人気ブログランキング | 話題のタグを見る

2025年1月31日 POC第54回公演「地誌的ヴィラロボス」 (2025/01/26 update)


《先駆者たち Les prédécesseurs IV》
4,000円(全自由席)
お問い合わせ poc@artandmedia.com (アートアンドメディア株式会社)

2025年1月31日 POC第54回公演「地誌的ヴィラロボス」 (2025/01/26 update)_c0050810_02100186.png

【POC第54回公演】 2025年1月31日(金)19時開演(18時半開場)
〈地誌的ヴィラ=ロボス Villa-Lobos em Viridian

H.ヴィラ=ロボス(1887-1959):
《赤ちゃんの眷属》第1組曲「人形たち」(全8曲、1918) 15分
 1. 白皙の娘(陶器の人形) - 2. 褐色の肌の娘(張り子の人形) - 3. カボークロの娘(粘土の人形) - 4. ムラートの娘(ゴムの人形) - 5. 黒人の娘(木の人形) - 6. 貧しい娘(ぼろ切れの人形) - 7. 道化人形(プルチネッラ) - 8.魔女(布の人形)

《赤ちゃんの眷属》第2組曲「小さい動物たち」(全9曲、1921) 28分
 1. 紙の蜚蠊 - 2. ボール紙の仔猫 - 3. 張り子のネズミ - 4. ゴムの仔犬 - 5. 木の仔馬 - 6. 鉛の仔牛 - 7. 布の小鳥 - 8. 木綿の仔熊 - 9. ガラスの仔狼

《ショーロス第5番「ブラジルの魂」》(1925) 5分

川上統(1979- ):《鬼大嘴 Tucano》(2025、委嘱初演) 7分

 (休憩)

H.ヴィラ=ロボス:
《野生の詩》(1926) 19分

《ブラジル風連作》(1936) 20分
 1. カボークロの苗植え歌 - 2. セレナード弾きの印象 - 3. 原野の祭り - 4.白色インディオの踊り

《バッハ風そしてブラジル風の音楽 [ブラジル風バッハ] 第4番》(1930/41) 15分
 1. 前奏曲(序奏) - 2. コラール(荒野の歌) - 3. アリア(頌歌) - 4. 踊り(ミウジーニョ)



<A música de Villa Lobos, ligada às suas raízes no Brasil>
Fri, 31 January 2025, 7 pm start
Hiroaki OOI, piano
Shōtō Salon [1-26-4, Shōtō, Sibuya-ku, Tokyo]

Osamu Kawakami (1979- ): "Tucano" (2025, commissioned work, world premiere)
Heitor Villa-Lobos (1887-1959) :A próle do bébé "As Bonecas" (1920) / A próle do bébé "Os Bichinhos" (1921) / Choro Nº 5 para piano (1925) "Alma brasileira" / Rudepoêma (1926) / Bachianas Brasileiras Nº 4 para piano (1930) / Ciclo brasileiro (1937)



川上統:《鬼大嘴 Tucano》(2025) 
 ブラジルの国鳥であるオニオオハシは、大きい嘴を持つキツツキ目の鳥である。「鬼」は様々な生物名でもよく使われる通り「大きい」という意味合いであり、恐ろしさはあまり感じられない。嘴が体長の大部分を占めているものの、その重さは非常に軽く、風貌のコミカルさとその重さ感が少しバグを生じさせる。もっとも、腕に乗せるとやはりずっしりとしていて、果実を器用に嘴から食べる姿は面白い異様さがある。ビビッドなカラーリングも、この軽いのか重いのかよく分からない雰囲気を謎に包んでおり、そのような風体をグルーヴ感に乗せて描きたいと思った。(川上統)

川上統 Osamu Kawakami, composer
2025年1月31日 POC第54回公演「地誌的ヴィラロボス」 (2025/01/26 update)_c0050810_08070800.jpg
 1979年生まれ。東京生まれ、広島在住。東京音楽大学音楽学部音楽学科作曲専攻卒業、同大学院修了。作曲を湯浅譲二、池辺晋一郎、細川俊夫、久田典子、山本裕之の各氏に師事。2003年、第20回現音新人作曲賞受賞。2009、2012、2015年に武生国際音楽祭招待作曲家として参加。2018年秋吉台の夏現代音楽セミナーにて作曲講師を務める。2021年ピアノトリオ組曲「甲殻」のCDがコジマ録音より発売され、雑誌「音楽現代」において推薦版に選ばれる。作曲作品は200曲以上にのぼり、曲名は生物の名が多い。現在、エリザベト音楽大学准教授、国立音楽大学非常勤講師。






