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11月10日(金)シューベルト《さすらい人幻想曲》《ソナタ「ガスタイナー」》+杉山洋一/ブリス・ポゼ新作初演他

大井浩明(フォルテピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)Google Map

使用楽器 ヨハン・クレーマー(Johann Krämer)製作フォルテピアノ(1825年ウィーン、80鍵、4本ペダル、430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]

4000円(全自由席) [3公演パスポート 11,000円 5公演パスポート 18,000円]
お問い合わせ poc@artandmedia.comアートアンドメディア株式会社
チラシpdf(



【第1回公演】 2023年11月10日(金)19時開演(18時半開場)

B.ポゼ(1965- ):《ミニュット3》(2021/23、世界初演 2分
F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第13番イ長調 D 664》(1819 or 1825) 16分
  I. Allegro moderato - II. Andante - III. Allegro

B.ポゼ(1965- ):《ミニュット4》(2021/23、世界初演 2分
F.シューベルト:《幻想曲ハ長調「さすらい人」 D 760》(1822) 20分
  Allegro con fuoco ma non troppo - Adagio - Presto - Allegro

  (休憩10分)

杉山洋一(1969- ):《華(はな) ~西村朗の追憶に》(2023、委嘱初演) 4分
F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第17番ニ長調「ガスタイナー」 D 850》(1825) 35分
  I. Allegro vivace - II. Con moto - III. Scherzo / Allegro vivace - IV. Rondo / Allegro moderato


[使用エディション:新シューベルト全集(1984/2023)]



ブリス・ポゼ:《ミニュッツ MINUTES》(2021/23)
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 フォルテピアノのための連作《MINUTES》は、作曲者が所有するJ.ブロートマン(1814年ウィーン、6オクターヴ、5本ペダル、C.クラーク/M.ヴィオン復元)による自作自演を前提とした、ヴィッテン市委嘱作品である。ヴィッテン現代室内音楽祭のために2021年に作曲を開始し、現時点で約10曲がほぼ完成、次の15曲の構想が固まっており、2024年末の完成を見超すワーク・イン・プログレスとなっている。
 Minuteというタイトルは、時間の尺度、幾何学上の角度、そして保存正本の3つの意味合いを重ねている。1~3分の小曲を60曲集成するアイデアは、シュトックハウゼンが《音(クラング) - 1日の24時間》(2004-2007、遺作)の完成後に取り掛かる筈だった構想に由来する。
 《ピアノフォルテの歴史》(1933)や《霊感の腑分》(1940)で知られるイギリス人音楽学者・楽器構造学者、ロザモンド・ハーディング(1898-1982)に捧げられている。


ブリス・ポゼ Brice Pauset, composer
 1965年ブザンソン生まれ。パリ音楽院でミシェル・フィリッポとジェラール・グリゼイに、シエナでフランコ・ドナトーニに師事。師グリゼイの3つの最期の作品、《時の渦》《背理のイコン》《4つの歌》の作曲補佐を行った。欧米の主要音楽祭、演奏団体によって多くの作品が演奏されている。2010年にフライブルク音大教授に就任。2012年から2019年までアンサンブル・コントルシャン(ジュネーヴ)の芸術監督を務めた。歴史的鍵盤楽器奏者として、チェンバロ5台/フォルテピアノ3台/クラヴィコード2台/クラヴィオルガン1台他(オリジナルまたは自作を含む)を所蔵している。




杉山洋一:《華(はな) ~西村朗の追憶に》(2023)
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 四半世紀近く前に、「さくらさくら」をモチーフに、ヴァイオリンの小品をかいた。ぜひそれをピアノで弾けるように直してほしいと大井さんからお話をいただいていたのが、この編作の切っ掛けであった。今回は、フォルテピアノで演奏していただくのだけれど、フォルテピアノのためには、2年前にも、リストの《アンジェリュス!》を使って《山への別れ》という曲をかいている。現代のピアノより、セピア色で、どこか心に沁みとおるような音色のフォルテピアノに、とても感激した。
 今回、この小さな編曲を、急逝された西村先生にささげようと思ったのは、最後に自分が演奏した西村先生の作品、《華開世界》(2021)のリハーサルのとき、作品のあらわす、次から次へと新しい花が咲き誇るさまを、未来永劫へつづく生命の営みに喩えた先生の言葉に深く心を動かされたからであり、そこにはらはら散り行く花びらの一枚を、ふと手に取って愛でてみたくなったからでもある。(杉山洋一)

