Hiroaki Ooi Matinékoncertek
Liszt Ferenc nyomában, látomásai és vívódásai
松山庵 (芦屋市西山町20-1) 阪急神戸線「芦屋川」駅徒歩3分
4000円(全自由席)
〔要予約〕 tototarari@aol.com (松山庵)
後援 全日本ピアノ指導者協会(PTNA) [Ⅳ]
【第4回公演】2025年3月9日(日) 15時開演(14時45分開場)
交響詩《前奏曲》 S.511a (1855/85) [作曲者/K.クラウザー編独奏版] 17分
[ I.星辰 - II.愛 - III.嵐 - IV.田園画 - V.勝利 ]
ハンガリー狂詩曲第12番 S.244-12 (1847) 10分
[ Introduzione, Mesto - Allegro zingarese - Stretta, Vivace ]
パガニーニ《ラ・カンパネラ》による華麗な大幻想曲 S.420 (1832) 15分
[ Excessivement lent - Tema, Allegretto - Variations à la Paganini - Finale di bravura / Ritornello ]
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ベッリーニ《ノルマ》の回想 S.394 (1841) 16分
[ 第1幕第1場 ドルイド教徒の合唱「ノルマが来るぞ」 - オロヴェーゾ「あの丘へ登れ、おおドルイド教徒たちよ」 - 同「御身の予言の力を」 - 第2幕第3場 ノルマ「ああ!あの子らを犠牲にしないで下さい」 - ノルマ「あなたが裏切った心が」 - ノルマ「父上 泣いておられるのですか?」 - 第2幕第2場 ノルマ「戦だ、戦だ!」 ]
マヌエル・ガルシア《計算高い詩人》の「密輸業者の私は」による幻想的ロンド S.252 (1836、ジョルジュ・サンドに献呈) 11分
[ Rondo, molto animato quasi presto - Maggiore - Con moto - Adagio fantastico ]
マイアベーア《預言者》の再洗礼派のコラール「我らに救いを求めし者たちに(アド・ノス、アド・サルタレム・ウンダム)」による幻想曲とフーガ S.259 (1850/97) [ブゾーニ編独奏版] 25分
[ I. 幻想曲 - II. アダージョ - III. フーガ ]
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オベール《ポルティチの唖娘》による華麗なるタランテラ S.386 (1869) 10分
[ 導入部 - 第3幕「タランテラ」 - 第4幕終曲「Allegro marziale」 - Stretta, vivace assai ]
メンデルスゾーン《真夏の夜の夢》の「結婚行進曲」と「妖精の踊り」 S.410 (1850) 10分
ハンガリー狂詩曲第15番 「ラコッツィ行進曲」 S.244-15 (1853) 6分
[ Allegro animato, tumultuoso - Tempo di marcia animato - Un poco meno allegro ]
ピアノ協奏曲第2番(独奏用初期稿) S.524a (1839) 19分
[ Lento assai, Adagio - Presto agitato assai - Stretto ]
[使用エディション:新リスト全集 (1972/2019、ミュジカ・ブダペシュト社)]

リストと交響詩―――山村雅治
