大井浩明 連続ピアノリサイタル
Hiroaki OOI Klavierrezitals
Robert Schumanns Fußspuren
松山庵 (芦屋市西山町20-1) 阪急神戸線「芦屋川」駅徒歩3分
4000円(全自由席)
〔要予約〕 tototarari@aol.com (松山庵)
【第2回公演】11月9日(日)15時開演(14時45分開場)
《交響的練習曲 Op.13 + WoO 6》(1834/37) [ファンテジー(遺作)6曲を含む全19曲版] 32分
Thême d'un Amateur / Andante - Etude I Un poco più vivo - Etude II Andante - Fantaisie 3 - Fantaisie 4 - Etude III Vivace - Etude IV Allegro marcato - Fantaisie 10 - Etude V Scherzando - Fantaisie 6 - Etude VI Agitato - Etude VII Allegro molto - Etude VIII Sempre marcatissimo - Etude IX Presto possibile - Etude X Allegro con energia / Fantaisie 7 / Etude X - Fantaisie 8 - Etude XI Andante espressivo - Etude XII (Finale) Allegro brillante
《子供の情景 Op.15》(1838) 18分
I. 見知らぬ国と人々について - II. 不思議なお話 - III. 鬼ごっこ - IV. おねだり - V. 満足 - VI. 重大な出来事 - VII. トロイメライ(夢) - VIII. 暖炉のそばで - IX. 木馬の騎士 - X. むきになって - XI. こわがらせ - XII. 眠る子供 - XIII. 詩人のお話
《アラベスク Op.18》(1838/39) 6分
Leicht und zart - Minore I, Etwas langsamer - Tempo I - Minore II, Etwas langsamer - Zum Schluss
(休憩)
《花の曲 Op.19》(1839) 7分
I. Leise bewegt - II. Ein wenig langsamer - III. - II. - IV. - III. - II. - IV. - V. Lebhaft - II. Minore - IV. - II.
《フモレスケ Op.20》(1839) 25分
Einfach - Hastig - Einfach und zart /Intermezzo - Innig - Sehr lebhaft - Mit einigem Pomp - Zum Beschluss
《4つの夜曲 Op.23》(1839) 17分
I. Mehr lengsam, oft zurückhaltend - II. Markirt und lebhaft - III. Mit grosser Lebhaftigkeit - IV. Einfach / Adagio
《君に捧ぐ(献呈) Op.25-1 /S.566》(1840/48) [F.リスト編独奏版] 3分
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《ウィーンの謝肉祭の道化 Op.26》(1840) 21分
I. Allegro - II. Romanze - III. Scherzino - IV. Intermezzo - V. Finale
《3つのロマンス Op.28》(1839) 14分
I. Sehr markiert - II. Einfach - III. Sehr markiert
《スケルツォ、ジーグ、ロマンスとフゲッテ Op.32》(1838/39) 11分
I. Scherzo - II. Gigue - III. Romanze - IV. Fughette
《アンダンテと変奏曲 Op.46》(1843) [T.キルヒナー編独奏版、日本初演] 13分
Andante espressivo - Var. I - Var. II Un poco più animato - Var. III - Var. IV Più animato - Var. V Più lento - Un poco più lento - Var. VI Più lento - Var. VII Animato - Var. VIII - Var. IX - Var. X Doppio movimento - Tempo primo
〈使用エディション〉 新シューマン全集 (2011/2014/2016)
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倒錯した崇高――シューマンとフモール
山村雅治
芸術や哲学の姿は時代とともに移りかわる。シューマンが生きた時代は大きな転換期だった。ベートーヴェンは1827年に、ヘーゲルは1831年に帰らぬ人になった。ヘーゲルは《美学講義》(1835)のなかで書いていた。