杉山洋一 Yoichi Sugiyama, composer
 1969年生まれ。桐朋学園大学作曲科卒業。95年に渡伊。作曲を三善晃、フランコ・ドナトーニ、サンドロ・ゴルリに、指揮をエミリオ・ポマリコ、岡部守弘の各氏に師事。作曲家としてミラノ・ムジカ、ベネチア・ビエンナーレをはじめ、国内外より多くの委嘱を受ける。サンマリノ共和国サンタアガタ騎士勲章(2010)、第13回佐治敬三賞(2013)、イタリアAmadeusディスク大賞(2015)、第2回一柳慧コンテンポラリー賞(2016)、芸術選奨文部科学省大臣新人賞(2018)等。指揮者として携わった主な劇場作品にノーノ《プロメテオ》、ヴェルディ《ファルスタッフ》、モーツァルト《魔笛》、クセナキス《クラーネルグ》、カザーレ《チョムスキーとの対話》、メルキオーレ《碁の名人》、細川俊夫《大鴉》他。現在ミラノ市立クラウディオ・アッバード音楽院で教鞭を執る。




古楽と自分――杉山洋一

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 自分と古楽との出会いについて、改めて思い返してみた。
 幼少期、家にあったコレルリ《合奏協奏曲》のレコードを愛聴していたが、当時は古楽というジャンルすら知らなかった。音楽事典の巻頭に載っている、デュプレとデュカスやリュリとキュイの違いなど、時間や歴史の観念がないから理解しようもないが、何のてらいもなくすべてを無償に受容できたのだろう。
 1979年、カナダ放送協会で製作された「メニューヒンが語る 人間と音楽 (The Music of Man)」を見たのが、一つの切っ掛けには違いない。日本で放送されたのが何時だったのか定かではないが、当時、家には購入したばかりのヴィデオデッキがあって、シリーズ全てを録画して、擦り切れるほど見たものである。
 これは、古代ギリシャのアポロン賛歌からジョン・ケージ、ラヴィ・シャンカルまでの世界音楽史を紐解く、8回にわたるテレビドキュメンタリーで、ふんだんに実際の演奏風景が挿入されていて、あらためて顧みても、実に魅力的な番組だったとおもう。古代ギリシャの音楽は勿論、アフリカ、アジア、中東の民族音楽も豊富に紹介されていて、その中には、確か日本の筝も取り上げられていた。
 この番組の以前から、既にさまざまな音楽に興味を持っていたのか定かではないが、あそこまで飽きるほど眺めたヴィデオは他になく、今でもそれぞれのシーンや楽器をよく覚えている。当時はヴァイオリンを習っていたから、見馴れない形状の弦楽器に惹きつけられて、インドのサーランギや、おそらくキプロスのフィドル状の民族楽器が今も強く印象に残っている。ヴィオラ・ダ・ガンバやそれに類する中世の弦楽器も、中世音楽や初期ルネッサンス音楽紹介の折に演奏されていて、すっかり魅了されてしまった。
 その為なのか、民族音楽と古楽というと今でも無意識に近しい存在として認識していて、40年以上経った今でも、思い起こすと時めきすら覚える。
 特に好きだった、中世からルネッサンスまでを紹介する「花開くハーモニー( The Flowering of Harmony)」の回では、モサラべ聖歌、カンタベリー聖歌からペロタン、マショーやデュファイ、カベソンやパレストリーナ、ジョヴァンニ・ガブリエリの演奏が収録されていて、1600年代のコバルビアの古いオルガンで、カベソンのティエントを演奏する姿に憧れたものだ。
 その影響で、古楽と民族音楽を欠かさずFMで聴くようになり、カベソンを聴き漁るうち、スペインルネッサンス音楽に魅了されたのだろう。カバニレスやデ・アラウホなどのオルガン曲はよく聴いたし、ヴィクトリアの合唱も好きだった。
 当時、ヴァイオリン曲では普通にロマン派も近代音楽も聴いていたが、それ以外、室内楽も交響曲にも全く食指が動かなかったから、かなり臍は曲がっていたに違いない。バロックのヴァイオリン作品は好んで聴いたが、それも特殊調弦のビーバーの「ロザリアのソナタ」だったりしたから、押しなべて珍妙なものばかり聴いていたのだろう。だから、カークビーがF・クープランの「エレミアの哀歌」を歌うのを聴いて、これこそ天使の声ではないかしらと涙ぐんだのは、実に素直で初々しいとおもう。

