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POC [Portraits of Composers] 第52~第56回公演 《先駆者たち Les prédécesseurs IV》 [2025/01/25 update]

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大井浩明 POC [Portraits of Composers] 第52~第56回公演
《先駆者たち Les prédécesseurs IV》
4,000円(全自由席)
お問い合わせ poc@artandmedia.com (アートアンドメディア株式会社)

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【POC第52回公演】 2024年10月31日(木)19時開演(18時半開場)
A.ウェーべルン(1883-1945):《ピアノのための楽章》(1906)、《ソナタ楽章(ロンド)》(1906)、《パッサカリア Op.1》(1908/2013) [杉山洋一編独奏版]、《5つの歌曲 Op.3》(1907/08)、《5つの歌曲 Op.4》 (1908/09)、《4つの歌曲 Op.12》(1915/17)、《4つの歌 Op.13》 (1914/18) [作曲者編ピアノ伴奏版] 、《子供のための小品》(1924)、《ピアノのための小品》(1925)、《3つの歌 Op.23》 (1934)、《協奏曲 Op.24》 (1934/2024) [米沢典剛編独奏版、世界初演]、《3つの歌曲 Op.25》 (1934/35)、《ピアノのための変奏曲 Op.27》 (1936)、《管弦楽のための変奏曲 Op.30》(1940/2016) [米沢典剛編独奏版、世界初演]、《カンタータ第1番 Op.29》(1939)より第2曲/《カンタータ第2番 Op.31》(1943)より第4曲 [作曲者編ピアノ伴奏版]



【POC第53回公演】 2024年12月7日(土)18時開演(17時半開場)
若松聡史(1983- ):《暈色 "Iridescence" for extended piano》(2024)
A.ベルク(1885-1935):《ピアノソナタ》(1908)、《弦楽四重奏曲 Op.3》(全2楽章、1911/2017)[米沢典剛編曲独奏版、世界初演]、《抒情組曲》 (全6楽章、1926/2016)[米沢編独奏版、東京初演]、オペラ《ヴォツェック》第1幕第3場より「マリーの子守唄」(1922/1985)[R.スティーヴンソン編]、オペラ《ヴォツェック》第2幕第4場より「居酒屋のワルツ」(1922/1987)[Y.ミカショフ編]、オペラ《ルル》に基づく幻想曲 (1935/2008)[M.ウォルフサル編]

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【POC第54回公演】 2025年1月31日(金)19時開演(18時半開場)
川上統(1979- ):《鬼大嘴 Tucano》(2025、委嘱初演)
H.ヴィラ=ロボス(1887-1959):《赤ちゃんの眷属》第1組曲「お人形たち」(全8曲、1918)/第2組曲「小さい動物たち」(全9曲、1921)、《ショーロス第5番》(1925)、《野生の詩》(1926)、《ブラジル風バッハ第4番》(1930/41)、《ブラジル風連作》(1936)

【POC第55回公演】 2025年2月22日(土)18時開演(17時半開場)
〈投機者Ⅰ ヒンデミット〉
根本卓也(1980- ):《歩哨兵の一日 Ein Tag von einer Schildwache》(2024)
P.ヒンデミット(1895-1963):《3章の練習曲 Op.37-1》(1924/25)、《自動ピアノのためのトッカータ》(1925/2023)[米沢典剛編独奏版、世界初演]、交響曲《画家マティス》(1934/2016) [米沢典剛編独奏版、世界初演]、《C.M.v.ウェーバーの主題による交響的変容》より「トゥーランドット」(1943/2020) [米沢典剛編独奏版、世界初演]、《ルードゥス・トナーリス(調の手習い) ~対位法・調性およびピアノ奏法の演習(全25曲)》(1943)

【POC第56回公演】 2025年3月29日(土)17時開演(16時半開場)
〈投機者Ⅱ ショスタコーヴィチ〉
鈴木悦久(1975- ):《ドミニサイド・ダンス Dominicide Dance》(2024、委嘱初演)
P.I.チャイコフスキー(1840-1893):《管弦楽組曲第1番 ニ短調 Op.43》より「フーガ」(1879/1886) [G.L.カトワール(1861-1926)による独奏版、日本初演]
D.D.ショスタコーヴィチ(1906-1975):《24の前奏曲とフーガ Op.87》 (1952)




