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POC第52回公演「歌曲で辿るウェーベルン」 客演:森川栄子(ソプラノ) [2024/10/15 update]

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《先駆者たち Les prédécesseurs IV》
4,000円(全自由席)
お問い合わせ poc@artandmedia.com (アートアンドメディア株式会社)


【POC第52回公演】 2024年10月31日(木)19時開演(18時半開場)
〈歌曲で辿るウェーベルン〉 客演:森川栄子(ソプラノ)

ウェーべルン(1883-1945):
《ピアノのための楽章》(1906) 6分

《ソナタ楽章(ロンド)》(1906) 6分

《管弦楽のためのパッサカリア Op.1》(1908/2013) [杉山洋一編ピアノ独奏版] 10分

《S.ゲオルゲの「第七の輪」による5つの歌曲 Op.3》(S.ゲオルゲ) (1907/08) 5分
  1. これはあなたのためだけの歌 2. 風のそよぎの中で 3. 小川のほとりで 4. 朝露のなかを 5. 裸木が冬の靄の中で

《S.ゲオルゲの詩による5つの歌曲 Op.4》(S.ゲオルゲ) (1908/09) 8分
  1. 序詞 - 形を持つものの世界よ 2. 誠の心に強いられて 3. そう、祝福と感謝の言葉を 4. こんなにも悲しいので 5. あなた方は炉に歩み寄った

《4つの歌 Op.12》 (1915/17) 6分
  1. 日は去りて(民謡詞) 2. 神秘の笛(李白/H.ベートゲ訳) 3. 太陽が見えたとき(A.ストリンドベリ) 4. 似たものどうし(J.W.ゲーテ)

《4つの歌 Op.13》 (1914/18) [作曲者編ピアノ伴奏版] 7分
  1. 公園の芝生で(K.クラウス) 2. 孤独な乙女(王僧孺/H.ベートゲ訳) 3. 異郷で(李白/H.ベートゲ訳) 4. 冬の宵(G.トラークル)

 (休憩10分)

《子供のための小品》(1924) 1分

《メヌエットのテンポで》(1925) 1分

《H.ヨーネの「道なき道」による3つの歌 Op.23》(H.ヨーネ) (1934) 7分
  1. 暗き心 2. 天の高みより清涼さが 3. 我が主イエスよ

《9楽器の協奏曲 Op.24》 (1934/2024) [米沢典剛編ピアノ独奏版、世界初演] 6分
  I. Etwas lebhaft II. Sehr langsam III. Sehr rasch

《H.ヨーネの詩による3つの歌曲 Op.25》(H.ヨーネ) (1934/35) 4分
  1. 何と喜ばしいことか! 2. 心の深紅の鳥は 3. 星たちよ、夜の銀色の蜂たちよ

《ピアノのための変奏曲 Op.27》 (1936) 5分
  I. Sehr mäßig II. Sehr schnell III. Ruhig, fließend

