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12月8日(金)シューベルト《4つの即興曲 D 899》《幻想ソナタ》+横島浩/ブリス・ポゼ新作初演 [2023/11/23 update]

大井浩明(フォルテピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)Google Map

使用楽器 ヨハン・クレーマー(Johann Krämer)製作フォルテピアノ(1825年ウィーン、80鍵、4本ペダル、430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]

4000円(全自由席) [3公演パスポート 11,000円 5公演パスポート 18,000円]
お問い合わせ poc@artandmedia.comアートアンドメディア株式会社
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【第2回公演】 2023年12月8日(金)19時開演(18時半開場)

B.ポゼ(1965- ):《ミニュット5》(2021/23、世界初演 2分
F.シューベルト:《4つの即興曲 D 899》(1827) 26分
  I. Allegro molto moderato - II. Allegro - III. Andante - IV. Allegretto

B.ポゼ(1965- ):《ミニュット6》(2021/23、世界初演 2分
F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第14番イ短調 D 784》(1823) 20分
  I. Allegro giusto - II. Andante - III. Allegro vivace

  (休憩10分)

横島浩(1961- ):《マッシュプローム Maschubroom》(2023、委嘱初演) 8分
F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第18番ト長調「幻想曲」 D 894》(1826) 31分
  I. Molto moderato e cantabile - II. Andante - III. Menuetto / Allegro moderato - IV. Allegretto

[使用エディション:新シューベルト全集(1984/2023)]


横島浩:《マッシュプローム Maschubroom》(2023、委嘱新作)
 音楽史における引用技法の歴史は長い。オルガヌムの発生からして「引用」作品といえるだろうし、中世ルネサンス時代のパロディ・ミサなど引用元を隠してクイズのように提示しているものもある。オケゲム《ミサ・ミミ》の引用元など、20世紀終末になり明らかになったという例もあり、そのような場合作曲家としての存在意義はどのような立ち位置になるのだろうか、私たちにはなかなかわかりづらい。
 19世紀末から興ったリコンポーズ作風は、前提的「引用」手法の前夜であったう。ストラヴィンスキー・シェーンベルク・ウェーベルンなど当時の前衛作曲家のほかに、レーガー・レスピーギ・エルガー等が古典曲を自家薬籠中し自己の独自性をアピールした。戦後はコラージュや素材としての引用が主流となったが、ポストモダン期に入ると、素材原曲のイメージを優先し残しつつ「幻惑」というキーワードで聞き手を引きこむという手法も現れた。今回の私の作品もその部類に入るものだろう。
 原曲の基本和音から第7~15倍音全てを根音から拾い上げて、次第にそれらをカットしてく作法による。倍音の鳴り方が現代ピアノより独特な古楽器で、どのような効果が生まれるのかが楽しみである。(横島浩)


横島浩 Hiroshi Yokoshima, composer
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 1961年長野県生まれ。武蔵野音楽大学大学院(作曲)修了。作曲を池本武、竹内邦光、田辺恒弥の各氏に師事。シアターピース《C.P.E.タイムス》により第5回日本現代音楽協会新人賞入選(1988)。室内楽《モードへのオード I》により第58回日本音楽コンクール入選(1989)。室内楽《インヴァッディオン》により第7回日本現代音楽協会新人賞入選(1990)。《グラーヴェより遅く》により第74回日本音楽コンクール作曲部門第1位、併せて明治安田賞(2005)。
 1990年、作曲家グループ「TEMPUS NOVUM」創立メンバーに加わる。2011年、2015年に作曲個展を開催。現在、福島大学教授。




