人気ブログランキング | 話題のタグを見る

1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]

1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02304499.jpg

大井浩明(フォルテピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)Google Map

使用楽器 ヨハン・クレーマー(Johann Krämer)製作フォルテピアノ(1825年ウィーン、80鍵、4本ペダル、430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]

4000円(全自由席) [3公演パスポート 11,000円]
お問い合わせ poc@artandmedia.comアートアンドメディア株式会社
チラシpdf(



【第3回公演】 2024年1月19日(金)19時開演(18時半開場)

F.シューベルト:《4つの即興曲 D 935》(1827) 30分
I. Allegro moderato - II. Allegretto - III. 主題と5つの変奏 - IV. Allegro scherzando

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第15番ハ長調「レリーク」 D 840》(1825/2017)
[M.フィニッシーによる補筆完成版(*)/日本初演] 35分
  I. Moderato - II. Andante - III. Menuetto (*) - IV. Finale (*)

 (休憩10分)

小林純生(1982- ):《ポホヨラの火の娘たち》(2023、世界初演) 6分

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第19番ハ短調 D 958》(1828) 30分
I. Allegro - II. Adagio - III. Menuett. Allegro - IV. Allegro

[使用エディション:新シューベルト全集(1984/2023)]





M.フィニッシー:《シューベルト クラヴィアソナタ D 840 メヌエット/フィナーレ楽章の補筆》(2017、日本初演)

1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02335434.jpg
 シューベルトをはじめとする過去の作曲家たちの音楽が、コンサート演目やレコード・カタログの中で重要な位置を占め続けている今、私はしばしば自分の作品の中で、この「文化的状況」を分析し、有意義に考察しようと試みている。尤も、巧緻さを競ったり、直接引用したり、パロディやフェイクに走ることは避けている。そうではなく、「クラシック」音楽の内容のさまざまな側面に思慮深く疑問を投げかけ、向き合い、発見したものを自分自身の創作物と同様に扱うのである。その結果は、ある種の肖像画作法、「再映像化」「再編集」されたモンタージュであり、音楽史の諸相を今日の世界(と現代の作曲手法)から選択的に再構築したものと考えている。

 シューベルトがピアノ・ソナタ D840を作曲し始めたのは1825年4月のことで、あちこちが未完成であった事もあり、初めて出版されたのは彼の死後33年経った1861年のことだった。最初の出版物の編集者であるF.ホイッスリングは、第1楽章(モデラート)に細かな加筆修正を加え、第2楽章(アンダンテ)の24小節の終わりと87小節の始まりの間の「隙間」を埋めた。現存する第3楽章(メヌエット)の自筆譜には、17小節から80小節までと、トリオ(95小節から122小節)までしか書かれていない。1877年から現在に至るまで、この楽章の「様式的に一貫した」11の代替的な補筆例が存在する。しかし、第4楽章(フィナーレ)については現在何も残っていない。

 メヌエットにおける空白部を、私は1825年と2017年の間のどこかに位置する曖昧な方法で埋めた。フィナーレは明らかに内省的で「現代的」だが、それにもかかわらず、ソナタの他の3つの楽章や、アウグスト・フォン・プラーテン(1796-1835)の詩による2つの歌曲《貴方は私を愛していない D 756》《愛は裏切られ D 751》を引用している。この補筆(2016-17)は、ロンドン王立音楽アカデミーでジョアンナ・マクレガーから紹介された彼女の弟子、イェフダー・インバールの委嘱により作曲された。(マイケル・フィニッシー)



小林純生:《ポホヨラの火の娘たち》(2023、委嘱新作)
 この作品において最も重視されているのは、幻覚的な作用をもたらす音群を論理的に構成することである。シェパード・トーンと三全音パラドックスと呼ばれる二つの特殊な音響が用いられており、音が上行しているのか、下降しているのか、分かりづらく、聞きながら辿っていく音階は気付けば別の位置に存在する。幻覚をもたらすというと、不快なものにも捉えられるかも知れないが、この作品ではむしろ、特徴的な美学を想起させることを目的として幻覚が用いられている。
 幻覚で描かれるのは、フランスの作家、ジェラール・ド・ネルヴァル的な書法での、火のように不定で捉え難い、混濁して歴史によって色褪せた記憶と焦燥した意識下の描写による、女性である。ネルヴァルは、幸か不幸か、先天的にこういった描写が可能だった人物であり、今なお比類ない書法をもった作家だと言える。この作品はそういった生まれつきの書法を後天的に再現しようとしているとも考えられるだろう。ペダリングに関しては演奏者に委ねられているが、その一方で、幻覚的作用を実現するために正確な音量のコントロールが求められている。(小林純生)