フランツ・リストは19世紀最高のピアニストとして名高い。同時にピアノ音楽に超絶技巧を用いた作曲家としても。大きな手をもち、力に充ちたな演奏とすぐれた技術で聴衆の心を鷲づかみにする彼の演奏会にはいつもあふれるほど人が押し寄せ、偶像的な存在だった。1848年からはワイマール宮廷楽長に就任した。リストはワイマールで作曲に専念した。ヴィルトゥオーゾ・ピアニストとしてのキャリアを終え、指揮活動と作曲に専念するようになった。ワイマール時代は作曲家としては最も活躍した時代だ。ほとんどの交響曲や交響詩など管弦楽、合唱のための作品の大部分はこの時代に作られている。過去に作った作品を大規模に改訂することも多かった。
ベルリオーズが《幻想交響曲》で表現した標題音楽をさらに凝縮した交響詩を創始し、ワーグナーらとともに新ドイツ派と呼ばれた。音楽史における進歩主義的発想と、音楽と文学の相互関係を力説した。彼らはよく本を読んだ。神話や聖書、ギリシャ・ローマの古典からシェイクスピア、またゲーテをはじめとする彼らの時代の文学まで。
「交響詩」という形式は音楽史上リストが初めて提唱した。1854年4月19日の《タッソー》上演パンフレットでその語が使われた。それまでの「交響曲」に対し、管弦楽曲にそれに対応する詩を結びつけ、詩の形式と音楽の形式を融合させることで、作曲家の想念が聴き手により正確に伝わるようになるとリストは考えた。リストが創始した交響詩は、その後もスメタナやリヒャルト・シュトラウスをはじめとする多くの作曲家によってさまざまな作品が花開くジャンルとなった。
《レ・プレリュード》は、リストが作曲した13曲の交響詩のなかで最も演奏される機会の多い曲。『レ・プレリュード』は日本では「前奏曲」と訳される。フランス語の原題は〈Les Préludes〉であり、複数形(単数ならLe Prélude)。この理由は、冒頭に掲げた標題の一部のように、リストは「人生は死後に対する前奏曲である」と捉え、数あまたの人生をあらわしているからだ。正式名称として「ラマルティーヌの詩による交響詩《レ・プレリュード》」と記している。アルフォンス・マリー・ルイ・ド・プラ・ド・ラマルティーヌ(Alphonse Marie Louis de Prat de Lamartine、1790年10月21日 - 1869年2月28日)は、フランスの詩人、著作家、政治家。ロマン派の代表的詩人で、フランスにおける近代抒情詩の祖といわれ、ヴェルレーヌや象徴派にも大きな影響を与えている。また2月革命前後に政治家としても活躍した。
作曲の経緯はすこし複雑だった。もともとは交響詩としてではなく、フランスの詩人ジョゼフ・オートラン(1813-1877)の詩に基づく男声合唱曲《四大元素》の序曲として作曲された。《四大元素》は「北風」、「大地」、「波」、「星々」の四部からなる合唱曲で、それらには歌詞がついていた。たとえば、《レ・プレリュード》の冒頭に登場し、最も重要な主題は《四大元素》の「星々」にもみられ、「hommes pars sur ce globe qui roule(この回転する地球上に散らばっている人間たち)」という歌詞が対応している。ところが、リストは何らかの理由でこの序曲を《レ・プレリュード》という独立した交響詩として発表した。標題もオートランの詩からではなく、オートランの師にあたるアルフォンス・ド・ラマルティーヌの詩から着想を得て、自身で新しく書き直したものだ。
《四大元素》は男声合唱に、ピアノまたはオーケストラによる伴奏を伴う。交響詩《前奏曲》の原型が聴こえる。もちろん異なる旋律も多いが、全体的には交響詩《前奏曲》の合唱曲版という感がある。交響詩《前奏曲》も、人生を4つの時期に分けて描き出すような作品だ。静かな導入、嵐、憩い、勝利。オートランとラマルティーヌ。作詞者もタイトルも異なるが、リストの作曲の目的は、人生、あるいは世界といったものを構成する要素をそれぞれ音楽で表現し、統一的な世界観を描き出すことだった。

《レ・プレリュード》はリスト自身の記した標題に基づき、「緩・急・緩・急」と続く4部からなる。以下のそれぞれの部の冒頭に、標題の対応する部分を示す。
第1部 人生のはじまり─愛