《管弦楽のための変奏曲 Op.30》(1940/2016) [米沢典剛編ピアノ独奏版、世界初演] 7分

《H.ヨーネの詩によるカンタータ第1番 Op.29》(1939)より第2曲「小さな翼、楓の種子よ、風に漂え」(H.ヨーネ)[作曲者編ピアノ伴奏版] 2分

《H.ヨーネの詩によるカンタータ第2番 Op.31》(1943)より第4曲「樹々の最も軽い荷を」(H.ヨーネ)[作曲者編ピアノ伴奏版] 1分

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森川栄子  Eiko Morikawa, soprano
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  北海道教育大学札幌分校特音課程および東京藝術大学声楽科卒業、同大学院修了。DAAD奨学金を得て93年よりベルリン芸術大学に留学、現代声楽曲をアリベルト・ライマン、声楽をエルンスト・G・シュラムの各氏に師事。94年ダルムシュタット現代音楽講習にてクラーニヒシュタイン音楽賞。96年ガウデアムス現代音楽コンクール総合第2位、第65回日本音楽コンクール第1位および増沢賞。ミュンヒェン・ビエンナーレ(細川俊夫『リアの物語』ほか)、ザルツブルク音楽祭(ラッヘンマン『マッチ売りの少女』)、ベルリン・コーミッシェオーパー(リゲティ『ル・グラン・マカーブル』)出演など、数多くの新作世界初演を含む現代声楽作品・オペラを中心に主に欧州にて活躍。国内では2005年に新国立劇場委嘱新作(久保摩耶子『おさん』)、2007年東京交響楽団定期演奏会(ヘンツェ『ルプパ』)、2009年東京室内歌劇場公演(リゲティ『ル・グラン・マカーブル』、ヒンデミート『往きと復り』)、2010年東京室内歌劇場公演(青島広志『火の鳥』)などに出演。2008年秋に帰国し、愛知県立芸術大学教授、お茶の水女子大学非常勤講師として教鞭をとると同時に、活発な演奏活動を展開している。


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《4つの歌 Op.12》第2曲
原詩:李白(701~762)「春夜洛城聞笛」

春夜洛城聞笛
誰家玉笛暗飛聲
散入春風滿洛城
此夜曲中聞折柳
何人不起故園情

春夜 洛城に笛を聞く
誰が家の玉笛ぞ 暗に聲を飛ばす
散じて春風に入って 洛城に 滿つ
此の夜 曲中 折柳を 聞く
何人か起こさざらん 故園の情

いったい誰だろう、暗闇の中を笛の音が響いてくる。
笛の音は春風の中に乱れ入り、洛陽の町中に広がる。
この夜、曲の中に「折柳」の調べを聴いた。
これを聴いて故郷を偲ばない者があろうか。

 〈・・・この詩の面白さは、初めから視覚を捨てているところにある。聴覚以外の一切の感覚を排して、ただひたすら耳を研ぎ澄まして得た事象から、客地にいる自身の心中に湧き上がる故郷への思いを詠っている。・・・〉

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《4つの歌 Op.13》 第2曲
原詩:王僧孺 (465-522)「秋閨怨」

斜光隱西壁
暮雀上南枝
風來秋扇屏
月出夜燈吹

深心起百際
遙淚非一垂
徒勞妾辛苦
終言君不知

斜光(しゃこう) 西壁(せいへき)に隱れ
暮雀(ぼじゃく) 南枝(なんし)に上(のぼ)る
風來たりて 秋扇(しゅうせん)屏(しりぞ)けられ
月出でて 夜燈(やとう)吹かる

深心(しんしん) 百際(ひゃくさい)に起(おこ)る
遙淚(ゆうるい) 一垂(いっすい)に非ず
徒(いたずら)に勞(ろう)す妾(しょう)が辛苦
終(つい)に言う君は知らずと

太陽の斜の光が西の方の壁にかくれる、
暮方の雀が南の枝に上がりすむ。
風が来て扇はのけられ、
月が出て夜の燈火が吹きけされる。

深いものおもいがいろいろのおりに起る、
遠く離れている吾身の涙は一度や二度垂れるのではなくたびたび流す。
無駄に自分の辛苦に煩わされているが、
つまりはこちらは何をしようとあなたはそれを知らぬのだと一人で言う(思う)。

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パウル・クレー《王僧孺による中国詩のコンポジション、高く輝いて月が出る、第1部》(1916)
Paul Klee "Hoch und strahlend steht der Mond" (1916)

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同 第3曲
原詩:李白「静思夜」

床前看月光
疑是地上霜
挙頭望山月
低頭思故郷

牀前(しょうぜん)、月光を看る
疑うらくは是(これ)、地上の霜かと
頭(こうべ)を上げて山月を望み
頭を低れて(たれて)故郷を思う

静かな秋の夜、ふと寝台の前の床にそそぐ月の光を見ると、その白い輝きは、まるで地上におりた霜ではないのかと思ったほどであった。
そして、頭(こうべ)を挙げて山の端にある月を見て、その光であったと知り、眺めているうちに遥か彼方の故郷のことを思い、知らず知らず頭をうなだれ、しみじみと感慨にふけるのである。