ヴィラ=ロボスと向き合う――野々村 禎彦

2025年1月31日 POC第54回公演「地誌的ヴィラロボス」 (2025/01/26 update)_c0050810_06491341.jpg
 ブラジルの作曲家エイトル・ヴィラ=ロボス(1887-1959)は、ブラジル音楽と西洋音楽の融合を終生旗印にしていたのは広く知られるところであり、この方向性を前面に打ち出した《ショーロス》シリーズと《ブラジル風バッハ》シリーズが代表作とみなされることが多い。だが、そこで問題になるのは「ブラジル音楽」とは何か、ということである。

 彼はリオ・デ・ジャネイロで生まれ育ち、アマチュア音楽家の図書館員(音楽家を集めたパーティを自宅で定期的に開く名士)の父からチェロとクラリネットを学び、12歳で父を亡くした後は民衆音楽ショーロのグループに出入りしてギターの腕を磨き、映画館や劇場のオーケストラで演奏して家族の生計を助けた。大都市の民衆音楽と日常生活の一部になったクラシック音楽の現場で音楽を身に付け、アカデミックな音楽教育はほとんど受けていない(何度か試みたが水が合わなかった)。1905年からたびたびアマゾン奥地や中米を放浪して原住民や黒人の民謡を採集し、それを素材に作曲を始めた。このような生活は1912年にピアニストのルシリア・ギマランイスと出会って終わりを告げる。ふたりはチェロとピアノで共演を重ねるうちに意気投合し、翌年には結婚した。ルシリアは家族とともにヴィラ=ロボスを献身的に支え、彼も彼女からピアノを本格的に学んでこの楽器のための作品が増えてゆく。

 その後しばらくの作風は交響曲や弦楽四重奏曲のような「絶対音楽」ジャンルではアカデミックな方向性、交響詩のようなジャンルでは神話などを題材にして民俗音楽を素材にする方向性(《アマゾナス》(1917)、《ウイラブルー》(1917) など:ただし両曲とも初演は10年以上後で相当改作されている)を試みた。一般に旧植民地の文化は独立後も旧宗主国の影響下にあり、南欧のクラシック音楽はフランスを参照していることから、アカデミックな書法の手本はダンディだった。そんな彼はダリウス・ミヨー(1892-1974)を通じて近代フランス音楽(特にドビュッシー)を知る。フランスの劇作家=詩人ポール・クローデルの生業は外交官だが、1917-18年にブラジル全権公使を務めた際にミヨーは秘書官として同行し、ブラジルの民衆音楽を収集しながらフランスの同時代音楽を紹介する演奏会を企画した。また1918年にはアルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)がブラジルを初訪問して多くの演奏会を行い、連日違うプログラムはドビュッシーやシマノフスキなどの同時代音楽も豊富に含んでいた。

2025年1月31日 POC第54回公演「地誌的ヴィラロボス」 (2025/01/26 update)_c0050810_06492457.jpg
 その影響はピアノ独奏曲《赤ちゃんの眷属第1集》(1918) に如実に表れている。赤ちゃんのマスコットのさまざまな人形を題材にした組曲という発想が既に《子供の領分》を想起させるが、その書法は《版画》から《前奏曲集第2巻》までのドビュッシーのピアノ書法のリミックスに他ならない。ただし、旋律素材は人形のキャラクターに合わせてブラジル民謡などから選ばれており、単なる丸パクリではない。他方、彼はアカデミックな作曲でもこの時期に大きな仕事をしている。ブラジルは第一次世界大戦に連合国側で参戦し、戦闘には参加せずに「勝利」してパリ講和会議にも代表を送った。この「戦勝」を記念する交響曲の仕事をアカデミズム側の作曲家が降り、急遽お鉢が回ってきた。こうして書かれた交響曲第3番《戦争》(1919) は国内で評判になったが、ベルギー国王夫妻を迎えて初演された続編の第4番《勝利》(1919) は不評で、三部作の最後にあたる第5番《平和》(1920) は演奏されないまま紛失した。この経験を経て、国内の政治的な立ち回りで仕事を得るよりも、本場のパリで勝負したいという気持ちが膨らんでゆく。