「かつて芸術は絶対的なるものを意識するための唯一無二の方法だったが、人類はそうした段階をもはや突きぬけた。普遍的な形式や原則があらゆるものを決定する基準になり、すべてを執りしきった。だが芸術活動や芸術作品には概して、もっと血の通った要素が求められる。普遍的なものが規則や原則があらかじめ存在するのではなく、心情や感覚の動きと一体になって生命を帯びなければならないのだ」。
そしてゲーテが1832年に世から去る。1820年代から1830年代の芸術思潮の転換期は「ゲーテに代表される芸術の時代の終焉」と形容された。
ハイネによれば人びとは確信していた。「ゲーテの死とともにドイツでは新たな文学の時代が始まり、ゲーテとともに古きドイツは土の中に葬られた。文学における貴族の時代は終わりを迎え、市民の時代が幕を開ける。あるいは、個人の精神は終息し、万人の精神が産声をあげたのである」。
こうした確信に同調できた人物のうちにシューマンもいた。彼はリストが編曲したピアノ版のベルリオーズ《幻想交響曲》の新奇なリズムに、「ゲーテ/モーツァルトによる芸術の時代の花冠を頭に戴きながら、神々のごとく軽やかに空を舞う」規則正しいリズムとは正反対のものを感じとっている。若い世代のフランスの芸術家たちは『エルナーニ』を上演したヴィクトル・ユゴーのもとにあつまった。ドイツでも「若きドイツ/青年ドイツ派」が生まれ、ジャン・パウルの作風に理想を見た。
文学史のなかでジャン・パウルはどこにも位置づけられない。ロマン派の運動に加わらなかったし、ゲーテを信奉する一派ともかかわらなかった。同時代において完全に孤立した彼は、心と著作を切り離さなかった。「青年ドイツ派」の作家たちもまた実人生と作品のあいだに境界をもうけることはなかった。ジャン・パウルを崇拝したのは筋金入りの自由主義者たちだった。彼は「身分いやしき者たちの詩人」、「聖なる鐘のように真実が鳴りわたることは望めぬ苦難の時代の」フモリストと見られていた。
フモリストは「フモール Humor」を表現する。フモールとはユーモア(おかしみ)のこと。フモリスト、ジャン・パウルの小説ははじめは諷刺からはじまった。その対象は人間の個別的・現実的な側面へ向かう。だから諷刺は感傷主義小説に代表される感情の文学の対極に位置する。権力者を対象とし、人間の愚行や社会の悪弊を暴く諷刺はまた、婉曲を含む高い表現技術を必要とする。諷刺は、理性と感情の統合によって人間の真実に迫ろうとするジャン・パウルにとって、人間研究を積み言語の研鑽を重ねる機会を提供した。
さらに諷刺は、貧困に喘ぎ社会の底辺で生きるジャン・パウルにとって、圧倒的な力で自分に襲いかかってくる外界から自分の身を守り、生き延びるための手段でもあった。それは外界との断絶を生む。感傷主義小説の登場人物たちが現実との妥協を自分の美徳を汚す行為として拒絶するように、真理と正義の旗を掲げる諷刺家もまた、諷刺家である限り、世界の外側に立って世界と対峙しつづけなければならない。両者に共通するするのは、世界からの退場、すなわち、死である。諷刺に専念するなかで、ジャン・パウルの胸底で静かに醸成をつづけていた世界との和解を求める欲求は、自らの死への予感をきっかけに、ついに表に現れた。この和解への欲求こそ、ユーモアの精神であり、生への意志だった。
ジャン・パウルはユーモアを「倒錯した崇高」と呼ぶ。ユーモアは有限を無限との対比によって滅ぼすが、自らを滅ぼされる有限のなかに含める。ユーモアの根底にあるのは、人間が死を定められた存在であるという意識であり、この死の意識から生まれる地上的存在物にたいする寛容の態度である。ユーモアは自己と他者を結ぶ宥和と寛容の精神である。ユーモアの獲得によってジャン・パウルは世界と和解し、小説家としての足場を確保した。「わたしもあなたもいずれ死ぬんじゃないか」という冷厳な事実から生まれる人間存在そのものを包みこむ笑いによって。
若い音楽家たちも変わりゆく時代のなかにいた。
「ハイドンは叙事的な表現が優っているという意味でゲーテに、モーツァルトは抒情的で憂愁とないまぜになった情熱のゆえにシラーになぞらえよう。そしてベートーヴェンはといえば、すべてを包みこむフモールという点でジャン・パウルに、さらには劇的性格のゆえにイギリスのシェイクスピアにくらべられる」。ベートーヴェンの世界観は、フモールの力によって一切の一面的な制約を破壊する。
シューマンは少年時代から文学にも関心があった。父アウグストは書店、出版社を経営して自ら著作もなした。とりわけ魅せられたのがジャン・パウルの作品だった。シューマンは耽読し、傾倒のあまり、自分より傾倒の度合いの少ないものを敵対者と見なしかねないほどだった。シューマンはライプツィヒの学生時代に借りた下宿部屋にはジャン・パウルとベートーヴェンの肖像画が掲げられていた。1828年に18歳のシューマンはアフォリズム集を出した。《天才とは何か。その陶酔性と独創性、その他の性質について》。そのなかで書いている。
「天才のうちに秘められた最も大きな力とは、感傷とフモールが織りなす芸術の美にほかならない。こうした審美性はしばしばジャン・パウルの作品に見いだすことができるし、とくにベートーヴェン、シューベルトらに見いだすことができるだろう」。