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ハンス・モルデンハウアー(1906-1987):「アントン・ヴェーベルンの死 ─記録文書の中のドラマ」(1961)(日本語訳) http://blaalig.a.la9.jp/webern_death.html


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ヴェーベルンの音楽から今日汲み取れるもの――野々村禎彦

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 1950年代の現代音楽の「主流」は、ヨーロッパ戦後前衛音楽では12音技法の発展形である総音列技法、米国実験主義音楽では偶然性の美学だが、どちらの潮流でもアントン・ヴェーベルン(1883-1945)の音楽は本質的な位置を占めている。12音技法は平均律の1オクターヴを構成する12音を、音列を用いて均等に管理する技法であり、それまでは直感とテクストの支えが欠かせなかった「無調」のテクスチュアを組織的に構造化することを可能にした。この技法の開発者シェーンベルクは「無調の組織化」が達成された時点で満足し、形式面ではむしろ伝統に回帰したが、ヴェーベルンはそれだけでは満足できなかった。3音ないし4音の音型を移高・逆行・反行させて繰り返す極度に単純な音列を用い、伝統的な形式感に沿った持続がもはや作れないような舞台を設定した上で、テクスチュアとダイナミクスや音楽の流れが一体化した作品群に結晶化させた。このような《交響曲》op.21(1928)以降のヴェーベルンの様式は生前は全く理解されなかったが、組織化を重視して音高以外の音楽要素も音列で管理した総音列技法の先駆者だとして熱狂的に支持された。ブーレーズがシェーンベルクの死に際して「シェーンベルクは死んだ、ヴェーベルン万歳!」と書いたのは象徴的な出来事だった。他方、米国実験主義音楽で注目されたのは、この時期のヴェーベルンの「音と沈黙の対位法」の側面であり、偶然性の音楽の成立にやや先んじていた。ケージとフェルドマンは《交響曲》の演奏会場で出会い、ケージが弟子入りしたウォルフに最初に与えた課題は《交響曲》全曲のスコアを写譜することだった。すなわち、ニューヨーク楽派の偶然性の美学は、彼らがヴェーベルンの音楽に見出した音符と休符を対等なものと捉える姿勢の先に成立した。

 ただし彼らが参照したのは、《交響曲》に始まり《9楽器のための協奏曲》op.24(1931-34)を経て、《ピアノのための変奏曲》op.27(1935-36)と《弦楽四重奏曲》op.28(1936-38)に至る、高々10年の作品群にすぎない。ブーレーズは先のヴェーベルン讃の数年後には、「もはやヴェーベルンの可能性は汲み尽くされた」と言い始める始末だが、勝手に矮小化しておいて汲み尽くされたも何もあったものではない。しかも彼らは、後期ヴェーベルンの音楽自体をリスペクトしていたわけですらない。様式の継承という意味では、「音と沈黙の対位法」まで受け継いだ後期ダラピッコラや後期ペトラッシの作品群はもっと注目されてしかるべきだが、実際に総音列技法で書かれた作品群は、それとは似ても似つかない饒舌な音の戯れに落ち着いた。これは、ヨーロッパ戦後前衛第一世代に限った話でもない。欧米の「芸術的」な即興音楽は、「現代音楽」の典型的テクスチュアを20年程度のタイムラグで即興で再現することで発展してきたが、1960年代後半に後期ヴェーベルンを参照して「無調」テクスチュアに取り組み始めたヨーロッパ自由即興音楽第一世代の音楽家たちが1970年前後に至ったのは、総音列技法の作品群を思わせる饒舌なアンサンブルだった。ヴェーベルンの「音と沈黙の対位法」の美学は、ヨーロッパの感性とは相性が悪いのかもしれない。他方、この美学は1950年代のニューヨーク楽派では尊重されていたものの、1960年代に入るとケージがチュードアに追随してライヴエレクトロニクスに取り組み始めたことを契機に、徐々に顧みられなくなった。