ブリス・ポゼ:《ミニュッツ MINUTES》(2021/23)
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 ピアノのための《MINUTES》は、1時間=60分というテーマで60曲を作曲すると云う、故・シュトックハウゼンのプロジェクトに部分的に呼応しています。彼の連作は、1日=24時間に基づく24曲の《クラング》に続く筈でした。
 私の作品では、フランス語の「Minute」という語の少なくとも3つの意味を生かすようにしています。すなわち、時間の単位、幾何学の角度の単位、そして(法律行為の)原本です。
 作曲プロセスにおいては、3つの意味が考慮され、連作自体と個々の断片の間の弁証法的関連において結晶化されます。それぞれ約1~3分の60曲のつらなりは、瞬間的な主観性の集合全体の途中に位置します。
 非常に短い作品で構成された長い連作の作曲は、大変特殊な技術的かつ美学的な問題を提起します。すなわち、何かを繰り返すたびに、膨らんでいく全体との接触を維持することが問題となるのです。ある意味、それは作曲家の創造的反射神経と衝動を記録した作品のようなものです。私はさらに、各曲の作曲と並行して、その作曲のプロセスにおける、特定の「世界の状態」をたどってマッピングすることを意図した、一種の作品日記を書き始めました。すなわち、自宅近所の写真(特に、各曲の作曲終了時にいつも同じ場所で撮影した小川の写真で、できるだけ「現実の生活」に即した気候変動を記録するものです)や、新聞記事の抜粋、作曲時に読んだり調べたりした文章、作曲時に観た芸術作品のことです。
 今回演奏される各曲は、一種のインスタレーションないし展示といった感じで提示しているので、これを聴きなが、ら2024年末頃に予定される全曲完成版を思い描いてみてください。
 この作品は1810年代から1820年代初頭にかけてのウィーン製のピアノのために特別に構想されています。よって、様々な音響的変化(ウナ・コルダ、モデレーター、ダブル・モデレーターや複数の効果の組み合わせ)を加えるとと、位相的な距離をシミュレーションすることが非常に容易になり、現代のグランドピアノのよりもはるかに効果的になります。
 《MINUTES》はまた、音楽学者のロザモンド・ハーディングへのオマージュでもあります。彼女は楽器学、美学、美術史研究における驚くほど謙虚な人物でありました。彼女の著作、《ピアノフォルテ》(1931)は当時このテーマに関して非常に先端を行く研究成果で、《インスピレーションの解剖学》(1940)もまた今日においてもなお示唆に富み、アイデアを与えてくれる著作だと思われます。(ブリス・ポゼ、訳/中西充弥




ましてや今は遠き世に――器楽の「復元」という試み
杉本舞(関西大学准教授)

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 今でもよく覚えている。あれは私が中学生の頃、当時師事していたピアノ教師からベートーヴェンのソナタ第1番 Op.2-1 を課題に出されたときのことだった。レッスンで指導を受けた後、自宅のグランドピアノでおさらいをしながら「なんでこんな曲なんだろう」と思ったのだ。ベートーヴェンの作品は総じて好きだった。第1番も気に入って、よく練習していた。なのに、弾けば弾くほどしっくり来ない。なんだか「うまくない」。飛んだり跳ねたり転がったりする音の流れに、教師の言うとおりのメリハリをつけて弾くのだが、何故か「鳴り過ぎているのにスカスカ」というような訳の分からないことになってしまう。それはもちろん、そもそも自分の演奏が下手糞すぎるからには違いないのだが、ピアノ教師の模範演奏を聞いても、市販のCDを聞いても、何かがちぐはぐのまま残るのである。どんな演奏なら自分の感覚にしっくりくるのかわからない。ベートーヴェンは何故こんな、どう弾いてもしっくりこないような曲を書いたのか。「ピアノソナタ」なのに、はたしてこの曲はピアノという楽器に寸法が合っているのだろうか。あるいはベートーヴェンのピアノソナタ自体がそもそも「こんなもの」なのか。それとも自分の感覚が変なのか。……結局、好きな曲なのに好みの演奏に出会えないまま曲のレッスンは終わってしまい、ただ漠然とした違和感が頭の片隅に残ったのだった。
 ところが、2008年に大井氏がヨハン・アンドレアス・シュタインのフォルテピアノでこのベートーヴェンのソナタ第1番を演奏するのを聴いたとき、それまでの十数年間に及ぶ疑問はあまりにもあっけなく溶け去ってしまったのだった。シュタインのフォルテピアノは、飴細工のような質感の、みやびで繊細で大きすぎない、よく響く音を出していた。モダン・ピアノとはまったく違う方向性の表現力。モダンに比べて、ダイナミックレンジが制限されているのだけれど、それが良い。残響が大きすぎず、わりと歯切れがよく、しかし鋭すぎないのが良い。フォルテピアノ上では、少ない音で構成されたシンプルな曲想は、鳴り過ぎることも切れすぎることもスカスカになることもなかった。形容しがたい艶のある音で綴られたソナタ第 1 番は、まさしく楽譜上の表現の「寸法通り」だった。「なんだ、そういうことだったのか」と思った。何のことはない、単にこの曲はピアノ―モダン・ピアノのための曲ではなかったという、ただそれだけのことだったのだ。