また1828年の日記にはこう書いた。「ベートーヴェンの音楽を聴くと、ジャン・パウルの小説の朗読を聞くような気がする。シューベルトはむしろノヴァーリスに近い」。
S・ド・シル宛にはフモールの概念について説明したくだりがある。「フランス人は『フモレスケ』という用語を理解することはできないでしょう。あなたがたの言語が、夢想的な熱狂とフモールという、ドイツ国民性に根ざした二つの特性を適切に訳すのにぴったりの言語をもっていないのは不幸なことです。このフモールはいたずら者の機知と熱狂のまさに混ざりあったものなのです」。ジャン・パウルへの言及である。
シューマンは音楽では「ロマン的フモール」はベートーヴェン《交響曲第7番》と晩年の作品全般においてはじめて現れた、という後期ロマン主義者たちの核心を共有していた。
「青年ドイツ派」のテオドール・ムント主宰の「文学的娯楽新聞」をシューマンは購読していたが、そこに掲載されたムントの言葉をみずから抜き書きしている。
「哲学者たちはほかならぬ音楽から学びとることができよう。うわべには青春の浮薄な戯れをよそおいながらも、世界の深奥にある物事は言い表しうるのだと。というのも、音楽芸術の特質とは、旋律によって、遊びに夢中になる子供のようなあどけない姿を人びとに示そうとすることにほかならないからである。この子供は世故にたけた教養ある大人を前にして、みずからの胸にあふれる至福の思いをほとんど恥じてでもいるように、粒だったさまざまな音型の背後にいたずらっぽく身を隠すかと思えば、感傷に浸されて愛を求めるあまり、不可思議な音の仄めかしによって姿を現そうとする。こうして綾なす調べは、いかなる人の胸にも『僕のことをわかってくれる?』と静かに問いかけているのだが、万人に聞きとどけられるというにはほど遠い」。
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《フモレスケ Op.20》は1838年から1839年にかけて書かれた。シューマンの「フモール」が縦横に描かれる。ムントの言葉はこの曲への批評のようだ。ここに表現されているのは逆説であり、滑稽な音楽ではなく、もっとも研ぎ澄まされた内面の告白だ。この作品を書き上げたあとの1839年7月16日にシューマンとクララは、頑として二人の結婚を認めないクララの父親ヴィークを裁判所に訴える。これはシューマンとクララの最後の選択だった。シューマンは緊張の極に達していた。
ジャン・パウルは《美学入門》で、フモールは「神が有限なものを光明によって打ち砕く」「破壊作用」を見いだしている。シューマンも「フモール」によって現実を打ち砕きたかったのだろう。
シューマンの「ピアノの時代」は1829年から1830年にかけての長い時間に試行錯誤しながら、《アベッグ変奏曲 Op.1》を書いて始まった。これまでの変奏曲とは異なる作品に批評家は注目した。《パピヨン Op.2》にはジャン・パウル《生意気盛り》が反映している。《パガニーニのカプリスによる変奏曲 Op.3》、《間奏曲集 Op.4》《クララ・ヴィークのロマンスによる即興曲集 Op.5》《ダヴィッド同盟舞曲集 Op.6》《トッカータ Op.7》《アレグロ Op.8》《謝肉祭 Op.9》《パガニーニのカプリスによる6つの演奏会用練習曲 Op.10》とピアノ作品が書き続けられ、1833年から35年にかけて《ピアノ・ソナタ第1番 Op.11》が完成した。まだピアノ曲は続く。《幻想小曲集 Op. 12》があり、作品23まですべてがピアノ曲だった。
《交響的練習曲 Op.13 [+ WoO 6] 》は1834年から37年にかけて作曲された。シューマンは1828年の夏からヴィークにピアノを師事し、当時9歳のクララとも親しくなった。シューマンは架空の女性ABEGGに恋をしたが、現実にいる女性にも恋をした。アマチュア音楽家フリッケン男爵がつくった作品から《交響的練習曲》の主題を採ったわけだが、シューマンは1834年8月に男爵の娘エルネスティーネと密かに婚約した。婚約解消は1837年。翌1838年には一気にシューマンとクララの愛が燃えあがる。
初版は《主題と12の変奏曲》。改訂版は《主題と9曲の変奏曲とフィナーレ》。ほかに初期稿として「A草稿」と「B草稿」がある。この作品の下地にあったのはベートーヴェンの交響曲研究だった。
《子供の情景 Op.15》は1838年の作品。クララと結ばれる前に書かれた。クララはこの曲を気に入っていた。シューマンは1838年3月17日のクララへの手紙に「あなたは前に『わたしはときどき子供のように見えるでしょう』と書いてきましたね。私はそこで30曲ほどの小品を書きました。12曲を選んで《子供の情景》と名づけました」と書いた。完成版は13曲。
《アラベスク Op.18》《花の曲 Op.19》は《フモレスケ Op.20》と一群をなす作品として1839年8月に出版された。2曲は規模が小さく緊密な曲になった。《アラベスク》はすべてが独特なやりかたで絡みあっている「草花模様」。《花の曲》は変奏曲だが変奏された各曲が小さな3部分構成になり、変形主題の輪が波紋のように、あるいは群生する花のように広がっていく。