POC2024:戦後前衛の源流はまだ尽きない――野々村 禎彦

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 近年のPOCシリーズは戦後前衛の源流の精査に比重を移しており、一昨年の前シリーズではついに「源流の源流」のドビュッシーまで遡った。この路線もようやく一段落……ではない。むしろ今期の顔ぶれこそが、POCシリーズの真骨頂だ。まず、ピアノソロが中心だが連弾や他楽器とのデュオも含む姿勢と、編曲ものも取り上げる姿勢。ヴェーベルンとベルクはシェーンベルクに劣らず重要だが、いかんせん扱える曲は少な……くはない。通常のフォーマットの演奏会では編成によらず見えないふたりの作曲家の全貌がこの各1回で俯瞰できる。また、実際に戦後前衛の源流だったかどうかも絶対的な基準ではない。その可能性は持っていたが、何らかの理由でそうならなかった作曲家も取り上げて良いはずだ。むしろ戦後前衛の先を目指すならば、「なり損ねた人々」の方が検討に値する。ヴィラ=ロボスとヒンデミットは、まさにそういう人選である。特にヴィラ=ロボスは、従来のモダニズム史観ではあまりに軽視されてきた。代表作を網羅的に取り上げるPOC流アプローチで真価が明らかになるだろう。そしてショスタコーヴィチ。演奏機会は多いが、モダニズム史観での扱いはかなり微妙……ならばピアノソロの代表作《24の前奏曲とフーガ》の全曲演奏で検証しよう、という姿勢がPOCなのだ。ウクライナ戦争も終わりが見え、この頃にはロシア文化忌避も収まっているだろうが、それが最高潮だった昨年初春のロシア・アヴァンギャルド特集の続編でもある。

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 アントン・ヴェーベルン(1883-1945)アルバン・ベルク(1885-1935)アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)の高弟だが、無調に向かったのも12音技法を採用したのも師の導き……という単純な関係ではない。シェーンベルクは弦楽四重奏曲第1番(1904-05) や室内交響曲第1番(1906) で後期ロマン派の対位法の複雑化を進めたが、なかなか無調への最後の一歩が踏み出せなかった。他方彼は1904年から自宅で音楽の私塾を始め、そこから台頭したヴェーベルンとベルクは、「卒業制作」にあたる作品を1908年に書き上げた。ヴェーベルンの《パッサカリアop.1》はシェーンベルクの歩みに忠実な管弦楽曲だが、ベルクのピアノソナタはその域を超えて、「後期ロマン派の本質」の客体化に成功した。伝統の中心で独学で叩き上げたシェーンベルクには伝統は血肉化し過ぎて客観視できなかったが、音楽を本格的に学んだのはこの時がほぼ最初というベルクの距離感がちょうど良かったのだろう。後期ロマン派的な素材を新古典主義的に扱うスタンスはベルクの音楽の核心になる。弟子の達成からヒントを掴んだシェーンベルクは弦楽四重奏曲第2番(1907-08) 終楽章で無調への第一歩を踏み出すと、《5つの管弦楽曲》やモノオペラ《期待》を含む、1909年の無調表現主義作品ラッシュに突き進む。近年の研究では、ベルクのピアノソナタの完成は1909年中頃だと推測されているが、その時期にこの段階だと、次の弦楽四重奏曲(1910) とのギャップが大きすぎるのではないか。前年に師に草稿を見せたものの、単一楽章で終えるか他の楽章も書くかを延々と悩み、師が自分を踏み台にして無調の新作を続々と生み出すのを横目で見ながらようやく決断したのがこの時期、と考えるのがその後のベルクの筆の遅さと見比べても妥当だと思われる。
 無調の大作である弦楽四重奏曲をベルクが書き上げた頃には、シェーンベルクはこの方向性では書き尽くして次の道を模索していた。他方ヴェーベルンは師の歩みに沿って、1曲2分前後に凝縮された無調表現主義の《弦楽四重奏のための5楽章op.5》(1909) や《管弦楽のための6つの小品op.6》(1909) を書いたが、《ヴァイオリンとピアノのための4つの小品op.7》(1910) ではさらに先に進み、もはや表現主義の前提になる文学的コンテクストも切り捨てた1曲1分前後の「極小様式」に至った。シェーンベルクは早速この路線を取り入れ、《6つのピアノ小品》(1911) はヴェーベルンが乗り移ったかのようだし(6曲5分)、終生の代表作《月に憑かれたピエロ》(1912) の凝縮された構成(21曲35分)もヴェーベルン体験抜きには有り得なかっただろう。小アンサンブル伴奏歌曲という新しい方向性はブームになり、ストラヴィンスキーやラヴェルも追随した。シェーンベルクの創作力はここで燃え尽き、12音技法を開発するまで長い沈黙に入るが、ヴェーベルンは地道に極小様式の探究を進めて、初期代表作の《弦楽四重奏のための6つのバガテルop.9》(1911-13) と《管弦楽のための5つの小品op.10》(1911-13) に至る。ベルクも兄弟子の路線に影響されて、《クラリネットとピアノのための4つの小品》(1913) を書いた。無調初期における新ウィーン楽派の3人の間の密接な交流はこれで一段落し、以後は各々独自の道を歩むことになる。

