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3月23日(日)ジョアン・ミロ展コンサート@東京都美術館(2025/3/18 update)

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東京・春・音楽祭 SPRING FESTIVAL IN TOKYO
ミュージアム・コンサート
「ミロ展」記念コンサート Vol.3
2025年3月23日(日)14時開演(13時半開場)
東京都美術館 講堂 https://www.tobikan.jp/


【現代音楽とミロ ~ミロに影響を受けた二人の作曲家】

■ジョン・ケージ(1912-92):《易の音楽》(1951) [全4巻]
John Cage (1912–92) : Music of Changes (1951)

■武満徹(1930-1996):《クロッシング》(1962、独奏版世界初演
Toru Takemitsu (1930-1996) : Crossing for pianist(s) (1962, World Premiere of solo version)

■川島素晴(1972- ):《夢の迷宮 ~武満徹「ミロの彫刻のように」断片(1995)に基づく》(2025、委嘱新作/世界初演
Motoharu Kawashima (1972–) : "Labyrinth of Dreams - after Toru Takemitsu's 'Comme la sculpture de Miró' ” (2025, Commissioned work / World Premiere)

ピアノ:大井浩明
Piano : Hiroaki Ooi

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川島素晴:《夢の迷宮 ~武満徹「ミロの彫刻のように」断片(1995)に基づく》(2025、委嘱新作・世界初演)
 武満徹(1930-1996)は、亡くなる前年の1995年に、自身の別荘と同じ御代田の地に開館したメルシャン軽井沢美術館(2011年閉館)の最初の展覧会、「ミロ、夢の迷宮」展を鑑賞した。10月5日に癌の闘病から退院し、御代田の別荘に行ってから会期末11月19日まで約1ヶ月の間のどこかで、無理を押してでも観たのだ。そしてそこで観たミロ晩年の彫刻群に触発され、フルートとハープの二重協奏曲《ミロの彫刻のように》を作曲しはじめていた。「La lune(月)」と名付けられた第1楽章の冒頭、たった6小節しか存在しないが、衰えのない筆致で詳細がメモされており、卓抜で繊細なオーケストレーションの構想が垣間見える。その先を武満に成り代わって書き継ぐとすればおこがましいが、この断片から自由に夢想することなら許されよう。
 武満は前述の展覧会に接してエッセイ『晩年のミロの陰影』を遺しており、かねてよりミロに傾倒していた武満が、このときは「個体としての魅力を湛えたそれぞれの色彩が私が思っていたほど単純なものではなく、深い多義性を秘めた、なにか不可思議な有機体のように感じられた」とのこと。これはそのまま、武満の晩年の音楽が目指した姿に重なる。その他、明るさの中の翳りにも言及があり、恐らくは死を意識していたであろう武満自身の晩年をミロの晩年に重ねたこれら文章の全てをここに引用することはできないが、私自身はその全文を噛み締めながら、そして「ミロ、夢の迷宮」展のカタログを観ながら、音を紡いだ。
 なお、「迷宮」とは、ミロが晩年にマーグ財団の庭に創った、迷路のように無数の陶板や彫刻で満たされた空間である。一方、武満は、しばしば夢を自身の音楽構造になぞらえた。武満が観た展覧会名「夢の迷宮」は、そのまま、武満作品の音楽体験とも一致するだろう。武満が遺した断片にはじまり、迷宮に迷い込むかのように、夢想しつつ進む。(川島素晴)


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川島素晴 Motoharu Kawashima, composer
 東京芸術大学、同大学院修士課程にて作曲を近藤譲、松下功に師事。1992年秋吉台国際作曲賞、1996年ダルムシュタット・クラーニヒシュタイン音楽賞、1997年芥川作曲賞、2009年中島健蔵音楽賞、2017年一柳慧コンテンポラリー賞等を受賞。作品は国内外で演奏されており、2024年には多賀城創建1300年を記念した委嘱作品、オペラ《いしぶみの譜-多賀城創世記ー》を自らの指揮により初演した。「アンサンブル東風」の作曲/指揮メンバーとしての活動の他、指揮、ピアノ、打楽器、声等、自作や現代音楽作品を中心に、様々な演奏活動にも携わっている。「いずみシンフォニエッタ大阪」コンサート・アドバイザー等、現代音楽の企画・解説に数多く携わり、2016年9月にはテレビ朝日系列「タモリ倶楽部」の現代音楽特集にて解説者として登壇。以後、様々な番組に出演してきた。(一社)日本作曲家協議会副会長。(一社)日本音楽著作権協会正会員。




