【第4回】2021年1月30日(土)18時開演(17時半開場)
大井浩明(フォルテピアノ独奏)

松濤サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4) 渋谷駅徒歩10分、神泉駅徒歩2分
全自由席 5000円
お問い合わせ pleyel2020@yahoo.co.jp (エッセ・イオ)〔要予約〕
使用楽器:プレイエル社1843年製80鍵フォルテピアノ(430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]

■F.リスト(1811-1886): 《超越的演奏のための12の練習曲(最終稿)》 S.139 (1851)
I. 「前奏曲」 - II. (イ短調)
〇アダム・コンドール(Ádám Kondor)(1964- ):フォルテピアノ独奏のための《5つの超越的前奏曲 Öt transzcendens prelűd》(2020、委嘱新作初演)
第1前奏曲 Andantino
■ III. 「風景」 - IV. 「マゼッパ」
〇第2前奏曲 Tempo flessibile, ma non lento
■ V. 「鬼火」 - VI. 「幻影」
〇第3前奏曲 Parlando
■ VII. 「英雄」 - VIII. 「荒ぶる狩り」
〇第4前奏曲 Presto
■ IX. 「回想」 - X.(ヘ短調)
〇第5前奏曲 Presto
■ XI. 「夕暮の諧調」 - XII. 「雪嵐」
(休憩)
■F.リスト: 《ピアノソナタ ロ短調(初稿)》 S.178 (1852/53)
Lento assai- Allegro energico - Grandioso - Cantando espressivo - Pesante - Recitativo - Andante sostenuto - Quasi Adagio - Allegro - Stretta (quasi presto) - Presto - Prestissimo
[使用エディション:新リスト全集版]

アダム・コンドール:フォルテピアノ独奏のための《5つの超越的前奏曲》(2020)
F.リストの超越的練習曲集は、ある面でブーレーズ作品に於ける抑制出来ない興奮ぶりを連想させる。そこで、私はその解毒剤的な前奏曲集を着想した。各曲は、簡明な作法と論理的構造に基づき、明確な音楽素材の可能性を探索した。それゆえ、この5つの前奏曲はリストの練習曲集と組み合わせて演奏されるのが最も望ましい。大井浩明の非凡な才腕を念頭に作曲され、彼に献呈されている。(アダム・コンドール)
アダム・コンドール Ádám Kondor, composer

バルトーク音楽高校(ブダペスト)を経て、リスト・フェレンツ音楽大学で作曲をミクローシュ・コチャールとシャーンドル・ソコライに師事。また室内楽をジェルジ・クルターク、シャーンドル・ヴェーグに学んだ。1998年ソロス財団、1999年独エデンコーベン芸術財団より助成を受ける。さまざまな編成の多数の作品が、世界各地で演奏されている。近作に《ピアノ協奏曲》(2017/ブダペスト初演)、《ヴァイオリン協奏曲》(2018/ウィーン初演)、《フルートとクラリネットのための二重協奏曲》(2020)等。2020年秋よりハンガリー科学アカデミー会員。2013年~2016年、タイに在住した。
『ファウスト』とピアノ・ソナタ―――上田泰史
他の芸術諸ジャンルと同様、神話は音楽の継承と創造の土台となってきた。「神話」という言葉を神(々)と人間の物語に限らず、各時代の人々が共有し、文化に根を下ろした語りとして捉えるなら、キリスト教にとどまらず古典ギリシア・ローマの神話や詩学、啓蒙思想、種々の文学作品も一種の神話である。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの戯曲『ファウスト』は、ベートーヴェン、シューベルトからマーラーに至るまで、19世紀を生きた音楽家たちにとっての比類無いロマン主義の神話だった。
ロマン主義の神話「ファウスト」
ファウスト博士をめぐる物語はゲーテの創作ではなく、ドイツに古くから伝わる説話である。この人物は16世紀に実在したと云われる錬金術師で、学を極め尽くしてなお悟り宇宙の本質を悟り得ないことに絶望して悪魔に魂を預け、人間のあらゆる欲望を満たした後に地獄に落ちるという、ドン・ジョヴァンニのような反キリスト教的存在である。この物語は、人形劇を通して民間にも広く浸透した。しかし18世後半、啓蒙主義運動の中で、ファウスト博士は欲望に駆られた悪魔的存在というイメージを脱ぎ捨て、究極の知識を追究する超人として語り直されるようになった。そこで、救済されるファウストという結末が用意された。救われるファウスト像は、まずドイツ啓蒙思想家・劇作家ゴットホルト・エフライム・レッシングによって構想され、ゲーテがファウスト第二部でそれを永続的なものとした。救済されるファウストを描いた音楽としては、マーラーの《交響曲第8番》がよく知られているが、シューマンのオラトリオ《ゲーテの『ファウスト』からの情景》も、『ファウスト』第二部を扱った、決して多くはない作品の一つである。
「ファウスト」熱
ゲーテの『ファウスト』はすでに1770年代に初稿(Urfaust)が書かれ、時を経て第一部が1808年に、第二部が1833年に遺作として出版された。この戯曲は諸外国でも翻訳された。フランスではまず文芸・政治評論家スタール夫人の『ドイツ論』(1813年)でドイツ的想像力の驚くべき産物として『ファウスト』第一部が紹介されたが、書物の性格上、要約的な紹介に留まった。続いて1823年にルイ=サントレール、1827年にアルベール・シュタッフェールによる仏訳が出た。後者にはウジェーヌ・ドラクロワがグロテスクな挿絵を提供したことでも知られる。これらの翻訳では時事風刺的で難解な「ヴァルプルギスの夜」が省かれていた。しかし1828年、弱冠19歳のネルヴァルがこの情景を含めた第一部の全訳を上梓して、これが若い音楽家たちの心を捉えた。

