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演奏教育現場における現代音楽の効用・目的について、幾つか所感を。
◆現代作品の暗譜について
初心者がモーツァルト《トルコ行進曲》の16分音符をもつれながら演奏した時、たとえ彼が楽譜を見ていなかったからといって、それを「暗譜で弾けた」とは言いません。ところが、もしこの奏者が何か現代曲を「暗譜」で弾いている場合、人は往々にして「彼は完璧に弾いている筈だ、なぜなら暗譜なのだから。」と思い勝ちです。
既に述べたかと思いますが、現代曲の暗譜演奏では、なかんずく不規則なデュナーミクや、細かい休符のカウントが丼勘定になる傾向が見られます。一度完璧に覚えたとしても、クラシック作品に比べて劣化が早い。もちろん、譜面をソラで書けるほど練習した曲は、あとで思い出す際ずいぶんラクなのは、言うまでもありません。学生時代は現代曲でも、暗譜を前提にしちゃって良いと思います。
今までで個人的に暗譜で最も手子摺ったのは、ブレーズ第2ソナタ最終楽章等よりむしろ、メシアン《神によって全ては成された》の僅かずつ違う似たような音型が延々と続く、非シンメトリックな拡大 (Agrandissement asymétrique)の部分でした。一見譜面づらはシンプルで、そのじつ骨が折れるのは、クセナキス70年代の巡回置換(Permutation circulaire)部分も同様です。
◆現代音楽演奏は、誰かに師事するものではない
「深山幽谷」的レパートリーはその特殊性ゆえに教授不能ですし、「里山」的レパートリーはクラシックの延長線上ですから特別なことは何もありません。
前者が通常のコンクールなどで、無辜の学習者に求められることは、まず有り得ません。複雑に見えるリズムも、ゆっくりカウントしてみれば小学算数を超えるものではなく、様々な特殊奏法にしても容易に言語化しシェアし得る事項でしょう。
教育課程で後者に割く時間があるなら、F.クープラン《クラヴサン奏法》の前奏曲数曲をチェンバロで学ぶほうが、遥かに有益だと思います。ブレーズ第2ソナタ序文に見られる、「音符の無いところはちゃんと数えて下さい」、「表情的ニュアンスってヤツぁ勘弁して下さい」、「声部間にヒエラルキーはありませんので夜露死苦」、などという注意書きは、古楽奏法的には当然の感覚に過ぎませんが、恐らくほとんどのモダン・ピアノ奏者にとっては諒解し難いものでしょう。
◆ソルフェージュ教育の陥穽
教育課程には一応のゴールが設定されています。エリートであればあるほど、ゴールよりも先の譜面に遭遇した場合――すなわち、「初見でだいたいのところが掴めない」作品の場合――、脆くも思考停止になりがちです。優れた演奏能力を持ち、現代音楽に多大の関心がありながらも、先述の「左項系」(中ん就く(G)⇔(H)の「反ノイズ系」)に留まってしまうのは、こういった音楽教育の知られざる弊害だと思います。
そういえばブレーズ生誕75年記念催事の一環として、ロンドンの小学生にブレーズの譜面の断片を弾かせる、という「教育」プログラムが行われていました。中高生に《まなざし》を弾かせて作品延命を図る、というのがメシアン・コンクールの端緒であり、低年齢化は本来歓迎すべきことでしょうが、それにしても、「断片」を弾かせて教祖様に恭順を誓っているさまは、まるでジュニア・ショッカー隊みたいだと思った次第。
◆それでも効用があるらしい
アリバイ作りに武満徹《雨の樹素描II》やデュティユ《ソナタ》を齧ることに積極的意味があるとは思えませんが、ブラームスをシューマンとシェーンベルクの間に、バルトークをブラームスとリゲティの間に、ドビュッシーをクープランとブレーズの間に置く視座は、持っていても損はしないでしょう。
ヨーロッパの音大では、学生オケでもベートーヴェンを差し置いて近現代を重視する傾向にあり、ベートーヴェンの協奏曲は暗譜でバリバリ弾けるのに交響曲第3番のニックネームさえ知らない、などというヴァイオリン学生がごろごろいました。「現代曲など学校を出てから勝手にやれば宜しい」、というのが私の意見です。
ところが、ある音大で演奏専攻学生を指導した方によると、20歳までに現代曲に触れさせると、音楽への接し方のみならず、人生そのものが開放的になる、とのことでした。しかも、「20歳(大学2年生)なら間に合うが、22歳(4年生)では既に手遅れ」、との由。 脳味噌は20歳、身体的には25歳が限度とするなら、諸コンクールの年齢制限が30歳以下であるのも仕方ないかもしれません。

