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■2006/12/03(日) Mais la marge est trop étroite pour la contenir.

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■2006/12/03(日) Mais la marge est trop étroite pour la contenir._c0050810_17323546.jpg  日本音楽学会第57回全国大会(2006年10月28日/九州大学大橋キャンパス)パネル・ディスカッション4 《武満徹と日本の作曲》を読んでの雑感。

【なんで武満だけが】
どうやら大昔から今に至るまで、武満「論」の中枢を成しているのがコレ。幾つかの売れスジ要素は他の作曲家とも共通しているわけで、それらが「芸の力」と相乗した上での幸福な結果なのでしょう。自分の人生を同じように繰り返すことは出来ないように、武満を反復することも不可能です。
そういえば、松下真一《スペクトラ》全曲演奏会を計画して、早10年が経過・・

【one by one】
西洋音楽でもモダン楽器では、しばしばあるべき「拍節感」は無視され、one by oneで演奏されているように見受けられます。引き伸ばされた時間感覚は、西洋でもルネサンス期にはありました。

【初期作品の楽譜校訂】
例えば、同じ実験工房の佐藤慶次郎氏《ピアノのためのカリグラフィ》において、自筆譜、「音楽芸術」誌付録時の初版、単行冊としての出版譜は、それぞれ音楽的に無視し難いレベルで差異が認められました。その差異の詳細について、作曲者御自身、必ずしも御記憶が明瞭で無いようでした。
生前の武満氏に《ピアノのためのコロナ》について御質問申し上げた際も、似たような感触を得ました。一方、同じ質問を初演者・高橋悠治氏に投げかけると、回答は明快でした。
リハーサル時に提案するや否や、私の目の前でグバイドゥーリナ女史は自筆譜のメトロノーム記号を書き直していましたから、ことほどさように「実証研究」は困難だと思います。「ダルセーニョ」問題はモーツァルトでもショパンでも忘れがちな論点です。
「武満家にある資料は近代音楽館でコピーをとって返しているはず」だそうなので、今度いっぺん見に行かなくては。

【同伴演奏家】
これは既にこのブログでも再三述べました。あらゆる方法論にはノイズが混入する、ということです。鵜呑みにして莫迦を見るのは我々の責任なのでしょう。

【ソステヌート・ペダル/調律法】
作曲家のペダル指定は古来ケースバイケースで(例えばショパンのペダル記号は「出来の悪い弟子用」)、最終的に演奏家の采配に任されます。ドビュッシーがソステヌート・ペダル指定をしなかったからと言って、それを禁則と見なす必要はありません。ケージ《Winter Music》やブーレーズ《第3ソナタ》を知らずして、武満が《ピアノ・ディスタンス》を書いたとは思えない。なお、1/7S.C.音律が武満解釈に与える影響は知れたものだと思います。

【アシスタント問題】
作曲家N氏が直接訊いたところ、「自分で書いてます」と答えたそうな(商業音楽については不詳)。自筆譜が残されているなら、検証作業は一発です。
Commented by KN at 2006-12-05 19:41
確か閉じた眼IIでソステヌのミスが一件。
Commented by genki at 2006-12-07 17:22
 実証研究によって「なんで武満だけが」の真実が判明することはないでしょうね。実証研究が明らかにするのは、たいていの場合、その作曲家の人間性だったりします。おそらくその「人間性」に切り込むには、亡くなって間もない作曲家の場合、なかなかに難しい問題がいろいろとあるんでしょうね。だから、「論」にとどめておかないといけない──というのが暗黙の了解事項ではないでしょうか。

 それでも、実証研究は必要だと思います。おそらく、関係者にとっては、「出てきてほしくないもの」も掘りおこしていく勇気が必要でしょうが。

 でも、順番からいったら、わたしはまず、中田喜直研究をするべきだと思うんですけどね。それこそ、「なぜ、中田だけが」といわれてしかるべき、「商業的成功」を得た稀有な作曲家なのに、「論」さえもないのは嘆かわしいことだと思います。
Commented by ooi_piano at 2006-12-08 12:52
武満作品で、Aufführungspraxisが問題になるのはせいぜい図形楽譜作品くらいでしょうから、個人的には取り敢えず《For Away》の自筆譜・筆写譜を見てみたいです。
ところで、チェンバロ独奏のための《夢みる雨》は、チェンバロよりむしろ明らかにモダン・ピアノ向きの書法が取られているわけですけれども、誰かピアノで弾いてしまう方はおられないのでしょうか(笑)。因みに、作曲者生前(1993年)に私が主宰した武満チクルスでは、《すべては薄明の中で》をアンコールにピアノで演奏させて頂きました。尺八での《ヴォイス》なども是非聞いてみたいものです。
Commented by watayou at 2006-12-12 18:17
ピアノで《すべては薄命の中で》ですか。それはすごく聞いてみたいです。《ヴォイス》も面白そうだけど、ギター弾きとしては誰か《海へ》を尺八でやってくれないかなと思います。
by ooi_piano | 2006-12-03 10:18 | プロメテウスへの道 | Comments(4)

6月15日(日)《ロベルト・シューマンの轍》第1回公演


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