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 ロンドンの科学博物館に、1991 年に復元された一台の機械式計算機が展示されています。この機械は、もとはイギリスの数学者チャールズ・バベッジが 1847 年から 49 年にかけて設計したものです。航海用の天文表を効率よく計算したいという動機から計算機の製作を企画しはじめたバベッジは、結局生涯をかけてその作業にのめりこみ、何台もの試作機と大量の設計図を残しました。博物館の技術部が 6 年半をかけて復元したのは、設計されたもののついに組み立てられることのなかった「第二階差機関」と呼ばれる複雑な機械で、手回しで動き、計算だけでなく印字まで行う機能のあるものでした。技術部は当時の技術水準や、実際に製作されたならば利用されただろう材料を慎重に判断しながら何千個もの部品を組み立て、これを動作させることに成功しました(*) 。
 博物館では、歴史的な文化財を補修・補完したり、あるいは古い文化財を分析してその製作工程を明らかにし、同じものを新しく製作する、「復元」とよばれる作業がしばしば行われます。こういった復元には、文化財の保存という目的があるだけでなく、それ自体が歴史研究の一環として行われるという側面があります。技術史の研究でも、古い設計図やスケッチに基づいて、作者の意図した事物を当時の条件にできるだけ忠実に復元する、実験的試みが行われることがあります。こういった試みが行われるのは、その事物が実際に製作可能なものであったのかどうか、またそれがどのような機能をもっていたのかといった、紙に書かれたことを分析するのではわからない事実や作者の意図が復元から明らかになることがあるからです。たとえば、先に述べたバベッジの計算機復元では、設計図を見るだけではわからなかった内部機構の機能や、バベッジの設計が当時の技術水準でおおむね実現可能であったということなどが判明し、バベッジ研究に進展をもたらしました。

 ただ、どれほど当時の技術水準を吟味して再現し、どれほど精密さを期そうとも、出来上がった復元物は作者が当時作ろうとしたもの(もしくは作ったもの)そのものではありえません。材料調達や取るべき手順の決定など、その作業はしばしば困難です。それでも復元が試みられるのは、紙に書かれた情報を五感でとらえられる形へと具現化することで初めて「わかる」何かが確実にあるからです。それが「復元」とよばれるあらゆるプロジェクトの肝だと言って良いでしょう。
 また、こういった研究手法は、とりわけ科学史・技術史の場合には、歴史的事物を当時の文脈に置き、現代的な後付けの視点からは解釈しないという科学史・技術史研究の基礎的態度に、慎重に裏打ちされなければなりません。われわれは、今の科学・技術の水準を「高み」であるとみなし、人類がそこに向かって直線的に知識を蓄積してきた、あるいは科学研究・技術開発を行ってきたと考えがちです。現代の技術に比べて、過去の技術には何が「足りなかったか」という視点を持ってしまうことが往々にしてあります。しかし、実際には過去の事物と現在の事物はそれほど簡単には比較できません。事物の歴史的評価は、その時代の社会的・思想的背景を含む、複雑な関係性のなかに位置づけながら行わなければならないからです。現代の主流・常識が、過去の主流・常識であったことが、まず無いと考えられる以上、過去の技術を一概に「足りなかった」とはいえないのです。

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 さて、作品を作曲当時にできるだけ近い状況・環境・文脈に置いて再現を試みるという意味で、古楽の演奏会は、上述の「復元」プロジェクトに似た構造を持ちえます。その時々の鍵盤楽器のために書かれてきた作品について、歴史的に真価を問おうとするならば、現代的な後付けからの解釈――モダン・ピアノに密着した解釈から離れてみる必要があります。フォルテピアノはモダン・ピアノとは似て非なる楽器です。作品そのものと作曲当時に使用されていた楽器は、本来切り離すことはできません。作曲当時により近い条件で作品を演奏すれば、楽譜だけ、あるいは楽器だけを観察・分析するだけではわからなかった何かが立ち現れる可能性があります。たとえ歴史的な価値を問う気がなくても、作曲者の意図を知りたいならば、作品を歴史的な文脈の中に置いてみるべきです。歴史的文脈の網目の間には、作品の中には直接書かれていないある種の空気が満ちており、作品のありようはその空気に決定的に影響されているからです。
 とはいえ、事態はより複雑です。なぜなら、器楽は楽器、作品、作曲者、演奏者、聴衆という多数の要素が絡み合って構成されたものであり、作品は本来、その網目の中で意図を与えられ演奏されてきたものであるからです。いざ楽器と演奏者をもってきて当時の状況を再現しようとしたとき、そこには単なる古物や古い機械の復元の範囲を越えた、独特の問題が立ちふさがります。
 大前提となるのが、まず楽器の再現性の問題です。これはあらゆる「復元」につきまとう課題ですが、古楽器を含む歴史的機械が、本当に当時使われていたそのままの状態で復元されることは、まずありえません。これは長年保管されていた古楽器を用いる場合も同様です。楽器には日々のメンテナンスの手順や頻度、老朽化に伴う補修に使われる技術などが必要ですが、これらは長年の間に必ず何らかの変化をこうむっています。機械にまつわる暗黙知は決して保存されえません。これは避けがたいことです。また、補修やメンテナンスに必要な材料(たとえば木材や金属材料など)も、当時のままというわけにはいきません。