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 馬齢を重ねつつ、少しずつ興味の対象の年代も現在に近づいてゆき、高校と大学時代は、W.F.バッハとC.P.E.バッハの楽譜をよく眺めた。大バッハは勿論よく聴いたし、下手ながらピアノでも弾いていたが、あまりに偉大過ぎて、結局息子たちの楽譜を引っ張り出すのだった。それが高じて、大学では仲間を集めて、W.F.バッハのアダージォとフーガとか、C.P.E.バッハのチェンバロ協奏曲やフルート協奏曲など試演もした。
 当時、通っていた大学では、有田正広先生の授業が学生に人気で、ルネッサンス、バロックの、絵画や音楽のアレゴリーの逸話など、面白くて仕方がない。有田先生の古楽科の部屋に行くと、普段は触れない、クラヴィコードなどを隠れて弾くことも出来たし、当時有田先生に習っていたフルートの菊池香苗さんが、よく現代作品を演奏してくださったお陰で、現代と古楽の演奏は、思いの外近しいとも知った。
 「Giardino armonico」というとんでもないアンサンブルがイタリアにできて、常識を覆すような新鮮な音楽をやるんだ、信じられない、と興奮冷めやらないリコーダーの畑田祐二さんからカセットを借りたのもこの頃だったとおもう。こんな瑞々しいイタリア初期バロックは聴いたことがない、という畑田さんの言葉どおり、迸るような自由闊達なエネルギーに眩暈すらおぼえた。当時《Groviglio(ごちゃごちゃと絡み合ったもの)》というリコーダー曲を畑田さんのために書いたのが、自分にとって最初の古楽器曲になる。詳細は覚えていないが、とても複雑な作品だったはずだ。
 当時、以前から好きだったカスティリオーニやドナトーニのようなイタリア現代音楽と、より前衛らしいファーニホーのような譜面を見比べて、自分は何がしたいのかと、漠然と将来について考えあぐねていた。あの曲を、とても雰囲気のある、ひんやりとした土壁の洋館のような会場で聴いた記憶があるのだが、あれはどこだったのか。甲高いソプラノリコーダーの音が、心地良く会場中に反響していた。

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 その後イタリアの作曲家や演奏家と付き合うようになり、ローマの現代音楽アンサンブルAlter Egoと知己を得た。その彼らと活動していたのが、アントニオ・ポリタ―ノというリコーダーの奇才で、アントニオは古楽から現代音楽まで、何の境界なく颯爽と吹ききってしまう。彼は当時Musica speculativaに凝っていたから、ボールドウィン写本で特に演奏困難な何曲か、わざわざ実演しやすくコンピュータで浄書し直して、友人たちと練習していた。それ以来だから、ポリターノとは随分長い付き合いである。彼のために、リコーダー曲《Notturno》と、リコーダーを含む短いアンサンブル作品を書いた。
 それから暫く、作曲者として古楽器とつきあう機会は途絶えているが、実際は、世界的に優秀な古楽器科で知られるミラノ市立音楽院に勤め始めて、オルガンのロレンツォ・ギェルミはじめ、古楽の同僚から常に刺激を貰っていた(Giardino armonicoのメンバーも、この古楽器科で研鑽を積んでいる)。
 音楽院から中華街を越えてすぐ、ミラノのスフォルツェスコ城には有名な楽器博物館があって、珍妙な楽器の宝庫だから足繁く通ったものだ。午前中は、楽器博物館には市内の幼稚園児、小学校生徒などが、集団で校外学習に訪れる。特に、巨大なアルチリュートや、側面のふいごを押して音を出すルネッサンスのオルガンなど、子供たちに大人気であった。
 当時は古楽好きと言っても《嬉遊曲》(1997)曲尾の民謡風の旋律が中世風であったり、民族音楽風だったりする程度で、具体的な理由も意図もない。それでも無意識に書いてしまうのだった。