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 もちろん、1950年代のブームの終焉とともに、ヴェーベルンが再び忘れられたわけではない。生前にはシェーンベルクやベルクと比べて全く無名だった作曲家が、このブームを経て彼らに匹敵する新ウィーン楽派の一員だと認められ、評価の出発点に立ったということである。ここで、新ウィーン楽派の中でのヴェーベルンを振り返る。彼はシェーンベルクが1904年から自宅で始めた私塾に参加したが、それ以前の管弦楽曲《夏風の中で》(1904)は素朴な19世紀音楽なのに対し、楽派参加後の《ピアノのための楽章》(1906)《ソナタ楽章(ロンド)》(1906)になると、後期ロマン派的な息の長い持続が目立つ(慣れない引き延ばしが過ぎるとも言えるが)。ここからしばらくの作品は師の影響が強い。《パッサカリア》op.1(1908)は師の《室内交響曲第1番》(1906)を、《軽やかな小舟にて逃れよ》op.2(1908)は師の《地上の平和》(1907)を編成的にも否応なく想起させるが、師のような濃さはない。《『7つの環』による5つの歌曲》op.3(1908-09)《5つの歌曲》op.4(1908-09)で無調に踏み出すと、簡潔な軽やかさに後年の面影が見え始めるが、師には同じくゲオルゲの詩を用いた《架空庭園の書》(1908-09)という浮遊感あふれる無調歌曲の傑作がある。《弦楽四重奏のための5楽章》op.5(1909)や《管弦楽のための6つの小品》op.6(1909)まで来ると、無調表現主義も板についてくる。op.5は弦楽合奏版(1928-29)、op.6は室内管弦楽版(1920)も作っており、彼も思い入れは深かったようだ。だが同時期の師は《5つの管弦楽曲》(1909)で音色旋律の実験を行い、モノオペラ《期待》(1909)では表現主義の極北まで振り切っており、ヴェーベルンは常に一歩先を行く師の後を追っていた。

 だが、《ヴァイオリンとピアノのための4つの小品》op.7(1910)でついに立場が入れ替わる。表現主義の前提になる文学的コンテクストも切り捨てた1曲1分前後の「極小様式」に、師よりも先に踏み込んだ。彼独自の音楽的背景として、フランドル楽派の作曲家ハインリヒ・イザーク(ca.1450-1517)の研究を通じてルネサンス時代の対位法に精通していたことが挙げられるが、表現主義から離れて抽象的な凝縮に向かうことで、この背景も活かされる。音楽劇《幸福の手》(1910-13)の作曲が難航していたシェーンベルクは、早速この弟子の試みに飛びついた。《6つのピアノ小品》(1911))の佇まい(6曲5分)はヴェーベルンが乗り移ったかのようだし、《月に憑かれたピエロ》(1912)の凝縮された構成(21曲35分)もヴェーベルン体験抜きには有り得なかっただろう。小アンサンブル伴奏歌曲という新しい方向性はブームになり、ストラヴィンスキーやラヴェルも追随した。この作品の予想以上の成功が励みになり、またこの作品で開発したシュプレッヒゲザングという新しい歌唱法を使うことで、翌年に《幸福の手》は完成したが、シェーンベルクの創作力はここで燃え尽き、12音技法を開発するまで長い沈黙に入る。他方ヴェーベルンは地道に極小様式の探究を進め、初期代表作の《弦楽四重奏のための6つのバガテル》op.9(1911-13)と《管弦楽のための5つの小品》op.10(1911-13)に到達した。作風的にこの様式とは相容れなそうなベルクも無視はできず、この路線に沿った《クラリネットとピアノのための4つの小品》(1913)を書いている。