◆野々村禎彦《ジョン・ケージ素描》()(2012)


ジョン・ケージ《易の音楽》(1951)
 《易(えき)の音楽 Music of Changes》というタイトルは、古代中国の占辞集『易経』の英訳〈変化の本 Book of Changes〉の捩(もじ)りである。音/ノイズ、強弱、テンポ、持続、同時に起こる出来事(沈黙/単音/集合体/星座)の重なり具合、といった諸要素が、易に由来する図表と、三枚の硬貨(change)を同時に投げて裏の数から卦を立てる六爻占術の擲銭法によって、偶有的に作曲された。図表には、使い捨てされ流転する要素(変易/change)と、繰り返し使われる要素(不易)が含まれる。
 不確定性の先行例としては、ムジカ・フィクタ(半音階的変位)を奏者に委ねたJ.オケゲム《お好みの旋法によるミサ》や、作曲法を知らなくても無限に曲を生成出来る《音楽のサイコロ遊び》(モーツァルトK.516fはその一例)がある。ケージ自身は、個人の嗜好や芸術の文脈・伝統からの解放を宣言しているが、いわゆる結合術(ars combinatoria)を完全に度外視しているわけでは無い。
 1950年初頭、ケージがブーレーズ《第2ソナタ》の初演をしてくれる代役ピアニストを探していたところ、モートン・フェルドマンからデイヴィッド・チューダーを紹介された。1950年12月18日、ブーレーズのオリジナル自筆譜をケージが譜めくりする中、チューダーは《第2ソナタ》のアメリカ初演を行い、大きな反響を呼んだ。その翌年(1951年)の3月、クリスチャン・ウォルフから譲られた『易経』英語版を基に、ケージは《易の音楽》第1巻の作曲に着手する。「好きな音だけを選んでいると、ある種の甘さが出て来る事に気付きました・・・砂糖が多すぎるのです」「実際『易経』は、どうしても良い答えを得たいと思う人達には、全く悲しい運命を告げる。もし占筮によって不幸になったり、結果に満足出来ないとしても、少なくともそれを受け入れることによって自らを改め、自らを変える機会をもつことが出来る」。
 師カウエルの提案に従い、12台のラジオ受信機のための《心象風景第4番》の作曲を暫く平行させることで、ケージは容赦ない易の結果に耐えた。同年5月2日にニューヨーク・コロンビア大学で《心象風景第4番》が初演される。《易の音楽》第1巻はその直後、5月16日にニューヨークで完成した。ただちに献呈者チューダーによって、7月5日にコロラド州ボルダーで第1巻のみ初演。その翌週の13日の金曜日、ロサンゼルスで師シェーンベルクが他界する。第2巻は8月2日、第3巻は10月18日、第4巻は12月13日に脱稿。その19日後、1952年1月1日にニューヨーク・チェリーレーン劇場で、チューダーによる全曲初演が行われた。以降、チューダーとの協働作業が長く続くことになる。
 「演奏家は己を捨て、によって導かれた『フランケンシュタインの怪物』との非人間的な一体化を要請される」(1958年、ダルムシュタットでの講演)が、一方、「多くの箇所で記譜が不合理(irrational)と思われるだろう。その場合、奏者は自身の裁量(discretion)を行使してよい。」(1960年、Peters社出版譜序文)とケージは付記している。





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by ooi_piano | 2025-03-12 19:57 | コンサート情報 | Comments(0)

Blog | Hiroaki Ooi


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