、勢いづいた憤怒と嫉妬、悲哀、涙、宗教的な慰めである。そうした[情熱の]移ろいが、第一楽章の主題である。
[訳者註]★いずれも複数形。★★従来「情熱の波濤」「情熱のうねり」などと訳されてきたが、« le vague »は「漠たるもの=あてどないもの」の意。 « la vague »(=波)との取り違えか。
第二部 舞踏会
芸術家はお祭り騒ぎの只中に身を投じたり、自然の美を心穏やかに観照したりと、人生のこの上なく多様な状況を経験する。だが街路にいても野辺にいても、愛しい女の心象から逃れることができず、思い悩む。
第三部 野の情景
夕刻の野辺で、彼は二人の羊飼いが遠くで吹き交わすランズ・デ・ヴァーシュに耳を傾けている。この牧歌的な二重奏、舞台が映す場所、やさしく風にそよぐ木々のかすかなざわめき、少し前に頭に浮かんだ希望の理由――全てがいつになく彼の心をなだめ、頭の中を前よりもっと微笑ましい色彩で染めてくれる。彼は我が身の孤独に思いを馳せる。もうすぐ独りではなくなるのだ、と期待に胸が膨らむ・・・・・・。でももし彼女に振られたら・・・・・・!期待と恐れがないまぜになり、数々の幸せな楽想は一抹の不吉な予兆に悩まされつつ、アダージョの主題を形づくる。最後に、牧人の一人が、またランズ・デ・ヴァーシュを吹く。もう一方の牧人は、もう吹き返してこない・・・・・・。遠くで雷鳴が響く・・・・・・孤独・・・・・・沈黙・・・・・・
第四部 断頭台への行進
自分の愛を理解してもらえないと確信した芸術家は、アヘンを煽って自殺を図る(★)。毒は致死量に至らず、彼はまどろみに落ち、この上なく奇怪な幻想を見る。彼は夢の中で恋した女を殺め、断頭台に引き立てられ、自分自身の処刑に立ち会う。行列は時に陰鬱に、時に獰猛に、また時に輝かしく、時に荘重な行進の響きとともに前進する。その行進の中で、重い足取りが響かせる鈍い靴音が、経過部もなしに、この上なく騒々しい歓声に続いて聞こえる。行進曲の最後に4小節の固定楽想が、末期の思慕の念として再び現れるが、致命的な一撃によって遮られる。
[訳者註]★1855年の改訂稿では、冒頭にアヘンを飲む設定に変更され、全てが夢の出来事として再構成された。
第五部 サバトの夜の夢
彼はサバトに加わり、ありとあらゆる亡霊、魔女、怪物どもの、身の毛もよだつような群れのただ中にいる。この者どもは、彼の葬儀のために集結したのだ。奇怪な物音、ひそひそ声、突発的な笑い声、遠くから聞こえる絶叫、そしてそれに別の絶叫が応えているかのようだ。恋人のメロディが再び姿を見せるが、高貴で内気な性格は失われている。それはもう、醜悪で取るにたらない、グロテスクな踊りの節でしかなくなっている。彼女が、サバトにやってきたのだ・・・・・・。彼女が到着し、歓喜のどよめきが起こる・・・・・・。彼女は悪魔的な乱痴気騒ぎの中に混ざっていく。弔鐘が鳴り、《怒りの日》(★★)の滑稽なパロディが響き、サバトのロンドが幕を開ける。そしてこのサバトのロンドと《怒りの日》が重なり合う。
[原註] **カトリック教会の葬儀で歌われる聖歌
Louis Candide Boulanger, Ronde du Sabbat (1828)
Les musées des villes de Paris (CC0)