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 程なく第一次世界大戦が始まり3人の道も分かれてゆくが、ヴェーベルンは極小様式はそろそろ潮時だと感じて切り上げ、新たな探究に向かう。そこで彼が選んだのは、師が開拓した小アンサンブル伴奏歌曲の先を掘り進めることだった。シュプレッヒゲザングは音程を指定した朗読であり、生声の存在感と表現主義の相性の良さが《月に憑かれたピエロ》の成功の要因のひとつだったが、これは彼が求めるものではない《4つの歌曲》op.12(1915-17)で彼が選んだのは、シューベルトを思わせる素直な歌唱だった。もうひとつの《4つの歌曲》op.13(1914-18)は室内オーケストラ規模のアンサンブルを伴うが、まず一通りの楽器を使ってみて自分に必要な編成を見出そうとしたのだろう。op.14-18はみな小アンサンブル伴奏歌曲(ソプラノと2-5奏者)だが、特徴的なのはクラリネットとバスクラリネットが衝突する編成で、ソプラノ、クラリネット、バスクラリネットのための《ラテン語詩による5つのカノン》op.16(1923-24)はその典型である。ソプラノ、クラリネット、バスクラリネット、ヴァイオリン(ヴィオラ持替)のための次作《3つの宗教的民謡》op.17(1924-25)から彼は12音技法を用い始めるが、両作の様式に断絶はない。極小様式時代から「オクターブの12音が出揃った時点で曲は終わる」というオブセッションで作曲を進めてきた彼には12音技法は目新しいものではなく、シェーンベルクが弟子を集めてこの技法を講義した時の感想も、「私が10年ほど前から取り組んでいたほぼすべてのことが、そこで探究されていた」というものだった。

 ただし、12音技法採用後は作曲ペースが格段に上がった。《子供のための小品》(1924)《ピアノのための小品》(1925)で試運転を済ませると、op.17から本格的に創作に応用したが、op.14やop.15の頃は数年で1作だったペースが1年で数作になった。手探りで音を選んでいたものが組織化されたご利益である。小アンサンブル伴奏歌曲シリーズの締めくくりに混声合唱と小アンサンブルのための《2つの歌曲》op.19(1925-26)を書き上げると、《弦楽三重奏曲》op.20(1926-27)に取り組んだ。久々の室内楽でもあり、前後の1925-27年には試し書きにあたる同一編成による数作の作品番号なし小品が残されている。主旋律と伴奏からなる歌曲の構造とは違い、対等な複数の線が対位法を織りなす構造では、元々の構造と12音音列の兼ね合いを制御するのがなかなか難しい。そこで音列に内部構造を持たせて対称性を高めておけば、対位法構造を作るのはむしろ簡単になる、というのが冒頭で説明した《交響曲》op.21以降の作品群の発想の出発点である。他方、このような音列は線的構造の性格も決めてしまうため、主旋律はテクストに合わせて柔軟に生成したい歌曲には都合が良くない。従ってこの時期でも、《3つの歌曲》op.23(1933-34)《3つの歌曲》op.25(1934)では器楽曲のような音列は用いず、op.17やop.18と地続きの音世界が広がる。《弦楽四重奏曲》op.28で編成的にも一巡し、op.21以降の様式も潮時と判断したのだろう。

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 《カンタータ第1番》op.29(1938-39)以降、ヴェーベルンは対称性の高い音列を用いた音列操作を止める。元々器楽曲のための手法なので声楽曲とは相性が良くないことはわかっており、独唱も含む混声合唱と管弦楽のための作品でそうすることは不思議ではないが、《管弦楽のための変奏曲》op.30(1940)でもこの路線を貫いたところに意志が感じられる。基本音列の前半6音を完全4度に収め、後半6音は前半6音を反逆行させたものを移高してはめ込んでいるが、この程度は音列生成の定石であり、op.24のように3音音型とその反逆行型・逆行型・反行型を並べた音列を用い、この音型が音楽の核になっていることが分析せずとも聴き取れるような作品とは性格が違う。op.29のリズム構造はop.21-28を引き継いでスクエアだが、《カンタータ第2番》op.31(1941-43)はop.30の経験を経て柔軟性が増しており、主に器楽曲に反映されてきたルネサンス・ポリフォニー的側面と、主に声楽曲に反映されてきたシューベルト的側面がひとつになった、この時点での集大成的な作品になった。実のところ、機会音楽ではない後世に残すための管弦楽編曲は2曲のみ、J.S.バッハ《音楽の捧げもの》の〈6声のリチェルカーレ〉(1934-35)とシューベルト《ドイツ舞曲》(1931)であり、ルネサンス音楽の構築的な対位法表現(を集大成した後期J.S.バッハ)とシューベルトの透明な歌心という音楽的ルーツは、このような形でも明白である。