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 ヴェーベルンの歩みを器楽曲のみで辿ると、素直な後期ロマン派の書法~彼の代名詞の極小様式~12音技法採用直後の複雑な作品群~《交響曲op.21》(1928) 以降の点描化と戦後前衛への直接的影響、という馴染み深い飛び飛びのイメージになる。だが、歌曲を視野に入れると後期ロマン派と地続きで無調に向かう過程(op.3, op.4)極小様式を切り上げて複雑な無調書法に向かう過程(op.12)、《交響曲》の前後で音楽様式が断絶したわけではないことの実例(op.23, op.25)も聴けることになり、より包括的なヴェーベルン像が結ばれる。これも「他楽器とのデュオ」に変わりはない。一流の奏者を起用するのもPOCの矜持で、本公演では近代ドイツ歌曲の第一人者森川栄子である。そこにピアノ独奏曲も加わると、後期ロマン派時代の2曲、12音技法採用直後の2曲、《交響曲》以降のスタイルの到達点である《ピアノのための変奏曲op.27》(1935-36) も一緒に聴ける。 さらにPOC独自の編曲ものまで加えると、《パッサカリア》、独唱とアンサンブルのための《4つの歌曲op.13》(1914-18)、《交響曲》と並ぶ12音技法後期の代表作《9楽器のための協奏曲op.24》(1931-34)、最晩年の複雑かつ豊穣な新境地《管弦楽のための変奏曲op.30》(1940) 2曲のカンタータop.29/31 (1938-39/1941-43) と、この作曲家のほぼ全貌が掴めることになる(特にop.24とop.30は、米沢典剛による新編曲の世界初演)。すなわち、カヴァーされていないのは極小様式の作品群とop.14-19の小アンサンブル伴奏歌曲群のみ、いずれも音色が本質的な意味を持ち、他楽器への置き換えができない作品群である。
 ベルクは今回取り上げられる作曲家の中ではショスタコーヴィチに次いで広く知られており、多言は不要だろう。彼の全体像を掴むには、まずはふたつのオペラ(各々無調時代と12音技法時代の最後を締めくくる)、続いてふたつの弦楽四重奏曲(各々無調時代と12音技法時代の最初に位置する)という見立ても共有されているはずだ。これを一夜で聴くことは普通には有り得ないが、編曲ものを駆使するPOCならば可能になる(もちろんオペラ2曲はごく一部の抜粋になるが)。ここでも弦楽四重奏曲2曲は、米沢典剛の新編曲に依っている(世界初演と東京初演)。ここにピアノソナタが加われば、残る主要作は室内協奏曲(1923-25) とヴァイオリン協奏曲(1935) のみだが、これら2曲もピアノソロ編曲とは極めて相性が悪いことは言うまでもない。