 そこで彼は、民俗音楽素材により真剣に取り組み、ギター独奏曲《ショーロス第1番》(1920) を書いた。民衆音楽ショーロを素材にしたギター独奏曲としては、後に《ブラジル民謡組曲》(1908-23) として出版された5曲の小品があるが、これは民謡やクラシック音楽(第4曲〈ガヴォッタ・ショーロ〉の素材はJ.S.バッハ《無伴奏チェロ組曲第6番》第4曲)の旋律をショーロ風に処理したサンプルなのに対し、《ショーロス第1番》ではこの民衆音楽の本質である、直線的に進まない音楽的時間(この曲の場合はルバートの伸縮)に正面から向き合っている。同1920年にはルービンシュタインが再度ブラジルを演奏旅行したが、彼は今度はルービンシュタインのホテルの客室に楽士たちと訪れて自作を披露するという大胆な方法でコンタクトを取り、親密な関係を築いた。この時特にインパクトを与えたのは《ショーロス第2番》(1924) の原型と思しきフルートとクラリネットの小品だった。両者が同じ曲ならば、シンコペーションの位置がずれた2本の線の絡み合いが、やがて片方が三連符系になってさらにずれてゆく、ポリリズム由来のより進んだ非直線性が鮮烈な印象を与えたことになる。ルービンシュタインは次の1922年のブラジル演奏旅行では、《赤ちゃんの眷属第1集》の世界初演を担当した。

2025年1月31日 POC第54回公演「地誌的ヴィラロボス」 (2025/01/26 update)_c0050810_06493730.jpg
 ヴィラ=ロボスはリオ・デ・ジャネイロで芸術を幅広く援助する資産家たちに加え、新興都市サンパウロの前衛芸術愛好家たちも新たなパトロンとして獲得し、1923-24年にパリに初めて滞在した。到着早々のサロンでの即興演奏をコクトーに「ドビュッシーやラヴェルの物真似に過ぎない」と酷評され、赤ちゃんのマスコットの動物の玩具を題材に非直線的な音楽的時間を掘り下げた《赤ちゃんの眷属第2集》(1921) もあまり注目を集めることはなかったが、ルービンシュタインの助力もあってマックス・エシッグ社と出版契約を結び、ルービンシュタインによる《赤ちゃんの眷属第1集》のフランス初演と共に初演された《ノネット:ブラジル全土の簡潔な印象》(1923) は、サックスを含む木管五重奏のエキゾティックな旋律をハープ、ピアノ、チェレスタ、打楽器が補強し、混声合唱が母音唱法のグリッサンドやオノマトペで色彩を添える趣向が注目された。このパリ滞在は、資金が続かず1年余りでいったん切り上げたが、パリといえども結局受けるのは〝未開の土人の音楽〟なのだと学んだ。

 ブラジルに戻った彼は、《ショーロス》シリーズの路線をエキゾティシズム寄りに修正して書き進め、ルービンシュタインのためのピアノ独奏曲の新作もエキゾティシズムと名技性増し増しの《野生の詩》(1921-26) としてまとめて捲土重来を期した。ルービンシュタインも彼のパトロンたちに彼の将来性を増し増しで語り、1926年からの2回目のパリ滞在が始まった。1回目は最初に用意した資金が尽きたところで帰国せざるを得なかったが、今回はマックス・エシッグ社からの本格的な作品出版にこぎ着け、パリで稼いだ金で滞在を続けられるようにしたい。そのためには大規模な作品個展を成功させる必要がある。というわけで1927年の10月と12月にマックス・エシッグ社主催で2回の個展を伝統ある室内楽ホールのサル・ガヴォーで行い、その評判にすべてを委ねることが決まった。10月はルービンシュタインによる《野生の詩》の世界初演と《ショーロス》シリーズの2・4・7・8番(3ホルンとトロンボーンのための4番、2台ピアノと室内管弦楽のための8番が世界初演)、12月は《野生の詩》の代わりに合唱入りの《ショーロス》3・10番が加わった。