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 楽器に様々なバージョンがある場合には、どの楽器で演奏するかという問題も重要です。たとえばベートーヴェンはウィーン式とイギリス式の両方のフォルテピアノを所有していました。ベートーヴェンがどの楽器を好んだのかというのは興味深い問題ですが、ベートーヴェン作品の行間ならぬ「五線譜間」の意図を明らかにするには、ウィーン式だけではなくロンドン式のフォルテピアノで演奏され、比較される必要があるかもしれません。また、「採用されなかった」「好まれなかった」と言われる楽器に注目することも大切です。最終的に採用されたり、主流になったりしたものは、歴史の中で選ばれるべくして選ばれたのではないことも多いからです。
 次に、演奏法の再現性です。言うまでもなく、楽器の演奏法は(楽器製作と同じく、もしくはそれ以上に)暗黙知の塊です。その曲を弾くとき、どのように身体を使うべきであったのかは、伝わっている伝統的奏法、史料や作品の分析、楽器の機構による制約、そして自分の身体そのものによる制約などから推測するしかありません。
 ただし、器楽の場合、楽器の機構による制約そのものが復元を試みる際のヒントとなっている側面はあるでしょう。作曲当時の演奏は、鍵盤の幅や弾いたときのタッチ、ダイナミックレンジといった、当時使われていた楽器の特徴や制約のなかで可能な表現であったはずです。その点、楽器を使わず声だけを使った芸能などでは、復元が難しいことが少なくありません。たとえば日本の伝統芸能である能は、現在ではゆっくりとした重い曲調や、強吟と呼ばれる唸るような謡い方で特徴づけられていますが、室町当時は曲によっては現在の半分以下という遥かにスピーディな上演時間であったそうですし、強吟という謡い方は存在しなかったと言われています。江戸期を通じて変化した能の上演スタイルの元の姿は、現在のそれとはかけ離れたものだったのです。しかし、史料も少なく、機械による制約といったようなヒントも残されていない今となっては、かつての姿の再現はおそろしく困難な試みとなっています。

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 第三に楽器と演奏者をとりまく環境の再現性です。楽器はどこに置かれたのか。それはどれくらいの大きさのどのような部屋だったのか(もしくは戸外だったのか)。聴衆は何人くらいで、どこに座り、何をしながら(あるいは何もせずに?)聴いていたのか。作曲者はこの曲がどのような環境で弾かれることを想定していたのか、そして演奏者が実際どこで弾いたのか。聴衆なしに音楽がありえない以上、本当に当時の状況を再現するならば、この要素を無視するわけにはいきません。
しかも、フォルテピアノの場合、座る位置の微妙な差異でモダン・ピアノとは比べ物にならないほど聞こえる音に違いが出ます。2008年7月に大井氏によるアントン・ヴァルターのフォルテピアノ演奏(於:京都文化博物館別館ホール)を鑑賞した際、会場内で座る場所を変えると、別の楽器かと思うほど聞こえる音に差がありました。演奏者側の前から 2 列目に座って聴いたときは、音はどこか少し遠くで鳴っており、強弱もそれほど感じられず、趣味良く可愛くこじんまりした印象があったのですが、そののち席を替え反響板側で残りを聴いたところ、音量は大迫力、機構の動作音も聞こえますし、強弱のメリハリに至っては明らかに作品の差を超えた違いでした(大井氏によれば、楽器の中に頭を突っ込んで聴けば、さらに違う音が聴けるとのことです)。座る場所がたった数メートル変わるだけで明らかな差が出るということは、フォルテピアノがモダン・ピアノと同じ環境で聴かれた楽器ではないということを示唆しています。

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 結局のところ、当時の状況の完璧な「復元」は不可能なのです。多数の要素の絡み合った「器楽」というものの構造、さらには演奏者がこれまで受けてきた教育課程や、聴衆の音楽経験や期待といった、演奏とその鑑賞に影響を与えるさまざまな社会的条件が、事態をさらに複雑にしています。しかし、それを承知のうえで敢えて器楽作品の「復元」を試みることに意味があるのは、楽譜に書きようのない、現代的演奏では欠落してしまう何かが、その試みの中で緩やかに立ち現れるからにほかなりません。堆く積みあがった解釈と変革の上にあるモダン・ピアノによる音楽は、それはそれ自身として価値のあるものです。しかし、ひとときそれを忘れて、モダン・ピアノに無いきめ細かな音の膚触りや、現代とはまったく異質の美意識を味わうとき、我々は作曲者の語る言葉なきメッセージに一歩近いところにいるのです。


(*) Science Museum, “Charles Babbage’s Difference Engines and the Science Museum,” July 18, 2023.
Swade, Doron. "The Construction of Charles Babbage's Difference Engine No. 2." IEEE Annals of the History of Computing 27.3 (2005): 70-88.





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by ooi_piano | 2023-12-05 02:39 | Schubertiade vonZzuZ | Comments(0)

Blog | Hiroaki Ooi


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