◆現代作品の暗譜について
初心者がモーツァルト《トルコ行進曲》の16分音符をもつれながら演奏した時、たとえ彼が楽譜を見ていなかったからといって、それを「暗譜で弾けた」とは言いません。ところが、もしこの奏者が何か現代曲を「暗譜」で弾いている場合、人は往々にして「彼は完璧に弾いている筈だ、なぜなら暗譜なのだから。」と思い勝ちです。
既に述べたかと思いますが、現代曲の暗譜演奏では、なかんずく不規則なデュナーミクや、細かい休符のカウントが丼勘定になる傾向が見られます。一度完璧に覚えたとしても、クラシック作品に比べて劣化が早い。もちろん、譜面をソラで書けるほど練習した曲は、あとで思い出す際ずいぶんラクなのは、言うまでもありません。学生時代は現代曲でも、暗譜を前提にしちゃって良いと思います。
今までで個人的に暗譜で最も手子摺ったのは、ブレーズ第2ソナタ最終楽章等よりむしろ、メシアン《神によって全ては成された》の僅かずつ違う似たような音型が延々と続く、非シンメトリックな拡大 (Agrandissement asymétrique)の部分でした。一見譜面づらはシンプルで、そのじつ骨が折れるのは、クセナキス70年代の巡回置換(Permutation circulaire)部分も同様です。
◆現代音楽演奏は、誰かに師事するものではない
「深山幽谷」的レパートリーはその特殊性ゆえに教授不能ですし、「里山」的レパートリーはクラシックの延長線上ですから特別なことは何もありません。
前者が通常のコンクールなどで、無辜の学習者に求められることは、まず有り得ません。複雑に見えるリズムも、ゆっくりカウントしてみれば小学算数を超えるものではなく、様々な特殊奏法にしても容易に言語化しシェアし得る事項でしょう。
教育課程で後者に割く時間があるなら、F.クープラン《クラヴサン奏法》の前奏曲数曲をチェンバロで学ぶほうが、遥かに有益だと思います。ブレーズ第2ソナタ序文に見られる、「音符の無いところはちゃんと数えて下さい」、「表情的ニュアンスってヤツぁ勘弁して下さい」、「声部間にヒエラルキーはありませんので夜露死苦」、などという注意書きは、古楽奏法的には当然の感覚に過ぎませんが、恐らくほとんどのモダン・ピアノ奏者にとっては諒解し難いものでしょう。
◆ソルフェージュ教育の陥穽
教育課程には一応のゴールが設定されています。エリートであればあるほど、ゴールよりも先の譜面に遭遇した場合――すなわち、「初見でだいたいのところが掴めない」作品の場合――、脆くも思考停止になりがちです。優れた演奏能力を持ち、現代音楽に多大の関心がありながらも、先述の「左項系」(中ん就く(G)⇔(H)の「反ノイズ系」)に留まってしまうのは、こういった音楽教育の知られざる弊害だと思います。
そういえばブレーズ生誕75年記念催事の一環として、ロンドンの小学生にブレーズの譜面の断片を弾かせる、という「教育」プログラムが行われていました。中高生に《まなざし》を弾かせて作品延命を図る、というのがメシアン・コンクールの端緒であり、低年齢化は本来歓迎すべきことでしょうが、それにしても、「断片」を弾かせて教祖様に恭順を誓っているさまは、まるでジュニア・ショッカー隊みたいだと思った次第。
◆それでも効用があるらしい
アリバイ作りに武満徹《雨の樹素描II》やデュティユ《ソナタ》を齧ることに積極的意味があるとは思えませんが、ブラームスをシューマンとシェーンベルクの間に、バルトークをブラームスとリゲティの間に、ドビュッシーをクープランとブレーズの間に置く視座は、持っていても損はしないでしょう。
ヨーロッパの音大では、学生オケでもベートーヴェンを差し置いて近現代を重視する傾向にあり、ベートーヴェンの協奏曲は暗譜でバリバリ弾けるのに交響曲第3番のニックネームさえ知らない、などというヴァイオリン学生がごろごろいました。「現代曲など学校を出てから勝手にやれば宜しい」、というのが私の意見です。
ところが、ある音大で演奏専攻学生を指導した方によると、20歳までに現代曲に触れさせると、音楽への接し方のみならず、人生そのものが開放的になる、とのことでした。しかも、「20歳(大学2年生)なら間に合うが、22歳(4年生)では既に手遅れ」、との由。 脳味噌は20歳、身体的には25歳が限度とするなら、諸コンクールの年齢制限が30歳以下であるのも仕方ないかもしれません。

現代音楽は私たちのように勝手に音大が終わってからやりだしてもいいのですが、早期教育の効果は語学の学習のように抜群のようです。という事で音大でも現代音楽の義務化は推進したいです。
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コメント有難う御座います。
「自分で」譜面を読む、という作業姿勢や、「自分で」音を作る(例えばプリパレーション)、という点で、確かに早期教育課程に組み込むのは悪くないですね。
「自分で」譜面を読む、という作業姿勢や、「自分で」音を作る(例えばプリパレーション)、という点で、確かに早期教育課程に組み込むのは悪くないですね。

ここは主催者がいつも放って置くと聴いていましたがコメントの返事をくれることもあるのですね。Danke!
自分もそうなのでどういうわけか独学の現代音楽専門のピアニストたちに共感します。それにしてもここのピアノの弾き方の説明が上手いことには驚きました。これを本にして出版すれば必ず日本のピアノ教授法の聖書になるでしょう。内容は自分の経験からまったく間違っていないと思います。
自分もそうなのでどういうわけか独学の現代音楽専門のピアニストたちに共感します。それにしてもここのピアノの弾き方の説明が上手いことには驚きました。これを本にして出版すれば必ず日本のピアノ教授法の聖書になるでしょう。内容は自分の経験からまったく間違っていないと思います。