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 ブラジルの作曲家エイトル・ヴィラ=ロボス(1887-1959)は、1923-24年と1926-30年の2回にわたってパリで活動したが、最初の滞在では表面的なフランス音楽趣味をコクトーに酷評された。そこで彼は、ギタリストとして民衆音楽ショーロのグループに出入りし、国内各地を放浪して民俗音楽を収集した青年時代に立ち返り、ブラジルのさまざまな民俗音楽を戦略的に導入した《ショーロス》シリーズの作曲に集中し、2回目の滞在で成功を収めた。だが、一時帰国中に祖国でクーデターが起こり、政情不安でパトロンたちの支援も途絶え、パリのアパルトマンに置いてきた多くの譜面を失った。そこで彼は、クラシック音楽普及活動への資金援助という新政権の提案に乗り、チェリストとしてピアニストの妻ルシリアらと演奏旅行を重ね、新政権との距離を縮めた。1933年には音楽芸術庁初代長官に就任し、政府をパトロンにして音楽活動を続けてゆく。《ショーロス》を発展させた《ブラジル風バッハ》シリーズは、このような状況下で書かれた。ブラジル音楽と西洋音楽の融合を旗印にした両シリーズ(その中のピアノ独奏曲も今回の曲目に含まれる)を彼の代表作と見做す向きは多い。しかし彼の音楽を真に代表するのは、エキゾティシズムに還元されないブラジル音楽の本質(音楽的時間が直線的に進まず、不規則なゆらぎを含む層状の時間の上で一見単純な旋律が多彩な陰影をまとう)を抽象的なフォルムの中に浮かび上がらせた、弦楽四重奏曲とギター独奏曲だろう。どちらも自身の楽器であるチェロとギターを含む編成なのも示唆的だ。他方ピアノは、最初の妻ルシリアの楽器であり、親密な関係を築いてパリ滞在の足がかりになったアルトゥール・ルービンシュタイン(《赤ちゃんの一族》《野生の詩》の初演者)の楽器でもあるが、因襲的なピアニズムが作品の真価を覆い隠してきたことも否定できない。その真価は、《ブラジル風連作》まで代表作を網羅した今回のプログラムで明らかになる。

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 パウル・ヒンデミット(1895-1963)は戦間期ドイツを代表する作曲家=ヴィオラ奏者である。フランクフルトでヴァイオリン/ヴィオラ奏者として音楽活動を始め、第一次世界大戦後はアマール弦楽四重奏団のヴィオラ奏者として自作を含む同時代音楽を積極的に取り上げるとともに、まず表現主義的な小オペラに集中的に取り組んだ。やがて新即物主義に作風を転換し、《室内音楽》シリーズ(1922-27) が最初の代表作になった。《3章の練習曲》《自動ピアノのためのトッカータ》はこの時期に書かれた。ただし、表現主義路線・新即物主義路線とも時流に合わせた背伸びの部分はあり、過渡期に書かれた歌曲集《マリアの生涯》(1922-23) の穏やかな対位法表現が彼の本領だろう。1927年にベルリン音楽大学作曲科教授に任命されて活動の中心を移すと、まず時事オペラ《今日のニュース》(1928-29) を書いたが、作風は徐々に穏当になり、ナチス政権下でも交響曲《画家マティス》(1934)は初演時には高く評価された。他方ヴィオラ奏者としては、ヴォルフスタール(後にゴールドベルクに交代)、フォイアーマンとの弦楽三重奏団が評判になった。だが、《画家マティス》のオペラ化(1934-35) が告知されると状況は一変する。《今日のニュース》のヌードシーンやユダヤ人音楽家との弦楽三重奏団が問題視されて批判が始まり、オペラの上演は禁止された。交響曲版の初演も指揮したベルリン国立歌劇場音楽監督フルトヴェングラーの抗議文が火に油を注ぎ、結局フルトヴェングラーは解任され、ヒンデミットも大学を追われてトルコに移住し、スイスを経て1940年に米国に亡命した。彼の音楽理論の集大成でもある《ルードゥス・トナーリス》(1942) は、オラトリオ《遅咲きのライラックが前庭に咲いたとき》(1946) と並ぶ米国時代の代表作である。



by ooi_piano | 2025-01-25 16:30 | POC2024 | Comments(0)

Blog | Hiroaki Ooi


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