E.ドラクロワによる挿絵(「ヴァルプルギスの夜」にマルグリートの姿を垣間見るファウスト)/ Paris, Petit Palais (CC0)
ロッシーニはF.ヒラーへの手紙で「『ファウスト』への真の熱狂」がパリを席圏していると報告し、ベルリオーズやグノーは一時期ファウストを携帯してパリの街を歩いていた。ベルリオーズは《『ファウスト』からの8つ情景》(1829年部分初演)をゲーテに送りさえした(ゲーテは音楽家の友人に意見を求め、結局関心を示さなかった)。劇場ではファウストの劇が音楽付きで上演され、1830年4月にはシュポーアのオペラ《ファウスト》、そして7月の革命を挟んで同年12月にはベルリオーズの《幻想交響曲》第5楽章〈サバトの夜の夢〉が鳴り響いた。翌年にはルイーズ・ベルタンのイタリア語オペラ《ファウスト》が、そして年末にはヒラーの《ファウスト序曲》が初演された。
ドイツでは1829年にヴァーグナーがライプツィヒで『ファウスト』を観劇し「ファウスト熱」に冒された。彼はまず合唱とピアノの為の《ゲーテの『ファウスト』による7曲》(1831)を書き、10年後、パリで《ファウスト序曲》を書いたがパリ初演は叶わなかった(後に1844年、ドレスデンでメンデルスゾーンの《最初のヴァルプルギスの夜》の前に初めて演奏された)。シューマンは第二部の結末に心を打ち振るわせ、1844年から1853年の長きに亘って《『ファウスト』からの情景》に取り組んだ。
神と悪魔
リスト少年が父とともにパリに到着したのは、『ファウスト』第一部の仏訳がパリで出た1823年12月のことである。音楽以外の教養に関しては独学ではあったが、リストはパリでファウスト熱を肌で感じることができただろう。既に神童として名を馳せていたリスト少年は、世俗の輝きだけでなく、すでに深い信仰心、永遠なるものへの憧れを心に宿していた。リストは、後にベルリオーズの《イタリアのハロルド》を初演することになるクレティアン・ユランがオルガニストを務めていた教会に通い、神秘的な音色に耳を澄ませた。
『ファウスト』は、キリスト教とロマン主義を橋渡しする重要な役目を果たした。この戯曲は、神と悪魔(メフィストフェレス)がファウストの魂を賭けるところに始まり(第一部)、創造主による悪魔払いとファウストの救済で終わる(第二部)。戯曲冒頭の神と悪魔の対話で、神は善なる人間は迷うにせよ、正しい道を忘れない、と述べる。一方の悪魔は、森羅万象はいずれ滅びるのだから、初めから無い方が良いのだとその本領を語り、創造という神の崇高な役目を認めない「否定の霊」である。ファウストは悪魔の力を借りて自在に振る舞い、無垢な乙女マルグリート(グレートヒェン)とその親族を破滅させる。だが第二部では奇術を弄して栄達を実現し、最後は為政者として人々の為に灌漑工事を指揮する。人々の働く姿に感動して自ら鋤を手に壕を掘るが、これが墓穴となって息絶える。
一方では、決して尽きることのない欲望を追究し自己膨張を続ける巨人ファウストは、無限への憧憬を原動力とするロマン主義と握手することができる。その意味で、超人ファウストはロマン主義の英雄に他ならない。他方、神の被造物として神的なファウストの側面もまた、天上的永遠へと開かれている。メフィストフェレスが現出させる世界は一見果てしないようだが、結局のところファウストの寿命によって終焉を迎える。悪魔が見せる無限的(夢幻的)世界は、永遠的実体の「映像」にすぎない。確かにロマン主義の芸術家は、「醜は美なり」というヴィクトル・ユゴーのモットーに共感しメフィスト的題材を好んだ一方で、ファウストに内在する聖性にも注目していた。リストやアルカンがメフィストフェレスとして超人的演奏技巧を追究した一方で、両者が生涯に亘り創造主に――前者はキリスト教者として、後者はユダヤ教者として――祈りを捧げたことは、偶然ではない。
リストの《ピアノ・ソナタ》とアルカンの《大ソナタ》の間隙
1840年、フランスではファウスト第二部のネルヴァル訳も刊行され、それまでにドイツとフランスで『ファウスト』はピアニストたちにとっても完全なバイブルとなった。C. M. v. ウェーバーの弟子ユリウス・ベネディクトは1836年に、自作《ゲーテのファウストに基づく大幻想曲》をベルリオーズの居る前で演奏し(楽譜所在は不明)、シャルル=ヴァランタン・アルカンは1847年に《ピアノのための大ソナタ》作品33の第二楽章に〈ファウストのように〉という題名を与えた。この楽章は後半に「神秘の合唱」としてのフガートが置かれ、それに神の顕現、メフィストの退散、マルグリートの動機と共に上昇するファウストの姿が描かれている。ピアノ作品としては『ファウスト』第二部の結末を描いた最初の作品と見られる点で、この作品はピアノ音楽史的にも『ファウスト』をめぐる文化史的にも、注目に値する(リスト後年の《ファウスト交響曲》では、「神秘の合唱」は声楽を伴って表現される)。
アルカンの伝記作家たちは、これまでに何度もリストの《ピアノ・ソナタ》ロ短調とアルカンの《大ソナタ》作品33との音楽的関連性を指摘してきた。充分な紙幅がないため簡単な指摘に留めるが、アルカンのファウストの主題は複付点のリズム動機と低音域のスタッカートによる同音反復動機で構成される。リストのソナタの主題も同じ要素含んでいる。