2025年1月31日 POC第54回公演「地誌的ヴィラロボス」 (2025/01/26 update)_c0050810_06494989.jpg
 結果は大成功。1回目はルービンシュタインのための大作(〝世界一難しいピアノ曲〟という触れ込みでルービンシュタインのレパートリーに定着)目当てで集まった客に《ショーロス》シリーズのエキゾティシズムがアピールし、2回目はその再演に〝土人の合唱〟をフィーチャーしたさらに強烈な2曲が加わるという流れの演出だった。特に《ショーロス第10番》(1926) のアンサンブルと混声合唱のインパクトは強く、《ショーロス》シリーズの最高傑作と特筆されることが多い。この成果を受けてまず15曲の出版が決まり、出版曲リストが増えるにつれてその収入で滞在を延長するサイクルが始まった。今回は妻も同行しているので長期滞在でも支障はないが、今度は本国で忘れられないように定期的に帰国しての新作披露が求められる。1929年8月に最初の凱旋帰国、1930年6月にもパリに荷物を置いて一時帰国したが……

 ブラジルの政局は世界大恐慌を背景に混乱し、1930年3月の大統領選挙の不正が囁かれる中、対立側の副大統領候補が7月に暗殺されて火に油を注ぎ、10月には対立側が軍事クーデターを起こしてヴァルガス独裁政権が成立した。資本流出を防ぐために海外送金は停止され、ヴィラ=ロボスのアパルトマンは家賃未納で差し押さえられ、置いてきた《赤ちゃんの眷属第3集》や《ショーロス》13番・14番などの譜面を失った。この状況下で彼のパトロンたちも資金援助どころではなくなった。そこで彼は、地方へのクラシック音楽普及活動への資金援助という新政権の提案に乗り、チェリストとして妻ルシリアらと演奏旅行を重ね、新政権との距離を縮めた。1933年には音楽芸術庁初代長官に就任し、今度は政府をパトロンにして音楽活動を続けてゆく。

2025年1月31日 POC第54回公演「地誌的ヴィラロボス」 (2025/01/26 update)_c0050810_06495712.jpg
 《ショーロス》シリーズのエキゾティシズム路線はパリの需要に合わせたもので、ブラジルを〝土人が跋扈する未開の地〟扱いする路線はもちろん国内では評判が良くない。そこで新たに《ブラジル風バッハ》シリーズを始め、民俗音楽素材を新古典主義的に扱って西洋音楽と融合する路線へと転換した。《ショーロス第1番》は民衆音楽での自身の楽器ギターの独奏で始まるのに対して、《ブラジル風バッハ第1番》(1930/38) はクラシック音楽での自身の楽器チェロの八重奏で始まるのは必然性がある。このシリーズは《ショーロス》シリーズよりも穏当で、ブラジルの団体でも演奏しやすく書かれている。このような「合理性」は、作曲以外の主な活動が演奏から音楽行政や音楽教育に移るとピアニストの糟糠の妻ルシリアを1936年に捨て、活動の中心を米国に移す将来の秘書にふさわしい、英語が堪能で社交的なアルミンダ・ダウメイダと再婚した「合理性」に通じるものがあり、およそ芸術的とは言い難い(アルミンダとは親子ほど歳が離れているのも、自身の死後も長らくヴィラ=ロボス博物館館長を務められるので「合理的」だからではないか)。

 ここで終わるとなんとも後味の悪い総説になってしまうが、「ブラジル音楽」の見方を変えると、新たなものが見えてくる。クラシック音楽で言うところの「ブラジル音楽」はいわゆる民俗音楽に限られ、エキゾティシズムか新古典主義的民族主義かの二択になってしまいがちで、これがヴィラ=ロボス観の閉塞につながっていた。だが、《ショーロス》シリーズで〈ブラジルの魂〉という大仰な副題を与えられているのは、ピアノ独奏曲《ショーロス第5番》(1925)、わずか5分の小品である。世評の高い10番や1時間を超えるピアノ協奏曲の11番(1928) ではなくこの曲、というところに意味があるのではないか。この曲は先に触れた2番のようなシンコペートする旋律と三連符系の旋律の絡み合いで始まるが、そこに基本のビートの単純な繰り返しが加わると、直線的に進まず不規則なゆらぎに満ちた、層状の音楽的時間が浮かび上がる。これこそが「ブラジルの魂」=ブラジル音楽の本質だと、ヴィラ=ロボスは言いたかったのではないか。このような音楽的時間を把握できる彼は、《赤ちゃんの眷属第1集》でもドビュッシーの本質であるレイヤー構造を把握してリミックスを行っており(録音を聴く限り、ルービンシュタインはそのような側面は把握せずに単なるヴィルトゥオーゾ・ピースとして弾いているが)、《赤ちゃんの眷属第2集》を続けて聴くと、ドビュッシー的多層性から歩みを進めてブラジル的多層性に至った道筋を追体験できる。