「─われわれの人生とは、その厳粛な第1音が死によって奏でられる未知の歌への前奏曲にほかならないのではないか? 愛はあらゆる存在の夜明けの光である」。
弦楽器の疑問符のようなピチカートに続き、重要な主題が弦楽器のユニゾンで示される。この主題は全曲を通してさまざまなかたちに変奏されていく。初めは生まれたてのように少し不安げに聞こえるが、だんだんと跳躍の幅を広げて緊張を増していき、頂点で12/8拍子に移行して低音楽器群の朗々とした歌へと引き継がれる。
そののち、冒頭の主題が穏やかなかたちに変形されてチェロ、ホルンに現れ、人生のはじまりの暖かい時期を示すようだ。続いてヴィオラとホルンが奏でる愛のテーマもやはり冒頭の主題の変形である。これは《四大元素》の「大地」でも歌われる。
第2部 嵐
「─しかしどんな運命においても、嵐によって、幸せな幻影はそのひと吹きで吹き飛ばされ、祭壇は雷でこわされてしまう」。
チェロによって弱音で冒頭の主題が奏でられるが、ここでは嵐を予感させる仄暗い色である。弦楽器のトレモロや半音階での昇降、減七の和音が嵐への緊張感を高める。
嵐がはじまるとトロンボーンが大きな風圧をもって冒頭の主題を鳴らし、たたきつける雨粒や雷のような鋭い音型も各楽器に現れる。そして、ホルン、トランペットがファンファーレのような音型を奏し、嵐の激しさは頂点に達する。
第3部 田園
「─嵐によって深く傷つけられた魂は、田園の静かな生活の中で過ぎ去った嵐の記憶を慰めようとする」。
嵐が収まり、穏やかにオーボエとヴァイオリンがテーマを再現する。そして6/8拍子となりホルンから木管楽器群へと素朴な旋律があらわれ、愛のテーマも再び登場してともにうたい、のどかな田園風の音楽となる。
第4部 戦い
「─しかし人は自然の懐に抱かれる静けさにいつまでも浸っていることに耐えられず、『トランペットの警笛』が鳴れば危険な戦いの地へと赴き、自己の意識と力を取り戻す」。
第3部の田園風の穏やかな気分は徐々に高揚していき、トランペットによるファンファーレが現れるのをきっかけに音楽は前進する勢いをもって、2/2拍子の行進曲へ移行する。テーマがいずれも行進曲風のリズムに変形されて登場し、第1部の12/8拍子が再現されてクライマックスを迎える。
リストが全編を書いた標題の冒頭部分さえラマルティーヌが書いたものではない。ラマルティーヌの「瞑想詩集」(Méditations poétiques)の原文は、全12章375行からなる長大な詩だ。そのうち、リストが引用したのは、自身が符をつけた「トランペットが警報を発する」という、たった1行だけだ。
リストは、1855年に発表した「ベルリオーズと彼のハロルド交響曲」という論文の中で次のように述べている。「芸術における形式とは精神的内容の器、想念をおおうもの、魂にとっての肉体なのだから、形式はきわめて繊細に、内容とぴったり合っていなければならない」。交響詩《レ・プレリュード》はこのようなリストの理想を具現化したもので、標題と密接に結びついた見事な変奏は、次々とあざやかな景色を描くのにとどまらず、リストの精神的な理想をも反映した壮大な作品である。初演は1854年2月23日、ワイマールでリスト指揮によっておこなわれた。

リストは交響詩を13曲書いた。12曲まではツィクルスとして書かれた。「詩的素材」「音楽内在的な構造要素」ともに堅固な構造をもつツィクルスとして。
〈第1番〉 人、山上にて聞きしこと
ヴィクトル・ユーゴーの詩に基づいている。詩人は山のなかで二つの声を聴く。ひとつは広大な、力強く秩序のある自然の声であり、もうひとつは苦悩と慟哭に充ちた人間の声だ。二つの声は闘いのうちに、ついに神聖な歌のなかに解消される。
〈第2番〉 タッソー、悲劇と勝利
ゲーテの戯曲による。ヴェネチアの船頭の歌からとられたタッソーの主題が中心となり、タッソーの悲劇をあらわした第一部から、後半の第二部には高らかな勝利が謳いあげられる。
〈第3番〉 前奏曲 上記の通り。
〈第4番〉 オルフェウス