譜例1 アルカン《大ソナタ》作品33(30歳:ファウストのように)

譜例2 リスト《ソナタ》ロ短調 アレグロ冒頭の主題
アルカンの同音反復主題は、その後第3主題としてマルグリート的性格に変じるが、この同一動機による性格変容もリストのソナタのcantando espressivo(第153小節~)で同じように生じる。
他方、リスト研究者たちはアルカンのソナタとリストのロ短調ソナタの類似に気づいてはいても、それらの関連性を確信するには至っていない。それ以前に、そもそもリストのロ短調ソナタに隠された標題があるのかどうかについて長い議論が行われており、各人各様の立場を取っている。『ファウスト』になぞらえる解釈(Ott 1981)、自伝としての解釈(Raabe 1931/68)、ミルトンの《失楽園》に即したの解釈(Szász 1984)、あるいはプログラムは想定していないとする説(Winklhofer 1980)等々。
リストが周囲にソナタの「意味」を明かすことがなかったため、彼がどのようなプロットを想定したのかは分からないし、あるいはしなかったかもしれない。とはいえ、この作品を聴いた人々が何らかの典型的な物語を想起することは自然であるし、リストは様々な文学的題材から、善悪の相克を音楽的に抽象したのかもしれない。とはいえ、アルカンとリストのソナタの音楽的近似性が、興味をそそられる主題であることに変わりはない。リストのロ短調ソナタの完成は1853年2月とされるが、最近の研究では1849年の時点ですでに――ゲーテの「ファウスト初稿」のように――原型が存在したことが、ほぼ確実視されている。それはリストが同年の春にヴァイマルで友人らに内々に演奏したとされ、これを聴いたフリートリヒ・キュームシュテットFriedrich Kühmstedt(1809-1851)は《リスト博士の主題による4声の演奏会用大フーガ》作品24を書いて1850年に出版した。このフーガの主題は、今日知られているロ短調ソナタの主題に一致している。他にも、1969年以降に今日では行方不明になっているソナタの1849年のスケッチに、ソナタのandante sostenutoの楽想が書き留められていたという。リストが1849年にソナタの構想に着手していたという事実は、アルカンのソナタの出版(1847年末)からリストが「ロ短調ソナタ」に取りかかるまでの期間が、一年半足らずであることを物語っている。
完成後、リストは出版前に内々でこのソナタを人前で弾いた。1853年6月、ヴァイマルで宮廷楽長の座にあったリストを、ブラームスが訪ねた。そこに居合わせたアメリカの作曲家ウィリアム・メイソンの回想によれば、リストは「ロ短調ソナタ」を完成させたアルテンブルク館にブラームスを招き、リストがこの新作を弾くのを聴いた。ところが、ブラームスは演奏中に居眠りをしていたという・・・。だが寛大なリストは二人の若い訪問客をそのまましばらく館に逗留させた。
1854年の春、リストはこの少なからず「アルカン風」のソナタを、10年以上も前に《幻想曲》作品17を献呈してくれたシューマンへの献辞とともに出版した。だが同年2月、シューマンの精神は不安定極まりなく、2月にライン川に身を投げ自殺未遂を起こしていた。折角の献呈にも拘わらず、シューマンはすぐに精神病院に入れられ、ソナタの出版を知ることはなかった。ただし妻のクララ・シューマンは版元から楽譜を受け取っていた。日記に書き留めた評価は「盲目の騒音に過ぎない」という辛辣なものだった。
リストとアルカン
シューマン、リスト、アルカンの三者は、青春時代から互いを知っていた。シューマンとアルカンは直接会ったことはないが、シューマンは楽譜を通して彼の音楽を知り、アルカンの《悲愴的ジャンルの3つの断章》作品15に手厳しい批評を書いたことがある。それ以後、シューマンはアルカンに公然と反応することもなかった。一方のアルカンはシューマン作品を好んで弾いた。