 この「ブラジルの魂」は抽象的かつ普遍的な概念なので、民俗音楽やヴィラ=ロボス作品に対象を限る必要もない。むしろ基本は民衆音楽にあり、この3声部の関係性は、管楽器の主旋律・ギターの対旋律・カヴァキーニョ(小型4弦ギター)のリズムというショーロの基本形に由来する。音源ならまず聴くべきはボサノヴァ、特にジョアン・ジルベルトのギター弾き語りだろう(作曲者のアントニオ・カルロス・ジョビンは西洋ポピュラー音楽風のアレンジで商品性を高めて「魂」は隠してしまいがち)。なかでも《三月の水》(1973) は、弾き語りに極めてインテンポの打楽器(西洋ポピュラー音楽的なセンスでは凡庸と断じられそうな)が加わって同様の3声部の関係性(ただしポリリズムではなく直接的に操作されたゆらぎ)が生じており、この音源で「魂」の何たるかを把握してからヴィラ=ロボスに向き合う方が良いかもしれない。再び彼の音楽に戻ると、《ブラジル風バッハ第4番》(1930/35/41) はこのシリーズでは例外的に、ブラジル風(=民俗音楽的)な素材をバッハ風(=対位法的)に処理するのではなく、バッハ風な素材(特に第1楽章は《音楽の捧げもの》の「王の主題」そのもの)をブラジル風に処理しており、このシリーズでは「ブラジルの魂」が聴ける唯一の曲と言えるだろう。《ブラジル風連作》(1936-37) はこの意味では、素材も手法もブラジル風にして至った境地ということになる。

2025年1月31日 POC第54回公演「地誌的ヴィラロボス」 (2025/01/26 update)_c0050810_06500940.jpg
 ヴィラ=ロボスの「ブラジルの魂」が聴けるのは本日のピアノ独奏曲プログラムだけであるかのような書き方になってしまったが、少なくともあとふたつのジャンルがある。ひとつはギター独奏曲。先に触れた《ブラジル民謡組曲》と《ショーロス第1番》に加えて、《12の練習曲》(1928-29) と《5つの前奏曲》(1940) があり、《練習曲》に関しては初演者セゴビアの序文の「スカルラッティやショパンの練習曲のギター版」という位置付け以上に適切な表現はないだろう。ギター音楽の歴史にはそれに相当するものはなかったので、マイスターの責任として書いたということだ。《前奏曲》も「ショパンの前奏曲のギター版」でよいのかもしれないが、彼の創作史に即して言えば、《ブラジル風連作》のギター版という位置付けになる。もうひとつは弦楽四重奏曲。彼にとっては交響曲と弦楽四重奏曲はパラレルな位置付け(民俗音楽的な素材に依らない「絶対音楽」であり、創作時期も共通する)だと先に示唆したが、初期から一貫して彼の交響曲はつまらないのに弦楽四重奏曲は面白いのは、交響曲では「ブラジル性」を民族打楽器の使用のような外面的な部分に求めているのに対し、弦楽四重奏曲では展開手法に求めているからである。また、管弦楽作品は演奏されないと始まらないので妥協せざるを得ないが、室内楽作品や器楽作品は未来の演奏家に期待して妥協しない譜面を残すことが可能だから、という違いもあるのかもしれない。


2025年1月31日 POC第54回公演「地誌的ヴィラロボス」 (2025/01/26 update)_c0050810_02102710.jpg




by ooi_piano | 2025-01-26 18:40 | POC2024 | Comments(0)

11/9(日)15時《シューマンの轍》第2回公演


by ooi_piano