
変ロ長調ソナタのイントロドゥツィオーネ楽章がここで試聴出来ます(相当に音質を低めてありますけど)。
ジュリアン・ブリームが取上げて以来最も有名なヴァイス作品であるハ短調ファンタジーも収録してありますので、皆様是非御一聴を。 (・・・余談ながら、ブリテン《ノクターナル》を、自筆譜から弾き起こした演奏(すなわちブリームの「解釈」が入ってない演奏)というのはあるんでしょうか。ダウランド《重き眠りよ、来たれ》の諸モチーフがバラ撒かれて最後に収斂してゆくさまを、もうちょっと典雅に聞き取りたいところではあります。)

例えば生年。1686年なのか1687年なのか。複数の弟子の覚書にも互いに矛盾があるし、「いつからリュートを始めたのか」に関しても本人の発言やら伝説やらが錯綜。
プファルツ伯カール・フィリップに仕えていた際、その長兄のプファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムを訪れたのはデュッセルドルフの「宮廷」だったのか、あるいは別の場所だったのか? そもそも訪伊以前に奉職していたのは、正式にはブレスラウだけなのか?

1714年にローマ滞在を切り上げた際、再びプファルツ伯の元へ戻ったらしいが、してみると、キョーレツなオカンのせいで亡命を余儀なくされたポーランド王子への派遣は、プファルツ伯自身の命に拠るものなのか?それは何故に?
なぜ生前はリュート作品の出版を一切許さなかったのか? ひょっとして作品には自信が無かった?(わけがない?) 《忠実な音楽の師》のタブラチュア譜例(このディスクにも収録!)として唯一例外を認めたテレマンとは、ひょっとしてポーランドつながり?
ヴァイスの人となりはどうだったのか?ヨーロッパ随一の高給取りだったくせに、遺族にはビタ一文残さなかった浪費癖の持ち主であり、また某ヴァイオリン奏者に「親指を食いちぎられそうに」なったほど恨みを買ってもいる。
大バッハとの交流はどうか?ヴァイスのイ長調ソナタ第47番は、バッハによってオブリガート・チェンバロ付きヴァイオリン・ソナタBWV1025に編曲されているとは言え、あの異様に演奏至難(というか不可能)なハ短調リュート組曲BWV997や前奏曲・フーガとアレグロBWV998は、ヴァイス自身は試奏さえしたのかどうか?

それから、ヴァイスのイタリア趣味を決定づけたのは、1710年から14年にかけローマにてポーランド王子アレクサンデル・ベネディクトに仕えたことでしたが、このポーランド・ソビェスキ王家の末裔が、映画《ディープ・インパクト》で一躍名をあげた新進女優、リリー・ソビェスキ、ってわけです。ベーグルを発明したのはまた別の話。
なお、今村氏のヴァイス・チクルスによる日本ツアーが来月(4月)に行われます。4月18日(火)19時スタジオ・ルンデ(名古屋)、4月21日(金)午後7時・新宿文化センター小ホール等のほか、BCJマタイ受難曲(第1稿)にも出演との由。