![9/18(水)クセナキス《エオンタ 𐠭𐠛𐠃𐠁 》+全ピアノ独奏曲他 [2024/09/08 update]_c0050810_12391643.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202408/18/10/c0050810_12391643.jpg)
〈日本・ギリシア文化観光年2024記念事業〉
大井浩明ピアノリサイタル
2024 : Έτος Πολιτισμού και Τουρισμού Ιαπωνίας- Ελλάδας
Ρεσιτάλ πιάνου Χιροάκι ΟΟΙ
2024年9月18日(水)19時開演(18時半開場)
全自由席 5,000円
![9/18(水)クセナキス《エオンタ 𐠭𐠛𐠃𐠁 》+全ピアノ独奏曲他 [2024/09/08 update]_c0050810_12393653.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202408/18/10/c0050810_12393653.jpg)
【演奏曲目】
マイケル・フィニッシー(1946- ):《ピアノ協奏曲第4番》(1978/96) 17分
ヤニス・クセナキス(1922-2001):《6つのギリシア民謡集 Έξι τραγούδια》(1950/51) 10分
1.「麝香は香る Μόσκος μυρίζει」
2.「かつて私には愛があった Είχα μια αγάπη κάποτε」
3.「ウズラが一羽降りていた Μια πέρδικα κατέβαινε」
4.「クレタの修道士が三人 Τρεις καλογέροι κρητικοί」
5.「今日、天は黒い Σήμερα μάυρος ουρανός」
6.「ススタ Σούστα」
《ヘルマ(胚) - 記号的音楽 Έρμα - Συμβολική μουσική》(1961) 7分
《エヴリアリ Ευρυάλη》(1973) 9分
(休憩 15分)
《靄 Ομίχλες》(1980) 11分
《ラヴェル頌 στον Ραβέλ》(1987) 3分
《エオンタ(存在するものども) Εόντα 》(1964、ピアノと金管五重奏) 19分
【客演】
〈演出補佐〉田中敏文(金剛流シテ方、重要無形文化財保持者)
〈指揮〉大井駿(第1回ひろしま国際指揮者コンクール第1位)
〈トランペット〉高橋敦(東京都交響楽団首席)、服部孝也(元・新日本フィルハーモニー交響楽団首席、昭和音楽大学准教授)
〈トロンボーン〉小田桐寛之(元・東京都交響楽団首席、日本トロンボーン協会会長)、伊藤雄太(日本フィルハーモニー交響楽団首席)、菅貴登(中部フィルハーモニー交響楽団首席)
●CD《シナファイ》
CD《エリフソン》評ほか
●クセナキス《シナファイ》 作品概説等 [2005.09.29]
●同曲ライヴ映像についての雑記 [2007.08.01]
●クセナキス《エリフソン》と《ホアイ》の素材援用について [2004.06.22]
●クセナキス《シナファイ》 作品概説等 [2005.09.29]
●同曲ライヴ映像についての雑記 [2007.08.01]
●クセナキス《エリフソン》と《ホアイ》の素材援用について [2004.06.22]
■Portraits of Composers 第6回公演 クセナキス全鍵盤作品によるリサイタル(没後10周年記念) [2011.9.23]
■クセナキス《ケクロプス》日本初演 [2022.02.24]
●野々村禎彦監訳《形式化された音楽》(筑摩書房) [2017.9.25]
●野々村禎彦インタビュー [2018.02.14]
クセナキスの音楽をどう聴くか(野々村禎彦)
現代音楽を結構聴いている人でも、クセナキスというと、現代数学がアレする作曲理論でよくわからない、という先入観があるようだ。パソコンが普及したおかげで、コンピュータで計算して作りました、というだけで敬遠する人は、さすがに少なくなってきたとはいえ。だが、音楽を聴く時に作曲理論を気にする方がおかしいのではないだろうか。誰が和声連結の禁則を 気にしながらロマン派の音楽を聴くだろうか。
そもそも彼自身も、この作曲理論をそれほどシリアスに捉えていたわけではない。とりあえずコンピュータに計算させても、楽譜に変換する際にかなり「感覚的修正」を施していたというし、現代音楽界での評価が定まってからは、直観的な作曲法へ転向している。音楽は素人同然の青年がギリシャなどというヨーロッパのド田舎からパリにやって来て、セリー技法を駆使する秀才たちにナメられないように「科学的」に理論武装しようとしたあたりが、いかにもイデオロギー論争で鍛えられた元左翼ゲリラらしいなあ、というくらいに思っておけばいい。彼の理論はインチキだとイチャモンをつける人も少なくないが、それこそ野暮というものだろう。大学初年度レベルの数学を使っただけであれほどダイナミックでドラマティックな音楽が出来てしまうはずなどないことは、最初からわかりきっている。
とは言っても、いわゆるクラシック音楽とはかなり違うことは確かなので、どのあたりにポイントを絞って聴くのかを考える際には、作曲の背景を多少気にしてみるのも悪くない。まず、個々の音は最終的にはランダムに選ばれているので、「メロディ」をたどってもしかたない(「ヘルマ」は特に)。彼が決めたのは、もう少し長い時間スケールの間に鳴る音の種類や密度だけなのだから、詰め込まれた音の数の多さに惑わされずに、響きの移り変わりをゆったりと聴いていればいい。MTVによく出てくる、数秒ごとにパターンの変わるコンピュータグラフィックスを眺めるような感じ、とでも言おうか。
そして、クラシック音楽のような洗練された形式があるわけでもないので、音楽の流れは作曲者の気持ちの流れに忠実で、それについていけばむしろ聴きやすい音楽だとも言える。しだいに盛り上がっていってふと緩む、そこで気を抜いた途端にドーンと来る。アクション映画を観るようなつもりで気楽につきあえばいい。そう思えば、ピアノ曲などはどれも10分弱で、軽いものだ。逆に、細かい音の動きに耳を奪われて、大きな流れを見失わないようにしたい。彼の作曲理論の枠組の外にある、ギリシャ古典劇を思わせる劇的な構成こそが彼の音楽の本質なのだから。彼の理論は、彼の音響へのヴィジョンと不可分のものであり、彼の理論を形だけ真似ても、面白い作品は書けない。
あとは、ただ耳を傾けるしかない。彼の音楽の最大の魅力は、音楽用語のあれこれでは表現できない剥き出しの音のパワーにあり、体の奥から湧き上がってくる言葉にならない原初的な衝動に身を任せることが、彼の音楽を楽しむためのポイントである。