 ここまで、伝記的事実には殆ど触れてこなかったので最後に少々。彼は教職に就いたことはなく、生計は指揮で立てていた。活動初期の舞台はもっぱらオペレッタだったが、その世界に嫌気がさしてクラシック音楽の世界で仕事を探したものの上手くいかず精神的に消耗していた時期が、極小様式の探究を行っていた時期に相当する。第一次世界大戦後、ウィーン市政を社会民主党が担うようになって状況が変わる。伝統ある男声合唱団「ウィーン・シューベルト協会」の音楽監督に加え、1922年から社会民主芸術評議会音楽部門の全活動(ウィーン労働者交響楽団とアマチュア合唱団「ウィーン合唱協会」)の指揮者も担当した。演奏機会が増えるとともに評価も高まり、「マーラー以来の同時代音楽解釈者」としてオーストリア放送交響楽団やBBC交響楽団もたびたび指揮した。ベルク《ヴァイオリン協奏曲》の英国初演も担当し、録音も残されている。だが、1934年の内乱で社会民主党が非合法化されてその傘下の仕事はすべて失い、1919年から楽譜の出版契約を結んでいたウニヴェルザール社の編集や校閲の仕事で糊口を凌いだ。op.23以降の声楽曲のテクストはみなヒルデガルト・ヨーネ(1891-1963)の詩に基づいているが、多くの友人が亡くなり、ないし亡命して疎遠になる中、オーストリアで芸術活動を続け素朴な自然観を共有する彼女の存在は、晩年の孤独な彼の心の支えになった。1945年4月、ヴェーベルン一家はソ連軍が迫るウィーンを引き払って、ザルツブルク近郊ミッタージルの娘夫婦の家に身を寄せる。夜間外出禁止令が続く同年9月の夜、狭い家でつましく暮らす家族を気遣って屋外で煙草に火を点けたところを、元ナチス親衛隊員の闇商人(娘の夫)を監視していた米兵に狙撃され、そのまま亡くなった。ヨーネの詩による《カンタータ第3番》の草稿が存在し、「音楽を内包する図形」による作曲も試みていたというが、その後の方向性を伝える確たる資料は残されていない。

 ヴェーベルンの音楽から今日汲み取るべきは、その表面的な音楽様式ではなく、創作の基本姿勢だろう。ふたつの対照的な音楽をリスペクトし、それを今日の視点で統合しようとする中から新たな可能性が生まれてくる。両者は単純には統合できないものの方が、さまざまな可能性がありネタは尽きない。師シェーンベルクは突発的な創作と長い沈黙を繰り返したが、彼は経済的にも精神的にも師以上に厳しい状況の中で、寡作ながらも生涯にわたってコンスタントに作曲を続けられたのは、この創作姿勢の賜物だろう。生前は不遇だった彼は、まず戦後前衛の代弁者として(その対立する二大潮流からともに)受容されたが、後にはこの戦後前衛の二大潮流の批判者(例えばリゲティや近藤譲)からも高く評価された。一見単純だが実は奥深い彼の創作の底にあるもの――特に見過ごされがちなシューベルト的側面――を見極める上で、歌曲を中心に据えた本日のプログラムは有意義である。




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by ooi_piano | 2024-10-30 13:55 | POC2024 | Comments(0)

Blog | Hiroaki Ooi


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