小林純生 Sumio Kobayashi, composer
1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02315001.jpg
 1982年、三重県菰野町生まれ。三重県私費海外留学生奨学金を受け、英国ケント大学博士後期課程修了、博士(言語学)。日本音楽コンクール (2009)、 国際尹伊桑作曲賞 (2011/韓国)、ICOMS国際作曲コンクール (2011/イタリア)、 アルヴァレズ室内オーケストラ作曲コンクール (2012/英国)、 武満徹作曲賞 (2013)、 パブロ・カザルス国際作曲コンクール (2015/フランス)、ワイマール春の音楽祭作曲コンクール (2016)、ブロツワフ国際作曲コンクール(2016/ポーランド)等に入賞・入選。アイコン・アーツ現代音楽際 (2013/ルーマニア) 、武生国際音楽祭 (2010/2013/2014)、統営市国際音楽祭 (2015/韓国) 、メロス・エトス国際現代音楽祭(2015/スロバキア)等で、アンサンブル・カリオペ、アンサンブルTIMF、東京シンフォニエッタ、東京フィルハーモニー交響楽団、アンサンブル・ミセーエン等により作品が演奏されている。日本大学芸術学部専任講師。http://sumiokobayashi.com/



小林純生・作品リスト(音源リンク付)


駆ける緑、うねる青 (2009) 11.5'
ピアノ五重奏のための

アメジストの樹の上から (2010) 12.5'
フルート、オーボエ、クラリネット、ヴァイオリン、チェロとピアノのための

草とサファイアの平原 (2011) 11.5'
オーケストラのための

雪のなかのヒバリ (2012) 13.5'
フルートと弦楽オーケストラのための

馥郁たる月の銀色のノート (2013) 10'
フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとハープのための

水中の雪 (2014) 15'
クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスとピアノのための

水が咲いて (2014) 15'
フルート、クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとピアノのための

森から聞こえるのは… (2014/2015)
リコーダーのための

レクイエムズ (2015) 10'
オーケストラのための

《フーガ ~ モーリス・ラヴェルを頌して》(2016、大井浩明委嘱作) https://www.youtube.com/watch?v=N-zYvn721do

ファンタジー I・II (2016) 6' 6'
ヴァイオリンのための

小人の音楽 (2016) 15'
オーケストラのための
ノスタルジア (2018) 11'
フルート、クラリネット、ピアノとヴァイオリンのための

ミラージュ (2019) 10’
ヴァイブラフォン、ヴァイオリンとチェロのための
アンリアル・レイン (2020) 5'
ピアノのための

オープン・ユア・ストリングス (2023) 4’
弦楽オーケストラのための

ロマンス (編曲作品 2023) 8’
ピアノのための


1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02350538.jpg



シューベルトに魅せられた人々、受容史の万華鏡
白石知雄(音楽学)

 シューベルトはヨハン・シュトラウス父子と並ぶ生粋のウィーンっ子、古都の秘蔵っ子として愛されているが、人なつこい外見の裏に未完成交響曲や「冬の旅」の荒涼とした闇が口を開いている。同主長短調のポジとネガのような反転は、優しさと孤独が背中合わせであることの端的な表現に聞こえる。しかも31歳で生涯を終えてから10年以上、重要な作品が埋もれていた。没後の評価を含めてのシューベルトであり、実像と後世の虚像を簡単には切り分けられない。以下、その概略を俯瞰してみよう。

 フランツ・シューベルト(1797〜1828)の父親はウィーン近郊で小学校長を務める名士で、フランツ少年は王宮礼拝堂の合唱団員に選ばれて、宮廷音楽家サリエリから特別レッスンを受ける優秀な生徒だったが、ナポレオン戦争後の不景気もあり定職が見つからず、友人の家を転々とする。
 ただし歌曲や舞曲、ピアノ小品は生前にウィーンで順調に出版・演奏されていたことがわかっている。三大歌曲集に現れる弱々しい自己愛は、ドイツ文化史で言う「新興市民の微温的ビーダーマイヤー」なのか、凡庸を嫌うロマン主義の価値反転なのか。そして交響曲やソナタを書き続ける諦めの悪さは、弱々しい自己愛と順接するのか逆接するのか。シューベルトの「実像」のわかりにくさは、このあたりに帰着する。

1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02460291.jpg
 シューマン、リスト、ベルリオーズなどシューベルトの没後1830年代にデビューした若い世代の態度は明快で、彼らはロマン主義の名の下に、シューベルトを独創的な「器楽」の先駆者として評価した。
 リストは歌曲のピアノ・トランスクリプションを量産して、「さすらい人」幻想曲を華麗な協奏曲に作り替え、ベルリオーズは「魔王」を管弦楽伴奏に編曲した。歌曲から言葉を引きはがし、圧倒的な超絶技巧や極彩色の楽器法でシューベルトを「絶対音楽」「言語を越えた王国」に迎え入れる。ライプツィヒでは、シューベルトの「大ハ長調」交響曲発掘・初演(1839年)に関わった2人が、「大ハ長調」と同じように金管楽器の主題ではじまる「春の交響曲」(シューマン、1841年)とカンタータ交響曲「讃歌」(メンデルスゾーン、1840年)を書いた。パリのドイツ派、ドイツのベートーヴェン主義者は、いずれもシューベルトに敬意を払った。