最初はグルックの歌劇の序曲として作曲された。交響詩としての序文にリストは書いている。
「過去と同様に今日においても、人間性自体には、残忍、野蛮、肉欲という本能が認められるが、それを和らげ、穏やかにし、気高くすることが芸術の使命である。オルフェウス、すなわち芸術は、メロディーと和音が織りなす波長を発していなければならない。それは互いに傷つけあい、個人の心と社会の内部で血を流しあうような対立するものに対して、やわらかく抗しがたい光のように響く。。オルフェウスはエウリディーチェのために泣いた。彼女は悪と不幸によって無と帰された理想の象徴だ。……彼は彼女を地上に連れて帰ることはできなかった! われわれは二度と野蛮な時代を目の当たりにすることがないように!」。
〈第5番〉 プロメテウス
プロメテウスは人類に火をもたらしたことでゼウスの怒りをかい、罰を受けたギリシャの神だ。
リストは1835年に著作「芸術家の立場と社会的身分」を出した。芸術家がもつべき社会的使命の具体例としてゼウスの秩序に縛られつつも、天界の火を人間社会に与えたプロメテウスをあげている。この曲の序文では「耐えることで勝利に至る深い痛みこそがこの作品を形成する」。
〈第6番〉マゼッパ
ヴィクトル・ユーゴーの詩を標題にもつ。不義ゆえに裸のまま暴れ馬にくくりつけられて野に放たれたマゼッパは生きのびて、ウクライナのコサック兵になり、やがて首長にまでのぼりつめる。第二部では、マゼッパを困難に立ち向かう詩人に置き換えて、その勝利を謳いあげる。
〈第7番〉 祭典の響き
シラーの戯曲「芸術への忠誠」が上演されたときに序曲として書かれた。しかし、標題は書かれていない。一説によれば同棲していたヴィトゲンシュタイン伯爵夫人と正式に結婚することを想定し、そのための祝典音楽として書いた、という。
〈第8番〉 英雄の嘆き
1830年、フランスで7月革命に接して「革命交響曲」を書こうとして実現しなかった。1850年になって、第一楽章をもとにして「英雄の嘆き」が完成した。長大な葬送行進曲。
〈第9番〉 ハンガリー
1840年にピアノのために「ハンガリー風英雄行進曲」を書いた。そのなかの二つの主題をもとにして1854年に「ハンガリー」が完成した。かつての「ハンガリー狂詩曲」がより深まった哀しみの詠嘆と離れた国を愛する情熱が讃歌に結晶していく。
〈第10番〉 ハムレット
もともとは1856年にシェイクスピアの戯曲上演の序曲として作曲された。交響詩として完成されたのは1858年。リストは「ハムレットを優柔不断ではなく、周到に機会を待つ才能ある王子として読み、オフィーリアは不安ゆえに狂気へ至った女性として読んだ。凱旋する終結部ではなく、葬送のモデラートで閉じられる。
〈第11番〉 フン族の戦い
カウルバッハの絵「フン族の戦い」に刺激を受けて音楽であらわした。アッティラが率いるフン族とキリスト教徒の戦い。激しい戦争の騒乱に対比される敬虔なグレゴリオ聖歌。戦いが終わるとオルガンが響き、キリスト教徒の勝利を謳いあげる。
〈第12番〉 理想
1857年にワイマールに建てられたゲーテとシラーの像の除幕式のために書かれた。同時に初演された「ファウスト交響曲」はゲーテのために。「理想」はシラーの詩に基づいている。多感な青年の生涯が描かれているもので、リストは「躍進」「幻滅」「希求」「礼賛」と副題をつけている。
〈第13番〉 揺篭から墓場まで
この曲だけはかなり遅れて1882年にローマで作曲されている。リストの生前には演奏されることがなかった。リストの弟子、ズィヒー・ミハーイ伯爵の絵に基づいて作曲された。薄いテクスチュアや和声などがワイマール時代とは異なる晩年の様式を示している。「揺りかご」「存在のための闘争」「墓へ、未来の命の揺りかご」の三つの部分からなる。
生きる苦しみから戦いを経て、解放へ。「詩的素材」が交響詩全曲に通底するのは「闇から光」へ導かれて歩む人間の姿であり、リストの音楽は「本質として宗教的」なのだった。