リストとアルカンが公の場で互いの曲を弾いたという記録は見当たらないが、両者は生涯に亘り一定の距離を取りながら相互的関心を保った。1836年、リストがジュネーヴ音楽院の教職を去るときに、後任として彼がポストを打診したのはアルカンだったし(アルカンはこの招待を断った)、翌年には、リストはシューマンを苛立たせたアルカンの作品15を「何度も読み、読み返した」上で、かなり好意的な評を書いた。この作品15はリストに献呈されており、マルグリート的なヒロインを題材にしている。しかし後の《大ソナタ》とは異なり、強弱や楽想指示を全く書き入れずに出版した。この行為は、「ロマン主義的な音楽」というのはこのようなものだろう、君には指示がなくても分かるだろう、という、皮肉めいた敬意とも読める。「悲愴的ジャンル」という言葉にも風刺的ニュアンスを読み取ることができる(「ジャンル」と言う言葉は、対象を客観化するから)。時代は下って1865年にリストがカトリックの下位聖職者に叙された翌年、アルカンはリストに新作《ルターのコラール「神は我らの堅き砦」に基づく即興曲》作品69を贈った。更に後、晩年のリストはマスタークラスで生徒たちにアルカンの作品を弾かせている。1884年には〈イソップの饗宴〉作品39-12を生徒に提案し、「余りに知られていない作曲家だ」と口にしたという。
長い音楽的交流の一時期、フランス二月革命の直後、何がリストをソナタへと駆り立てたのか。証拠は見つからないかもしれないし、想像は妄想なのかもしれない。しかし、ドキュメントと想像の間隙を見つける時に、解釈という行為は成り立つ。多様な解釈へと誘う作品には、やはり魔的な魅力が宿っている。リストのソナタは、そのような作品である。
薄暮(くれがた)の曲―――シャルル・ボドレエル
時こそ今は水枝(みづえ)さす、こぬれに花の顫(ふる)ふころ。
花は薫じて追風に、不断の香の炉に似たり。
匂も音も夕空に、とうとうたらり、とうたらり、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈(くるめき)よ。
花は薫じて追風に、不断の香の炉に似たり。
痍(きず)に悩める胸もどき、ヴィオロン楽の清掻(すががき)や、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈(くるめき)よ、
神輿の台をさながらの雲悲みて艶(えん)だちぬ。
痍(きず)に悩める胸もどき、ヴィオロン楽の清掻(すががき)や、
闇の涅槃に、痛ましく悩まされたる優心(やさごころ)。
神輿の台をさながらの雲悲みて艶(えん)だちぬ、
日や落入りて溺るゝは、凝(こご)るゆふべの血潮雲(ちしほぐも)。
闇の涅槃に、痛ましく悩まされたる優心(やさごころ)、
光の過去のあとかたを尋(と)めて集むる憐れさよ。
日や落入りて溺るゝは、凝(こご)るゆふべの血潮雲(ちしほぐも)、
君が名残のたゞ在るは、ひかり輝く聖体盒(せいたいごう)。
(上田敏訳)
Harmonie du soir / Charles BAUDELAIRE (1821 - 1867)
Voici venir les temps où vibrant sur sa tige
Chaque fleur s'évapore ainsi qu'un encensoir ;
Valse mélancolique et langoureux vertige !
Chaque fleur s'évapore ainsi qu'un encensoir ;
Le violon frémit comme un coeur qu'on afflige ;
Valse mélancolique et langoureux vertige !
Le ciel est triste et beau comme un grand reposoir.
Le violon frémit comme un coeur qu'on afflige,
Un coeur tendre, qui hait le néant vaste et noir !
Le ciel est triste et beau comme un grand reposoir ;
Le soleil s'est noyé dans son sang qui se fige.
Un coeur tendre, qui hait le néant vaste et noir,
Du passé lumineux recueille tout vestige !
Le soleil s'est noyé dans son sang qui se fige...
Ton souvenir en moi luit comme un ostensoir !