 1850年生誕100年のバッハ全集を皮切りに、19世紀後半、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社は大作曲家の作品全集を次々出す。シューベルトの作品全集は没後百年の1897年に完成した。
 ブラームスは傑作と凡作をいっしょくたにする「作品全集」という出版形態に懐疑的だったとされるが、案の定、量は質に転化する。室内楽や宗教音楽の全貌が知られて、シューベルトの評価は、「ロマン派の先駆者」から「最後の古典派」、ベートーヴェンに匹敵する「本格派」へと塗り替えられた。そして「シューベルトはロマン派か古典派か」という果てしない議論がはじまるのだが、「古典的vsロマン的」のヘーゲル風観念論はともかく、シューベルトが18世紀の音楽文化と地続きの素養を持っていた可能性は考察に値するだろう。寄宿学校時代にサリエリの個人指導を受けたとき、その場にどんな楽器があったのか。フォルテピアノかチェンバロか、あるいはクラヴィコードだったのか・・・。ヴァイオリンとクラヴィアが親密に語り合う初期の愛らしいニ長調ソナタ(二つの楽器は室内楽としても異例なほど「距離が近く」感じられる)や、指先が鍵盤上を転げ回る変ホ長調の即興曲(指先で愛でる無窮動のミニチュア感はショパンの即興曲につながる)は、ずんぐりしていたと伝えられるシューベルトの体型だけの問題ではないかもしれない。

1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02475377.jpg
 19世紀に「大作曲家」の作品全集(いわゆる「旧全集」)はケルンの大聖堂やベルリンのフリードリヒ大王馬上像と同根で、「音楽の国」ドイツ帝国のナショナル・アイデンティティの誇示と総括されても仕方がない面がある。
 一方、第二次大戦後に出版社と研究機関が総力をあげた「新全集」は、CERNやNASAの大規模プロジェクトを連想させる。O.E.ドイチュの一連の「ドキュメント」は、足で稼ぐ犯罪捜査に似た実証主義の極みだが(楽譜の年代特定には新バッハ全集でおなじみの筆跡鑑定・透かし調査が威力を発揮)、膨大なデータを蒐集したのは、その先に19世紀的観念論とは水準の違う理論的・美学的「発見」があると信じられていたのだと思う。
 事実、新シューベルト全集の編集主幹W.デュルは、「声楽における言葉と音楽には不可避的なズレがあり、それが声楽に豊かさをもたらす」という主張を言語学で補強しながら展開した(『19世紀のドイツ独唱歌曲』)。K.シュトゥッケンシュミットからベルリン工科大学音楽学講座を引き継いだC.ダールハウスは、「主題的コンフィギュレーション」というドライな言い回しでシューベルトのト長調の弦楽四重奏曲を分析した。極端に鋭い付点リズム、ゼクエンツ風の半音下降、同主和音への反転などの特徴的なパラメータの束が、まるでデジタル機器の「カスタム設定パネル」のように舞台裏で楽曲を制御しているという見立てである。この分析はダールハウスが準備中だったベートーヴェン論(『ベートーヴェンとその時代』)の副産物で、後期ベートーヴェンとシューベルトがほぼ同等の抽象度で音楽を捉えていたという歴史的な見取り図が議論の背景にある。
 戦後西ドイツ学派の楽曲分析はちょっと偏屈で高精度な職人芸、ライカのレンジファインダー機のようなところがある。シューベルトの「冴えない豊かさ」は楽曲構造、音楽思考の問題でもある。

 20世紀末から音楽論・音楽研究の焦点は社会史とメディア史(音が織りなす構造体としての音楽というより、人間たちの行為・交流としてのミュージッキング)に移っている。帝国のエリートたちを夢中にさせた詩と音楽の会とは、具体的にどういうものだったのだろう。サリエリの弟子シューベルトと引退した宮廷歌手フォーグルがそれほどおかしな演奏をしていたとは思えないが、衆人環視のショウアップされた「本番」ではなかっただろう。現在の音楽会にその空気感を蘇らせることはできるのか。歴史情報化(Historically informed)されたシューベルティアーデを体験してみたい。



by ooi_piano | 2023-12-29 01:54 | Schubertiade vonZzuZ | Comments(0)

Blog | Hiroaki Ooi


by ooi_piano