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 2014年にルネッサンス・フルートとサグバットのために《バンショワ「かなしみにくれる女のように」による「断片、変奏と再構築」 Frammenti, Variazioni e Ricostruzione sul “Comme femme"》を書いた。ガザの爆撃で死んだ母親から帝王切開で救い出され、5日間人工保育器のなかで生きた、シマ―という女の赤ん坊をニュースで知り、バンショワの旋律に、パレスチナとイスラエルの国歌を細切れにして、挟みこみ、ルネッサンス・フルートのパートは、パレスチナのフルート、dabkeを模して書いた。なるほど自分の裡では、民族音楽と古楽は、明らかに繋がったまま、脈々と生き続けていたのである。
 後日、原曲の歌詞を付加したヴァージョンや、10名のアンサンブル版を大学生が再演してくれた。選挙すら行ったことのない学生でも、何かを考える切っ掛けにはなるかも知れない、との事だった。どの演奏も押しなべて静謐なままだが、緊張と瓦解とそして祈りが霧状になって、次第に空間にたちこめてゆく。
 この不思議な体験は、数年後に管弦楽のための《自画像》(2020)を書く作業に繋がった。少年時代、無邪気に聴き続けたカバニレスの《皇帝の戦争 Battaglia imperiale》を織り上げていた糸を一本ずつほぐし、世界の戦争、紛争について、書き残さねばと感じた言葉を掬い取っては、その糸でその言葉を紡ぎ直した。そうして、全く別のカーペットを織り上げようと試みた。
 古来、音楽は明快に喜怒哀楽をあらわしていた。とりわけ、アレゴリーを含め古楽は非常に具体的なメッセージをもっていて、例えばBattagliaとは戦いを鼓舞する音楽であり、そこにみっしり縫い込まれた夥しい国歌も、国威発揚の象徴に他ならない。《自画像》の作曲は、頓に精神的負担を強いるものだった。

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 それから暫くしてフォルテピアノのための《山への別れ Addio ai monti》(2021)を書いた折は、敢えてメッセージ性から距離を置いたのかもしれない。コロナで死んだ友人が葬式で演奏してほしいと言い残した、リストの《守護天使への祈り》を下敷きにしている。
 パンデミックで非日常的な毎日を送っていたからか、フォルテピアノの音に助けられ、どこか現実を直視するのを避けているようにもみえる。恣意的な作業をできるだけ避けて、淡々と書き進めたつもりだが、実際はどうだったのだろう。
 その後、「ラフォリア」を素材にヴァイオリン協奏曲を手掛けた際、表面上の重苦しさを避けつつ、《自画像》に続く「狂気 la follia」を書こうとした。敢えて直截に書かないことについて後ろめたさもあったが、自分の感情と音楽との間で、意識的に普段以上の距離を置こうとした。そこにメッセージを絡み取る否か、聴き手に任せたのである。
 こうして、幼少期から現在まで、自分と古楽とのつきあいを振り返ると、自分にとって古楽は、ドナトーニに学んだ、音符に観念をこめない自らの作曲姿勢に通じるところもあって、観念性でも耳あたりのよさでもなく、「ラフォリア」のように、半ば形骸化しつつも直截に我々に訴えかける、堅固な構造の指針なのかもしれないし、クラシック音楽が、未だ確固とした方向性を持たなかったころ、緩やかに大らかに、社会と繋がっていた時代への憧憬なのかもしれない。







by ooi_piano | 2023-11-05 13:26 | Schubertiade vonZzuZ | Comments(0)

Blog | Hiroaki Ooi


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