《4つの夜曲 Op.23》は「ピアノの時代」の最終作品になった。1839年、ヴィークへの訴訟を控えてシューマンは極度に切迫していた。シューマンの作品のなかでも異様なとりとめのなさがある。死を意識していた。《夜曲》とはいえロマンティックなノクターンとは一線を画した「生命の夜」のような魂の安息。兄の危篤の知らせと逝去の体験が曲を書いている時期にあった。もはやヴィークとの和解は不可能と考えたシューマンは、1839年6月15日、クララの同意を得て弁護士に訴訟手続きを依頼した。
《君に捧ぐ(献呈) Op.25-1》は晴れてクララとの結婚が許された年、1840年に書かれた歌曲集『ミルテの花』の第1曲。1840年8月12日にシューマンとクララの結婚を許可する判決が下され、二人は9月12日にライプツィヒ近郊シェーネフェルトの教会で結婚式を挙げた。「君は僕の魂 僕の心/僕の歓び 僕の苦しみ/君は 僕の生きる世界/僕がただよう天国/僕の善き霊 より良き「私」!」で結ばれるリュッケルトの詩を、結婚の当日にクララに捧げた。1840年は「歌の年」。歌曲への創作意欲が爆発した。
《ウィーンの謝肉祭の道化 Op.26》は1839年3月に書きはじめられて、終曲の第5曲は1840年冬に完成。謝肉祭ではあらゆる価値を転倒させることで現世の秩序を笑いとばす。道化は「フモール」そのものだ。並行して書かれていた《夜曲》とは対照的で、やはりシューマンのなかにはフロレスタンとオイゼヴィウスという両極に引き裂かれた性格が併存していた。とはいえ第4曲「間奏曲」は《夜曲》のなかに構想されていたのだから、「死を意識して生きる」というありようが身についていたのかもしれない。
《3つのロマンス Op.28》にはクララとの結婚への希望を託した。2曲目は美しい愛の二重唱になった。《スケルツォ、ジーグ、ロマンスとフゲッテ Op.32》は、ロマン派の性格小品とバロックの舞曲が混合された作品。シューマンのバッハ研究が背景にある。
《アンダンテと変奏曲 Op.46》は1843年の作品。原曲は2台のピアノ・2本のチェロ・ホルンの5重奏曲。「歌の年」の翌年1841年には管弦楽作品を集中して書き、1842年には室内楽に専念した。5重奏版は478小節で、296小節に切りつめられた2台ピアノ版はブラームスの愛好曲だった。本日は、シューマン夫妻やブラームスとも親しかった、テオドール・キルヒナー(1823-1904)による独奏版で弾かれる。
![11月9日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第2回公演 [2025/11/03 update]_c0050810_13593290.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202510/17/10/c0050810_13593290.jpg)
〔予告〕
【第3回公演】 2026年1月11日(日)15時開演(14時45分開場)
朗読:山村雅治(*)
《4つのフーガ Op.72》(1845)
《密輸業者 Op.74-10》(1849) [C.タウジヒ編独奏版]
《4つの行進曲 Op.76》(1849)
《春の訪れ Op.79-19 /S.569》(1849/74) [F.リスト編独奏版]
《森の情景 Op.82》(1848/49)
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《協奏的小品 Op.86》(1849/2025)[米沢典剛独奏版/初演]
《ただ憧れを知る者だけが Op.98-3 /S.569》(1849/74) [F.リスト編独奏版]
《色とりどりの小品 Op.99》(1836/49)
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《スペインの愛の歌 Op.138》より「前奏曲」「間奏曲(国民舞曲)」(1849)[作曲者編独奏版]
《美しきヘートヴィヒ Op.106》(1849)(*)
《3つの幻想的小曲 Op.111》(1851)
《2つのバラード Op.122》(1852/53)(*)
《アルバムの綴り Op.124》(1832/45)
【第4回公演】 2026年3月22日(日)15時開演(14時45分開場)
《7つのフゲッタ形式によるピアノ曲 Op.126》(1853)
《朝の歌 Op.133》(1853)
《プロヴァンス地方の恋唄 Op.139-4/ S570》( 1852/1881) [F.リスト編独奏版]
《序奏と協奏的アレグロ Op.134》(1853/2025) [米沢典剛編独奏版/初演]
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《ゲーテのファウストからの情景 WoO 3》序曲 (1853/82) [R.クラインミヒェル編独奏版]
《天使の主題による変奏曲 WoO24》(1854)
ブラームス:《シューマンの天使の主題による変奏曲 Op.23》(1861/78) [T.キルヒナー編独奏版]
〈使用エディション〉 新シューマン全集 (2020)






















